愛を贈るための遠回り────────
「閣下!本日はわざわざ御足労いただき、ありがとうございます!」
いつものように、びしっと敬礼のポーズを決めて快活な挨拶で自身の主人を出迎えた茨。
「…ううん、大丈夫。初めて歩く土地だから、新鮮で楽しかったよ」
「それは何よりです!では、どうぞこちらへ…☆」
促され、凪砂はとあるビルの中へ足を踏み入れる。モノトーン調のコズプロの事務所と違い、床も壁も白で統一されたエントランスから、二手に分かれた階段を一階分上り廊下を進む。
幾人かとすれ違うと全員が茨へ会釈して行き、それに返す茨を見て、やっぱりここは茨の持つ会社のビルなんだな、という凪砂の推測は当たっていた。
何故、今日は仕事の予定のない2人が、且つ会社の人間でない凪砂がこのオフィスビルにいるのかと言うと。
───茨にこの場所へ来るように指定されたのが、昨日の夜のこと。
仕事を終わらせて寮の部屋で寛いでいた凪砂の携帯端末に、一件のメッセージが届いた。
ちょうど読書のきりがよく、たまたま顔を上げたときに目に入った差出人が茨だったため、すぐに確認した。
やや文章量のあるそれの、一番重要そうなところに目をとめる。
『お時間がございましたら、明日の14時、こちらへお越しいただくことは可能でしょうか?』
続けて送られていた地図を開くと、土地の名は知っていたが赴いたことのない場所。
これは珍しくデートの誘いかと思うも、印がついている箇所は、ESから離れたオフィスビル街だったので、凪砂の期待はすぐ砕かれる。
明日はオフのはず。仕事でもないのにそんな場所へ来るよう指定する理由が分からず、首を傾げた。
指定のビルは、茨の持つ会社のものではないかと推測する。が、しかし。そこへの茨の誘いは何が目的なのか。
一体何をするのか、それ以上は何も書いていない。
(……これは、聞かない方がいいのかな?)
何でも事細かにあれこれ話したがる茨が、前置きにも凪砂のプライベートな時間を邪魔して申し訳ない云々とだけあるのみで、肝心の詳細は不明。
尋ねれば答えてはくれるのだろうけど、あえて話さないことを思うと、個人的な用事なのかも?やら、もしかして本当はデートの誘いなのでは?と考えを巡らせてしまう。
(……何だろう。内緒なのかも。ふふ、少しわくわくするね)
恋人へのお誘いにしては、事務的すぎるけれどね。
と思いつつも、茨からこうして誘われたのだ。凪砂にはもちろん、断る理由など無い。
茨が内容を詳しく言わないのであれば、自分であれこれ考えて聞くのも野暮だろうと、凪砂は端末を操作し
『いいよ』
と短く返信して、新たな期待に胸を膨らませるのだった。
──そして今日の朝を迎える。指定の時間に間に合うよう、凪砂は支度し寮を出た。
ちょうどそのタイミングで、茨から『迎えを出してますので、星奏館の前でお待ちください』とのメッセージが届く。
そこは未踏の地ではあるが、真新しくも珍しくも無いただのビル街。でも今日は晴れていていい天気。更には、茨がよく利用する場所であるのだろうというだけで、『歩きたいからいらない』の返信を送り、端末を上着のポケットにしまう。
すぐに端末が震えた気がしたが、凪砂はそれを無視して、昨日送られてきた時に覚えた地図を頼りに目的地まで徒歩でやってきたのだった。
出迎えてくれた時の茨の笑顔が少々引き攣っていたのは、きっと寒さのせいではないだろう。
そうして着いたビルの中へ茨に案内され、止まったのはフロアの最奥。
細長の磨りガラスが扉に2枚ずつ均等に組み込まれた、上品な黒の両開きのドアが構える前。
「お待たせしました。到着です」
「…ここ?一体何があるの?」
「それは、見てからのお楽しみですので」
あくまで目的を話さない茨。
部屋に着くまでの短い間にも、それに触れることはしてこなかったが。とうとう着いても教えてくれない。
そのぶん凪砂の期待が高まり、茨は私に何を見せてくれるのだろう、と好奇心が止まらなかった。
やや勿体つけて、茨はゆっくりとドアを開けていく。
「…!」
開かれると同時、凪砂の鼻腔をくすぐる甘い香り。次いで視界に飛び込んできたのは、たくさんの──それはもう、夢のような──数えきれないほどの、一日では食べきれないだろうと思ってしまうほどの、チョコレートたちだった。
「……すごい……」
思わず感嘆の声をもらす凪砂がまず見つけたのが、部屋の中でもいっとう大きなチョコレートファウンテン。
凪砂の身長も越していそうな高さのそれから、滑らかに溶かされたチョコレートが噴水状に止め処なく流れている。
そばのテーブルには、ファウンテンで絡めて食べるための一口大にカットされた色んな果物やマシュマロが置かれている。
そして、甘い香りの正体はそれだけではない。
入り口から並ぶテーブルは、室内を一周している。その上に所狭しと、しかし見ているだけでも楽しませるような、手に取るのは少し勿体ないほど綺麗に並ぶチョコレート菓子の数々。
果物で彩豊かにデコレーションされた、カップに入ったチョコレートのケーキ。食べ応えのありそうなガトーショコラのワンホール。
香ばしいナッツの乗ったブラウニーや、生クリームとチョコソースがかかったチョコプリン。
他にも数十種類以上が並ぶ室内に、凪砂の視線はすっかり釘付けになっていた。
「コズプロでも行ったバレンタインの企画が、とても良い結果を残せたんです。そこで今回、一番の貢献人である椎名氏に褒美は何が良いかと尋ねたところ、作るばかりだったのでチョコを腹一杯食べたい、と言われまして。せっかくならと皆さんに楽しんでいただけるよう、ビュッフェ形式でもてなそうと思った次第であります」
いわば懇親会のようなものですな、と続く茨の言葉を聞きながら、凪砂の意識は心躍るたくさんのチョコレートたちに未だ向いていた。
しかし、ふと気になった一言に、隣の茨へ顔を向ける。
「……ねぇ。皆さん、ということは…他の子も来るんだよね?こんなにすごいもの、私が一番に見てしまって良かったのかな」
室内に、もとい、このビルにコズプロの人間は凪砂と茨の他に居ない。
凪砂のため、Edenのためだけにとこのチョコレート菓子と広い会場を用意したわけではないというのに、わざわざ一番に呼び出された理由が未だに分からなかった。
「ええ、もちろんですとも!それに、仰るように他にも殿下とジュンはもちろん、コズプロのアイドルの皆さんにも声はかけているので、そのうち来てくれる方もいるとは思います」
「…そっか。うん、きっと来てくれるよ。これだけのものを独り占めするのは、魅力的だけど寂しいからね」
「その時は、僭越ながら自分がお供致しますよ」
凪砂がいずれ賑やかになるであろう、この場所に集まる笑顔を思い、微笑む横で───ふ、と茨は一瞬、凪砂から目線を外す。
「あの、閣下」
「……ん?」
そして再び凪砂を見遣る。
何故か緊張しているような、躊躇うような。
茨の珍しい様子に気付く凪砂。
「閣下に一足先にお越しいただいたのは…まあ、その。ちゃんと、理由がありまして」
そして、妙に歯切れの悪くなる茨。
「……理由?何?」
優しく尋ねる凪砂を一瞥し、少し離れた茨がそばのテーブルにツリー状に積み上げられていた可愛らしい小箱たちに手を伸ばした。
そこから茨が取ったのは、積まれた小箱の一番手前に置かれている、ひとつだけ大きさの違う箱。
真っ赤な正方形の箱に、ダークブラウンのリボンが結ばれている。そして目をひいたのが、そのリボンに差し込まれた、一枚のメッセージカード。
茨は最早真正面から凪砂を見ることもかなわないのか、顔を逸らしぶっきらぼうに。でもしっかりと両手で差し出されたそれに、凪砂が目線を落とす。
茨の手書き文字で『happy Valentine』と綴られていた。
「……茨、これって……」
──もしかして。
これは、予想していなかった。だってそんなこと一言も言わなかったし、全く態度にも出していなかった。忙しさもあり、もうとっくに過ぎてしまった日だからと諦めていた。私とは仕事でもオフでも一緒にいる時間は多かったはずなのに、いつの間に用意を?
一瞬にして色々と聞きたいことがあふれて止まらなくなるが、それよりも、この先を茨の口から聞けるのを凪砂は待った。
だって、こんな機会、またとないかもしれないから。
「えっと。時間がなくて、これだけしか用意出来なかったんですけど…自分からの、気持ちです。受け取って、もらえますか…」
いつもの覇気はどこへやら。少し口籠りながら伝える。
茨にとってはバレンタインなんて、仕事以外では無縁だと思っていた行事。
ましてや誰かのために、贈り物としてチョコレートを手作りするなどと夢にも思わなかった。
凪砂との日々によって、随分と絆されたものだな、と自嘲もしたが。不思議と居心地が悪くないから、余計に戸惑うばかりである。
(こんなことをしてると教官殿と殿下には絶対知られたくなかったし、それでも誰かに見られて変な勘繰りされることを避けたかったから、今日こうして先に来てもらったわけですけど…)
ただチョコレートを渡すだけなのに、自ら作ったものだからというだけでがらにもなく緊張して。
ろくに顔も見れないくせに、浮かぶのは受け取って喜んでくれる優しい笑顔。
──なのだが。どれだけ待っても凪砂からの反応が無い。
(えっ、無反応?…もしかして、手作りは重いとか言うんですか!?そうだというのなら自分のリサーチ不足ですけど!それともこんな奴だと思わなかったって言うんです、か…)
横目で凪砂を見遣ると、茨は目を見張った。
口元をおさえ、必死になにかを堪えるような。受け取ろうとする手がそこまで出ているのに、見事に不意を打たれてしまったからどうしていいか分からないと言いたげだ。
(隠しても、緩みきっているのが丸分かりですよ)
さっきまでの緊張が、少し消えた気がした。
……ああ、もうほとんど確信していたというのに。目の前に差し出されているのに。
茨から言葉をもらっただけで、こんなにも胸が熱くなり、高鳴る。破裂しそうなほど。
(…今の私は、どんな顔をして茨を見ているのかな…)
嬉しくて、愛しくてたまらない。
そんな気持ちが溢れてやまなかった。
「…閣下?あの、こちらはお気に召しませんでしたか?ご不要なら、これは捨て…」
「……駄目」
「!」
しかし色々と堪えるのに時間を要したせいで、不安げに茨が箱を下げようとする。
その手を掴み、止める。
「……ごめんね。その、あまりに嬉しくて……すぐに、反応できなかった」
「あ、そ…そう、ですか。それは、よかった」
「……うん…」
「…………」
流れる沈黙。
それはどれくらい続いたか。
数秒か、数分か。
「〜〜っあの!これ、いるんですね!?なら早く受け取ってくれませんか!?」
色々耐えきれなくなった茨が静寂を破り、ずいっとチョコレートの入った箱を押し付ける。
「……ありがとう、茨。とても嬉しい。でも、この気持ちを表す言葉がうまく出ないのが…もどかしい」
ようやく受け取り、凪砂は改めてまじまじとそれを見詰めた。
うれしい。かわいい。大好き。言葉に出来ないという分を全身で伝えてきていて、にこにこと上機嫌な凪砂に圧される。
「いえ、結構です…聞くと胸焼けしそうなので。それと、出来ればすぐにでも召し上がっていただきたいのですが」
渡せたことで気が楽になったのか、胸を撫で下ろし普段の調子が戻りつつある茨。
「…やだ。帰ってから、ゆっくり味わって食べたいよ」
「では、それは自分の居ないところでお願いします!」
「…茨が食べさせてくれないの?」
「たっ!?な、なんでそこまでしなきゃ、」
「…いっそう美味しくなるかな、と思って」
「変わりません、別に普通のチョコレートです」
「…普通の、ではないよ。茨が言ったでしょう?自分の気持ちですって。だからこのチョコレートは、想いのこもった、特別なひとつだよ」
凪砂は大事に、愛おしげに、受け取った真っ赤な箱を撫でる。
その様子を見て胸の辺りがむず痒くなって、せっかく解放されたと思ったのに落ち着かなくて、茨はくしゃりと暗紅の髪を撫でた。
「分かりました、もう自棄です。食べさせるなりなんなりさせていただきますので!そのかわり!このチョコレートのことは、ぜっったい誰にも言わないでください!」
しかし凪砂が頷く様子は無かった。
これは絶対日和に話すつもりだ。
茨はすぐに察した。
「……ふふ、かわいい。かわいいね、茨」
「何故頭を撫でるんですか…?」
「……今、ものすごく茨を抱き締めたいんだけど…そうすると、貰ったチョコレートがお互いの体温で溶けてしまいそうだから、かな」
「…好きにしてください」
ついに観念してしまった。
自分の想像以上に嬉しそうにするこの人を見てしまったら、もう何も言えない。
(これが惚れた弱みってやつですか?だとしたら、本当に厄介すぎる…!)
慣れない感情とよく分からない悔しさ。どう処理したらいいのか分からず、心なしか熱くなってる顔を逸らした。精一杯の抵抗だ。
けれど仕方ないから今だけは、大人しく撫でられることにした。
同じ日は何度巡っても、同じ時は二度とない。
(…素直になれない君から、初めて貰う想いのかたち)
ひとくちで、この身もとろけてしまうかも。
目の前の愛おしい君に、この掌からも愛が伝わればいい。
「…チョコレートは用意出来なかったけれど、そのぶん、茨に愛をたくさん伝えさせて。受け取ってくれるよね?」
「ほどほどに、お願いします…」
そう言ってはにかんだ茨の額に口付けて、凪砂は囁くのだった。
いつもよりもずっとずっと、めいっぱいの愛情を込めて───…。
「───ねえジュンくん。もう入ってもいいよね?」
「もう少しだけ待ってやりましょうよぉ〜?ここで邪魔すんのは、野暮ってもんです」
「仕方ないね…、あと5分だけだからね!そうしたら茨には、ぼくのことをたっっぷりもてなしてもらわないとね!」
隠れた愛が現れるまで、あと少し。
終
※補足…?
渡したチョコレートは、オレンジピールの入ったトリュフチョコかオランジェットで悩んだ末に決められなかったので、書くまでには至れず。
同じ部屋の離れたところにはゆうたくん用に激辛料理の用意と、日和のためにキッシュやパイを用意してある…