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    薙沢ムニン

    @muninmumu

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    POIPOI 9

    薙沢ムニン

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    【GAIA】六章 Ⅲ

    #星と死の記録
    recordOfStarsAndDeath
    #クロイツとルーナ

    【GAIA】六章 Ⅲ前回【https://poipiku.com/3273886/6890002.html】

    今回で第一部が終わり


    ー-------------------------




     Ⅲ.願い


     あれから更にまた三日が経過した。
     本調子とまではいかなくともクロイツの傷は塞がり、本来の姿に戻ることもできるようになっていた。
     特に重傷だった腹部はしばらく後を引きそうだったが、それでも戦える程度には癒えた。
     想定よりも早くに回復したのは、間違いなくルーナの献身的な世話があったからだろう。
     人間でありながら死にかけの竜に手を差し伸べ、他意無く心から身を案じてくれたルーナに、クロイツは確かな恩を感じていた。
     たった数日の関わりであったが、ルーチの健気な暮らしぶりや幸薄い境遇を知り、もはや彼女だけは種族憎悪の対象からは完全に外れていた。
     以前のクロイツならば、こんな話を信じようともしなかっただろう。
     表層には出せずとも、傍にいることにちょっとした安らぎすら覚えるなどとは、決して。
     あらゆる人間を軽蔑し、敵視するクロイツだが、気が付けばルーナだけは唯一の例外的存在になっていた。

    (他の人間がどうなろうと知ったことではない)
    (だが、 この娘だけは)
    (苦痛や、飢えや、貧しさとは、無縁であってほしい)

     慎ましくも子供らしい無邪気さ。 分け隔てない価値観。陽だまりのような笑顔。
     それらが踏みにじられ、蔑ろにされることなど、認めてはならない。

    (この娘は、姉上によく似ている)」
     
      だからこそ、 安寧と幸福を願ってしまう。

    (しかし、 姉上よりも遥かに弱い)
    (弱く、脆く、とても戦えやしない)

     戦いの渦中に身を置く自分が、 共にいてはならない。
     いくらこの森が迷宮の如き力に守られているとは言え、長居し続ければ必ず不幸を呼び招く。
     関わり続けてはならない。 痕跡を残してはいけない。
     竜と交流し、ましてや助けた人間だと知られれば、 絶対に無事では済まない。
     悲劇と苦悶が飛び火することは、あってはならない。
     そしてクロイツは 「明日の朝に発つ」 と、 ルーナに告げた。
     それに対し、ルーナは「わかりました」と、どこか寂し気に、名残惜しさを明るさで精一杯隠すように微笑んだ。
     
    「お見送りさせてくださいね」

     ああ、頼むからそんな顔をしないでくれ。


       ◆
       

     次の日の朝、ルーナの姿がどこにも見当たらなかった。
     家の中にも、外にも、いない。
     何の前触れもなく彼女がいなくなることなど今まで一度もなく、見送りしたいとまで言っていたのだから、わざと姿を見せないということもありえないだろ

    『ルーナイナイー』
    『ドコイッチャッタ』
    『イナクナッテター』

     一緒に眠っていたフリュ達も、ルーナの所在がわからず困惑している。
     クロイツはルーナの気配を見逃したことを悔いつつも、他の気配を探る。
     侵入された痕跡はなく、少なくとも何者かに攫われた可能性は零だ。
     導き出されるのは、ルーナがこっそりと自分の足で家を出たという事実。
     何故そんなことをする必要があると、クロイツは早足で森を回る。

    「あの娘は何処に行った」

     魔物達に問いただしても、皆わからないようだった。
     
    『明け方より早くに抜け出した可能性がある』
    『森のどこにもいな』
    『もしや、そうなるト、まさか』

     深刻な様子で考えを巡らせる魔物達を前に、クロイツは嫌な予感を覚え始める。
     皆に内緒で森の外へと出たとなれば、行く先は―――――。

    『ワゥ、ワゥウ』

     林を抜けて走ってきた子犬のような魔物が、クロイツの足元に縋りついた。

    『ルーナ、村二行ッチャッタ、人間ノ村』

    「何だと」

    『起キテ、ルーナ見カケテ、 ドコ行クノ聞イタラ、ソウ言ッテ』

     周囲の魔物達がざわめきだす。

    『心配サセタクナイカラ、内緒ニシテッテ、言ッテタケド、朝ナッテモ、帰ッテコナイ』

     子犬のような魔物は、真っ黒の瞳からぼろぼろと涙をこぼす。

    『ゴメンゴメンナサイ、止メルベキダック、モット早ク、言ウベキダッタ』

     何ということだと、魔物達は声を上げる。

    『こんな短期間デ、また村ニ』

    『村でしか手に入らないモノまた恵んでもらいに行ったんダ』

    『この前も、あんなに怪我したの二』

    『何デ気づけなかったんダ』

     魔物達の焦燥に、クロイツはずっと抱き続けていた謎の真相に辿り着いてしまう。
     ルーナに巻かれていた包帯、垣間見せた精神的外傷
     あの笑顔の下でどれだけ無理を重ねていたのかを、全て理解してしまう。

    (あの娘は)

     クロイツはこぶしを握り締める。

    (あの娘は、何という―――――)

     かつてない感情がせり上がり、胸の内で暴れだす。

    『オ願イ』

     足元で泣きじゃくる魔物が、 震えながら懇願する。

    『ルーナヲ助ケテ』

     そのか細い声に、もはや答える必要はなかった。


       ◆



    〝お願いします お母さんを…… お母さんを助けてください!〟

     記憶の中、 今よりもずっと小さな昔のわたしが泣きながら叫んでいる。

    〝お母さんが血を吐いて、 すごいお熱で…… お願いしますお医者さまを呼んでください!〟

     大好きなお母さん。 たった一人だけの家族。
     倒れたお母さんに何もしてあげられなくて、わたしは村まで走って行った。
     お母さんを助けてほしくて。苦しそうなお母さんを救ってほしくて。 わたしは何時間もかけて走った。
     だけど、 向けられたのは冷たい眼差しと、硬い石。
     あの日もそうだった。 あの日と同じ。 いつだって同じ。

    「お前のような穢れた血にやる物は何もない」

     投げつけられた石は痛くて、血が出て、 何度経験しても慣れない。

    〝お願いします……せめてお薬だけでも……〟

    〝わたし、 何でもしますから……〟

    〝どうか…….〟

     あの日のわたしが泣いて縋っている。
     蹴とばされて罵られる。
     たくさんの声が倒れ伏したわたしの上から聞こえてくる。

    「近寄るな 売女の娘が」

    「魔物と群れる人でなしが」

    「この村にまで厄災を持ち込む気だな」

     痛い痛い痛い。
     だけど、あの日みたいに泣いちゃ駄目。泣いちゃ駄目。
     もっともっと悲しくなってしまうから、我慢しないと。

    「ただの乞食や娼婦ならまだしも」

    「一族揃って魔物と暮らしている異端者」

    「気味の悪い髪に瞳」

    「見ているだけで吐き気がする」

     違う
     違う。何も悪くない。
     この髪も瞳もお母さんがくれた、大切なものなのに。

    〝どうか……〟

    「しつこいお前にあれだけ恵んでやったのに」

    「まだたかる気か」

    「この疫病神」

    「あの森の物など全て穢れているに決まっている」

     どうしてそんなことを言うのだろう。
     わたし達がいったい何をしたというのだろう。
     言葉は伝わらない。 理解されない。 分かり合えない。
     だけど、憎んじゃ駄目。 恨んじゃ駄目。
     怯えちゃ駄目。

    ―――――皆、自分たちのわかりえないものに怯えているだけ。

    ―――――憎しみは亀裂を深めてしまうだけ。

    ―――――怯えずに立ち向かう必要があるのよ。

     お母さんの言葉。
     お母さんは勇気があって、迷いなくて、わたしを守ってくれて、庇ってくれた。
     怖くて、つらくて、悲しくて。 震えることしかできなくて。

    〝いかないで……〟

    〝わたしをひとりにしないで……〟

     あの日みたいに、泣いてしまいそうになる。
     でも、それでも、やれる限りのことがしたくて。
     大事な人の為に、頑張りたくて。
     少しでも元気でいてほしくて。
     お母さんみたいに、失いたくなくて。

    ―――――ごめんね。あなたを、おいていってしまう。

    ―――――お母さんはずっと、あなたを愛してる。

     あの日、何もできなかったわたしをお母さんは許してくれたけれど、わたしはわたしを許せなかった。
     だから、だからこそ、逃げては駄目。
     わたしはどれだけ傷ついてもいいから。
     だから、どうか―――――。
     


    「何をしている」



     ぞっとするほど冷徹で、 怒気をはらんだ低い声が、 空間を切り裂く。
     声音の持ち主は人の型を持ちながらも尋常ならざる気配を湛え、 炎のように赤い瞳に確固たる意志を宿している。
     風になびく漆黒の外套は翼のように広がり、 今すぐにでも飛び出せるという意思表示を見せる。
     黒炎竜の人の型―――――クロイツは、人間の村の前に立つ。
     その視線の先 村の入り口に集まっていた村人達は、 突然の予期せぬ参入者に唖然とする。
     村人たちの輪の中で、一人の少女が倒れている。
     あちこちに痣を作り、額からは血を流し、 頬を腫らしている少女は、今しがた散々痛めつけられていたことが一目瞭然だった。
     少女が持ってきたであろう木の実はことごとく踏み潰され、あちこちに散らばっている。
     少女の物々交換の試みを、村人たちは根本から否定したようだ。
     必死で泣くのを堪えていたのか、 噛み締めた唇から血が零れる。
     土壌に塗れた黄昏色の髪に、 潤みつつある黄昏色の瞳。
     ルーナがクロイツに気が付くと、その瞳は更に大きく見開かれる

    「何をしていると、 訊いた」

     心臓を鷲掴みするその問いかけに、 村人達はひっと恐怖に声を洩らす。

    「な、何だお前は。 こいつの差し金か……!?」

     村人の内の一人、 男がルーナの襟首を掴んで引き上げようとする。
     刹那、 男の右腕があらぬ方向にへし折れる。

    「―――――触るな」

     地の底から響くような声。
     いつの間にか男の眼前にまで距離を詰めたクロイツが、ルーナを掴む腕をへし折る。
     大した力を込めたようにも見えないのに、大の大人の腕が実に容易く枝のように曲がった。
     ぎゃあと痛みに絶叫する男をそのまま投げ捨てれば、その体は近くの民家の壁を突き抜けて吹き飛んだ。

    「訊くだけ無駄だった」

     汚いものを触った後のように嫌悪を露わにしながら手を払い、 クロイツは茫然としているルーナの方に向く。
     周囲の村人達はクロイツの力に仰天し、恐れおののき叫ぶ者も、腰を抜かす者も、 逃げ出す者もいた。
     そんな周りのやかましさを気にも留めず、 クロイツはルーナだけを見ていた。
     ルーナもまた、クロイツだけを見る

    「娘」

     騒々しい世界の中で、二つの視線が重なり合い、二人だけの静寂が訪れる。

    「何故、森を出た」

     先に口を開いたクロイツに、ルーナは申し訳なさそうに答える。

    「どうしても、湿布を、贈りたくて」

     クロイツ様のお腹の傷に、良く効いたから、傷跡は失くせなくても、完全に治るまで、使ってほしくて―――――。
     一方でクロイツはぎりと、歯噛みする。

    「あの布だけは、この村の人に材料を、分けてもらわないといけなかったから……」

     ごめんなさいと謝る傷だらけのルーナを、 思わずクロイツは膝をつき、 抱きしめていた。

    「馬鹿者」

     ルーナの真意は聞かずとも、既にわかっていた。
     自分が一番最初にルーナの家で治療を受けた時も、彼女はクロイツの為に湿布を作るべく村に向かったのだろう。
     自身を容赦なくいたぶる村人に、懸命に交渉したのだろう。
     そして今回も、去り行くクロイツの為にここへ来たのだ。
     森を発った後も、傷を悪化させず元気でいられるように――――――。
     
    「馬鹿者が……」

     それでお前が傷を負ってどうすると、 クロイツが𠮟りつけてくる。
     しかし、村人達に発した声よりも、ずっと優しい声音だった。
     抱きしめられ、ルーナはほかんとしたまま、凍り付いた感情が熱で融けるように、耐えていた涙をはらはらと流してしまう。
     高い体温に、自分よりもずっと大きな体。
     こんな風に抱きしめてもらったのは、本当に久しぶりのことだった。

    「あったかい」

     汚れた体で寄りかかってもクロイツは拒絶せず、 少しだけルーナの髪を撫でた。
     その不器用な歩み寄りも嬉しくて、もっと泣いてしまいそうになる。
     だが、そんな二人の時間も長くは続かない。
     何十人かの好戦的な村人達がそれぞれ棍棒や農具を持ち出し、じりじりとクロイツ達に詰め寄ってくる。

    「人の皮を被った化け物め……!」
    「やっぱり穢れた血は穢れを招くじゃないか……」

     無遠慮な怒声がクロイツの癪に障り、 神経を逆なでる。

    「やはりこの姿では、分を弁えない愚者が視界にちらつく」

     クロイツはゆらりと立ち上がり、ぎゅっと胸の前で手を握るルーナの盾になるように、一歩前へと出る。

    「不遜極まりない。 誰に鈍を向けている」

     知らしめてやろう。 二度と歯向かおうなどとは思えぬほどに。
     そしてクロイツはもう一歩、足を進めたところで竜翼を広げる。
     ―――――閃光。
     直後に放たれた一瞬の光は人々の目を眩ませ、強い風に顔を覆わせる。
     何事かと、次に目を開けた時には、誰もが度肝を抜く光景が眼前に広がっている。
     鋼のような黒鱗に、地を踏みしめる強靭な四肢。 対の角は陽光を反射させ、尾は宙をうねる。
     ―――――咆哮。
     音の波動が聞く者を震え上がらせ、響き渡る。
     巨大な黒竜が君臨する。

    『怖気を持たぬ者だけが、 我が前に立て。小蠅』

     最も気高く、最も強き種族。
     数多の英傑を周り、伝説を体現する者。
     竜を前にすれば誰もが竦み、自らの矮小さと思い上がりを知らしめられる。
     村人達は今度こそ愕然とし、いよいよ得物を投げ捨て逃げ惑う。 恐怖のあまり失神する者もいた。
     さながら恐慌する蟻のように、 皆一様に震え、逃げ、許しを請う。
     ただ一人、竜の傍でその姿を見上げ、見惚れるルーナを除いて
     
    『人間にも価値ある稀少な個体がいることを理解した』

    『だが、貴様らのような身も心も醜い下等種は生かす価値は皆無だ』

     ぎろりと、炎の眼が村そのものを捉える。

    『根付き、 蔓延り、殖え、星を食い潰すケダモノの血を色濃く受け継いだ、 堕落せし野蛮人は絶えてしかり』

     クロイツの牙覗く口の奥から、灼熱の火炎が生成されていく。
     〈防魔石〉の結界も無い村など、人も家屋も何もかも巻き込んで灰燼と化せるであろう、 竜のブレスが放たれようとしていた。
     
    『この村ごと焼却されろ』

    「待って!」

     眼前の全てを焼き尽くそうとしたその時、 ルーナが足元で制止を求めた。

    『何故止める。この村の輩はお前を虐げ、省みなかった。 報いを受けるべきであろう』

    「それでも駄目です……駄目……燃やしちゃ駄目……!」

    『お前には恩がある。 全て私が引き受けよう。お前を害する存在を今、根絶やしに』

    「そんなことは望みません」

     体の痛みを堪えながら、必死に止めるルーナの気迫に押され、 クロイツは不満げに攻撃の姿勢を多少緩める。

    「確かにわたしはたくさん傷つけられました。でも……この村にも何も知らない小さな子や、 赤ちゃんも生きてるんです」

     ルーナが指をさす先には、村で暮らす家族が血相を変えてこの場から離れようと走っている。
     その中には無知であろう幼児も、 生まれて間もない赤子も確かに混ざっていた。

    「その子達まで種族や血筋、罪を理由に巻き込んでしまったら、 同じになってしまいます……」

     生まれてからずっと、 親子共々迫害され続けたルーナだからこそ、耐えがたく感じるのだろう。
     それは、竜でありながら竜達に侮蔑されていたクロイツにとっても、無関係ではない話だった。
     守るための戦いと、壊すための戦いでは、 全然意味が違うのですと、 ルーナは言う。

    「そんな悲しい連鎖は作ってはいけません。何よりも、見たくありません」

    『他者の死をか』

    「人が死ぬところも、クロイツさまが人を殺めるところも」

    『……』

    「クロイツさまはわたしを助けに来てくださった。 これだけでもう充分なんです。 充分に、わたしは救われています」

     ルーナがクロイツの前脚に頬を寄せる。 突き放せるわけがなかった。

    『お前は甘すぎる』

     戦意が削がれたとばかりに、呆れたように言う。

    『だが、その意志は称賛に値する』

     クロイツが首を下げると同時に、 先程よりも控えめな光に包まれ、 輪郭が縮む。
     たちまち竜の形態は人の型に戻り、 髪をなびかせる。
     竜の姿が見えなくなったことに何事かと動揺する村人達を、 クロイツは一瞥する。

    「娘の温情に免じて見逃してやる―――――忘れるな。次も愚行をとるならば、決して容赦しない」

     今度は一切慈悲などくれぬと、突き付ける。

    「村を焼け野原にされたくなければ、以後この娘と私に関わる全てに介入するな。肝に銘じておけ」

     威圧しながらの警告を投げ終え、そのままクロイツはルーナを丁寧に、軽々と抱える
     
    「ルーナ」
     
     抱えられたこともそうだが、初めて名前を呼ばれ、ルーナはますます吃驚してしまう。
     けれど無性に嬉しくて、やっと心からの柔らかな笑顔を浮かべた。

    「はい」

     その言葉を受け取り、クロイツは地を蹴る。
     刹那、体は重力を抗い、青い空へと吸い込まれるように飛び上がる
     たちまち離れていく二つの影を、村人達は茫然と眺めることしかできなかった。


        ◆


    「すごい……!」

     誰にも阻まれぬ大空。 遥か下に広がる大地。 地平線まで一望できる絶景。
     見たことのない光景に感嘆の声を上げるルーナは、すっかり空の世界に夢中になっていた。

    「本当に飛んでいます……!」
    「当たり前だ。私を何だと思っている」

     形態関係なく竜は飛行できるものだと、クロイツはふんと鼻を鳴らす。

    「それよりも、怪我は痛まないか」

    「大丈夫です。その……慣れてますので!」

    「そんなことに慣れずともいい―――――多少時間はかかるが、適切な治療ができる場所まで飛ぶ」

    「あの、 わたしは森の傍で降ろしてくれれば……」

    「お前はこのまま連れていく」

    「へ?」

     予想外の言葉に、ルーナは素っ頓狂な声を上げてしまう

    「お前が無理して村にまで行ったくらいだ。 あの森の医療品は限られているのだろう」

    「でも、森に帰らないと......」

    「既に森の魔物達とは話を付けている―――――お前をもっと安全で、暴かれる可能性が低い場所に匿ってほしいと嘆願された」

     クロイツが村へ向かう直前のことを、話始める。



    『ルーナ キット、怪我シテイルモット、チャントシタ場所デ、診テアゲテホシイ』

    『物資足りなイ。昔から数か月ごと二、村に通わないト、生活できないのが、現状』

    『ソノ旅ニ、ルーナハ、傷ツイテル』

    『我々ハ戦えなイ。 あの子ヲ、守ッテあげられなイ』

    『コノ森も、いつまでもハ、もたなイ』

    『アナタはとても強イ』

    『アナタといるルーナはトテモ楽しそうデ、 アナタもルーナのコトを分かってくれタ』

    『ドウカ、 ルーナを』

     守ってあげてほしい。
     魔物達の切なる願いを、クロイツは引き受けたのだ。




    「……」

     複雑そうな表情をするルーナに、クロイツは続けて言う。

    「あの森には私の火種を幾つか分けて置いた。これがあれば異変を感知できる。恩は返すつもりだ。非常時にはすぐに向かう。しばらくは戻れずとも、お前が望むならついて行ってもいい」

     説明の最中、 クロイツの周囲に灯火の如き小さな炎が舞う。
     竜の炎はより応用が利くようで、身の一部のように操れる。

    「そしてお前にもこれを」

     クロイツは懐から一輪の花を出し、ルーナの髪に飾る。 薄桃色の、セレニアの花だ。
     しかし生花というわけではなく、 バレッタに近い硬さと仄かな熱を帯びている。

    「療養中にあの森の花と土、私の炎と魔素を合わせて作った。独学の魔道での生成物かつ効力は微々たるものだが、幾ばくかの守りになる」

     黄昏色の髪に咲いた花。 口にこそ出さなかったが、よく映えているとクロイツは思った。

    「私は追われている身である以上、なるべくお前と離れるべきだと今朝までは思っていたが、あのような暮らしに置き続けるくらいならばこちらの住処にしばらく引き取ったほうがいいと判断した」

    「住処?」

    「他にも居住者……私の部下がいるが、全員信用できる。その内一人は学問にも長けている。お前には閉鎖的な暮らしでは培われないしっかりとした教育を受ける必要がある。 何よりも安定した衣食住を―――――何だその顔は」

     きっちりと練られた今後の方針を聞かされ、きょとんとするルーナにクロイツは怪訝そうな表情になる。

    「どうして、そこまでしてくれるのですか」

    「……お前にも、あの森の魔物共にも多少の恩があるからだ」

    「恩だけでここまで……?」

     困惑しているルーナに、クロイツは咄嗟に何かを言おうとして逡巡し、やがて諦めたように小声で告げた。

    「お前に死なれたら虫の居所が悪くなる。私の下で守られろ」

     言ってからより恥ずかしくなったのか、見つめてくるルーナの視線から目を逸らしてしまう。
     
    「有無は言わせん。いいから来い。私が決めたのだ。文句は聞かん」

     長く呆気に取られていたルーナだったが、やがてクロイツにしがみつく手を肩近くまで動かして、そのまま抱き着いてきた。
     突然の抱擁に少々慌ててルーナが落ちないように抱えなおしながらも、クロイツは照れくさいのか頬を僅かに赤く染めた。

    「嬉しいです。わたし、こんなに嬉しいのも初めてで……なんとお礼を言ったらいいか……」

    「礼などいい。密着しすぎるな。落ちても知らんぞ」

     少し顔を離して、ルーナは希望に満ち溢れた笑みを浮かべる。

    「森の皆といるのも好きですけど、わたしは、ずっと外の世界を知りたかったんです―――――こうして森の外、しかも空の上にいるだなんて夢みたいで、 まだ実感が沸いてません」

     見知らぬ生命が息づく森、青々とした広大な草原、 雲を貫いて連なる山々。
     ルーナが見つめるその先は、彼女にとっては未知の世界であり、クロイツと出会わなければ決して見れなかった景色だ。

    「外の世界のこと、いろんなことをいつか森の皆に教えてあげられるように、たくさんのことを知りたいです」

     いつか胸を張って、 成長した自分を見せてあげられるように。

    「本当にありがとうございます。 クロイツさま」

    「―――――ロッツでいい」

     それは、彼の姉だけが呼んでいた愛称。

    「お前にはその名を呼ぶ権利をやる」

     そして今、この瞬間をもってルーナだけに許された呼び名となる。

    「―――――ロッツさま」

     反復するように何度かその名を繰り返し、やがてばっと瞳を輝かせる。

    「ロッツさま!」

    「はしゃぐな!傷に障るぞ」

    「ロッツさま、ロッツさま…… わたし、ロッツさまと一緒にいられて嬉しいです」

    「まったくお前は、 私の本来の姿まで見て、恐ろしいとは思わなったのか?」

    「いいえ!」

     ルーナは即答する。

    「夜の色の竜のロッツさま。とても綺麗で、ずっと見ていたかったです」

     そんなにも傷だらけだというのに、こんなにも歪な竜だというのに、人間の少女は微笑みながら 「綺麗」と告げた。
     疑う余地もないほど清らかで、本心からの言葉。

    「……恐れ知らずめ」

     竜は静かに目を細め、微かに笑った。



    (この娘は、ルーナは、姉上とは違う)

    (だが、 姉上に近しいものを感じてならない)

    (姉上ではない。それはわかっている)

    (けれど、姉上のように喪うことがあってはならない)

    (これが貴女への罪滅ぼしになるなどとは思いあがらないが)

    (―――――今度こそ私は、守ってみせる)

     竜と少女は空を征く。
     これが彼と彼女の出会いであり、これからも続いていく彼らの物語の始まりであった。


        ◆
       
    《或る魔道具による通信音声会話記録》

    ―――――「かくして竜と少女は行動を共にすることになりました~ってことなんですけどぉ、どう思います?」

    「どう思うもこう思うもないでしょう!大問題よ!」―――――

    ―――――「わあ うるさ」

    「人間が竜を助けるのも大概だし、あの黒竜が人間に心開くだなんて、にわかには信じられないけど……貴方が言うなら事実なんでしょうね……」―――――

    ―――――「ええ。ばっちり確認済みです。 気配隠しと覗き見は大得意なので見逃しはないですよ〜。あんなべっこぺこに凹んでたのに、今度はずっけ一年下にぞっこんみたいな?」

    「そもそもフランシス!あなた、弟の黒竜をわざと取り逃したわね!?姉だけはあんなに無残に殺しておいて……!」―――――

    ―――――「まだまだ泳がせられそうでしたし、生かしておけば奴らの本拠地も突き止められそうだったので~。旧世界秘蔵の遺跡をねぐらにしてるんですって?私も知らないエリアですので興味がありましてねえ」

    「亡骸も地下の実験室に勝手に送ったそうじゃない」―――――

    ―――――「そっちもまだまだ使えそうだったので有効活用しちゃいましょう!」

    「それ以前にどっちも殺さず生け捕りにしろと言ったじゃない!あなたにしかできないことだからわざわざ直接頼んだのに」―――――

    ―――――「おや、やっぱり竜とはいえ仲睦まじい姉弟を引き離すのは可哀想〜って情を抱いちゃった感じですかね?」

    「……そうじゃないわ。 姉のほうが人間に対しての戦意が低いと聞いたから、手を組めると思っただけよ。 こんな馬鹿げた戦乱、早く鎮めないといけないのだし」―――――


    ―――――「そんなこと考えてるの、極少数だと思いますけどねぇ。私としても、あと二百年くらいは竜狩りで暇を潰せそうなのに」

    「だからこそ一刻も早く内部改革しないといけないのよ!どのみち近いうちに会議を開くから、あなたもさっさと後始末は程々に戻ってきなさい!」―――――

    ―――――「人使いが荒いですねぇ。それとも、不安なんですか?私が手元にいないと監視できないから」

    「……」―――――

    ―――――「可愛らしい図星だこと。ご安心くださいな。今の私は人間側に加担してあげると、以前も言ったじゃないですか」

    「いつものことだけど、本当に信用ならないのよ。裏から何もかもを牛耳ってるアンタは」―――――

    ―――――「私は私の貴重〜で旧〜くからの友人の子孫である貴方を見守りたいのですよ。ラズリナさん。それも数少ない退屈凌ぎの一つですから」

    「……」―――――

    ―――――「それじゃあ、次は〈中央都〉で会いましょう」

    「……ええ」―――――





    ―――――「あ~それと。あの黒竜弟。貴方好みの顔だったのに残念でしたねぇ〜」

    「黙らっしゃい!」―――――



    《通信切断済み》




                                      ……続く
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