寝室のカーテンを変える話 締め付けられるような痛みすら感じる寒さと息苦しさで目が覚めた。布団から右腕が出ていたらしい。息苦しさの原因は首に巻き付いていた七海の太い腕。真横からハグされているのか……。腕一本だけでどれほど重いか自覚してほしい。その内七海に圧死させられる気がする。右腕を布団の中に戻して、左腕でスマホを掴み時刻を確認。午前七時前。本来ならまだまだ寝ていられる。しかしこれほど明るい部屋では無理だ。
七海の寝室のカーテンはおそらく三級遮光仕様で、言ってしまえば全く朝日を遮らない。七海の顔はハッキリ見えるし、少し目を凝らせば読書だって出来そうだ。しかし私はまるで体育館の厚いカーテンのように光を遮って貰わないとおよそ日の出と共に目が覚めるし、そのまま二度寝することが不可能になる。
仰向けで寝ていた私の首元に重くのしかかっている太い腕に、冷え切った右腕をピトリとくっつけた。ビクリと震えた後ピタリと寝息が止まった。起きたかな?
「冷たい……」
「重たい」
「ん……」
「腕重いよ七海」
「んー……」
「んーじゃなくて、どいて」
「やです……」
「やじゃない。苦しい」
ずる、と引きずるように乱暴に抱き寄せられた後お腹の辺りに腕が移動した。圧迫される場所がお腹に変わっただけで重いものは重いけれど、首よりマシかと思う私は随分絆されている。真横にある顔のサラサラの前髪を指で弄ぶ。どうせ眠れないからこの男も早起きの道連れにしてやる。寝返りを打って七海と正面から向き合った。お互いの息がほんのりかかるような距離から前髪を七対三にわけてみる。学生時代みたいな髪型。頬の薄い皮を指でツゥと撫でて、指二本で眉間をぎゅむっと掴んで皺を寄せるとその手を掴まれた。私の指が無くなっても皺が寄ったままの眉間にくすりと笑いが零れた。
「なにしてるんですか……」
「学生時代の七海作り」
「ねさせてください……」
「やです」
「んー……」
弄んでいた手を恋人繋ぎで封じられて、すとんと唇が重なった。距離が近過ぎて逃げる隙が無かった。寝起きで反応が遅れたのもある。ちゅ、ちゅと何度も重なる唇に足をじたばたと暴れさせたけれど、長くて太い脚で抑え込まれてもう抵抗すらも許してもらえない。最後にじっくりと唇を食んだ後、また音を立てて離れていった。
「わるいこ……」
「え、そっちが言う?」
▽△▽△
「抱き枕買おう」
「必要ありません」
「私が必要なの。今度買ってくる」
「七海家は抱き枕の持込禁止です」
「ちゃんと七海サイズの買ってくるから」
「買わなくていいです」
沢山キスされた後、カーテンが薄いから部屋が明るくて眠れないと文句を言えば七海がスマホで通販サイトを開けた。……そして、七海は検索欄に『かわて』と打ってそのまま眠りに就いた。検索結果には沢山の革手袋が表示された。
起こすことは諦めて無理矢理腕から抜け出そうとしたのに、寝てるはずの七海の腕力に勝てず結局そのまま七海が起きるのを待った。太い指で握られたままのスマホで改めて『カーテン』と打ち直して調べてみると、今寝室にあるものとよく似たデザインのカーテンが見つかった。これに変えてくれないかなぁ。こっそり変えてやろうかな。
私を抱えたままたっぷり二度寝した七海は起き抜けにまたキスしようとしてきたけれど、ずっと起きていた私の反応速度に敵わず断念していた。少し不機嫌になった七海の腕を叩いたり抓ったりしてベッドから抜け出して朝ごはんを作った。
「じゃないと七海の腕で私が苦しい」
「抱き枕なんか買っても邪魔です」
「クイーンサイズなんだから抱き枕一つくらい増えたところで変わらないよ」
「広さは使わないものを置く理由にはなりません」
「七海が寝るとき使ってもらう」
「抱き枕では冷たいでしょう」
「私を防寒具だと思ってない?」
「第一、貴女が離れて寝るから腕が全て乗るんです。密着すればそうはなりません」
確かに七海にくっつけば私の身体は腕の可動域のさらに内側に入るから、七海に腕を回されてもその腕は私の背中側に回る。中途半端に遠ざかるから、七海の腕が背中まで回りきらず私の身体に乗って苦しめられるのだ。
「何が悲しくてあんな大きいベッドで密着して寝なきゃならんのよ」
「苦しいのでしょう」
「七海が抱き締めて来なければ済む話でしょ」
「私は抱き締めて寝たい」
「だから抱き枕買ってあげるって」
「私をいじめて楽しいですか」
「こっちのセリフなんだけど……」
朝ごはんを綺麗に完食して、私は食器を洗って七海はミルでコーヒー豆を挽く。沸かしたお湯でじっくりドリップ。七海はコーヒー、私はカフェオレだ。七海と同じ豆だけど、少し濃く淹れたコーヒーに牛乳を注いで飲んでいる。豆から挽いたコーヒーにおそらく途轍もなく失礼なことをしているけれど、砂糖を入れて飲むよりも牛乳で飲む方が好きなのだ。『牛乳を入れたい』と恐る恐る七海に伝えた時は少しびっくりされたけれど、『美味しいと思うのが一番でしょう』と肯定されてからは堂々と牛乳を注いでいる。
二人分のカップをローテーブルに並べて一緒に座る。二人とも休みの朝はこうしてソファーでコーヒーを飲むまでがセットだ。
「今日だって七海の腕が重くて目が覚めた」
「可哀想に……」
「今の発言については後でぶん殴るとして、私朝起きちゃうと二度寝出来ないから一回起きると辛いんだよ」
「どうして出来ないのですか」
「七海の部屋眩しいから」
「……あー……言っていましたね……」
「暗いカーテン買おうよ。一級遮光のやつ。半分払うから」
今の今まで忘れていたという顔をしている。確かに寝落ち寸前にした会話だったし、無理もないのかもしれない。
「しかし部屋が明るくないと起きれません」
「明るくても起きてこないでしょ」
「……」
「私が起こすまで起きないじゃん」
「……貴女がいない日に起きれません」
「カーテン開けて寝たら?」
「カーテンの意味……」
「じゃあもう来るの控える。休みの日はゆっくり寝たいし」
「遮光カーテンを買います」
「ドスケベ」
「女王様の言うことには逆らえませんので」
「じゃあ寝てる間抱き締めるのやめて」
「反乱します」
「めちゃくちゃ逆らうじゃん……」
抱き枕が無いのだから、普段は何も抱かずに眠っているのだと思う。どうして私がいる日はあれほど執拗に纏わりついてくるのか。夜中息苦しさで目が覚めて、眠い身体に鞭打って七海の腕をなんとか退けて離れたのに朝起きたらさらにくっついて抱き締められていたこともあった。他にも、ふと起きたら壁と七海に挟まれていたから一度起きてベッドの反対側で広々眠っていたのに朝起きたらまたぎゅうと抱き締められていたこともあった。身体に熱感知器でも埋められているのだろうか。
「もっと暖かい布団にするのはどう?」
「どうして」
「私を抱き枕にしなくても寒くない」
「防寒のために抱いているわけではありません。夏場でも同じようにします」
「えっ……嫌だ……七海の身体めちゃくちゃ熱いから夏はお互い地獄を見ることになるよ……」
七海の鍛え上げられた筋肉は常に暖かくて、くっついているとどうも『赤ちゃん体温』という言葉が頭を過ぎる。
「それでいくなら冬場は天国でしょう。でも貴女は逃げる」
「七海にぎゅうぎゅうされてると寝返り打てないから、身体がバキバキになるんだよ」
「ぎゅうぎゅう……」
「うるさいひっかかるな」
「では毎朝マッサージします。ストレッチも手伝います」
「抱き着くなって言ってるの」
「嫌です」
「なんで」
「好きだからですよ」
「そう言われても重いし苦しいから駄目なものは駄目」
「ハァ─────………‥」
いくら七海が他人を抱いて寝るのが好きだとしても、私は実害を無視出来ない。命懸けの任務に就いている以上睡眠の質は大切だから。そもそも任務の前日はちゃんと寝ろって口を酸っぱくして忠告していたのはかつての七海じゃないか。寝不足で任務に挑んで怪我したせいで、今まで何度キレ散らかした七海に絡まれたかわからない。
「任務の前日は泊まるのやめる」
「嫌です」
「じゃあハグやめて」
「嫌です」
「睡眠の質が下がったら任務しくじるかもよ」
「………………」
「昔はあれだけ自己管理がどうとかって突っ掛かってきた後輩クン自ら自己管理を妨げようと言うつもりカナ?」
「……枕もベッドマットもシーツも部屋の暗さも、私のパジャマの触り心地だって全て貴女好みに変えます。その辺で睡眠の質を上げてください」
「えぇ……なんてしぶとい……」
「とりあえず、カーテンを暗くしてそれでも駄目なら他の案を試しましょう」
「まあとりあえずそれでいいか……」