ひみつをしりたい 玄関が開いた音に反応して、ユリウスは立ち上がった。夜半、暖炉の火を眺めながら待っていた家主の帰還である。玄関ホールまで迎えに出ると、片方のブーツを脱いだアルベールが意外だと目を丸くした。
「おかえりなさいませ、親友殿」
「ああ、ただいま、親友殿。もう遅いだろう」
「そうだね、巡視お疲れさま」
お菓子をねだって家々をめぐる子どもたちの列は途切れ、外は仮装した大人たちの時間になっていた。酔った勢いで魔物が活動している森に入り込んだり、酒場で争ったり、イベントごとにありがちなトラブルを未然に防ぐため、今夜アルベールをはじめとする騎士団の面々は巡視任務を割り当てられていた。
「食事は済んでいるのかい?」
「詰所で食べてきた。晩酌をしているなら付き合うが」
「付き合ってほしいの間違いなら聞き入れるけどね」
「訂正する。ユリウスと話がしたい。寒空の中仕事を終えた俺に慈悲をくれないか?」
「仰々しいよ。座りたまえ、グラスを持ってくる」
ユリウスに割り当てられたのはサントレザン城にほど近いエリアで、子どもたちにお菓子を配る役を兼ねていた。民が皆ユリウスの罪を許しているわけではない。人目に触れるのは避けたほうが良いのでは、と申告したものの、元気いっぱいな三姉妹の末っ子と共に送り出された。団で準備した小袋はあっという間になくなってしまって、早々にお役御免となったのだった。
薄曇りの中、見上げれば細い月が浮かんでいた。グローブを外したアルベールの指先は冷え切っている。
「ホットワインを準備しようか?」
「いや、構わない。乾杯だ、親友殿」
「お疲れさま、無事で何より」
「ああ、親友殿も」
つまみにとチーズを皿に盛って、ふたつの小袋と合わせてテーブルに置いた。騎士団で配っていたお菓子の包装を借りたものだ。アルベールの視線がグラスから移る。ユリウスは嫣然と微笑んだ。
「トリック、オア、トリートだよ、親友殿」
「……手作りか?」
「苦い顔をするねえ」
「過去の経験から得た純粋な疑問だ」
「どちらを選んでくれても良いよ。残りを私が食べるから」
赤いリボンをするすると解いて、アルベールはクッキーを口に含む。ユリウスは反対の小袋を開けて、同じように咀嚼した。ナッツの香ばしい匂いがする。
「何を入れたんだ?」
味はお気に召したのか、アルベールはチーズの横にクッキーを出して、次々に口に運んでいった。
毒を盛っていたら危険じゃないかと告げるかどうか逡巡して、ユリウスも袋の中身を口にする。アルベールはきっと、中は毒だと教えてもユリウスが用意したものなら食べてしまうだろう。一口も残さずに。
「秘密を、教えてもらおうと思って」
「秘密?」
「君は天雷剣が色々教えてくれるけれど、フェアじゃないだろう? だからちょっと、私も真似してみたくてね」
葡萄酒を傾ける手は止めず、アルベールは最後の一枚を噛んだ。暖炉の炎が揺れるだけの部屋に、かり、と音が響く。
「俺は、当たりを引いたのか? 親友殿」
「どうだろうね、どちらも当たりかもしれないし、はずれだったかもしれないよ?」
「お前、……どちらにも混ぜただろう」
「どうだろうねえ」
袋から最後の一枚を取り出して、ユリウスもすべてを食べきった。喉を通る葡萄酒は仄かに甘い。
「だから条件はフェアだよ。親友殿も、私に尋ねたいことがあれば聞くと良い」
「ふむ、考えておこう。先にユリウスの問いから聞こうか」
グラスに残っていた葡萄酒を飲み干して、新たにボトルからとくとくと注ぎ込む。水のように飲むものじゃないと言ったところで、アルベールには通らない。ユリウスだってわかっていて、気に入っている銘柄をアルベールとふたりのときに選んで開けている。
「最近、城下でやけに君を見かけるという噂があるんだ」
「……当たり前だろう。仕事もあるし、親友殿に頼まれて買い物だってしているぞ」
「そうだね。でも、西地区の、城下通りで。あのあたりは宝飾品の店舗が多いだろう? 麗しの騎士団長殿が真剣に相談をしていれば、たちまち噂になるものだよ」
噂になっている、とは言え、ユリウスはそれを耳にしたのは今しがたのことだ。一緒にいたのがメイムだったから話しかけやすかったのか、お祭り気分で陽気な雰囲気の中、アルベールの噂が漏れ聞こえてきた。お祝いはいつかしらねえ、なんて笑顔とともに。
「……その噂、聞かなかったことにしてくれ」
アルベールは夕暮れ前に見た民のにこやかさとは真逆の顔をしている。国を背負う頼もしい騎士団長も、ユリウスと食卓に並ぶときはただの愛おしい男だった。
「往生際が悪いよ、親友殿」
ユリウスがグラスを空にすれば葡萄酒が注がれる。ありがたく受け取ると、アルベールは小さく息を吐いた。
広場には耳を付けた仮装をしている子どもたちがたくさんいた。もしアルベールがそれを付けていたなら、へにゃんと折れ曲がっているに違いない。
「ちゃんと、準備ができてから言うつもりだったんだ」
正面に座ったアルベールはグラスを横に動かして、ユリウスの手を取った。アルベールの右手が真っ直ぐ伸びて、捕まえた手の甲を親指がなぞる。あんなに冷えていた指先は、いつもの体温に戻っていた。
「ユリウス、左手の薬指のサイズを教えてほしい」
アルベールのまっすぐな深紅の瞳は、夜を吸収して艶やかに光る。
ユリウスはアルベール爪を撫でた。かさついた、分厚い皮膚の感触がたまらなく愛おしくて、ユリウスは頷く。
手を離さぬまま、アルベールは葡萄酒を口にする。こくりと上下する喉仏が、捕食者の顔をすることを、ユリウスは知っている。力を込めているわけではないのに、離せない左手も。
「……なあユリウス、本当に、何か入っていたのか?」
「それはね、トリックオアトリートだよ、親友殿」
敵わないなと笑って見せて、アルベールはユリウスは手の甲に口づけた。