星呑み小話10「……気になってたんだけど」
何時ものように大人しく座っている伊呂波がそう呟いた。
『はい』
鯨湦が短く返事をする。その手はゆっくりと確かめるように伊呂波の髪を櫛で梳いている。
ある日急に項が見えるほどに切った伊呂波の髪は、年月と鯨湦のまめな手入れの結果、女のように長くなっていた。それを毎朝鯨湦が梳り、結んで飾り付けるのが二人の日課となっている。
男の髪を手入れして飾り付けるなんて、道楽にしても趣味が悪くないか、と伊呂波は思うのだが、こうしている時の鯨湦は顔が見えずとも随分楽しそうなのが伝わるので、されるがままになっている。それに、こうして朝を二人で迎えるのも久しぶりだ。
「その……こうすると、似てるの?」
『……はい?』
鯨湦の手が止まる。
伊呂波は口にしたことを後悔したが、もう取り返しはつかない。ここでなんでもない、と誤魔化されてくれる相手ではない。
「いや、その……。……だって、鯨湦は、最初に見たのは、前世?前の?俺、で」
『……』
鯨湦は何も言わない。その沈黙が重みとなって伊呂波の肩にのしかかる。
「ごめん、変なこと言った……」
鯨湦はまだ手を止めたまま、何も言わない。怒るだろうか、悲しむだろうか、呆れるだろうか。
そう思って伊呂波の胃が重くなってきたあたりで、鯨湦の手が髪から離れた。振り返るべきか迷う伊呂波は、その前に気がついた。
「鯨湦!」
振り返る。鯨湦の顔はそれでも見えない。何故か、簡単だ。俯いているからだ。その肩は少し震えている――笑っているのだ。声が漏れないように必死に口を押さえている――人の姿だが人のように声を出さないのに意味があるのだろうか――ようだが、一目瞭然である。
『その……すみません』
「怒るかなんかされるかな、と思ったからそれよりはいいんだけど……なんで笑うんだよ」
『いえ、貴方もそのようなことを言うのだなと』
「……?」
鯨湦が顔を上げる。手も離したそれは、何故か上機嫌そうだ。
『ふふ、……言っておきますけれど、以前の貴方は男性ですよ』
「え」
『それに、髪も長くなかった。貴方のように漁に出たり、潜ったりしてましたからね、髪なんて伸ばしてたら邪魔だったでしょう』
「……」
そろ、と伊呂波が目を逸らす。視線の先にはまだ畳まれてない布団がある。
『駄目ですよ』
鯨湦が伊呂波の肩を掴む。
「……」
『伊呂波』
「……。や、なんか、俺、馬鹿みたいじゃん」
『そんなことは無いですよ?』
「笑ったし」
『それは、貴方が可愛らしい事を仰るので』
「え、ええ……」
やはり鯨湦のことは分からない、と伊呂波は思う。
『さ、続きをしましょう。今日はどうしましょうね』
きっと一人で解けないようにされるのだろうと伊呂波は思った。夜まで布団に籠城出来ないように。