凪砂さんと茨くん────────
少年の朝は早い。
日の出とともに起床し、まだ眠たい目をこすって「めんどくさいなぁ」と思いながらも、身支度を整える。
朝は少し冷えるようになってきた秋のはじめ。
冷水で顔を洗うと、しゃっきり目が覚めた。
暗紅の髪を後ろで一つに結び、黒のシンプルなエプロンを身につければ少年はキッチンに立つ。
これから、ちょっとした戦場で彼は戦う。
気合いを入れて腕捲りをした少年は、まずはお米を研ぐのだった。
──朝6時。
ダイニングのテーブルには、2人分。
和食がメインの朝食が並んでいた。
そう、少年は1人で生活しているわけではなく、彼の保護者───書面上ではそうだけど、実際面倒見てるのは、俺のほうだよなあ───と暮らしている。
朝が少し苦手なその人を起こすまでが、少年の1日の中で特に苦労することだった。
「朝だぞ、凪砂!起きろ〜!」
2人で眠る寝室に向かい、無駄に大きなベッドのわりと端の方で、布団に包まるふくらみ。
布団を一気に剥ぎ取り、少年は保護者…凪砂の耳元で声を張り上げる。
これだけそばで叫んでも、その整った眉一つ動かない。
が、寒さから布団を探してもぞもぞ動き出した。
剥ぎ取られた布団を中々掴めない手は、空を切っている。
「おーきーろ!」
その様子がおかしくて、少年は毎朝ついつい笑ってしまうのだが、起こさねばせっかく用意した朝食が冷めてしまう。
やわらかな銀の髪が乱れるのも気にせず、その逞しい肩を遠慮なく叩く。
そしてやっと、ゆっくりと長い睫毛に縁取られた切れ長の瞼が開く。
何度か瞬かせ、凪砂が少年を視界に捉えた。
「───……おはよう、いばら…」
「はい、おはよう!もう朝ご飯出来てんだから、早く起きてよね」
「……うん」
いばら。茨。
そう呼ばれた少年は、ハキハキと凪砂へ指示をしてから寝室を出て行く。
その背を見送り、乱れた髪を手櫛で適当に梳きながら凪砂は欠伸を一つして、まだ重たい体を起こすのだった。
「いただきます」
「…いただきます」
身支度を済ませた凪砂もダイニングへやってきて、2人で食卓を囲む。
同時に手を合わせ、食前の挨拶。
今日の朝食は白米にお味噌汁と、焼き鮭と、少しいびつなたまご焼き。
それにスーパーで買ってきた出来合いの惣菜を、何品か皿に盛りつけたものが並んでいた。
凪砂はまず、お味噌汁を一口啜る。
「…ん、お味噌汁……さつまいも?入ってる。甘くて美味しいね」
ごろりと転がる野菜。口に含むと甘みの広がるそれは、さつまいも。
お味噌汁の塩気との相性は、中々に良い。
「この前いっぱい貰ったから、入れてみた。うん、美味しくできてる」
茨も食べてみれば、満足そうに何度か頷いた。
「…そういえば、他にも色んな野菜を貰ってたっけ」
「二人しか居ないんだし、こんなに消費出来ないって言ってんのにな〜。弓弦のやつ、あれこれ持たせるから何作るか考えるのも一苦労だよ」
キッチンに、段ボールいっぱいに入った彩豊かな野菜たちがいるのを思い出す。
野菜は購入したものではなく、茨の通う施設で、何かと茨を気に掛けてくれる人からの貰い物だった。
その人物に茨は溜息混じりの愚痴をこぼすが、凪砂にはそれが嬉しそうに話しているように見える。
つい綻ぶ口元。茨が楽しいと、凪砂もつられて笑みがこぼれてしまう。
「…たくさん食べて、大きくなろう」
「俺は日々成長してるっての!凪砂の身長なんて、すぐ抜かしてやるんだからな!」
「…うん、楽しみにしてる。茨の成長を、そばで見守らせてね」
目の前で胸を張る、まだまだ小さい少年に。
凪砂は気付かれないよう、愛情たっぷりの目で見遣る。
この小さく愛おしい存在を、凪砂はなによりも愛していた。
そしてあたたかなこの時を、心から守りたいとも。
すこし普通とは違う、2人の関係。
けれど、確かにある絆。
「…ねぇ、夜はオムライスが食べたいな」
「ええ〜!?野菜全然使えないじゃん!ダメ!」
「…刻んでたくさん入れたらいいんじゃないの?」
「それもアリだけど、小さく刻むの、まだ苦手なんだよな〜…。まあ、俺の指が2本くらいなくなってもいいなら、やるよ?」
「…それは駄目だね。茨のかわいい指が無くなるのは駄目。他のメニューを考えよう」
「かわいい指って何だよ!……ったく、ほんっと過保護」
「…何か言った?」
「なんでもな〜い」
これは、血は繋がっていないけど、家族として暮らす青年と少年の、とある日常のおはなし───……
つづく…?