The smell of 年に一度、教会で行われるイベントにくる、よその教会の聖歌隊がある。毎年来る聖歌隊は変わるが、何年かすると同じ聖歌隊が回ってくるようになっている。聖歌隊が来るイベントごとには、教会の託児所に通っていたり、教会に住んでいる子どもたちは毎年参加が必須で、決められた白い衣装に、その年のテーマを衣装に装飾したり、装飾品を身に着けるのが決まりだった。
歌も得意じゃないしそういったイベントごとはどちらかというと面倒だと思っているキースは、例年通り今年も合唱は端っこでやり過ごそうと思っていた。けれど、幼馴染のディノと、兄弟のように仲のいいフェイスとジュニアがメインに選ばれた上に、ディノが勝手に司教様へキースの参加を推し進めたせいで、同じくメインで参加することになってしまって準備が始まる前から憂うつになっていた。
今年、この教会に来るノース聖歌隊は過去に一度、このウエスト教会に来た事がある。そうでなくても、この地域、この国では有名な聖歌隊の一つだ。当時はまだ十歳になるかならないかの時で、キースの記憶は朧気だった。ディノもあまり覚えていないようで、それでも有名なノースの聖歌隊が来ると聞いて、ディノもみんなもいつも以上に張り切っている。
ウエスト聖歌隊は、司教様が指揮を執り、シスターがパイプオルガンを弾いて子どもたちをメインに歌う。一方、ノースは司教様がメインになって歌い、伴奏も聖職者が行っているようで、その二人が主に指示をしていた。ノースの司教様は声が低いが歌うととても綺麗で一切の雑音が混ざらないテノールだ。大人と言っても、二人とも見た目も若く年齢不詳で、実は神か天使なのでは?などと町でも噂されているのをいつだったか聞いたことがある。
約一か月以上の練習、その後、七日間毎日合唱をする。二つの聖歌隊で、一度に合計五曲は歌う。何をそんなに歌う必要が、と愚痴をこぼすと世話役が飛んできて叩かれるから毎回喉から出ないように飲み込んでいた。
練習も終盤に差し掛かった本番が始まる数日前に、ノース聖歌隊はやってきた。練習と出迎える準備に追われて、みんな休む暇もない。両方の聖歌隊が揃って練習できるのは日数も少なく、できて数回。その間ももてなし、練習、晩さん会の繰り返しで、相手方も疲れるだろ、とオレより小さい男の子が溜息を吐いたのを見てキースは思った。
ノース聖歌隊が来て数日経った本番を明日に控えた夕暮れ時。キースは隙をみて準備から抜け出し、教会の裏手、今は倉庫になっている小さな小屋に入って休憩をとっていた。もてなすのは当番制で、今夜は晩さん会のあと、案内などの世話をすることになっていた。どうせ拘束時間が増えるんだから今の内にさぼったって許されたい。床に座り、小屋の小さな換気窓から外を見上げた。もう日が暮れる前の少しオレンジかかった空に、陽の落ちる早さを感じて溜息を吐くと息が少し白かった。季節は冬になろうとしていた。
少しの間目を閉じて、ふと開けたときにはもう外は随分と暗くなっていた。まだ星が見え始めたくらいだから、そんなに時間も経っていないだろう。窓の外をぼんやり見ていると、星の前に薄いモヤが見えた。雲か?とキースが立ち上がると、微かに何かの香りがする。この香りはタバコか、と窓に手をかけて外を見ると教会の壁にもたれかかる人影があった。そっとドアを開けて外に出る。
タバコの匂いは好きだった。ウエスト教会にはタバコを吸う大人がいなくて、喫煙所もない。自分で吸うために買おうと思っても、司教様や世話役にバレるとこってり絞られるから、吸ったこともない。町に出かけたときに吸っている人を見かけて、いい匂いだなと思ったのがタバコに出会った最初だった。その時のタバコと同じ匂いのタバコだと直感でわかって、そっと近づく。
「……誰ですか、そこにいるのは」
「っ!」
「ああ、ここの教会の子ですか。どうしてそのようなところに?」
「……ちょっと休憩しにきただけで。つーか、ここ敷地内禁煙だぞ」
「おや、そうですか。どうりで喫煙所がないなと思いました」
そう言いながら、タバコを消す様子もなく銜えて息を吸い込んで、煙を吐いた姿が何とも様になっていて目を奪われる。惚けてみていたら、クスリと笑う声がして、視線を合わせた。その人はノース聖歌隊の司教様だった。名前は確か、ヴィクター・ヴァレンタイン。
「タバコ、気になるのですか?」
「え?」
「これを見ていますよね、ずっと」
「……いい匂いだなって思って。吸ったことねぇから気にはなってる」
「吸ってみます?」
「え、いいのか?」
「よくはありませんが見つかってしまったので、ワイロ代わりに」
「なんだそりゃ……。でも、いいなら、吸わせてくれ」
ふ、と笑う顔がいつの間にか空に昇った月に照らされて輝く。それにまた見惚れてしまった。自分より少し背の高い相手の前に立つと、銜えていたタバコを差し出される。手を伸ばして、指先で掴もうとすると躱される。その手を追って顔を上げると反対の手で頬を押さえられ、唇にタバコのフィルターを押し付けられた。ゆっくり唇を開いて、それを銜える。
「ゆっくり息を吸って、喉で留めてください。最初は肺に入れないように」
「ン」
言われるままに息を吸い込むと、フィルターから強い香りが口内に広がっていくのがわかる。そのあと、タバコを口から離して煙を吐き出した。吐き出した煙を避けるようにキースの頬から手が離れていく。
「……甘い、けど変な味」
「最初はそんなものですよ。これは比較的甘いものなので、まだ楽ですよ」
「そんないいもんでもないな」
「そう思うなら、やめておく方が良いですよ。一度始めるとやめられなくなりますから」
「やべぇやつじゃん」
はは、と笑ってもう一度フィルターを銜えるキースの隣で箱からタバコを取り出して銜えると、ヴィクターはキースの顎を掴んで、銜えるタバコの先端に自分のタバコを押し付け、火を付ける。何かとんでもないことをされた気がして咄嗟に目を逸らすと、小さく笑われた。
「笑うなよ」
「すみません、つい」
二人して見上げた空には、星が瞬き始めていた。