果てまで鬼ごっこ スケートが好きで、このへんに住んでて、ちょっとヤバイことに興味がある。そんなヤツらは全員あの違法スケート場を知っている――もちろん俺も。
「はー……ここの空気吸うの、すげえ久々」
派手に背中を打ち付けて病院送りになったのが数ヶ月前、そろそろ本格的に運動していいですよと言われたら行くところは一つだ。
それにしてもギャラリーが多い。俺が病院のベッドで情けない顔晒してた間に一体何があったのか。
「……ん?」
喧騒から少し離れたところ、一人の青年が目についた。雪の髪、氷の目。まあこのへんじゃ見かけない美形だ。板はちゃんと持ってるが、きょろきょろと辺りを見回して所在なさげに歩く姿はご新規丸出し……ああほら、後ろから柄の悪いグループが近づいてきた。
「仕方ねえ……おーい!悪いな待たせて!」
否定しようとした青年に「いいから合わせろ」と小声で伝えると素直にこくこくと首を振った。連中が遠ざかっていく。
「ありがとう」
「気を付けろよルーキー。どこから?」
「遠くから」
近くで顔を見ると思った以上に若い。青年、いや少年はランガと名乗った。
「ランガ。ここへは何しに?子供が来るところじゃねえぞ」
「人探し」
髪は青、目は赤くて長身の二〇後半の男。それがランガの探し人の特徴。
「ここで見たって聞いたんだ。知ってる?」
「悪いが俺もしばらく来てなくてな。まあ一緒に探してやるよ」
道案内も必要だろう。言えばランガがもう一度「ありがとう」と笑った。
「にしてもそれだけじゃなあ……他には?何かあるだろ」
「あとは……」
言いにくそうに俺から目をそらして呟く。
「仮面をつけてる」
「はあ?」
仮面ってヒーローが着けてるあれか?
「あんなのして滑るやつ居ねえだろ」
ランガが押し黙った。何だよ、何か言えよ。
男が姿を消したのは一週間ほど前だそうで。
「帰ったら居なかった」
「一緒に住んでるってことはオマエの家族か」
「……まあそんなところ」
わかった。兄貴だな。
「急に居なくなるの、初めてじゃないんだ。探して、また消えて――何回か繰り返すうちに、こういう危険なスケートパークを端から調べて回るのが一番早いってわかった」
「ふーん。そいつスケート好きなんだ」
「大好き」
ランガが板を抱きしめる。兄弟揃って、ってところか。
「あいつのほとんどはスケート」
「残りは?」
「俺。……違う、俺じゃない。あいつがそう言うんだ」
でもこうして普通に口に出せるってことは満更でもないんだろう。弟想いの良い兄貴――それが家出するかね。
「家出してさ、可愛がってるヤツが迎えに来たらプライド傷つかねえ?」
「大丈夫、喜ぶし……別に直に頼まれてるわけでもないけど」
「本当は放っといてほしいんじゃねえの?」
「そうだとしても、さ」
青い瞳は斜め上、どこか遠くに居る探し人を見ている。
「一人で滑ってるって思うとああ俺が行かなくちゃーって気になるんだ」
力の抜けた笑顔を浮かべたあと、少しバツが悪そうに「あと」と付け足した。頬がほんの少し赤い。
「あと?」
「俺の知らないところで俺とより楽しく滑ってるならって想像して……ちょっとだけモヤモヤする。早く行って、確かめなくちゃって」
自分で言っといて恥ずかしかったのかへにょりと眉を下げた顔は誰かのことが好きで仕方ない子供のそれだ。たまらず肩を抱いてガシガシ頭を撫でてやる。
「ハハ……大丈夫だってランガ!こんな弟が来たら絶対兄ちゃんも悪い気しねえよ」
「……兄?」
誰か走ってきた。友人だ。挨拶も無しに肩を叩き合う。
「遅かったじゃねえか!何してんだ」
「いや、こいつがさあ」
「早く来い!一番いいとこ間に合わねぇぞ!」
「いいとこ?」
友人にせっつかれて俺とランガはスタート地点すぐの巨大モニターへ向かった。
このスケート場の目玉、何でもありの中距離大人数レース。モニターに映し出されているのは丁度中盤の辺りだが、いつもと様子が明らかに違う。
「はぁぁ!?誰だよアイツ!」
混線もいいところになるはずの戦場で、一人先頭を突っ走るプレイヤーがいる。
「最近現れたヤツでよお、毎度ぶっちぎって帰ってくんだわ。俺らの誇るスケート馬鹿共が――見ろよ。遊ばれてる」
コーナーだ。画面がその先へ切り替わる。カメラが曲がってきた謎のプレイヤーをバッチリ真正面に捉えた。
長身。青い髪。
そして――顔のど真ん中で主張している仮面。
「おいランガ!」
ランガは慌てるそぶり一つ見せず身体を伸ばしていた。
「ここ、飛び入りは?」
「もちろん歓迎!でもやめとけ。オマエじゃ」
無理だって。言うより早くランガの姿が消え――いや、なんとか目で追うと既にスタート地点近くまでたどり着いている。ギャラリーも気にせずボードを投げ勢いよく飛び乗り、そして今度こそ本当に消えた。
「あいつ、うまいじゃん……」
速い。今までここで滑っていたどのプレイヤーよりも――先頭を走る仮面の男を除いてだが――速くなめらかな動きで他のヤツラを抜いていく。坂を落ちる。崖を飛んだ。あり得ないコース取りでランガはみるみる男との距離を縮めていく。うわ、笑ってやがる。
「なんだありゃあ」
「家族なんだってよ、あの仮面の」
「じゃあアイツも日本人か?」
「……なんだって?」
「仮面が言ってたぜ。僕は遠い島国から来たって」
マジか。遠く、遠くと言っていた。遠くの街、市――まさか海を越えたずっと先だったとは。
モニターに映る仮面の男、そして追い付いたランガ。突然始まった勝負にギャラリーが大いに沸き立つなか、俺は二人の後ろ姿ばかり見ていた。似ても似つかない、兄弟なんてもっての他の背中を。
「でも確かに家族って……」
他の全てを置き去りに今、二人がゴールした。ほぼ同時――観客の反応から察するに、男の勝利だ。
遅れて入ってくる後続達を避けながらランガが仮面の男に叫んだ。"来たよ"だな、アレは。男は――笑ってる。そしてランガに顔を近づけて何やら囁いた。ランガは少し躊躇していたがやがて男の顎に手を添えて唇を――。
「……なるほど」
囃し立てる声に満足そうな男、そして無表情ながら、やっぱり満更でもなさそうなアイツ。
さっきの会話、アレは惚気だったのかもしれない。
中々いいものが見れた。皆も気分は同じなのかぞろぞろ客が帰っていく。まあアレの後に滑れって言われてもなあ。さて、俺も今日は帰ろうかとゲートに向かう身を声が呼び止めた。
ランガだ。戦い終えて真っ先に来たらしい。顔は疲れで赤く、しかしスッキリとしている。悩みが解消されたんだから当然か。称賛のかわりにそれは強く抱きしめた。
「お礼、してなかったから」
「いいよそんなの。無事に見つかってよかったな」
「うん――あ、愛抱夢」
気がつくとランガの背後に先程の男が立っていた。ふーん、名前はアダムね。仮面はレース外でも取らないんだな。なんて、アホなことを思っていられたのは一瞬だけ。
「彼は?」
よく響く良い声だ。それだけに恐ろしい。声に乗せて運ばれる俺への底知れない敵意に空気が凍りついていく。
「一緒にあんたを探してくれた、それに俺のこと助けてくれたし、それから――」
いいんだ、ランガ。そんなのは全然構わないんだ。
頼むからアダムの顔を一度見てくれ。俺はもう、彼と目線を合わせられない。
「へえ」
男が素早く左手を伸ばしランガの腰を強く引き寄せる。後頭部に顔を寄せ、
『ずいぶん彼のことを褒めるじゃないか』
何か話しかけた、多分日本語。変えた理由はまあわかる。会話を聞かせないためと、「二人だけの会話」を聞かせるため。要は牽制だ。
『妬けてしまうな。僕を探しに来る君は、大抵知らない男連れだ』
『それが嫌ならずっと俺のそばにいればいいのに』
『だって楽しいんだもの。知らない町も、スケートも。しばらくは続けさせてもらうよ』
『……次はヒントぐらい用意して』
『ありがとう』
アダムが目を細める。幸せを噛み締める、いい表情だ。ランガに見えてないのがもったいない。
『君が迎えに来てくれるから僕はどこへでも行ける』
愛されてんだな、オマエ。よかったな。心の中で呟きながらゆっくり後退りする俺を再び声が呼び止めた。
「ああ。そこの君」
無視して逃げ去りたい。
ニコニコと愛想よく男が近づいてくる。俺の手を無理やり取り、握手して、ウィンク。
「僕のイヴが世話になったね」
明るい態度にひそむ灼熱のごとき独占欲がギチギチと手を締め上げた。
「……ところで僕はこの一週間ランガくんと一切触れあえなかったわけだけど……ねえ……どうして君が僕より先に彼を抱きしめてるのかな……」
ランガ、オマエ本当に愛されてるよ。