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    merino/motis.

    @_mrn_motis

    20↑|刀BL|まつい左固定
    まつぶぜ中心、ぶぜぶぜなど自由に。
    らくがき、草稿、書き途中のものなど。
    後日加筆してpixivに収納しています。

    ▼完全版はpixivにあります
    https://www.pixiv.net/users/14199756

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    merino/motis.

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    まつぶぜ/本丸の楽しい日常
    刀剣男士にも健康診断があったら?――胃カメラが怖かった豊前の話。

    桑名と豊前のわちゃわちゃあり。
    最後にちょっとだけパ人選で伽羅と鶴。

    ■pixivの完全版に差し替え済
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18063860

    ##まつぶぜ

    へびとねこの三歳児健診へびとねこの三歳児健診「健康診断?」
     一枚の書類を手に、松井は書面に落としていた視線を上げた。
     審神者からの通達であるそれは、『健康診断のお知らせ』と銘打たれている。説明役として書類を届けに来てくれた篭手切が頷く。
    「はい。連絡が遅くなってしまったとのことで、急ではありますが、りいだあと松井さんは明日の朝十時からになります」
    「いきなりだな……」
     少々困惑した眉を見せた松井の隣で、片手を腰に当てて静かに読み込んでいた豊前が顔を上げた。
    「で? 今回は何すんだ? 前回と同じ?」
     視線を返された篭手切が、手にしているバインダー上で一枚書類をめくる。
    「胸部れんとげん、心電図、採血、検尿、視力聴力、身長体重あたりでしょうか」
    「れんとげん……ってなんだっけ? 桑名」
     豊前は桜色に染まる縁側から室内へと視線を投げる。
    「すきゃんされるやつだね」
    「ああ、あれか」
     頭の上にふわふわとした思考の綿雲を浮かべている豊前の脳内には、一体何で見たのやら、空港の保安検査場でレーンに乗せられた荷物が機械の中へと吸い込まれ、モニタにはさみが映り込む映像が再生されている。あくまで刀剣らしい発想なのだろうか。
    「幸い、今回は胃かめらは無いそうです」
    「胃かめら?」「まじかっ! っしゃ!」松井が碧い瞳を瞬かせる一方で、豊前は何故だか随分と嬉しそうだ。
    「大変なやつだよ。へびを飲むんだ」炬燵で本を読んでいる桑名がもう一度振り返り、開け放たれた障子戸のそばに立つ松井に教えてくれる。
    「へび?」
    「そう。細いへび。それでお腹の中を見るんだって」
    「死ぬヤツだな……」豊前はどんよりとした顔で、思い出すだけでも鳥肌が立ちそうな自らの両腕を撫で付けていた。
    「豊前は前回二日くらい再起不能になったからね」
    「言わなくていーって!」
     声を上げて噛み付く微かな羞恥まじりの豊前に、反して桑名は楽しそうだ。なにやら苦い記憶があるらしいが、事情を知らない松井は瞬くばかりだ。
    「何かわからないことがありましたら、いつでも聞きに来てください」
     あらかたの説明を終えた篭手切に、「ああ」松井はひとまず穏やかな瞳で頷きを返した。
     未知のことではあるものの、篭手切の笑顔があるお蔭で自然と気持ちが和むのがわかる。こういった役回りにはやはり適任なのだろう。
    「わかった。あんがとな、篭手切」
    「いえ。では私はこれで」
     軽い一礼と挨拶を残して近侍の仕事に戻る篭手切の背を見送り、松井と豊前は書類を下ろして瞬きと共に顔を見合わせる。豊前は軽く息をつくと口元に笑みを浮かべ、緩く肩を竦めて見せた。
    「急だけど、今日は瀉血禁止な」
    「フ……仕方ないな。一日くらい我慢するよ」
     目配せと笑みを交わすと、互いに少しばかり冷えてしまった足で炬燵へと戻る。
     庭はすでに春の景趣に切り替わったものの、日によっては未だ肌寒く、屋敷の板の間には冬の忘れ物のような冷たさが残っている。いつまでも仕舞いきれない炬燵に吸い寄せられてしまうのもあり、今日みたいな気温の低い日はいつも以上に郷のもので固まって過ごすことが多かった。
     いつもは定員いっぱいの炬燵だが、五月雨と村雲が揃って遠征なので、今日は少し余裕があるらしい。
     ふと桑名が顔を上げる。
    「あ、松井。そこのぶらんけっと取って」
    「もう。自分で立って」
    「え~」
    「えーじゃない」
     気の置けない文句を転がしながらも遠回りをし、広げたブランケットを桑名の少し丸まった背中に掛けてやった松井は、問題は……と自らの右手の爪を見下ろした。
     いつも綺麗に塗っている爪にはひとつの欠けや剥がれもなく、トップコートでつやつやに仕上げた表面にも傷ひとつついていない。昨晩寝る前に塗り直したばかりで、今日は畑当番も洗濯当番も厨当番もない完全な非番だったからだ。
     内心でため息をこぼす松井の心など露知らず、角を挟んだ右手に座っている豊前は果物籠へと手を伸ばして言った。
    「松井。陸奥守にもらった文旦、半分食わねえ?」
    「食べる」自らの手元を見つめたまま、松井はほとんど癖で頷く。
    「っし。――ん」
    「ありがとう。うん?」ずっしりと重い土佐文旦を丸ごと渡された松井が、思わず受け取ってから豊前を見返す。
    「剥いてくれよ」
     炬燵の天板に両腕を乗せて右頬を預け、甘えが通ると信じて疑わない顔でこちらを見上げてくる赤い瞳に、松井は困った笑みで眉を下げた。
    「もう……豊前」
    「なんだよ。桑名にはみかん剥いてやってたろ?」
    「子どもか? ……まったく」
     緩く笑ってしまい、仕方ないなと甘やかすままに籠から果物ナイフを手にする松井の正面で、「嫉妬されちゃったなぁ」桑名も可笑しそうに笑っている。
    「松井~、僕にも半分ちょうだい」
    「半分と半分で僕の分がなくなるだろう」
    「じゃあ四分の一」
    「三分の一ずつね」
     慣れた手つきで器用にナイフを扱い、文旦の分厚い皮に剥きやすいように切れ込みを入れていく松井の手は綺麗だ。その爪を彩る碧はただのネイルとは言え、今の松井にとっては大事な大事な芸術品なのだが……
    (心電図って、確かあの……指に挟むやつか)
    ――一七八番はネイル着用です。
    ――あっ、そうでしたね。松井江さん、指、挟みますね。
    ――とれそう?
    ――いけます。
     青野原に新たに出陣した際に、極を含めた部隊全振りが想定外に大きな損傷を負い、強制帰還となったことがあった。その際に念のための検査として運ばれた先で、人間達に小さな機械を装着されたことをよく覚えている。そのせいもあり、どうやら松井の頭にはある困った想像図が浮かんでいるようだった。
     正確にはそれは心電図をとるための機械ではないのだが……手入れですべての怪我が治ってしまう刀剣男士には、ついぞ見慣れないものだから仕方がないのだろう。
     手元にティッシュを数枚重ね、厚い外皮を大きく剥き、全体を半分に割ってから、寄り集まった房をひとつひとつ丁寧に剥がしていく。桑名が本の頁をめくる乾いた紙の音がして、松井がひと房目の筋を取って薄皮を開くと、文旦の涼しげな香りがふわりと広がった。
     しっかりと実の詰まった果肉は瑞々しく美しい。淡黄色の宝石粒のようなそれらを、松井はまたひとつひとつ剥いては丁寧に種を取り、手元に積み上げていく。同じ男でありながらも動くと一層綺麗な松井の白く長い指先を、自らの腕を枕にした豊前は心地が良さそうに眉の力を抜いて眺めている。
     けしてつまみ食いはせずに大人しく待っているその姿に、松井は手を動かしながら何だか愛らしいものを感じてならなかった。



        ◇

     翌日。
     待合室の白い壁に掛けられた時計は、午前十一時二十一分を指している。
     並んだ椅子に腰掛け、何やら神妙な面持ちで両手を見下ろしている松井を見つけ、豊前は戦装束のジャケットを腕に掛けた腕まくりのベスト姿でそちらへと向かった。
    「松井」
     小気味のいい馴染みの靴音と声に顔を上げた松井に、豊前はグローブを外している手を挙げてみせる。
    「どうした? んな難しい顔して」
     隣の椅子にどっかりと腰を下ろし、豊前は松井の顔を覗き込む。上着を脱いだクラシックなシャツ姿の松井はちらと横目を返すと、指を丸めて眺めていた両手を膝に伏せ、大きな溜め息をこぼした。
     その手を豊前にも見えるように持ち上げて見せる。
    「折角豊前が塗ってくれたのに」
    「……? ああ、そういうことか」
     一瞬疑問符を浮かべたものの、合点がいったらしい豊前が小さく笑みをこぼす。
    「気にすんなよ。また後で塗ってやっから」
    「本当か?」
    「おう」
     松井の爪は、右手の人差し指だけがネイルを落とされ素爪に戻っていた。今はヒールブーツに隠されたその足も同様に、右足の親指だけが素爪に戻っている。
     両手はいつものターコイズだが、両足を飾っているのは、以前豊前が誕生日祝いだと言って顕現日に贈ってくれたワインレッドのポリッシュだ。そのどちらもが、一昨日の夜に豊前が塗り直してくれた大事なものだった。
    「前に運ばれたときは、爪を塗っていると計測できないみたいだったから、わざわざ出る前に落として来たのに」
    「なんかあれだったろ? こう、かぱって挟むヤツ」
    「そう。ここと、足首」
     手首と足首を大きめの洗濯ばさみのようなもので挟まれただけだったと、松井は想定が外れた悔しさを語る。豊前はつい笑ってしまいながらも、励ますようにその頭を撫でて言った。
    「気ぃ遣えてえらいなぁ、松井は」
    「……やめてくれ。子どもじゃないんだ」
     少し乱れた髪を、松井は照れ隠しに手で押さえる。豊前は優しい兄のような瞳で手を下ろし、代わりに軽く白いシャツの背を撫でる。院内に心地のいい音量で流れているクラシック音楽が、また別の曲に切り替わった。
    「結果はなんも問題なかったんだろ?」
    「え? まあ、そうだな。心臓に異常はないって」
    「じゃあ何よりだ」
     そう言って豊前は立ち上がると、様になる男らしい所作でジャケットに袖を通し、軽く両襟を引き下げて整える。
    「今年も健康! ってな。帰ろうぜ」
     相変わらずどんな場面でも変わらない明るい瞳で笑って見せた豊前に、松井は眉尻を下げて柔く笑みをこぼし、気持ちを切り替えるように大きく息をついて立ち上がった。
     本来であればここでは武装をする必要はないが、正装としていつものように左腕には防具を身につけ、隣の椅子の背もたれから手にした上着を肩に羽織る。
    「……ふふ。豊前は三歳児健診だな? 可愛いよ」
    「そう言う松井も、二歳児健診だろ? 俺のが兄貴だな」
    「ええ? 僕の方がしっかりしているだろう?」
    「そうかぁ? んなことねーだろ」
    「ははっ」
     軽く視線を残して先に歩き出した豊前の隣に並び、ああだこうだと言い合いながら肘で小突き合って、もうすっかりと身に馴染んだ癖で歩調を合わせる。
    「帰り、何食べる?」
    「ん~、何にすっかなぁ」
     捲り上げた袖を整えながら嬉しそうに考え始める豊前の横顔を見つめ、松井は口元に笑みを浮かべて前へと視線を戻した。広い院内の廊下には、様々な国の本丸から集まった刀剣男士たちの姿が見える。
    「拉麺? 焼き肉?」
    「ん~」
    「中華? いたりあん?」
    「牛丼、回る寿司、回らねー寿司、お好み焼き、かれー、はんばーがー……」
     回る寿司と回らない寿司は別かてごりーなんだな、と、松井は内心で微笑ましく思いながら唇に笑みを浮かべた。
     豊前はどちらかと言うとジャンクフードと呼ばれる類いの食べ物が好きで、松井もその影響をいくらか受けている。ハンバーガーというものがあれほどまでに美味しいとは、人の身を得てよかったと思ってしまったくらいだ。無論、豊前に連れられて行った先で、豊前と一緒に初めて味わったせいもあるのかもしれない。好いた相手と食べるものは、何だってとびきり美味しいからだ。
     箱庭都市としてデザインされたこの地には、多彩な飲食店に限らず、温泉や映画館、ゲームセンターやスポーツジムなどの娯楽や保養を目的とした様々な施設が入っている。要するに食べたいものは何でもあるというわけだ。
    「あ、前に言っていた、北通りの喫茶店のなぽりたんなんてどうだ? 鉄板焼きの」
    「おっ、いいな! それにしようぜ!」
     嬉しそうな顔を前に、ふたりの間に『昼飯決定!』のポップなランチ旗が立つ。
     人間のスタッフや他所の刀剣男士たちとすれ違いながら、二重の自動ドアになっている正面玄関を出る。そうして現世の大学病院を彷彿とさせる規模の医療研究施設を後にすると、思わずふたりして盛大な安堵のため息をこぼした。
    「何気に緊張したな」
    「フ……うん。した。豊前、採血のとき顔が引き攣っていたよ」
    「苦手なんだよ……」
     雲ひとつない快晴のお蔭で、外は春先とは思えないほどに暖かい。昨日の寒さが嘘のようだ。
    「帰って特訓するか? 瀉血で」
    「遠慮しとく」
     互いの間に気の置けない笑みがこぼれる。
     昼下がりの陽差しを浴びながら、並んで歩く足音が自然と揃っている。いい風の吹くどこまでも走って行けそうな青空が一番好きだと語る豊前が、気持ちがよさそうにぐっと伸びをしながら言った。
    「こうやってうまいもん食えんのも――、肉体あってのものだよな」
     大きく息を吐き出して腕を下ろした豊前の隣で、松井は目が眩むほどの陽光に手を翳しながら、「そうだな」と碧い双眸を細めて微笑する。
    「ところで豊前」
    「んー?」
     平和な赤い瞳が、何の疑問もなく松井を映し込む。
    「はじめての胃かめらのとき、『びびり倒してちょっと泣いてた』って桑名に聴いたけど」
    「ッ!?」
     尻尾が一瞬で膨らむ猫のような反応で、それは見事なトマト色に豊前の顔が染まったものだから、松井は思わず緩みそうになった口元を緩い拳で隠し、笑みに肩をふるわせた。
     のんびりとたなびいていた紅い袖印が不自然に揺れ、豊前は意味もなく両掌を松井に向けると、押し留めるような宥めるようなポーズを取り始める。
    「待て、聴いてくれ」
    「うん?」
    「ちげーんだって。あれはな、」
    「うん」その勢いに、松井はすでに笑みに声が揺れている。
    ――一年前のことだ。
     顕現から二年を超えた刀に加え、ランダムで抽出された刀が受ける仕組みとなっているこの健康診断において、この年の江は豊前と桑名が通達を受け、同じようにこの地の医療研究施設を訪れていた。
     全本丸を対象とした健康診断と銘打たれたこの行事は、刀剣男士の運用に際して発生する、いわゆる"個体差"と呼ばれる現象についての研究の一環とされている。各サーバー上に数多と顕現する同じ刀帳番号の統計データを取ることで、異なる環境下における肉体の変化の有無を調査しているらしい――というのが、今のところの噂だ。
    『へえ。ねぇ、舌が痺れて動かなくなるんだって。麻酔ってすごいね。どんな材料で作られているんだろう。解体新書にも載っている過去の時代の手術とか、薬草で言うと……』
     白い小さな紙コップを手に、胃の中の泡を消すためのものだという半透明の乳白色をした飲み薬を覗き込んだ桑名が、興味津々と言わんばかりの顔で話しかけるが、目隠しの壁を挟んだ隣のブースからは声が返らない。
    『?』
     左右の壁には、これから行う胃カメラについての説明がやさしいタッチの絵を交えて描かれたシートが貼られていて、桑名にはそれがとてもわかりやすかった。物事の仕組みを知れば、大抵のことは怖くないのが桑名江だからだ。
     だが、仕組みを知ってしまうと余計に怖くなる刀もいるようで……
    『豊前?』
     説明をしてくれたナースはもう離れた筈だ。どうしたのだろうかと不思議に思って覗き込んだそこには、紙コップを手に半ば蒼白の、言うならば絶望顔をした豊前の姿があり――
    『帰っていいか?』紙コップを飲み薬ごと握り潰してしまいそうな勢いで立ち上がり、桑名に詰め寄った。
    『だめだよ。早く飲もうね』
    『いやでもこれ、鼻から? 口から? 胃袋まで突っ込まれるんだぜ!? ありえねーだろ!?』
     よく見ろよと言わんばかりに、豊前が壁の絵を何度も指差す。
    『大丈夫だって。鎮静剤っていう、意識をぼんやりさせてくれる薬があるって言ってたから』
    『そうだけどさ! いやそういう問題じゃねーだろ!?』
     限りなく殺した小声ではあるが、豊前の声には相当な切実さが滲んでいる。紙コップを荷物棚に置くなり、懇願に両手まで合わせてしまった。
    『なぁ、頼む! 畑当番三回でどうだ!?』
    『だめだって。僕に決定権はないんだから。あと畑は休まないからね』
    『頼むよ桑名! 絶対礼はすっから! なっ? じゃ!』
    『あっ! ちょっと豊前!』
     ブースを出るとまるでトイレにでも行くかのような素振りで診察室を後にしたその背に、桑名は咄嗟にコップを荷物棚に置いて追い掛けると手首を掴み、開け放たれた扉の横にぎりぎり隠れる場所で後ろから羽交い絞めにする。
    『じゃあじゃないから! だめだよ! 大人なんだから!』
    『刀剣男士に大人とか関係ねーだろ!?』
    『あるよ! たぶんある!』
    『ねーよ!』
     周囲には聞こえない程度の限りなく抑えた小声で言い合い、お互い笑ってしまいながらひと目につかず目立たない程度に暴れるが、畑当番で日々鍛え抜かれた桑名のたくましい腕からはそう易々とは逃れられない。
    『もう。付き添いが松井だったらこんなことしないでしょ』
    『なっ――、別に俺はっ、』
     言うまでもなく、共に受診したのが松井なら、こんな醜態は見せなかっただろう。それは桑名に対する信頼と甘えでもあり、あとはまあ……惚れた男である松井に対する、なけなしの男のプライドというやつだ。
    『相手が僕だからって、またそうやって甘えて……ほら、ちゃんとしないと篭手切に言いつけるよ』
    『!? それは卑怯だろ!?』
     大事な篭手切に格好悪い姿は見せられない。それが江の打刀たちの共通認識なのだ。
    『うわっ――、ちょ、おい! 桑名!』
    『すみませーん。一六〇番豊前江、お願いします』
     あっさりと豊前を肩に担ぎ上げて奥に向かった桑名が、若いナースに声をかける。
    『えっ、あっ、はい。豊前江さん、先にお願いします』
    『はい』スタッフ間での伝達が進む。
    『いや、待っ、』
    『はいはい。暴れないでね、豊前』
    『ふふ。ではあちらの寝台に。紙コップのお薬、お持ちしますね』
    『あっ、ありがとうございます』
    『おい!』
     逃げる豊前を追いかけ、捕まえ、否応なく連れ戻し、まるで米俵のように担ぎ上げて、誰からも愛される笑顔で医療スタッフに差し出す桑名と豊前のその様は、
    「さながら動物病院に連れて来られた犬みたいだったって、桑名が」
    「あいつ……」
     豊前は心の底から嘆く声音を聴かせ、グローブの片手で顔を覆った。
     ちょうどその頃本丸の厨では、それは大きなくしゃみをした桑名を「大丈夫~?」村雲がびっくりした瞳で覗き込んでいた。
     松井は満足そうな綺麗な顔で、自らの唇の端に思案の人差し指を立てて見せる。
    「豊前は犬というか、僕の可愛いネコだからね。暴れないように洗濯ねっとに入れようか」
    「上手いこと言うのやめろ!? あと外でネコとか言うな!」
    「声が大きいよ」
     ここは数多の本丸から刀剣男士を受け入れる政府施設だ。周囲を行き交う他所の男士たちが何事かとこちらを見ている。中には洒落た私服を纏ったどこかの本丸の豊前江と桑名江の姿もあった。
     自ら筒抜けにしていることに気付いたらしい豊前が、その身でそれとなく衆目から松井の姿を隠す。
    「ちげーんだよ。確かにビビったけどさ、そこはほら、初めてだったからさ、」
    「可愛いな、豊前」
    「松井、なあ松井」
     けして怖がりなのではなく、未知の物事に対する警戒心が強いだけなのだと懸命に訂正しようとする豊前を前に、松井は楽しげな流し目で灰色がかった前下がりの髪先を風に残して歩み始める。
    「ほんとにちげーんだって」豊前は珍しく必死だ。「桑名が言ってんのは言葉の綾ってやつでさ、ほら、大袈裟っつーか、なあ松井、な?」
     いつになく懸命に釈明をする豊前にまとわりつかれて、松井は笑いを堪えるのが大変だ。ちょうどそのとき、道の向こうから同じ本丸の鶴丸国永と大俱利伽羅がこちらに向かってくるのが見えた。
     どうやら彼らも本日の健康診断組らしい。こちらに気付き手を挙げてくれた鶴丸へと、松井も軽く肩の高さで手振りを返す。
    「僕がへびを飲むときは、豊前、ついてきてくれるか?」
    「行く! ぜってー行くから鶴さんには言うなよ!」
     小声で前を向いたまま耳打ち合ったところに、「おー、松井! 豊前も!」明るい鶴丸の声が飛んでくる。
     松井はふと気が付いた。
     その隣にいる大倶利伽羅から、微かにだが緊張が伝わってくることに。
    「よっ! そっちは今から昼飯か?」
    「おう! さっき終わったとこだ」
     どうやら絶食中らしい。飯の話はするなと言わんばかりの大倶利伽羅の圧に、まさにいま他ならぬ胃カメラに向かうところなのだと察し、松井は改めて笑みをこぼした。
     龍が怯えるほどの蛇なのだ。それはそれは怖ろしいものなのだろう。
     次の三歳児健診の際に元気な豊前に付き添って貰う為にも、また一年、健康な血をつくり命を大事に過ごさなければ。そんなことを松井は平和にも真摯に考えていた。
    ――無論、へびの怖さをまだ何も知らない身で、だ。
     まさに怖れを知らない子どものまま、松井は合流した大倶利伽羅に気楽な様子で話し掛ける。
    「やあ。もしかして、君も今から胃かめらかい? うちの豊前も――」
    「あー!」途端に豊前が大声で身体ごと割り込んでくる。
    「フッ……、嘘だよ」
    「うるさい」大倶利伽羅は悪気はないが愛想のない棘を纏い、「なんだぁ? 豊前、やけに元気だな?」鶴丸は可笑しそうだ。
    「なんでもねーから! なっ、松井」
    「うん? なんでもなくはないけれど――」
    「じゃあな鶴さん! 倶利さんも!」
     まだ何か言いそうな松井の言葉を遮り、まるでその身を捕まえた桑名のように豊前は松井の手首を掴む。半ば引き摺られるようにして昼餉に向かう松井と、何かよくわからないが楽しそうだと笑った鶴丸が、別れの挨拶に手を振り合っていた。
     穏やかな春の風が頬を撫で、街路樹の桜たちが優しいため息をこぼすように花びらを散らす。ある時代の現世をそのままに模した箱庭都市の景観を足許に、いつの時代でも変わらない、淡い赤が舞う澄んだ青空は平和そのものだ。
     松井の好きな色を髪に乗せ、大股で肩を怒らせてずんずん歩く豊前の後ろ姿に、手首を引かれる松井は愛らしさを想い瞳を細めた。
    「豊前」
    「ん!?」
     けして怒ってはいないが拗ねた声で勢いよく返事をした豊前の背に、松井は器用に腕をひねりあっさりとその手から逃れてしまうと、逆に手を直接握ってみせる。驚いて振り返った豊前が一瞬叱る顔をするが、調子を崩されてばかりのせいか開いた口からは言葉が出て来ない。
     衆目の場で男ふたりが手を繋いでいる、なんともシュールな状況だ。
    「だめだろ」
    「だめなのか?」
    「……」思わず一瞬考えてしまった豊前が我に返る。「いやだめだろ」
    「だめなのか?」
    「だめだ」
     喉が詰まったようなくぐもった声で、即座に叱れなかった羞恥を押し殺す豊前に、可笑しそうに笑む松井はしかし繋いだ手を離さず、ふと思いついた顔で言う。
    「ああ。畑当番三回でどうだ?」
    「~~~ッ!」
     羞恥に尻尾が膨らんだ猫を見るなり一転、松井は戦装束の長い裾を翻し、流石の身のこなしで逃げていった。
    「お前っ……ああっクソ! 帰ったら容赦しねーぞ!」
     等間隔で並ぶ桜の樹を挟むようにして隠れては顔を出し、また隠れ、細いヒールをものともせずに、まるでダンスにでも誘うような足取りで逃げる松井を、もう半分以上笑ってしまっている豊前が追いかける。
    「ははっ! 今日はどんなさーびすをしてくれるんだ? 猫耳しっぽでも着けるか?」
    「つけねーよ!! 来年一緒に行ってやんねーぞ!」
    「ええ? それは嫌だな!」
     平時の落ち着いた兄然、あるいは王子然とした揃いの姿に反し、滅多になく笑い声を上げて駆け回る少年のようなふた振りを、その様子に気付いて振り返った鶴丸が目にするなり笑い声を上げ、賑やかな光景に些か脱力して緊張がほどけたらしい大倶利伽羅の背を叩きながら何かを言って指差している。
     来年の今頃は、泣くか笑うか。
     足の疾さでは絶対に勝てない豊前の両腕にとうとう捕まった松井は、皆の前では明るくも寛容で落ち着いた余裕ばかりを見せる赤い瞳が、いつになく焦ったり赤面したり、ころころと表情を変える様子に、健康診断というものも悪くない――そんな感想を抱いたのだった。


     へびとねこの三歳児健診






     後日談。

     豊前に付き添われて件のブースに入り、白い紙コップを傍らに、郷のものの間では『へび』と呼ばれている胃カメラ――上部消化管内視鏡検査の詳細な説明を受けた松井は、終始この世のすべてが信じられないと物語る真顔をして、隣のブースから顔を出して話し掛けてきた豊前に開口一番にこう言った。
    「どうしてそんなことをするんだ?」
     無論、僕に、という意味だ。
     呼び名に胃とついている癖に、まさか胃の先にある十二指腸にまで内視鏡の棒を入れるのだと言う。
    「どうしてそんなことをするんだ?」
    「いや俺に言われても」
     二回も同じ言葉で豊前を詰めた後の松井は、いつになく地獄のような絶望顔をしていただとかなんとか。

     のちに豊前は、三振りで一緒にハンバーガーを食べる約束をしていた桑名と合流した先で、それは上機嫌に「あのときの松井、完全に予防注射前の猫だったな!」などと笑って当時の松井の様子を嬉々と話したそうだが、その後どうなったかは語るまでもないだろう。
     松井の実務用を兼ねた携帯端末には、その夜のものらしき猫耳しっぽを着けられて明らかに羞恥を滲ませた顔をした豊前の、それはそれは愛らしい至極健全なグラビア写真が、今でも大量に保存されているのだと言う。


     (おしまい)


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    merino/motis.

    DOODLE松井(黒猫)と豊前と女審神者(三毛猫)/本丸の楽しい日常

    ある日、謎のバグで猫になってしまった審神者が、バグを意図的に利用して豊前の部屋に住んでいた黒猫の松井に遭遇し、マウントを取られまくる話。
    審神者視点、ほのぼのシュールギャグです。ゲストに村雲。

    CP左右設定なし/豊前強火担かつ同担拒否のつよつよ松井がいます。
    リクエスト作品です。

    ■pixivの完全版に差し替え済(8/5)
    キャットファイト・サタデーナイト 強火担、という言葉がある。
     推しと呼ばれる崇拝対象、例えばアイドルなどに対して、熱狂的とも言える愛情を持って応援している者のことを言うらしい。
    (強火担だな……)
     いま目の前にいる碧い眼の黒猫に、『豊前の腕枕は絶対に渡さない』圧を掛けられながら、審神者はまさにその言葉を思い出していた。



       ◇

     種族、猫。
     毛色、三毛。
     猫の外見年齢はおそらく三~五歳ほど。
     職業――審神者。
     何がどうなったのかはわからないが、昔流行ったライトノベルにありがちな、『目が覚めたら猫になっていた!』というタイトルの本が一冊出せそうな状況に置かれていることを理解してから、すでに一時間ほどが経過していた。
     曜日は確か土曜日だ。頭上には夏色の空が広がっている。周囲はどうやら向日葵の景趣で、しかし今朝までの記憶とはいささか異なる見慣れない景色がそこにあった。
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