暗い夜道を提灯の光が心もとなく照らしている。家のあかりもついていない丑三つ時に足音を立てるのも躊躇われて、知らず地面を踏みしめる足がゆっくりになる。砂利を踏む音でさえ響いているように聞こえて、良からぬものを呼び寄せそうだとどきりとする。
後ろを振り返るのも怖い。城下町こそ治安が良いが、こんな夜更けに女が一人で出歩いているのはどう考えても危険だ。
だが私にはどうしても確かめないとならないことがあった。
じゃないともう明日食べる飯がない。大切に食べてきた最後の白米はこの夜の進軍のために私の腹の中へと収まった。そう、元気な私は今だけの限定サービスなのだ。
つまり今夜、この夜!なんとしてもネタを取ってこないとならない。じゃないとせっかく城下町で一人暮らしを始めた意味がなくなる。だらだらとした起床も好きな時に好きに料理をして好きなだけ食べるのも夜更かししてお気に入りの作家の新刊を読みふけることもできなくなる。そんなことは嫌だ。人生の損失。
というわけで今の私はネタを欲しております!
きょろきょろと月あかりの陰影を確認しながら慎重に進む私の手は、突き出されてて何もないことを手探りしている。へっぴり腰なのもあり、はたから見たら深夜、女一人、奇行の三拍子が揃って逃げ出す奴もいるかもしれない。
これが噂になるとしたらなんだろう?前かがみ女?ぱっと浮かんだ通称は即座に却下した。
とりとめのないことで頭をいっぱいにしているが、そうじゃないと、あの木の枝が揺れた気がするとか、背後から視線を感じるとか、置かれた壺が子供に見えるとかそういう恐ろしい想像をしてしまう。いや最後のほんとに怖かったのでなしね。なし。
体を張ってでもネタを取ってこいなんて社風じゃないが、ネタを取ってこないとお給金は貰えないので仕方がないのだが、一番怖いのは見回りの天領奉行に見つかったときになんて言い訳をしたらいいか分からないところだ。
「怪談のネタを探しています」
なんて話、誰が信じるんだ。絶対怒られる。
でもそれは本当のことで、私は稲妻のとある小さな出版社が定期的に出している雑誌「稲妻怪談」担当であり、また売れない作家でもあった。怪談ものや幽霊ものを書くのを得意としている。書くのは平気だし人の心がないとよく言われるのだが、こうして実際深夜に散歩に出る恐怖はまた別である。今ほど自分の豊かな想像力を恨んだことはない。
こうして私は恐怖を堪えて深夜の城下町に繰り出しているのは、とある噂を検証するためである。
なんでも、「深夜、かんざし橋を渡った四つ辻の、鬼門の道が通れなくなる」らしい。
狐や何か悪いものの仕業なのでは、と言う話を聞き、嬉々として(恐々と)こうして確かめに来ていた。もし収穫がなくても、何かの創作のネタがつかめればいい。書き上げてしまえばこちらのものだ。
時勢のネタじゃなくてもいいのだが、噂が広まっているのなら便乗しない手はない。引き返すという選択肢はなかった。
そうこうしているうちに噂の四つ辻まで来てしまったが、恐る恐る手を突き出しながら進んでも、すんなりと通れてしまった。
「そりゃそうだよねえ……」
ため息をつきながら、提灯をかざして隅々まで観察してみる。何の変哲もない四つ辻だ。
でも噂が出るということは、何かしらそう錯覚をする人間がいたということになる。私は改めて周囲を観察しようと提灯をあげ、鬼門の方角の道からぐるりと、回って──。
息を止めた。
月明りの下、白い衣が淡く光を帯びてすらいるような、儚げなものが、空を見上げて立っていた。
人ならざるものか、とぞっと背筋が冷えて指先すら動かなくなる。こちらに気づくな、という願いもむなしく、それは私の視線を感じてかこちらをゆっくりと振り向く。穏やかな表情、その姿は。
「──!」
社奉行の、神里綾人……!
とっさに名前を呼んでしまわなかったのは、私にしては良い判断だった。
彼は微笑むと、ゆっくりとした足取りで私に近づき、少し離れた場所で足を止める。
「良い月夜ですね」
「え、ええ。そうですね……つい、眠れなくて散歩をしてしまいそうな夜です……」
「おや、そうでしたか。それにしては、随分このあたりをきょろきょろと何か探していたようですが」
ごくごく自然に続けられた声に、私は再び動きを止める。
「あ、はは……。ちょっと……、簪を落としてしまったみたいで……」
「それは大変ですね。探すのを手伝いましょう」
「え!?いや、そんな……」
あなた様にそんなことをさせるわけには、という前に嘘なので探されても困る。
そしてなお悪いのは、この男は私が嘘をついている、ということを分かってこういっているのだ。淡々とした表情の瞳は私を良く観察するようなまなざしを私に向けている。声音はわざとらしい心配する色。
「いえ、また明日の朝来てみます」
「お帰りに?そうですか。噂を確かめに来た同士だと思ったのですが、私の予想が外れたようですね」
驚いて私は男の顔を見上げる。
「噂って……」
言って私はすぐさま後悔した。別に気配が何か変わったわけではない。だが、罠にかかった感覚があった。
「ええ。私を誰かと知ろうとしない聡明なあなたに、ご提案があるんです」
男は言う。
「共に『塗壁』の正体を探りませんか?」
初めて聞く怪異の名前。
どう考えてもおかしい状況に、でも私は知らない恐怖への好奇心に駆られて、気が付けば頷いていた。