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    タカネ

    @takaneyuki2021

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    タカネ

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    Happy Merry X'mas🎄🪽🎁❄

    カメラマンの助手の迅×大学生やま&°ʚ ɞ°やま(最小)の天使パロです。

    #迅嵐
    swiftashi
    #生駒達人
    #隠岐孝二
    kojiOki

    天使とゆりかご 年内に片付けなければならない仕事を山ほど抱えた師匠の最上の手伝いで働き詰めの迅は、疲労困憊していた。すっかり常連になってしまった遅い時間帯のバスに今日もフラフラしながらなんとか乗り込んだ。
     住宅地へ向う路線はなぜだか終バスに近くなるほど込み合っていて、ふたり掛けのシートにやっと滑り込んでため息をつく。
     あ~もうダメだ。晩飯もいいや。とにかく風呂入って寝よう……。
     バスの揺れに眠気を誘われていたときだった。バスが急停止してガクンと前につんのめった。
    「……っぶな」
     車内がさざめく。どうも信号無視の車がいたらしい。車外スピーカーで怒鳴る運転手の声。
     揺れに耐えようと前の座席の背もたれをとっさに掴んだ手。隣に座っている人の、同じようにしているその手をふと見ると、手の甲になにかが浮かんでいるのが見えた。
     ……なに、これ?
     ふわふわと白い毛糸のようなもの……いや、羽根が浮いている?
     ひらひらと踊るように揺れ動く羽根に驚いて見つめていると、迅の視線に気付いた手の主はバシっと自分で自分の手を叩いた。
     隠すように手の甲に、もう片方の手を置いたまま、上目使いに迅の顔をうかがってきた相手は若い男だった。
     同年代に見えるが、雰囲気的には学生かな? と驚いたまま見て取る。しばし無言で見合ってしまってから、はっとして思わず視線をそらした。あさっての方を向いた迅をどう思ったのか、彼は手の甲を覆ったままそろそろと膝の上に両手を下ろした。
     満員バスの中とはいえ奇妙な沈黙が流れる。
     なんだったんだろ、今の……。
     疲れのあまりの目の錯覚、と思えば思えたのに。彼の反応がそうではないことを決定づけてしまった気がする。
     ……慌てるからかえってマズイんじゃないの?
     妙に冷静な思考でそんなことを思った。
     隣で身を硬くして窓に顔を向けている横顔を盗み見る。
     まつ毛なっが……鼻筋高い……イケメンだな。
     迅は一応、プロカメラマンの師匠の助手という仕事柄、美男美女を見る機会も多いのだが、その辺のモデルに引けを取らない美形である。
     普通にしていても注目されそうなタイプなのに、さっきのは、なんというかうかつだよな、などと思う。
     ……かと言って、いきなり声を掛けるのもおかしいしな。
     迅の方が先に下りるまで、せまいシート間にはなんとも居心地の悪い空気が漂っていた。
    「……羽根。……なんの羽根だよ」
    明らかに自然ではないふわふわとした真っ白な羽根。
     釈然としないままバスを見送って、思わずつぶやいた。
    「──ま、いいか」
     不思議ではあったが、あれこれ考察するには、その時の迅は疲れ過ぎていたのだった。


     それから何日かして師匠のお使いで図書館で資料探しをした帰り道だった。
     近くの公園を通りかかったとき、ふと目が行った先に彼はいた。
     あれ? あの学生……。
     なにかうまくいかないことでもあったのか肩を落してイチョウ並木の下のベンチに座っている。
     バスの羽根の奴じゃん。
     えらくイケメンな顔に見覚えがある、と確信したときだった。
     迅が見ていた先で、その背中に突然、白い一対の羽根が現れた。
     冬空の下、ふわりと広がった光る羽根に迅は目を疑った。
     は!? なにあれ、天使……!?
     衝撃であった。ありえない、しかしあまりにも美しい光景。
     しばらく呆然としていたが、気が付いたら無意識にベンチに歩み寄っていた。
    「ねえ、ちょっと」
     突然、現れてぶっきらぼうな調子で声を掛けてきた迅に、驚いた相手はビクっと肩を跳ねさせた。
    「なんか……羽根、生えてるけど……ええと、大丈夫か?」
     迅の言葉にぎょっとした顔でわたわたと自分の背中に手を回して。
    「え、え? 君、見えてるのか?」
    「あ~、……キレイだね? 天使なの?」
     まだ黄葉した葉を残している大きなイチョウの木の下に映える白い翼。
     これって、ひょっとしてバズるシャッターチャンスだったか?
     これまで生きてきた中で見た事のない、綺麗な光景に上滑りしたことを思う。
     ──どうして今、カメラ持ってないんだろう。
     久しぶりにそう思った。
     撮りたいな、とそう思ったのはいつぶりだろうか。
     習い性で画角やらレンズの種類やら数値やらを考えてしまう。ああ、でも、こんなきれいな不思議なもの、撮ったところでちゃんと写るものだろうか。
     驚きのあまり混乱で脳内はぐるぐると忙しなく、そのせいで無表情になってしまう。
     そんな迅に凝視されている彼は「えーと」と困った顔をした。
     ハンズアップ状態だった手をそっと下ろすと言う。
    「う~ん、そうか……ここじゃなんだから場所を変えよう」
    「ええ?」
    「とりあえず俺は天使ではないんだ」
     彼が言うと、その背中の羽根はふわりと一度、羽ばたいてからすうっと消えた。


    「どうぞ、座ってくれ。なにか飲むか?」
    「え、いや。お構いなく……」
     迅は渡された学生証をしげしげと眺めた。『三門市立大学 教育学部 嵐山准』
     ふうん、やっぱり学生か、とだけ思う。
     丁寧にコーヒーまで出されているここは、さっきの公園からほど近いマンションの彼の部屋だった。
     ソファの向かい側に座った嵐山は自分もコーヒーに口を付けふう、とため息をついた。
    「……ええと、きみは?」
    「あー、身分証は今ちょっと持ってないけど。名前は迅悠一。フリーター」
    「歳を訊いてもいいか? 俺と近そうだ」
    「十九」
     迅が答えると、嵐山はぱっと笑顔になった。
    「そうか、同い歳だな! フリーターってどんな仕事をしてるんだ?」
    「一応、カメラマン助手?」
    「カメラマン! カッコいいな」
    「いや、まあ、師匠に扱き使われてるだけだけど」
    「でも、迅も将来、プロを目指してるんだろう?」
    「……一応、そのつもりではあるけど。先は長そうというか……じゃなくって!」
     あっという間に苗字呼びしてくる人懐こさに押し流されそうになった迅は、いや、違うだろう! と切り返す。
    「羽根! 天使じゃないってなに?」
    「あ! あの、それだけど……お前、本当に見えてたのか?」
    「見えたよ。目の錯覚じゃなければ」
     きっぱり答えると、嵐山は「う~ん」と腕組みした。整った形の瞳を困ったように何度も瞬いて思案している。
    「……これってどういうことなんだろうな?」
     自問自答のような彼の言葉に答えるように、また嵐山の背中に白い羽根がふわりと現れた。
    「……うわ」
     美男の背中に羽根。恐ろしく似合っていて、これで天使でない、というならなんなんだろう。妖精? UMA? 逆に悪魔か?
    「あの、驚かないでほしい」
    「もう十分驚いてる」
    「それはそうだよな……」
    『その人……じんは『ゆりかご』じゃないみたいだ』
    「は?」
     その声は頭の中に直接、聞こえた気がした。え? あなたの心に直接呼び掛けています? 超常現象?
    『俺のこと、ちゃんとみえるかな?』
     妙にきらきらしたイメージが飛び散る小さな声が再びして。嵐山の背中の羽根が伸びをするように身じろいで、それから、すうっと小さくなって。
     迅が目をすがめて瞬きをした間に、気がつくとソファテーブルの上に人影が現れていた。
    「は?」
     そこには小さな小さな天使がいた。
     見た目は幼児に見える。白い長いシャツから細い裸足の足が伸びている。まさしく絵本で見るような少年天使だった。にこにこと可愛らしい顔で微笑んでいる。
     が、小さい。とにかく小さい。まるでクリスマスツリーに飾る天使の人形みたいだった。それが自発的に動いてぺこり、と頭を下げた。
    『こんにちは』
     迅は今度こそ開いた口が塞がらなかった。
    「……ちっさ!」
     とっさにそんな感想しか出てこない。いや、だってイチョウの木の下で見た美しい白い羽根の光景。迅が心底から撮りたい、と思ったあの場面のイメージと、目の前の天使人形が繋がらない。いや、可愛らしいが、小ささのあまりメルヘン過ぎて二の句が継げない。
    「だから気安く街中で顔出したら駄目だって言ったのに」
    『ジュンがしょんぼりしてたから』
    「それは……まあ、ありがとうな。でもレポートはまた書くから大丈夫だ」
    『もりびとじゃないのに、俺をみえるひとがいるとおもわなかった』
    「迅は本当に『ゆりかご』じゃないのか?」
    『ちがう』
    「じゃあ、何でだろう……?」
    『れいのうしゃかもしれない』
    「え? じゃあ、俺も霊能者ってことになるのか?」
    『わからない』
     小粒な天使と嵐山がふわふわした会話をしているのが脳内に響いて、迅はなんだか目眩がしてきた。あまりにも非現実的である。霊能者ってなんだ。
    「なら、俺も幽霊とか見えてしまうんだろうか……え! それはちょっと嫌だな」
    『なぜ?』
    「お化けはちょっと……見えたら怖いだろ」
    『にんげんはおばけがこわいのか?』
    「怖いか怖くないかって言ったら……まあ、怖い」
    『ふうん』
     こんにゃく問答をしているふたり(?)は、良く見ると顔がそっくりだった。長めの黒い髪。ペリドットの色をした瞳に綺麗に通った鼻筋。サイズの違いこそあれ瓜ふたつだ。ルーペを取り出す必要もない。迅は目は良いのだ。
    「あのさ」
     迅が声を上げると、嵐山と天使人形が同時にこちらを見てくる。サイズ違いのイケメンから注目を浴びて迅はややたじろいだが、しかし、なんのためにここにいるんだ、と自分を励ます。
    「とにかく、なにがなんだか分からないから説明してよ」
    「すまん、そうだよな。じゃあほら、自分で説明してくれ」
     ぱちぱちと瞳を瞬いたおもちゃのような小さな天使が迅に向き直る。
    『はじめまして。おれはあらしやまじゅん。ジュンにそだてられてるてんしだ』
     やっぱり天使は天使なのか。
     なんとなくイメージしていたのとだいぶ違っているその小さな天使は、呆気にとられている迅ににっこり笑って見せた。
     それは花が咲いたような天使らしいぴかぴかとした笑顔だった。


    『かってほしいんだ』
    「駄目だ」
    『なぜ? ジュンはけちなのか?』
    「ケチとか言わない。ほら、そういうことを言い出すし、なんとなく教育に良くない気がするからな」
    『かったらきっと、ふくとさほときょうつうのわだいがふえるぞ』
    「うっ、そ、それは」
    『おきはかってもらったといってた』
    「いや、やっぱり駄目だ。よそはよそうちはうち、だ。それにきっとお前には扱い切れないぞ」
    『えー』
    「……おれがプレゼントしようか?」
     おもわず口を出すと、嵐山が首を横に振った。
    「いや、駄目だ。あんまり甘やかすのは良くないんだ」
    「それが天使の『ゆりかご』のルールかなんかなの?」
    「いや、俺の教育方針だ」
     きっぱり言う顔が凛々しくてカッコいい。さすが教育学部である。
     嵐山のその言葉に、テーブルにちょこんと座っている天使のあらしやまが、その小さな顔をしかめるのが見えた。
     クリスマスプレゼントにSwitchを買ってもらえないと天使でも不満を持つらしい。とことんわけが分からない。
     ──天使の『守り人』『ゆりかご』『すみか』
     名前はなんでもいいけれど、地上にはそんな役割を担う神さまに選ばれた人間がいて、天使が一人前に成長して『巣立つ』まで、その身に宿して守り育てるのだ、と、説明してもらった話を反芻する。
     ものすごくメルヘンチックでにわかには信じ難い話だったが、目の前でふわふわした会話をしているのを聞いていると、そういうものなのか、と思うしかない。
     会話していると言っても、天使のあらしやまの声は耳ではなく頭に直接聞こえている。口は動いていないから眺めていると混乱してくる。お人形さんが突然、笑ったり顔をしかめたりしているように見えるので、なんというかディ○ニーのアニメーションを見ているような現実感のなさである。
     その非現実感のせいでかえって信ぴょう性を感じる、というのもおかしな話だが、とりあえず、あらしやまは本物の天使であるし、嵐山はその『ゆりかご』である、ということだった。
     どっちも「嵐山准」だと言うので、迅は人間の方を嵐山、天使の方をあらしやま、と脳内で呼び分けることにした。
     とにもかくにも、世の中には迅の知らない摩訶不思議がまだまだいろいろあるらしい。
    「普通、天使の宿ってない人間には天使の姿は見えなくて、存在にも気が付かないものらしいけど」
     嵐山が言うと、あらしやまが小首をかしげる。
    『じんはおばけがみえるのか?』
    「やめないか、そういう話」
     今度は嵐山が顔をしかめる。小さい方とそっくりな表情に、お揃いじゃん、と突っ込みたいのを迅はこらえる。
     お揃いの表情をする人間と天使。しかもイケメン。ああ、同じフレームに収めて撮ってみたい。
    「……おれは幽霊とか見たことはないよ」
    『なら、ようかいとかは?』
    「いや、だからやめてくれ」
     嵐山が本気で嫌そうな顔を見せるのに、迅は内心で笑ってしまった。
    『天使』だって十分超常現象だと思うのに、おかしな奴だ。

     今日でもう何度目の訪問だろうか。
     初めてあらしやまと引き合わせられた後、嵐山に『ぜひ友達になって欲しい』と請われてLINEを交換した。
     その言い方だと『うちの子と友だちになって欲しい』みたいに聞こえるんだけど、と思いつつも、これっきりはさすがにもったいない、と思ってしまったので了承した。
     何日かして『良かったら一緒に夕食でも』とお誘いが来た時はなんとも奇妙な気持ちになった。
     師匠の最上に『なんだニヤニヤして。良いことでもあったのか?』と、それこそニヤニヤ顔でからかわれたので、どうも自分は嬉しかったらしい。
     正直に言って興味深くはある。見過ごせない気がする。あとまあ、端的にかわいい。
     嵐山とあらしやま。へんてこな組み合わせのふたりの、どうにもふわふわしたやり取りを眺めているのはなんとなく楽しくて、そんな気持ちは久しぶりな気がして。
     それでも最初の内は、あまり家にお邪魔するのもなんだ、と遠慮していたのだが『じゅんの友だちになってくれる人間なんて滅多にいないから』と嵐山が言ったので、やはり教育の一貫だったか、と遠慮するのはやめにした。天使が人間に宿るのは、人間について学ぶためであるらしいので、サンプルはきっと多い方が良かろう。
     天使(じぶん)が見える迅を、あらしやまは頭っから『良い人間だ』と認識しているようで、まるで警戒しなかった。
     迅は自分を特に善良な人間だ、と思ってはいなかったが、それでも本物の天使に懐かれれば自己肯定感が爆上がりするというものだ。
     迅は最近、あまり将来に希望が見い出せない、というか、ありていに言って行き詰まっていた。立て続けに上手くいかないことが重なって腐っていた。好きで始めたはずの写真にも仕事にも、意欲が湧かなくなっていた。
     意欲がなくても、こなせてしまう「仕事」になってしまった写真はちっとも「良い」とは思えない。
     そんなこの頃の鬱屈した気分を嵐山との出会いは吹き飛ばしてくれた。
     ──天使の『ゆりかご』だってさ。
     神さまとやらが居るとして(まあ、居るということなのだろうが)それが天の使いを地上に預ける理由。
     それは、つまり人間を信頼しているということなのだろう、と初めてそんなことを思った。
     特段、信心深いという訳でもないが、ただ、嵐山を見ているとそういう気がしてくるのだ。
     天使が地上で人間の善性を知って、人間を信頼するように──愛するようなるように。
     そのために天使を大事に育ててくれるだろう人間を選んでいるのだとしたら『ゆりかご』役のその人は、きっと愛ある人なのだろう。
     そんな風に思う自分は、たぶん彼に惹かれている。
     迅は自分を人の感情の機微には聡い方だと思っている。自分自身のことについてならばなおさらに。
     嵐山は預けられた天使をとても自然に可愛がっている。
    『天使のゆりかご』が居るこの場所を温かい、と思うのは彼が温かい人間だからなのだろう。


    「でも、迅は変わっているよな」
    「うん?」
    「普通にじゅんのこと受け入れてる」
    「実際に目の前にいるから。認めないと自分の頭を疑うことになっちゃうでしょ?」
     嵐山と待ち合わせてスーパーで一緒に夕飯の買い物をしていた。今晩のメニューは鍋だとのこと。
     人数が多いほうがおいしいから、と自分を誘ってくれるのを嬉しいと思ってしまう。
     つまりはそういうことだ、と迅はつとめて客観的に思う。
    「一緒に夕飯の買い出し」に特別親しい間柄──付き合ってるみたい、と思ってしまうのは、どう言い訳しても浮かれているとしか思えない。師匠のニヤニヤ顔を思い出すとちょっと悔しい。
    「それになんかこう……この世にまだ自分の知らないことがある、と思うと、ちょっと救われたような気持になるから」
     この歳になると、世の中は世知辛いと思い知って嫌でも大人になってしまうから。
     迅がそう言うと、嵐山はふわりと微笑んだ。
    「そうか。少し分かるよ」
     その笑顔の柔らかさに胸が鳴る。
    「そう?」
    「うん。俺は今までじゅんのこと話せる友だちはさすがにいなかったし、こうやって普通に話をできるだけでもホッとできるっていうか……それで、迅があいつのことを気味悪がらないでくれてとても嬉しい。そうだな、自分のことのように嬉しいんだ」
     そういって見せる照れたような笑顔が素直で好ましい、と迅は思ってしまう。はっきり言うとかわいい。
     普通にしていれば凛々しい男前なのに、天使のあらしやまの事を話すときにはそんな顔を見せる。
     つまり、そんな顔は自分しか見ていない、ということにならないだろうか。なると思いたい。
    「内緒にしてくれ。親馬鹿みたいだから」
     神妙な調子で言うので、迅は思わず笑ってしまった。
    「いいんじゃない? 天使なんて愛情いっぱい注いで育てた方が良いんでしょ、たぶん」
    「なんだか迅の方が教育論、得意そうだな……」
    『レポートがあるのを思い出した』と言い出した嵐山に迅は苦笑しながら『じゃあ、早く買い物終わらせて帰ろう』と言った。

    『なべにはさかながいちばんあうとおもうんだ』
    「タラなら買ってきたけど」
     答えると迅の肩に乗っているあらしやまが『さすがじんだ!』と褒めてくれた。
    「っていうか、天使って人間の食べ物たべるの?」
    『ジュンがすきなものが俺もすきなだけだ。すきだというきもちがえいようになる』
    「なるほど? じゃあ、嵐山って魚好きなの?」
    『かいせんがすきだといってる』
    「あー、海鮮ね。好きそう」
    『じんはなにがすきだ?』
    「鍋の具? こだわりないけどシイタケとか好きだよ」
     迅が手際よく鍋の具材を切って準備していくのを肩の上から小さな天使は興味深そうに見ている。
    『りょうりのできるおとこはもてる、ときいた』
    「どこで聞いたの?」
    『てれび』
    「あー……まあ、一般的にはどうだか知らないけどおれはモテないよ」
    『そうなのか!』
     なんで嬉しそうなんだろう、と微妙な気持ちになりつつ、シイタケの飾り切りを終えて、次は白菜をざくざくと切っていく。今日は野菜多めの水炊きだ。男子大学生の一人暮らしには健康的で良いだろう。
    『じんはこいびとはいないのか?』
     その話題まだ続けるのか、と苦笑しつつ答える。
    「いないよー。半年くらい前にフラれたのが最後。おれが忙しすぎるんだってさ。仕事なんだから仕方ないんだけどね」
    『きのどくに……』
    「マジレスありがとう……」
    『だいじょうぶだ! じんはいいおとこだ!』
     あらしやまはひょい、とキッチンカウンターの上に飛び降りた。迅の目に入る位置で両手を握って力説してくれる。
    『ジュンはじんがくるとうれしそうだぞ! 俺もうれしい』
    「ほんとに?」
    『ほんとうだ。ジュンは俺がきてからへやにともだちをよんだことがない。きっと俺にきをつかってるんだ』
    「気を使ってる?」
    『そとであそべないから、いえでははなしがいにしてくれてるんだ』
    「放し飼い……」
    『まいにちずっと、俺といっしょでうっとうしくなることもあるとおもうのに』 
     あらしやまは嵐山の身に宿る天使だから、遠く離れたりできないし、本当に毎日一緒にいるのだ、と。
     嵐山の体に引っ込んでいる間は眠っているような感じなのだ、と天使は言った。文字通り『ゆりかご』にいるように、暖かく包まれ守られているのだと。
    『でもジュンがびっくりしたり、かなしくなったりしたときは、それがつたわってめがさめたりする。じんとこうえんであったときも、ジュンはかなしくなってたんだ。それでおれがはげましてたのが、きっとそとにもれて、じんにみえたんだとおもう」
    「悲しくなってたの?」
     確かに、あの時の嵐山は途方に暮れたようにベンチに座っていた、と思い出す。
    「どうして、なにが悲しかったんだろうな……」
    『ジュンにもいろいろあるんだ』
     おとなびた調子で言うあらしやまは嵐山の事情を勝手に話す気はないらしい。
     そのうちに機会があったら訊いてみたい。……そこまで踏み込むことを許されたなら。
     天使をその身に宿す守り人。そんな稀有な存在と知り合えた偶然はどれくらいの確率だろう。おれはすごく幸運なんだろうな、と迅は改めて思った。
    『そうだ……じんにはみえたんだ』
     まな板の脇を小さな天使がおもちゃみたいな羽をぱたつかせながら、ぐるぐると歩き回り始めたので危ないな、と迅は包丁を止めた。
    『ジュンにはみえる。じんにもみえる?』
    「?」
     そこに嵐山が「迅、テーブルの準備できたぞ」と言いながら顔を出した。
    『ジュン! おきのところへあそびにいこう!』
     あらしやまが羽をぱたぱたさせながらぴょんぴょんと飛び跳ねる。そういえば自力で空を飛んでるのは見たことがない。見た目通り幼いからまだ飛べない、ということなのだろうか。鳥の雛みたいなものと思えば、なるほど「放し飼い」にも納得である。
    「急にどうしたんだ?」
    『じんもいっしょに! じんにはおきもみえるのかきになるんだ!』
     天使の言葉に嵐山もハッとしたような顔をして。
    「そういえばそうだな! 行くか!」
    『いこう!』
     なんのことやら分からないが、まったく同じ仕草で両手を上げ下げしている様子が可愛いから、まあいいか、と思う。どこだろうと誘われたならどうせ自分はうなづいてしまうのだし、と思った迅は盛り上がるふたりを横目に鍋の支度の続きを再開した。


    「おー、良く来たな。まあ、汚いとこやけど遠慮なく上がりや」
     わりと立派な平屋の玄関で、迅は突然の関西弁に面食らいつつも、かろうじて挨拶をする。
    「えーと、はじめまして。お邪魔します……?」
    「かまへん」
     それで、この硬派っぽい男前は一体、何者なのか? 嵐山の友だち? またずいぶん毛色が違うな、という迅の内心を見透かしたのか、相手は強い目力で見返してきた。
    「俺の好きなカレー? ナスカレーやで」
    「いや、なんでやねん」
    「おお、良いノリツッコミやな。合格」
    「全然わからないんだけど!」
    「俺か? 俺はな、嵐山のブリーダー仲間やで」
    「ブリーダー?」
    「おん。天使のブリーダーや」
     悪びれた様子もなくそう言う彼に、嵐山が「いや、天使はペットではないぞ」と訂正を入れる。
    「ベビーシッターの方が近いと俺は思う」
    『どっちもちがう』
    「そか?」
    『俺はジュンのふようがぞくだ』
    「扶養家族ならベビーシッターであっとるやん」
    『え!?』
     こんにゃく問答の参加人数が増えている。天使と守り人って、みんなこんな感じなんだろうか……? と場のカオスについていけない迅はとりあえず黙っておいた。
    「いや、俺はな、誇りを持ってブリーダー言っとんのやで。今に見とき」
     目力にさらに星を添えて自信満々にそんなことを言うこの男、なんだか侮れない感がすごくてちょっと怖い。あとこのままだと玄関先から話が進まない。
    「あのー、役割がなんなのかは置いておいてさ。とりあえずきみも天使が見える人なんだ?」
    「生駒っちでええよ」
    「あー、うん、よろしく」
    「そやな、まず紹介したろか。おき~、ちょい来て!」
     結局ペットでも呼ぶような調子で呼び掛けるのにちょっと呆れたとき、奥の部屋から青年が顔を出した。
    「あれ、お客さん? 初めて見る顔やね。こんにちは」
    「こんにちは……?」
     豊かな黒髪に泣きボクロが目を引く優しげな顔をした美形の登場に、迅は思いっきり当惑した。てっきりあらしやまのような天使を紹介されると思ったのだが。生駒の同居人かなにかだろうか?
    「はあ、やっぱり見えとるんやなあ」
     と、生駒が感心したような声を出す。
    「……え? じゃあ!?」
    「せやで、これがウチとこの天使やで」
    『おき、ジュンがすいっちをかってくれないんだ……』
    「はあ、それは難儀やねえ」
     ふわん、と嵐山の肩から離れたあらしやまをおきが手の平で受け止める。柔和に微笑む顔は中学生くらいの美少年にしか見えない。
     え、これが天使? いや、天使と言われれば天使の微笑みっぽい美男子だけど。いや、その、予想と違うな!?
     良く考えればあらしやまの他に、天使を知らないので比較しようもないのだが、でも、少なくとも天使と守り人は容姿が同じなのかと思っていたのだが、こっちのふたりは全然似ていない。
    「それでどうなん? おき、この彼ってブリーダーなんか?」
     生駒が迅を指して問うと、おきはじっと観察する目を見せてから首を横に振った。
    「う〜ん。なんかちょっと違うみたいですねえ」
    『ちがうのか。なら、れいのうしゃ?』
    「ちゃうんやないかな。……れいのうしゃ?」
     おきは長いまつ毛を瞬いて首を傾げた。あらしやまを両手にのせたまま「嵐山さんは、じゅんくんにあんまり変なテレビ見せない方がええんやないですか?」とやんわり言う。
    「いや、その、見たがるから……うん、でもそうだな。気を付ける」
    『てれびはいろんなことがべんきょうできるぞ』
    「でも、先輩の忠告は聞いた方がいいぞ」
    『せんぱいじゃない』
    「人間の世界にいる期間はおきの方が長いぞ?」
    『でも、ちがうんだ』
     手のひらの上であらしやまが頬を膨らませて訴えるのに、おきが「まあまあ。ほな、いっしょにあそびましょ」となだめながら部屋の奥へ連れていく。嵐が去ったかのようである。
    「せやった。ほな、お茶でもどうぞ」
     良かった。やっと玄関先から上がれそうだ、と迅は内心で嘆息した。

     古風な卓袱台を嵐山、生駒と三人で囲む。
    「遠慮せんと足崩してな。あ、これ、つまらんものやけど、どうぞ召し上がれ」
    「ありがとうございます……」
     この生駒という男、なんでも真面目な顔で言うのでどうも全体的に芝居がかって見える。迅はどこまで本気で受け止めたらいいのか困惑気味だった。
    「えーと、嵐山と生駒っちは友だち?」
    「大学が同じなんだ」
    「あ、なんだ、そっか」
     まったく普通の繋がりだった、と逆に驚いてしまった。
    「俺がじゅんと会ってしばらくしたときに、学食で声を掛けられたんだ」
    「そや、『あなた、憑いてますね?』ってな」
    「霊感商法か」
    「そうだな。すごくびっくりした」
    「いや、ほんまに俺以外にもそんな奴がおったんやなあ、と思って感激したんや。で、今はブリーダー仲間として情報交換しとる」
    「ブリーダー……」
     まあ、育てているのだから間違いではないのかもしれないが。
    「ほんで、迅っちはなにをやっとる人なん?」
    「いや、迅っちはちょっと……」
     迅はやんわりとお断りしつつ、最近、二度目の自己紹介をした。
    「ほな、そのせいちゃうか? きっと目が良いんやろ」
    「目?」
    「いつも良い被写体あらへんかなあ、って探してるんやろ? 普通の人よりよく物を見てるんやないか」
    「そうかな……」
    「んま〜、言うなれば才能やな!」
    「才能か! すごいな!」
     妙にキリッとした顔で決め台詞のように言う生駒に嵐山が同調する。またこんにゃく問答が始まりそうな予感に迅は「待った」をかけた。
    「才能ってなんの才能?」
    「天使を見る才能。俺らみたいに天使を育てる才能がある人間がおるんやから、天使を見るスキル持ちがおってもええやろ」
    「天使を見る才能……」
     スキルだとかゲームみたいな言われようをするとあれだが、才能と言われれば素敵なことのような気がして少し嬉しくなってしまう。……ちょっと場の空気に毒されている気もする。
    「せや。選ばれし才能ある我々、やで!」
    「……俺は元からの才能というより、単に神さまのお恵みって方がしっくりくるかな」
     なんだかしんみりした口調で説法めいたことを言った嵐山の視線の先には、和室のテレビの前で楽しそうにしている天使の姿がある。
     おきがSwitchでゲームをしている画面を、その頭の上に乗っかってあらしやまが見ている。おきの頭が揺れると背中の羽根をぱたぱたさせてバランスを取っているのが、そういうおもちゃっぽくて可愛い。
    「……准っちにはそうなんかもしれんな。人間はいろいろおるんやから、天使もいろいろおるんやろう」
    「それはほんとに。おきくん? はすごく普通に人間みたいに見えるな。最初からああだったの?」
     迅が訊くと生駒は『いいや』と首を横に振った。
    「初めて会ったときはじゅんくらい小さかったで。あんな、俺が何年、おきを育ててると思う?」
     生駒はふふん、と決め顔をする。
    「なんと今年で十四年目や!」
     それはそれは。つまり、おきの場合は大きさは見た目年齢とイコールなわけか。というか、ならば生駒は五歳の頃からブリーダーをやっているわけか。なるほど無駄に自信にあふれた言動にも納得である。自己肯定感高そう。
    「俺は単なる『ゆりかご』では終わらん男やで? 守り人には一生かけて、ひとりの天使を育て上げる人間もおるってこっちゃ」
     そう言うとテレビの前の天使に声を掛けた。
    「おき〜、ちょっと「精一杯」をやってみせてくれん?」
     生駒の声に振り向いたおきは、にこりと美少女ばりの微笑みを見せる。それから、またテレビに向き直ると、次の瞬間、その背中からバサっと音がしそうな勢いで白い大きな羽根が広がった。
    「うわ……」
     ぶわっと広がったそれはおきの細身の体からは想像もつかない大きさで、平屋の天井にまで届きそうだった。周囲にふわふわと白い羽毛がホログラムのように飛び散り、光っては消えていく。
    「飯は好きな物好きなだけ食ってええ、言うてんやけど、どんなに食わせてもちっとも太らんで羽根ばっかり大きくなる。だから、これはひょっとしてって思ってるんや。ブリーダーとしては腕が鳴るっちゅうかね」
     生駒はくっきりと星の飛ぶ、天使に負けない自信満々の笑顔を見せた。
    「きっと将来、おきは大天使になるんやわ」


    「迅、今日は付き合ってくれてありがとう」
    「いいよ。おれも買いたかった物買えたし」
     午後も遅く、迅と嵐山は街中のカフェでひと息ついていた。
     学校帰りの嵐山と合流して嵐山の買い物にお付き合いしたのだ。すっかりクリスマスの雰囲気の街をふたりで歩くのはなんだかとても楽しくて、つい予定外の物までいろいろ見て回っていたら、すっかり遅くなってしまった。
     友だちと一緒に買い物するなんて何年ぶりだろうか。ここ最近はとにかく時間に追われていて、時間が空いても街に出よう、なんて気は起きなかった。
     けれど、今日は嵐山とふたりきりだったから。
     あらしやまへのクリスマスプレゼントを買うためだったので、文字通りのふたりっきり。小さな天使は家で留守番をしている。
     誘われたときは正直、あー、それってデートだなあ、と思わずにはいられなくて。
    「迅にまで買わせてしまってすまないな」
    「まあ、せっかくだから。要するにおまえが遊ぶのをじゅんが見るわけだろ? なら、おまえが楽しく遊べるソフトがあった方が良いでしょ」
     あの小さな天使人形が自分でゲーム機を操作できるわけではないだろうし。そう思ってのプレゼントだったのだが、嵐山は「ううん、どうだろう?」と首をひねる。
    「ひょっとしたら自分で操作できるのかもしれない。じゅんのことは良く分からないことも多くて」
    「ふうん?」
    「たぶん……あの姿じゃなくて、もう少し大きくなったりできるんじゃないかと」
    「ほんとに?」
    「うーん、たぶん?」
     今日に限らず、たまに家にひとりで置いていくと、帰ったときに小さな姿では届かないはずの場所の物が動いていることがある、と嵐山は言った。
    「でも、普通に飛べるのかもしれないし、もしかしたら魔法とかなのかもしれない」
    「天使って魔法つかうの?」
    「分からない……」
    「そりゃそうか」
     とにかく謎多き存在である。最近すっかり慣れてしまって親戚の子ども感覚だっだが、そんなわけはない。見た目は幼いが、なんと言っても神の御使いなのだ。神秘の存在……なのにゲーム機欲しがるのか。
    「とにかく、迅にまでクリスマスプレゼントをもらってしまうなんて思わなくて。俺もなにか迅に用意するから」
    「いいよ、気にしないで」
    「でも」
    「じゅんとおまえが喜んでくれれば、おれも嬉しいから」
    「そうか……ありがとう。迅は優しいな」
    「どういたしまして」
    「というか、俺が甘やかし過ぎなんだろうか……最近、ちょっと手綱がゆるんでいるかも」
    「はは」
    「迅と友達になれてから、楽しいことが多くて……ちょっとわがままになっていたかもしれない」
    「別に良いじゃない」
    「良くないと思う。なんていうか……あいつは俺の心の欠片みたいなものだと思うから。だから、あいつを甘やかすことは、俺自身を甘やかすことだというか……」
    「心の欠片?」
    「うん」
     嵐山はふっと表情を消して窓の外の街並みへ目をやった。もうすぐやってくるクリスマスの装飾に彩られた街は明るく楽しげだ。
    「あいつとは去年のクリスマスに会ったんだ」
     と、ひとりごとのようにつぶやいた。
    「その頃、俺はちょっと困った状態だったんだ」
     嵐山は目線を落としてコーヒーカップの縁をなぞる。大切なことを、彼の事情を話してくれる、と気付いた迅は黙ってそれに耳を傾けた。
    「大学で……助手の女性に、その、言い寄られてしまって。良く知らない人だったしお断りしたら、なんというか、恨まれてしまって……」
     諦めてくれなくて、付き纏われてしまって。そういうのは困るから止めて欲しい、と今度ははっきり告げたら逆上してなじられた。
    「いろいろ言われたよ。でも一番堪えたのは『あなたのような恵まれた人には他人の心が分からない』だったな」
     それは物心ついた頃から、自分を嫌う人によく言われた言葉だったから。
     ──お前には俺の気持ちは分からない。
    「確かに俺は恵まれていると思うよ。家族には愛されてるし友だちだっているし、人生で本当に困ったことなんてないかもしれない……だから、ちょっと八つ当たりされたくらいで傷付く権利は俺にはないのかもしれない。恵まれてるから」
    「そんなことあるわけないだろ!」
    「うん。ほんとはそう思ってた。俺だって上手くいかなくて、どうしていいのか分からないときはあるのになって」
     件の女性助手には心無い噂を流されて。人間関係がぎくしゃくして。担当教授へ提出したレポートを勝手に破棄までされた。彼女の執拗な嫌がらせのせいで、とうとうその科目の履修を諦めた。
    「そんな……、ちゃんと大学側に訴えたらいいのに」
     嵐山は目を伏せて苦く笑った。
    「相手を追い詰めても解決することは何もないし、これ以上、彼女を傷付けたくなかったんだ」
     何より人を傷付けることに、自分が疲れてしまったんだ、と嵐山は言った。
    「……今は?」
    「彼女は病気療養で休職中だから、表向きには落ち着いてるよ。でも、まだ、たまに何か言う人はいるみたいだな」
     それが去年のクリスマスの頃の話、と嵐山は続けた。
    「とにかく気分が落ち込んでて、でも街中はクリスマス一色でみんな楽しそうで。すごくやり切れない気持ちになったよ」
     ひとりになりたかった。もう、誰とも関わらない方がいいのかと思って。でも、それは寂しくて。
     夜中にふらふらと公園に散歩に出た。
    「ほら、あの迅と会ったイチョウ並木の公園だよ」
     寒くて息が白くて。でも星が綺麗で。ぼんやり見上げていたら雪が降ってきたんだ。
     ふわふわと夢のように、ほんのひとときだけ地上に舞い降りてきた雪。
     羽毛のような柔らかい塊が目の前に降りてきて、思わず手を差し出した。
    「そしたら、ふわって広がって光って……それがじゅんだったんだ。おとぎ話みたいだろ?」
     手のひらに現れた小さな小さな天使は『はじめまして』とにっこり笑った。
     いっときだけ降った雪は、後で調べたらどこの天気ニュースでも話題になっていなかった。
     じゅんが言うには『あれはみんなてんしだよ。みんなそれぞれ、こころのかけらがひつようなひとのところへおりていったんだ』ということだった。
     ──心の欠片、と天使は言った。
    「意味は正直、よく分からなかったけど安心したよ。俺にも必要なんだって。俺にも欠けてるところがあって、ぜんぶ隙間なく恵まれてるわけじゃないんだって」
     欠けてる部分のある不完全な人間だから、つまづいたり悩んだり傷付いたりして良いんだって、神さまが言ってくれた気がしたんだ。
    「家族とも友だちとも、もちろんペットとも違うけど……きっかけをくれた大事な存在なんだ」
    「わかるよ」
     迅が言うと嵐山はこっくりうなづいた。その仕草が幼くてなんだか胸が痛くなった。
    「おれはじゅんが、おまえのことを『ゆりかご』だって言ってるの、すごく納得したけどな」
     ──嵐山と公園で出会ったとき、落ち込んでいるように見えたのは、そういうわけだったのか、と思った。
    『ジュンにもいろいろあるんだ』とあらしやまは言っていた。いまだに何か心無いことを言う人がいるのだろう。
     それで落ち込んだ嵐山を、あの小さな天使が励ましていた。あれはそういう、優しい場面だったのだ。
    「嵐山といるとおれは心があったかくなるよ。『ゆりかご』ってきっと温かいんだろうから、きっとそういうことなんだろうって」
    『嵐山の心は神さまが天使を預けるくらいに温かいよ。人の気持ちが分からないなんて、そんなことない』と迅は断言した。
    「だから、いいじゃない。じゅんを甘やかして、自分も甘やかされなよ。神さまは許してくれるよ。おれも、それでいいって思うよ」
    「……いいのかな?」
    「そんなに自分に厳しくしなくていいんじゃない? おれも最近、おまえやじゅんと笑って楽しくしてるうちにそう思えてきたよ」
    「迅も……そうか。みんないろいろあるよな」
    「そう。いろいろあるね」
     嵐山は一旦、伏せた目をまた上げて迅をじっと見た。長いまつ毛の下からのぞいた緑色の瞳が少しだけ頼りなげに潤んでいて、目が離せなくなってしまう。
    「俺は迅と会えて、友だちになれて良かった」
    「おれもだよ。じゅんのおかげだね。ひょっとして天使は天使でもキューピッドってやつかもね」
    「キューピッド? ……恋の天使ってやつか?」
     迅の言葉に嵐山が不思議そうに長いまつ毛をしばたいた。
     しまった。雰囲気に流されて口が滑った、と迅は我に返る。何の準備もなしに本音が漏れてしまった。おれって実は流されやすいのかもしれない、と内心で焦りながらさらに口が滑る。
    「あ、えーと……本当に、天使に種類があるなら……だけど」
     嵐山は驚いたように目を丸くした。さっきまで沈んでいた緑色が何度も瞬いて、瞬く度にきらめきが増していく。
    「迅、それはつまり」
     ついに聖夜の星でも宿したように、生き生きと輝き出した瞳にじっと見つめられて、迅は居たたまれなくなる。
    「待って! ちょっと待って!」
    「うん?」
     うっかり口を滑らして察されるなんてカッコ悪いにも程がある。しかし、ここで引っ込めるのはもっと格好悪いだろう。
    「……言っていいの?」
    「聞きたい」
     イケメンの期待に満ちた顔って、すごい圧があるな……と迅は思いつつ、一度わざとらしく咳払いをした。
     それでも、人間関係で傷付いたはずの嵐山が、自分には怖がらずに期待してくれるというなら、応えたい。
     迅にとっても嵐山は今まで会った誰よりも、いろんな意味で特別だから。
    「……すきだよ」
     いざ口に出したらなんだかそっけない言葉になってしまった気がして。迅は慌てて付け足した。
    「あ、えーと、つまり特別に好きだよってことで、あ! あと天使の守り人とか、そういう話は無しにしての特別って意味で、」
    「うん。俺も」
     迅の追加の言葉を全部聞く前に、嵐山は言った。
    「へ?」
    「俺も、迅が好きだよ。特別に」
     そして、嵐山は天使に負けないくらい明るい瞳で綺麗に笑った。
     
    「それじゃあ、今日はこれで」
     やや間の抜けた告白劇の後、最寄りの駅についても離れがたくて。
     迅は嵐山をバス停まで見送りに来た。嵐山はこのまま帰るけれど、迅はまだこれから仕事があった。まったく年末進行というやつは度し難い。
    「迅、仕事がんばって。俺もレポート頑張るよ」
    「うん」
    「今度、迅の仕事の話も聞かせてくれ。お前のカメラ見てみたいな」
     嵐山は少しはにかんだように「いつか迅の撮った写真も見せて欲しいな」と言うので、迅はさっそくたまらない気持ちになってしまった。いつか、また、そのうちに。この先の約束をしてもいい間柄になれたのだ。
     ──そうだな。いつか胸を張って自信作だと言える作品を見せられるようになりたいな。
    「カメラはまあ、師匠のお下がりだし、そんなすごいものじゃないけど、いつでも見せられるよ」
    「ほんとか? あ、じゃあクリスマス! えーと、クリスマスは迅は時間空いてるか?」
    「空ける」
     できたての恋人からのお誘いの予感に迅は即答する。それはもう、死ぬ気で予定は空けるものだろう。
    「じゃあ、うちで鍋でもしないか? あ、クリスマスに鍋って変か?」
    「全然。いいじゃない、鍋パーティ」
    「鍋パーティ……じゃあ、生駒たちも呼ぶか。持ち寄りしたら豪華になるし」
    「いいね。すごくいいと思う」
     いきなりひとり暮らしの部屋にお邪魔してのクリスマスはじゃっかんハードルが高いので、それはありがたい提案だ。別に情けなくなんかない。常識の範囲内だ。それに嵐山の家にはあらしやまがいるのだから、絶対、その……まあいいや。
    「じゃあ、声掛けておくな」
    「あ、じゃあ、その時にカメラ持っていくよ。せっかくだからみんなで撮ってあげる」
    「記念写真か、いいな!」
    「ん、でも……天使って写真に写るのかな」
    「それは……どうだろう? そういえばスマホのカメラでもじゅんを撮ったりしたことはないな」
    「心霊写真みたいになったりして」
    「……やめないか、そういうの」
     天使なんて摩訶不思議な存在と暮らしているのにお化けを怖がる嵐山に迅は笑ってしまう。
    「冗談だよ。まあ、試してみよう」
    「迅の腕に掛かってるな」
    「え、それは……」
     超常現象には腕云々では太刀打ちできないんじゃないか、と真剣に答えた迅に、今度は嵐山が笑い出して。
     そこでバスが来たので「それじゃあ、また」と手を振り合って別れた。
     次の約束があるというのは、こんなに気持ちが温かいものなのだ、と迅はしみじみ思った。

     バス停で嵐山を見送った迅は、なんとなく足を公園へ向けた。嵐山と出会ったあの公園のイチョウ並木を見たくなったのだ。
     そうしてたどり着いてみると、すっかり葉の落ちたイチョウの木にはイルミネーションが飾り付けられていた。
     クリスマスツリーじゃなくても電飾付けちゃうの、クリスマスって感じだよなあ、と思いつつも、温かい光に彩られたそれは悪くない景色だった。
     ──綺麗だな。
     素直に思って、スマホを取り出してカメラを向けてみる。撮ろう、とごく自然に思って。
     そこで、ふと光の中に小さな影があるのに気が付いた。
     イチョウの木の枝に白い翼の天使がいた。さながら留まり木のように腰掛けて空を見ていた。
    「!」
     きらきらとしたイルミネーションの光の粒に取り巻かれたその姿は、見知った天使人形ではなかった。
     あらしやまは少年の姿をしていた。
     出会ったのは去年のクリスマス、と嵐山は言っていた。
     一年でこれだけ成長した、ということなのだろうか。
     そうなのだろう、と思う。嵐山は温かい感情をたくさん持った人間だ。きっとたくさんの温もりを得て、早く大きくなったのだろう。
    「そんなとこでなにしてんの?」
     あらしやまは上から迅を見下ろして小さく微笑んだ。その背中の羽根を光が縁取っていて、さながら宗教画のようだった。この上なく美しい存在。気軽にレンズを向けられないくらいに。やっぱり本物の天使なのだと強く実感した。
    『こんばんは』
     ふわりと羽ばたいて夢のように頭上から降りてきたあらしやまは、迅の前に舞い降りて……その時にはもう、いつもの小さな天使人形の姿になっていた。
    「こんばんは」
     返事をしながら迅が両手を差し出すと、手のひらにちょこんと着地した。手のひらがほんのりと温かい、と思った。
    『ジュンは?』
    「さっきバス停で別れたよ。おまえはひとりで帰れるの? 嵐山の家まで送ろうか?」
     訊けば、手のひらの上の小さな天使はにっこり笑う。
    『ホントはもうるすばんだって、とおでだってなんでもできるんだ』
    「そっか」
     さっきの一瞬の少年の姿を見ていたから、迅はただうなづいた。
    『でも、まだないしょにしてくれないか?』
    「うん?」
    『もうすぐくりすますだから。あとすこしなんだ。あとすこしで、ジュンにぷれぜんとをあげられるとおもう』
    「クリスマスプレゼント? おまえがあげるの?」
     あらしやまはこっくりとうなづく。まるで待ち切れない、というように楽しそうなぴかぴかした笑顔に、迅はまあ、それじゃあ内緒にしてやるか、と思う。
     クリスマスに天使から貰う贈り物が良いものでないわけがないし。
     おれも嵐山に何かあげたいな、と思った。
     おれにあげられる良いものってなんだろうな、と真剣に考える。
    『じゃあ、ジュンがいえにつくまえに俺はかえる』
    「あ、うん」
    『おやすみ、じん。きょうはジュンにやさしくしてくれてありがとう』
    「へ? あ、うん……」
     全てお見通し、という顔をした小さな天使は小鳥のようにぱたぱたと羽ばたいて浮き上がった。『ばいばい』と手を振ってパッと星の輝きを散らして消えた。
    「……天使って魔法つかうんだな」
     まあ、本当のところ天使なのかどうか正体は分からないよな。
     小さくて可愛くて不思議な神さまのお恵み。心の欠片。
     迅は頭を搔いて、ひとつ息をついて。
     上を見上げるとイルミネーションの向こうの晴れた夜空に月と星が見えた。吐いた息が冷たい冬夜の空気に白く溶けていく。
     もう少しでクリスマスなんだなあ、とつくづく思った。

     そして迎えたクリスマス当日。
     迅は適当に見繕ったパーティ菓子やらシャンメリーやらを入れた袋を下げて嵐山の家を訪れた。
     誰かと一緒にクリスマスパーティなんて何年ぶりだろうか、と思う。
     ここ数年はこの時期は仕事に忙殺されていたし、別にどうしても一緒に過ごしたい相手がいるわけでもなかったから、それでいいと思っていた。
     しかし、こういうことには嫌に察しが良い師匠は、迅が言い出す前にニヤニヤしながら「クリスマスくらいは解放してやろう」と言ってきて。
     迅はもちろん休みをもぎ取る気ではいたので、訳知り顔に「若人って良いよなあ」などと言われても我慢して、クリスマス直前にはいつもの二倍働いた。おかげさまで明日も休みになったから、まあ良しとする。
    「いらっしゃい」
    「こんばんは。お邪魔します」
    「どうぞ。狭い部屋ですが」
     嵐山の部屋を訪れるのは初めてではないのに、告白して以来なので、なんとなく玄関先でぎこちなくなってしまう。
    「これ、差し入れ……」
    「ありがとう。鍋の材料は用意しておいたから」
    「あ、じゃあ、すぐ支度しようか……」
    「そうだな……」
     妙にぎくしゃくとしたやり取りをしている向こう、リビングの方から笑い声が聞こえてきて、お互いに我に返って苦笑した。
    「生駒っちたち、もう来てるんだ」
    「ああ、おみやげ持ってきてくれたから」
     やっと調子を取り戻してリビングへ踏み込むと、そこでは生駒とおきとじゅんが何やら作業をしていた。
    「こんばんは。何してって、なるほどクリスマスツリーか」
    「おー、俺が買うてきたんや。やっぱり飾ると気分出るやろ」
     ドヤ顔で言う生駒が首から飾りのモールを下げているのに迅は吹き出した。
    「それツリーに飾らないでどうすんの?」
    「気分を盛り上げとんのや」
    「そーですか。なにこれ、どこまで進んでんの」
     おきは箱から取り出した緑の枝をあれこれ組み合わせようとしているし、その膝の上にいるあらしやまは雪の代わりの綿をせっせとちぎっている。
    「あー、分かった。分かってないのが分かった」
    「おん?」
    「おき、それ貸して。あと説明書どこ? じゅん、綿は後でいいからちぎらないで」
     迅はこれは自分が率先してやらないと駄目らしいと察する。
    『じん! てっぺんのほしはこれだぞ!』
     わくわく顔のあらしやまが金色の星を両手で抱えて見せてくる。
    「気が早い。それは一番最後だよ」
    「じゅんくんが付けてええからね」
    『いいのか?』
    「願い事しながらてっぺんの星を付けると叶うらしいで」
    『すごいな! かみさまはいそがしくなるな!』
    「ね」
     天使同士がとんちんかんなやり取りをしている横で嵐山もまた別の箱を持ち出している。
    「迅、このLED、十二色に光るらしいぞ! 早く点けよう!」
    「だから、まず本体だよ!」
     こんなに大騒ぎしながらクリスマスツリーを飾り付けるなんて子どもの時以来だな、と思う。
     あらしやまとおきは本物の天使なんだし、本来ならもっと絵になる光景のはずなのにな、と思って、おかしくなった迅も気が付いたら大笑いしていた。
     こんなにクリスマスが楽しいのも何年ぶりかな、と思って笑った。

    「ごちそうさまでした」
    「よう食ったなあ。カニはやっぱ美味い」
    「豪華だったね」
    「クリスマスだからな。奮発した」
    「クリスマスパーティに鍋いうんもあれやけどな。やっぱみんなでつつくとより美味いわな」
    「そうだな」
    「酒もいけるようになったらもっとええやろ。来年のクリスマスも鍋に決まりやな」
    「来年のクリスマスの約束、もうしていいの?」
    「ええよ。楽しいことははよ決めな」
    「前向きすぎる……」
     満腹でぐだぐだするふたりを嵐山はにこにこと見ている。
    「イコさん、来年はお邪魔しない方がええかもしれませんよ」
     おきが穏やかに言うのに生駒はくわっと音が出そうな勢いで目を見開いた。
    「ほう! いつの間にそないなっとったん?」
    「いや、まあ、その」
    「イコさん、野暮ですよ」
    「ほうか! なら早うお暇せな。な、おき!」
    「そうですね」
    『もうかえるのか?』
    「いや、そんな! 気にするな! ゆっくりしていってくれ」
    「人の恋路を邪魔するものは、やで」
    「こ、恋……」
    「なんですか?」
    「馬に蹴られるんや」
    『うま?』
    『馬に? 恋人同士が蹴られるんですか? 初耳やわ」
    「こ、恋人同士……」
     またもや始まったこんにゃくな会話に迅は半目になりつつ口を挟む。
    「さっさと帰るのはいいけどさ」
    「ええんかい」
    「その前に、これいいかな?」
     迅は荷物から自分のカメラを取り出してきた。
    「せっかくだからさ、みんなで撮らない?」
    「おお、カメラマンっぽい」
    「迅、持ってきてくれたのか」
    「約束したから」
    『やくそく?』
    「せっかく集まるんだから記念写真、撮ろうかって」
    『それはとてもいいな!』
    「ただちょっと疑問があるんだけど」
     迅は師匠のお下がりの一眼レフの電源を入れて設定を確認しながら言う。
    「天使って写真に写るのかな?」
     迅の疑問に、嵐山の肩にいるあらしやまとおきが顔を見合わせる。
    『わからない』
    「あー、どうでしょう? 多分、写ることは写ると思いますよ。今、ここに居るのは確かなんで」
    『でも、じんにとってほしい』
    「オッケー。じゃあ、せっかくだから……ツリーの前がいいかな」
     頑張って組み立てて飾り付けたクリスマスツリーの前にみんなで並ぶ。
    「迅も一緒に写らないのか?」
    「後でセルフタイマーで撮るよ」
     でもまずは自分の手で撮りたかった。不思議で特別なしあわせの光景だから。
    「撮るよー。はい、チーズ」
    『ちーず?』
     嵐山が胸の前に掲げた手のひらに乗っているあらしやまが首を傾げる。
    「タイミングの合図。チーズって言ったら良い顔して」
    『わかった!』
    「生駒っちも。チーズって言ってからで良いから」
    「はよして。とっておきの決め顔保てへんから」
    「はいはい……」
     それじゃあ、と迅はカメラを構え直す。
    「はい、チーズ」
     シャッターの音がして。みんなの心から楽しそうな笑顔が残る。
     写真っていいな、と迅は久しぶりに心からそう思った。

     生駒とおきからのクリスマスプレゼントはツリーと電飾一式で。嵐山からは鍋のカニで。
     プレゼント交換なんてちょっと気恥しいなあ、と思いつつ、迅はふたりに平たい包みを渡した。
    「ありがとう! 開けてもいいか?」
    「どうぞ」
     嵐山と生駒が揃ってガサガサと包装紙を開ける。
    「フォトフレーム?」
    「うん、そう。さっきのみんなで撮ったやつ、焼いたら渡すから、良かったら入れて。後からで悪いけど」
     他に気の利いたものも思い付かなったし、自分にあげられる良いもの、を真剣に考えた結果だった。
     どうかな? とやや不安に思いつつ説明すると、嵐山が弾けるような明るい笑顔で「ありがとう!すごく素敵だな」と言ってくれたので安心した。
    「おー、モテる男の作法やな。感心したで!」
    「なかなかキザですね」
     と、生駒とおきにも褒められた(と思っておく)ので一生懸命考えた甲斐はあった。
    「さて、ほんなら俺らは帰るか」
    「え、本当にもう帰るのか?」
    「おん。な、おき?」
     生駒に振られたおきはおっとりとした笑顔でうなづいて窓の外を指した。
    「外、これから振りますよ」
    「え? 雪?」
     空は綺麗に晴れていて聖月夜の様子なのに、おきはそんなことを言った。
    「天気予報では降雪の予報は出てなかったけど……」
    「でも降るんです。今夜は聖なる夜で特別ですから」
     ホワイトクリスマスになる、と綺麗に微笑んだ天使を連れて「ほな、そういうことだから」と生駒は帰っていった。
    「ホワイトクリスマスかあ。風情はあるね。電車とかは困るけど」
    「えーと、じゃあ迅も降る前に帰るか……?」
     嵐山が伺うように聞いてくるので、迅はくすぐったい気持ちで口の端を上げた。
    「……そんな残念そうな顔しないでよ」
    「え……」
    「まだじゅんとゲームで遊んでないしね。……泊めてくれる?」
     そっと訊けば嵐山は破顔した。
    「もちろん! ちゃんと客用布団もあるから安心してくれ」
    「あー、うん。良かった」
     それは本当に良かった、と迅は思った。ソファで寝たら風邪引そうだし、いろいろとまだ心の準備もできてないしね。

     時々冗談を言い合って笑いながらふたりでパーティの後片付けをして。
     流しの水を止めて「コーヒーでも入れようか?」と嵐山が言ったときだった。
     カーテンを開いたままだった窓から、それがちらちらと見えた。
    「! 嵐山、外! 雪、降ってきたよ」
    「本当だ!」
     さっきまでそんな気配はなかったのに、とベランダへ駆け寄って。
     ガラス戸を開けると、ひんやり湿った雪の匂いが流れ込んでくる。青味を帯びた夜空一面から、ひらひらと軽い雪が街へ舞い降りていくのが見えた。
    「さむ……!」
    「ああ、すごい。綿雪だな……まるで去年、じゅんと会ったときみたいな……」
     そこで、嵐山がはっとしたように部屋の中を振り返った。
    「じゅんは?」
    「え?」
     迅も振り向いてリビングを眺め渡した。クリスマスツリーの電飾がチカチカと光っている部屋の中はとても静かだった。
     慌ててふたりで家中を探し回った。テレビの前もソファの上も、クッションまでひっくり返して、名前を呼んでも小さな天使の返事はなかった。
    「……じゅんがいない」
     嵐山が呆然としたように呟いた。
     なんで、どうして急に──。
    『もうすぐクリスマスだから。あと少しで准にプレゼントをあげられると思う』
     そう言っていたのに。
    『でも降るんです。今夜は聖なる夜で特別ですから──』
    「クリスマスには天使が雪と一緒に降りてくる……?」
     ふと脳裏にイメージが浮かんで、迅が呟くと、嵐山が身を翻して上着を掴んだ。
    「公園だ。きっとそうだ……!」
    「嵐山、待って! 俺も行くよ」
     外へ飛び出すと、雪はまだ積もるほどではなくてアスファルトが濡れている程度だった。
     羽毛のように軽い雪。思わず空を見上げる。あの雪の中に天使がいたりするんだろうか……?
     嵐山の手が迅の手を掴む。イチョウ並木の、あの公園を目指してふたりは走った。
     クリスマスの装飾が目立つバス通りを、白い息を切らして走って。
     誰もいない公園にたどりつくと、ふわふわと舞い散る雪の中、大きなイチョウの木を見上げた。
    「……じゅん!」
     嵐山が大きな声で呼ぶ。迅はこの間、あらしやまが腰掛けていた木を探して──そこに少年の姿の天使はいた。
     留まり木に留まる鳥のように身軽に枝に腰掛けている。その背の羽根が雪に混じって白く輝いていた。
    『ジュン、じん』
    「おまえ、この寒いのになにしてんの? 降りてきて。嵐山の家に帰って一緒にゲームしようよ」
     迅の言葉に小さく笑ったあらしやまは、白い羽根を広げてふわりと舞い降りてきた。
    「じゅん、おまえ……」
     初めて見るのだろう、少年天使の姿に嵐山は戸惑ったように声を震わせた。
    『ジュン、もうわかってるとおもうけど、俺はかえらなきゃいけない』
     少し困ったように小首をかしげてあらしやまは言った。
    「帰るって……」
    『うん。ジュンの『ゆりかご』のおかげで俺はおおきくなれたから』
    「そんなの、俺はなんにも……」
    「ありがとう。たくさんあったかいこころをもらったから、おれはにんげんがすきになったよ」
     大人びた笑顔で天使は明るく笑う。
    「じんも。じんのおかげでおれはきゅうせいちょうしたからな!」
    「ほんとに……?」
     あらしやまは迅にうなづいてみせる。
    『ジュンがすきなものが俺もすきで、すきなきもちがえいようになるんだ』
     それは確かに前にも聞いたセリフだった。
    「いままでありがとう。俺はきっとりっぱなてんしになるよ」
     そう言ってあらしやまは嵐山の胸に抱きついた。
    「そんなの、ならなくてもいい……っ」
     自分の胸下の大きさにまで育った少年天使を抱きしめ返す嵐山はもう涙声だった。
    『ジュンはもうだいじょうふだ。もうかけてない』
    「欠けてない……」
    『かみさまはちゃんとみてる。ジュンがこのせかいでひとりでいなくていいように俺はきた。それで、いまはじんがいる。ジュンはひとりじゃない』
     天使は微笑んだ。彼の『ゆりかご』の嵐山とそっくりの顔で、でも、どこか少し違う笑顔だった。
    「俺がひとりじゃなくなっても、じゃあ、お前はどうするんだ? 神さまの……天国? へ帰ったら仲間がちゃんといるのか?」
    『いるよ。俺もひとりじゃない』
     心配する嵐山の言葉に答えて、それから、何故かあらしやまは迅を見て笑った。その顔はとても嬉しそうなぴかぴかした、迅が知っている小さな天使の笑顔だった。
    『みてくれ。だれかのこころのかけらが、てんしが、みんなのところへおりていく。ことしもらいねんも、もっとさきも、みんなだれかといっしょならいいな!』
     ふわりふわりと軽くて儚いような綿雪が、あらしやまが指差した聖夜の空から舞い降りてくる。
    「そうか……ありがとう」
    『うん。じゃあ、もういく』
    「待って!」
     迅は思わず大声を出して、でも、何を言ったらいいのか分からなかった。
     小さな小さなお人形みたいな、おもちゃみたいな不思議な天使。でも、本物の天使だった。迅を嵐山と出会わせてくれた。
    「えーと、あの、そうだ! おまえから嵐山へのプレゼントってなんだったの?」
     ああ、この後に及んでおれはなにを言ってるんだろう、と思う。でも、なんでもいいから言わないと泣いてしまいそうなのだ。
    『そんなの!』
     あらしやまは笑って、迅のところへ来ると腕を取った。そして、引っ張っていって嵐山と迅の体をくっ付ける。
    『俺は迅がだいすきだよ!』
     嵐山の手が迅の手に触れて、指が絡んで──迅は嵐山の手をしっかりと握り返した。
     そうやって、ふたり繋げば、かじかむ冬の空気の中でも温かい手になる。
     ふふふ、と笑ったあらしやまが魔法のような星屑を散らして見慣れた小さな姿に戻った。
     白い羽根をぱたぱたさせて、ふわりと浮かぶと小さな小さな手が『ばいばい』と振られて。
     次の瞬間、まるで流れ星のような軌跡を描いて天使は空へと飛んでいった。
     その光は迅と嵐山が見送る先で、きらりと瞬いて舞い散る雪と見分けがつかなくなった──。


    「……なんか嘘みたいに晴れたなあ」
     翌日、ベッドから抜け出した迅はガラス窓を開けてぼやいた。
    「ん〜?……迅、寒い……」
     寝室のベッドの上で、まだ布団にくるまっている嵐山が文句を零した。
     結局、昨夜は泊まらせてもらった。しかも同じベッドに。
     ……と言っても、淋しそうな嵐山に寄り添って眠っただけなのだが。
     まあ、今はこれで充分だ。まだまだきっと、これから先がある。
     なんと言っても天使が引き合わせてくれた恋人なのだ。きっと運命と言い切っても過言ではない、と迅は珍しく自信を持って思う。
     きっとこの恋はもっとしあわせになれる。まだ空のフォトフレームは、これからしあわせを詰めていくものなのだ。
     まずはあの天使たちがちゃんと写ってくれているか確かめないと。
     迅は明るい窓辺でひとつ大きく伸びをした。
    「いい天気になりそう」
     そう願って空を見上げたときだった。ひらひらとなにか羽毛のようなものが目の前に降って来た。
     ん、なんだろ? 昨夜のなごり雪……?
     思わず手を出して受けとめると、それは手のひらでふわりと解けて小さな小さな人の形になった。
    「!」
     迅は目を疑った。まるでクリスマスツリーに飾る人形のような白い服。おもちゃのような小さな白い羽根。
     その白い羽根がぴるぴると羽ばたいて、小さな天使がこちらを見上げていた。
     思わず黙って見つめ合ってしまう。軽くパニックになっている迅と対照的に、平静に微笑んでいるその顔は自分に良く似ている気がした。
    「……。」
    「……嘘ぉ」

     Merry Christmas & A happy new year.
     そうしてまた幸せな一年が始まるのだ。






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