温め鳥と諦め雀もう駄目だ。
自分では来た事もない高い空の上。耳元には凍えるほど冷たい風がびゅうびゅうと吹きつける。所々の羽が逆立って気持ち悪いが、それを嘴で直す事もできない。何故ならおれは今、自分の脚より太い枝のような物で体中をがんじがらめにされている。背中に三本と腹側に一本、絡みついたそれに抑えつけられ、右の翼が変な形で伸びている。もう一本に挟まれた尾羽が抜けそうで尻もピリピリ痛む。さらに首を右側から一本、左から一本ガッチリ挟まれて身動きを完全に封じられ、最後の一本は茶色い頭にかかっている、その『枝』の先についた鋭利な爪が目の端にキラリと光り、思わず生唾を飲み込んだ。飲み込んだだけ、他は全く動けない。抵抗などできるはずもない。早々に諦めて斜めに傾いだ首のまま、見た事もないほど小さな景色が右から左に流れていくのを見送りながら、頭の中では自分のこれまでを見送り始めた。
しがない一羽の雀として、この世に生を受けて一年弱。思えばひとつ巣の中で五羽の兄弟と暮らしていた頃から、一歩遅れる鈍臭い雛だった。母親からもご飯を貰い損ねたり、父親からは踏まれて「いたのか?!」なんて言われたり。
そんな奴が、一人立ちして厳しい野生の荒波を生き抜ける訳がなかったのだ。ここまで生きてこられた事が幸運だった。そう、つまり運を使い果たしたのだろう。
あー、結局ウワサのメスとの交尾どころか出会いもないまま終わるのか。まあおれみたいなゴミクズ、あと何年生きようと選ばれる訳ないし、出会ったところで碌なアピールできる気もしない。兄さん達ならともかく。と、思考は兄弟達に移る。当然というか、ご飯を多く食べられた奴から体が肥えるし力も強い。だから物心ついたおれたちは大きい順に兄さんと呼んでいた。一番上のはびっくりする程の自己中。まあその位じゃないとあの狭い巣の競争には勝ち抜けないよね。あの兄さんならメスに会ってもグイグイ行けるんだろうな。成功するかは分からないけど。
あ、要領良いというなら下の弟2人もそうだった。コイツらは生まれるのが遅かったから弟になっただけで、おれなんかよりよっぽど上手く生き抜くだろう。何となく彼女も出来そうだし。心配ない。
一つ上の兄がおれと似たり寄ったりの要領の悪さだが。まあいざという時は上の二羽に食ってかかる気概もあったし、おれなんかに心配もされたくないだろう。
そして、上から二番目の兄。周りが全く目に映ってないのか?って位の、長男とは別ベクトルの自己中マイペース。まあ早い話がクソだ。クソな癖に何故かおれの事はやたら見えていたみたいで、おれが食いっぱぐれた日には取っておいた米粒をくれたりしてた…アホだよな。あれ自分で食ってたら長男よりデカくなれたかもなのに。まあ、あの分け与え癖があるのなら、巡り合ったメスにも貢いで上手くやれるんじゃない?
そんな事をつらつら考えて、要は今自分が置かれている状況から目を背けていたのだが。
ふいに首元の枝がぐりと動き、喉が締まる。
「ぐえ」
およそ雀仲間でも聞いた事ない、蛙のような鳴き声が漏れた。直後に頭の上から声が響く。
「おお、生きてた。あまり大人しいから死んだかと思った」
「っっっ」
その恐ろしい声。雷のような轟きに身がすくむ。そもそも首を絞められてもいるし、声など出る訳がない。すると続けて
「あれ?生きてる、か?おーい」
なんて呼びかけられ、さらにぎゅっと絞められたり軽く(なのかもしれないがこっちにしたら思いっきり)上下に振り回されて目が回る。吐きそう。しかしこれ、もしかして返事するまで続くのか?
「…い、今…死にそ…」
まさに必死で声を絞り出せば
「え?何で?!」
一層デカい声に気が遠くなりかける。それでも、自分の生きる本能もなかなか捨てたものじゃなかったらしい。何とか意識を取り戻し、再び声を振り絞る。
「いや、首…締め…くるし」
「あっ!これか、すまん」
声と共に首にかかっていた力が抜ける。息が通る。咳き込む。それでも完全に解放はされず、動けない現状は変わらない。当たり前だ。
おれが雀で、コイツが鷹である以上、おれはコイツに食われる運命にある。つまり。と、ここまで頑なに目を背け続けた現実と漸く向き合う。視界の隅に映っている爪にもう一度、目を向ける。そう。絡みついている自分の脚より太い枝のような物とは即ち、コイツの足指である。
おれはコイツに捕獲されたのだ。
「このくらいで大丈夫か?」
先ほどよりは控えめな、しかしやはり雷鳴のように腹の底に響く声が降ってきて、ぶるりと震える。それからよくうやく、拘束の力加減の事を言っているのだと気づく。
「ああ…まあ…。ていうか、何で…」
「え?」
「だって、どうせおれの事食うんでしょ。なら今ここで締め殺しても構わないじゃない…」
聞いてから気づく。どうしよう、生きたままの方が美味いとか言われたら。それよりはいっそ今ひと思いにやってくれた方が良さそうだが…と、どちらにしろ地獄のような未来を想像して血の気が引く。うう。吐きそう。
そんなおれの心境など露知らず、返ってきたのは能天気な声。
「まあそうなんだがな、珍しくてつい」
「…珍しい?」
「ああ、今まで鳥も魚も鼠も色々捕まえたがな、どいつも皆んな、やたらめったら暴れるもんだから落としそうになるんだ。それでこっちも必死で掴む。するといつの間にか大人しくなって、見たら死んでる」
怖。
「お前は初めから大人しいから、もしかして捕まえた瞬間死んでしまってのかと思ったが、それにしては時々わずかに動いてるようだしと、気になってたんだ」
すごいなあまだ生きてるなあと、朗らかに嬉しそうに言われても。全然嬉しくない。こっちはもう生きた心地はしていない。ましてや
「なあ、なんでお前は暴れないんだ?」
なんて無邪気に聞かれても。
「え、いや…だって多分、暴れても逃げられないし…」
「まぁなあ」
即答。怖。
「…どうせおれなんて、今まで生きてこれたのが奇跡みたいな所あるし…」
「そうなのか?」
「まあね…よく食いっぱぐれるし鼠にも負けるし…雀の中でもど底辺ですよ…」
「そうかあ、でもお前は今まで捕まえた雀の中でも美味そうだぞ?」
「…嬉しくない…」
「柔らかいしあったかいし」
「…いやそれはだから、おれがまだ生きてるからでしょ…」
なんだこの問答。体に痛みこそないものの、ひと言ごとに死を意識させられて消耗する。魂が削られる。死ぬ前から既に地獄か。
「そうかあ、小さくても生きてるとこんなに温いんだなあ」
オレは寒さには強いんだが、どうにも足だけは冷たくてなあ、などと。
おれは何を聞かされているのだろう。冥土の土産話が自分を喰う鷹の悩み相談とか。悪趣味にも程がある。無防備に弱点を晒してくるのも、こっちがそれを知った所で何もできないと思っているからだ。そしてそれは、事実だ。さっきの話だって、『動けば殺す』と脅されたも同然で、あんな話をされて尚、不意を打って隙をついて逃げようなどと考えるほど生きる力があるなら、そもそも捕まってはいない。
もう返事をする気力もない、どうにでもしてくれと無我の境地でぶら下がっていると。
「いやしかし、本当に温いな」
逃げられない程度の力をかけたまま、足指をモゾモゾ動かしてくる。
「っちょ、やめ…」
「ん、痛いか?」
「痛いってか、いや痛いのもあるけど…くすぐったいし気持ち悪いし、色々…ぅひゃ、っひひ」
一辺に全身の色んな所を触れられるのは当たり前だが初めての体験で、首をあっさり捻り殺されそうな緊張感と、背中や腹の毛を撫でさすられるこそばゆさが同時に。感覚が混乱して引き攣った笑いの様な痙攣がおきた。
「おお」
「…な、なに?」
「いや、生きてるなあと思って」
「いやそりゃさっきから言っ…っく、だからやめっぴぁ」
自分でも聞いた事ない高い声出た。これはいよいよ死ぬかも。そんな危機的状況に不似合いな、和やかな笑い声が響く。
「ふふ。いいなあ。オレが動くとお前も動く、可愛いな。楽しい」
「っは、何それ…こわ…」
怖い怖い。弄ばれてるやばい。新しい扉開いちゃってる。これはこのままじわじわ嬲り殺しコースなのでは。
あまりの恐怖に涙が滲み出てきた。全身がぶるぶる震える。その反応すら相手には娯楽でしかないらしい。
「おお、そんなに細かく震えたりもできるのか。すごいなぁ」
ひい怖い。これ以上何を試されるの。確かに死ぬのは諦めたけど、そんな辛い目に遭うのは想定してない。首を捻り、こちらをじっと見下ろしてくる大きな目が恐怖しかない。それでも震えるしかできない自分をしばらく見ていた鷹だが、ふと前方に向き直り。
「あ、そろそろ着くぞ」
「え?つくって…ゔっぎう」
『どこに?』と尋ねる前に、急上昇したらしく風向きが変わる。同時に足指に力が入り全身くまなく締められる。
流石に白目を剥きかけた所で、どさりとどこかに着地した。久しぶりの、空気と足指以外の感触は、なんだかやけに硬い。草むらというより木の枝の様な、そう藪の中に迷い込んだ時に似ている。違うのは、相変わらず離れない足指でその無数の硬い枝に全身を押し付けられている事。全身を襲う今度こそ死にそうな激痛に、流石のおれも後先考えずガムシャラに暴れてしまった。
「いいいいたいいたいいたい!」
「うおっどうした急に?」
驚いた声に、先ほど聞いたこれまでの犠牲者の末路を思い出し、あ、終わったと悟る。つまりこれでいよいよおれも、逃げない様に捻り潰されて終わるのだ。父さん母さん兄さん弟たちさようなら。
ところが覚悟した様な衝撃はなく、どころか抑えつけていた足指が完全に解放された。あれ?
「すまない、そうだな重かったな。これで大丈夫か?」
「え?…なんで…」
「?痛かったんだろう?」
「いや、そうだけど。暴れたら潰すって…」
「でも死んだら温くないんだろう?」
「へ?」
「それにお前は、抑えつけなくても逃げなさそうだし」
「あ、うん、まあ…」
それに関しては無駄に自信がある。
「オレな、いい事を思いついたんだ!」
なんだかやけに嬉しげな、弾んだ声がまた怖い。ここで語られる思いつきが、おれに関係ない訳がないだろう。一体どんな仕打ちを受けるのか、恐々としながらも尋ねる。
「な、なにを…」
「これから夜になる。夜になったらもっと冷える。でもお前がいれば温かい。つまり…」
「うぎゅ…う?うわ」
再び体に重圧がかかる。だが今度は足指の様な鋭い痛みはなく、ただ柔らかく温かいものに包まれる。何事かと見上げた途端に今度は足元を掬われたたらを踏む。
見れば先ほどまで自分を拘束していた足指が、きちんと揃えて収まっている、自分はその上に乗せられている。文字通り死ぬほど恐れていたそれを踏みつけている状況に落ち着かず、足の置き場が定まらない。無駄に足踏みを繰り返していると、上からの言葉が続く。
「こうしていれば寒くないだろう?流石オレ、ナイスアイディア!」
「え?は?」
「ちょっと一晩付き合ってくれ。なぁにお前は特別何もしなくていい、ただそこでこの足を温めてくれてたらいいんだ」
「っはあ?」
え?一晩?なんだって?
まさか一晩、このまま…?
「よろしくな」
「っえええええええ?!」