憧れていたのは、私の方だから女王試験が始まり55日目。
ロザリア・デ・カタルヘナは緊張した面持ちで準備を進めていた。
今日は女王試験の2回目の定期審査を迎える。
前回の審査は僅差で自分の方が育成で上回っていた。
しかし、その後、ライバルであるアンジェリークは要領を覚えたのだろうか。みるみるうちに育成が進み、そして、多忙であるはずの女王試験の合間を縫って守護聖たちとの交流も深めている。
昨日の時点での数値は、育成も守護聖からの評価も自分は彼女に負けていることを告げていた。
だけど、そんな緊張感を持っている自分に対し、アンジェリークは平常通りというべきか。隣の部屋からは準備する気配が伝わってこない。
自分とは対照的に彼女はおそらく緊張の欠片もなく睡眠をむさぼっているのだろう。
見知らぬ振りをすることもできる。
だけど、それをするのは淑女としてのたしなみが許さない。
多少の苛立ちを込めながらもロザリアはアンジェリークの部屋のドアをノックすることにした。
そう
どことなく素直になれない声色で。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ロザリア、ありがとう」
定期審査が終わったあと、アンジェリークは少し照れた笑みを自分に向けてくる。
何がとは聞かなくてもわかる。先ほど起こしに行ったことだろう。
微笑むアンジェリークに対し、ロザリアは苦々しい気持ちになる。
女王としてふさわしい素質を持ったのは自分。そう信じてきた。
そして、そのために教養を身につけてきた。
だけど、定期審査の結果は前日に調べたのと変わらず、アンジェリークの方が育成に優れているという結果であった。
今まさに開花しようとしている天才的な素質の前では、多少の素質や教養は無駄なのかもしれない。そう思わざるを得なかった。
そして、彼女に叶わないと感じているのはもうひとつ……
「ロザリア、このあと時間ある?」
「えっと……」
「せっかくだからお茶でもどうかしらと思って」
自分に向けてくる天真爛漫の笑み。
年齢の割に幼く見える部分すらあり、その笑みは女王になるべく邁進してきた自分には眩しい。
だけど、その真っ直ぐな瞳を受け止めることができず思わず心にないことを言ってしまう。
「あんたと違って私は忙しいの。気軽に話しかけないでちょうだい」
しまったと思ったときは時すでに遅し。
アンジェリークはその丸い瞳に涙を浮かべつつ、でも溢さないようにしながらロザリアの瞳を真っ直ぐ見つめてきた。
「そう。ロザリアは私と違って期待されているものね……」
そう言いながらアンジェリークはロザリアに背中を見せる。
何度も見てきたアンジェリークの背中。それが今日はいつになく小さく見えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
部屋に戻り、ベッドに横たわりながらロザリアは先ほどのことを思い出す。
悲しげなアンジェリークの顔が頭から離れられなかった。
今日は守護聖も休みのため、育成の必要はない。
そして、こんな性格の自分だから、誘いに来る守護聖もいない。
忙しいと言ったものの、ロザリアは実際のところ暇を持て余していた。
それにしても……
ロザリアは改めて思う。
ライバルではあるが同じ女王候補同士でもある。今後のことを考え、親睦を深めるべきではなかったのだろうかと。
今からでもいい、せめてアンジェリークに詫びの言葉を伝えよう、と。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
隣の部屋のドアをノックしたものの返事はない。
どこかへ出掛けたのだろうか。
そう思って飛空都市を探し回ろうとしたところ、後ろから声が聞こえてくる。
「浮かない顔をしているな、お嬢ちゃん」
飛空都市でこの呼び名で話しかけてくる相手はただひとり。
「オスカー様……」
少し前から話す機会の多くなった守護聖。
女王試験に臨んでいるという緊張感からか無意識に肩に力が入っているが、彼を前にすると張り詰めている気が少しではあるが緩むのを感じる。
「どうだい、お茶でもしないか?」
その提案にロザリアは自分の顔がパアッと華やぐのがわかる。
同じことを言っている女性は他にいるのだろうと容易に想像つく。そして、そのことが悲しくもなる。
だけど、彼の煌めく瞳が繰り出す誘いを断ることはできなかった。
「どんな努力も天性の素質の前では叶わないのでしょうね」
目の前のカップにはカプチーノが注がれている。
この泡の感触が心地いいと知ったのは、彼-オスカーと出会ってから。
ここで過ごして早2ヶ月。
一緒に過ごす者たちがどのような人物なのか少しずつわかってきた。
もちろん、ライバルであるアンジェリークもそのうちのひとり。
出会ったときこそ「普通の」少女だと思いついバカにしてしまったが、この1ヶ月で彼女が持つ素質が自分の能力を遙かに凌駕するものであることにロザリアは気がついていた。
最初の1ヶ月自分の方が結果を残していたのは、もともと女王になるべく教育を受けたがゆえのもの。
だけど、ここ1ヶ月の結果は本来の能力の差が現れてきているのだろう。
そして、これからの1ヶ月で大まかな決着が着く。
ロザリアにはそんな未来が見えた。
「でも、わたくしは幸せだと思います。女王試験を受けることができたのですから」
聖地では数年に一度の女王試験ではあるが、下界ではそれが何百年の間隔になることもある。実際、スモルニィでも現在の女王陛下の存在は既に伝説の存在であった。
女王となるべく教育を受けたものの、女王になることができるものはほんの一握り。自分はこの飛空都市に来られただけでも幸せなのかもしれない。
ふと、そのとき、ロザリアの瞳にはアンジェリークが首座の守護聖と親しげに会話をしながら公園を横切る様子が目に入ってきた。
「いつの間に……」
自分にとっては尊敬すると同時に畏れるべき存在。
だけど、アンジェリークには違う存在なのだろう。
この上なく幸せな様子でジュリアスに話しかけるのが見えた。
そして、ジュリアスもやはりアンジェリークに対しては自分に対するのとは違う気持ちでいるのだろう。自分には決して見せたことのない優しい瞳で彼女を見つめていた。
ふたりの様子から察せられることはただひとつ。
そう、恋。
一方で気がつく。
女王は恋をしてはいけないという不文律があったことを。
「ジュリアス様も隅には置けないな」
自分の目の前にいる守護聖も何かに気がついたのだろう。それだけを口にする。
ライバル候補生と首座の守護聖の意外な様子を目にしたため、ふたりはそのことに気がとられ会話が弾まない。
そのため、予定よりも早いお開きとなる。
だけど、せめてものと思い、ロザリアはオスカーにひとつの約束を取りつける。
「オスカー様、またご一緒していただけますか?」
「ああ、構わないぜ」
その言葉に安心して、ロザリアは寮の自室へ戻っていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それからロザリアはアンジェリークとの差を埋めるべく、育成に励んだ。
育成も、恋も、すべて順風満帆に見え、幸せを謳歌しているように見えるアンジェリークが羨ましかったが、それに対して指を咥えて見つめるのは自分の性格やこれまで受けた教育が許さなかった。
その結果、アンジェリークとの育成の差を完全に埋めることはできないが、誤差の範囲内での差に縮めることができた。
また、守護聖たちへの接し方も無意識に変わったのだろうか。以前よりも親密度が高い守護聖も増えたように感じる。
マルセルの執務室に行ったとき、以前は怖れられているようにすら感じていた。
しかし、
「ロザリア、最近、雰囲気変わったね。何だか頼りがいあるお姉さんという感じ」
そんな風に声を掛けられてくすぐったく感じることあった。
最近アンジェリークとは話す機会はない。彼女が自分に話しかけにくくしたのは何よりも自分に原因があるのだから、そのことは当然と受け止めていた。
だけど、寮を出る瞬間、ふと彼女とすれ違うことがある。
あるときは楽しげに、あるときはそれまでの彼女とは印象が異なるキリッとした眼差しをしていた。もっとも、アンジェリークはロザリアの姿を見るとぎこちなくなるのが、ロザリアにも伝わってきたが。
そんな彼女に背を向けながらロザリアも自分にできる最大限のことを行うことにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「最近、他の守護聖からロザリアの話をよく聞くぜ」
オスカーに話し掛けられたのは、前回の定期審査から3回目となる日の曜日。
次の次の土の曜日には次の定期審査が行われる。
もともと気を抜いているつもりはないものの、そろそろ気を引き締めないといけない時期。
だけど、「たまの息抜きも大切だろ」。そうオスカーに声を掛けられてロザリアは森の湖に遊びに来た。
「あら、そうなの?」
先ほどのオスカーの言葉を裏付けるかのように、確かに最近は育成こそアンジェリークに劣っているものの、親密度ではアンジェリークより上回っている守護聖が増えたように感じる。
「正直妬けるな。お嬢ちゃんの張り詰めている気持ちに気づいているのは俺だけだと思っていたのだが……」
「えっ?」
プレイボーイとして知られる彼からそんな言葉が聞こえてくるとは、にわかに信じがたい。
そう思いながら見上げると彼の炎のような瞳と視線がぶつかる。
彼とは何度かこうしてお茶をともにしているが、オスカーの瞳から熱情を感じるのは今回が初めてであった。
今まで向けられたことのない感情。
それを感じ取っていると、ロザリアの心の中に今まで感じたことない気持ちがかけめぐるのを感じる。
ドキドキするような、それでいて胸がきゅっと締め付けられるような、そんな気持ち。
そんな自分がいることが不思議でいたが、周りのものから聴いた話や書物から得た知識でひとつの結論に達する。
この気持ちはきっと恋……。
ロザリアはそのことを理解する。
一方で、少し前にアンジェリークに対して危惧したことを思い出す。
―女王になるには恋を捨てないといけない。
その事実がロザリアの心に影を落とす。
初めての恋なのに、女王になるにはそれを諦めないといけない。
わかっていたが、いざそのときがやってくると、ロザリアは決心がつかない自分を感じる。
すると、そのとき自分たち以外の者の気配を感じる。
見られてまずいわけではないが、思わずオスカーと物陰に隠れてしまう。
オスカーの息が自分の髪にかかるのを感じ、頬が赤くなるのを感じるが、今はそれどころではなかった。
そこにやってきたのはアンジェリークとジュリアスであった。
この間と同じように仲睦まじく歩いており、色味が若干異なる金の髪を揺らしている様子は一枚の絵画のように美しくさえ感じる。
アンジェリークが湖で遊び、それをジュリアスが優しい瞳で見つめる。
自分のイメージだと、彼はこういうことには怪訝な眼差しを向けそうであったため、意外な対応に驚かざるを得ない。
だけど、遊びの時間はあっという間に終わる。
ジュリアスの方を向き合ったアンジェリークは何か振り切った様子でジュリアスに話し掛けるのが見えた。
そして、ジュリアスも一瞬顔を曇らせるが、何か決心をしたのであろう。
アンジェリークの身体を引き寄せ、ぎゅっと抱き締めたかと思うと、一瞬で彼女の身体を開放する。
アンジェリークも泣きそうにしながらも何とか笑みを作り、ジュリアスに向き合う。そして、背中を向け走り去っていった。
すべてが映画のような出来事で、ロザリアはふたりに話しかけることもできず、その場に立ち尽くしていた。
トンと肩に温かいものが触れたことに気がつく。
オスカーの手であった。
ジュリアスの右腕とも言うべき彼は、一連の流れをどのように判断したのだろう。
それを聞くことは憚られる。
だけど、彼も何か思い詰めた瞳をしていることに気がつくが、何も聞き出せないままロザリアは寮へと戻ることとなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「アンジェリーク、あなた、どうするつもりなの?」
寮に到着するなり、ロザリアは自分の部屋ではなく、アンジェリークの部屋へと向かった。
今一番疑問に思っていることを問いただすために。
彼女とはしばらく口すらきいていなかったが、そんなこと関係なかった。
「へ?」
アンジェリークからは間抜けな返事が返ってくる。
先ほどの出来事がまるで夢であったかのように。
そして、彼女の言動が自分の心をかき乱していることなど知りもせず。
「ジュリアス様とのことよ」
ジュリアス。
その名前を出すと、何のことであるか察したのであろう。
先ほどの間抜けな声を出した者と同一人物とは思えないキリッとした表情を見せる。
「諦めるわ」
目的語がない端的な言葉はロザリアの思考をかき乱す。
彼女が諦めるのは女王試験だろうか。ここしばらくの様子を見ている限り、ジュリアスも彼女と同じ気持ちのように思える。
だけど、それにしては最後にジュリアスが見せた抱擁の意味がわからない。
目をぱちくりとするロザリアに対し、アンジェリークは真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「諦めるのは、恋よ」
そうきっぱりと告げる。
「育成の結果が告げているわ。女王は私に与えられた大切な役だと。特に今は宇宙がこんな大変な時期ですもの。投げ出すわけにはいかないわ」
迷いのない瞳と淀みのない言葉が、彼女が心からの気持ちで話していることを伝えてきた。
そして、彼女が自分の想像以上に女王試験にも女王という立場にも向かい合ってきたことを実感する。
もしかすると、それは自分よりも大きいのかもしれない。
「でも……」
彼女に伝えたいことはたくさんある。
聞きたいことも。
だけど、うまく言葉にはならない。
そんなロザリアの気持ちを見透かしたのだろうか。アンジェリークはロザリアに語り掛けてくる。
「ジュリアス様はわかってくださったわ。私の気持ちを」
ロザリアはふと先ほど見た光景を思い出す。
アンジェリークと同様、ジュリアスも覚悟を決めたのだろう。
自分たちは私的な立場では運命をともにしないということを。そして、ジュリアスの抱擁は最後に見せた個人的な感情が湧き出たものと、そしてそれからの訣別だったのかもしれない。
本当にそれでいいの?
そう聞きたい気持ちはある。
だけど、迷いがない彼女の瞳を見ていると、それを聞く自分が無粋のように思える。
そんなロザリアの心を和ませるかのようにアンジェリークは笑みを浮かべ話し掛けてくる。
「そうね。もし叶うのであれば、それぞれの役目を終えたときに幸せになりたいものだわ」
笑顔ではいるものの、瞳がどこか寂しげであることをロザリアは見逃さない。
今、彼女が言ったことは叶えられない夢であることを察しているのもあるかもしれない。
長きに渡って聖地にいたジュリアスと、まだこれからの女王。
ふたりの力が尽きる時期が圧倒的に異なるというのが大半の考えであろう。もちろん、自分も。
だけど、個人的な感情を殺してでも、ふたりは宇宙のために身を捧げようとしている。
「あなたには負けたわ」
頭ではわかっていた。
女王は恋をしてはいけないことを。
そして、宇宙のためには自分の幸せを諦める覚悟を持つ必要があることも。
だけど、目の前に恋愛がもたらす幸福が近づいてこようとしているときに、ロザリアはみすみすそれを手放すことはできなかった。今日、あらためてそれを思い知った。
「あなたは素敵よ、アンジェリーク」
何も考えておらず、気楽に聖地にやってきたとばかり思っていたのに。
定期審査のときなど、大切なときはいつも自分が起こしにいっていたのに。
だけど、ひとりの人間としての幸せを諦め、宇宙のために生きるという選択に至った彼女には叶わないと思う。
すると、アンジェリークは照れたようにロザリアを見つめてくる。そんな様子はやはり年相応の少女だと思う。
「ロザリアにそう言ってもらえて嬉しい。だってロザリアは常に私の目の前を歩いていて、そしてどんな時も凛としてカッコよくて…… だから憧れだったの」
憧れ。
そのような言葉を掛けてもらい、ロザリアは内心照れ臭い気持ちでいっぱいになる。もっともそれを表面に出せないのは、飛空都市に来たときから変わらない部分でもあるのだが。
するとアンジェリークはくすっと笑いながらロザリアを見つめる。その表情はスモルニィで他の生徒たちがよくしていた内緒話を始めるときの仕草を思い出させる。
「ねぇ、ロザリア。あなた好きな人がいるのでしょう?」
単刀直入な質問にロザリアは何と答えていいのかわからない。
アンジェリークは相手が誰であるかは聞いてこない。察しているのか、それとも誰であれ構わないのか。
ただ、慈しみ深い瞳でこう添えるだけであった。
「恋をしているときのロザリア、とてもかわいいわ」と。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それから間もなく女王試験は終了を迎える。
ロザリアも健闘したものの、才能の差なのかあるいは認めたくはないがやはり恋をしたことがいけなかったのか。アンジェリークが育成したエリューシオンの建物が先に中央の島へたどり着いた。
そして、エリューシオンに最後にサクリアを送ったのが光の守護聖ジュリアスであると知り、ロザリアは複雑な気持ちにならざるをえなかった。
私的な立場ではともに歩めなかったため、せめて首座の守護聖として女王を支えようという意思だったのか、それとも彼女へのエールだったのか。
どちらにせよ、当人たちが決めたことに対し、自分が口出しする権利はない。
即位の儀の決定を受け、ロザリアはスモルニィに帰る準備を進める。もうここにいる必要はない。
自分は女王になれなかったものの、試験を通じスモルニィの教育の素晴らしさを実感したこと、そしてアンジェリークが淑女に成長したこと、これらを学院に報告するつもりでいた。
すると、寮のドアがノックされる。
あいにく今ここにいるのは自分のみ。仕方がなくドアを開くと、そこには炎の守護聖オスカーの姿があった。
彼への想いを感じたのも束の間、アンジェリークが自分の幸せを封印している様子を見ると、自分だけが幸せに浸るのは憚られた。
そのため、アンジェリークたちが森の湖に来ているのを見て以来、ロザリアオスカーと私的な会話を交わすことはなかった。
別れの言葉でも言いに来たのだろうか。そう思っていたが、彼がプライベートな表情ではなく、執務中の表情であることに気がつく。
「新女王陛下からの呼び出しだ」
その言葉を受け、オスカーが乗ってきた馬車にともに乗り、聖殿に向かうと、そこにはアンジェリークとジュリアスの姿があった。
「お話しがあると聞いてうかがいました」
ライバルの女王候補への別れの言葉だろうか。
だとすれば丁寧なことだ。
そう思っていたロザリアに対し、アンジェリークは意外なことを口にする。
「ロザリア、女王補佐官として聖地に残ってくれないかしら?」
思いがけない言葉ではあるが、光栄である申し出でもある。
女王試験の最中、自分たちを間近で温かく導いてくださった女王補佐官のディアのことを思い浮かべる。
彼女のように慈愛満ちた存在になるにはまだ人生の経験が足りないことは自覚している。
だけど、自分は彼女になる必要はない。自分らしい補佐官になればいい。
そう思うとロザリアの心が軽くなるような気がした。
「そうね、あんたって、わたくしがいなければ、定期審査に遅刻するような間抜けな子ですもの。わたくしが支えなくてはね」
「そうなのか……」
アンジェリークの隣にいるジュリアスが知らなかったと言わんばかりに目を開いている。
そんなふたりのやり取りもおそらく今後見ることはない。
そして、自分がこんなことを言うのもこれが最後かもしれない。
これから彼女は女王陛下という宇宙を治める尊い存在となるのだから。
寂しく思いながらも、ロザリアはアンジェリークという稀有な存在が女王に即位することへの期待もあった。
そして自分がその宇宙の中で大切な役割を担うことが光栄であった。
先のことははっきりとはわからないが、今、ここにいる者たちとはもう少し一緒にいることができる。
もしかすると新しい関係性を築くことができるかもしれないし、あるいは平行線のままかもしれない。
ただ、これで終わりではない。
そのことが純粋に嬉しかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
聖地での日々は目まぐるしく過ぎていく。
アンジェリークは女王試験の際に見せていた素質を十分に生かし、宇宙に次から次へと起こる難題に立ち向かっていた。
その大胆な解決方法を見ていると、宇宙が自分ではなく、彼女を女王に迎えたのがわかるような気がした。
「たまには休みも必要よ」
そう女王陛下-アンジェリークが提案したため、今日はふたりで公園の片隅にあるカフェに行くことにした。
それは、女王試験の最中にはできなかったこと。
「ほんと、ロザリアには助けてばかりだわ」
「それを言うなら陛下から湧き出る突拍子もない、失礼、大胆なアイディアが項を奏しているのだと思います」
「ロザリア、敬語は禁止とこないだ言ったでしょ。でも、それを言うなら、ロザリアも、そしてジュリアスたちもフォローしてくれると信じているから、だから私は頑張ることができるの……」
女王試験のときにも見せた満面の笑み。
それを思い出させるものの、あのときと違うように感じるのは立場が変わったからだろうか。どこか大人びた、そして横顔に寂しさが浮かんでいるような気がする。
ただ、若さゆえの眩しさは失くなったものの、女王としての威厳ゆえの眩しさは即位してからますます強くなったように感じる。
それにしても……
ロザリアは先ほどアンジェリークの口から溢れた守護聖の名前を思い出す。
女王になるために諦めた恋。
だけど、封印したもののおそらく彼女の心の奥底にはしっかり根付いている想い。
すると、真っ正面に向かったアンジェリークがロザリアの瞳をじっと見つめてくる。
「ねえ、ロザリア。仕事もいいけど、恋愛にももう少し目を向けてはいかがかしら?」
先ほど自分が考えていたのを同じことを今度はアンジェリークから言われる。
ロザリアは口にしていたカプチーノを思わず吹き出すところだった。
そう、女王試験の最中にオスカーがきっかけで飲むようになったカプチーノは、補佐官となった今では愛飲している。
オスカーとは距離が近づいたと感じたこともあったが、アンジェリークたちの恋の顛末を見たり、即位の儀を迎えることになったりして、いつしか疎遠になった。
たまに執務中に顔を合わせることはあるが、きっかけを掴めず話せずにいる。もしかすると、彼はもう次の女性に目を向けているのかもしれないと心のどこかで諦めた気持ちを抱えながら。
あのね、そう言ってアンジェリークが口を開く。
「私も、試験の最中は『諦める』と物分かりのいいことを言ったけど…… でもやっぱり無理だった」
てへっと笑いながら話すアンジェリークを見て、ロザリアは意外なような、一方で安心したような、不思議な気持ちになる。
「やっぱり好きという気持ちは止められないもの…… だけど、前例がないことをするのは何かと大変だわ。だからひとつずつ着実にこなしていこう。そう、ジュリアスと話し合ったの」
そう言って彼女はカフェラテに口をつける。
エスプレッソ由来の飲み物を選んでいるあたり、首座の守護聖の影響だろうか。
すると、アンジェリークが自分の手をがしっと握ってくる。
「だから、あなたもあなたなりの幸せを見つけてほしいの」
ロザリアが思わずたじろいでしまいそうな強さ。
ここまでの気持ちをぶつけられることは滅多にないため、くすぐったい気持ちになる。だけど、決してイヤではない。
「ロザリア、自分でもわかっていると思うけど、あなた、好きな人といるときは、肩の力が抜けていい感じよ」
そう言われて以前オスカーとお茶をしたときのことを思い出す。
確かにあのとき、自分は無意識に弱音を吐いていた。今まで滅多にそんなことはしなかったのに。
「ほら、噂をすれば何とかよ」
その言葉につられて振り向けば炎のような赤い髪を持つ守護聖が自分たちを見つめてくるのが見えた。
アンジェリークは女王という立場に関わらず自分の幸せも掴もうとしている。
宇宙も安定してきており、そろそろ「忙しい」を言い訳にはできない。
恋をすればきっと今まで知らない自分と出会うことになるだろうけど。そして、そのことがこわくないと言えば嘘になるけど。
だけど、もしあの人の気持ちが自分に向いているのであれば、知らない自分と出会うきっかけを一緒に見つけてほしい。
そう思った。
ロザリアはアンジェリークに手を振りながら席を立つ。春の陽気を思い出させるような暖かな笑み。それらに守られるような気がしながら。
「じゃあ、行ってくるわ」
そして、これから自分を迎えるのは灼熱の夏を思い出させるような熱い眼差し。
これから自分の魂はこの炎にどれほど焼かれるのだろうか。そんな期待を胸にしながら、ロザリアはオスカーの方へと歩き出した。