日々の変化は、突然嵐のように訪れる。
でもそれは、きっと自分の意思だと、僕は思う。
◆
この時間、この道、いつから気持ちが浮つくようになったか。
各部族の竜の定期診察。…まぁ簡単に言って一日がかりになるんだが。
ある日そこにいた。
美味そうに、幸せそうに、一人で。
葉の影と陽の光の間でゆれるあいつが、とても心を暖かくした。
それから少し、その時間にお邪魔して暖かさを分けてもらうことにした。…仕事中には贅沢な休憩時間だった。
俺はそれが好きだった。…好きだった。この関係が壊れてしまわないように、気をつけながら。
遠目から、紫色が木陰に見える。…心なしか足早になってしまう。こんなに疲れているのに。
でも、その日は違った。いつもと違う。木に寄りかかり項垂れている。いつもなら、こっちを向いて笑顔を向けてくれるのに。
「…オロルン?」
嫌な予感がして駆け寄る。反応しない。少し肩を揺らすと首が傾げて、口の端から赤色が滴っているのを見た。
息が止まりそうになる。
「オ…おい!!オロルン!!しっかりしろ何があった!?オロルン!!」
「キョウダイ!!キョウダイ!!」
ただ名前を呼ぶこと、揺することしか出来なくて。
頭が白い。何も考えられない。
ウソだろ、何で…
「…なんて、びっくりしたか?」
ケロリと発せられたその言葉が脳内で理解できるには時間がかかった。
「ちょっとやってみたかっ…!?」
それができる頃には、無意識に、無表情のまま泣いていた。
心臓がどうにかなりそうだ。沸騰するように。
「…イファ?」
肩に置かれた手が暖かくて、たまらなくて、
「っもう知らねぇ!!」
今はそれを受け付けられなくて叩き落とした。
◆
「それはアンタが悪いわ」
「ばぁちゃん…そんな事言わないで…」
イファに叩かれた手の甲がまだヒリヒリしてる。初めてのことで、驚いていたらあっという間にいなくなってしまった。
カクークがオロオロして僕を悲しそうに見たあとイファを追っていくのが見えた。
「もーチョベリバよ全く!!よく考えてみなさいよ。命を粗末に扱ったようなもんよ?そりゃ怒るわ…」
触らなくてもわかる。耳がへたっている。わかってる。僕が悪い。
「うぅ…どうしよう…謝る?」
「当たり前よ。…まぁ受け入れてもらえるかはイファ次第だけどね」
ばぁちゃんは心の底からため息を吐いて、窓から見える月を見上げる。
「…でも、アンタ達初めてじゃない?まぁこういうのも人生には必要よね」
ケンカ。…と言うよりイファを怒らせた。だいたいは僕の方が納得がいかなくてあとからイファが折れてくれることばかりだったから。
「誠心誠意謝りなさい。方法は自分で考えるのよ?」
「…わかってる」
小さくため息をついて、もうパサパサになった昼の残りを夜ご飯にして家に帰った。
◆
1日目、キャベツ
2日目、大根
3日目、ヴァレサにお願いして買ったフルーツ、とおすすめのキノコ焼き
4日目、ハニーセビチェ
5日目、…
「あれ」
ハニーセビチェの包がイファの家の前にそのまま置かれている。
今までは置いていた場所からなくなっていたからてっきり持ち帰ってくれていたのかと思っていたのだけど。
「オロルン?こんな早くに何してる」
「ムトタさん。イファの家に許しを請いに」
「…ん?…よくわからんがイファなら昨日から遠出したぞ。1週間は帰ってこないんじゃないか?なんだ知らないのか?」
思ったよりショックだ。今までどこかに行くときには教えてくれてたのに。
ムトタ族長に聞いたらスメールに行ったみたいだ。何故かはわからない。でも他の竜医に何かあった時のことをお願いしていたみたいだ。この次期は患者が少ないらしい。
多分あいつのことだから俺がくるより前に出ていっていたんだろう。じゃなきゃ食べ物を粗末にはしないと思う。
それから、畑の仕事に、ばぁちゃんにウォーベンの折り方を教えてもらったり、散策に行ったり。いわゆる『普通』の日々を過ごしたんだけど。
…こんなに会わないことはなくて。正直辛い。イファを見たい。「きょうだい」って呼んでほしい。
「いつ帰ってくるんだ…」
誰もいない夜空に呟く。
イファには負けるけど、カクークが好きなショコアトル水も作ってしまった。形の悪いちび竜ビスケットも。
これならせめてカクークはこっちについてくれるはずだ。
なんて考えながら、ベッドに潜る。
もし、もしこのままだったら。なんて。怖すぎる。間違ったのか。僕はただ…
「………っ!?」
耳が反応する。
かすかに、羽根が擦れる音。この音はクク竜特有のものだけれど、だけどもっと聞き慣れた、
「カクーク…?」
待ちきれずドアから外に出る。
「…だーい!!きょうだーい!!」
弾丸のように飛び込んできたのは間違いなく可愛いカクーク。
「カクーク!!君だけかい?大丈夫か?」
つぶらな瞳から溢れる涙の粒をすくいながら問う。
「イファ!!イファ!!」
視線をカクークから丘の上に移すと、暗闇の中、膝に手をついて息を切らすその姿。
「イファ…!!」
夜露が乗る草を駆ける。
「この…はぁ…遅いから、やめろって言ったのに…バカクーク…クソ…」
「おいおいマジかよきょうだい!」
久しぶりに見たイファは刺激が強い。つい、抱きつきたくなったがカクークがすでに胸の中にいたのでやめておいた。
「お前、なんて格好してんだ…」
息も絶え絶えでちらっと僕の方を見た。
「いや…寝ようとしてて…」
「そりゃそうか…はぁ…悪いな…」
「いや…悪いのは…」
謝らないと。ちゃんと、謝らないと。
「ごめん。イファ。許してほしい。」
地面に生える草と、裸足。靴を履くのを忘れていた。
だんだん息を整えられたイファが1つため息をついたのが聞こえる。
ぎゅう、と目と拳を握る。こんなに怖いと感じるのはいつぶりだろう。
2週間前のばあちゃんに怒られた時以来か。
「おい、顔上げろ。デコだせ」
「え」
「いいから、ほら」
おそるおそる、顔をあげて、自分で前髪をそっと上げる。
「おら、行くぞ」
「えっやだ。痛いから」
「拒否権なし!!」
バチン!!
「っーーーー!!」
声にならずおでこをおさえてその場にしゃがみ込む。
カクークはパタパタとオロオロと飛び回っている。
「…もうしないよな?」
「…うん」
「ん、じゃあ…許すよ」
その言葉にはっと顔を上げて、その優しい顔を見たら力が抜けて、へたり込んでしまった。お尻が冷たい。
「うぅ…こんなに怒らせるなんて僕は失格だ…」
「何にだよ。…まぁ、お前にもだけどよ…一番は自分になんだ」
「?どうして?イファは僕を心配してくれただろう?」
罰が悪そうに少し横を向いて頬をかく。言いたくないことみたいだ。
「…あの時、何も出来なかった自分が、許せなくて…」
ポツポツと、教えてくれるイファの声。優しい声だ。
「あれが竜ならすぐ脈確認したり診察したのに。ただ、名前呼んで揺らすしか…出来なかった。悔しくてよ…」
「でもそれは…」
立ち上がった僕の頭にカクークが乗った。
「お前を助けられないんじゃないかって…そんなの絶対に耐えられない…だから、」
スメールの、人間の医者の勉強をしに行ってきたんだと。
「付け焼き刃だけど…咄嗟には対応できるようになったはずだ…」
「……ありがとう」
「え、あ、おう…」
なんだか、凄く凄く、嬉しい。カクークを抱っこしていないのに胸の辺りが凄く暖かい。
「キスしていいか」
「っはぁ!?なんだよいきなり!?んなのしたこと無いだろ!!」
「いや、するべきだと思って」
「なっ…映影の見過ぎだろ…」
「ふふ…そうかも知れない」
一歩、一歩
「そ、そもそもそう言うのは男と女がするもんで…」
「ばあちゃんが持ってる本では男同士でもしてたよ。今の時代そう言うのは良くない」
「えぇ…わっちょ…」
イファの靴の先と、僕の爪先がくっつく
「本当に嫌ならしない。」
「っーーー…ズルいだろそれ。…断る、理由は…ねぇ、よ…待った待った!!」
「何。良いって言った」
両肩に手を置いたのに顔を隠される
「………カクークが見てる」
それはもう、僕の頭の上で。
「じゃ君がカクークの目を隠して」
「えぇ…ぅー」
隠れていた真っ赤な顔が出てきた。可愛い。
「…カクーク、動くなよ。」
「わかった!」
「こんな時ばっかり物わかりいいんだよクソ…」
イファが僕の頭の上に手を上げる。
カクークの目がちゃんと隠れたかなんて知らない。
「…ん」
少し、ひんやりしてる唇。温めてあげたくて
「ん、ちょ…ぅん」
イファの帽子がぽとりと落ちるのも構わない。
僕は、きっと、ずっと、こうしたかった。
「…は、…はぁ…」
顔が離れて、目をそらす。心臓がぎゅっと掴まれてるみたいだ。
「こっち見てイファ…見て。僕を」
「ちょ、オロルン待っ…」
また隠れそうになるから、その両手を掴んで。
「か…カクークがっ」
長めの2回目を終えてから思い出したかのようにイファが言った。
「みてない!」
「嘘つけ!!」
その微笑ましい2人をみて笑顔になってしまう。
「多分、好きだ。イファが。」
帽子を拾うのにしゃがんだ背中に。
「…多分、かよ」
少し、時が止まってから
今度はしっかり目を見てくれて。
「俺は、好きだぞ。オロルン」
「イファ…!!僕もだ!!」
「多分って言ったろ!!」
「こういう気持ちは知らないから仕方ないだろ!!ぶっ」
「ケンカだめ!なかなおり!」
二人の顔の間に翼をぶつけて抗議してきたカクークは
「あー…大丈夫だ。もう仲直りしてるよ…」
「なかなおり!なかなおり!」
明らかに何かを期待していて。
「…なぁイファ。これもしかしてキスイコール仲直りなんじゃないか?」
「ウソだろ…」
また、赤くなる顔を手のひらで隠すんだ。
「…僕は何回でも『仲直り』してもいいんだけど?」
「勘弁してくれ…ちょっ」
その手の甲に落とすキスに驚いて現れた唇にもう一度。
◆
僕はいつもの場所で、いつものように木陰に座って、自分で用意したお昼ご飯を食べ始めていた。
少し傾いた太陽の光がとてもキレイだ。
僕はこの場所が好きだ。いや、好きになったと言うべきか。
たまたまだった。きっとここが巡回ルートなんだろう。
なんとイファに会えるんだ。
特に約束もしていない時に会えるイファは普段よりも大人びていて、真面目な顔で、カッコいい。だからそれを遠目から見るのが好きだ。
…僕に気付くまでの話だが。
そうして普段通りのイファに戻ったら僕の隣に座って、僕のお昼ご飯を少し食べて、少しくだらない話をして、また仕事に戻っていく。
そんな、平和な時間が心地よくて大好きだ。
「ん」
そんな事を考えていたらトマトの汁が口からこぼれた。
そんな時に遠目にイファが見えた。
これは、あれをやれるチャンスじゃないか?
…と、この前一緒にみた映影のワンシーンを思い出していた。
この映影は、まだ好きあっていない同士の男女が大怪我を負った相手をとても大切な存在だと気付いて、最終的に助かって愛し合って終わる。そんなハッピーエンドの映影。
イファは、僕にどんな反応をしてくれるんだろう。
僕は、その反応を見てどう思うんだろう。
ハッピーエンドは、きっと作り出せるんだろう。だって、相手はイファだから。