星呑み小話12『落ち着きがねえなァ』
けたけたとした笑い声を、一重は無視した。今はそんな何時ものことに構っている場合ではない。小さな村で、ひっそりと暮らしていただけでは見ないものばかりなのだから。
――今、一重は石動と共に、ある屋敷を目指していた。一重の奉公先となるそれは、叔父の汽一と共に暮す村からは一国程離れており、幼い一重には初めての長旅となる。その付添を頼まれたのが石動だった。彼はそもそも国を越えて荷物を運ぶことを生業としていたので、適役だろうという判断である。勿論それ以外にも理由はあるのだが、一重は知らされていない。
「色々見せてやりたんだが、先ず会わないといけない奴がいるんだ」
宿場町に並ぶ店々へ興味津々の一重に石動が言う。
「お前の奉公先の、宇界様の知り合いなのは、俺じゃなくてそいつでな。……目立つ奴だから、すぐ分かるとは思うんだが」
思ったより人が多いからどうだろうか、と石動がこぼす。石動自身も随分と目立つ背格好をしているが、同じような感じなのだろうかと一重は思う。でもそれならば人で見えなくなるようなことは無い筈だけれども、とも。
「どんな人?」
「そうだな……まあ、別嬪ではある」
歯切れの悪い物言いに、一重は首をひねる。すぐ分かるさ、と石動は返した。
「……あれか?」
石動が歩みを止める。その目線の先を追うと、何やら人集りがあるようだ。手を引かれてその人集り――男ばかりだ――を抜けると、そこに居たのは確かに別嬪と言うに相応しい、まるで絵巻物から抜け出てきたようなものだった。石動とは正反対で、細く小さい。ただの茶屋の軒先に座っているだけだというのに、こうして人が集うのも頷ける。が、一重の背負う荷物の中に潜んでいる沽猩は『うへぇ』と心底嫌そうな声を上げた。
「お待ちしていました、石動。それと貴方が一重ですね」
「は、……はじめまして」
「ふふ、確かに聡明そうな顔ですね。これならあちらも文句はないでしょう」
「そういう話は後だ、晶。人を集めすぎだ」
「私も集めたくて集めたわけではないのですが。宿は取ってますから、そちらにしましょうか」
立ち上がり先を行く晶に二人が続く。すれ違う人々の殆どが晶の方に目をやるのが、一重にはなんだか面白かった。
此処ですよ、と宿に入っていくのに続く。あまり人の気配のないそれは、人でないものを連れた一行には丁度よいものであった。
『やっと身体を伸ばせるぜ』
部屋に入るやいなや荷物から飛び出した蛇が猿の形を取って身体を投げ出す。宿場町の直前までは文句を言いつつも馬として一重を乗せていたのだから、それなりに疲れているのだろう。
見慣れてしまったその变化と声であるが、今は晶がいるのだったと一重は身を固くする。が、恐る恐る見上げた晶は微笑み返してきただけだった。
『一重ェ、ソイツは別に俺らみたいなのでビビるようなタマじゃないぜ』
「それは……そうかも……」
そもそも、石動の知り合いということは、同時に伊呂波や焼火とも知り合いだろうと想像がつく。全員只人ではない面々だ。
『寧ろ、あのクソ神主くらいにゃ碌でもないなァ』
「……」
沽猩の明らかに煽るような物言いにも、晶は表情を崩さない。美しいが、見つめていると薄気味悪くなってくるような顔だ。
「晶、頼んだものは?」
沽猩の横に腰を下ろした石動が問いかける。それに頷いた晶は、一つの包みを一重の方へと差し出した。
「叔父様から頼まれたものです」
促され包みを開けると、真新しい漆塗りの箱が現れる。硯箱だ。
「学びに行くんだから、ちゃんとしたものを持たせたいと汽一さんに相談されてな……俺はそういうものには疎いから、晶に良いものを調達してもらったんだ」
「……」
新品の筆を手に取る。まだ別れて間もない叔父の顔を思い出す。一瞬帰りたいと思ったが、それを振り払う。これを使い込むまで、きっと帰らない方がいい。
「二人とも、ありがとう」
「どういたしまして。……そうそう、こちらも頼まれたものです」
更に晶が複数の手紙を取り出す。一つ手にとって開いてみると、差出人は知らぬ名前が書いてある。
「彼らに返事を出してあげてください。つまりは……それが叔父様から貴方への課題です」
「うん……?」
訳がわからない、といった顔をする一重と、勝手に中身を開いては「下手くそだなァ」などと笑う沽猩を眺めながら、石動は汽一とのやり取りを思い返す。
「儂はお前達のように、坊と共に生きてはやれん」
汽一は静かにそう言った。膝に乗っていた猫は、それを少し寂しげに見上げていた筈だ。
「沽猩は必ず、坊をお前さんたちのようにする。大人しくなってはいるが、あれが欲しがりの化け物なのは変わっちゃいねぇからな。儂には決して教えてやれんことを、お前さんらに頼みたい」
石動も、随分長く生きてきた。真っ当に人間だった頃から知っている者は、もう旋葎と晶しかいない。それは当たり前であり、仕方のないことだ。人間はばけものと違って、数十年しか生きられない。
……それを、今ほど短いと思ったことはなかった。
「――石動」
どうも呆けていたらしい。晶が肩を揺すっていた。
「あ、ああ。どうした」
「……お疲れのようですね。一重と食べ物を調達してきます。きっと他にも色々と見て回るでしょうから……貴方は休んでいてください」
『あの程度でへばってんのかァ』
けたけた笑う沽猩は、一重の腕の中で子猫に姿を変える。二人を適当に見送って、石動は目を閉じた。
闇の中には、己の半身がいる。
『それが感傷、というやつか?』
瑆犢が鼻で笑う。
「だな。……全く、お前と長くて忘れていた」
『別に忘れてても良いだろう。お前と真に共にあるのはオレだけだ』
傲慢な、けれど正しいそれに、石動は少しだけ心が軽くなったのを感じた。
汽一が求める教えとは、きっとこのようなもののことだろう。