星呑み小話15かん、かん、と鏨の音が響く。風にそよぐ草木は無く、空を渡る鳥もおらず、空間の主と伴侶以外に音を立てるもののいない此処では、実際より随分と大きく聞こえた。
「……丹星殿、少し休まれては」
延々と鏨を振るう丹星に、焼火が声をかける。
『なに、まだまだよ』
「しかし……畏と虞に尋ねたら、朝から一切休憩をしていないと」
畏、虞とは丹星がその手で鍛え作った二丁の銃だ。元々は剣と鉾であったらしいが、銃が気に入った為作り直し今に至っている。神の作ったものが只の武器である筈もなく、形を変え喋ることも出来る、あやかしのようなものだ。
『俺がそれくらいでどうこうなるものではないと、知っているだろう?』
「それは勿論。しかし一体、何を作っておられるので?」
人の背丈程の岩はまだ、他者の目に分かるほど削られてはいない。丹星がやろうと思えば、鏨なぞで地道に削らずともある程度までは肉のように容易く切り取れる筈である。だが、丹星はそれをしない。神という時間の制約のないものだからこそのやり方だろう。
『俺なりの、願いの形だ』
「願い」
焼火が目を見開く。神が一体、何を誰に願うのだろう。丹星はそれを口にすること無く、また岩に向き直る。かん、かん、と音だけが響く。
「――■■殿は、一体何を作っておられるのだろう」
「お前さん、ここんとこ毎日そればっかりだな」
汽一が呆れる。もうすぐ行われる村の祭りの打ち合わせに来たのだが、焼火がこのように上の空で、何も進展がない。
「本人に聞きゃいいだろう」
「聞いた。だが、願いの形だとしか仰ってくれない」
「願い、なあ……」
汽一は先日の出来事を思い出す。神と呼ばれる存在が、一介の老人に意見を伺いに来た。嘘のような真の話だ。つまり今汽一の前で首を傾げている男は、鬼神の如き虐殺を行った大罪人ということになる。恐らく、村の誰もがそれを信じはしないだろう。あんなとぼけた、変な男が人なんか殺せるはずがないと笑い飛ばすだろう。だが、汽一だけは知っている。あの夜、空から落ちてきた焼火は化け物を殺す顔をしていた事を。鋭い爪を軽く受け止めて、楽しそうに笑った事を。
「……なあ、焼火よ」
「?」
私欲の為に人を焼いた大罪人。気狂い人間を辞めたばけもの。罰と痛みを求めて泣き叫ぶ哀れな生き物。
一体どれが本当の焼火なのだろう。汽一には分からない。
「お前さんにとって、あの神さんは何だ?」
「■■殿?」
「聞き返されても俺にゃ聞き取れねえよ。そんな変な音……なのかも分からんようなのは神さんしかいないのは分かるが」
「■■殿は……”焼火”の全てだ」
焼火が言う。迷いのない声だ。
「……ん?」
そうだろうな、と納得しかけた汽一がはたと気づく。あの神が言っていた。焼火の名は――。
「焼火、お前」
「うん?」
「……はあ。そりゃ神さんも人に頼りたくもならぁな」
訳が分からない、と焼火が瞬きをした。
「――それで結局、これは何なので?」
完成した、と寝間着のまま手を引かれて庭に立った焼火が尋ねた。
『言っただろう、願いの形だと』
「と、言われても……」
直線と曲線を組み合わせ、ずらし、捻ったような、例えるものすら浮かばない不思議な形の石柱だった。焼火の顔ほどの高さの位置には皿のように平たい部品がついている。
『まあ、あまり形は重要じゃない。一応、これでも灯籠でな』
「……?」
丹星がそれに火を点ける。けれど油どころか灯芯もない。だがまるで浮くようにしてそれは静かに燃えていた。
『焼火』
丹星が焼火の名を呼ぶ。直した時に、忘れた本来のものの代わりに与えた名を。
『俺は、益を作れぬ神だ。お前を狂わし、縋りつき、一時の安らぎすら与えられない。それでも……それでもだ、お前を救いたい。お前がそれを望んでいなくとも』
「丹星殿……?」
『この壊すしか、殺すしか出来ない腕の中でも、お前には安らかにしていて欲しい。焼火、俺は……俺は、お前が罪に泣き、罰を求めるのが、辛いのだ』
「俺、俺は、……知っている、だろう。俺は、罪人だ。変わらない、貴殿がどんなに俺を直そうとも」
焼火が自身の腕に爪を立てる。血が滲むが、手を離した時にはもう止まっていた。
「俺は、俺は!貴殿に”焼火”と呼んでもらう資格すらない!名前すら忘れ去る程に人を、ひとでないものを殺した!此処にいるのは名無しの罪人だ!……ああ、分かっている。けれど、貴殿を、独りに……したくないと……そぐわない望みを……」
焼火がへたり込む。血のこびりついた爪を涙が濡らしている。
「俺は、貴殿の望む……”焼火”にはなれなかった。焼火とも、罪人ともつかない半端者だ。貴殿を……俺は……」
『焼火』
丹星が膝をつき焼火の顔を覗き込む。
『俺は、俺の直した男に名前を与えたんじゃない。俺を独りにしたくないと泣いたお前に名を付けたのだ。……罪を忘れろとは言わない。だが、罪だけを見ないでくれ。……せめて、灯籠に火が灯っている間くらいは』
「あかほし、どの」
『そぐわない望みを抱いたのは、俺も同じだ。只壊し、壊さないのであれば眠っていれば良かったのに、お前を生かしたいと、共にいたいと望んでしまった。そんな手も持っていないのに』
焼火を抱きしめる。柔らかい、加減を誤れば即座に潰してしまうような、脆い、人間の身体だ。
『焼火』
「……俺は……”焼火”として、貴殿と共にあっても良い……?」
『ああ、そうでなくては俺が困る』
「そう……そうか……。ならば、俺は、永遠に貴殿と共に」
焼火が顔を上げる。濡れた瞳が丹星を見上げて微笑んだ。