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    akiajisigh

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    akiajisigh

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    11/17Webイベ「君がいちばん好きなんだ」展示作品。

    イタリアマフィアの敵対組織で出会ってしまったロミジュリ的青マフィ一奈
    …だったら良かったんですけどね、どうしてこうなった。
    終始ドタバタしてますギャグです。
    残念なマフィカラと中身まんま一松な一奈ちゃんです。
    2,3,5(保留組)と1,4,6(合格組)に分かれてます。
    うん。
    なんでしょうねこれ。

    #カラ一
    chineseAllspice
    #マフィ一奈
    mafia
    #BL松

    バイオレット* * *



    「カラ松兄さん楽しそーでんなぁ!」
    「久々の休みから帰ってきたと思ったら気持ち悪いほど浮かれてんだけど。何かあったの?」
    「聞いてくれるかブラザー!オレはついに!ディスティニーに出会った…!」
    「またか…前はドラッグストアの店員だったっけ?もう騙されないからな。」
    「ノン!今度はホンモノだ!本物の天使だ!出会った瞬間光が差し世界が明るくなった!
     控えめな態度、清楚な佇まい、伏せがちな目蓋の下に秘められた美しい瞳!何よりあの可憐な笑顔!!その姿はまさに、路地裏に咲いた小さなスミレ…!」
    「路地裏のスミレ?それ褒めてる?」
    「ぼく知ってる!スミレは野原に咲くんだよ!」
    「出会ったのが路地裏だったんだ。オレだってもっと光に満ちた場所が似合うと思ったさ。だから連れて行ってあげようとしたらスルリと逃げられてしまった…悪戯なマイエンジェル!」
    「なにしれっと攫おうとしてんだ。」
    「やっばいね!」
    「いやしかし…これで良かったのかもしれない。オレの様に闇の中で生きる孤独なギルトガイが手を伸ばして、汚れを知らない天使の純白の羽根を汚すわけにはいかない…!」
    「兄さん1人じゃないっすよ?」
    「いいよいつもの発作だほっとけ。むしろ気になるのは、相手がコイツから逃げられたって事。
     …その子も、只者じゃないんじゃない?」



       *  *  *



    「どうしたの一松兄さん。今日は久々のオフだったんでしょ?」
    「そうそう!せっかく面白い土産話を期待してたのにさー。そんな死にかけてないで教えてよー」
    「っっ誰のせいだよ!!つか言うまでもないお前らのせいだろ!」
    「えー。でも罰ゲームだからさあ。」
    「仕方ないよねぇー」
    「たかが暇潰しのカードの罰ゲームが『女装して敵の縄張りでスパイごっこ』とかエグすぎるだろ!色んな意味で死んだわ!」
    「まあまあ、でもバレなかったでしょ?敵って言っても最近手伸ばしてきた新参者だから兄さんの顔も知らないだろうし、何よりボクが全力で盛ったんだから!」
    「だよなあ!マジで女の子にしか見えなかったもん!兄ちゃんお前の本気が怖いわー。」
    「それで?何か面白い事あったんでしよ?ただその辺回ってきただけならそんなに死んでないよね?」
    「………ヤバい奴に会った。」
    「え?」
    「誰々?」
    「いやそりゃ誰かは分かんないけど…同じ歳くらいの、男。目が合うなりすげぇテンションで喋りづめでさ。『エンジェル』だの『ディスティニー』だの言ったと思ったら突然手首掴まれてそのまま連れてかれそうになった。」
    「っひゃー!やっぱサイコーだよいちまっちゃん持ってんねぇ!」
    「ヤバいねぇ。この短い説明でヤバさが分かるってのが何よりヤバいねぇ。」
    「本当に怖かったんだからな!男ってバレない様に大声出せないし、相手は全然引きさがらねぇし!笑ってんのにめちゃめちゃ力強いしめっちゃ怖かった!!」
    「まぁまぁ、でもお前がそんな簡単に捕まるわけないだろ?事実逃げてこられたし。」
    「そりゃまあ、隙を見て一発蹴り上げて逃げてきたけど…。一番怖いのはコレだよ。」
    「ん?」
    「何?カード?」
    「どっかの店の名刺。いつの間にかウイッグに挟んであった。全然気づかなかった…近づいたのなんて一瞬のはずなのに。」
    「…」
    「うわ兄さんこれ、裏に連絡先書いてあるじゃん。『マイディスティニー、また会える日を心待ちにしているよ』だって。怖ぁ。」
    「出会って数分だよ?そんなもん書いてる素振りすらなかったし…」
    「怖ぁ。」

    「…なぁ、一松ぅ。お前ソイツにもっかい会ってこない?」
    「はぁ?!何言ってんの?!マジでヤバい奴だって!色んな意味で!」
    「どうしたのおそ松兄さん。ただ一松兄さんをいじりたいだけって風には見えないね?」
    「んー、まあ。ただのお兄ちゃんのカンなんだけどねー。

    ソイツと仲良くなっとくと、絶対面白いだろーなってさ!」



       *  *  *



    「マジかよ…正気じゃない…」
    夕食刻を迎え賑わい始めたバールのカウンターの端っこで。とりあえず頼んだカプチーノに視線を落とせば、持つ手の爪の菫色が目に入って、何度目かのため息。立ってるだけで痛みを訴える踵の高い靴、やたらとスースーして頼りない足元、逆に腕には慣れない感触の白いフリルレースに、ちょっとした動きで引っかかりそうになる胸元の花飾りとリボン、そして何より、露出した肩にさらりとかかる、伸ばした覚えのない黒髪。それら全て、未だに現実として受け入れられてない。
    とりあえずこれからの対策を練らなければならないのだが、逃避のように頭は過去の事を再生する。

    あれから。
    結局おそ松兄さんの意思を曲げられるはずもなく、おれは渋々アイツに連絡をとった。
    声も覚えられてないだろうとまず出会った時の話をして素性を明かせば、突然通話が切れたのは電波状況でも悪かったのか。即座にかけ直してきた奴は相変わらずの狂ったテンションで訳の分からないことを捲し立て、最終的に待ち合わせとして告げられたのが、渡された名刺の店。つまりこのバールである。
    トド松に再び変装を施され、一人で行かせられそうなところをごねにごねてトド松について来てもらった。今はアイツも変装して店の隅から監視してくれているはず。いやだって、アレをおれ一人じゃ無理。
    約束の時間よりかなり早くに来たのは、色々と準備や心構えをと思っての事だったが、結局うだうだ悩んでいる内に時間が迫り。

    「すまない、待たせてしまったかな?マイエンジェル」
    背後からかけられた言葉と、目の前のバサリという音と同時に、視界が真っ赤に染まる。何かと見ればバラの花束。花、たば…だよな?いやでかい。何本あるの。
    「99本のバラの花言葉はそう…『永遠の愛』。これを君に。受け取ってくれ。」
    きゅうじゅうきゅう?!
    初手から重い!重いわ色んな意味で!受け取れるかこんなもん!
    あっけにとられて固まるおれの様子を察したバーテンダーがフォローを入れてきた。
    「だから言ったじゃないですかオーナー。いきなり渡されてもびっくりしちゃいますよ?それにこんなに大きくて重い花を持ち歩くのも大変だし。」
    「そうか。ならばこれは店に置いておこう。マスター、あの奥の席から一番よく見える場所に飾っておいてくれ。君は好きな時に見に来ればいい。この花がすべて枯れるまで、あの席は君のものだ。」
    花束はカウンター越しにさっきのバーテンダーに渡し、何の気負いもない笑顔でとんでもないことを言ってよこした。
    え、どういう事。好きな時にって、君のものって。ていうかあのバーテンダーも『オーナー』って言ってたし、まさか…って言うかさ。その前にいい?1個だけいい?

    キッッッツイわぁあああああ

    もう無理。
    会って5分でもう無理。このノリに付いていけない。予想はしてたけど予想以上。何これ。何この流れ。え?こういうもんなの?コイツのこれは正解なの?世の女の子はこういうので『素敵!』ってうっとりするものなの?え?おれがソレするの?それは。
    無理ぃ…。
    なんだか今までかいた事のない種類の汗が出てきた気がするおれの目の前に、また薔薇が差し出される。今度は1本だけ。目の覚めるように鮮やかな、青い薔薇。
    「代わりに今宵の君にはこれを。儚げで神秘的な、菫の様な君に紫が一番似合うのは承知の上だが…どうかこの時間だけは、オレの色を纏っていてくれ。」
    言いながらその薔薇を胸元の紫の花飾りに並べるように挿してきた。

    …うん。

    無理ぃいいいいいい!

    助けてトッティ!おれもう無理だよぉお!

    いくら胸中で叫ぼうとも、流石にここで逃げたら怒られる。というか馬鹿にされるしおそ松兄さんと二人から散々ネタにされて終わりだ。せめて何がしかの収穫は持って帰らないと。
    奥歯を噛みしめぐっとこらえて若干ひきつった笑みで
    「…素敵。キレイな薔薇ですね。ありがとうございます。」
    何とかそれだけを返した。

    それから。

    場所を移動し、連れてこられたのはホテルの最上階にあるレストラン。そこまでのエスコートぶりとか夜景を眺めながらの食事とか、まぁらしすぎるほどらしい流れの中に、さっき同様の歯の浮くようなセリフの嵐。慣れない服に靴ってだけで四苦八苦しているのに精神的ダメージまで食らってもう帰りたさしかない。それでも疲労をひた隠しに隠して笑顔で応じたおれはもう表彰されても良いと思う。

    「今日はすまない、本当はもっとゆっくりしたかったんだが、この時間しか空いてなくて。」
    「お仕事お忙しいんですか?」
    尋ねれば
    「心配してくれるのかい?優しい天使。」
    と返ってくる。うええ。
    負けるな自分。頑張れ自分。ここまできたんだ、少しでも探っておかねば。
    「そ、そういえばさっきのお店でも『オーナー』って呼ばれてましたし、このお店の方ともお知り合いの様でしたし。もしかして経営とかされてるんですか?」
    「いや、ただちょっと管理を任されているだけさ。」
    管理。って言っても資産管理とかコンサルの類にも見えない、むしろ雰囲気的に…同業者の匂いがするんですが。いや、まさか。
    「この後も会議が入っていてね、残念だが今日はここでお別れなんだ。」
    「えっ」
    っしゃ帰れる!との喜びが漏れ上ずった声が出たが、相手にはバレなかったようで的外れな反応が返ってくる。
    「あぁそんな悲しい顔をしないでおくれマイスウィートエンジェル。またすぐに会えるさ。そう、君に会うためならオレは!どんな仕事も投げ出して見せよう!」
    「いや投げ出しちゃダメだろ。」
    「ん?なんだい?」
    「あっいえ何でも?!」
    いけね、つい本音が。
    「その…お言葉は嬉しいですが、お仕事のお邪魔になっても申し訳ないですし、ご無理はなさらないで?」
    正直もう会いたくない。どうしても会わなきゃならないなら1か月はあけて欲しい。
    「ああ何て優しいエンジェル、君は本当に天界から降りてきたんじゃないのかい?その真っ白で清らかな心…どうか次に会う時まで誰にも渡さないで。そして許されるなら…その心の片隅に、オレを置いてくれないか?」
    うおえええ。無理むりムリ。食べたもん全部出そう。咄嗟に口を両手で抑えてうつむく。まあこれも、さっきから自分の都合の良いようにしか見えてないコイツには感極まったようにでも見えるだろう。それでも度々の天使呼ばわりにいい加減限界がきて、聞かれもしてないのに言ってしまったひと言は。
    …まぁ、いわゆる最大の失敗だったのかもしれない。
    「そんな…天使なんていいもんじゃ無いですよ私。…『一奈』です。」
    「え?」

    「一奈。私の名前です。これからは一奈って、呼んで下さい。」



       *  *  *



    「…そう名乗った時の、笑顔と言ったら!まさに可憐で奥ゆかしい蕾が暖かい春の日差しに誘われ花開いたような!」
    「声でかいようるっせぇ!」
    「名前も教えてもらえましたかー。兄さん良かったでんなぁ」
    「ありがとう十四松!ああもう間違いない彼女こそマイディスティニー!月が照らし星々は瞬き街の喧騒はファンファーレのように!あの瞬間間違いなく世界が二人を祝福していた!」
    「いや、まぁ、浮かれるのは自由だけどさ…まさかお前、つられて本名乗ってたりしてないよな?」
    「もちろんさ!男は少々ミステリアスなくらいが魅力的だからな!」
    「そういう理由じゃねぇんだけどね。」
    「そう、彼女にはこう言っておいた!オレのことは——」



       *  *  *



    『オレのことは…青薔薇の騎士、とでも呼んでくれ。』



    ゴブフォ

    「ちょ、待っ、トッティちょっとタンマ!ストップ!ギブギブギブもう無理ぃ!」
    ありとあらゆる制止の声ともはや悲鳴のようになった笑い声とともに、おそ松兄さんが腹を抱えて崩れ落ちていく。
    「むり、もう無理!アバラ折れるってぇ!」
    そのザマを、トド松と2人、青ざめた無表情でしばし見つめる。先に口を開いたのはトド松。
    「兄さんは声しか聞いてないんだから、まだマシな方だからね。コレを大袈裟なほどのアクション付きで見せられて、それでも他人のフリして隠れてなきゃならなかったボクの苦労が分かる?」
    「それならおれなんて最前線だったからね?おれに向けて言ってたからね?ゼロ距離射撃全弾命中、それで平気な女子のフリだよ?マジで人生最大の演技力を総動員したわ…。」
    「いや!もう!やめて!!面白すぎる!」
    涙と唾を飛ばしながら床でゴロゴロ笑い転げる兄さんに
    「あのねぇ、そもそも兄さんの命でこっちは動いたんですけど?!」
    「『もうやめて』はこっちのセリフなんだよ。」
    いい加減本気のキレトーンで責めると
    「いや、いやいやゴメンって!だって想像以上だったからさぁ。」
    ようやく詫びの様な言葉が返ってきた。が、すぐに容赦のない一言が続く。
    「んで?次に会う約束とかはしてきたの?」
    「まだやるの?!」
    思わず叫んでもしれっと返ってくる。
    「だって何も分かってないじゃん。金持ってそうってくらいしか。」
    「そうだけど…本当にこれ以上調べる必要あるの?ただのヤバい奴じゃないの?」
    「そうそう、根拠が兄さんの勘だけでしょ?リスクが大きすぎるよ。ボクらもそんなに暇じゃないしさ。例の敵の事も調べなきゃ、まだ何も詳しい事分かってないんだから。」
    「いやだからそれなんだよ!こいつ絶対そいつらと関係あるって!間違いない!」
    「だから根拠は?」
    「だって同じエリアだし。あとはぁ、お兄ちゃんの、カン?」
    はぁーーー
    「…いや、まあね?あんな大きい店仕切ってるみたいだし、只者じゃないとは思うよ、そこから調べてくってのも一つの手だな、とは思ったんだ、それは確かなんだけど…。」
    と、そこまでつぶやいた弟がこちらをチラリと伺う。慌てて首を振って
    「おれヤダよ。正直もう二度と会いたくない。ただでさえ女装とかメンタル削られてんのに。それに、これ以上繰り返したら絶対バレるって!んで、バレたら絶対ヤバいタイプでしょアイツ…」
    「それはボクも思う間違いない。
    それに、今回は運よく向こうが忙しかったとかですぐ解散になったけど、一松兄さんが即日お持ち帰りされてた可能性も十分にあった訳で…」
    「やめろ。まじで。」
    「でも事実でしょ。リスクは予測しとかないと。」
    「ううう…」
    「でもまあ、ねえ。もう1回会うのは避けられないね。」
    「え」
    「だって一松兄さん、自分から距離を縮めちゃったじゃない。笑顔で名乗るなんてもう、今後ともよろしくお願いしますとしか受け取れない。」
    「?!いやあれは!しつこいほどの天使呼ばわりが耐えられなかったからどうにか避けたくて!」
    「そうは聞こえなかったんだなぁ。兄さんあの時、珍しく完璧な笑顔だったから。」
    「へーそうなんだ!いちまっちゃん意外に魔性ね?」
    「うるさい元凶は黙れ。」
    「ともかく、あの流れで会わないってのは向こうが納得しないだろうね。少なくとももう1回は会って、やっぱり駄目でしたって理由と作らないと。」
    「う、うええ…マジで?」
    「マジで。兄さんも言ってたじゃない。ああいうタイプはキレさすのが一番怖い。縁を切るなら切るで、どうにか穏便な別れ方を探さないと、面倒になるよ。」
    「そうそう!だからさぁもうちょっと頑張って探ってきて!その間の他の仕事はお兄ちゃんが頑張るからさぁ!」
    「ううう…マジかぁ…」

    と、言う事で。
    なし崩しにアイツとの接触継続を説得され。
    とは言え結局、というかやはりというかおそ松兄さんが3人分勤勉になる訳もなく、普段の仕事はそのままで、お互い(とトド松)の休みの合う日を調整しながら…あれから1ヶ月で2度ほど会った。
    それでも奴の情報に関して、めぼしい収穫は無かった。どこに行っても顔が利く、かなりの実力者なんだろうという事、いつ会ってもサングラスに目の覚めるような青いシャツ…奴の自称からしても、青にこだわりがあるのだろうか、という事くらい。質問をしてもはぐらかされる、というより、質問に対する答えが返ってこない。こっちの発言なんて聞いちゃいないのか、向こうが向こうの言いたい事だけを話すものだから、会話にならないのだ。これが意図的なものだとしたら大した曲者だが…いやぁ、あれは素だろう。
    一方で、人となりは見えてきた。当初思っていたよりも、ヤバい奴ではないのかもしれない。確かに言動は軽いし大げさだしひたすら消耗するのだが。そこを除けば意外と普通で、店選びなんかのセンスも悪くないし話題も豊富で飽きない。そしてこれが最も意外なのだが、こちらの事をよく見ている。
    おれが疲れてきた絶妙のタイミングでカフェに入ったり、ちょっと気になるものがあれば必ず気づいてプレゼントして寄こしたり。

    何よりもその認識を改めさせられたのが、3回目のデー…会合の時。
    休みがつぶれるどころか、慣れない店にばかり通う気疲れでいい加減限界が来ていたおれは、癒しを求めていた。
    だから『どこか行きたいところはあるかい?』と尋ねられた時、口をついて出たのは行きつけの公園だった。特に見るべき所もなく、どちらかというと空き地と言った方が近いような、半ば管理を放棄され雑草が生い茂る小高い丘だ。申し訳程度にポツンと置かれた古びたベンチが余計に寂しさを際立たせる、お世辞にも恋人同士の憩いの場とは言い難い空間。
    こんな所に連れてこられるなんて思ってもいなかっただろう、いかにも伊達男なこいつはさぞ呆れているに違いない。
    「すみませんこんな何もない所…つまらないですよね」
    名目上とはいえデートとして来ている手前、とりあえず詫びの言葉を告げれば
    「何もないなんてとんでもない。広い空に輝く太陽、その光を存分に浴びて美しく咲き誇る花々。そしてここに…天使がいる。」
    最後のひと言と共にスイと手を掬われ、口付けるようなジェスチャー。大丈夫もう慣れた耐えられる、耐えろおれ。全身に走る寒気と闘っている間に流れるように手を引かれ、ベンチに座る時にはすでにハンカチが敷いてある、いつの間に。
    まあでも、ここまでは予想できるテンプレの社交辞令。意外だったのはこの後。
    癒しを渇望していたおれは、程なく集まって来た猫たちに全神経を集中してアイツを完全放置してしまった。何分たったか分からないがひと言も話してない、どころか視線すら向けていない。我に返ってヒヤリとする。流石にこれは怒るだろう、放って帰る事はしないようだが、今後誘われることもないかもしれないと、恐る恐る伺えば。予想に反して機嫌よさそうな顔で、おれの方を見ていた。
    その、今までのイメージから考えられないほど、優しい顔に。
    息が詰まる。
    「…っあ。あの、すみません、この子たちと久しぶりに会ったものだから…つい夢中になってしまって。」
    「いや、構わないよ。君のそんなに楽しそうな顔が見られて、それほどとっておきの場所に招待してもらえたんだ。むしろ光栄さ。それにこの猫たちからも愛される、君がいかに慈愛に満ちた存在かも再確認できた。花と動物に囲まれる君の姿は一枚の絵画のように美しい…天使だと思っていたが、愛と平和の女神だったんだな。」
    「そんな…」
    相変わらず歯の浮くような事を言ってくるばかりで、決してこちらを責めたり、どころか不快にさせるひと言も、態度すらも出してこない。フェミニストと言うにも行きすぎな気がする気遣いに、おれなんかよりもコイツの方がよっぽど寛大なんじゃないか、とか、思ったりしたわけで。



    とかまぁ、そういう事を、その日の報告の最後に付け加えれば。
    正面から二対の蔑むような憐れむような眼を向けられた。
    「…うわあ。兄さんがまんまと絆されている。」
    「チョロい。チョロいよいちまっちゃーん。」
    「べ、別に絆されたりとか、そういう訳じゃ…ただ、最初に思ったほどイカれた奴じゃないし、悪い奴じゃないのかなって…」
    「それを絆されたって言うんだよ。」
    「俺やっぱりお前が一番心配だよぉ。」
    「うるさいな…。いやでもさ、変じゃない?これまでの様子からしてアイツも暇じゃなさそうなのに、その時間を割くほどアイツに旨味があったと思えないんだよ。
    ぶっちゃけおれが話し上手って訳でもないし、いくら女子の恰好してても立ち居振る舞いを練習したわけでもないし、可愛さは無いだろ。百歩譲ってまぁ、そこら辺の何かがアイツの琴線に触れたんだとしても、だから連れ回したいって事も無い、それこそトド松が言ったみたいに体目当てって感じでも無い。目的が分からない。」
    「まぁそこら辺はただの口だけヘタレじゃない?って見えなくもないけど。
    ただ第三者から見れば、兄さんの方も珍しい部類だよ。女の子ってもっとプレゼントとかねだってくるでしょ。ボクは兄さんが乗り気じゃないって内情知ってるけど、向こうから見たらね、今どき珍しいほど欲が無い、奥ゆかしい女性に見えてるんじゃないかな?行きたい場所が高級なショップやレストランじゃないってところもさ。遊び慣れてるなら尚更、そういうのが受けてるって可能性はあるね。」
    「それにさ、暇じゃないって言っても、その時間何してるかは分かんないでしょ。他の子に会ってるのかもしれないし、別に狙ってる子がいるのかも。」
    「ああ、一松兄さんはキープってパターン?」
    「そうそう。それならお前の態度は都合がいいんだよ。あんまり自分のテリトリーで見せびらかしてさ、その子に見られても良い事ないし。それにさ、手に入るまでの過程が楽しい、みたいな変わった奴もいるしね。俺には分かんないけどなー。」
    2人が挙げた可能性の話が、何だか胃の辺りに重く引っかかる。
    「…そんな、奴には見えないけど…」
     呟けば、兄と弟が目配せをして
    「ほらぁ、ねえ?」
    「やっぱり、なあ?」
    「…なんだよ」
    「ああー怖い怖い。サイコパス伊達男コワいよぉ兄さんが新しい扉開いちゃうよぉ。」
    「一松、何かあったら兄ちゃんが乗り込んでソイツの命かけてでも責任は取らせるからな!」
    「何の話だよ!」
    「まあともかくさ、無事に次のお誘いも来たんでしょ?いつになりそう?」
    強引に仕切り直してきた弟の発言に、すっきりしない心中を抱えたまま答える。
    「…再来週の、火曜か金曜。」
    「んー。じゃあ火曜で返事しといて。」
    「…わかった。連絡しとく。じゃあ、おれ部屋に戻るから。」
    言って出口に向かった背後で
    「あ、おそ松兄さんは別件でちょっと話があるから待って。」
    「なんだよー?俺も早く飲みに行きたいんだけど?」
    なんて流れる会話を、ドアを閉めて遮った。
    「少し早いけど…寝るか。」
    疲れてるんだと、思う。なんだか妙に、体が重かった。



       *  *  *



    「で?わざわざ俺だけに話って何?」
    「再来週の火曜ね。ボクどうしても外せない用事ができるからさぁ。一松兄さんには一人で行ってもらおうと思って。」
    「えー?わざわざそんな日選んだの?なんでまた?」
    「アイツを探り始めてもう1か月だよ。片手間とは言え、あんな目立つ奴を調べて何の情報も出てこないなんて変じゃない?ちょっとボクも本気出そうかと思って。おそ松兄さんの勘もあるし、いよいよ只者じゃないかも。」
    「じゃあ尚更、監視やめちゃダメじゃない?」
    「多分だけどね。その事も、向こうにばれてる。ボクがいる限りアイツは動きを見せないと思うんだ。」
    「なるほどねー。でもそれ一松に言ったげればいいのに。」
    「ダメだよ、一松兄さん結構ウソがつけないからね、すぐ顔に出ちゃうでしょ。」
    「兄にも厳しいなぁー。」
    「冷静な状況分析ができるだけだよ。まあそれでも不安なのは確かだからね、代わりに兄さんが行って。」
    「ええー?」
    「そのために火曜にしたんだよ、兄さん休みでしょ?情報はボクが集めるから記録はもういらない、むしろばれないようにって方に気を付けて。大事な弟が傷物にならないよう、しっかり見張っといてよ。」
    「んもーこういうときだけお兄ちゃん頼ってくるぅー。分かったよぉりょーかい。」
    「頼りにしてるよ、長男にーさん。」



       *  *  *



    「…信じらんねぇ…裏切り者…」
    初めて会った時と同じバール。というかこれまでの3回とも、最初の待ち合わせは必ずこの店だ。その店の、どうやら本当に空けてあるらしい大量の薔薇が飾られた奥の席で。いつもの様にカップを両手で包んで小声で毒づく。
    原因は昨日になって告げられた、弟の裏切り。
    「ごめーん兄さん、ボク明日どうしても抜けられない予定入っちゃってさー。悪いけど1人で行って来てくれる?今さらリスケできないし、もう4回目なんだから兄さん1人でも大丈夫だよね?兄さんも『そんな悪い人じゃないかも』って言ってたし!」
    なんて言われても、不安しかない。監視だけとは言え、近くに仲間がいるかいないかじゃ心の余裕が全然違う。悪い奴じゃないなんて、その余裕があったから言える訳で。とか何とかぶちぶち言っていたのだが、今更どうしようもない事も事実。ここまで来たら腹を括るしかない。大丈夫、いつも通りにすれば良いだけ。いつも通り、ニコニコ笑って話をしてご飯を食べてれば…。

    そう。
    いつも通りの食事を終えて、いつも通りの大袈裟な台詞を聞き流しつつもにこやかに次を約束して別れる。
    と、思いきや。
    今日に限って何故かさらに移動して連れてこられたのがここ、ホテルのラウンジバー。いつもと違ってカウンターに促され隣を取られて、ていうか近くない?距離近くない?肩が当たってないですか?ねぇ!これ近くない?!
    「あの、私そろそろ…」
    言いかけた声を遮られる。
    「今日はもう少し、君の時間をくれないか?この上の部屋から見る夜景がとてもきれいなんだ。」
    夜景?!部屋?!これ!!
    来ちゃったんじゃない?!これついに来ちゃったんじゃない?!ヤバくない?!
    なんで寄りにもよって今日!
    やばい、やばいやばいやばい!
    「で、でも私、もう帰らないと…」
    言いながら後ずさるこちらの肩に手を置いて、耳元で囁かれた次の言葉に、今度こそ血の気が引いた。
    「今日は、君の護衛くんはお留守番かい?」
    「っ」
    こいつ、トド松の事気づいてたのか?!
    そんなそぶりはこれまで全く見せていなかったが、この様子だと最初から…。まずい。一気に緊張が高まり、冷汗が噴き出す。しかしここで馬鹿正直に吐くわけにもいかない。
    「…な、何のこと?護衛なんて…」
    「何にせよ、君のような可愛らしい花をこんな夜更けに1人で咲かせるほど愚かじゃないさ。今宵はオレが君のナイトになろう、朝まで安心して身を任せてくれ。」
    朝まで!言っちゃったよ!それのどこに安心しろって?!不安要素しかない!!
    「そ、そんな…大丈夫ですよ私、帰れますから…ご心配なく…」
    などとあくまで笑顔を崩さず言いながら、さあどう出る?最悪の場合は不意打ちで逃げるしかない、この格好もだいぶ慣れたとはいえ、逃げ切れるか?と、出口までの経路を横目で測りつつ出方をうかがう。と。
    「…ふむ。他でもない君がどうしてもというなら仕方ない。無理強いして天使の羽根を折ってしまっては元も子もない。じゃあせめて、家まで送らせてくれ。」
    お…引いた?
    マジで?
    っっっしゃ!やった!勝った!ラッキー!!トド松の言う通りヘタレなのか、兄さんの予想のように本気じゃないのか、理由は分からないが免れた!じゃあ早速帰って…
    …じゃないよ!送る?!ダメじゃん!送るのも駄目だよ!
    「あ、いえ、本当に大丈夫ですから、いつもこの時間に帰ってるでしょう?ご心配には及びませんわぁでは御機嫌ようホホホホホ!」
    焦るあまりに令嬢と言うよりマダムみたいな口調になった気もするが構ってられない、小刻みに手を振りつつ可能な限りの速足で退出、店のドアが閉まると同時にダッシュ。角を曲がって裏路地へ飛び込んで、さらに通りを2~3本曲がって横切って…ようやく息をついたのは、繁華街から離れ寂れた界隈。
    うちとも逆方向に来てしまった、仕方ない回り込んで帰るかと適当な角を曲がったところで。
    「お?どうしたお嬢ちゃん、道にでも迷ったか?」
    「そんなキレイな格好でこんなとこウロついてたら野良犬に食われちまうぜ?」
    どう見ても善良ではない2人組に絡まれた。
    面倒くさいな…と舌を打ちそうになって自分の格好を思い出す。咄嗟に怯えた表情を作り、身を縮めて後ずさる。
    慣れたとは言えこの靴と服で全力は出せない。加えて地の利も向こうにある。負けるとは思わないが、使える手は使っておかないとと、いかにもか弱いフリをすれば、期待通りに舐めきった様子で無防備に近づいてくる。
    あと3歩近づけば左のやつから蹴り飛ばして…とか考えたところで、その左の奴が吹っ飛び右の奴を巻き込んで、派手な音をたてて道端のガラクタに突っ込んでいった。

    「…え?」

    あんなに凝視していたのに、何が起きたか分からなかった。慌ててチンピラがいた場所に視線を戻せば、代わりに立っていたのは。見覚えのある黒髪に目の覚めるような青いシャツ、暗がりに溶け込むサングラス…こんな暗くても外さないんだ。いや、それどころじゃない。
    撒いたと思ったのに。まずい。今度こそヤバい。てか追いついて来るにしても後ろからくるはずのコイツが何で前から出てくんの怖い。
    さっきとは比べ物にならない恐怖と緊張感に固まっていると。その顔が振り向き、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。目の前まで来たかと思えば滑らかな動きで跪き、手を掬われた。
    ど、どういう事?
    「ケガはないかい?オレの最愛の天使。言っただろう、まるで高原の菫のように清らかな君がこんな汚い所に咲けば、その輝きと芳醇な香りに当てられた虫がいくらでも湧いて来る。あぁ可哀そうにこんなに震えて!大丈夫さ怖がらなくていい、そんな君を守るために…青薔薇の騎士たるオレがいる。」
    とか何とか。言い終わるまでに手を取った片手と腰に添えられた手でダンスのように1回転させられ、気づけば完全に腰を抱かれた至近距離で、一番のキメ顔を見せられて。
    ど、ど、ど、どういう事?
    混乱の余り、腰に置かれた手を振り解く事も思いつかなかった。
    おれ逃げたよね?あからさまに誘いを断ってコイツから逃げたよね?怒ってるんじゃないの?なんでむしろ上機嫌に見えるのそしてその小芝居は何なの?!
    一瞬とはいえコイツの実力を見せつけられて、次の一瞬で間合いを詰められ動きを封じられた、どころか、次のコイツの動き次第ではこっちが瞬殺されかねない。しかもその次の挙動とやらが全く予測できなくて、もう恐怖しかない。コイツの言う通りにおれが今震えて怖がってるんだとしたら、間違いなくコイツに対してだ。
    「それにしても急に飛び出すから驚いたよ、イタズラな子猫ちゃん。だが深夜の追いかけっこは少々リスキーだ、次からは太陽の下の海辺でやろうな?」
    えっ。おれの全力の逃走が…追いかけっこ…。
    薄々気づいていた己との実力差をはっきりと示され、無力感で崩れ落ちそう。しかし続いた言葉に別の意味であっけに取られた。
    「それに、今さらオレと君との間に遠慮なんて必要ない。君を守れる事がオレの誇りでありオレの幸福…君は何も心配せず、オレに身を任せてくれれば良いのさ。」
    遠慮。
    そういう事になってんだコイツの中では。確かに別れ際そういう感じの事言ったけど、真に受けてんだ。信じちゃってんだ。嘘でしょ。おれの事天使だなんだ言ってるコイツの方が、よっぽど素直で純真じゃない?いや天使かって聞かれると激しくコレジャナイ感だけど、神話上の神とかそういう、常人に理解できないというか、色々超越してる感じはするので、むしろ神か?
    などと考えてる内に、そのまま角を曲がって隣の少し大きな通りに連れ出される。
    「さてでは、改めて家まで送っていこう。すっかり時間も遅くなってしまったしな。」
    しまった。
    そういう話でしたっけ。
    どうしよう、一度でもコイツの言う通りの危機に陥り助けられてしまった。もう断る理由が思いつかない。それに思い知らされてしまった、圧倒的な実力差。おれじゃ到底コイツから、逃げられない。
    ヤバい。
    どうしよう。
    と、完全に追い詰められたところで。

    「あれー?お前どうしたのこんな所で?」

    場の空気を欠片も読んでなさそうな、能天気な声が響いた。この声は。
    「…兄さん!」
    オレと対峙した青い奴のさらに後ろ、対照的な真っ赤なシャツを身に着けたその姿は見間違えようもない、おそ松兄さん。でも何でこんな所に?!
    「いやー。向こうの店で飲んで酔い覚ましに散歩しながら帰ってたんだけどさぁ。何か物音がするから来てみたらお前がいるじゃん?もーお兄ちゃんびっくりよー?」
    「…兄?」
    驚きと警戒の混じった声で呟き、おれをかばう様におそ松兄さんの方へ向き直る青。対して兄さんは相変わらず気の抜けた笑みのまま
    「お。もしかして君がウワサの青薔薇くん?一ま…一奈から話は聞いてるよぉ。初めまして。」
    何の気負いもなく右手を差し出す。
    青い方はチラリとこちらの様子を伺ってからその手を取り…
    ガシ
    「え?」
    握手どころか両手でしっかと握りしめ、今日一番の大声で。

    「お兄さん!妹さんをオレにください!」

    ぶっ
    思わず後ろで噴き出すおれ。続いて。

    「っっファーっははははは!まぁじでお前!?マジかぁ!!すっげー!!」
    盛大に笑い転げる兄。
    「な?!どうしたんだお兄さん突然何があった?!」
    「いやいやいやいや!もぉ、初手から予想以上過ぎて!お腹痛いってぇいたたたたた」
    「痛い?!くそっ誰にやられたんだ!それとも持病か…?!」
    「ヒゃー!もぉやめてぇーアバラも折れるぅ!!」
    まるで噛み合ってないし兄はどんどんツボにはまっていくし。
    このままじゃ埒が明かないととりあえず腹を抱えてうずくまった兄の脳天に踵を落とす。
    ゴス
    「ったぁ!」
    「Oh…」
    「とりあえず落ち着いて。」
    大げさに頭をさすりながら本気で痛がる様子はなく、ニヤニヤと返してくる。
    「もー相変わらず一奈は容赦ないなぁ。オンナノコなんだからちょっとは気にしなよ?ほらアイツもびっくりしてるし。」
    「あっ」
    しまった兄さん相手だからうっかり素が出た!
    「ちっ違うんですこれは…」
    「いや、分かってるさ、それが気負いのない本来の君の姿だろう?最近オレと2人の時は緊張していたようだから、むしろ元気な姿が見れて嬉しいよ。最初に出会った日を思い出した。」
    「あ」
    そうだった。そもそもコイツには初対面から蹴り上げた過去があった。じゃあ今さらか。と言うか、コイツもそんな暴力的な女によく付き合ってんな。などと考えてふと、おそ松兄さんの『本命は別』発言を思い出す。それに、さっき思い知った実力差。そもそもオレの暴力なんぞこいつには猫パンチくらいでしかないのかもしれない。それならばまぁ、多少変わり者の方が面白いとか、そういう感覚だろうか…あー…。何か、なんだろう落ち込んできた。どうせおれなんか、兄さんほどの実戦力も無ければ弟ほどの情報処理能力もない、マフィアなんて言っても誰も信じないような半端ものですよ…。
    なんて自己嫌悪の闇に沈みかけた所で、妙に真面目くさった声を拾い我に返る。
    「お兄さん。」
    「…っ。まずそれやめて。俺お前の兄ちゃんじゃないからね?」
    と、台詞だけ聞いたらシスコン兄の牽制のようだが、言う前に噴き出しかけたのをこらえて頬が膨らんだから、これは『また笑っちゃうから』やめてって意味だ。
    「ならば一奈のお兄さん。先ほどは唐突にすまなかった。だがオレは本気だ。一奈とも結婚を前提として清く正しく誠実な関係を築いてきたつもりです。」
    初耳なんですが。ていうか清く正しくはトド松がいたからだろ?今日いなくなった途端に豹変したじゃん。今更めっちゃ軌道修正かけてくるじゃん。
    脳内でツッコミが止まらない。
    「そんな事言われても信じられないねぇ。だってまだ何回かしか会ってないんでしょ?」
    「時間や回数は関係ない。何故ならオレの心は最初に会ったあの一瞬で囚われてしまったのだから!」
    「だから!その言い方やめて!折れるから!」
    これも笑い声混じりの制止。我が兄ながら沸点低すぎないか?単にツボなのか。やめろと言いつつコイツの事をかなり気に入っているような、嫌な気配がする。
    「それこそ俺なんて君と今初めて会った訳でさ、どんな奴かもまだ分かんないし。こんなでも大事な可愛いおと…じゃない妹だからねぇ。そう簡単にハイどうぞって訳にはいかないよ?」
    「むう。…ならば今度家族ぐるみの付き合いでも」
    グイグイくるな?!嫌なんですけど?!てかコイツの家族ってのも想像つかねぇ!
    「はっはっは。そこら辺はまぁ。一奈とよく話し合って決めてよ。」
    こっちは丸投げてくるし!てか兄さんは絶対何か持参金的な手土産的なもの期待してたでしょ!残念でした!
    「ま、とにかく。今日の所は俺っていう保護者がいる訳だし、安心して帰ってちょーだいよ?別にもう二度と会うな!なんて言わないからさ。一奈だってアンタの事、満更でもなさそうだしねぇ。」
    「…え?」
    「兄さん?!」
    悲鳴のような声が出た。何言ってんの?!アンタはおれをどこに連れてきたいの?!
    「なっははは!まぁそういう事だから、今日はこれでお開き!また会えるの楽しみにしてるよ?」
    「もういいから!帰るよ!…あのすみません、今日のお礼は後ほど必ず!」
    何だか急に固まって黙り込んだ奴が気になるもののとりあえず一礼だけして、「ばいばーい」などとのんきに手を振る兄を引きずるようにして帰途についた。



       *  *  *



    「しっかし、すっかり女装が板についてきたねぇいちまっちゃん。俺ホントに妹いたかな?って気になっちゃったよー。」
    「…帰って最初に言う事がそれかよ?いいからまず事情を説明して。」
    「いやいや、俺もトッティに頼まれたんだって、代理だよ。アイツだってちゃんと心配してたのよ?」
    「え…」
    「まあお前を囮にしたのもアイツだけどね。」
    「あー。やっぱドタキャンは意図的だったのね。まぁその方が腑に落ちる。」
    「失礼な。それにボクだって遊んでた訳じゃないんだよ。」
    「お、トド松ただいまぁ。何か分かったの?」
    「おかえり。まあ…随分厄介だって事がね。」

    「あのエリアに最近手を広げてきたグループ、東の港地区から来て『夜明け』とか『海の』とか呼ばれてるってのは前に言ったよね。その幹部の正体が中々つかめなかったんだけど、どうも、トップが複数人いる。その前提に立って情報を整理して、やっとつかめてきたよ。注目すべきは恐らく、3人。
    まず1人目、主に先陣切るのが黄色い『道化師』。マフィアらしからぬイメージだけどね、底抜けに明るい笑顔と隠れる気のない派手な攻撃、それでも捕らえられないトリッキーな動きをするらしい。」
    「…いやそれむしろ怖いでしょ。」
    「まぁねえ。よっぽど目立つらしくて、聞ける話のほとんどが、多分コイツの事をさしてる。
    そして2人目は冷酷な緑の『眼』。こっちは対照的にほとんど情報がない。おそらく後衛の、ボクみたいな情報担当とか、もしくは名前から察するに狙撃手かもね。」
    「へぇー。狙撃手はいいね!」
    「そりゃ仲間にいるならいいけどさ。敵に回したら厄介なだけだよ。
    んで最後の3人目。こっちも情報少ないんだけど、それにも関わらず最も恐れられているのが、青の『怪人』。『海神』とも呼ばれてたけど、まぁどっちにしても人並み外れてんだろうね。遭遇して生き残った人間がとにかく「怖い」「強い」しか言わないから、具体的な事は分かんないんだけど。ただ1つ。
    コイツはよく自分の事を薔薇に例えるとか。」

    「っ」

    「あらら。」
    「そ。何か関係してればと思ってたけど、よりにもよってトップだったよ一松兄さん。そりゃあ只者じゃないよねぇ。」
    「一番デカい獲物釣り上げるとか、さっすが一松もってんねぇ。」
    「…」
    何を言われても、返す言葉が出ない。
    マジか。
    よりにもよって。これから間違いなくぶつかる組織の、それもトップだなんて。
    そりゃあ強いはずだ、おれなんかが適うはずが無い。
    っていうかさ、今気づいちゃったんだけどさ。
    「これ…もしもさ、おれの正体がアイツにバレたら、どうなると思う?」
    「んー?まあそりゃあねえ?」
    「進出してきた途端に隣の地区の幹部が女装してトップに接触とか、そりゃあねえ?」
    「スパイ?」
    「乗っ取り?」
    「「宣戦布告?」」
    「やめてもうやめて。」
    心なしか愉快そうにも見える2人のテンポ良い返しにぐんぐん顔が青ざめ震えが止まらない。
    そんなつもりじゃなかったなんて、聞いてもらえる訳がない。きっかけは罰ゲームだったなんて信じてもらえる気がしないおれが聞いても信じない。
    やばい。やばいやばい、これはもう本当に、冗談では済まされない。
    「…やめる。」
    「え?」
    「もうやめる。女装も、アイツに会うのも。」
    「何言ってんのよいちまっちゃん、これからが面白い所でしょ?」
    「兄さんこそ何言ってんだよ!ヤバさしかないでしょこんなん!遊びじゃすまされない!」
    「うん。ボクも流石にこれ以上はシャレにならないと思うよ?」
    おれの消極的な態度に珍しく同意した弟を見ても、これがどれくらいヤバい事態かは察せられる。なのに。弟2人の訴えを聞いても兄の態度は変わらず、どころか心底面白そうな顔でにやりと笑い、とんでもない事を言い放った。
    「『遊び』?『シャレ』?誰がいつそんな事言った?」
    「え…」
    「…待って。兄さん、まさか最初から」
    もはや顔面蒼白な弟に向けるのは、眉をやや下げ歯を見せた満面の笑顔。これは、兄さんが一番やっかいな事をする合図。そしてとどめのひと言が、その口から発せられる。

    「俺はいつでも本気よ?」



       *  *  *



    「あああああもう嫌だもう帰りたいもう無理だって無理無理無理…」
    呟きと、冷汗と震えが止まらない。風邪かな?そうだ風邪に違いないじゃあもう帰らないと。とかなんとか、現実逃避も止まらない。
    兄さんの指示で結局次に会う約束を取り付け、その当日。薄暗くなり始めた街の路地裏で、頭を抱えてウロウロしている挙動不審なおれがいた。いつもは待ち合わせ時間の30分前には席について心の準備をしているのだが、今日はすでに若干遅刻している。待ち合わせ場所のいつもの店は、この先の大通りに出たすぐ角だ。
    ちなみに今日は本当におれ一人。トド松は『もうバレちゃってるし行かない方がいいでしょ』と引き続きの情報収集に専念し。おそ松兄さんは何か準備があるとか言って出かけて行った。いや。一人にしないで。無理でしょ。おれ一人じゃ。
    「大丈夫だいじょーぶ!別に向こうにバレた訳じゃないんだし、いつも通りにやればいいから!」
    なんて言われても、いつも通りなんてできる訳ない。おれの様子が普通でないことは、ここに来るまですれ違った通行人が若干遠巻きに避けてた事から分かる。こんな状態で会ったらバレないものもバレるっちゅーねん。
    …いや、分かってる。兄さんがやると決めた以上止める事などできないし、遊びでないと言うならば、おれもおれに出来る全力を尽くさねばならない。そう腹をくくって来たはずで、ここに着いてからも何度か気合を入れ直すのだが、どうしてもあと1歩が踏み出せない。
    どうしよう、早くいかないと。夜しか空いていないが早く会いたいとか言ってこの日時を指定したのはこちらなのだ、これ以上遅れたら不自然だろう。遅刻の理由も考えなきゃならなくなる。いや、しかし、そもそもアイツそんなに待つだろうか?この前も呆れられる様な事したし、最後はほとんど放置で別れたし、ってか思い返せば初めから失礼しかしてないし。だから今日会う約束を持ちかけた時、あっさり承諾の返事が来た事自体が驚きだった。いや待て、もしかしたら今日の向こうの目的は別れを告げるためかもしれない。それとももしくは、もしかしたら…実はとっくに正体がバレてて、人気のない港の廃倉庫とかに連れていかれて拷問暗殺、簀巻きにされてオモリつけてサメの餌とか…
    想像がどんどん悪い方向に加速し、いつぞや兄弟で見た海外映画が蘇り、恐怖と不安で震えだしたところで。



    背後にかすかな足音。
    「?」
    振り向きその正体を捉える、より先に、後頭部への衝撃がきた。



    * * *



    いつもの店に入りいつもの席に目をやれば、いつも目に入る黒髪ツインテールの後頭部が見えない。我が愛しの天使は今日はまだ地上に降り立っていない様だ。
    向かいの席に着いてしばし待つが、来ない。珍しい事もあるものだと気になりつつも、まだ待ち合わせ時間から5分ほどしか過ぎていない。あまりすぐに連絡をしては余裕のない男だと思われてしまう。落ち着けオレ。そう、オレは待てる男。そんな5分の遅刻なんかで不安になったりなんて…やっぱり、前回のはまずかったかなぁ怖がらせてしまっただろうか、護衛がつかなくなったって事はオレを信頼してくれたって事でつまりこれはもうOKだろう?!みたいな感じでまぁ、ちょっと、少々、勇み足だったかもしれないことは、まあ、否定はしない。あああ何でこの前あのまま帰しちゃったんだろう。いやだって、お兄さんのまさかの発言が衝撃的すぎた。彼女の方も満更じゃないとか言っていた、確かに聞いた聞き間違いじゃない。しかしにわかに信じられない、だってこれまでこんなに順調に話が進んだ事があったか?いやない!やはり彼女はマイディスティニー!この幸運を逃すわけにはいかない!
    だからこそ余計に、何の挽回もできず帰してしまった前回が悔やまれる。そもそも今日会う誘いが来た事自体が信じられなかった。いやしかし、向こうからの約束とは言え用件を聞いたわけじゃない、もしかしたら最後の別れを告げに来るのかもしれない…そんな!今更彼女を失うなんて耐えられない!
    とか考えてどれくらい時間がたったのか。ふいに手元の電話が着信を告げてきた。発信元は今まさに心を悩ませている愛しの天使。ああやっぱり何か事情があって遅れたのだと安堵して通話ボタンを押し、しかし聞こえてきた声は、聞き覚えのない男のものだった。

    「お前が最近ご執心の『天使』を預かっている。彼女を真っ白な天使のままお返しできるかは…お前の態度次第だ。」



    * * *



    「で?条件は?」
    察しのいい弟は最小限の情報で事情を理解し、最低限の言葉で問うてきた。
    「丸腰、一人で来る事、だそうだ。」
    答えれば眉を寄せいつも以上に口角を下げて
    「お前まさか、その条件飲んだのか?」
    「もちろん。彼女を危険にさらしてしまった。万が一にもこれ以上の事があってはならないからな。」
    即答には長いため息が返ってきた。
    「…まあ、場所的にもタイミング的にも条件からしても、目的は明らかに復讐だ。確かにその子は完全に巻き込まれたんだろうけど…だから目立つ事はするなってあれほど言っただろう。」
    「仕方ない、オレという輝きはどれほど隠そうと努力しても完全に隠しきれるものでは…」
    「あ?」
    「…すみません。」
    もう一度盛大なため息。それから
    「まあ今さら言っても仕方ないし、お前の事だから万が一の心配はないんだけどね。とにかく今度こそ、頼むから大人しく片付けてくれよ?ぼくと十四松は待機しておくから。」
    言ってひょいと放り投げてきたものを受け取る。青緑色のカフスボタン。見れば相手は同じ色のピアスを付けた耳を指し示す。頷いてカフスを袖に取り付け
    「ああ、留守は頼んだぞ。じゃあ…卑劣で醜悪な小鬼どもに囚われた哀れな天使を、この青薔薇の騎士カラ松が!華麗に救い出してくるぜ!」
    「だからそのノリをやめろって言ってんだ!!」



    * * *



    「で?目的は?」
    「…。」
    「…あのさあ。この状態で黙秘が通用すると思う?こっちも暇じゃないからね。そんなにいつまでも優しく聞いてあげられないよ?」
    問えばわずかに怯えた色を見せたものの未だ虚勢を張ってくるのは、やはりこのフワフワひらひらした格好のせいだろうか。
    「ハッ。流石はアイツの女だな。化け物の相手は化け物っていう…っぐ!」
    「アイツ…?」
    心当たりは無いもののとりあえず褒められてはいないようなので、背中を踏みつけた足と首元を押さえている鉄棒に力を込めて、考える。

    待ち合わせ場所になかなか向かえず路地裏をウロウロしてる間に襲撃を受け。
    後頭部に衝撃、を感じたと同時に逆らわず前に倒れ込んで被害を最小限に受け流し。そのまま前に手をつき倒立の状態から確認すれば、長い棒状の武器を振り抜いて大きくバランスを崩す男の姿。もう半回転でついた足をそのまま踏み切り、相手が体勢を戻す前に持った獲物を蹴り飛ばして奪い、そのまま首をひっかけ叩き落とし。倒れこんだ背中をヒールで踏みつけ動きを封じて今に至る。
    通り魔ではなく明らかにおれが目的のようだが、相手が一人で助かった。この格好は動きにくいし不便が多いけど、逆に言えばこの格好だからコイツ一人で十分と見なされたのだろう。まさか返り討ちに会うなど思ってもいなかった様子の男は、吐き捨てるように続けて言った。
    「アイツだよ。最近ウチに手ぇ出してきやがった、青い化け物だ。」
    「ああ…」
    アイツか。そういや怪人とかなんとか言われてんだっけ。
    「って事はなに?お前の目的はアイツなの?」
    「っ…」
    今さら黙り込んでも肯定にしかならない。言い方から察するに、この辺を前に仕切ってた残党の報復ってところだろうか。確かにあの襲撃は何の前触れも無いもので驚かされたし、やり方もかなり強引だったと聞いているから、恨みを持ってるヤツもいるだろう。つまりおれは巻き込まれただけって事で…良かった。とりあえずおれの正体がバレたとかではなさそう。簀巻き回避。
    こっそり安堵のため息をつきつつ、それならばこの状況を利用させてもらおうと思いつく。
    「じゃあさ。捕まってあげるよ。」
    「あ?」
    「おれ…私を人質にしてアイツを呼び出すんでしょ?じゃあ目的は私たち似たようなもんだよ。仲間。」
    「…え?」
    「そうと決まればお兄さんのおウチに連れてってくれる?」
    「いや、待て。んな事いきなり言われて信じるかよ。」
    「まー確かにねぇ。でも急に乗りこんできたアイツらよりは、実は君らと付き合い長いんだよ。例えば…」
    と、以前トド松から聞きかじった、この辺の元グループの内輪情報を1つ2つ話して聞かせれば、たちまち青い顔になって
    「な、なぜそれを…?」
    「だから言ったでしょ?仲間だから。」
    「…分かった。とりあえずお前を連れて行く。が、下手な真似出来ないように動きは封じさせてもらうぜ。それが飲めないならこの話は無しだ。」
    「まあ、いいよ。その方が捕まってる感出るしね。」
    どの道おれ1人暴れてどうこう出来ると思ってはいないし、そこに大した問題はない。
    そうして大人しく両手を縛られ、連れて行かれたのは地元民相手の小さな店。普段は酒場として栄えているのか、入ってすぐのカウンターには酒がずらりと並び、奥には木製の簡素なテーブルと椅子が2組。だが今は営業しておらず薄暗い中、カウンター近くに立つ2人と、テーブルで飲んでいる2人がじろりと睨んできた。
    おれを連れてきた男は彼らに目配せだけ送って素通り、カウンター横のドアを開けて現れた階段を地下へ下る。そこに居たのは。
    揃いも揃って柄の悪い男たち。ざっと確認できただけでも…30は越えるか?こんな小さい店に集まりすぎじゃない?アイツ全然統率できてねぇじゃん自分が制圧したエリアくらいしっかり管理しろよ。
    そんな事を考えている内に、おれを引っ張ってきた男が奥のリーダー格の男へ報告を終えたらしい。ソイツがおれの下から上まで、じっくり値踏みする様に眺めてから問うてきた。
    「お前、アイツの女じゃないだと?こっち側の人間だとか言ったらしいが、証拠はあるのか?」
    「証拠…ねぇ。こっちも急に捕まっちゃったから準備がある訳じゃないけど…とりあえず、『暁』と繋がってるって言えば、分かるかな?」
    「?!」
    ひと言で、周囲が騒めく。
    「『暁』?!あの…赤い悪魔の?!」
    「そ。その悪魔のお兄さんがアイツらに興味深々らしくてさ。私も詳しくは知らないんだけど、アイツの情報を求めてるらしいって聞いたから。それで近づいて探ってた矢先に、君らと会ったって訳。」
    まあ嘘ではないし、事実兄さんの正確な目的は未だ分からない。アイツらを潰すか追い出すか…むしろあの感じだと、取り込もうとしてるのか。
    だが何にせよ、おれが駒となった以上、それがどこまで使える駒なのかは試さなければならない。早い話、懸念はおれがアイツの『本命』でなかった場合だ。この程度の奴ら相手で切り捨てられるような関係なら、今後のどんな交渉にも使えない。…おれの感触的にはその可能性の方が高いんですけどね。もしアイツが迎えに来なかったら、その時は…まあ、何とかして逃げよう。
    …とか何とか理由を付けたが。正直言って、今日の予定から逃げたというのも間違いではない。仕方ないじゃないか、正体を知った上で何も知らない女子のふりしてアイツの相手をするよりも、こういう荒っぽい仕事の方がよっぽど楽だし性にあってる。
    気を取り直し、未だ半信半疑で話し合っている奴らを見上げて
    「あ、私のケータイにアイツの番号入ってるから、連絡取るならそこからかけなよ。その方が信憑性でるでしょ。ちょっと貸して。」
    手渡されたスマホを何度かタップして
    「…あ。違う、こっちじゃなくて…ん?」
    「おい、下手な動きするんじゃねえぞ。」
    「いやこっちは後ろ手に縛られてんだから、そんな上手く操作できる訳ないでしょ。ちょっと待ってよ。」
    首を回して背後の画面を見るという苦しい体勢で何とか操作し、
    「はい、この番号」
    受け取った男がリーダーらしき男にスマホを渡し、そいつがおれを睨みつけながら電話をかける。通話は何往復かのやり取りですぐに終わった。
    「どう?本物だったでしょ?」
    「…まだ完全に信じた訳じゃねえ。2時間後にアイツが本当に現れるかどうか、それからだ。」
    そう。2時間後に、全てが分かる。ならば。
    「ふーん。じゃあさ、その間にちょっとお話しようか。」
    言って見せた笑顔は、我ながら会心のものだったと思う。



    * * *



    そして2時間後。約束の時間ピッタリに。
    上にいた男の一人が部屋に飛び込んできた。報告を受けたリーダーがおれに向かって言う。
    「来ましたぜ姐さん。」
    …うん、まあ。2時間の『お話』の効果が効きすぎて、いつの間にか姐さん呼びされている訳なんだが、そこら辺の経緯は割愛する。もうそんな余裕はない。
    緊張と覚悟の息を悟られないように飲み込んで、不敵に笑って返す。
    「ん。じゃあ行こうか。」
    後ろ手に縛られた状態では恰好つかないが、役割上仕方ない。それに実は、この2時間で縄は解いている。いざという時の備えだが、もちろんコイツらに知られる訳にはいかない。縛られた形で縄を巻きつけた後ろ手のまま、後ろに一人、前にリーダーともう1人。男たちに連れていかれる体で階段を上ったその先には。
    もはや見慣れた黒髪に目の覚めるような青いシャツ、相変わらず薄暗くても外さない、サングラス。その姿がいつもと違い小さく見えるのは、椅子に座らされた状態で両手両足を縛り付けられ、大人しくしているせいだろう。完全に抵抗を封じられた危機的な状況にも関わらず、おれと目が合えば眉を八の字に下げて微笑んで見せてきた。
    「…すまないなマイエンジェル。こんな事に巻き込んでしまって。だが安心してくれ、君だけは何があろうとも、必ず無事に救い出してみせる。オレを、信じて。」
    告げられた声は悔恨を含みつつも柔らかい響きで。いたいけな人質の少女を安心させるのに十分な優しさを持っていた。だが。
    アイツの正体を知った以上、決して油断はできない。見たところ要求通り単身丸腰で来ているようだが、当然一組織のボスがそんな愚行を犯すはずが無い。この店の外にいったい何人配置しているのか、そしてソイツらが活躍する時、おれがどう扱われるのか。希望は持たない方がいい。アイツからしたら、おれ諸共一気に片づけるのが最も簡単な方法だ。
    いかにも恐怖に固まり助けを求めて縋る風を装って、青い姿を凝視する。一つの挙動も見逃すわけにはいかない。自分がどちら側についてどう立ち回るべきか、逃げるか、抵抗か、演技をどこまで続けるのか、一瞬でも見誤れば終わる。
    おれほどではなくとも、おれの周りを囲んだ男たちも当然同じ警戒をしている。張り詰めた空気の中で、おれと青い男の間に立つリーダーが口火を切る。
    「まさか本当に、武器を一つも持たずに来るなんてな。」
    「もちろんだ。彼女をこれ以上危険な目にあわせる訳にはいかないからな。」
    そんなやり取りをしつつも、男たちもうかつに近づけない。さてここからどうやって探っていくか…と考えた所で。徐に青が口を開いた。
    「ところで君たちは何者だ。オレに何の恨みがあってこんな事を?確かに欠点の見当たらないパーフェクトガイたるオレに単細胞の君らが嫉妬して逆恨みで凶行に及ぶ気持ちは分からなくもない、だが彼女を巻き込んで良いはずが無いだろう?男たるものあまねく女性には優しく真摯に接しなければならない、それはどんなに社会性のなさそうな君らでも例外では無く…はっ?!それとも君たちは実は男じゃないのか?!しまったすまないそれは失礼…」
    「てめぇええええ!ふざけんのも大概にしろ!!」
    男たちの激昂で遮られた青の口上に、おれは唖然とする。
    マジかコイツ。この状況でそういう発言出る?余りにも分かりやすすぎる組織への報復だ、どう考えてもお前への私怨にはならねぇよ。しかもめちゃくちゃ自己評価高いしその分周りをこき下ろしてくるし、いくら挑発するためだとしてもこれは酷い。…挑発、だよね?え、まさかマジで言ってるわけじゃないよね?
    なんて考えて動きが遅れた、しまった。特に気の短い1人の男があっさり挑発に乗せられて殴りかかる。周りの制止も間に合わない。こりゃあ蜂の巣待ったなしだ。焦って退路を探って見まわした、その視界の、端に。
    映ったのは、予想だにしない姿。
    男が殴りかかった、その拳を、避けもせずまともに受けて椅子ごと倒れ行く、青い姿。
    「…え?」
    反射的に一同が身構える。が、反撃は、無い。いっそ不気味なほどの静けさの中、リーダー格の男が問いかける。
    「…まさかお前、本気で、一人で来たのか?」
    「そういう条件だったろう?」
    何事も無いように告げた言葉が、信じられない。おれよりも先に事態を飲み込んだリーダーが笑い飛ばし、
    「…はっ。こいつはとんだ大馬鹿野郎だ。こんな小娘一人にマジで入れ込んでやがるのか。
     おいお前ら!こんなヤツ恐れる事ぁねぇやっちまえ!」
    そのひと声で勢いづいた男たちが殺到する。その全ての攻撃を、抵抗どころかろくに避けもせず受け続ける、その姿に。
    動けなかった。手も、足も、視線を逸らすことすらできない。
    だって、分からなかった。目的も。意図も。
    なんで。そんな。

    ただ、脳裏に蘇るのは。

    『君のそんなに楽しそうな顔が見られて、それほどとっておきの場所に招待してもらえたんだ。むしろ光栄さ。』

    何をしても、どこまでも優しい眼差しで見守られていた。

    『オレは本気だ。』

    時に鋭いほどの、まっすぐな視線で見つめられた。

    そして今、こんな状況に陥ってまで、おれの無事なんて事だけ考える。そんな、事が。

    最初の一撃から横向きに倒れたまま、ほぼ床につけた状態の頭へ誰かが酒瓶を振りかぶる。ガラスの砕ける高い音。歓声。
    「っ!」
    見開いた視界に映った、大きく傾いた頭が、ゆっくりこちらを向く。乱れた前髪と、額から流れる血。その合間から覗く、目が。
    刹那、あった目が。

    この期に及んで、優しく緩む。



    『君だけは何があろうとも、必ず無事に救い出してみせる。オレを、信じて。』



    「…めろ」
    「え?」
    「やめろって言ってんだバカ!手ぇ止めろ!」

    バキ

    「ぐぁ」

    縄を解き自由になった手でまず自分の見張りを殴り飛ばし、駆けつける。異変に気づいて向かってきた2人を足払いと投げ技でかわし、残る相手は3人。そいつらが我に返る前に蹴散らして
    「…大丈夫?」
    しゃがみ込みその顔を伺う。額の流血だけじゃない、見える範囲だけでも傷だらけだ、絶対大丈夫なはずが無いのに、そんな言葉しか出なかった。そんなおれにやっぱり微笑んだこいつは。
    「心配ない、かすり傷さ。」
    「ばか。そんな、わけないじゃん…。…ごめん…」
    謝りながら、慌てて縄をほどき、助け起こす。
    「君が謝る事はない、謝るのはこちらの方だ。すまない。」
    「っちが…」
    と、言いかけた所で後ろからでかい声。
    「いや事前の打ち合せと違う!裏切るんすか姐さん!?」

    あ。

    そうだった。忘れてた。
    いや、だってさ。予測としてはコイツの仲間が外に控えてて大乱闘始まって、その隙に逃げようかなぁなんて考えてたわけで。まさかこんな展開になるとは思ってなかったって言うかさ、ていうか、なんで助けちゃったのおれ。どうすんのこれ、あれ、もしかしてこの状況、これ、おれ、いわゆるコウモリ状態なんじゃない?

    ヤバい。

    最悪の選択をしてしまった自分に今さら気づき、冷や汗が噴き出す。
    ヤバいねこれ、ヤバい。どうしよう。



    * * *



    オイオイどうなってんだ。どういう事?

    カラ松に持たせたカフス、盗聴器による音声と、限定された視界のみという状況自体は慣れている。とはいえ、これは流石に状況把握が難しすぎる。
    カラ松が店に入ってすぐに、人質の『スミレ』の無事が確認できたらしいことは分かった。
    敵の隠れ家と考えれば当たり前の事だが入り口や窓が狭いその店を、斜め向かいの廃墟から伺っている。スコープで拡大されるとはいえ死角が多い。見るだけならギリギリ可能だが、援護するなら入り口近くしか狙えない、かなり厳しい状況。
    どう誘導するかと悩む間もなく、あの馬鹿が無自覚に挑発したせいで始まった乱闘、というか一方的な暴行。まあアイツの事だから何発殴られようと問題ないが、そこで予想外の事が起こった。突然飛び込んできた白い影が男どもを蹴散らし。どうも人質の女の子がカラ松を助けたらしい。
    「いや、どういう事?」
    思わず声が漏れた。やっぱアイツと付き合えるくらいだ、只者じゃないのかな、とか思っていたら、更に続いた相手のリーダー格の発言に驚かされる。
    『裏切るんすか姐さん!?』
    さあ。この発言を信じるならば、救い出すべき哀れな人質と思っていた彼女は、向こうとグルだったって事になる訳で。…アイツまた騙されてんじゃねーかいい加減にしろよ!苛立ちで照準がずれる。慌てて深呼吸して無理やり落ち着かせる。
    だが『裏切った』という事ならば、まだ分からない。これからの状況次第で狙う相手が変わってくる。改めて集中し直した耳は、彼女よりも先に兄の声を拾った。
    『…ふ、分かっているさマイエンジェル。心優しい君がこんな事を画策できるはずが無い。君はアイツらに脅されて仕方なく協力していた、そうだろう?あぁ可哀そうに!』

    「…いや姐さんて呼ばれてたしあからさまに立場が上だったし何ならちょっと仕切ってたよね?」
    思わずツッコミが声に出た。お前そんなだからすぐ騙されるんだよ。隣の彼女を見れば、流石にしばしキョトンとしていたが、はっと我に返ると慌ててカラ松と後ろの男を二往復くらいキョロキョロと見比べた後、一旦うつむいてぶるぶる震えたと思ったら涙目になった上目遣いでカラ松を見上げ

    『…貴方なら分かってくれるって、信じてましたわ!私怖かった!』

    「乗っかったー!アイツの妄言に全力で!乗っかりやがった!」
    今日イチでかいツッコミが出た。
    オイオイそんな雑な手のひら返し、一体誰が信じるって…
    『フッ!君の事なら何でも分かるさ!任せておけ!この青薔薇の騎士が全身全霊を賭してあなたをお守りしよう!』
    いたよ!すっげえ身近にいた信じる奴!!
    せっかく落ち着けた集中力が再びぐっだぐだに揺れる。今回落ち着かせるのには深呼吸3回くらい必要だった。マジで身内が最大の敵なんだけど。
    しかし、これで彼女がこちら側に着いたことは確定した。まあ、また裏切るようなことがあればその時対処すればいいだけで。ならば直近でぼくが狙うべき相手は…入り口の見張り、2人。せいぜいアイツらが限界だ。分かってるよな?カラ松。
    改めて照準を合わせなおし、その時を待つ。



    * * *



    さて。
    なんやかんやバタバタしたけど何とかうまく乗り切って…乗り切れたのかな?これ。
    数十人のチンピラと青い奴、咄嗟に天秤にかけた訳だが答えは明白、コイツの方が敵に回すとやばい。本能が告げる、絶対ヤバい。だから最悪の事態は回避できた、はずだ。
    まあその代償として今、結果的に敵となった相手の本拠地ど真ん中で前後を挟まれ囲まれてる訳だけど。その上こいつは負傷してるし、何より…
    「たとえ姐さんが寝返っても…人質が居なくなってもな、お前ら無事にここから出られると思ってるのか?武器もないのに。」
    そう、たった2人のオレらには今、ろくな武器が無い。
    対して相手は、後方に出入り口の見張りが2人、前方階段付近に2人、そして部屋の中央にリーダー格の男。計5人がすべて、銃をこちらに向けている。例えこいつらを倒せたとしても地下にあと何十人いたか。
    どう見ても絶望的な状況の中、しかし唯一の仲間である青い男は暢気な声で
    「武器なぁ…確かにベレッタの一つでも欲しい所だが、あいにく今は、これくらいしかない。」
    言って胸ポケットからトランプ位のサイズの紙を取り出した。どこか記憶に引っかかるその紙をよくよく見れば、店のロゴのような印刷と、手書きで何か書き加えてある…あ。
    あれか。初めて会った時に渡された、というか知らない間に髪に挟まれてた、コイツの連絡先が書いてあった店の名刺。あの時はいつの間に書いたんだと思ってたけど…え?まさか、常日頃から持ち歩いてるの?常備してるの?やばい、気づかなくていい事に気づいてしまった怖い。
    ここに居る誰とも違う意味でゾッとしたおれを置き去りに、事態は進む。警戒の色を滲ませながらも馬鹿にした口調のリーダーが煽る。
    「へっ。そんな紙切れ一枚でどうするって言うんだ。」
    「そうだな…1回やってみたかったんだ、これ」
    相変わらず力の抜けた態度のまま、入り口の見張りの片方へ、手首をしならせて振り投げた。
    「?!」
    その場の全員に緊張が走る。紙は鋭い軌跡で男の手に命中、だが所詮はただの紙。手がわずかに上に跳ねて持っていた銃の射線が逸れた、それ位で。
    「なんだ、脅かしやがって…それで一体どうなるって…」
    笑いながら男が構えなおそうとする、その銃はよく見ればさっきコイツが話に出したベレッタだ…そんな事を思った瞬間だった。

    カシャン!

    ガラスの割れる音、直後に

    ギィン
    「がっ?!」

    男が呻き、その手のベレッタが今度こそ、宙を舞っていた。
    「な?!」
    何が起きたか分からない、全員が固まった一瞬で、その男まで距離を詰めた青が銃を掴み、その手で顔面を殴打、昏倒。続いて横の見張りも腹への蹴り一発で終了。
    そこで漸く構えなおした残り3人の腕を、奪った銃で正確に撃ち抜き…
    「あ…」
    まさに。あっという間に片を付けてしまった。やはり、強い。
    「さて、怪我は無いかい?マイエンジェル」
    「あ、はい…あの、私…ごめんなさい」
    うつむく自分の顎に手が添えられ上向かされる。目が合えばふっと微笑み
    「君が謝ることは無いと言ったはずだ。何より君が無事でいる事が、オレの最大の望みなのだから。」
    「あ…」

    「はいはい茶番はそこまでにしてねー」
    「?!」
    パン、パンと手を叩く音と呆れた声で、さっきまで見張りが立っていた入り口から入ってきた人物。暗い緑のシャツに黒いスーツ、ネクタイまで締めてきっちり着込んだ男が、おそらくライフル用の長いガンケースを肩にかけて立っていた。驚いたおれと対照的に青は平然と、どころか不満げに返す。
    「良い所だったのに。」
    「やってる場合か。さっさと引き上げるぞ。さっきのお前の無駄撃ちのせいで地下の連中も異変に気づいただろ。」
    コイツの仲間で緑。つまりこいつが『眼』か。
    「無駄って事はないだろう?彼女に万が一にも危険が及ばないように、そうするしかなかったんだ。」
    「いーや絶対カッコつけたかっただけだろお前。普段そんな撃ち方しない癖に。」
    「あの…」
    「「ん?」」
    テンポの良い掛け合いに口を挟めば同時に見られ、若干身を引くもののこれだけは言わねばならない。
    「いやあの、ですね、今の間に…あっち…」
    自分が指させば、2人が目で追う。その先。地下に続く階段から、次々と現れる、男たち。
    「なんだ?!一体何があった?!」
    「お前らか!」
    「あの女!裏切ったのか?!」
    「逃がすな!」
    「撃て!」

    「「「っどぉおおおおお?!」」」

    何を話す余裕もない。一斉に響いた銃声がこちらに届く前に、3人ほぼ同時にドアから飛び出した。そのまま前の道を全力で駆ける。
    「だっから!早く引くぞって言ったんだよぉ!」
    「お前も同罪じゃないか?」
    「どっちもどっちですよ!」
    言いながら、後ろから散発的に襲い来る銃弾を奇跡的に避けつつとにかく走る。どうやって避けてるかなんて自分でも分かるか!振り向いてる暇もない!
    しかし靴が邪魔で仕方ない、どうしても2人に若干の後れを取る。二手、いや三手に分かれる手もあるが、今おれ一人だけ完全に丸腰なんだよなぁあ絶対置いてくなよお前ら!その一心でついていく。右、左と小刻みに角を曲がり、幾度目かの路地に入ったところで
    「あっ」
    足がよろける。2人と距離が空く。まずいこれじゃ狙い撃ちだ。
    「っのぉ、やっぱ邪魔だあ!」
    足を取られたヒールを脱いで後ろに投げつける。完全に苦し紛れ、自棄の行動だったが

    ボゥン

    「…え?」
    鈍い音。振り向けば、恐らく靴から出たらしい、ピンク色の煙幕。…もしかして、トド松が仕込んでた?何やってんのアイツ!いや助かったけど!せめておれには教えとけよ!
    立ち上がり、煙の向こうから追いすがる相手にもう片方も投げつけて、走りやすくなった足で2人に追いつく。あの煙幕も一時凌ぎにしかならない。なんせ人数が多い。スピードは落とさないまますぐの角を曲がり、
    「…やっぱお嬢さん只者じゃないね?」
    追いついた所で目を眇めた緑に呟かれる。ぎくり。ボスよりこっちの方が鋭そう。
    「い、今はそんな場合じゃないでしょう?!どうするんですかこれから、このまま逃げ続ける訳にも…」
    「それなら大丈夫、そろそろ到着だ。」
    「?到着ってどこに…」
    「あいあい!兄さんたちゴール!いっとーしょー!どぅーーーーん!!!」
    やけに明るい無邪気な声。と同時に、風が吹いた。黄色い風が。後ろに向かって。
    つられるように振り向けば。追いかけてきていた連中が一直線に飛ばされていた。横一直線に。道幅いっぱいの長い棒状のものによって。
    「…え?」
    なにあれ?鉄パイプ?にしてもあんな長い物そこら辺にあるか?言葉を失ったのはおれ一人、緑は平然と黄色に向かって。
    「ありがとう助かったよ。」
    「へっへー!お役に立てましたか?!」
    「ああ、そっちの馬鹿よりよっぽど有能だ。」
    「あざーっす!」
    「お前ら仮にもボスに向かってバカとか…」
    「だって馬鹿だし。」
    「うう…」
    なんか普通に掛け合いしてるけど。そこじゃなくない?
    「どういう事…お宅じゃアレが日常なの…?」
    とりあえず一番まともに返事が返ってきそうな緑に問えば
    「まあ…もうツッコんでもキリがないからね。」
    諦めたような答えが返ってきた。あ、一応同じ感覚は持ってたっぽい、と安心する。
    「それにしてもあんな長い獲物どこで見つけて来たんだ?」
    まさかの青の口から聞きたかった質問が出た。
    「んー、なんかねぇ、これから悪い奴がいっぱい来るから兄さん達を助けるんだって言ったら、赤いおにーさんが貸してくれやした!」
    「ぶっ」
    「ん?どうした一奈?」
    「い、いええ何でも?ちょっとくしゃみが、ね?」
    慌てて誤魔化しつつも動揺が隠せない、赤いって、まさか。

    確かに、助けは求めた。
    捕まっている間、スマホを操作した隙に、密かにトド松と通信をつないでおいた。音声を一方的に送るだけの機能だが、それでもアイツの事だから、2時間も喋れば充分状況を理解してくれるだろうと踏んだのだ。だからアイツがおそ松兄さんに連絡を付けて助けに駆けつけさせる可能性は十分考えられるのだが。どういう助け方してくるんだ兄さん。予想外にもほどがある。
    「あ、あの、ちなみにその赤い方って今はどちらに…?」
    黄色に恐る恐る問えば
    「いやぁすぐどっか行っちゃったんで今どこへやらさっぱり!」
    「そ、そうですか。」
    本当、何がしたかったんだ兄さん。いや待てよ、あの兄さんがこれで引き下がるだろうか?と嫌な予感がしたところで。
    「いやぁ面目ない!サーセン!スミレのにーさん!」
    「…え?」
    続いた言葉にヒヤリとする。今、なんて?
    「おい、にーさんって何だ。言い間違えでも失礼だぞ?」
    緑が聞きとがめ、
    「あ!間違えた!ねーさん!っすね!」
    にっこりと笑いかけてくる。間違えたって、言い間違えた、だけだよね?
    笑ってるのに、読めない表情が、怖すぎる。なるほどこれが『道化師』。怖い。

     ところがその恐怖も、落ち着いて味わっている暇もない。
    「あっちゃーまだまだご到着ですなぁー」
    黄色が暢気に告げた通り。先ほどの黄色の攻撃で倒れバリケードのように道をふさいだ仲間たちを乗り越えて、わらわらと現れる男たち。
    「てかマジで何人いるんだよ…アンタんとこ敵作りすぎじゃない?」
    思わず零せば。
    「…仕方ないだろ。馬鹿ボスが勝手に作ってくるんだよ。」
     負けじと疲れた声で返してくる緑。まったく意に介さない青が
    「フッ。存在するだけで全ての同性に危機感を与えてしまう、罪なオレ…」
    「うるさい黙れ。」
    「あっハイ。」
    言ってる間に、こちらと対峙した強者が…ざっと、十人。真ん中の一人が口火を切る。
    「さんざん好き勝手やってくれたな。だが今度こそおしまいだ!」
    だが、それに答えたのはおれたちの誰でもなく、頭上から響く新たな声。

    「ざーんねん。おしまいは君らの方ってね!」

    今度の声は、おれには聞き覚えがありすぎて。いやな予感的中と、頭を抑える。一同が見上げた屋根の上、月と遠くの街明かりに映されたシルエット。その人影が、片手に持った何か丸いものを口に近づけ
    ピン
    軽い音、そう、例えるなら手りゅう弾のピンを抜いたときみたいな?!
    「「「あ?!」」」
    気づいたのは3人同時、とにかく距離を取ろうと後ろに飛び退き。一拍置いて影が放り投げたソレは、綺麗な放物線を描いて十人の強者のど真ん中で炸裂した。
    「「「っっっ!!!」」」
    なんとか衝撃をやり過ごしてから目を開けると、黒煙を背後に屋根から飛び降りた人影がこちらに歩み寄る。笑みの形の白い歯に、短くそろえた黒い髪。肩にかけた黒いジャケット、その下の目立ちすぎる赤いシャツ、まさかと思いつつも信じたくなかったその人物は。
    「…お兄さん!」
    「だからお前の兄ちゃんじゃないって!」
    青の呼びかけにツッコミ返す赤、いやもうどう誤魔化しようもない、おそ松兄さん。
    「へへへー。どう?兄ちゃんカッコよかったでしょー?」
    鼻の下をこすりながら得意気に問うてくるが、背後には未だ晴れない煙と、重なり響く断末魔。張本人の態度と後ろのギャップがえぐい。
    「えぐい。えぐいよ兄さん。」
    口に出た。
    「えー?ひっどいなぁ。これでも兄ちゃん加減したんだよ?」
    「どこが。」
    「どこがってほら、あれただの催涙弾だから!」
    「え」
    「バカそれを早く言え!」
    緑の鋭いツッコミ、初対面でも容赦ない。黄色が手を額にかざして
    「おおー煙がみるみる広がって来ますなぁ」
    「言ってる場合か!逃げるぞ!」
    「よーし!じゃあ皆おれについてこーい!」
    腹立つほどテンションの高い兄の駆け出す方へ慌ててついて行く。あれ?でもこっちって…。思ったのと同時、緑が叫ぶ。
    「待って、ここから先はウチのエリアじゃ…」
    「まあまあ大丈夫だいじょーぶ。逆にこっちまで来ればアイツら手出しできないからさ。」
    「…」
    そうして、おれたちに馴染みの街に入ってすぐ、辿り着いたのは小洒落た遊技場。入り口の警備員と話していた支配人がおそ松兄さんに気づいて
    「何かあったんですか?向こうが騒がしい様ですが…」
    「んー、まあちょっとね。大丈夫だいじょーぶすぐ片付くから。それよりちょっと奥借りるよ?」
    軽く流して店内へ入る。仕方なく続く4人。こちらに気づいた客の好奇の視線を受け流しつつ、奥へと続く扉をくぐり。たどり着いたのは、ホールよりも落ち着いた雰囲気、暗めの赤い絨毯が敷かれ、中央に遊技台、奥に小さなカウンターのある、個室だった。全員が入ったのを確認し、防音も効いてそうな重厚な扉を閉めた兄さんが手を叩く。
    「さーて。これでようやく落ち着いて話ができる訳だけども。」
    「…兄さんは楽しそうね。」
    終始笑顔の兄に、流石にため息と嫌味が溢れる。だがその嫌味も届かず、それどころか
    「まぁねぇー。お前のおかげで今年一番楽しいわ。あんがとね、お疲れさま!」
    ポンポンと頭を叩いて労われ。
    「…いや。嬉しくないし。」
    「またまたぁ。素直じゃないなぁ」
    聞かない兄に反論しようとしたおれより、先に響いたのは青の不満の叫び。
    「お兄さんずるい!羨ましい!オレも頭ポンポンしたい!」
    「はぁ?!なっな何?!アンタ何言って…」
    「へっへーんコレは兄ちゃんの特権だからね!いーだろー!あと何度も言うけど、俺はお前の兄ちゃんじゃないから!…あ、って事はつまり、一奈の兄ちゃんでもないって事だね!いやぁざーんねん!」
    人の頭をこれ見よがしにぐりぐり撫で回しながら延々煽る。いややめて。色んな意味でやめて。目の前の青い奴、めっちゃ歯食いしばってるから怖いから!
    ところがおれの抵抗以上に大きく反応したのが緑。
    「…まさか!おい、言うなよ?!」
    慌てて制止するも、その声は青に届かなかったようで。
    「っじゃあ!オレも家族にしてくれ!お兄さん!」
    言い放った言葉に黄色が口元を抑え、緑は頭を抱え、そして我が兄は。まさに悪魔の異名にふさわしく、目を細め口角を引き上げニヤリと笑った。
    「…言ったね?お前が、俺の、家族になるって。それがどういう意味になるか。そっちの緑のお兄さんなら分かるよね?俺の正体も察しがついてるみたいだし?」
    問われた緑が深いため息と共に、とりあえず青の頭を一発叩いてから答える。
    「『暁に1リラ』、間違いない?」
    「ピンポンピンポン大正解―!」
    嬉しげに拍手を送る兄。対して黄色と青はピンと来てないような顔。いや、おい。黄色はともかく青。お前ボスだろ。その様子を見てもう一度ため息をついた緑が
    「…お前ら、こっちに来る前に話しただろ。」
    と疲れた声で解説を始めた。…なんか、気苦労多そうだな、と。さっきから緑に対しての同情というか共感というか、親近感が爆上がりしている。
    「『暁に1リラ』。主にカジノ賭博でここら一帯を仕切ってる最大勢力の名前だよ。そこのボスの異名が『赤い悪魔』。最初に見た時からまさかとは思ってたけど、アンタが。」
    「そーそー俺おれ!俺がまさにその、カリスマレジェンドリーダーでーっす!どう?びっくりした?」
    「びっくりって言うか、状況的に他に考えられないけど本人に威厳のカケラもないから確信が持てなかったんだよ。」
    「ひっでー!え?!初対面なのに厳しくない?!」
    「うるせえ!こちとら馬鹿なトップは見慣れてんだひと目見りゃ分かる!お前はコイツと同じ部類の人間だ!」
    「あー。なるほど。分かる。」
    思わず声が出た。そうか、人見知りするおれが青には最初から緊張しなかったのは。おそ松兄さんと同じ匂いがしたからか。
    おれの呟きに反応した緑が身を乗り出して。
    「あ、分かります?やっぱアレでしょ。頭で考えるより先に手が出るタイプ。」
    「情報より感情で動くし」
    「コッチが何言っても聞いてねぇし」
    「ひたすら振り回されていい迷惑…」
    「そのクセ動物的な勘だけは妙に鋭いから、いざという時の判断を間違えないのがまた」
    「タチが悪いよねぇ…。」
    指差し合い言い合って、しばし無言で見つめあってからガシィ!と固い握手を交わす。
    「ええー?!いっちゃんまで!そんな風に思ってたの?!兄ちゃんショックなんだけどぉ!」
    「…思ってたしずっと言ってきたつもりですけどねぇ。」
    「お前までずるいぞ!オレもまだ手握ってもらった事ないのに!」
    「うるせえ元凶!お前はもっと違う所気にしろよ!」

    パァン!

    ごちゃごちゃ騒ぐ大声に負けない大きな破裂音。見れば黄色がどこから取り出したのかクラッカーを鳴らしたらしい。そのまま開いた瞳孔と張り付いた笑顔で静かにひと言。
    「はなし。ずれてる。」

    「「「「…スミマセン」」」」

    一同平謝りの後、おそ松兄さんが咳払いして仕切り直す。
    「ま、ともかくさ。もう分かっただろ?お前が俺を兄ちゃんって呼ぶって事は、俺のファミリーに入るって事になるんだよ。ちなみにさっきのはちゃぁんと録音してるから。」
    「ああ?!てめぇそんな姑息な事…」
    いつの間に?!驚くおれと再びキレる緑。しかしそれ以上に大きな声が誰も予想しなかった反応を返した。
    「ああ構わないさ!むしろオレの人生はこの日のためにあったと言ってもいい!一奈を…この麗しき菫の天使をこの胸に迎えるためならば!オレの持ち得る全てを捧げようとも!」
    「「ちょぉおおおおおおおおい!」」
    ついに緑とシンクロしてつっこむ。
    「おま、何勝手に組織の命運を私物化してくれちゃってんの公私混同も大概にしろよ!」
    緑が青の襟首をつかみ、こちらも赤の襟首掴んで部屋の壁まで引きずって追いつめる。
    「こんのクズ長男何考えてんだ!これ完全におれ身売りされてんじゃん!」
    それから小声で
    「…もう本当にやめよう!これでおれの正体バレたらマジでシャレにならないから!」
    「大丈夫だいじょーぶ。お兄ちゃんに任せなさい!」
    首絞められても意に介さずいつもの軽い調子で言った後、兄さんも小声になって。
    「…むしろ正体バラした方が都合いいのよ。あっちがそれで断ってきたら、違約金なりなんなりふんだくればいいんだから!」
    「…そんな上手くいくかなぁ?」
    「まあ話の持ってき方次第だろうけどね、いるでしょウチに、適任者が。さっき呼んどいたから、もうすぐ来るんじゃない?」
    「え、まさか…」

    コンコンコン

    タイミングよくノックが響く。続いて
    「ちょっと兄さん?いるなら開けてー?可愛い弟が到着しましたよー。」
    余りに聞き慣れた、何だかとても懐かしい声が聞こえ。
    「あいあいただいまー!」
    何故か一番に反応した黄色が返事をしてドアを開ける。くぐって来たのは予想通り、桃色のシャツを着た。
    「あ、ありがとー。…もーほんっとに兄さんは人使い荒いんだからー」
    トド松。が。何故かやたらとデカいスーツケースを持っている。
    「おーありがとう弟よ!って言っても今回お前一番楽な役回りだからね?いっちゃん見てみ?もうボロボロよ?」
    「あ。」
    そうだった。全然忘れてたけどあれだけの逃走劇をしてきたものだから、4人とも全身傷だらけホコリだらけ。オレに至っては元々華奢なレースやフリルが見事な灰色、あちこちほつれるわ破れるわスカートもビリビリに裂けるわ、胸元のリボンと花飾りは取れかかるわ。そこではっと気づいて頭を抑えれば、ボサボサになりつつもウイッグは取れてないっぽい。奇跡。そういえば靴も脱ぎ捨てて裸足で走ったからタイツすらボロボロで所々素肌が見えている。まずい。これ、男ってバレてないか?
    今さらながらヒヤリとし、反射的に両手を胸の前で交差させる防御姿勢で周りを見渡すと。
    青と緑がギクリと跳ねて慌てて目を逸らした。ど、どういう事?見てられないほど酷いのか?!
    「うわー確かに酷いねぇ」
    心の声を読まれたかのような弟の声に今度はおれがびくりと跳ねる。だが弟はそのままスーツケースを遊技台の上に乗せパカリと開けた。中から出てきたのは。
    「はい、頼まれたもの、持ってきたよ。ちゃんと皆の色に合わせて用意したから。もう本当できる弟だよねー」
    弟の発言通り、赤、青、緑、黄色、そして紫をポイントカラーに揃えた五組のスーツ。
    「サンキューねトッティ。ばっちりだよ!まぁ皆とりあえず着替えようぜ?この恰好じゃ帰るに帰れないでしょ?」
    唐突に不自然に促す兄。うわあ、まさか早々にバラすのか。大丈夫?トッティと打ち合わせとかしなくても。とチラリと伺った弟は、
    「そーそー。あと、一奈ちゃんはこっちで着替えた方がいいよねー?」
    と、更に奥のスタッフルームに続くドアを開け、兄にそっくりなニヤニヤした笑みで手招きしてきた。それで悟る。ああ。コイツもう全部知ってんだな。じゃあもうどうにでもしてくれといった心境で、半ば死んだような眼で着替えを掴んで開かれたドアへ足を向ける。
    すれ違う瞬間、念のため
    「…ホントに大丈夫?」
    尋ねれば
    「兄さんとボクが信じられない?」
    尋ね返され。そう言われてしまえばもう、やるしかないのだ。後ろ手にドアを閉め、薄暗い室内の手近な椅子に着替えをひっかけ。
    「…やるか。」
    ため息交じりに気合を入れて、まずは頭に手をかけた。



    * * *



    ガチャリ

    ドアノブを回す音が、大きく響いた気がして。
    もう一度覚悟の唾を飲みこんで、ドアを開いて足を踏み出す。
    「おーお帰りー。やっぱ『オンナノコ』は時間かかるねぇ」
    まず口を開いたのはやはり兄さん。
    「…お待たせ。いやホント、着るのも脱ぐのも面倒臭すぎて…もう二度とごめんだわ。」
    元の猫背で、声も元に戻してヒヒっと笑う。表面ばかり余裕ぶってもやはり緊張は解けなくて、恐る恐る見やった先、青と緑と黄色がそろって口をぽかんと開けていた。…いや、黄色はアレいつも通りじゃない?やっぱりアイツ気づいてたんじゃない?…駄目だ、アイツは読めない。諦めた所で、まず口を開いたのは緑。
    「え?どういう事?あのお嬢さんはどこに?」
    本当に分かってないのか認めたくないのか、その反応におそ松兄さんが返す。
    「え?お前まさか分かんないの?でも、そっちの青薔薇くんは分かるよね?お前まで分かんないなんて言ったら、とてもじゃないがウチの大事な可愛い『弟』は、預けられないよぉ?」
    「…おと、うと?」
    いまだ受け入れ切れてない緑の呟きに続いて、更に信じがたいとでも言うような青の、呆然とした呟き。
    「…まさか、一奈…?」
    その名で呼びかけられて漸く、最後の覚悟が決まり。ようやく見れたその顔は、声から想像した通りの驚愕に歪んでいて。覚悟していても、冷たいものが胸に刺さる。それでもこれは、おれが自ら選んで招いた結果だ。痛がるなんて資格も、おれには無いはずなんだ。狡猾を意識して口をゆがめ、トドメの言葉を紡ぐために息を吸い。
    「…そうだよ。おれは…」
    「君は…」
    ところがおれの声に重ね先に告げてきた、青の言葉に。

    「君は…男装の趣味があるのか?!」
    「いや逆じゃボケェえええ!!」
    せっかく吸った息が全部ツッコミに消えた。

    「逆?!って事は女装の趣味か!」
    「いや違うそうじゃない!!趣味から!!離れろ!!!!」
    なんだこれ。何でこんなわちゃっとするの。ツッコミ疲れて荒い息を吐きながら通訳を求めて緑を見たが、諦めたような目で首を振られた。おい身内、諦めんな。唯一の頼みの綱にも見捨てられ、仕方なく自ら告白するべく、もう一度息を吸う。
    「…これが、おれの本来の姿。お前と同業の、正真正銘男だよ。一奈ってのももちろん偽名。だから、つまり…おれがこれまでお前に見せてきたものは…全部、偽物だ。」
    「そんな…一奈…君は…」
    「…だから一奈じゃないって。」
    これまで見た事のない、動揺。思わず零れたらしい震えた声も、切り捨てるように否定する。と。
    ガシッ
    「?!」
    突然両肩を掴まれた。って、え?いつ近づいたの?見えなかったよ!予備動作すら無くなかった?!怖!え?!大丈夫?!これおれ死ぬんじゃない?!恐怖で固まったおれの目に視線をまっすぐ合わせてきて。
    「君は!そんな事でオレの愛が冷めると思っていたのか?!」
    「……え?」
    「男だから何だと言うんだ?!性別など関係ない!案ずることは無いさ!オレと君とのあの愛の日々が!そんな小さなことで揺らぐはずが無いだろう!さあそんな不安そうな顔は今すぐ捨てて!一緒にめくるめく愛の日々へ!」
    「は?え?あ???」
    いや、これまで史上最高に何言ってるか分からないんですが。とりあえず。近い。両肩掴まれてたのが話してるうちにまた腰抱かれてるんだけど。いつの間に?!
    引きはがそうとしてもびくともしない馬鹿力の手は諦めて、せめて少しでも距離を取ろうとのけぞりつつ
    「いや、だからつまり、愛の日々も何も全部偽ってたんだって…」
    「そんな筈は無い!」
    「いや本人が言ってんだよ信じろ!」
    「そんな筈は、無い!!君こそよく思い出すんだ!あの日々が、君の記憶にあるものが!本当に全て偽りだったのか?!そこに一欠片でも君の真心が無かったと、言い切れるのか?!」
    「…っ」

    あまりにまっすぐな、言葉に、視線に。

    撃ち抜かれて。

    息ができない。



    思い出す。






    * * *



    クス

    「…誰だ?」
    「あっ。ごめんなさい、つい…可愛くて。」
    「可愛い?」
    「すみません!失礼ですよね…。あの、貴方の周りに猫たちが集まって、まるで貴方を慰めてるように見えたから…」
    「…君は」
    「?」
    「君は、オレが怖くないのか?」
    「…怖い?」
    「オレは…オレの手は、もう随分と汚れてしまった。強さを求めていた、それだけだった筈なのに…気づけば周りは皆オレを恐れ、離れてしまう…。これが、代償。強くなりすぎてしまったオレに神が与えた罰なのか?オレにはもう、闇の中を孤独に歩く道しか残されていないのか…!」
    「…っふふ。っあ、また!すみません私…
    …でも、今の貴方しか知らない私には、怖がる理由なんて何も無いです。ただ少し疲れてらっしゃる、優しい方にしか。」
    「…優…しい…?」
    「ええ。だってそうでしょう?そんなに猫たちに好かれている方が、優しくない訳ないですもの!」

    「…ああ。君は。」

    もしかして 君こそが






    * * *



    「…いや待って何それ?!それ誰のいつの記憶?!」
    「勿論!オレと君の出会いの物語だ!」
    「いや知らない!おれその記憶知らないんですけどぉ?!」
    必死に否定する後ろで赤とピンクがひそひそ話す。
    「…うわー聞きました兄さん?」
    「聞いたよ弟。ヤバいじゃんウチの『一奈ちゃん』、とんだ小悪魔だったよ。」
    「とんだ小悪魔だねぇヤバいねえ。アレはボクでもできない。いやぁ脱帽。」
    「おい待て信じるなってぇ!ホントに!知らないから!!おれはただ、路地裏にたむろしてた猫を見てただけなんだよぉ!」
    確かに可愛いとか言った気もするけどそれは猫に対してだし、こんなに猫に囲まれてコイツ羨ましいなこん畜生あわよくばおこぼれに預かれないかな?って声かけただけだし!
    「…やっぱ声かけてんじゃん。」
    「自分で蒔いた種じゃん。」
    「こぉんなヤバい奴って知ってたら声かけなかったよ!」
    「いやひと目見てヤバいよね。見るからにカタギでない風体の男が路地裏で猫に囲まれて悲嘆にくれるって。絶対声かけない案件。」
    「だって!…ほとんど猫しか見てなかったから…」
    はあーーー
    「…な、なんだよ2人して。」
    「いやもう、ねえ兄さん。」
    「そうだなぁ、それしかないな、弟よ。」
    「「もう2人で勝手にやって。」」
    「いやいやいやいや!投げ出さないで!」
    「いやーだって兄さん、もうこれ、どうしようもないじゃん。」
    「俺としては別に困らないのよ。契約破棄じゃないならないで仲間も増えて領地も増えて、ね?美味しい事しかない!」
    「ええー?!じゃあ結局身売りじゃん!待ってちょっと待ってよ!
    …なぁ緑の!さっきから黙ってるけどそっちもなんかないの?!」
    「いやぁ。確かに突然言われた時はふざけんなって思ったんだけどさ、考えてみたらそっちの傘下に入った方が、結果的に僕らにも有利なんだよね。」
    「なんでぇ?!」
    「いや見ての通り、あのエリアもまだ完全に統治できてる訳じゃないし、どうしようかなって思ってたところだったんだ。こんな古参の組織なら顔も効くだろうし、あのチンピラどもも大人しくなるんじゃないかなって。」
    「うっそだろ?!」
    「じゃあにーさんたちは、今日から兄さんですか?やったー!」
    「おおー弟よ!よろしくね!もちろん俺が長男ね!」
    「あ、ボクは末っ子が良いなぁ、ねえ黄色いお兄さん?」
    「オッケー!じゃあボクが兄さん!わーい!ボク兄さんだぁー!初めての弟おとうと!」
    「いや!そんなほのぼのした感じじゃないでしょ?!…ってかいい加減!お前は!離れろよぉお!!いつまで人の腰にひっついてんだ!」
    「はははははもう二度と離さないとも!安心してオレに身を任せてくれ!」
    「いや聞け!ってかお前なんでそんな元気なの今更だけど殴られまくってボロボロなんじゃないの?!」
    「言ったじゃないか!あんなものかすり傷さ!」
    「言葉通りなの?!強がりとかじゃないの?!」
    「全てギリギリ急所を避けて受け流してたからな!」
    「椅子に縛られ倒された状態で?!どうやって?!怖!!しかもよく見たらもう治りかかってるし!傷消えてきてるし!怖ぁああ!!」
    「フッ…これこそが!オレとぉ?お前のぉ?真の!愛の力!」
    「絶対違う巻き込まないで!」
    「巻き込んでなどないこれは必然!ようやく掴んだ真実の愛!これこそまさにディスティニー!!
    こんな儚げで可憐な菫の様なお前が、オレという愛を注がれやがて大輪の花を咲かせ!やがて世界は青と紫の薔薇に埋め尽くされる!…そう、オレと、お前の…色に!」
    「何その何の脈絡も根拠もない無駄に規模だけ壮大な妄想やめて世界にまで迷惑かけないで!」
    「そうとも壮大な!めくるめく愛の物語!その序章の1ページが!今!始まる…!」
    「いやぁ始めるな全然聞いてくれないぃ誰かぁ!助けてぇえええええええ!」



    * * *



    「いやー。ヤバいね。」
    「ヤバいねぇ。ありゃもう誰にも止められないね。」
    「あんなにずーっといっぱい喋る兄さん初めて見やした!」
    「あんなにでかい声で泣きわめく兄さんも初めて見たわ。で?どうするの?」
    尽きる事のない掛け合いを遠巻きに見守りつつ。最後に呟いた桃色の末弟が、そもそも全ての発端であった長兄に判断を委ね。
    振られた赤い兄はしばし考えてから、提案する。
    「んー。じゃあ、とりあえず皆で飲むか!親睦会兼祝杯って事で!」
    「「「さんせーい!」」」
    後ろの騒ぎなどもう聞こえていない調子で、既に息ぴったりに満場一致で両手を挙げた4人。それを確認してからおそ松が扉から顔を出し、外に控えているスタッフへ
    「とりあえずテキトーに酒とツマミ持ってきてー!」
    雑に指示を出し。
    トド松がカウンターから適当に選び出したシャンパンを人数分のグラスに注いで手際よく4人に配り。
    「それでは!コレから皆よろしくねー!カンパーイ!」
    「「「かんぱーい!」」」
    「うん、美味い!いやあ、やっぱり兄ちゃんのカンに間違いは無かったね!これでいいのだ!」



    「いや雑にまとめんな!何もまとまってないからあ!!!」



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    Replies from the creator

    akiajisigh

    PROGRESSこちら、鋭意製作中に付き途中まで。
    ひょんなことから知った『温め鳥』というワードに滾って勢いで書き始めた、
    鷹次男と雀四男の話

    *今後の展開で死ネタが入ります。
    *作者が強火のハピエン厨なのでご都合無理やりトンデモ展開でハピエンに持ち込みます
    いずれにしろまだ冒頭…完成時期も未定。
    それでも良ければご覧くださいm(_ _)m

    17:00追記。やっと温め鳥スタイルに漕ぎ着けた。
    温め鳥と諦め雀もう駄目だ。

    自分では来た事もない高い空の上。耳元には凍えるほど冷たい風がびゅうびゅうと吹きつける。所々の羽が逆立って気持ち悪いが、それを嘴で直す事もできない。何故ならおれは今、自分の脚より太い枝のような物で体中をがんじがらめにされている。背中に三本と腹側に一本、絡みついたそれに抑えつけられ、右の翼が変な形で伸びている。もう一本に挟まれた尾羽が抜けそうで尻もピリピリ痛む。さらに首を右側から一本、左から一本ガッチリ挟まれて身動きを完全に封じられ、最後の一本は茶色い頭にかかっている、その『枝』の先についた鋭利な爪が目の端にキラリと光り、思わず生唾を飲み込んだ。飲み込んだだけ、他は全く動けない。抵抗などできるはずもない。早々に諦めて斜めに傾いだ首のまま、見た事もないほど小さな景色が右から左に流れていくのを見送りながら、頭の中では自分のこれまでを見送り始めた。
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