37五条家には、常時たくさんの人がいる。
結界師や医術師はもちろん、お手伝いさんや庭師も数名ずついる。呪術系の人々は交代制で所謂当直もある。その他の人たちは通いで来ていて、食事の準備やお掃除もしてくれる。
なんせ屋敷は広い。掃除なんか一日じゃ終わらないから、順繰りと掃除しているそうだ。
掃除をしてくれるお手伝いさんとは別に、一日三食の食事の準備だけをしてくれるお手伝いさん、対馬さんという年配の女性がいた。私は節約の為にお弁当を持って行きたかったが、対馬さんのテリトリーのキッチンで朝の忙しい時間にもたもたやるのも気が引けた。しかし持って行きたいのでとりあえず時間的な都合でも聞こうと思った。
「あら、一緒に台所に立っていただいて全然構いませんよ!朝のお食事はそんなに手間のかかるものではありませんから!」
いつも旅館の朝食か、というような毎朝を食べさせてもらっている気がしたが……。
私が邪魔にならないように、ではなく、対馬さんの方が私の邪魔にならないようにと気つかってくれた。
「ここは五条家の炊事場ですからね。ご家族様のものであって私のものではありませんから!」
対馬さんはちゃきちゃき話し、よく笑う気さくな人だった。
お米以外の食材は自分で買い、五条家の冷蔵庫からも対馬さんのメニューに迷惑をかけない程度に拝借した。対馬さんは気持ち多めに私が好みそうな食材を入れてくれるようになった。
空いたスペースに何を入れたらいいか相談したり、メニューが思い付かない時は朝食のおかずを分けてくれた。
そして必ず一口大にカットした果物を持たせてくれた。
「女性にはビタミン大事ですからね!」だ、そうだ。果物は高いしありがたかった。
しばらくして、お弁当を持参していることが悟にバレた。私を探して悟がキッチンに来たのだ。
「え?なんで弁当持って行くの?」
「節約の為」
「だーかーらー!節約する必要ある?」
「私はサラリーマンの家庭で育ったの。ちまちま節約する性分なのよ」
「ふぅん。まぁいいけど。俺のも作ってもらえたりする?」
「たまにならいいけど毎日は嫌。いくら悟でも自分以外の人が食べるお弁当だと色々気をつかうから」
「そうなん?まあ俺も任務でいない時多いしなー。食べたい時言えばいい?」
「うん。前の日には言ってもらえれば」
「オッケー。じゃあ先行ってるわ」
「はぁい。いってらっしゃい!」
「あ、とりあえず明日弁当食べたいからよろしく!」
「分かったー!」
ふぅ、と一息つくと、対馬さんがにこにこしながら私を見ている。
「対馬さん?」
「いえ、あの……。愛妻弁当は悟坊っちゃんも食べたいんだなぁと思ったらね、自然に笑顔になりますよね?」
「愛妻?!まだですよ!!」
私は恥ずかしくて全力で否定した。
「いいんです!いいんですよ!照れなくて!」
いずれそうなると分かっていても照れてしまう。
翌朝、私はいつも通り対馬さんとお弁当を作った。悟の分も、となると、倍以上の食材を使い、あまり大きくない私のお弁当には入らないおかずも作らなければならなかった。
「うわぁこれは大変だぁ」と思わずこぼすと、対馬さんに「すぐに慣れますよ。誰かに美味しく頂いてもらえるのはやはり嬉しいですから作りがいも出てきますよ!」と言われた。「美味しいかはちょっと分かりかねるんですが……」と苦笑いすると、「料理も経験ですよ!」と豪快に笑われた。頑張ります!
朝食を食べようとして気づいた。
「パパ、悟は?今日はまだ見てないんだけど」
「あれ?会わなかったかい?起きて5分くらいで運転手さんに拐われて行ったからなぁ」
「え"?人にお弁作ってって頼んでおいて?」
怒りで顔が歪む。二度と作らんぞ?!
「まぁまぁ。同じ職場なんだし届けてあげたら?」
「あ、そうか。うん、そうしよう」
対馬さんが作ってくれた朝食を美味しく頂き、私は高専に向かった。
待機中の呪術師がどこにいるのか雫石さんに聞いてみると、「ぷらぷらしてるから分からない」と言われた。時間があると生徒さんの授業に参加したり、会議に出席していたり、それぞれのお気に入りの場所で昼寝してたり、真面目な人は道場で稽古してたりランニングしてたり、いろいろだそうだ。「ちなみに悟くんは?」と聞くと、「全然分からない」と言われてしまった。
「そうですか。ちょっと困りましたね」
「どうしたの?」
「お弁当忘れていったので届けたかったんです」
「あらいいわね!実さんが作ったの?」
「一応……はい。人様に食べてもらえるレベルではないんですが本家でお世話になっているので……」
いや、作って欲しいと言われたんですけども。
「そうね……。五条さんの今日のスケジュールはどうだったかしら」
「五条さんなら朝イチから会議のはずですよー」
総務から声が飛んでくる。
「会議……。五条さんきっと荒れてるわね」
雫石さんがぼそっと呟く。
え、悟はそんな感じですか。
「あ、ちなみに」
総務からまた声が飛んでくる。
「今日は外部からも人が来てるんで出席者に高級仕出し用意しましたよー!あとで経理に請求書まわしますねー!」
「えぇ……仕出しあるんですか?お弁当作ってって言われたの昨日なのに……」
「会議なら大分前から決まってただろうから、会議だって事五条さん忘れてたのね」
「あー、五条さんの運転手さん、米田さんでしたっけ?ちょっと気の毒ですよね!五条さんルーズだから!」
システムからも声が飛んできた。
今朝、運転手さんに拐われて行ったというのは本当だったんだな……と今更ながら思う。
「冷蔵庫入れておいて夜食べるかぁ」
「五条さんが帰って来たら食べさせた方がいいわよ。せっかく作ってもらったのに食べないなんて失礼だわ。」
「そうですね…」
朝から頑張ったがなんとも肩透かしをくらった気分だった。喜んでもらいたかったな、と本音が声に出そうになって焦った。
「じゃあ、キリのいいところでお昼にしましょ」
雫石さんが言った。
私たちのお昼は12時から13時と決まっている。お昼ごはんは事務棟の一階にある休憩室でいつも食べている。ここにはキッチン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビもあって、事務棟で働いている人たちはみんなここでお昼を食べ、休憩している。事務棟は高専の離島みたいな感じだ。
順番にレンジでお弁当を温め、「いただきます」と言ったところで休憩室のドアが勢いく開いた。
「弁当ーーーーーーーーー!!!!!」
「五条さん。ドアが壊れるので優しく開けてください」
雫石さんが冷たく言い放つ。
「実!…サン!!俺の弁当!!!」
「会議は忘れてもお弁当は忘れてなかったのね……」
「会議は忘れてた!弁当は忘れてない!弁当!」
みんな呆気にとられている。
「五条さん。会議は終わったんですか?」
「会議?終わったというか終わらせたというか?」
「まったく……。せっかくだから五条さんもここで一緒に食べますか?実さんがちゃんとお弁当を持って来てくれて良かったですね」
「食べる!」
悟はちゃっかり私の隣に座ると「早く」といわんばかりにキラキラした目で私を見ている。
私は悟の分を冷蔵庫から出して電子レンジで温めてから渡した。
「いただきます!」
と、家でも言わないような「いただきます」をして悟は食べはじめた。なんだかいらない緊張をする。対馬さんが多少手伝ってくれたので不味くはないとは思うが緊張する。私は悟の分のお茶を煎れに席を立った。
「んまい」
と、言いながらぱくぱく食べている。良かった。
「やっぱり高級仕出しより手作り弁当ですか」
総務の宍戸さんが茶化す。
「当然でしょ?愛がこもってるもん」
さも当然、とばかりに悟が言ってのける。
「!!!!!!」
なんてことを。
そう思ったのは私だけだったようで、みんな相づちを打ってにこにこ笑っている。
「いいなぁ。僕もこんな優しいお姉ちゃんが欲しかったなぁ」
悟が箸を止める。
「宍戸さん、今度それ言ったらマジビンタ」
「やめてくださいよぉ。五条さんにマジビンタされたら頭取れちゃいますよぉ」
みんなゲラゲラ笑っているが多分悟は本気だ。
悟は昔から「姉弟のようだ」と言われるのを凄く嫌がった。
「やべ、こんな時間か」
驚異の早さでお弁当を食べ終わった悟が時計を見た。
「何か急ぎ?」
「姉妹校交流戦の練習みてやってくれって頼まれた」
「時間過ぎてるからもう行く」
やはり遅刻なのか。
「ごちそうさま。うまかった!弁当箱家で洗うから洗わないで置いておいて!」
そう言うと悟は来た時と同じように勢いよくドアを開けて出て行った。
「ドアは優しく!!」
雫石さんが叫んだが、悟には聞こえないだろう。
「……五条さんがお弁当箱洗う姿が想像できないの僕だけですか……?」
システムの堀さんが呟く。
「私も想像できません!っていうか多分洗いません!」
と断言したら、みんな同意してくれた。
うわ。
「ごちそうさま」と「うまかった」が想像以上に嬉しい。
対馬さんの言った通りだ。
また悟の分も作ろう。
今日はえへへな昼休みだった。