チャンス『水篠さん、落ち着いて聞いてください。弟の旬さんがダンジョンで……』
監視課の犬飼さんからもらった電話を最後まで聞かないまま、俺は通い慣れた病院に向けて駆け出した。
弟はS級のハンターだ。滅多なことでは怪我などしない。今回潜ったらしいダンジョンもさほどランクが高いところとは言っていなかった。それなのに一体なぜ…?
受付で聞いた病室に着くとベッドに横たわる弟を見つけた。慌てて駆け寄ると側に立っていた犬飼に動きを止められる。
「っ、旬…!」
「水篠さん、今旬さんは寝ていらっしゃいます。もう少し様子見が必要だそうです。」
「…そう、ですか。すみません取り乱して……」
旬に外傷らしいものは見当たらなかったが顔色が悪い。静かに寝ている姿が以前の母と重なり心臓が嫌な音を立てる。
ベッド際にへたり込むと、犬飼が気を遣ってかソッと病室から出て行ってくれた。
「旬…」
心配で呼び掛けるとそれに応えるかのように旬の瞼がピクリと反応した。
「! 旬、起きられるか? 旬…?」
ゆっくりと目を覚ました弟に安堵しその手を握った。それを受けて旬がこちらを向く。旬と目が合った。何かがおかしい。
「……だれ」
その一言が発せられたとき、俺は絶望と共に高揚感も覚えた。
「だれ、って…シュンだよ。お前の双子の兄の…」
「…そう」
そう言って興味なさ気に顔を背けられる。
もしかして、記憶が…ない…?
(これはチャンスだ)
俺は直感的にそう思った。
世間的には隠しているが俺と旬は双子で兄弟で、恋人だった。釣り合わない以前に血縁があり、己の片割れとも言える人間と肉体関係を持っている。どう考えても異常だった。
しかし俺は拒めなかった。S級として再覚醒した旬を、一人で何かに苦しむ自分の弟を、どうにかして助けたいと手を差し伸べたのが間違っていたのだろうか。
気が付けば腕を引かれ、旬の下に組み敷かれ、体を揺さぶられていた。なし崩し的に歪な関係へともつれ込んだこの状況から抜け出すことも出来ず、ジッと耐え忍んでいた。
ところが今目の前にいるこの弟はどうだろう。記憶を無くしている今なら、普通の兄弟に戻れるのではないだろうか。前までのように健全に、家族愛として仲睦まじく、人目を気にせず旬の横を歩けるのではないだろうか。
期待で高鳴る胸を押さえて、俺は心なしか不安そうにしている弟の頭を撫でた。
「…どこは痛いところはないか?何かあったら言いなね。俺はお前の…兄だからさ。大丈夫、不安になる事はないよ」
「……ん、ありがとうございます。にい、さん」
聞き慣れない敬語、聞き慣れない呼び方、そのどれもが新鮮だった。
『ありがとうな、シュン』
“旬”ならこう言うだろうなという妄想は、ニコリと笑って封殺した。