もう1つの世界線・1あいつの触手が桜子さんを再び刺した
桜子さんの血が顔にかかる
「実さん……怪我は……」
「私は大丈夫!桜子さんこそ……!」
「悟様は『むらさき』を使うでしょう。そしてあの男は私たちを道連れにする気です」
「……うん……」
おじいちゃんの言葉を思い出す
「あか あお むらさき この言葉を聞いたら逃げなさい」
今まさに
悟が「むらさき」と言った
私と桜子さんがあいつの触手に引っ張られる
紫色の光の中で悟と目が合う
大きく見開かれた瞳
受け入れがたい運命と戦う瞳
悟なら大丈夫だよ
届くだろうか
悟
生きて
「実さん!!!!」
_____運命だって変えてみせる
悟!!!!!
気を失っていたのはほんのわずかな時間だろう。
私を呼ぶ声がする。
「……悟?」
「実!!!」
生きている?
悟の腕の中にいる?
「実!!怪我は?!」
「大丈夫……桜子さんが……」
実さん!!!
黒いバリアを最大に!!!
抗うのです!!!
「桜子さんが……助けてくれたんだよ……」
「……そうか……」
「わたし……生きてる……」
顔に雫が落ちる
暖かい
悟の涙
「実……良かった……!!」
「悟を泣かせるのはいつも私ね……」
「ほんとだよ!」
私は気を失った。
意識はある。
自分の部屋のベッドに横になっているのも分かる。
話しかけられているのは分かるし、触れられているのも感じる。
でも、言葉が出ないし体が重くて動かない。
眼球すら動かせない。
悟、パパ、光、そして両親が代わる代わるやってきて話しかけてくれて、体をさすってくれる。体をさすってもらうと気持ちがいい。ありがとうと言いたいし笑いたいのにできない。
夜なんだろうか。
悟が体を拭いてくれている。
恥ずかしいけど気持ちいい。
優しく体を動かして隅々まで拭いてくれる。
暖かいタオルが心地よい。
「実、気持ちいい?」
うん。
気持ちいいよ。
ありがとう。
お湯に浸かりたいけど無理かな。
「聞こえてるのかな?ごめんな、実。俺が領域解除するより早く桜子さんの呪力が尽きたんだな……」
悟の領域に入ると廃人になるって言ってたっけ?私の今の状態がそうなの?
「おそらく数秒だったはずなんだ。だから絶対に良くなる。頑張ってくれるか?」
うん。
頑張るよ。
悟のそんな悲しそうな顔見たくないし。
「直後は話せてたし、大丈夫」
悟は私の頭を撫で、キスをした。
キスを返してあげたいのに唇すら動かないのがもどかしい。
「すぐ戻ってくるね」
そう言うと悟は部屋を出ていった。
どれくらい時間が経ったのか、悟が戻って来た。Tシャツにスウェットなのでお風呂に入ってきたのだろう。
悟は私をベッドの中央から隅にずらすとベッドに入ってきた。
いつも通り、私を後ろから抱え込むように私を動かす。
「おやすみ」
おやすみ。悟。
動け。
体。
翌朝、部屋に女性3人の来客があった。
パパと悟も一緒だ。
その人たちは反応できない私に丁寧に挨拶をした。
「医師の富沢です。週に一度、診察に参ります」
「看護師の黒松です。もう一人の看護師と交代で毎日バイタルチェックとお手伝いをしに伺います」
「看護師の八乙女です。宜しくお願いします」
入院より在宅が選ばれたのか。
病院も本家も危険度でいえばさほど変わらないならもともと術師が常にいる本家の方がいいとの判断だろう。
こちらこそ宜しくお願いします。
と、言ったつもりだけしておく。
下の世話や清拭をしてくれるのだろう。
悟や家族には荷が重いだろうから助かる。
早速私の腕に点滴の針が刺さる。食べられないので栄養だろう。
あぁ。マック食べたい。
「明日には介護ベッドが入るので……」
パパたちが話している。
「実、病院じゃなくて自分の部屋の方がいいよな?」
悟が頭を撫でてくれている。
うん。
悟の側にいたい。
パパと悟が点滴が終わった時の処置を聞いている。針は刺しっぱなしだがチューブは抜くらしい。
うとうとしている時間が長く、時間の感覚がない。壁にかかっている時計を見ることもできない。気配を感じると悟がベッドの脇にいた。
「ごめんな。また実に辛い思いさせてる」
生きてるよ?
生きてるし、聞こえてるよ!
布団の中から私の手を出して握りしめる。そしてその手にキスをする。
悟の大きな手。暖かい手。柔らかい唇。息づかい。全てが愛しい。
「実?笑った?」
え?本当?
動けた?
「気のせいかな……」
手を布団の中に戻す。
「任務に行って来るよ。できるだけ早く帰ってくるから」
行ってらっしゃい。
今日もまた、たくさんの人を助けてあげてね。
悟が出て行くと、私はまた眠った。
気がつくと悟が隣で眠っていた。
自分では動けないが、悟が隣にいるのは分かる。
寝息が聞こえる。
悟
「……ん?」
あれ?
声が出たのかな?
「実……?呼んだ……?」
ダメだ。
ぴくりとも動けない。
「体勢辛い?向き変えようか」
仰向けに寝ていた私を横向きにする。悟と向かい合う体勢だ。
悟の胸の動きを頭に感じていると、私は再び眠りに落ちた。
介護ベッドが来てから上体を起こしてもらえるようになったので、見える景色が増えた。相変わらず正面しか見えないし眼球も動かないが天井だけ見てるよりはマシになった。
1日三回看護師さんが来て点滴を変えてくれ、清拭をし、オムツを替えてくれる。本当に申し訳ないしありがたい。食べていないので便の量は少ないだろうがこのトシでオムツのお世話になるのは辛い。この状態で一番辛いところだし、看護師さん以外には見られたくない。
朝のオムツ交換をしてもらっている時に悟がやって来た。
「あ、入って大丈夫ですか?」
じゃないよ!!
いや本当に無理!!
出て行って!!
バカ!!
「あら?実さん?」
「どうしました?」
「いえ……実さん怒ってるみたいなので外で待っててもらえますか?」
「あ、はい!」
交換が終わって服を整えてもらってから悟が呼ばれた。
「実、怒ってたって本当ですか?!」
「あの、なんていうか、こういう仕事してると分かる時があるんですよ。表情がどうこうとかではないんですけどね」
んもー!!
そりゃ怒りますよ!!
「そうですか……そういえば前に笑った気がしました」
「多分笑ってらっしゃるんですよ!たくさん話しかけてあげて、たくさん触ってあげてください!」
へんなところには触らないでね?
看護師さんが帰ると悟と二人きりなった。
悟がベッド横に置かれた椅子に座る。
頭を撫でてくれる手が止まる。
かと思ったら物凄い勢いで部屋を出ていったようだ。
どうしたんだろう?
少しして戻って来た悟は嬉しそうだった。
「実、明日はお湯に浸かってシャンプーもしような」
あ、ごめん。
ずっとシャンプーしてなかったからギトギトなのね……。
それなら水を使わないシャンプーだってあるんだけど……。なんなのこの嫌な予感は。
気がつくとパパがいた。
「実。また大変な思いをさせてるね。すまない」
んー。なんだろ。
意識がある分そんなに大変じゃないよ。
良くなるって分かってるから楽観的なのかな?
「凪の最期は悟に聞いたよ。最期はまた母親に戻れたんだな。お前たちのおかげだよ。ありがとう」
そうだ。
ママは私の目の前で殺された。
だからあいつを殺したいと思ったんだ。
桜子さんに「黒いバリアを最大に」と言われて、あいつを殺せるなら一緒に死のうと思ったんだ。
「桜子さんの家族とは連絡のつけようがなくてね。凪と一緒に本家で弔う事にしたよ。安心してくれ」
桜子さんはきっと私のバリアで_______
桜子さんは自分の最期も見えていたのだろうか。
私の「結末」は変わったのだろうか。
それとも、このままゆるやかに死んでいくのだろうか。思考だけははっきりとしたまま。
そんなの嫌だ
私は悟と生きるんだ
「……実……?」
パパの手が私の頬を撫でる。
「悟!!悟はいるか!!」
突然耳元で叫ばないで!!
びっくりする!!
「親父?!どうした?!」
「悟……実が……」
悟が私の顔を覗き込んでいるのが分かる。
「実?どこか痛いのか?」
悟も私の頬を撫でる。
「何しゃべってたんだよ!泣かすな!」
「いや、凪と桜子さんの事は安心してくれってね……?」
泣かすな?
私、泣いてたの?
涙が出たの?
「実……ちゃんと聞こえてるんだな」
そうよ。
滅多なこと言っちゃダメだよ。
悟はベッドに腰掛けると私を抱き締めた。
「愛してるよ、実」
わたしもよ。悟。