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    akiajisigh

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    akiajisigh

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    2023年11月紡ぎ松のお題…漸く上がりました。
    先日上げた冒頭も、後半に合わせて微修正。

    内容無いのにこの文字数。
    雰囲気を味わっていただければ。

    ほぼ描写ないですが白ランカラ松×白ラン一松です。
    昭和初期くらいですが、時代も彼岸花についてもにわかググり知識で書いてます。
    参考にされませぬ様。

    #カラ一
    chineseAllspice
    #紡ぎ松

    曼珠沙華 幼い頃、約束をした。
    「この火の花がさくころ、かならずむかえに行く」
     遠い田舎の少年と別れて十余年。
     その日、真っ直ぐな目で誓った少年は今——

     隣に住んでいる。



    「お前もよくやるねぇ一松ぅ」
    「…」
     ニヤニヤと、完全に揶揄う顔のおそ松兄さんをギロリと睨んでも、効果はないし現状も変わらない。
     現状。
     この捻れ拗れた現状を打破する方法を、そもそもおれは知らない。だから『よくやる』も何もないのだ。続けるしか出来ない。他に良案があるなら教えて欲しい。ため息をついて、これまでに何度も辿った記憶をもう一度振り返る。



     事の発端は、十年ほど前。小学校就学の前年にまで遡る。どうにも気弱で兄の後ろに隠れてばかりのおれを心配した両親は、自立心を養う為に一年ほど、遠戚の家へ預けた。生活に不自由は全く無かったが、そんな事情など理解できない五歳児には霹靂だった。元の家からはきっと捨てられたのだと思い込んで塞ぎ込み、周囲に馴染む事など到底できなかった。
     それでも日に一度は外で遊ぶ様促され、仕方なくふらふら歩き回っていたところで出会ったのがアイツだ。
     当時の事はそれほど鮮明に覚えていないが、断片的な記憶の多くにアイツが写っているし、そのほとんどが好ましい感情を伴っているから、関係は良好だった筈なのだ。
     唯一つ、最後の記憶を除いて。

     一面の、赤。
     日の当たる全てが夕焼けの朱に染まり、山陰には尚紅い花の道。
     まさに火に包まれたような赤い景色の中、普段は下がり気味の眉をきりりとつり上げ、どこか怒ったようにも見える彼は、紅い花を持つおれの手を取り、言ったのだ。

    「この火の花がさくころ、かならずむかえに行く」

     頬が張られたようにじんじんと熱かった。震える程強く握られた手が痛くて。何故だか胸も、目の奥も痛くて。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。同じく痛む喉は引き攣るばかりでひと声も発せられぬまま、その時のおれはただ、首肯を返した。
     と、ここまで思い出したところで、いつもおれは頭を抱える。

     どういう事だ。
     どういうつもりだったんだ、おれ。

     これ程生々しく蘇る情景なのに、ここに至る経緯が思い出せない。手がかりは無くもないが、それがまた我ながら信じ難いし、余計に混乱する記憶なのだ。即ち、この台詞の前にアイツが何と言ったか。 おれの記憶に間違いが無いならば
     『結婚しよう』と。
     どうしてそうなった。
     そしておれ、何故頷いた。
     いくら気弱で流されやすい質と言ったって、そこは否定しておけ。ちゃんと誤解を解いておけ。
     そう。
     当時、男児にしては珍しい長い髪をしていた事。世話になった家には娘さんがいて、お下がりを着せられたりもしていた事。何より初めて会った日
    「ボクはカラ松。きみの名前は?」
    「……い、いち…」
    「いち…おいちさん!良い名前だね」
    「あ、いや、その……あ、ありがと…」
     ハイここが最初の間違い。『ありがと』じゃ無いんだよおれ。すぐに訂正しなさいよ。
     結局その後も真実を話せぬまま半年近くを過ごし、何がどうなったのかあの別れである。

     ただ、もう会う事は無いと思っていたから。変に混乱させるよりも綺麗な思い出にしてやれて、結果的には良かったのではないか。そう思い始めた十年後。おれは、自分の甘さを思い知る事になる。いや、思い知ったのはアイツの執念か?



     半年前の春。高等科へ進学した日に見かけた新しい顔ぶれの中に、ソイツがいた。きりりと上がった眉と自信に満ちた所作、当時とはかけ離れた雰囲気を纏っていたが、ひと目で気づいた。まさかと思った。自分の勘違いであってほしかった。だが新たな級友と自己紹介がてら挨拶を交わす中、ソイツが朗々と放った言葉で確証を得る。即ち『幼い頃に約束を交わした、愛しの君を迎えに来たのだ』と。
     間違いない。
     忘れていない。
     まずい。
     本当に追いかけてくるなんて。
     唯一の救い、向こうはおれに気づいていない。当然だ。向こうが思い描いてる『愛しの君』は年頃の娘さん。まさか自分と同じ白い詰め襟を着た冴えない野郎に成長しているなどと、思いも寄らないだろう。

     図らずも嘘をつく形となって十余年、ぼんやりと抱えていた蟠りが、今や明確な罪悪感となって胎の内を圧迫する。その重みを抱えたまま帰宅して、一刻と経たぬうち。
     来客があった。つい先ほど聞いたような若い男の声と、女中が揉めている。
    「ウチにそんなお嬢さんはいませんから!」
     などと聞こえる。
     まずい、まずいまずいまずい。
     もう来た。早くない?
     かつて世話になった田舎の家は知られていたし、この家の所在を隠していた訳でもない。ここを探り当てるのに苦はあるまい。それにしても、入学即日は早すぎるだろう。
     どうしよう。
     おれがここにこうして居る以上、アイツの想い人は存在しない。アイツがどれ程の情熱と執念を持って探し求めようとも、絶対に出会えないのだ。

     おれは。
     どうすれば。

     と。
     焦って悩んで追い詰められたおれのとった行動が、第三の誤ちであり、最悪手だった。



     慌てて玄関に飛び出したおれは、そいつの腕を掴んで有無を言わさず連れ出した。家から離れ、学校とも反対側の裏路地へ入る。元は畑だったのか柿の木が一本生えただけの空き地にたどり着いた所で、向こうから切り出してきた。
    「君は同級の…君の家だったか」
    「…人の家の前で騒ぐな」
    「すまない。だがオレも引けない理由があるんだ」
    「それは、迎えに来たっていう…」
    「そう、会わせてくれないか?」
    「…答える前に確認したいんだけど。人違いって可能性は?」
    「無い!何度も確認したんだ。あの家で間違いない」
    「……そう」
    「なあ、何か事情があるなら教えてくれ。あの女中は頑なに話してくれなかったが、君なら分かってくれる筈だ」
     迷いの無い目で真っ直ぐに見てくる。その目の強さに。
     おれは、怖気付いてしまった。

     だって、知らなかった。
     十年だ。
     十年一度も会っていない相手を。人はこんなにも長く、強く思う事ができるのか。

     これ程強い思いをぶつけてくる相手に真実を告白する度胸など、この小心者にあるはずもない。それに、今更本当の事を言ったとして、コイツは受け入れられるだろうか?
     答えは、否だ。
     覚悟を決めたおれは生唾を飲み込み、漸く告げた。
    「ウチの家族に…女は母しか居ない」
    「っ」
    「って、事になってる」
     息を呑む様子に慌てて付け加える。相手は顰めた顔から絞り出すような声で問うてきた。
    「……どういう、事だ?」
    「実は……あ、姉が…」
     さあ。ここから語り始めたおれの架空の「姉」像は、そりゃあ酷いものだった。どうにかコイツに諦めてもらおうと、思いつく限りの悪条件を付けられるだけくっ付けた。

     五年前に不幸な事故に会い、以前の記憶を失っている事
     知能の成長も止まっており、他人とはまともに会話が出来ない、無理に会わせれば取り乱す事
     家族は不肖の娘がいる事を世間的に隠しており、今やほとんど外にも出していない事。

    「はっきり言おう。姉は、お前の事を覚えていないよ。そもそも田舎に行っていた事を丸ごと忘れてしまってるんだ。家族以外の男を見ると怖がって大騒ぎになるし、会ったところでお前も余計に辛いだけだろう。だから、姉の事はどうか…忘れてほしい」
     後ろめたさから顔がまともに見られなかった。だからコイツがその時どんな表情をしていたのかは知らない。ただ、うららかな春の陽気に似合わない、重苦しい沈黙だけが2人の間に落ちていた。
     やがて。
    「……そうか。分かった」
     存外静かに落とされたその言葉にチクリと胸を刺されつつも、密かに安堵の息を吐いた。
     のも束の間。
    「分かったぞ。つまりこれこそがオレの使命、運命、オレたちの新たなる愛の試練!」
    「っはあ?!」
    「君、一松くんと言ったか?今まで大変だったな。もう大丈夫だ。お姉さんの事は安心してオレに任せてくれ。オレのこの海よりも広く深い真実の愛で、彼女の魂を取り戻して見せよう!」
    「いや、え?何言って」
    「その為にもまずはひと目会わせてくれ!いや、まずはご両親に話を通してからだな!」
     制止も聞かず捲し立てる暴走野郎の、最後の一言に血の気が引いた。こっちも必死だ、渾身の大声で引き止める。
    「ちょ、待てって!そんな、無理に決まってる!」
    「何故だ?」
    「なぜって…当たり前だ!そもそも、学校で話を聞いたおれだって半信半疑なんだ。お前がどんな奴かも分からないのに、そんなの、親が認める訳ないだろう!」
    「そうか…」
    「そう、だからもう諦めて…」
    「つまりは将を射んとすれば、まずは君からだな!」
    「っへ?」
    「まずは君に、オレの話が真実か、そしてオレの人柄が彼女に相応しいかを見極めてもらおう!君に認められたらご両親へ挨拶だ!」
    「は?」
    「そういう訳で、これからよろしくな!一松くん!」
    「いや、え?」
    「あ、ちなみに今は隣の多比地家に下宿しているから、学校だけでなく外でも毎日会えるぞ」
    「はぁあああ?!」

     と。

     これまた何がどうなったのか。その日からおれは、毎日コイツに絡まれる事となったのだ。
     家が隣なせいで毎日毎朝顔を合わせる。家の事や「姉」の事はもちろんだが、取り入る為なのかおれの思想好みまで聞いてくる。あまり隠せば真を疑われる、かと言って喋り過ぎてはボロが出る。尻尾を掴まれない様、且つコイツが諦める様、慎重に大胆に嘘を積み重ねて疲弊しきったおれはある日、ついにやってしまった。これが最後の誤ちである。
     母が若い頃使っていたらしい鬘を引っ張り出し、同じく昔の服を拝借して、そう、姉を演じる事にしたのだ。
     実際にその目で見れば分かるだろうと思った。流石に会わせる訳には行かないが、垣根越しにひと目でも見せれば上等。アイツが前を通る時を見計らって開け放した障子の奥に立ち、目が合った瞬間、渾身の恐怖と嫌悪の悲鳴を上げて、脱兎の如く逃げてみせた。(これに関しては家の者への弁解にとにかく苦労したが、友達を揶揄ってるとか何とか苦しい言い訳をした。何かを察したらしいおそ松兄さんがニヤニヤしながら加担してくれた。有難くも苦々しい思い出である。)
     ところが。そこまでの事をしたにも関わらず、翌朝会ったソイツはいつも通り、むしろ嬉しそうに告げてきたのだ。
     愛しの君を初めてこの目で見る事ができた。しかも目が合った。ついに一歩近づいたのだと。

     眩暈がした。

     彼の曰いし「真実の愛」とやらも、ここまで来ると恐ろしい。恋は盲目とは聞くが、これ程までに見えなくなるものだろうか?余計に火がついてしまったソイツは、また会えるかもなどと、これまで以上にウチの前に張り付く様になってしまった。悪化の一途。やる事全てが裏目に出る。何故だ。
     こうして、何とかお近づきになりたい奴と何とかして諦めて欲しいおれとの攻防は半年続き、今に至る。
     信憑性を持たせる為に、あれからも何度か女装をした。その度に、おれだったら一発で心が折れそうな反応を返しているのに一向に怯まない。さらに翌朝には上機嫌なソイツから仔細を聞かされる。昨日の着物は一段と綺麗だったとか、そこの店の髪飾りがよく似合いそうだとか。これがキツい。
     少しは察していただけるだろうか。二度と思い出したくない汚点でしかない女装という醜態の、客観的評価を鮮やかかつ細やかに聞かされるおれの心情。少し窶れた様に見えたが大丈夫だろうか?と聞かれた日には、危うく「お前のせいだよ!」と怒鳴りそうになった。

     これこそこの世の地獄かと。思う程に、おれは日々憔悴していった。精神の余裕は無くなり、昔以上に笑顔は消えた。後ろめたさから背筋は丸まり視線は落ち、そして何より、言動が荒くなった。自ら蒔いた種とはいえ、悉く目論みの逆を行くコイツに、言い様の無い苛立ちが募る。彼が「姉」を讃えるほどに、自嘲と皮肉の混じった歪んだ笑みが溢れる、或いは襟首を掴んで恫喝したくなる。お前は阿呆か、その目は節穴か。お前の言う「真実の愛」とやらは、一体何を見ているのか。
     お前が十年恋焦がれて求めてひと目見れたと歓喜に踊るその相手は。偽物だ。仮初だ。ただおれがその場凌ぎで作り出しただけの、張りぼてなんだ。
     その愚かさが。愚かなまでに真っ直ぐな思いが。真っ直ぐさのまま己に刺さる。その刃は時に呵責であり。時に羨望でもある。かけ離れた感情にじくじくと刺された良心が。あるいは矮小な利己心が。

     ついに限界を迎えたのは、あの火の花の咲いた日だった。



    「ああ、曼珠沙華が咲き始めたな」
     今日も一日付き纏われたまま、二人の影が伸びる帰り道。声に目を遣れば成る程、いつの間にか道端には、ぽつりと灯る火の様に赤い花。
    「約束したんだ。この花が咲く頃迎えに行くと。そうだ、この花を贈れば思い出すかもしれない!」
     相変わらず能天気な声が語る戯言に、こちらも変わらず皮肉な嘲笑がこぼれ落ちる。
    「へっ。そんな事で今更、思い出す訳がない」
    「やってみないと分からないだろう」
    「分かるよ。お前こそ、いい加減学習したら?何をしても無駄なんだよ」
    「そんな事はない。昨日はいつもより3秒は長く目があったんだ。信頼関係は確実に築かれている」
     そこまでならば、いつもの軽口応酬で済んだのだが。この日はどうにも、笑って流す事が出来なかった。
    「…くだらねぇ」
    「…なんだって?」
    「3秒が何だっていうんだ。何の意味もない。アイツはそんな知恵もない。何も考えちゃいないんだ」
     流石に眉を顰めた相手が諌めてくる。その静かな口調が、余計に癇に障って。
    「…実のお姉さんだろう。そんなに悪く言うもんじゃない」
    「っお前に何が分かる!アイツのせいでおれは、アイツが居なければ…っ」
     そこで漸く、我に返る。

     居なければ?

     居なければ、何だ。

     おれは今、何を言おうとした?

     そもそも馬鹿げた仮想だ。「アイツ」は、「姉」は、自分の虚言上にしか存在していない。その存在を望まないのなら、真実を晒せば良いだけだ。何故隠し続ける。今更言えないとか、後に引けないとか、子供じゃあるまいし。彼への罪悪感というのも、最早理由として怪しい。それ程の義理もないし、ここまで欺き続ければ、踊る彼も道化である。真実を話す方が善意だと、少し考えれば分かる事だ。
     こんなに疲弊してまで、こんな事態になってまで、何故、騙し続けているのか。
     そうまでして、隠したい事とは?
     何を、恐れているのか
     例えばそれで
     何か
     失う事が

     おれは



     その答えを悟った瞬間。



    「っあ、おい!」

     おれは走り出していた。



     どこに行きたかった訳じゃない、ただ顔が向けられなかった。どこまでも真っ直ぐな相手に対し、自分の捻れた内心の醜さが、耐えられなかった。相手の視界から消えたい、その一心で駆け出したものの、当然追いかけてくる。程なく追いつかれ、体力の差を思い知らされる。
    「っどうしたんだ、急に」
     手を掴まれ捕えられたのは、いつぞやの空き地の前。春には新芽を覗かせていた柿の木も今は朱い実と葉をぶら提げて、足元の叢も枯れ色に染まる中。赤い花がぽつり、ぽつりと燃えている。
     目頭が、捕まれた手が、熱い。真っ赤な花が。真っ直ぐな目が。何より、自らの胎の内に燻る火が。何重にも覆い隠していた殻を焼き焦がし、本情が露わになる。

     逃げられない。逸らせない。もう隠せない。

    「…無駄だ。全部無駄なんだよ。お前のやった事は。ひとつも届いていない。姉なんか居ない。十年の誠実も。半年積み重ねた親愛も全部。何も育っちゃいない。実りはしない。全部、全部おれが喰ってやった。おれの中で、腐っただけだ。」
     吐露の苦しみに滲む涙と、同じくらい、吊り上がる口端を抑えられない。
     じくじくと。燃え盛る。
     胸の内を灼く炎は断罪と、その上に勝る。

     愉悦。



     ずっと

     欲しかった

     どんな手を使っても

     その真っ直ぐな目、真っ直ぐな想い

     一度でも己に向けられたそれを

     今更手離せるものか

     今更他人へ寄越すなど

     許すものか。



     ああ。



     己の中にこんなにも、醜い化け物が居た。

     何よりも罪に問われるべきは、此奴に長年気づけなかった事。愚かなのは己だ。この愚かさで、この欲でどれだけ長く、こいつの純心を踏み躙り続けただろう。今更これを償う術など。

    「…どういう…意味だ…?」
     呆けた様な声が遠く聞こえる。
     崩れ落ちる様に膝をつき触れた指先に。赤い花。約束の花。そうだ、コイツを己から切り離すにはきっとこの花が相応しい。

     鮮やかな緑の茎を掴み、一気に引き抜く。地中の細かい根がブツブツと千切れる感触が手指に伝わる。現れた真っ白な根は、まるでコイツの心の様じゃないか。この期に及んでそんな連想をする己に最後の自嘲をこぼし、大きく開いた口で

    「っおい!」

     口中に土の香りと青臭い苦味と、痺れる熱が広がる。
     舌が、喉が焼ける。
     痛みに、熱に、安堵する。
     この花が、この火がきっと、燃やしてくれる。

    「やめろ!吐き出せ!」
     背中を強かに叩かれて、口中に残っていた欠片を吐き出す。「何をする!」叫ぼうとした口が、塞がれた。
     ?!
     強く吸われて、相手の口が塞いでいるのだと知り、慌てて突き飛ばす。
    「馬鹿!お前も死ぬぞ!」
    「構わない!」
    「?!」
    「お前が!っ…死んだら、オレも生きている意味がない」
    「な…何を」
    「なあ、頼む。簡単に死ぬとか言わないでくれ。あの時約束したじゃないか。どんな事があっても、誰も側に居なくなっても、オレがいる。オレが守るから、だから」

     生きて。

     その言葉が、記憶と重なる。



     この火の花がさくころ、かならずむかえに行く。

     だからそれまで、生きて。



    「…あ」



     思い出した。



     あの時も、おれは、同じ事をしたんだ。

     新しい生活に漸く慣れた頃。何よりコイツと会うのが楽しみとなった頃になって、実家に再び帰ると知らされ、おれは絶望した。全く幼稚な、正に子供の短絡的な発想だったが、悉く己の希望と逆に進む世界に、味方はいないと思った。己の望みは全て叶わないのだと。
     そうしてヤケになったおれは、何処かで聞き齧った知識を生かし、自死を図った。ただその時は、今思えば構って欲しい子供の我儘、狂言でしかない。コイツの目の前で花を手折り突きつけて。どうせ自分は誰からも望まれてはいない。そんな世の中なら生きていく意味がない。この毒で死んでやるのだと。喚き散らした。
     その直後。両頬に鋭い衝撃と、熱。両手で張られたのだと気づいた時には、真正面に向かい合った口から、常にない鋭い声が告げてきた。
    「簡単に死ぬとか言うな」
    「っ」
     喉が、詰まる。頬がじんじんと熱かった。赤い花を持つ手が、強く握られる。その手が、赤い花が、涙で滲む。だがそれは痛みからだけでは無い。花を持つ手も、その手を握る手も、続いた言葉も、震えていた。

    「ボクは、君が死んだらいやだ。そんな事、言わないで。ボクがいるから、ボクには、君が要るから。今別れても、必ず、会いに行く。この火の花が咲く頃、必ず迎えに行く。今は無理でも、大きくなったら、今より強くなったら、ボクが守るから。だからそれまで、生きていて」

     あの日の目が。
     綺麗で。
     夕陽を返し真っ直ぐに燃える目が。
     嬉しくて。

     欲しくて堪らなくなってしまった。

     それを向けられた「彼女」が羨ましくて、妬ましくて。
     おれは、どうにかしてそれが手に入らないかと。
     そればかりを考えていたのだ。
     アイツへの気遣いなど端から無かった。ただ己の欲の為、欺いて誤魔化して謀って、騙して騙して騙して。文字通り形振り構わず姿形すら偽って、それでも結局満たされず。自身に嫉妬するなど愚劣を極めた挙句の果てに、最悪の形で巻き込んでしまった。

     喉が。燃える様に熱い。今の震えは、涙は、毒のせいだろうか。ぼたりぼたりと落ちる涙を拭う事もできず、ただ震える手で相手の肩を掴み
    「…ちがう。おれは、こんな、つもりじゃ…」
    「分かってる。大丈夫だ。ひとりにはしない」
    「ちが、お前は……おれなんか、の為に、死んじゃ…」
     言葉半ばでまた口を塞がれる。触れた唇が、舌が熱くて、甘く痺れて。つき離そうと肩を掴んだはずの両手は、縋り付くように力を失い。

     ああ。

     或いはこのまま。

     終われば終に手に入るのかと。












    「死なないダスよ」

    「「へ?」」



     あれから。

     ギリギリで我に返って、ほとんど口にしてないコイツなら助かるのではと一縷の希みに賭けて飛び込んだ掛かりつけの医院で。主治医にあっさりと言われ、呆ける男二人がいた。そんな阿呆面にも親切丁寧に解説を続ける医師。
    「曼珠沙華の根は確かに有毒ダスが…子供ならともかく、いい歳した健康男子はよっぽど大量に摂取しない限り死ぬ事はないダス」
     冷静に無情に告げられる事実に、思わず顔を見合わせ、すぐにおれは目を逸らす。いや、だって。気まずい事この上無い。
     しかしそんな気まずさも余裕があるからこそ。医師の続くひと言で吹き飛んだ。
    「勿論、全く無害な訳もないダスよ。そうダスな…大体30分くらいで激しい腹痛と嘔吐が」
    「「?!」」
     言われたとほぼ同時、二人の腹が盛大な音を立て。かくして一つと半刻ほど、医院中に二人分の悲痛な呻き声が響き渡った。



     上から下から毒を出し切って、医師からは水分補給と診察を受け、入院も不要と診断されれば帰るしかない。ぐったり疲弊しきった状態でも自らの足で帰途につけるのだから、全く憎らしい程頑丈な体に育ったものだ。
     ふらつきながらも二人並んで歩く道すがら、先に口火を切ったのはやはり向こうからだった。

    「すまなかった」
    「…なんで、お前が謝るの」
    「だって、死にたいと思うほど追い詰められていたんだろう。オレのせいで」
    「いや別に、お前のせい、という訳でも…」
    「じゃあ、なぜだ?」
    「それは…」
     口籠もり、冷や汗が一筋、こめかみを伝う。
     先ほどは、死ぬ気でいたから話せたのだ。今更、言えない。というか、今のこの状況で言える位なら、疾うに言っている。
     今更。どう説明すれば良いのだ。お前が追っていた相手は全てまやかしで、おれが化けていたなどと。騙すにしても十年越しだ。洒落や冗談では済まされない。何故そんな事をと問われれば、何と答えれば良い?
     十年前の、あの日のお前に懸想して、女でない事に失望されるのが恐ろしくて黙ってましたなど。
     言えない。到底言える訳が無い。

     どうにかして逃げられないかと性懲りも無く頭を捻って考えて。ふと、思い出す。先ほどは必死で気づかなかったが、コイツの言動もおかしくなかったか?どうにでも誤魔化したいおれは、質問に答えないまま尋ね返す。
    「お前こそ…何故あんな事したんだ?」
    「あんな事とは?」
    「おれを救う為に命を賭けるなんて…お人好しにも程がある。それとも錯乱したのか?ね、姉さんと間違えた、とか」
    「間違えてないぞ」
    「え」
     結局どもり気味で不明瞭となったおれの発言と対照的に、キッパリと告げられた答えに思わず見返せば。

    「間違えてない。オレが生きて欲しいのは、一松、お前だ」

     言葉と同じく真っ直ぐな目が。
     あの時と同じく、夕陽を返して赤く燃える。

     あの日と違うのは、その目がすぐに下へ逸らされた事。そして
    「…すまない。本当は、知ってたんだ。お姉さんなど居ない事も、子供の頃約束した相手が、一松だって事も」
    「……いつから?」
    「上京する前から。お前が世話になってた家を訪ねた時に聞いた」
    「ああ…」
     言われてみれば、そりゃそうだ。別に隠してた訳でもない。でも。
    「でも、じゃあ何で黙ってたんだ?騙されたふりして、こんな茶番を半年も…いや、そうだな。半年も、道化をて演じたのはおれの方だ。面白かったか?」
    「っ違う!オレはただ…っ」
     そこで珍しく口籠る。
    「いいよ。騙したのはおれの方だ。お前を責める気は無い」
    「だから違うんだ!決して揶揄う意図があったんじゃない。ただ…諦められなかっただけだ」
    「…どういう事?」
    「お前に失望できていれば、上京してまで追いかけなかったさ。男と聞かされても、思いは変わらなかった。だから必死に勉強して、進学が決まった時は嬉しくて。…でも、初めて会ったお前は覚えていない素振りだし、家を訪ねれば今度は姉の話を偽って…その様子を見て、漸く気づいたんだ。
     オレは本気で会いたかったけど、お前は、そうじゃなかったんだと」
    「え…」
    「考えてみれば当然だ。あんな子供の口約束で、十年かけて追ってくるなんて思わないよな。でも、そこまで気づいても、諦められなかった。むしろオレ自身を拒絶せず、傷つけずに諦めさせようとする優しさに、ますます惹かれてしまった。余計に離れ難くなって、咄嗟にお前の嘘に乗っかったんだ。居もしないお姉さんの為と偽ってでも、お前との接点を失いたくなかった」
    「そんな…」
    「騙すというならオレだって騙したし、道化というのも同じだ。ただの学友でも何でも良かった。お前と毎日顔を合わせて、他愛もない話をするだけで楽しくて…でも、それでお前をあそこまで追い詰めていたなんてな」
    「いや、だからそれは…」
    「すまなかった。お前を守りたかったのに、それがお前の重荷になっては意味がない。お前が生きていなければオレは。
     頼む。もう死ぬなんて言わないでくれ。お前が望まないのなら…オレは、諦めるから」
    「っ駄目だ!」
    「えっ」
     再び伏せられた目を引き留める様に、咄嗟に袖を掴んでいた。ぱっと話した手を振りながら
    「あ、いや、違う、いやだから、違うんだ。おれは別に、お前が嫌であんな事した訳じゃない」
    「じゃあ、なんだ」
    「そ、れは…」
    「言えないんだろう。お前がその優しさで口にできないのは分かってる。だから…」
    「違うって!おれは全く優しくもないし、むしろお前に嫌われたくないだけで…っあ」
    「え?」
     反射的に口を塞ぐ。でも、そんなこちらの様子を見る目が、また悲しく伏せられてしまうから、
    「そんな風に言われると、いよいよ諦められなくなってしまう」
     おれは結局、言うしか無いのだ。
    「だから!……あ、諦めなくて、いいから」
    「……本当に?」
    「お、おれは…おれが今まで誤魔化してたのは…相手がおれだって知られて、失望されるのが、怖かったからだよ」

     お前を諦められなかったのは、おれの方だ。

     固い口から漸く本心を絞り出せたと思った途端、視界が塞がる。頬に触れる、肩を締める暖かさに、抱きしめられたのだと知る。
     耳に触れるほどの近くで、声が震える。
    「…良かった。ありがとう」
    「…礼を言うのならおれの方だろう。お前が追って来なければ、おれは何もできなかった」
    「それでも、十年待っててくれたんだ。こんな…ああ、こんな幸せな事があるだろうか」
    「…そうだね」

     そうだ。学校で十年ぶりに会ったあの日。
     まさかと思った。
     こんなにも、自分に都合の良い事が起こる筈無いと、怖くなったのだ。
     それでも。
     目は逸らせなかった。
     突き放しながら、離せなかった。
     こんな面倒臭い奴を、それでも、諦めないでくれた。

    「ありがとう」
     今度の声は自然に出た。届いた相手の腕が緩み、間近で目を合わせる。その貌が安堵に溶ける。

    「ああ、漸く言える。一松、愛しているよ。」

     夕陽に一面赤く染まる、あの日と同じ景色の中。真っ直ぐな目が、火を灯したように尚赤い。その目の中に映るのは、同じ赤に燃える自分だ。あの日と同じ真っ直ぐな声を、今度こそ、自分のものとして。真っ直ぐに、受け止める。



    「結婚しよう」






    「いやそれは無理だろ」
    「なんで?!」
    「なんで?!なんで分からないの?!おれもお前も男だろ!結婚は無理!」
    「そんな、酷い!じゃあお前はどういうつもりで?!」
    「どうってそんな、先の事まで考えてねぇよ!ただ…」
    「ただ?」
    「た、ただおれは…毎日顔見て、面白おかしくお前と過ごせたらいいなあ、って、それだけで」
    「それはもう結婚だろう!」
    「えええ?!」
    「今の言葉なんて完全にプロポーズじゃないか!」
    「いや、ちが」

     …などと人目も憚らぬ大声でやり合ったのが。医者を巻き込んだ騒動とも相まって近所中に知れ渡り。ある事無い事飛び交う噂の、その火消しに奔走する羽目になるのだが。この時にはそんな事も全く思い至らなかったのだ。

     その時のオレの目にはただお前と。
     夕陽が染める道端の、行先を灯すかの様な火の花が。
     ぽつり、ぽつりと。







    〈おまけ〉

     てかさ、普通毒を飲んだやつには指突っ込んで吐かせるものじゃないか?何でく、くちっ…ゴホン!…あんな、方法……

     そりゃお前、もう助からないと思ったから。それなら最期に一回くらい、いいかなって。

     あんな今際の際にそんなセコいこと…

     セコいって言うな!オレには一大事だ!お前と口づけの一つもできないままなんて、死んでも死にきれん!

     え、急に欲望が駄々漏れ、怖。死んでも未練で化けて出そう。お前それ絶対諦められない奴じゃん。

     そうだな。言うだけは言ったけど、多分諦められなかったと思う。

     …………何それ。(満更でも無い顔)



    終わり!
    長々とお付き合い頂きありがとうございました!
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    Replies from the creator

    akiajisigh

    PROGRESSこちら、鋭意製作中に付き途中まで。
    ひょんなことから知った『温め鳥』というワードに滾って勢いで書き始めた、
    鷹次男と雀四男の話

    *今後の展開で死ネタが入ります。
    *作者が強火のハピエン厨なのでご都合無理やりトンデモ展開でハピエンに持ち込みます
    いずれにしろまだ冒頭…完成時期も未定。
    それでも良ければご覧くださいm(_ _)m

    17:00追記。やっと温め鳥スタイルに漕ぎ着けた。
    温め鳥と諦め雀もう駄目だ。

    自分では来た事もない高い空の上。耳元には凍えるほど冷たい風がびゅうびゅうと吹きつける。所々の羽が逆立って気持ち悪いが、それを嘴で直す事もできない。何故ならおれは今、自分の脚より太い枝のような物で体中をがんじがらめにされている。背中に三本と腹側に一本、絡みついたそれに抑えつけられ、右の翼が変な形で伸びている。もう一本に挟まれた尾羽が抜けそうで尻もピリピリ痛む。さらに首を右側から一本、左から一本ガッチリ挟まれて身動きを完全に封じられ、最後の一本は茶色い頭にかかっている、その『枝』の先についた鋭利な爪が目の端にキラリと光り、思わず生唾を飲み込んだ。飲み込んだだけ、他は全く動けない。抵抗などできるはずもない。早々に諦めて斜めに傾いだ首のまま、見た事もないほど小さな景色が右から左に流れていくのを見送りながら、頭の中では自分のこれまでを見送り始めた。
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