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    nenoha

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    nenoha

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    ひか星3展示新作
    賢者ではなくなった晶くんが、何者でもないことに悩む話。​
    夢遊病の晶くん、フィガロがずっといます。CP未満。

    この居場所に名前を。「晶、ちょっとだけ俺に付き合ってくれる?」
     彼にそう言われて、ダメだなんて答えたことは一度もない。少しだけ訝しんで、様子を伺うことはあったけれど、彼が本心で軽口を言っているわけではないのだと知ってからは、少し待たせてしまったり日を改めて貰うことはあっても必ず彼の言葉に沿うようにした。
    「はい、もちろん大丈夫ですよ」
     なのに、彼は返事を聞くと必ず淋しそうに笑いながらありがとうと言う。どうしてそんな風に笑うんだろう、と思うことはあったけれど、もしも俺が同じように誰かに声をかけたとして。俺も、同じように笑うのかもしれないと思った。
    ―― だって俺は、異世界からきてこの世界に残された、正真正銘の迷子なのだから。


     この日はルチルが学校の子供たちに呼ばれていて、フィガロとミチルも同行して南の国へ行くから一緒にどうか、というお誘いだった。新しい賢者が召喚され、賢者としての役目を終えた俺が所在なさげにしていたのを見かねて声をかけてくれたのだろう。ありがたくその誘いを受け、俺は雲の街の人々のお手伝いをして一日を過ごした。
     たくさん体を動かして、たくさんの人とお話をしているうちに夜も遅くなってしまい、魔法舎ではなくフィガロの診療所で寝泊まりさせて貰うことになったその夜のことだった。
    「慣れない場所だと眠れない?」
     ハーブと消毒液と独特の匂いが染み付いた清潔なシーツの上。暑すぎず薄手で過ごせるちょうどいい気温に風が草花を揺らす音しかしない静かな夜。
     すぐにでも眠れそうな環境にも関わらず上手く微睡むことができずに何度も寝返りをうっていたら、フィガロが確認するようにそっと声をかけてくれた。
    「えっと、その……少しだけ。元の世界にいた頃から健康体だったおかげで病院とかにはあまり縁がなくて」
    「あはは、ここには消毒液やら劇薬やら色々置いてあるから落ち着かないか」
    「げ、劇薬…… そんなものまで……」
    「毒と薬は同じようなものさ。痛みを和らげる薬だって、痛覚を鈍らせる毒と言い換えることが出来る。どこかの棚を勝手にいじったりしちゃだめだよ」
    「だ、大丈夫です! 棚とか瓶には指一本触れないようにします……!」
     本当は匂いのせいだけではないのかもしれない。フィガロが長く過ごしていた場所のはずなのに、薬品の匂いで生活感もフィガロの存在も希薄に感じてしまいそうだったからかもしれない。
     劇薬なんて話題で空気が和むどころか緊張で固まってしまいそうなところだったけれど、フィガロのおどけた言い回しのおかげか幾分か落ち着いて、該当の棚がこの部屋にはないことを確認できた。灯りは消しているけれど、今夜は随分と月が明るい。
     ハーブと消毒液のにおいが混ざった香り、外の草木が風にそよぐ音を聞きながら、俺は眠りに落ちていた。

     *

    「……わ、綺麗だな」
     夢に出てきたのは、大きな満月の夜、フィガロの診療所の目の前だった。すぐ近くで眠っているのにこんなにもはっきり夢に出てくるなんて、なんだか不思議な感じがした。
     明かりがほとんど消えた集落は人の気配がなくて、すっかり寝静まっている。その中心にある湖は、水面が霧のようなものに覆われて雲の中にいるみたいだ。それに、湖畔に生息している草花の一部がまるで蛍のように小さな明かりを灯してはふっと消え、幻想的な夜だった。
     夢の中の俺は、寝巻で、裸足のまま診療所から抜け出してきたようだった。湖畔の冷たい土の感触が気持ちよくて、夢の中だしそのままでいいかなんてぼうっと湖畔を歩いていた。
    「南は暖かい地域が多いとはいえ、水辺は冷えるから上着を羽織った方がいい。俺のもので良ければ、使って」
     後ろから声が聞こえたと思ったら、鮮やかな模様が織られた大判のストールをふわりとかけられる。湖畔から吹く風は思っていたよりも冷たかったみたいで、とても温かく感じた。
    「フィガロ」
    「眠れない?」
    「うーん、どうなんでしょう? でもほら、凄く綺麗なんですよ。フィガロもこうやって散歩したことはありますか?」
    「あるよ。……少し散歩をしたら、戻って温かいお茶を飲もうか」
    「はい。……あの、もしかして苦茶ですか?」
    「あはは、そんなに構えないでよ。でもその可能性は高いかもしれないね」
    「う、俺もルチルたちみたいに少し慣れることができたらいいんですけど……」
    「お茶のこともいいけれど、君の話を聞かせてくれる? きみは、ここの所魔法舎にこもりっきりだっただろう?」
     優しい声色で、フィガロは俺に問いかけた。それなのに俺は、これから𠮟れらる子供のようにびくりと身を縮こまらせてしまった。フィガロのいう通り、賢者でない俺は何者でもないのに未だ魔法舎に身を寄せている。
    「新しい賢者様はずいぶんと頭の切れる人だよね。賢者様の国では若くして政務に携わっていたって聞いたよ。まぁ、だから魔法舎にいるよりも魔法管理省での仕事の方が彼に合っているんだと思うけれど」
     フィガロは感心した様子で賢者のことを語った。賢者の役目を新しく引き受け召喚されたのは俺と同じ日本人で、三十代という若さで活躍していた新進気鋭の政治家の人だった。一般人の俺とは比べ物にならないカリスマ性と行動力で、あっという間に賢者という立ち位置を受け入れ、着実にその役目をこなしている。
     初めの頃こそは異世界に突然呼び出されて相応に取り乱していたけれど、同じ日本からやってきた俺の話を聞いて比較的すぐに状況を理解してくれた柔軟さには驚かされた。俺と、俺の前の賢者様が記した賢者の書に一通り目を通すと、そういうことならグランヴェル城で仕事をさせてもらいたい、とアーサーやヴィンセントさんに掛け合ったのだ。
     召喚されたばかりの俺は、あんな風に何かできていただろうか。そう思うと少しみじめな気持ちになってしまった。
    「俺……やっぱり魔法舎に残っているのはおかしいですかね。使わせてもらっているのも、前の賢者様の部屋ですし……」
    「そんなことないよ。部屋なんて余ってるじゃない。あの場所は、もうずっときみの部屋、きみに与えられた部屋だ。賢者様は自分に合う仕事、やるべき仕事を見つけて自分で城に残っているだけなんだから、きみが申し訳なく思う必要はない」
    「はい……」
     綺麗な夜の湖畔を歩きながら身体が凍えそうになっているのは夜風のせいだけだろうか。フィガロの言葉も、借りたストールも暖かいのに、心は冷たい風に晒されているみたいに寒くて仕方がなかった。
    「きみはあの場所に居ていいんだよ」
    「賢者じゃない俺でも、ですか?」
    「うん。だって、きみは立派に役目を果たした。月にお休みを与えられたんだよ、きっと。賢者だったころのきみはずっと一生懸命で、俺たちのために尽くしてくれたから。今度はきみがきみのために生きる番だ」
     寒さを凌ぐようにストールの合わせをぎゅっと胸の前で握りしめる。俺のため。―― 俺が俺のために生きる。この世界で。
     いくら考えようとしても、答えは見つからない。元の世界にいたって、きっとずっとわからないままだっただろうけれど、それでも、日本という国にはなんとなく用意された人生のテンプレートがあって、全く同じではなくてもそれを道標にする人は多かったと思う。
     ミュージシャンになりたい、とかサッカー選手になりたい、だとかそういった夢を思い描いて目指している人たちは、俺からするとすごく“特別”だった。新しい賢者様も同じだ。
     だからこそ何もない空っぽの俺は、どの世界でも自由に生きる人たちを羨ましく感じてしまうんだろう。賢者という役目は、そんな俺に何かを与えてくれた―― そんな気がしていた。
    「そんなこと言われても……俺、この世界にくる時に出会ったムルの欠片にこの世界を救って、この世界の真実を見つけて欲しい、って言われたんです。どっちも半端なのに……新しい賢者が召喚された。きっと俺が、俺では役立たずだったから」
    「うーん、新しい賢者様が召喚された理由は俺もわからないけれど、きみが役立たずだと思ってる人はどこにもいないよ。少なくとも今きみが暮らしている魔法舎にはね」
    「……ありがとうございます。気遣ってくれて。でも、賢者という役目を失った俺がただの無力な人間だということは変わらないんです。俺が変わっていかないと……わっ、ごめんなさい!」
     足元の揺れる光を見ながら歩いていたら、いつの間にか足を止めていたフィガロにぶつかってしまう。フィガロは俺がぶつかってしまったことを気にするどころか、そのまま伸ばしてきた手で俺の頭をくしゃりと撫でた。
    「……頑張り屋さんだね、本当に。きみは変わらなきゃって思っているみたいだけど、それはどうして? 俺は、そのままのきみも十分魅力的だと思っているよ」
    「あ、はは……」
     俺の顔を覗き込んだ瞳は、暗い中で不思議な淡い光を反射していた。甘い言葉を囁く蠱惑的な瞳に俺は思わずじり、と後退りした。ずり落ちてしまったストールをしっかりと肩に掛けなおせば温かさに包まれて少しだけほっとする。
    「何かをしていないと、少し落ち着かないんです。今も、わがままを言って魔法舎でお仕事をもらってますけど……でも、賢者だったっていうだけで、俺自身は何者でもないんだと思います」
    「一生懸命なきみらしいけど……晶は、何者かになりたいんだ」
    「あ、……はい。俺もわからないんですけど、役目に飲まれるなってオズに言ってもらったのに……賢者という役目を失ってから、ずっと不安なんです。俺がこの世界に残された意味はいったい何だろうって」
    「きみは、晶は……この世界に来た時からずっと変わっていないよ。きみはきみのまま、俺たちと言葉を交わして、心を繋いでくれた。それって凄いことじゃない? きみにしかできなかったことだ。きみが賢者としてこれまでやってきたことも、なくなるわけじゃない」
    「それは、賢者という肩書は関係ないってことですか? でもきっと今の賢者様だって……」
    「どうだろうね。彼は仕事に精力的だ。真面目で、真っ直ぐで、中央の国の気質に似ているような気がするよ。彼の真摯な態度と前向きな考え方は人を引き付ける。アーサーみたいにね」
    「はい。俺には真似できないです」
    「ほら、一緒だよ。彼だって、きみと同じようにすることはできない。きみはきみのままでいいんだ」
    「でも……」
     それはあなたたちが魔法使いだから。自由に、心のままに生きることができる人たちだから。そう言おうとして、ぐっと飲みこんだ。やっぱり俺は弱くて、無意識に誰かを傷つけてしまうかもしれないただの人間なんだと、思い知らされる。
    「……こんな寒い夜に無意識に外に出てきてしまうくらい、きみの心は疲れているんだ。お茶はまた今度にしよう。―― おやすみ、賢者様」
     くらりとめまいがするような、それでいて思考する術を全て奪われてしまうような恐怖と安心感。途端に五感が鈍くなり、フィガロの魔法にかけられたのだと思った時には、深い深い眠りについていた。


    『賢者としてでなくても構わないんです。あなたのとなりにいてもいい、その名前が欲しい』


     *


    「……まいったな」
     新しい賢者がやってきてからというもの、何かを求めるように仕事に打ち込む晶のことを、魔法舎の誰もが心配していた。心を癒すのなら、南の国がいいんじゃないだろうかとレノやファウスト、ルチルやミチルに提案されて連れてきたものの、思っていた以上に症状は酷かった。
    「夢遊病、か。ラッセル湖に危険な生物はいないとはいえ、落っこちたりしなくて本当によかったよ」
     魔法で無理やり寝かしつけた彼は、魘されることもなく静かに寝息を立てている。根本を解決したわけではないことなんて、重々承知していることだけれども――
    「俺の隣にいてもいい、名前か……それがあればきみの心の傷は癒えるのかな」
     思考を奪われたはずの晶が眠りに落ちる間際に残した言葉。夢と現実の境界が曖昧になってしまった彼が自分でいった言葉を覚えているかはわからない。
    「晶、きみに役目をあげる。俺が石になるまで、傍にいて。これまでと同じように、こうして月が明るい日は一緒にお茶をして、お喋りをしよう。たまには旅行に出かけるのもいいかもしれないね。暑いのは得意じゃないけれど、きみとまたバカンスに行って遊ぶのも悪くない」
    俺専用の“賢者様”―― それがこれからのきみの役目

     心の中だけで呟いて窓の外を見ると、湖上の夜霧が晴れて明るい満月が水面に映り込んでいた。
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