終の棲家はお前の口　ヤシの木陰で、オルタは白い水着に白いシャツを肩から掛けていた。カルナの麦わら帽子には青い造花が付いている。十四歳になるカルナはグローブ代わりに腕に幅広のレースのリボンを巻き、紐のついた瀟洒なサンダルを履いている。八歳から付き合っているから、交際期間は六年だ。二人の年の差が縮まる前に、彼と両親の年の近さが目立ち始めてびっくりした。オルタは友人の結婚式へ小さな恋人を恥ずかしげもなく連れて行き、引き出物として渡された一合分の白米をカルナの分もねだった。
「ビーチでの式はおもしろいが暑かったな」
とカルナが言うと、
「水着でも、参列者は結婚式で白いものを着てはいけないから……」
とオルタは言って、一週間後には海辺のホテルを予約した。連れだって白い鞄を買いに行った。ご機嫌なサングラスなども。トランクの中に着替えとタオルを詰め込み、コンドームの他におむつを入れようとすると、旅先では捨てる場所に困るのでやめましょうと返ってきた。スタイは入れた。カルナの腕に取り付ける授乳枕も。真夏のきつい日差しがたっぷりと降り注ぐ中、髪がすっぽり木陰に入るようチェアを置く。パラソルの下でカルナは浮き輪に腰掛け、ビーチボールに少しずつ息を吹き込む。遠景に波がきらきらと輝いた。大きな扇が混じり合うように飛ぶ海猫の、その一羽一羽の嘴の先の赤い班や黄色い足がオルタの目にははっきりと見分けられる。尾羽を染める黒い帯が夏空に鮮烈だ。細い髪の過る真っ白いカルナのこめかみを、汗の一筋が滴っていく。完璧に膨らんだビーチボールを抱え、彼が波打ち際へと近づいていく。高くなり低くなる波の面に歪んだ菱形の反射が連なり、飛沫の上がると共に切りだった水の壁を白い腿が踏み越える。腹から海の浮力に従い、カルナの身体が優雅に寝そべる姿勢になり、つんのめるようにして西瓜を模したボールにしがみつく。指に引っかけてすぐ傍へ置いていた浮き輪を目印にし、彼の頭が浜の底を探る。抱えたままだったボールが滑って脚の間を転げていき、カルナは魚の反転をして追いかける。
「アルジュナ、蟹がいる」
　ちょきちょきとピースサインが動く。麦わら帽子はオルタの足下まで風に飛ばされ、レースのリボンはびしょびしょだ。濡れそぼったサンダルは白蛇の胴めいてなよやかな脹ら脛にぴったり嵌まっている。脚の棺だ。ばしゃばしゃと波を掻き分けてカルナの傍まで行き、浮き輪を掴み爪先を浮かせる。長く白い癖毛が辺り一面に広がり、海水に潜り見上げる彼には恋人が巨大な氷塊に見える。浮き輪の真ん中から顔を出せば、漂っていたオルタの髪が首に絡んだ。逞しい腕が浮き輪を押して、二人再び浜辺へと近づく。シャワールームに入った。壁はあるが天井はなく、四角く切り取られた青空が高く澄んでいる。瑞瑞しい、朝顔の色彩だ。ずぶ濡れのオルタはだいぶいかがわしい。
「これからの予定を確認する……。式をする。ジェンダーフリーのウエディングドレスを借りているんだ。たったいま濡らしてしまったばかりだが、白のキュロットタイプの替えやレジャー用のスポーツタイプの水着の替えもある。写真を撮ろうと思って……。午後から夜までホテルに頼んで砂浜の一角を借りている」
「お前も着るのか、ドレス」
「もちろんだ。貴方に白は一等似合うが、私はその次くらいに白が似合う。かわいいことは、カルナのお墨付きだ」
　伸びてきた手がオルタの鼻を抓む。
「いいだろう。まずはその髪を乾かしてブラシで梳かさないとな」
　声変わりをしたカルナはセクシーだ。小学生の頃と比べてリラックスしている。オルタにめいっぱい愛されて体つきがしなやかになった。スポーツブラの下の胸は未発達な筋肉が牛皮のようになだらかにつき、絶えずかわいがられ続けた乳輪が広くふっくらと張った。木の芽や猫の舌のような赤い乳首が粒を覗かせて埋もれ、指を挿入すると心音と滑らかな肌の狭間で爪が湿る。腹は臍の下まで平らでまっすぐ、肩は少年の強ばりをして、腕と脚のわずかな曲線が美しい。大人になった声では、「ママを妊娠させてくれ」とはまだ言っていなかった。言わなければいけない気がする。小学生の彼を泣かせた言葉は、変わっていく自分の心をはかる音叉だった。胸が締め付けられ、音は狭まる。カルナはオルタの住処にいる。オルタの家。オルタの部屋。オルタの心。星座から道筋を読むように、響き方でカルナは恋しいオルタの息吹を吸うのだ。オルタはカルナを油断なく見守り、欺し甘える酷い恋人。
　更衣室まで用意されていたものだから笑ってしまった。キュロットの水着はシースルーで、すとんとした胸当てにたっぷり触れるボリュームの袖がついている。パンツは太腿の丈で裾が広く、生地は太陽の光を吸って光沢を帯びていた。用意された二着のウエディングドレスと並べると、同じドレスの大人用と子ども用みたいだった。オルタの髪をふんわりと編み、リボンを結ぶ。二十八歳の彼はお兄さんと呼ぶには年上すぎたのに、三十四歳の彼はドレスを着てたまらなくかわいい。どんどん二人きりの世界へ近づいている。そのうちもっと先鋭化されて、おじいちゃんの彼だって楊貴妃のように蠱惑的に感じるのだろう。オルタにとってカルナはずっとそういう相手だった。じゃなかったらプレイでもママになんてしない。
　撮影の小道具だと花を渡されて、投げようとしたら私達の幸せは誰にもわけなくて良いものだからと止められて、しっかり抱えたまま並んで何枚も撮った。オルタはオート操縦のドローンまで飛ばして海と空とカルナを収めたがった。夕方やっと式を終えて普段着に戻り、静かな浜を散歩に行く。一日太陽を見過ぎたカルナが足下を不安がる様子を見て、オルタは自分の首に光る首輪をつけた。厚い長髪が光を吸って彼の姿を際立たせ、顔がうっすらとミント色に映る。
「ゲーミングアルジュナだ……」
　褐色の肌は青みを帯びて、人間以外の動物の趣を彼に添える。神聖な獣。ユニコーン。けれど一本の角はカルナが両手で握るには不便だから、彼はきっと長い二本の角を保つだろう。背に乗るようカルナへしきりにせがむ。鬣を撫でるよう要求する。神の獣のオルタにとって、快楽は奔ることで、大好きなカルナを乗せて駆けるとどこまでもどこまでも行ってしまう。けれどカルナの目の前のオルタは首輪をつけ腕を差し伸べる変わった恋人で、こんな相手が八歳からずうっとすべてだったから、他の誰ももう選べない。彼以外の、彼を選ぼうとする視線に知らない振りをして、うんと伸びをするみたいに取り返しのつかない方角へ地図を開く。ざざ、ざざ、と波が足下に寄り、潮の香りが星まで昇る。風はそよぎながら熱情に似て二人を追い立て、向かいに月を臨む。脈を。オルタの指がカルナの手首を探り、恋人の確かな鼓動を撫で摩る。ぱらぱらぱら、と火花の音がして、遙か遠くから花火大会のアナウンスが聞こえる。カルナとオルタのいる場所からはよく見えない。水上に向けてうたれた光の菊が、ものすごい勢いで走り半分に割れ欠片と変わる。しゅーっ、しゅーっと次々走ってくる火花は海に映り揺らめく花になる。見惚れるカルナの足下にオルタが蹲り、首を傾げた。手を引かれ、彼の頬を包む。彼しか見えない。
「花火が見えるところに行きたい？　私がいても」
「お前だけいれば良い」
「蛍くさき人の手をかぐ夕明り」
「俳句か」
「室生犀星の句だ。夕明かりの中で、蛍を捕まえた人の手に顔を近づけて見せて貰っている。だが光は目に入っていないんだ。その人の手の匂いを嗅いでいる。蛍の青臭さに染まったその人の手の匂いがわかる。首輪をつけて光る私を捕まえたカルナはどんな匂いがするだろう」
　オルタがすんと鼻を鳴らす。恥ずかしくて汗が滲んだ。脈から伝わる熱がカルナの内側へと戻り胸を急激にときめかせる。熱くて、しんどくて、どうにかなってしまう。彼がカルナの指の内側の関節ひとつひとつに口づけ、頬ずりし、またすんと鼻を鳴らした。
「発情している匂いがする。恋の匂いだ」
「アルジュナ……っ」
「貴方はずいぶん大きくなった。出会ったばかりの頃は本当に小さくて、死に近い匂いがした。お日様に惹かれて一夏で種へと戻っていく花のような匂いだ。ミルクの匂いも。その貴方が私の店の、鉛筆や封筒の匂いを被り、私の汗の匂いも、尿の匂いも知って、ずっと華やかで、生の感じのする大人の匂いになった。貴方は私の全部を知っている。私が貴方の求める男になりたいことを。それを追い続け貴方の傍に居続けることが私の願いだと」
　堤防から海に向けて、スターマインが三百発続けて走ります。会場の皆さん、どうかその光を追いかけてください。アナウンスが興奮した声で告げる。しゅわしゅわと炎の爆ぜる響きが浜辺を覆う。アルジュナ。炎はカルナの心を舐め太陽のような火の玉にした。
「貴方は良い子。私の好い人。光る首輪は自分で嵌めたけれど、ほんとうに結婚するまでの間に、何度も指輪を交換しよう。私達が過ごす日々の分あっても良い。私の愛しい、懐かしいカルナ」
　カルナがオルタに顔を近づける。首輪の光が煩くて、熱くて、熱いな、と目を瞑ると瞼が切なくなった。キスをする。三百発の花火が駆けるより長く熱く色とりどりの感情の時間。ふたりで着たウエディングドレスの、水着の白い色の上でキスの灯りがちらちら爆ぜ踊るのが見える。
　オルタがおじいちゃんでも楊貴妃なら、カルナは赤ん坊の頃からクレオパトラだったのかもしれないし、もっと美しい、彼だけの、二人のためだけの神様だったのかもしれない。
　世界でいちばん美しい番になろう。首輪越しにオルタの喉の動きがカルナに移り、カルナが息を飲みとろける舌を差し出す。オルタは恭しくそれを受け取り、彼の口という素敵な巣の中へ招き入れる。