カラン、とグラスの氷が音を立てる。
黄金色の透き通るその酒―午後の死―を呑むその主は、カウンターに突っ伏していた。
「…呑みすぎだ。」
ワイングラスを拭きながら溜め息混じりにそう答えるのはディルック。今はバーテンという職業柄、燃えるような赤い髪を高い位置で一括りにしている。
「んー…なんだもう店仕舞いか」
短時間だが眠っていたのだろう。額には枕にしていた腕の跡がついていた。
眠そうに目を擦るその姿を見て、少し、安堵している自分がいた。
「そうだ。…もう君だけだぞ。ガイアさん。」
わざと、二人になるまで起こさなかった事などおくびにも出さず、さも迷惑そうな声を出していることが、この男に見透かされていないことを確信したから。
そんなディルックに対し、
「…なんだよ。よそよそしいな。」
そう不貞腐れてみる。
「…悪かったよ。ガイア。」
いたずらな笑みを浮かべて、二人きりの、この空間でしか見ることの出来ない表情になるのを見て、ガイアは柄にもなく、幼げな笑みを見せた。
「珍しいな。酔っているのか」
「んー、強いて言えばお前にな。」
「…酔ってるだろ」
ははは、と声をもらし残っていた酒を飲み干す。と、同時になんとも力の抜けたぐぅぅ、という音がなった。
思わず顔を背けて肩を揺らすディルック。
「悪かったな。気が抜けてるんだよこっちは。」
羞恥でなのか、酒でなのか、両頬は既に赤く染まっていた。
「少し待っていろ。確か生地が余っていた」
そう言うと、冷蔵庫から食材を取り出した。
手際よく準備が進む様を、酔いと眠気で頭が重くなっているガイアは肘をついた両手に顔をのせてなんとなく眺めていた。
「…本当に気が抜けているな。」
いつもの飄々とした、隙の無い笑顔が鉄板のガイアは何処へやら。
「久しぶりだから、なぁ」
顔をあげずにもごもごと、答える。
二人きりになるなんて、いつが最後だったか。ここ最近、休息という時間はなかった気がする。
すん、と鼻を効かせると、芳ばしい香りが漂っていた。
「ほら」
と出されたのは、
「…ピザ」
「眠気に効くぞ」
その一言に、深く沈んでいた意識が引きずり起こされる。
「ふぅん、どういう意図でこれを出したのかは知らんが、良い気はしないな」
片手で机を押し、ぐい、と顔を近付ける。
何を怒っている。そういう表情をしているディルックに、行き場の無いもどかしさを感じる。
これはジンの料理だ。騎士団で時折振る舞われるから知っていたのだが、この男はそれを知らないとでも思っていたのだろうか
それとも知っていて、俺がなんとも思わないとでも思ったのだろうか。
それとも、俺の心が狭いだけなのだろうか。
逆の立場でもこいつはなにも感じないのだろうか。
好いている人から別の人物の匂いがするのが、とても不愉快だと感じるのは醜いのだろうか。
啖呵を切った手前、徐々に己の不甲斐なさを感じていることは表に出すわけにはいかなくなっていた。
「君にはこの料理の意図以外はないよ。それとも、」
なにもないかのようなその反応に、心がちくりと刺された上に、
「何か勘繰っているなら、それは間違いだな。」
心を見透かされたようなその発言に、言葉がでなくなる。
はぁ、と溜め息をつくディルックに、ぴくりと反応してしまう。
あぁ、こんなことで、酒が入っているにしても、重すぎる。
急に、呆れられ、離れていってしまうことが不安になった。
「本当に君は、」
ふわ、と頬が暖かくなった。
「どうしようもないな。」
普段は見せないような、柔らかな笑みを浮かべる表情が近付いて
「ちょ、ディ…」
いつぶりか、重なる唇が蕩けそうで、
お互い、名残惜しくて離れられなくて、しばらく時を忘れることにした。
「んで」
むしゃむしゃと、少し冷めたピザを頬張るガイアは不貞腐れていた。
「俺が寝てないって知っていてここまで起こさなかったのは何でだ」
長い口付けの後、ぽろりと口から出た言葉が悪かった。寝た振りをしてまで僕と二人になりたがる姿が愛おしくて意地悪をしてしまったんだ、と。
ディルックは、ガイアが寝てもいないのに寝た振りをして、加えてさも眠そうにしていたことに対して皮肉をしたつもりだったのだ。
「何かが違うな」
「違わないだろ。なんでお前はそういう事をするんだよ。恥かくのはこっちなんだからな。」
何故か不機嫌になっているガイアの訳を知りたくて探ってみるもどうも的を射ない。
「だったら何故あんな表情をしたんだ」
「う、うるさいな。旦那様には関係の無いことですのでおきになさらず」
帰ると足早に出ていってしまったガイアの頬が赤くなっていたことを、少し考えて、
「あぁ…」
自分も同じように赤くなってしまう。
「全く、らしくないことをするなよ。」
はぁ、と溜め息をついて。
本日のエンジェルズシェアは店仕舞いとした。