「あれ、鍾離先生じゃないですか?」
声をかけられて足を止めると、向かいからやってくるのは、この前に琉嘉と、洙承の姿だった。琉嘉は以前に会った時と同じようにフードを深くかぶっている。視線が合って少し心臓が動いたものの、自制出来ているのが分かった。琉嘉は口元に笑みを浮かべているが、内心は読み取れない。
「琉嘉に洙承殿、また会ったな」
名を呼ぶと覚えていたことを喜んだのか、洙承はにこやかな表情を浮かべる。
「ええ。何か縁があるのかもしれませんね」
「この辺りには良く来るのか?」
琉嘉が問いかけてくるのに、鍾離は特に隠すこともないと頷いた。
「この通りは、散策する道の一つだ。却砂の木が美しい通りだからな」
「確かに、この辺りは葉が散る時期は見ごたえがありますな。鍾離先生は感性も素晴らしいようだ」
むやみに人を褒めるのは、この男の性質だろうか。いささかの含みを感じる。
「ああ、そうだ」
ふと思い出したような調子で洙承が口を開く。
「実は三日後、琉嘉先生と琉璃亭で食事の約束をしているんです」
「洙承殿」
止めるような声音に、良いじゃないですか、と洙承は続ける。
「鍾離先生とは一度お話をしてみたかったんですよ。他にもう一名、いらっしゃる予定だったのですが、都合が悪く来られないということで。あの琉璃亭の予約でしょう?もったいないと思っていまして。もし良ければ鍾離先生もいかがでしょうか」
少し強引に感じる誘いにすぐには乗らずに問いかける。
「お誘いはありがたいが、俺が行って構わない場だろうか」
洙承というよりは琉嘉に当てたものだったが、頷いたのは洙承だ。
「勿論大丈夫ですよ。あなたも御存じかとは思いますが、琉嘉先生も狭量な方ではありませんし、ねえ、琉嘉先生」
「鍾離先生が構わないのであれば、私にも問題はありません」
「それは良かった。鍾離先生、せっかくなので正式に招待状をおくりましょう。届け先を聞いても?」
「ならば往生堂に俺宛てに届けてくれ」
琉嘉の忠告を思い返し、住所は口にせずに往生堂の場所を告げる。
「分かりました。今日中に出しましょう。いや、楽しみですね」
機嫌の良い男に対し、琉嘉は口数が少なく物静かな様子だ。視線が鍾離を向いているが、目を合わせて鍾離の様子をよく見るようにしてから、視線は外された。
「洙承殿。時間に間に合わなくなりますよ」
「ああ、そうでした。それでは、鍾離先生。また三日後に」
離れていく二人の後ろ姿を見送りながら、琉嘉の内心を想像するが今一つつかめない。自分のことを離さないわけではないが、しっかりと線引きされているのを感じる。
それが不満なわけではないが、あの丁寧な男がその裏で何を考えているのか興味深くもある。
三日後の予定を整理しておこうと鍾離は往生堂に戻った際に、手紙が来ることを言付ける。
そういえば、外で琉嘉に会うことは初めてだった。
手紙は約束の前日に届いた。
内容は17時に予約をしていることと、洙承の名を告げれば中に入れるということ、そして楽しみにしていると書かれており、簡易的だが璃月の手紙の書式を踏んでおり、教養が伺える。そういえば琉嘉の手紙もきちんと則ってはいるが、最低限の琴しか書かれていなかったのを思い返す。
当日、少しだけ早く到着した鍾離は、受付に案内されて個室へと入った。すると中ではすでに洙承が待っていた。琉嘉の姿はない。
「おお、鍾離先生。待っていましたよ。琉嘉先生は少し遅くなるということで、予約時間も決まっているし、先に始めていてくれとのことでした」
この男と二人であることに琉嘉の忠告を思い返すが、個室とはいえ店員も出入りする部屋だ。そこで何かを強行するのならば、それなりの制裁を加えても問題ないだろうと判断した。
三つ並べられた席の一つに座ると、男は用意されていた酒の瓶を取り上げる。
「流石、琉璃亭ですね。私でも知っている入手困難な高級酒が置いてある。せっかくなので奮発しました。琉嘉先生にも取っておきますが、先に乾杯はどうでしょう」
琉嘉と洙承が気心が知れた仲なら、気にすることもないのだろうが、鍾離には二人の関係を判断する材料がない。とはいえ、今日は招待された側だ。此処で断って機嫌を損ねるのも、これから来る琉嘉の負担になるだろう。
「彼が先に初めてくれと言ったのなら、言葉に甘えるとしよう。食前の酒は食欲を刺激する。上等な料理を味わうなら、ぜひ頂きたい」
すると断られるかもしれないと思っていたのか、洙承は少しほっとしたような顔をした。
「では」
用意されているのは夜泊石を削り杯にしたものだ。美しい色合いをしている。洙承が鍾離の杯に酒を注ぐと、自分の杯にも注ぐ。
「では、今後の我々の活躍を祈念して」
乾杯の声と共に、鍾離は酒を口に含む。その瞬間口の中に広がった味に、鍾離は僅かにだけ眉を顰めた。知っている味とわずかに違う。少し苦い香りの何かが混ざっている。
「おお、やはり美味しいですね」
「洙承殿。この酒はやめた方が良い」
洙承の声に被せるように、鍾離が視線を向けると、洙承は目を瞬く。
「味がお気に召しませんでしたか?」
「俺が知っているこの銘柄の味と異なる。変質している可能性もあるから、店の者に取り換えてもらったほうが、」
鍾離は言葉を止めた。なぜ自分が続きを言えなくなったのか不思議に思い、洙承を見返して動けなくなる。手から杯が滑り落ち、薄く削られた杯が割れる音が響く。
「私の注いだ酒が飲めないというのですか?」
返事が出来ない。
不愉快そうな表情を浮かべている男の様子が明らかに攻撃的だが、椅子に縫い留められたように立ち上がることすらできない。
「何を固まってるんですか?《飲め》って言ってるんだ」
男の言葉の威圧感に、手が震えたのが分かった。ぐ、と唇を引き結び。鍾離は男を見据える。鍾離の反応にいら立ったような男は、立ち上がって男の杯に乱雑に酒を注ぐ。その中に何かの液体を注ぐと、顎を捕まえて杯の淵を唇に押し付けられる。
「《飲め》」
「……こ、れは」
命令に従わないと、恐ろしいことが起こってしまう。取り返しのつかないことになる。これ以上機嫌を損ねてしまえば、自分は──。
「毒なんかじゃないよ。そんなことするわけないだろ?ただちょっと命令を聞くのが気持ちよくなる薬だ。神の目持ちはSubという話を聞いたことがあるが、思ってた通りあんたもそうなんだな」
目を合わせる男からびりびりと威圧を感じる。肩を掴まれて指が食い込むのに顔をしかめる。
強引に記憶から琉嘉の声を引きずり出した。胸の奥底から湧く、今すぐに許しを乞いたい自分の本能を理性で強引に抑えつける。
「《飲め》って言ってるんだよ!」
怒声に意志に反して唇が薄く開いた。口の中に液体が入り込んでくる。次の瞬間、杯を押し付けていた手が緩む。
「何を、しているんだ?」
その声は、今まで聞いたことのない冷え切った音をしていた。洙承の手首をつかみあげているのは、琉嘉だ。
綺麗な顔には分かりやすい怒りは浮かんでおらず、ただ淡々と男を見据えている。
「な、んで……まだ時間じゃ、」
琉嘉は男の腕を払い、その勢いで男は床に転がり込む、杯が割れる音がした。
琉嘉から目が離せない。恐ろしいものこそ、その姿を知らなければならないように、琉嘉のひとつひとつの動きを注視してしまう。
「久しぶりに腹立たしいよ。お前は俺が築いてきたものを台無しにした」
一歩、琉嘉が男に足を踏み出すと、ひっと男が座ったまま後ずさる。
琉嘉が纏うglareに、Domの男は完全に威圧されていた。
「お前が俺に何の敵意を抱いているかは知らないが、それは無関係な人間を巻き込んで良いものじゃない。まさかそこまで浅はかな人間だなんて思いもしなかった。調心屋を営んでいるDomならなおのことだ」
また一歩足が踏み出される。男を振り返っている琉嘉の表情はもう見えないが、その立ち姿から、先ほどとは比べ物にならない、火花を幻視するような威圧を感じる。
「悪かった……!許してくれ、あんたがどんなプレイをして客を繋ぎとめてるか、知りたかったんだ……!あんたが現れてからどの調心屋も客が減ってる……。あんただって分かってるだろ?!」
「特別なことはしていない。あんたがこうしてSubを良いように使うような人間なのが見透かされたんじゃないか?」
声は静かなままだ。琉嘉が自分の感情をコントロールしているのが分かるようだった。
「頼む。許してくれ。気の迷いだったんだ。このことは、」
「俺に許しを求めてどうする?相手が違う」
琉嘉の声に、男は唇を震わせると、鍾離の方を見た。琉嘉も体を振り向かせるが、視線は鍾離の足元あたりに向けられている。
「鍾離先生」
自分に向けられた声が緩み、優しくなっているのに鍾離はようやく持っていたハンカチに口の中の酒を吐き出した。
「千岩軍を呼んでも構わないか?」
琉嘉の言葉に男が震えた。
「待ってくれ、そんなことをしたら俺の人生は、」
「それだけのことをした。お前がやったことはただの暴力だ。通報されるようなものだという自覚すらないのか?」
「琉嘉」
淡々と男を追い詰めていく琉嘉の名前を呼ぶと、琉嘉は鍾離の言葉を待つように黙った。
「今回のことは公にしたくない。だが、契約の形を取って相応の罰を与える」
ほっとしたような男を刺すように、鍾離は続けた。
「琉嘉、この男には調心屋をやめさせようと思うが、どう思う?」
青ざめた男に、琉嘉は頷いた。
「今の態度を見るに、こいつがSubをどう思っているのか疑問だ。ダイナミクスを軽んじている人間が、調心屋をしているなんて、考えたくもない」
「い、いつもは、こんなことはしていない!今回は本当に……!」
「公にしないから、この提案をしている。お前がこの条件をのめないのであれば、俺も考えなおそう」
「…………」
最近付け加えられた法律に、ダイナミクス関連のものがある。男はそれらの法律をいくつか犯していることになり、罪に問われるだろう。千岩軍に捕らえられれば、社会的制裁もここに加わってくるはずだ。
「わ、かった。その条件を……飲む……」
男はがっくりと肩を落とし、うなだれた。茫然としている男が鍾離のいう通りに、鍾離が書き上げた書類にサインをするのを待っていた琉嘉は、それから口を開く。
「ここを出ようか。鍾離先生」
鍾離が先に出ていくのを待って、琉嘉はそれから鍾離より少し前を歩く。視線は合わないままだ。
早足に道を歩いている琉嘉は、人気のないところまで行くと、足を止める。
「Domを信頼するのには時間がかかる。そして一度恐怖を抱いたものを、信頼しなおすのは難しい」
「琉嘉。俺は、」
「きっとあいつは予約時間をずらして伝えてたんだろう。嫌な予感がして早く来たんだ。……間に合わなかった。あなたには申し訳ないことを、」
「琉嘉、聞いてくれ」
琉嘉は口をつぐむ。
「俺の方を見てくれないか」
「駄目だ。まだ落ち着けてない。上手くコントロール出来てないんだ。本当はすぐに先生をケアしてあげたいんだが、俺がこんな調子じゃ」
「俺なら問題ない。それにお前は間に合った。まず礼を言わせてくれ。ありがとう、琉嘉」
「…………」
琉嘉は悲痛に耐えがたそうな顔をした。
「何か飲まされそうになってたな。体調に変化は?」
「自覚症状はない。命令を聞きやすくすると言っていた」
「ああ……。それなら、興奮剤の一種だろう。体調は良く気を付けててくれ」
「分かった」
それから落ち着くように深く息を吐き出して琉嘉は言う。
「貴方の方が落ち着いているな」
「いや、琉嘉のおかげだ。あの男がglareをまき散らしている間、お前のことを考えていた。思ったより意志が引きずられるものだな。あれは確かに厄介だ」
「客にそう冷静に分析されると立つ瀬がないよ」
「琉嘉、お前に時間があるなら、白駒逆旅に部屋を取ろう。少し話したい」
「……分かった」
琉嘉は一瞬迷ったようだったが、鍾離の意志を尊重したらしい。
しばらく黙ったまま、白駒逆旅に向かい、いつもの部屋を取る。受付の人間は何も言わない。よく行き届いた接客だった。二人で部屋に入ると、鍾離はくるりと琉嘉を振り返る。
「褒めてくれないか?」
「え?」
不意をつかれたような琉嘉の声に、鍾離は続けた。
「俺はDomの理不尽なglareに対して、出来うるだけの抵抗をしただろう。褒められるべきだと思ったんだが、違うだろうか」
琉嘉は鍾離の言葉を聞いてからしばらく黙ると、ゆっくりと口を開く。
「念のために聞くが、俺を怖いとは思わないのか?」
「思わないな。琉嘉のあれはいわゆるdefenseだろう?俺を守るためのglareだ。確かに怖ろしいとは感じたが、俺はお前を信頼している。例えお前が俺にglareを放つことがあったとして、それは俺がお前の命令に従えなかった時だ」
琉嘉は額を指で押さえるようにする。
「先生は少し俺を過大評価しているよ。そんな上等な人間じゃない。でも褒めることに関してはあなたの言う通りだ」
琉嘉はソファのあたりまで足を進める。少し広い空間で佇むと、琉嘉は言った。
「セーフワードは?」
「玖耀だ」
「good。おいで。褒めさせてくれ。鍾離先生」
すぐさま琉嘉に近寄ると、琉嘉の背に手を回す。ちょっと頭を下げると。頭と背を抱えるように抱きしめられた。
「よく頑張ったな。偉いよ。まだglareを知る前だったのに」
琉嘉を抱きしめて鍾離は自分の低い体温がもっと下がっていたことを実感する。あたたかい琉嘉の体をより強く抱きしめると、頭を撫でる優しい手。
「まだ目を合わせてはくれないのか?」
鍾離の言葉に、少し笑って抱きしめられていた手が離れ、頬に伸びてくる。頬を包むように触れてきた琉嘉の、今は穏やかな瞳が自分を見るのに満足する自分がいた。
「次に会うときは、弱いglareを体験してもらおうと思っていたんだが、こんな最悪な形で知ることになって、本当に申し訳なく思ってる」
「お前のせいじゃない」
「そうかもしれない。でも、危ないとは思っていたんだ。もっと慎重になるべきだった。あなたは魅力的だからな」
そこで鍾離は、琉嘉があの男が鍾離を目当てにこんな行動を起こしたのだと勘違いしていることに気づいた。訂正する前に琉嘉は鍾離の手を引いて、ソファに隣同士で座る。
「今日はこの後の予定は入ってない。好きなだけいられるよ」
「それは嬉しい。いつもは時間が決まっているので難しいが、お前のことも聞きたいと思っていた」
ちょうどいい機会だ。今なら琉嘉も口が軽いだろうという打算もあるが、予約の間は中々雑談をする時間の余裕がない。
「パイモンがお前をいじわるだと言っていた理由について、お前から教えてもらいたい」
琉嘉は目を瞬くと、少し陰鬱そうにして笑う。
「……このタイミングでそれを聞くんだな」
「ずっと知りたいと思っていた。教えてくれ。無理にとは言わない」
琉嘉は黙って鍾離を見返してから、視線を外した。
「さっきあなたと目をあわせられなかっただろう。あれはあなたにglareを仕掛けてしまうのを警戒したのもあるが、それよりも興奮している自分を悟られたくなかったんだ」
琉嘉の話す内容は、あの場で鍾離が薄々感じ取っていたものと一致する。
「俺は他人を虐げることが好きなんだ。困った顔を見たい。おびえた顔でもいい。他人に対して攻撃的な性格を持っている。相手のダイナミクスはどちらでも構わないんだ。訓練しているがずっと治らない。どうしようもない俺の本質だよ」
琉嘉は溜息を吐いた。
「旅人たちは丁度、glareを使わざるを得ない場面で間に入ってくれたんだ。glareの状態のDomに対して一番早く方がつく。だから俺の性格を知っている二人、パイモンには特に……お菓子を先につまんだりして揶揄うときがある」
それだけで済んでいるのなら、琉嘉の自制心は相当なものだろう。さっきのglareを見てもそうだ。相手を圧倒していたところを見るに、琉嘉のDom性は強いものだとうかがえた。
どんな訓練をしたら、それが押さえられるのか。日頃の努力がうかがえて、鍾離は琉嘉が自分の性格を強く疎んでいるのだと察した。
「その本質を隠していて、何か不都合はないのか?」
「……世の中にはその手の嗜好を持った人間が集まるような店が存在するんだ。あなたが心配することじゃない。それよりも自分の心配をしてくれ。それに、もし俺に不信を感じるようなら、俺の信頼できる調心屋に紹介もするよ」
「問題ない。俺の方から聞き出したことだ。それに、俺よりお前の方が堪えてるように見える」
「…………」
琉嘉は黙ると、鍾離をまじまじと見返した。
「そういえば、glareを受けている時に俺のことを思い出していたと言ってたな」
「ああ。あのままでは、Subの本能に引きずられて命令を受け入れざるを得ないだろうと思った。だが、これに耐えればお前に褒めてもらえるだろうとも思ったからな。それを礎として抵抗した」
「プレイを始めて二ヵ月の人間が出来ることじゃないな。まったく、あんたには恐れ入るよ」
「俺の力というより、琉嘉がそうなるように調教したんだろう?」
「待ってくれ。あなたの口から調教という単語が出るとは思わなかった」
「書物に、DomがSubに自分のプレイや嗜好を覚えさせることを調教や躾と表現するとよく書かれている。使い方は合っているはずだ」
琉嘉の瞳が呆れたように細められる。
「わざとずれた返事をしているな?」
「はは。分かるか」
鍾離が笑ったのに、琉嘉はおそらく溜息を吐こうとしたのをこらえたようだった。誰かの前で溜息を吐くことは気安い証拠であるが、その実、相手をないがしろにしてもいることでもある。この他人に敬意を払う琉嘉という男こそ、どこでそんな性格に矯正されたのか、興味があった。璃月に関わらず、Subの立場は弱くなりがちだ。プレイに命令という形式が必要だからこそ、立場を貶められやすい。
琉嘉はSubに優しいのだ。本質とは真逆の態度を自分に課している。
「前にも言ったが、今回の件で俺はより、お前と契約をしていて良かったと思っている。琉嘉、お前は俺を甘やかすだろう?簡単なcommandでも丁寧に褒める。だからこそ俺は、Subとしての自分を肯定出来る」
鍾離の言葉に何か考えるように視線を動かす琉嘉に、鍾離は続けた。
「理不尽なglareを浴びせられた時に、信頼できる相手とのプレイを思うことは抵抗の一つとして正しいものだ。訓練としては、先生に教えられることはもうないかも知れないな」
「だったら、少し踏み入ったプレイもしてみたい」
「踏み入ったプレイ?」
鍾離が提案しようとしているものを既に吟味するように目を細めた琉嘉に、鍾離は言った。
「俺の許容量を知りたいんだ。お前には、そうだな、もっと手酷いことをして欲しい」
本当のことを言えば、この男の素の表情を見てみたいというのが動機だが、そんなことを言っても琉嘉が了承しないことは分かっている。
「今のプレイで満足しているだろ。わざわざ見極めなくても支障はないんじゃないか?」
「いや、これからきちんとSub性と付き合うのならば、知っておくべきだと考えた。出来たら協力してもらいたいが、難しいだろうか?」
未来を見据えての提案なら、琉嘉が了承しやすいだろうと考えての駄目押しをする。今の所、琉嘉以外のDomと契約をするつもりはないが、それは言わなくてもいいことだ。
「……次に会う時に、先生が上手くセーフワードを言えたら考えてみよう」
躊躇いがちだが、条件付きとはいえ琉嘉が頷いたことに、鍾離は満足すると頷き返す。
「良いだろう。三日後だな。楽しみにしている」
つい本音を付け加えると、琉嘉は鍾離の内心を推し量るようにじっと目を見返してくる。
「……その方が良いか」
何を考えたのか、琉嘉がそう呟くまでに少しだけ間があった。それでも、ようやく微笑んだ琉嘉に安堵を覚える。
「何かあったらすぐに連絡してくれ」
懐から取り出した小さなカードを渡されて、鍾離はそのカードに目を通す。
琉嘉の名前と住所が書かれた名刺だった。
装飾屋に任せたのか、繊細な線で扉を描かれ、様々な草花が絡まっているデザインだ。
「調心屋をしていると、執着されることがある。だから、住所は友人にしか渡していないんだが、今回の件を考えて念のためにな」
「ああ。ありがとう」
執着の言葉を使ったのは、釘を刺す意味もあるだろう。だが琉嘉の声音を聞くに、心配はしていないようだ。
信頼か。
琉嘉の方がよほど鍾離に尽くしているように感じる。あの時、築いてきたものを台無しにしたと琉嘉は激怒していた。プレイを行うのであれば、信頼関係は欠かせないものだ。最初にプレイをするDomがどんな人間かで、その後の人生が変わってしまうことも想像がつく。鍾離が琉嘉を信頼するということは、琉嘉も鍾離を信頼するということだ。
気分が良くなった。
帰りに食べ損ねた昼食をとって帰るのも良い。
となれば、目の前の相手を誘うべきだ。この後時間があると言っていた。今日ばかりは、いつも以上に彼は自分に甘いはずだ。機を逃さないのは商売や契約の常だ。二人での食事は、間違いもなく美味しいだろう。