『言い訳はナシで、アンタがどうなりたいかなのよ』
その言葉が今、頭に響いてる。
…次の日は散々だったことは覚えてる。
「イファ!イファ!」
「…え、あっ」
ポロリと落ちた包帯がコロコロと転がりまるでヘビのように。
「あちゃー…はぁ…」
「大丈夫か?きょうだい」
「半分お前のせいだぞー」
「ちがう!ひひゃう!」
カクークの頬を掴んで揺らす。
午前中の診療はこれで終わりだ。軽い火傷と、捻挫の患者のみで重症なし。正直助かったと思う半面こんな仕事に影響してしまっていることを問題視する。
往診も今日は花翼と迷煙だから近くて助かった…いやまて、下手すると鉢合わせする可能性が…別ルートで行くか…?
そんな事を考えていて、ふと気付くと指で自分の唇に触れていた。
一気にぶわっと熱くなって汗が噴き出る。
…昨日、してしまった。ついに。オロルンと。キスを。
「……っ」
頭を抱えてしゃがみ込む。まさかここまでのダメージを受けるとは思っても見なかった。ヤバい。気を引き締めないと。
パン!と両頬を叩いた音に驚いてカクークが飛び上がった。
◆
…そんな俺の気持ちなんて微塵も考えずに。
「あ、イファおはよう」
「あぁおはよう。ちょっと往診来たから離れててくれ」
「?なんでだ?イヤだ」
「頼むから…」
「む…」
出来るだけ目を合わせないようにしていたのが悪かった。
ちゅ、と頬に。
「外!!」
「なんでそんなに普通なんだ。僕はすごく君に会うのを楽しみにしていたのに。」
「仕事中だから!」
「それはごめん」
「…ーっ」
…そんな調子で、事あるごとに、出会えば常に、俺がどんなに避けても隙を見てキスをされるようになった。
確かに、俺も好きだと言った。あいつも好きだと言った。…それだけじゃダメなんだ。今のままじゃだめなんだ。それをあいつは理解してない。大問題だ。
「どうする…今俺が告白、した所であいつは何も分かってない…かと言って待つ?いつまでだ?」
すでにその先のことなんて何度も考えてしまっているのに。俺の腕の中で乱れるオロルンを
「ーっ…俺のバカやろう」
反応してしまったこいつを鎮めるために、数年前の事を思い出すことにした。
…あれは3人で呑んでいた時だ。
◆
「らによぉもぉオロルンったら寝ちゃったのー?」
「ジュースだって飲ましたからでしょ…」
「らってー酔ってるところみたいじゃないーアンタも呑みなさいよー」
「いや…急患きたら困るんで…」
すやすやと寝息を立てて、赤い頬で、俺の膝で。
無意識にその耳を撫でるとピクピクと動いて可愛かった。
「なぁにーそんな顔して。やだー」
どんな顔をしていたのかはわからないがハッとしてばあちゃんを見た。…とても愉しそうだ。俺は軽く咳払いをした。
「はぁ…オロルンったらいつになったらイイ人出来るのかしら」
「そりゃ、作ろうと思えばいつでも出来るだろ。…ただそういう意味も分かってないだろうが」
「そうなのよねー。いっそおネェさん系とお見合いでもさせようかしら」
「それはダメだ!」
自分でも驚くくらいの声が出た。
「ふふふー…どうして?」
「それ、は…」
「アンタアタシが何年行きてると思ってるの?気付いてないとでも思った?」
恥ずかしすぎる…
「はは、でも俺なんかがばあちゃんの目に適う訳ないだろ?」
「そうかしら?仕事もまじめで、優しくて、人の困りごとには手を出さずにいられない。オマケに顔もイイでショ?」
「ばあちゃんが重要なのはそういうことじゃないでしょ…」
ばあちゃんは素敵な笑みを浮かべている。酔ってんのかほんとに?
「大丈夫よ、キミなら。オロルンのコト、ちゃんと幸せにしてくれる。」
「…そりゃどーも」
そりゃ、そうなったら幸せにするさ。あの笑顔が絶えないように。…でもそんなことにはならないんだよ。
「でも、ほら、孫の顔見れなくなるぞ。オロルンの子供ならきっと可愛いし。こんな時代だし…」
「そんなの関係ないわよ」
「そんなことないでしょ…俺は、こいつの子供の成長を、オロルンと一緒に見るのが、楽しみで…」
その黒曜石のような髪に光を当てて遊んでいた手が止まる。
…わかってる。
「イファ、アンタほんとにニブいわね。…自分にも。大切にしなさいよ自分を」
「…うん」
俺の気持ちを優先した所で、誰が幸せになれる。真面目な話、戦争で命がいつ散るかも分からないこの世の中で、後世を残すことだって大切なことだ。竜たちだってそうだろう。
…じゃあ、俺はなんでそういうのを全部断ってんだって話。
「イファ、言い訳はナシで、アンタがどうなりたいかなのよ」
「……うん。」
その言葉はとても重かった。
「じゃ、アタシ帰るわ」
「えっこいつどうすんの?」
「アンタが持って帰りなさい。ヘンなことするんじゃないわよー」
今でものしかかってる。…戦争のなくなったこの国になってから、特に。
◆
「ばあちゃんにバレたらデコピンじゃすまねぇな」
ひとしきり思い出して心が落ち着いて一言。
俺がうだうだと考えている間に隣に来ていたカクークが、俺の帽子の中で眠ってしまっていた。
もしゃもしゃと撫でると幸せそうな顔をしている。
無意識に口角が上がる。
こいつも、オロルンがいなければ今頃は野生の一匹になっていた。
あいつには色々もらってばっかりだ。…俺は…
そっと椅子を後ろに下げて立ち上がり、キィと出来るだけ静かに外に出る。少しひんやりした夜風が気持ちいい。
何か考えるにはとても好きな時間だ。橋の上で、目の前に広がる月明かりのオシカ・ナタの風景と、左を見れば時折ぽっと明るくなる火山の炎。所々揺れる部族の松明。
あくびをしながら階段を降りた所で、その場所に人影があることに気がついた。
「…お、オロルン?」
体育座りでオシカ・ナタの方をじっと見ている。
引き返そうかどうか本気でその場で悩み、いやそれじゃ逃げてるだけだと思いとどまり、ふぅと一息ついて一歩踏み出した。
「よぉ、何してんだこんな時間にこんなとこで」
「…イファ」
「そこは俺の特等席なんだがなぁ。ん?」
隣に立ち、ロープに腰掛ける。
「ここにいれば君に会えるかと思って」
「いつまで待つつもりだよ…入ってくればいいだろ?」
どうせノックなんてしないくせに何を気にしてんだか。
「…折り行って相談がある。」
「んー?なんだよ…今度は雑草生えてこないようにしたいとかじゃねぇよな?」
この前はどうしたらミツムシが太り過ぎないかだった。
「雑草は風や動物が色々運んできたくれた種が芽を出したものだから大切な命だ。抜くときはごめんなさいって抜いてる。生えないようになんて自分勝手過ぎる」
「わ、悪かったよ…」
相変わらずこういうところはわからん…
ま、そんなところが面白くて。
「…んで?」
「…ばあちゃんに相談したんだ。イファの事を好きなのに、イファも僕を好きなのになんだか避けられてる気がするって」
暫く頭が真っ白になって、ボンと音が鳴るように全身が赤くなった…と、思う。
「な、なんつーことを…」
「何したんだって聞かれたから会うたびにキスしてたって言ったら凄く怒られてしまった…」
「…な、なんつーことを」
しょぼんとした顔で赤くなったデコを見せてくる。
「僕はイファに嫌われてしまったんだろうか…」
「それ俺いないほうが良いか…?」
「いや、いて欲しい」
「はぁ…」
それをばあちゃんに相談したんじゃないのか。本当に俺と別ベクトルで悩んでやがるなこいつは。
「…嫌になったんなら、ここにこうやっていない。」
「君ならやりかねない」
「えぇ…」
しまったな…帽子、持ってくればよかった。カクークめ。
「…君は僕とどうなりたい?」
あ、これダメなやつ。
「いやいや待て違うそれを直接俺に聞くなそのための段階ってもんがある」
「それなら知ってる。僕とつ…」
慌てて屈みオロルンの口元を塞ぐ。
「言わせねぇ!お前その意味わかってねぇだろ!?どういうことかちゃんと理解してから言ってくれ!…いや言ってくれって言うと俺が待ってるみたいになるけどちがくて…その…」
真っ直ぐに見るな。やめてくれ。
うろたえていると、オロルンは俺の腕をつかみ立ち上がった。
…相変わらず、力強いな。
「ばあちゃんに、恋と愛は違うって言われた。」
「っ…」
軽々と引き剥がされてしまった両手はそのままするりと指を絡められる。
ぴくりと反応したのに気を良くしたのかオロルンの表情が柔らかくなった。
「恋は独りでするもの。愛は2人で育てるものだって。もう…独りではないと思う。」
「ぉ、…俺もそう、思う…いやでも…」
逃げられない。体勢も、視線からも。自分が何を言っているのかも怪しくなる。
「まず僕の告白を聞いてみてくれないか?」
「……うん」
叶わないんだこいつには、昔から。この眼に…。
◆
「僕と一緒に野菜を育てて欲しい」
「菜園体験か?」
「僕と一緒においしいご飯を食べて欲しい」
「おう、今晩行くか?」
2人で頭を抱えていた。
「壊滅的すぎる…」
「難しすぎる…」
危なくその気になるところだったのが全くその気にならなくなってしまった。くそ。
「まぁ、そのなんだ…気持ちは受け取っておくからよ…まだ、その…このままでも…」
だから今日は解放してくれないか、と。…言いたかった。
俯いたオロルンは、それを言わせてくれなかった。
「ただ僕は、ずっとイファと一緒にいたいだけなんだ。キスしたいし、もっと触れたいし、そばにいれば安心する。でもそれじゃもう足りなくなってて、前にばあちゃんの本で見たキスの続きをイファと出来たら幸せだろうなって思う。それを想像したら困ったことになって、その時は考えるのを必死に止めたんだけど…でもそうやってイファと一緒にいて、触れて、今までみたいに笑いあって、気付いたら二人ともじいちゃんになってたら、それはとっても幸せなことだなって。それをしたいと思うのがイファだけなんだ。それをうまく言葉にできない…イファ?」
むり。
「イファ、大丈夫?」
「ぁ…ゃ…その…」
無理無理こんなの。ウソだろ。死ぬ。
顔を隠したいのに、その両手は自由なのに、その眼から逃げられない。
「でも…俺、俺は…」
ドクドクと全身の血液が沸騰しているようだ。
自分の心に素直になっちゃダメだ。オロルンの事を考えろ。こいつの未来を考えろ。しっかりしろ俺。
呼吸が乱れる。深呼吸しないと…
「イファはまたきっと面倒くさい事を考えてるんだと思う。」
深呼吸にならない呼吸を数回した所で痛い所を突かれる。深呼吸がため息に代わる。
「お前のことだよ…」
俺がどうなりたいか、なんて。こいつが幸せになるための中には入らないんだよな…
だから、だからきっと、この答えの正解はノー。
そう頭の中を整理したつもりで話しかけようと口を開いた時。
「…こう考えて、イファ」
オロルンが話し始めてしまった。
「僕の人生にイファが入ってくるんじゃない」
…どうしたって、お前の人生には関わる。それは変わらないんだ。
「…イファの人生を、僕が貰うんだ。」
ゾクリ、背中が震えた。
頭が白くなる。
そう、なるのか?それなら、お前の人生をめちゃくちゃにすることはない?
「だから僕の人生は何一つ変わらない。これからも。それならいいだろ?」
…いい?いい、のか?
「ぁ、……そう、か、」
「うん、そうだよ」
その満面の笑みで、その瞳で。
「イファ、僕を見て。…僕と、付き合ってくれる?」
少しの混乱。そして、『言い訳』が出来たことによる安堵。
「…う、うん」
「ふふ…ありがとう。」
細められた目から覗く深淵と、そこに灯る炎のような瞳。
「イファ。好き。」
オロルンは好きなように人生を謳歌すればいい。その中に俺がいるだけ。そう。
だから、ひんやりとした両手で頬を包まれているのも、オロルンの意志だから。俺は否定する理由はない。
「ん」
「好き。イファ。ずっと一緒にいよう」
「んぅ…は、ん…っ」
耳元から持ち上げられた顔はされるがままで、
まっすぐになった喉からは自然と声が漏れてしまう。
恥ずかしくて、オロルンの腕をつかむ。
「…可愛い、イファ」
「…ばか」
その腕を、そのまま引っ張って。
今まで我慢していたとばかりに首に腕をまわして。
「俺も、好きだ。オロルン」
甘くて、深い。
二度と戻ることの出来ない味。