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    薙沢ムニン

    @muninmumu

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    POIPOI 9

    薙沢ムニン

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    【GAIA】六章 Ⅰその①

    #星と死の記録
    recordOfStarsAndDeath
    #クロイツとルーナ

    【GAIA】六章 Ⅰその①世界観や本編の今までの流れなどはこちらにざっくりまとめてます
    【https://poipiku.com/3273886/6824443.html】

    クロイツとルーナの本編の話だけでもまとめようという勢いでまとめ直しているので、おそらく完全版ではないです。

    不定期更新です。


    ー----------------------------------






    ≪あなたをむかえにいこう/どれほどのじかんがかかろうとも≫



        ◆


    「わたしは信じていたい。人間と分かり合え、共存できる世界を」

     そんなこと不可能に決まっている。
     星の力を何度も食いつくした人間共と、分かり合えるはずがない。
     かつて人間の過ちによって一度は死滅しかけたこの世界で、また人間共は悲劇を生み堕とそうとしている。数多の生命や大地の寿命を鑑みずに、己の私利私欲のままに世の理を崩していく。
     人間とは何て欲深く、罪深い生き物なのだ。
     憎い。憎い。人間が憎い。人間など一人残らずこの世から消え、絶えるべきなのだ。
     多くの人ならざる者達はそう強く思っていた。
     それでも人間の可能性を信じ、いつか来るかもしれない未来を夢見ている者は確かに存在していた。大勢が批判する中で、いつまでも夢を捨てなかった愚かな竜が―――――。
     途端、天空を貫くような激しい雷鳴によって視界が一瞬青みを帯びた白色に染まり、鼓膜を揺さぶる轟音に意識が現実へと引き戻される。
     全身を鞭打つような豪雨は容赦なく体温と気力を奪い、遠い昔の記憶に逃げ込む余裕さえ与えてくれなかった。

    「……ッ!」

     腹部に奔る身を引き裂くような激痛に、一匹の竜は飛行の体勢を崩した。
     巨大で強靭な体躯は夜闇を想起させる漆黒の鱗に覆われているが、襲撃を受けた後のように大量の血に塗れており、痛々しい傷が幾つも生じていた。特に腹部には極太の刃物で突き刺されたかのような大きな傷があり、止めどなく鮮血が溢れている。
     羽ばたく翼も力無く、灼熱の火炎を閉じ込めたような深紅の瞳は虚ろになりつつあった。
     黒竜は人間では決して到達できない高度で飛んでいる最中であったが、すでに体力は限界を迎えており、心もまた虚脱状態にあった。
     幾ら雨に打たれても血はいつまでも零れ出て、洗い流しきれない。赤い、赤い、血。生命の証。体内を流れる魂の循環。
     黒竜は赤色が大嫌いだった。破壊と悲痛しか生み出さないこの色が、心底忌んでいた。全て、何もかも、感情も一緒にこの雨に流したかった。しかしそれさえも適わない。
     凍り付くような寒さに徐々に体は動かなくなっていき、とうとう黒竜は飛翔する力を失い真っ逆さまに落下していった。
     雷雨の空で黒雲を突き破りながら落ちていく黒竜が抱えていたものは、憎悪と後悔、底知れない空虚感だった。
     眠るように意識を失う最後まで、黒竜は心の中で悲愴の叫びを上げていた。  

    「―――――姉上」

     姉上が死んだ。殺された。目の前で、失われた。
     ああ、どうして私は貴女を救えなかったのか。
     どうして私は、守れなかったのか。
     どうして―――――。

     何故、この世で最も大切なモノを失わなければならないのだろうか。


    『素敵でしょう?これが絶望ですよ。愛する者を失ったモノにしか理解できない激情です。ね?死にたくなるくらい悲しいでしょう?』


     忌まわしき甘い薔薇の香りの幻と共に、怪物の嘲笑う声を幻聴する。
     悪意は実の姉を殺され、逃げることしかできなかった黒竜の瀕死の精神を貫いた。
     暗き空で混ざり合うように黒竜は墜落し―――――輪郭を溶かしていく。
     変化の魔法が解けるかの如く、黒竜は淡い光と共に形を崩し、巨大な身体をみるみるうちに縮ませていく。
     瞬く間に黒竜の姿は人型の青年へと変貌し、竜翼や鱗肌も同時にズタボロの黒衣へと変わる。
     その姿はまるで、人間のようですらあり―――――。
     
    『ああ、なんて醜い姿。人間のような脆い心を持つ竜ほど、醜悪なものはないでしょう』

     おぞましいと、怪物は吐き捨てた。

    『―――――自分の無力さを思い知りなさい』

     黒竜の残滓は落ちていく。
     落ちて、落ちて、落ちていく―――――。


        ◆
     
     

    ≪うんめいはけして/あなたをのがしはしない≫

     
     
        ◆ 
     
     
     風のそよぐ音。小川のせせらぎ。草木の匂い。
     穏やかな深緑の森の中、人の型に変わり果てた黒竜は一本の木の下で倒れていた。
     傷だらけの体。力無く投げ出された四肢。血に汚れた黒い髪。
     一見すれば人間とそう変わりない姿であるが、異質な気配が彼が人ならざる者であることを主張している。
     けれど瀕死の状態である今、その気配さえもいずれ絶えてしまいそうだった。
     呼吸の音も、心臓の音も、あまりにか細く小さい。
     そんな死にかけの黒竜を、森の妖精や魔物達が遠巻きに見つめていた。
     自分達の住処に突然落ちて来た竜種に怯えている者もいたが、駆け足でその場にやってきた人物に気づくと少し安心したようだった。

     一人の少女が、倒れたまま動かない竜のもとへと駆け寄っていく。
     空を染める夕刻の黄昏色の髪と瞳。人間とは思えない色を持った少女だが、あどけないその姿は紛れもなく人間だ。
     少女は黒竜の目の前まで辿りつくと屈み、心配そうに黒竜を覗き込んだ。
     誰かの気配を察知し、朦朧とした意識のまま黒竜は僅かに目を開ける。
     炎を秘めた赤い瞳が、年端もいかない少女の顔を映す。

    「大丈夫ですか……?」

     ―――――お前は、誰だ。
     
     そう問いかけることは適わず、黒竜は再び意識を失う。
     木漏れ日に照らされる橙の輝きを目裏に焼き付けながら―――――。 

     
       ◆


     霊長の種から突出した人間が食物連鎖の縮図の頂点に君臨し、暴虐の限りを尽くして星(ガイア)を踏み敷き開拓した有史は、緩やかな魂の衰退と忽然の破壊をもって崩壊した。
     その〈大災禍〉よりおよそ一万と八千年の時が過ぎ去った蒼き惑星は、長きに渡る氷河期と環境変質を繰り返した結果、かつての秩序は完全に失われた。
     生態系は崩壊し、数多の動植物は変異を遂げ、頂から蹴落とされた人間は餌として貪られる程の下位に転落したことで、安息をも失くしたという。
     それが自業自得だと非難したところで、膨大な年月に真実の歴史は埋もれ、誰も真相を知りえないだろう―――――ただ一人、決して死なぬ赤い薔薇を除いて。
     
     旧世界最盛期から七割以下の個体数にまで数を減らした人間達は、亡失した技術の遺産にへばりつくように息づき、変異した動物や新たに発生した新生物は魔物、魔獣となって人類の脅威と化した。
     現実と幻想の境界が壊れ、重なり合ったのだと、或る魔術師は提言した。
     もはや〈魔法〉なる概念も〈奇跡〉なる現象も夢幻ではなくなり、星は幻想を常識とした時代へと切り替わった。
     
     一万と八千年先の時を得た星は混沌の時代の終息に向かい、無法で荒れ果てた争乱は徐々に下火になりつつあった。
     けれども竜と人間の争いだけは激化したまま遺恨を生み続け、今も尚血を流し合っていた。
     
     〈大災禍〉の墜とし子である竜は現世の最強種として人間に牙を剥き、発端である人間は現世の頂点に返り咲こうと足掻き続けている。
     

     これは星の歴史上、三度勃発したとされる竜と人間の大戦火の内、二つ目の時代の終焉期。
     竜と人間が史上初めて心を通わせることとなった、唯一の事例の物語。
     
     



     炎と花の、六番目の愛の物語。


     
     【GAIA】 黒き竜と黄昏の少女 
     
     
     
    ≪しにあらがい/こんどこそ/えいえんのあいのものがたりを/つづけましょう≫ 
     
     
     
     






       ◆



    Ⅰ.邂逅



     風が吹く音が聞こえた。
     頬を撫でるのは自然を打ち壊した汚染の風ではなく、穢れ一つない心地良い風だった。
     風に乗って香る花の匂いがどこか懐かしく、安らぎを与えた。
     あまりの穏やかさからついに死後の世界にやってきたのかと思ってしまうほどだった。
     だとしても自分が堕ちるべきなのは永遠の安息を約束される天ではなく、罪深き者が裁きを受ける地獄であるべきだ。
     そんなことをぼんやりと考えながら、黒竜は目を開けた。
     視界に映ったのは見覚えの無い家の天井であり、すぐ近くで薄く開かれている窓からは外の様子が窺えた。
     窓の外に広がるのは木々が生い茂る、深い森だった。

    (ここは、どこだ)

     状況の把握ができず、黒竜は咄嗟に自分の手に視線をやる。
     人間に酷似した腕。肌の表面には黒鱗が浮き出ている―――――醜い、と嫌悪感に僅かに表情が歪む。
     ここで黒竜は自分が竜の姿ではなく人型の姿で、見知らぬ部屋のベッドで眠っていたということに気がついた。
     黒竜は好んで人型の姿は取らない。彼がこの姿に転じるのは意図的でなければ、精神力と体力が限界に達した時だけである。
     極度に疲弊すると竜の形態を保てない。それこそが黒竜が最も毛嫌う自身の性質だった。

    (私は倒れたのか?何がどうなっている)

     何故自分がこんな場所にいるのか、意識を失う直前のことが思い出せず黒竜は混乱する。

    (空を飛び、ひたすら飛び、私は―――――)

     唐突に、遠い距離なのか近い距離なのかは判別できなかったが、どこからともなく話し声が聞こえてくる。 
     同時に黒竜の周辺で何かが床を蔓延るような音が聞こえ、気付けば彼の顔の横に数匹の小動物のような者達が群れを成すように集まってくる。
     それは戦闘力を持たないに等しい、小さな魔物達だ。

    『オキタ!オキタ!』

    『オキタヨ!オハヨー』

    『ルーナ!オキタヨ!』

     魔物達は耳元で一斉に騒がれ、黒竜はやかましさと不快感に顔をしかめた。

    「……や、かま、しい」

     警告するように言葉を発し、直後に咳き込む。
     衝撃を受けたのは黒竜本人だった。
     喉奥から洩れ出たのは自分の声とは思えないほど嗄れた声。
     まるで数年ぶりに声帯を使った者の声のようだ。

    『シャベッタ!シャベッタ!』

    『ヘンナコエ!カレタコエ!』

    『ウタ、ウタエナイ?』

     懲りずに騒ぎ続ける魔物達を振り払いたい衝動に駆られながらも、黒竜はベッドから起き上がる。
     同時にくらりと眩暈がした。
     やけに体が重く、首から下が鉛にでもなってしまったかのようだった。気分も悪く、くらくらとした眩暈や頭痛が収まらない。
     それでも無理やりベッドから出て立ち上がると、凄まじい痛みに膝をついてしまう。

    「……っ!」

     焼け付くような痛みを辿って腹を見ると、包帯が厳重に巻かれていた。
     
     ―――――この傷は―――――あの時―――――。
     
     脳裏に蘇ってくる記憶により一層頭の痛みを覚え、黒竜は倒れそうになる。

    「動いては駄目!」

     その時だった。部屋の中に一人の少女が駆け込んできたのは。

    『ルーナ!ルーナ!タイヘン!』

    『イタソウ!タスケナキャ』

    『ネンネシナイト』

     うるさい魔物達の声が、やけに遠くに聞こえた。
     叫びそうになるほどの痛みの中で何者かに体を支えられ、暗転する寸前の意識が踏み留められる。

    (誰、だ)

     気を失いそうになるのを堪え、黒竜は何とか顔を上げた。
     そこにいたのは、長い黄昏色の髪と同じ色の瞳の少女。
     少女は細い腕に力を込めて黒竜が倒れないように支え、ベッドへと戻そうとしている。

    「とてもひどい怪我なんです。だから、動いてはいけません」

     刹那、黒竜の記憶が蘇る。
     自分を心配そうに見つめる少女―――――嵐の逃避行―――――間近で流れ出た鮮血―――――姉の微笑み―――――死―――――死!
     目まぐるしい記憶の再生。受け入れがたい事実。
     動揺と絶望が交互に襲い来る中で、自分に触れる少女の手の感触にぞわりと悪寒が奔る。
     ああ、これは、忌々しい、人間の―――――!
     
    「触れるな!」

     黒竜は弾かれるように少女を突き飛ばした。

    「きゃ!」

     急に強い力に押された少女はなすすべも無く転倒し、傍にあった椅子に右肩をぶつけた。

    「人間風情が、私に、触れるなど、身の程を知れ……!」

     殺気を露わに、黒竜はふらつく体を殺意に満ちた気力だけで支え、倒れ伏す少女に鋭い爪を向けた。途中腹部の傷が蠢くように熱を帯びたが、興奮しているせいか痛み一つ感じなかった。

    「……!」

     肩を押さえながら息を呑む少女をずたずたに斬り刻もうと、容赦なく腕を振り下ろしかけたところで、横から魔物達が跳び出してくる。

    『イジメチャ、ヤー!』

     小動物程度の大きさしかない弱小の魔物達だが、それでも少女を守ろうと黒竜の腕に噛みついて制する。
     小癪なと、黒竜が振り払おうとしたところで、肩を押さえながらも立ち上がった少女の静止がかかった。

    「駄目!その方を嚙まないで!」

     少女の懇願に魔物達はぴくりと動きを止め、やがてしぶしぶ黒竜の腕から離れた。
     直後、張りつめていた空気が一気に緩み、力の抜けた竜は今度こそ床に倒れてしまう。

    「いけない……!」

     慌てて少女が駆け寄ろうとしたところで、部屋の外から集まってきた魔物達がたどたどしい人語で彼女を引き留める。

    『ルーナ。コノ者ハ、ヤハリ危険。間違イナイ。竜ノ気配ダ』

    『不用意。近ヅクベキジャナイ。助ケルベキデハナカッタ』

    『コイツ、ルーナ、コロソウトシタ!オンシラズダ!』

     角を持つ鹿型の魔物、苔むした岩を彷彿とさせる魔物、不定形で奇妙な魔物―――――様々な種類の魔物達が集う中、人間の少女がその中心にいることはあまりに異様な光景だった。
     本来であれば人間と魔物は敵対関係以外は築けないはずなのだから。

    (何だ、この娘は)

     だんだんと痛覚が呼び覚まされるのを他人事のように感じながら、黒竜は動かない自身の体に落胆を覚えた。

    (まさか、私は人間に助けられたのか。何と言う屈辱。こんなことがあってたまるものか)

     竜と人間は不倶戴天の関係にあり、黒竜もまた人間を憎悪していた。
     人間がこの世に存在していたからこそ、これほどまでに我々は。我らの血族は―――――。

    (殺す)

     今この瞬間、人間であるのならば例え目の前にいる非力な少女であっても、跡形も無く無残に八つ裂きにしてしまいたいと、黒竜は強い衝動に身を任せようとする。
     そしてそのまま、何もかもを破壊したいとすら思った。

    (本当に、あの時、姉上が死んだのならば、もはや私は)

     頭を掻きまわすような残響に顔を歪めながら、黒竜は起き上がろうと力を込めるが、体は言うことをきかなかった。
     竜特有の再生力もまともに働いていないようだった。

    『今ノウチ、川ニ流シテシマオウ』

    『コレガイルコト知レタラ、マタ、ルーナガ酷イ目ニアウ』

    『竜ハ危険。人間ミタイナ姿シテルケド、トテモ強イ』

    『イマナラ、ナカッタコトニ、デキル』

    『ルーナ』

     動けない黒竜の頭上から、魔物達の催促が聞こえてくる。 
     下等生物め―――――と、黒竜が力を振り絞って睨みつけるが、直後に予想外の言葉が室内を静寂へと引き戻す。
     
    「怪我をしているんです。誰であっても放っておけない。見捨てることなんて、できません」

     少女―――――ルーナは迷うことなくそう言った。
     そこには竜という存在を恐れている様子は全く窺えない。
     それが黒竜にはどうしようもないほど理解し難く、受け入れ難かった。 

    (ふざけるな)

     ルーナの慈悲の言葉は、黒竜にとっては呪わしいことこの上なかった。
     人間に情けをかけられるくらいなら、いっそ舌を噛んで自害したいとすら思い始めたところで、ルーナが黒竜の前に屈んで口を開く。

    「わたしはルーナといいます。この森で、皆と暮らしています―――――貴方はひどい怪我を負って森の中に倒れていたんです」 

     普段はほとんど誰も立ち入らない森なので驚きましたと、ルーナは続ける。

    「この子達が空から落ちて来たと教えてくれましたが……戦いがあったのですか?」 

     戦い。〈中央都〉の討伐隊。竜狩り。不死の……。
     忌わしい記憶が怒涛のように押し寄せ、込み上げてくる何かを必死で噛み潰しながら、黒竜はルーナを睨みつける。

    「黙れ。貴様らに語ることは何も無い……」

     ああ、立ち上がらなければ。立ち上がらなければと、黒竜は自身の体に鞭を打つ。
     時期に追手に場所を暴かれる。その前に皆殺しに、皆殺しに皆殺しに皆殺しに―――――。
     にわかに口腔内に血の味が広がったが、構ってなどいられなかった。
     黒竜は自制心を失い、錯乱状態に陥っていた。

    『竜狩りダ』

    『キット竜狩りダ。死の匂いがスル』

    『ここに来たらドウシヨウ』

    『アイツラ、魔物ニモ、見境ガナイカラ』

    『〈大魔法使い〉ガ、狩人ダシテクル』

     どよめく魔物達をルーナは「落ち着いて」と宥める。

    「〈迷い森〉に近寄る人はいないし、とても複雑だから誰もそう簡単には来れないですよ。ほら、お空からも木々が隠してくれているから……」

     よしよしと小さな魔物を撫でると、魔物は「ふりゅ」と鳴いた。

    「ここは安全な場所ですよ。貴方の傷はとても深くて、不思議な力がかかっているようで、しばらくは安静にしていないと危険です。どうか……」

    「人間の助けなど」

     必要ないと、黒竜は言い放つ。
     ルーナは困ったように胸の前でぎゅっと手を強く握りしめた。

    「でも、このままでは……」  

    「黙れと言った!」

     最後の力を振り絞り、クロイツは半身を起こし、少女の首元に手刀を放つ。
     魔物達の叫ぶ声が聞こえたが、もう間に合わないだろう。
     しかしはルーナは顔を逸らして避けることはおろか、悲鳴一つ上げず、クロイツを隠された眼で真っ直ぐ見つめ―――――悲し気に微笑んだ。

    「!」

     目の前の少女の予想外の行動に、クロイツの手は思わず止まってしまう。
     そのままルーナは首の皮一枚を斬り裂いた異形の手のひらを包み込むように、そっと手を添えた。

    (何だ、これは)

     例えどんな動きを取られようともルーナの首を切断して殺害するつもりだったというのに、意図せず凍り付いたかのように攻撃の手が停止したことに、クロイツ本人が一番驚愕していた。
     人間は何よりも憎むべき存在であり、殺すことに何の躊躇も無い。情けをかける必要性も無い。それなのに。
     肌に直接伝わってくる少女の体温はひんやりとしており、久方ぶりに他者に触れられて痺れるような感覚があった。

    「大丈夫です。大丈夫ですよ……。わたしは貴方の敵じゃないです。何もひどいことはしません」

     ルーナの体は微かに震えていたが、逃げようとする素振りは一切見せなかった。
     今すぐこの少女をもう一度振り払うべきだ。汚らわしい人間は抹消せねばならない。人間のせいで竜は、自分達は―――――。
     だが、思考は出来ても体は一向に動かすことができなかった。

    「―――――竜を助けるなど、正気か?」

     この問いに、少女が何と答えたのかは結局聞くことができなかった。
     その前にクロイツの視界は真っ黒に閉ざされてしまったのだから。

    「人間は、醜い」

     か細い声でそう呟き、クロイツはルーナにしなだれるように倒れ、そのまま気を失った。
     

       ◆


    ―――――ロッツ、ロッツ、どうして。

     夜の闇よりも深く暗い常闇の中、竜の姿の黒竜は当ても無く彷徨っていた。
     羽ばたく音も無ければ風も無く、聞こえるのは黒竜自身が嫌と言うほど知っている声だけだった。
     闇の世界の黒色を更に濃くするように響いてくる声を振り払わんとばかりに、黒竜は飛行速度を上げる。前方も後方も上も下も同一の闇のせいか、飛んでいるはずなのに、まるで移動できていない違和感に襲われる。それでも構わず、黒竜は受け入れがたい言葉から逃げ続ける。
     ただただもがき、足掻くように逃避する。
     それでも声は無慈悲にも黒竜の耳に届く。

    ―――――どうして私を助けてくれなかったの。

     見捨てたわけじゃない。本当は助けたかった。身を挺してでも守り通したかった。だけど、全ては遅かった。
     真っ赤な薔薇が、貴女を包み込んでいく。

    ―――――どうして私を守ってくれなかったの。

    ―――――いつだって私が守ってあげたのに。庇ってあげたのに。あの時も、あの時も、あの時だって。

    ―――――貴方が唯一の家族だったから。

    ―――――父さんが生きたまま引き裂かれて、母さんが私達を捨ててから、貴方だけが家族だったのに。

    ―――――貴方にとって、私は、そうじゃなかったの?

     いつしか黒竜の姿は竜から人型へ戻り、闇を駆ける。
     息が乱れ肩が上下し、足は見えない棘が突き刺さってくるかのように激しく痛み始める。
     このまま走り続ければお前の足も心も壊れてしまうぞ!と、心臓と両足が悲鳴を上げる。それでも黒竜は走る足を止めない。止めてしまえば最後、闇の世界に吸い込まれてしまう予感がしていたからだ。一度沈めば二度と浮上することが適わない、生き地獄の牢獄に永遠に閉じ込められてしまうと。

    ―――――どうして貴方だけ生きているの。

     うるさい。違う。聞こえない。何も聞こえてはいない。

    ―――――何故、貴方は死なないの。

    ―――――私の為に死にたいって言っていたじゃない。

    ―――――忘れてしまったの?なかったことになどできるわけないのに。

     もはや誰が叫んでいるのかわからない。声の主なのか、それともクロイツなのか。

    ―――――私がいなくなったのは、貴方のせいよ。

     そうです。その通りです。姉上。
     貴方の愚弟―――――クロイツはどうしようもない出来損ないでした。


     ◆


     耳元で誰かの叫びが黒竜―――――クロイツを貫いた。
     崩れ折れる両膝、底知れない地に着く足、それでも耳だけは塞いで、呼吸さえ忘れて。
     闇が彼を包み込もうとしたその時、ようやく一筋の光が射しこむ。
     それは光ではなく、目蓋の裏から現実世界の光景が瞳に映っただけ―――――目を覚ます。  

    「……!」

     全速力で長時間上昇し続けた後のような感覚。慌ただしい心臓の鼓動に急かされるように荒くなる呼吸音。汗が毛布と肌に張りつく不快感。
     恐ろしい夢だ。
     何とか息を整え、確かめるように腹部の傷を痛めない程度に手をやる。
     未だに呪いのように熱を帯びている傷口は、ようやく塞がってきているようだった。大抵の怪我ならばたちまち治癒できてしまう肉体だというのに、今の段階でまだここまでしか修復できていない。
     完治には相当時間がかかりそうだと把握して、クロイツは誰にも聞こえないほど小さく舌打ちをした。
     目を覚ましたクロイツは自分が再び同じ部屋の同じベッドで眠っていたことを瞬時で察し、心底落胆していた。

    (うち捨てられた方がよほどましか)

     夜の闇に包まれた室内にはクロイツ以外の者もおり、窓から僅かに注ぐ月明かりに照らされて、部屋の隅には数匹の魔物が寄り添い合うように群れて熟睡している。
     その近くで人間の少女ルーナも丸まって眠っていた。ゆっくりと落ち着いた呼吸を繰り返している様子は、あまりにも無防備過ぎた。
     よく見るとルーナの体には所々包帯が巻かれており、その全てが真新しい。 
     肉付きの良くない華奢で幼い体。全快のクロイツが襲いかかれば痛みを与える間もなく殺せることだろう。
     何故こんなにも脆い娘が、私を助けたのだと、クロイツは眠るルーナを見下ろしながら疑問を覚えていた。
     相変わらず全身という全身が重く、倦怠感も酷かったが、冷静な判断力は戻ってきていた。
     覚醒したばかりのことはクロイツ本人はあまりはっきりとは覚えていないが、ルーナを人間だと知った瞬間に激しく取り乱した記憶は辛うじて残っていた。

    (情けない)

     あろうことか人間の子供の前であれほど見苦しい半狂乱に陥るなどと。
     それほどまでに自分の抱いている人間に対する憎悪は深く淀んでいるのだと、クロイツは改めて痛烈に思った。
     ずきりと、傷がクロイツの心境に呼応するように痛む。

    『目ガ覚メタカ。竜』

     クロイツが意識を取り戻したことに気がついたのか、ルーナの傍で伏せていた魔物の一体が起き上がった。
     中型かつ鹿と犬を合わせたようなすらりとした翠眼の魔物は、距離を保ちながらクロイツに話しかけてくる。

    『気持ちはワカル。人間は醜ク、愚かデ、呪ワシイ種族だ。魔物は皆、ソウ思ってイル』

     ケレドと、翠眼の魔物はすうすうと穏やかな寝息を立てているルーナに目を向ける。
     
    『コノ子だけは別ダ。コノ子は人間でありナガラ、誰ヨリも人間の強欲カラ遠イ。優しい子ダ』

     無垢な表情で眠り続けるルーナを見つめ、強い意志を持ってそう告げる。
     それだけでこの魔物がルーナをとても大事に思っているということが一目瞭然だった。

    『コノ子は自分が他の人間に迫害される中デ、人間に追われてイタ弱い魔物達を世話し、愛シテくれてイル』

    『戦いヲ嫌ウ魔物は、狩らレテ食わレルだけ―――――ダケド、コノ子は違ウ。傷ヲ癒し、〈迷い森〉で生キれるよう計ラッテくれてイル』

    『ダカラ、コノ子だけは傷ツケテくれるな。コノ子を傷ツケルならば、例え相手ガ最強種の竜であれ、我々は決して許しはしナイ』

    「……人間が魔物に好意的とは、理解しがたい」

     幾つもの疑問が浮かび上がる中で、クロイツは最重要の問いを投げかける。

    「どうして私を助けた」。

    『ルーナが優しいカラ。放っておけナイと、オマエを看病シタ』

    「ここにいる人間は、あの娘だけか」

    『そうダ。コノ子の髪と瞳は特異デ、人里には居られナイ。〈迷い森〉にハ、普通の人間は近寄らナイ』

     話を聞いてクロイツは表には出さなかったものの、内心で非常に驚いていた。
     魔物達と打ち解けて共に生活することができるだなんて、にわかには信じがたかった。
     人間の赤ん坊でも魔物を潜在的に危機感を抱き、本能的に恐れるというのに、ルーナはこうして魔物と近い距離にいてもまるで動じずに眠ることができている。今思えばこれは異常なことだ。異様とさえ表せる。
     どんなに小柄な魔物とはいえ、油断をしていれば思わぬ形で命を奪われてしまう。
     こうしてルーナが魔物の傍で休めるのは、魔物達を信頼しきっているからこそできることなのだろう。
     魔物側もルーナと強固な信頼関係で結ばれているようで、身を挺してでも彼女を守るという発言は決して嘘ではないようだった。
     信じじがたい話だけども、これは事実だ。
     洗脳効果のある魔道具や、見るに堪えない術で魔物を縛り付けて使役させるのとはまるで違う。
     そんな人間がまだこの世に残っていただなんて―――――クロイツは不意に脳裏を掠めた記憶の面影に頭痛を覚え、思わず頭を押さえた。
     
    『マダ動かないほうがイイ。ソノ傷は、イヤなものを纏ってイル』

     翠眼の魔物の視線はクロイツの腹部へと向けられる。

    『今ハ休むとイイ。我々は密告などシナイ。ルーナや我々ニ害を与えない限リ』

     忠告するように言って、翠眼の魔物は小さく欠伸をしてからルーナの元で再び丸まって眠りについた。
     クロイツはしばしの間、人間の少女の周りで魔物達が集まって眠るという前代未聞の奇妙な図を見つめた。

    (この傷では当分動けない。竜の姿にも戻れない。ここから出たところで追手に捕まるのは目に見えている……)

     頼るしかないのか、この人間を。
     人間を頼る未来が来るとは、過去の自分は想像だにしていなかった。
     情けなさと惨めさを感じなくも無かったが、それ以上に知る由も無かった真実を一つ見い出せたような予感がした。
     それはもう手遅れで、取り返しのつかないことだけれども、それでももう少し早かったのならば―――――。
     様々な思考が脳内を駈け巡り、眩暈が悪化してくる。
     やがて諦めるようにクロイツは床に就いた。

     私利私欲の為に利用するのではなく、魔物を心から愛し、守っている少女。
     
     ―――――殺す必要性は低い。

     否、必要ならば殺そう。
     今はまだ、生かす方が都合が良い。
     目を閉じればすぐに、意識は闇に包まれる。
     そして再び、次の悪夢へと落ちていくのだろう。
     







     
                                  ……続く
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