「うぉ…マジかよ…」
いつも通り、定期の『仕事』として久々に上がってきたんだが、
「リオセスリ様、こちらをお使いくださいっ」
ちぃちゃな背を伸ばして渡してくれる傘
「おう、サンキュ。悪いな」
それを受け取り、差してさほど遠くはない目的地へ歩き出す。
「あの…リオセスリ様、我々は濡れても問題がありませんので、そんな気を遣って下さらなくても良いのです」
おずおずとそう言われる。
俺が腰をかがめているのに絶えられなかったのだろう。…自分は傘を使わずにびしょ濡れで待っていてくれたメリュジーヌちゃん
「いやいや、そうもいかないさ…『雨』に濡れるのはイヤだろう?」
「…すみません」
「気にすんな。謝りすぎると表情も暗くなって可愛い顔が台無しだぜ?」
少し笑ってくれたのを確認して、俺も安堵する。
パレ・メルモニアにつき、傘を払ってドアを開ける、と待っていたかのように受付のコが駆け寄ってくる
「リオセスリ様、タオルを」
甲斐甲斐しいとはまさにこのことだろう
「おう、サンキュ」
受け取り、今しがたまで送ってくれた
メリュジーヌに被せる
「俺は全然濡れてないからアンタがつかいな」
「すっすいませ…あっありがとうございます」
「ん、よし」
ひらひらと手を振って案内された主のまだいない執務室
「ヌヴィレット様は歌劇場にいらっしゃいますのでもう少しお待ち下さい、こちら紅茶になります」
「…ん、ありがとう」
ドアが閉まったのを確認し、軽く頭を抱える
「はぁ…全くあの人は…」
普段は日差しを取り入れている大きな窓に、雨が叩きつけられている
◆
『ヌヴィレット様っどうしてっ』
『いや、いいんだ構わない。もう来ているだろう待たせてしまっているな』
何杯目かの紅茶を飲んていると急に慌ただしくなった。
ドアを開けようと手をかけると反対側から開け放たれる
「ちょっ」
そこには心底びしょ濡れになった部屋の主がいた
「すまない待たせてしまったなリオセスリ殿」
涼しい顔で…この人は本当に…っ
謝罪の言葉とその表情のない顔を無視し、一度閉められたドアを開けると心配そうにタオルを持ったコと、他のコたちもこちらを見上げていて、
「ごめんな…ありがとう。タオル貰うな」
一人ひとりの頭をポンポンと撫でていく。
「あとは任せろ」
そう伝え、優しくドアを閉める。
「リオセスリ殿?今回のマシナリーの製造費に関してだ…っ…?」
そして思い切りその無頓着な顔にタオルを叩きつけた。
滑り落ちたタオルを手に取り、うっすらと疑問の表情が見て取れる。
「まず顔と頭拭いて頭冷やせ」
「…どちらかと言うと現状君の方にその言葉が合うようだが」
「…ほぉ?この状況でそれを?言うのか?俺に?」
「リオセ…」
「黙れ。」
はぁ…と、わざとこちらが不機嫌であることを伝えるためにため息をつく。
しばらくの沈黙。コチコチという時計の音と、パタパタと雨がガラスにぶつかる音だけが聞こえる。
…それが少し、和らいだ。
「…小雨になったな。よし。外出るぞ」
「?…まだ何も」
「今日は、仕事の話はもう無し、だ」
無理やり手を引き、ドアを開ける。
はっとして集まってくる皆。
「言うことあんだろ」
「あぁ…すまない。心配させてしまったな。もう大丈夫だ。」
心配するメリュジーヌ達の頭を撫で、柔らかに微笑む姿を確認する。
その姿に後ろでひっそりと安堵する。
続いて俺からも一言
「傘を借りれるかな?」
◆
「…で?俺にはなにもないのか?」
ホテルドゥボール内、個室。
…普段であればルツェルンに行きたいところだが私的に俺たちがいる所を見られてこの人に迷惑がかかってしまう可能性もあるし、メンタちゃんにも心配をかけてしまう可能性があった。
当の本人は涼し気な顔で俺が頼んだモンド産の水を口に含みカップを下ろしたところだ。
「…すまない。君にも迷惑をかけた。」
…それだけでは足りないとばかりに肩肘をついて無言を貫く。
「最近…審判が続き疲弊していたのだろう。メリュジーヌ達にいらぬ心配をかけてしまった。…君にも。」
そこまで聞いて、これ以上は望めないと察しため息をつく。
「『いらぬ心配』?いらねぇの?心配されたら迷惑な訳だ?」
「そういう訳では…」
「あのなぁ…あのコ達は素直にあんたが心配なんだよ。ヌヴィレットさんの事が好きだから。わかるか?あのコ達にとっちゃあ『必要な心配』なわけだ。…わかるか?」
少し視線を反らされた後、無言で頷く。
「ヌヴィレットさんだってそうだろ?彼女達に何かあったら」
「それはそうだろう。」
…即答かよ。
この人にはどう言えば伝わるのだろう。
「前に、感情を表に出すのが苦手だって言ってたよな。だが、押し殺すのとは違うだろ…」
「ふむ…」
「あんたにだって休みは必要だ。忙しいと感じてたんなら休むことだって必要だろ。あんたが普段彼女達に休暇をやるのと同じだろ」
「しかし、私が休めば世情が滞ってしまう。…違うだろうか?」
不機嫌ですかそうですか。あんたの一番は彼女達と民だもんな。
「…あんたが数日休んだところで人は簡単にゃ死なないし、風邪でもひいたのかなくらいだろうさ」
「ほう?」
…イライラするな。他人のことばっか優先しやがって
「たまには自分のことも考えてくれって言ってんだよ」
温厚に温厚にと思っていたが自分でもコントロール出来ずに声を荒げてしまい、それに対し向こうも予想外だったのかピクリと身じろぐ。
「そんなに…休めないんだったら気晴らしに俺の所に来ればいいだろ」
「…リオセスリ殿の所に?」
…マズッた。口が滑った。
勝手に心を少しでも開いてくれていると思っていることもバレるし、俺があんたにもっと会いたいってこともバレちまう。
「あー…なんつーか、…グチ?とか聞けるような奴他にいんのかなー、なんて」
墓穴掘ってるな。ヤベぇ、落ち着け…これで否定されたら俺が死ぬ
「ふむ…」
なんだよこの間…くそ、なんか俺が悪い事したみたいになってんじゃねーか。
「いや、悪かった忙しいもんな。うん。まぁ少し落ち着いたみたいだから今日は…」
「ではそうさせてもらおう」
「…へ?」
変な声出た。
「仕事終わりでそちらに向かうのであれば夕刻にはなるだろうがそれでも構わないだろうか」
「あ…おう…構わないです…」
「特別に忙しい日や避けて欲しい日があるならば先に教えてもらおうか。連絡なしに行くことになるなら君の邪魔にはなりたくない…リオセスリ殿?」
「ん、無い。いつでもいい。」
「そうか。それでは、その日は仕事抜きの話で構わないのだな?」
「うん、そう」
顔を上げられない。違うんだよ。もっとこう…カッコよく…エスコートするみたいに自然によ。したいんだよ。
「…耳が赤いようだが」
「大丈夫…何でもない…」
事がうまく進みすぎてて怖い。俺にとっちゃ憧れの存在で良いはずなんだ。それ以上は望まないって決めたはずなんだ。だからこんなにすんなり来てくれるってのも何かウラがあるはず…
「?」
「…今日は、もう、遅いから…また今度に、しようか…」
「そうだな。では入口まで送ろう」
ちらと見た表情があのコ達に向けるそれで、いつも心のどこかで欲しいと思っていた表情で、
「ではまた」
「…おう」
「君の言うとおりだな。心が少し和らいだようだ」
「そりゃ良かった」
…それ以上を期待させられてしまって。
◆
「あら、どうしたの公爵ったら?ここのベッドは病人だけのものなのよ?」
「…れてた」
「?ごめんなさい聞き取れなかったわ?」
「すげぇ…晴れてた…帰り…」
「あらふふふっヌヴィレット様ったら嬉しいことでもあったのかしらね」
「知らねぇ…もう寝る…」
「ちょっとダメよ公爵公爵ったら」
…しばらくは仕事に没頭しよう。
真面目にあの人の話を聞けるように。
…少しでも、晴れの日が続きますように。