合図――オズのやろうめちゃくちゃしやがって、ちょっと中央の王子をからかっただけだっつうのに…
夕食のスペクターフィッシュのムニエルを頬杖をつきながらブラッドリーはフォークでつつく。
昼間オズに雷で貫かれた体は表面はほとんど再生したものの、内部はボロボロだ。
指を動かす腱がまだきれいに繋がっていないらしくフォークを取り落とした。
――あぁくっそ…
拾うのもおっくうで床に転がったシルバーをしばし眺める。
ふと視線を感じて顔を上げると、ネロが啞然とこちらを見ていた。
彼は給仕のためか、まだ席につかず食堂の通路につったっていた。
目が合うと、はっと顔を背けたもののまたすぐにブラッドリーを伺うようにちらりと視線をよこす。そして足取り重くブラッドリーの席に近づいてきた。
そして落ちたフォークをさっと拾うと、「何本いる?」と聞いてきた。
――?
おかしな問いかけだ。落としたフォークは1本なのだから1本あれば十分のはずなのに、それとも何度も落とされてはかなわないから多くもっておけということだろうか、とブラッドリーは首をかしげる。
「2本?」
ネロの意図がつかめないままなんとなく答えたところ、彼はぐっと口を引き結んで黙って立ち去った。
そして足早に戻ってきて、ブラッドリーのテーブルにフォークを1本乱暴に置くと何も言わずに立ち去った。
「結局1本かよ」
ブラッドリーは憮然としながらムニエルを口に運んだ。
翌朝、ブラッドリーが朝食のため食堂にいくと、ネロがドンッと皿を目の前に置いた。
その皿に乗っているのはカリカリを通りこして焦げ焦げの目玉焼き。
「おい。東の飯屋、なんだこれ」
「うるせぇ」
「なんだよ機嫌悪いな」
不機嫌の理由がわからず、さわらぬ神にたたりなし―賢者に教わった言葉だ―とそれ以上文句を言わずネロが背を向けた間にミスラの皿とさっと取り替えたのであった。
その晩、ブラッドリーがシャイロックのバーを訪れると先客でカウンターにネロとファウストがいた。
近頃この二人は親睦が深まったらしく中庭などで晩酌する姿をみかけることが増えた。
ネロが魔法舎で新しい関係を築いていくのを見ると、一抹の寂しさが胸をよぎる。
他人であることを強いられている自分とはもう二度とあの頃のような関係には戻れないのだと突き付けられているようで。
カウンターに促すシャイロックに首を振って、離れたテーブル席に座る。
注文した酒を飲みながら、目を閉じて先ほどまで耳に聞こえていた音色を思い出す。
それは中庭を通りかかった時にラスティカがバイオリンで奏でていた曲だ。
『いい音色だな。婿さん』
『ありがとうブラッドリー』
『もう一曲聞かせてくれ。西のパイプ飲みのバーで一杯おごるぜ』
『残念だけれどこれからクロエと出かける用事があってね』
北の強者がひしめく魔法舎での暮らしは不自由で理不尽なことも多いが、こうして極上の音楽と出会えたりするのは悪くない。ブラッドリーの指が無意識にリズムを刻む。
テーブルを叩く指がふいに誰かに掴まれた。
「やめろよそれ…」
目を開けるとネロがいた。
「飯屋…」
「……」
酔いが回っているのか、少し赤らんだ顔でネロがこちらをねめつける。
「悪いな、うるさかったか」
「……別に、そうじゃねぇけど……」
「なんだよ」
「いや……だから……」
ネロの目の端がジワジワとさらに赤く染まる。
「なんだ?酔ってんのか」
「…もういい」
ネロはブラッドリーから目をそらして頭を掻いた。
「わりぃファウスト、俺もう戻るわ」
「それなら僕も」
そうして二人はバーから出て行った。
「………」
――あいつのあの目…もしかして……
ブラッドリーはグラスの酒を飲み干すと、シャイロックに挨拶をしてバーを後にした。
目指すは3階のネロの部屋。
「よう!東の飯屋」
「なんだよ……」
扉をノックして出てきたのはぶすくれた顔をしたネロ。
「なんだよはねぇだろ。てめえが誘ってきたんだろうが。いいからさっさと部屋に入れろ」
「はあぁッ俺は誘ってなんか…」
ブラッドリーがネロの耳元に口を寄せ息を吹き込むようにささやいた。
「やりてぇんだろ。廊下でこんな話聞かれていいのか」
「ばッ……!?」
ネロが耳を抑えている間に、するりと部屋に入り込み扉を閉めるとついでに防音の魔法をかける。
「てめえ勝手にはいんじゃねぇよ。大体俺は誘ってねぇ…!」
「さっき熱のこもった目で見つめてきたじゃねぇか。あれが夜の誘いじゃなきゃなんだってんだ」
「ち、違…あれはてめえが…昨日から合図だしてくっから…」
「合図?」
まったく意味が分からないと頭に疑問符を浮かべたブラッドリーを見て、ネロは羞恥に顔を赤く染める。
「いい、いい、俺の勘違いだ。早く帰ってくれ」
「…あ。思い出した」
唐突に記憶が蘇った。
昔、盗賊団ではボスのブラッドリーとNo.2のネロが出来ていることは周知の事実だった。
それでも長い年月で、団員が入れ替わっていけばそれを知らない新入りが多い時期もある。そんな時、ブラッドリーとネロは誘いの合図を作って夜の逢瀬を楽しんでいた。
合図の意味にようやく気付いた新入りが驚く顔が面白かったからだ。特にボスであるブラッドリーが受け側だと知った時の反応は見ものだった。
合図はある時は落としたシルバーの代わりの本数や、音を使った暗号なども確かにあった。
「おまえ、俺が合図使って誘ってると思ってたのか…」
それなのにブラッドリーからの音沙汰がなくてネロは機嫌が悪かったのかと腑に落ちた。
ネロはますます顔を赤くして叫ぶ。
「そうだよッ…!てめえが誤解させるようなことするからだろッ」
「誤解っておまえ…盗賊の首領がポンポンシルバー落としてんじゃねぇつって、あの合図はてめえがすぐやめさせたろうがよ。それに暗号の方も、たまたま酒場で居合わせたムルにすぐ解読されたから使わなくしただろッ。大体…」
ブラッドリーは先ほど自分が刻んでいたリズムを思い出した。
「俺様がしよ♡しよ♡なんて、語尾にハートつきそうな言葉を使うかよッ!!」
「何いまの!かわいい… もっかい言ってくれ」
「やだよっ」
ギャーギャーと大声で叫びあっていた二人の間にもやがて沈黙が落ちる。
「で、結局どうすんだ」
「……」
ブラッドリーが聞くもネロは咄嗟に目をそらす。その口は何かを言いかけて黙った。
魔法舎で再会してからの二人はそういう行為はしていない。
ネロが望んでいないなら仕方がないと、ブラッドリーは肩をすくめて帰ろうとした。
しかし、ドアノブを握ろうとした手をネロがつかんで引き寄せ、唇に嚙みつくようにキスをされた。
ふはっとブラッドリーは笑って、ネロの股間を触る。
「待たせて悪かったな。てめえのこれをさっさとよこしな」
「待ってねぇし、言われなくても」
二人はそのままベッドにもつれ込むのであった。
翌朝に決めた新しい合図も、すぐさまムルに解読されてひと悶着起きたという。