手を繋ぎたい「魈、お疲れ様」
「! 鍾離様」
バイト先の通用口の扉を開けると、鍾離がそこに立っていてぎょっとしてしまった。
「今日は俺も遅かったので迎えに来たんだ。一緒に帰ろう」
「は、はい」
迎えに来てくれたことには素直に嬉しく感じる。家に帰れば顔は見れるのだが、いつもは一人で帰る道のりを、隣に鍾離が居てくれるのはそれだけで気持ちが綻ぶ。
鍾離が歩き出したので、急ぎ足でそれに追いつき並んで歩く。てっきり車で来ているものかと思ったが、どうやら歩いて来ているようだった。
駅まで約徒歩十分、そこから電車に乗って一駅、更に歩いて十分くらいのところに二人で住んでいる家がある。今日は何の御飯も用意出来なかったので、最寄り駅についたら何か食べて帰ろうか。と鍾離は言っていた。
「お前は手袋などしないのか?」
「そうですね……歩いていれば温かくなりますので」
鍾離を見れば、チェスターコートの前はぴっちり閉じられ、マフラーに手袋としっかり防寒しているように見えた。一方で魈は、ダウンコートしか羽織っておらず、前のチャックすら閉めていない。
「っ!」
「指が冷たいな」
おもむろに鍾離が左手の手袋を外したので不思議に思っていると、魈の右手を取られて繋がれた。驚いてしまい一瞬手を引っ込めそうになってしまったが、ぎゅっと握られた鍾離の手は確かに温かかった。
「し、鍾離様……人が……」
「せめて外では鍾離と呼べと言っているだろう」
思わず周りを見渡してしまったが、誰も歩道を歩いている者はいなかった。
「し、鍾離さ…………さん」
「うん?」
「外でこのようなことをするのは……」
「誰も見ていない。人の目が気になるのならば、隠してしまおうか?」
誰も見ていないのならば、鍾離様と呼んでも問題ないのではないか。少し疑問が浮かんだが、チェスターコートのポケットに鍾離の手ごと招かれてしまい、それ所ではなくなってしまった。
「俺は、これ程までに綺麗な者が俺の隣を歩いていると街中の者に見せびらかしても良いくらいだ」
「それは……どうか、ご容赦ください……」
ポケットの中はもっとあたたかい。しっかりと握られた左手はいつの間にか恋仲であるような繋ぎ方になっていて、熱を持ったかのように熱くなっていく。
「お前は街中で手を繋ごうとすると、すぐにかわそうとするだろう? 俺はそれを少し寂しく思う」
「う……それは、すみません……」
「だから、せめて夜なら繋いでくれるかと思ったんだが、それも嫌だったか?」
「そのようなことは……ありません……しかし、とてもではありませんが、は、恥ずかしく……」
ぎゅ。と力をこめられて肩を震わせてしまう。駅まで、ほんの十分の道のりが随分長く感じた。鍾離の手を繋ぎたい気持ちを、知らぬ間に無下にしていることに気づいてしまう。しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。
静かな夜に、鍾離と自分がアスファルトを踏む音と、やけに大きな自分の心臓の音が聞こえる。手を繋ぐのも初めてではない。しかし鍾離に聞こえてしまうのではと思う程に、胸の音が波打っている。
さむい。あたたかい。あつい。いたたまれない。
今更不敬だとは思っていないが、鍾離はただ自分と手を繋いで歩く為だけに迎えに来てくれたことに気付いてしまい、目も合わせられなくなる。鍾離は街中で魈と手を繋ぐことなど何でもないことで、緊張しているのは自分だけなのだ。
「さて、駅についたな」
改札を通る時には呆気ない程すぐに手を離された。電車に乗って向かい合わせに立つも、鍾離の足元をずっと見ていることしかできない。
一駅なんてあっという間だ。また改札を抜けて、先を歩く鍾離の後を着いて行く。
「……う…………魈?」
「あっ、はい」
「晩御飯は何にするか聞いているのだが」
「あ……そうですね、時間も遅いですし、軽いもので良いのですが……」
「そうだな……ファミレスにでも行こうか」
そもそもこの時間に空いている店が限られている。場所はなんだって良いが、意外と鍾離とはまるで食の好みが合わないのでファミレスは無難な選択だ。
鍾離がそちらの方へ歩き始めたので、駅の近くにあるその店に寄ることにした。
鍾離は今も手を繋ぎたいと思っているのだろうか。離れてしまった鍾離の指先を見つめる。電車に乗った時に温まったと言って鍾離は手袋を外していたので、今は両手とも何もつけていない。
隣を歩く。揺れる鍾離の指を目線だけで追う。今手を繋げば、鍾離は喜んでくれるのではないか。そう思えば実践するに越した事はない。いつも鍾離に与えられてばかりだ。自分に返せるものがあればなんだって返したい。それはずっと昔から思い続けていることだった。
さて、と決心した所で、実際に自分から手を繋ぐというのは、思ったよりハードルが高いことに気付く。既に指が触れそうな距離で歩いているのでそっと手を伸ばせば良いだけなのだが、それが難しい。いつもどうやって鍾離は手を繋いでいるのだろうかと思うが、きっと鍾離からすると何でもないことなのだ。一方で魈は手を繋ぐことはもちろん、夜の誘いや口付けですら自分からは中々できない。何千年も共にいるのに、未だにこんなことすらできないとは不甲斐ない。
「魈!」
「あ……鍾離様……」
考え事に夢中になってしまい、ファミレスを通り過ぎて一人歩いてしまっていた。鍾離に呼び止められて、慌てて鍾離の元まで駆け寄る。
「すみません……」
「どうした、疲れているのか? それならば今日はうちに帰ろうか」
「疲れている訳ではないのですが……」
「また一人で考え事か?」
「あ……」
鍾離の顔が、少しムッとした表情に変わっている。鍾離に相談せず一人で悶々と考え込んでいることを、鍾離は良く思っていない。
「……すみません……大丈夫です」
「……今日は帰ろうか」
魈の返事を聞く前に、鍾離は歩き始めてしまった。行かなければ置いていかれてしまう。さっき手を繋いでいた時、あんなに鍾離は嬉しそうな顔をしていたのに、自分のせいでそれを台無しにしてしまった。折角鍾離が迎えに来てくれたのに、このままでは家に帰っても気まずいままだ。それだけは、どうしても嫌だった。
「し、鍾離さん!」
「っ?」
街中で、誰に聞かれるとも構わずに少しだけ声を出して名前を呼ぶ。鍾離が振り返って目を丸くしてこちらを見ている。走って追いついて、勢いのまま鍾離の左手を勢い良く両手で握る。すっかり鍾離の手は冷えていて、ぎゅっと包み込むように手を動かした。
「あ、あの、し、鍾離さ、さんの手が冷えているので、その……」
「ふ、はは」
「…………あの…………鍾離様?」
鍾離は手を握られたまま、何がおかしいのか口を押さえて笑っている。
「うん……手を繋いで帰ろうか」
「……はい」
片手を離して、鍾離と手を繋ぎ直す。鍾離の隣を歩くのはさすがに慣れた。いつか手もすんなり繋げられるようになるのだろうか。
折角勇気を出したのだから、家までの十分の道のりが、今日だけはほんの少しだけ長くなれば良いなと思った。そんな事を考えながら鍾離の嬉しそうな横顔を見つめ、結局また自分も貰ってしまったなと、心があたたかくなるのであった。