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    はも@🐈‍⬛🎏原稿

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    恋音展示が間に合わない文量になったので、現在できてるところまで公開します!本当にすみません!完成したら完全版をpixivに投稿しますので、よろしくお願いします。
    函館に引っ越してきた鯉登くん(16)が冬季鬱っぽくなったのを、ここぞとばかりに手を差し出して手に入れようとする尾形百之助(21)の話です。

    #koioto1223
    #尾鯉
    koi

    極夜にて「尾形はあたたかくて、すきだ」
     そう言って尾形の膝の上に形の良い丸い頭を置いて少年が呟く。少年の声は声変わりが済んでもまだ少しばかり声が高く、甘い。
     尾形、おがた。何度も甘い声で名前を呼ばれ、尾形はくつくつと肩を揺らして笑う。
    「なぁ、もうここで暮らせよ」
     艶のある黒紫の髪を撫で、少年の耳を指で柔く揉む。たったそれだけなのに、少年の耳が赤く染まる。黒い瞳がゆっくりとこちらを向く。気が強い性格で、誰にも弱ったところを見せようとしなかった子どもが、今は縋るような目で尾形をじっと見つめている。
     この少年には自分しかいない。言葉で言われなくとも、少年の視線、表情、態度で解る。それが尾形にとって他の何にも変えられない幸福――黒くどろどろした幸せが自身を染めていく感覚にうっすらと微笑んだ。


     北海道の春は遅い。暦の上では四月になっているがそれでも肌寒く、尾形は住んでいるマンションのベランダを少しだけ開け、すぐに閉めた。冷たい朝の空気が肌を刺し、思わず眉間に皺を寄せる。
    「っ、さみぃな」
     スウェットの上から腕をさすり、尾形は「コーヒー……」と呟きキッチンへと向かう。この部屋に住み始めて五年は過ぎた。ヂヂ、と小さく火花が散り火が点く。やかんを火に掛け、水切りカゴに伏せておいたマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れる。お湯が沸くまでの間、尾形はぼんやりと天井を見つめていた。とうの昔に見慣れてしまった真っ白い天井に向かいゆっくりと息を吐く。
    「つまんねぇな」
     これからまたいつもと変わらない日常が始まる。ただ息を吸い、吐いて、そして吸う。他者に関わることもなく、干渉されることもなく、無為に時間を過ごすだけの一日が始まるのだ。何も変わらないつまらない日常に尾形は飽きていた。
     十六歳で親元から離れ、一人で北海道の高校へと尾形は進学した。本来の尾形の生まれは茨城で、父親は国会議員で、裕福な家庭で育つ予定だった。尾形の母親は議員の父親の愛人。望まれない子どもだったことは、幼いときから嫌というほど感じていた。母親は自分のことを愛してくれたが、父親は当たり前だが自身の本当の家族と暮らすことを選び、三人で暮らすことは出来なかった。三人で仲良く生活できたら。そんな叶いもしない希望を抱えていた尾形だったが、中学を卒業したと同時に、親元を離れて生活することを選んだ。
     叶いもしない希望を待ち続けるなら、いっそ何も期待しない方が良い。何も期待しないように、誰も自分に干渉出来ない場所として、北海道を進学先に選んだ。
    『ここに住むように』
     手紙と一緒に記載された場所は尾形の住むマンションの住所だった。一人で生活すると言って聞かない息子に父親が最初で最後に与えたのがこのマンションの一室である。北海道に住み始めてから、母親と父親も自分の元を訪れることはなかった。それで良い。尾形は何度も自分に言い聞かせ、この五年を過ごしてきた。誰とも関わらずに生きてきた生活は酷くつまらない。それでも良いと思っていた尾形だったが、最近はそれに飽き飽きしていることにも気がついていた。何か面白いことでもないか。そんなことを考えつつも、そんなことは簡単に起こるわけもない。ピーッ、とヤカンが音を立て、お湯が沸いたことを知らせた。
    「今日、何限からだったかな……」
     こぽこぽとマグカップにお湯を注ぎながら小さく呟く。スマートフォンを取りに、寝室に向かうときに聞き慣れない音、いや叫び声が聞こえてきた。
    『キェェェェェ!!!』
     このマンションは防音使用に鳴っているはずなのにどうして。眉間に皺を寄せて周りを見れば、謎の奇声が聞こえる原因はすぐに分かった。ベランダの窓が少しだけ開いていた。完全に閉めたと思っていたが、どうやら中途半端に閉めていたらしい。
    ――外で猿でも暴れてんのか
     尾形は窓を閉めるついでに暴れている猿でも見ようと、マグカップを片手に持ちベランダへと向かう。
    「何だよ、何もねぇな」
     一体何が暴れているのか。静かな住宅街で猿でも暴れていたら少しでも退屈がしのげるかもしれない。そんな期待をしていた尾形は、ベランダから見えるいつもと変わらない風景に、心の底からつまらなさそうに呟く。
    「つまらん」
     誰に言うわけでもなくただ一人で文句を言って部屋に戻ろうとした、その時だった。、
    「兄さぁ! ないごて起こしてくれんやったと!」
    「!? 熱ッ!」
     急に聞こえてきた聞き慣れない言葉。声は先程の奇声と少し似ている気がする。尾形は急に聞こえてきた声、しかもかなりのボリュームのそれに驚き、コーヒーを零してしまった。火傷はしないと思うが、それなりに熱いコーヒーが手にかかりじんじんと皮膚が熱を持つ。尾形はマグカップを持ち替え、火傷しそうになった右手をぶんぶんと振り手を冷やそうとしていた。退屈しのぎが出来るかも、と思いながら外を見れば何もない。ついでに急に聞こえてきた馬鹿みたいに大きな声に驚きコーヒーを零して手を痛めている。運がないと言ってしまえばそれに尽きるような一連の流れに、尾形は深いため息をついた。
     さっさと部屋に入ろう。まだ大学に行くまでに時間があるならば、二度寝してしまおう。尾形は冷めつつあるコーヒーを一気に飲み干し、ベランダ用のサンダルを脱ごうとした時、今度は隣の部屋から勢いよく扉を閉める音が聞こえてきた。一体何があったんだ。余りの騒々しさに尾形は眉間に皺を寄せ、音が聞こえてきた隣の部屋を見つめる。
    ――隣に住んでいるのは……鯉登さんだよな
     尾形は隣に住む住人の顔を思い出しながら首を捻る。記憶している隣人は尾形よりも年上の社会人だったはず。三年前に引っ越してきた隣人は『鯉登平之丞』と名乗り、特徴的な眉をしているもののかなりの男前だったと記憶している。偶にゴミ捨てや帰宅時間が被り挨拶をする程度の知り合いだが、落ち着いた大人だったはず。つい先程聞こえてきた奇声をあげたり、荒々しく扉を閉めるような人には見えなかった。自分が知らない間に住人が入れ替わったのか。
    「鯉登さんはそう見えなかったが」
     尾形は小さく呟き、ベランダ越しに鯉登さんの住む隣の部屋を覗こうと身を乗り出した。その時、視界の端で、マンションの入り口から何かがものすごい勢いで駆け出していくのが映った。急に視界に入り込んできたものに驚いた尾形は、目でそれを追いかける。
    「ガキ……?」
     それは必死に走りどこかに向かっている少年だった。学ランを着て学生鞄を背負う少年は、尾形の知る限りではこのマンションには住んでいないはず。やっぱり鯉登さんは引っ越したのか。そう思いながら尾形は、褐色色の肌をした少年が駆けていく様子をぼんやりと見つめていた。

    『アンタ、何やってんだ』
     大学の授業を終え、バイトも終わらせた尾形が自身の部屋へ向かったその時、見かけない人影を見つけた。尾形の部屋の一つ手前。小さくうずくまるシルエットに尾形は目を細める。何だか解らないそれを無視したかったが、自分の部屋に行くにはその影の前を通らなければならない。尾形は足を止めて、数秒考えた後に天井を見上げながら「あー……」と小さくうなり声を上げた。行くしか無い。腹を括った尾形がその影の前を通るために歩き始めた時、その影が動いた。
     驚いた尾形が足を止め、その影に視線を移す。褐色の肌に切れ長の瞳が尾形を見つめた。
    『アンタ、何やってんだ』
     思わず言葉が零れる。尾形の言葉にその影の主――少年が「え、」と呟いた。
    『いや、だからなんでそこに座ってんだよ……って言ってんだよ』
    『貴様、誰だ』
    『いや、お前の方こそ誰だよ』
    『……私は、別に……何でもない』
     答えになっていない返答に尾形は思わず小さく舌打ちをする。部屋の前に知らない誰かが座り込んでいるなんて、ドラマの世界の話だと思っていた。しかし、実際に自分がその状況に居合わせるとかなり気まずい、いや、結構面倒だ。普段の尾形であれば、こんな状況を無視して部屋に入るところだろう。しかし、尾形の足は一歩も動かなかった。
    『とりあえず、ウチ、入る……か?』
     尾形の震える声に少年は頷く。それが、尾形と鯉登の初めての出会いだった。
     部屋に少年を招き入れ、尾形はキッチンで腕組みをしていた。何となく放っておく気になれなくて部屋に入れたは良いが、相手は明らかに未成年だ。一方、自分は学生ではあるが成人している。
    ――誘拐、とか言われねぇよな
     いや、言われるか。面倒なことになったと思いながら、これからどうすれば良いのかを考える。
    家出少年、なら交番に突き出すか。そんなことを考えつつ、尾形は冷蔵庫から二リットルのペットボトルのお茶を取りだし、コップに注ぐ。とくとくとく、とお茶が注がれる音だけが部屋に聞こえる。普段は自分しかいない空間に、知らない子どもがいる。慣れない状況に胃の辺りが何かを詰め込まれたような不快感で気持ち悪くなってきた。
    『話だけでも聞いて、あとは誰かに任せよう』
     尾形は自分に言い聞かせるように呟き、コップを持ち少年の待つリビングへと向かった。
     少年は困ったような顔をして、学生鞄を抱えて座っていた。
    『ほら、お茶』
    『……ありがとう、ございます』
     少年は力なく呟くが、尾形が持ってきたお茶を飲もうとはしない。知らない人間の家に来て出された飲み物なんて飲む気にもならないだろう。尾形は自身の前髪をかき上げるように撫でつけ、少年の向かい側に腰を下ろした。
    『家出?』
    『は?』
     本来こんな状況なら何か優しい言葉でも言ってやるのだろうが、生憎人との会話が苦手な尾形は単刀直入に少年に問いかける。少年は少年で『何を言っているんだコイツ』という顔で尾形を見つめていた。切れ長の目が大きく見開かれ、その顔には不信感という言葉が貼り付いていた。
    『家出なのか、それとも違う理由があるのか聞いてんだ。そうでなきゃ、あんなところで座ってる理由なんてないだろ』
    『家出ではない。ただ、理由を話すのはちょっと』
     少年が困ったように眉をハの字にし、唇を噛む。話し掛けても尾形の求める答えが返って来ず、どうしたものかと思いながら、尾形はローテーブルに肘をつき、少年の顔をじっと見つめた。
    ――あれ、コイツ
     少年の顔を見て尾形はあることに気がついた。褐色の肌は違うが、顔のある部分――眉の形が隣の部屋の住人の鯉登とそっくりなのだ。彼は尾形と同じで肌の色が他者よりも白い。少年の肌は南国で生活をしている人のように焼けている。目の形だって、隣人の鯉登よりも少年の方が少しばかりきつい印象を受ける。しかし、整った顔立ちとうり二つの眉を見ると、どう見ても身内としか思えない。尾形はまさかな、と思いながらも少年にある言葉を投げかけた。
    『アンタ、鯉登平之丞さんの……息子?』
    『むす、こ……? キェェェ! ばかもん! 平之丞はおいの兄さぁじゃ!』
    『えっ、兄……さぁ? じゃあ、アンタは弟なのか』
     突然少年が立ち上がり大声で怒りだし、尾形は思わず固まる。息子かと思ったが、どうやら弟だったらしい。随分と年の離れた兄弟だな、と思いながら尾形は自分を睨みつける少年をじっと見つめる。ぎゃあぎゃあと騒ぐ少年の目の端には少しだけ涙が滲んでいた。ぐずぐずと鼻も啜り、尾形は「あぁ、泣きたいんだな」と少年の顔を見ていた。
    『アンタ、あの部屋の前で何してんだよ』
    『……、わ、笑わん?』
     ぐずぐずと鼻を啜りながら、少年が涙目で問いかける。手の甲で口元を隠しながら呟く姿は、見かけよりも大分幼くて、不覚にも可愛らしく見えてしまう。尾形は一瞬でも目の前の少年を可愛らしいと思ってしまった自分に少し驚きながらも、少年の問いかけに静かに頷いた。
    『その、私は兄と一緒に住んでいるんだが……、家の鍵を、部屋に置いてきてしまって……入れないんだ』
    『いや、平之丞さんが帰ってくるまで時間潰せば良いだろ』
    『兄さぁは、今日から福岡に出張で……帰ってこない』
    『え、』
     とんでもない事実を投下された。兄と一緒に住んでいるのは兄弟だからあるとして、鍵を部屋に忘れて、そして兄が福岡にいるというのは予想していなかった事実だった。
    『平之丞さん、いつ帰ってくんだよ』
    『一週間後だ』
    『いっしゅうかん』
    『うん』
     一週間部屋に入れずどうするつもりだったんだ。兄に連絡しろ。管理会社に連絡して部屋を開けてもらえ。少年の言葉に色々と言いたいことが出てくるのをぐっと耐えて、尾形は一回だけ深呼吸をして少年の方を見る。少年は泣きたいのか恥ずかしいのか解らないが、顔を赤くして俯いていた。
    『……とりあえず平之丞さんに連絡した方が良いだろ。連絡したのか?』
    『スマホは充電がない。昨日の夜に充電するの忘れて、学校終わったら電源が切れていた』
     色々と詰んでいる気がする。一度冷静になろう。そう思い尾形はお茶を一口飲んだ。お茶は少し温くなっていたが、それでもごちゃついていた頭がすこしだけ軽くなったような気がして、尾形はゆっくりと息を吐いた。
    『充電器貸してやるから、それでまずは平之丞さんに連絡しろ。その後に管理会社に連絡だ。そこなら俺が連絡先を知ってるから、自分で電話しろ。……あとは、友達に連絡して泊まれるか聞いてみろ』
    『なんで?』
    『……ガキが一週間も一人で生活できるのか?』『私に友達はいないし、一週間一人で暮らすのに兄は納得してくれたぞ』
     尾形は少年が鞄から取り出したスマートフォンを受け取り、充電コードに繋ぐ。同じ機種で助かったな、なんてことを思いながら少年に何をすれば良いのか指示を出した。しかし、少年の予想していない返答に思わず尾形は動きが固まる。
    『平之丞さんは本当に納得したのか?』
     見た目からして優しそうな平之丞が一週間も子ども一人を置いて出張に行くなんて考えにくい。尾形は再び声をかけようとしたが、少年が充電をしながら平之丞に電話をし始めたためにそれが出来なかった。
     しばらく少年が平之丞と話をしているのを尾形はぼんやりと眺めていた。ところどころ聞き慣れない言葉やイントネーションが混じり、なんとなく不思議な気分になる。時折少年の語気が強くなり、言い争っているようにも聞こえてきて、尾形は眉を顰める。
    ――まぁ、年頃の子どもと大人の兄弟なら喧嘩もするか
     大変だな。なんて呑気なことを思っていると、急に少年が尾形の目の前にスマートフォンを差し出してきた。
    『兄さぁが……話があるって』
     少年は酷く不満そうな顔をして「ん、」と尾形にスマートフォンをもう一度差し出す。なんで俺が、と文句を言いたくなるのを我慢して尾形はスマートフォンを受け取った。
    『替わりました、尾形百之助です』
    『鯉登平之丞です。この度は弟がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした』
     穏やかな口調で電話越しに平之丞が謝罪をする。
    『いや、俺はただ弟さんが部屋の前に座っていたので……』
    『ふふふ、ほんのこて音は頑固じゃな』
    『え?』
    『いや、頑固者だな、と。……あの子は、私の出張期間中は学校の友人の家にお世話になると言っていたんですよ。私もてっきりそうだと思っていたんですが、どうやら一人で過ごそうとしていたみたいで』
     兄は納得しているというのは嘘だったのか。そうだろうなと予想していた尾形は「やっぱり」と小さく呟く。
    『私もあの子が誰かに頼るなんてことしないと思っていたので、嘘だと思っていたんです。……ただ、あれだけ強く言われると保護者として、兄としてあの子の言い分を無下にも出来なくて』
    『はぁ。……それで、俺はどうすれば良いんですか。電話を替わってくれ、というのは何か頼みたいからでしょう』
     兄弟間で話し合えば良いだけの話なのに、わざわざ自分と話をしようとしているのは、そういうことだろうと尾形は予想し問いかける。
    『話が早いなぁ、尾形さんは。すまないが、私のがそちらに戻るまで音之進と一緒にいてもらえませんか』
     何を言っているのか分からなかった。平之丞が言っていることを再度頭の中で再生し、意味を理解しようとする。
    『えっと、それは……弟さんと一緒に一週間過ごせ、ということでしょうか』
    『突然のお願いで嫌なのは分かっています。しかし、弟の音之進が誰かに頼るのは初めてなんです。それが、部屋で話を聞くとか、そういうことであっても。……私の考えが甘いことはわかっています。それでも、初めて誰かに頼った貴方に、音之進をお願いしたいんです』
     電話越しに平之丞が深々と頭を下げているのが目に浮かぶ。面倒事に巻き込まれるのは嫌だ。絶対にこの少年――鯉登音之進とは合わないと思う。自身のつまらないが平穏な日常を守るためにも断ろうとした、その時だった。
    『ッ、おまえ……』
     尾形の服の裾を鯉登が掴んでいた。俯いているから表情は分からなかったが、それでも鯉登の手はしっかりと尾形の服の裾を掴んでいる。叱られた子どものような、幼すぎる仕草を尾形は無視できなかった。
    ――似たようなことすんじゃねぇよ
     かつての自分と今の鯉登の姿が重なり、尾形はその手を払えず、その代わりに一度だけきつく唇を噛みしめた。
    『尾形さん……?』
    『……わかりました。ただ、俺も大学やバイトもありますので、帰宅時間はバラバラです。ずっと弟さんに構うことが出来ませんが、それでも良いですか』
    『大丈夫です。ありがとうございます。音之進に替わってもらえますか』
     替われって、と小さく呟きスマートフォンを鯉登に渡す。電話を替わった鯉登は、少しだけ表情が明るくなっているように見える。
    ――なんでこんなことになったんだろうな
     心の中で不満を言いながらも、尾形は兄と嬉しそうに話をする鯉登をぼんやりと見つめる。
     それが尾形と鯉登の出会いであり、今でも鯉登がこの部屋を訪れるきっかけになった出来事だった。

     そんな平凡でつまらない尾形百之助の日常はあっさりと『愉快』なものへと変わった。
    「尾形っ! 今日も来てやったぞ」
    「……世間知らずのボンボン鯉登くんはお帰りくださーい」
    「今日の土産は尾形の好きな和菓子店の大福だが」
    「……お茶を準備致しモス」
     そう言って尾形は玄関にいる少年をちらりと見て、キッチンへと向かう。あっついのが良い! と少年の元気の良い声が後ろからはっきりと聞こえてきた。玄関で靴を脱ぎながら大声で叫んでいるのは、四月に尾形がマンションから駆け出していった少年だった。少年の名前は鯉登音之進と言い、尾形の隣の部屋に住んでいる。正確には元々尾形の隣の部屋には兄の鯉登平之丞が住んでいる。弟である音之進は、高校進学を機に地元の鹿児島から遠く離れた北海道函館へと引っ越してきたのだ。
    「尾形ー、後で勉強教えてくれ」
     靴を脱ぎ、いつの間にか手洗いやうがいを済ませた鯉登は、リビングのソファーで寛いでいた。すでに買ってきたと言っていた大福は、ローテーブルの上に紙袋ごと置かれている。
    「皿くらい出せ。場所知ってんだろ」
    「尾形が持ってくると思っていた」
    「半分家みてぇなもんなんだから、自分で準備しろ」
     尾形は両手にマグカップを持ちながら、キッチンの方向を顎で指す。はぁい、と少々嫌そうな声ではあるが、鯉登は尾形に言われたとおり皿を出すために立ち上がった。とことことキッチンに向かう後ろ姿は十六歳にしては少し幼いようにも見えたが、自分もその頃は鯉登と同じ、いやそれより幼く見えていたかもしれない。尾形はそんなことを思いながら、ローテーブルにマグカップを置く。一つは自分、もう一つは鯉登が座っていた場所の前に置く。
    『私のだから、大事にしてくれ』
     嬉しそうに自宅から持ってきたマグカップを自分に差し出してきた鯉登を思い出す。北欧生まれのキャラクターが描かれたマグカップを、鯉登は尾形の手を取り、ゆっくりと握らせた。その時から鯉登が尾形の部屋にいるときは、このマグカップを使う。それだけではない、鯉登の部屋着やバスタオル、スマートフォンの充電器やお気に入りのCDに映画の円盤。尾形だけが生活している時にはなかった物がこの部屋に少しずつ増えていた。まるで恋人と一緒に暮らし始めたようなその様に、尾形はゆっくりと口角を上げて微笑む。
    「まぁ、本人はそう思っていないだろうがな」
     尾形ー、とキッチンから鯉登が呼ぶ声がする。
    「はいはい、なんでございモスか」
     尾形はキッチンへと足を運んだ。
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    はも@🐈‍⬛🎏原稿

    SPUR ME恋音展示が間に合わない文量になったので、現在できてるところまで公開します!本当にすみません!完成したら完全版をpixivに投稿しますので、よろしくお願いします。
    函館に引っ越してきた鯉登くん(16)が冬季鬱っぽくなったのを、ここぞとばかりに手を差し出して手に入れようとする尾形百之助(21)の話です。
    極夜にて「尾形はあたたかくて、すきだ」
     そう言って尾形の膝の上に形の良い丸い頭を置いて少年が呟く。少年の声は声変わりが済んでもまだ少しばかり声が高く、甘い。
     尾形、おがた。何度も甘い声で名前を呼ばれ、尾形はくつくつと肩を揺らして笑う。
    「なぁ、もうここで暮らせよ」
     艶のある黒紫の髪を撫で、少年の耳を指で柔く揉む。たったそれだけなのに、少年の耳が赤く染まる。黒い瞳がゆっくりとこちらを向く。気が強い性格で、誰にも弱ったところを見せようとしなかった子どもが、今は縋るような目で尾形をじっと見つめている。
     この少年には自分しかいない。言葉で言われなくとも、少年の視線、表情、態度で解る。それが尾形にとって他の何にも変えられない幸福――黒くどろどろした幸せが自身を染めていく感覚にうっすらと微笑んだ。
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