ヴィクトリアンメイドの本望 日本での高校生活にも慣れたなあと呑気に思っていた一ヶ月程前の自分に言いたい。やっぱりまだよくわかんないよ。
「文化……文化って……何……?」
「少なくともこれじゃねえよ……」
重たいエプロン、足に纏わりつく転ばせるためにあるとしか思えないロングスカート。「馳河くんならこうだよねって皆で決めたんだ」と頭に被せられたナイトキャップみたいな白い何か。動くたび全身がガサガサ鳴って落ち着かない。
「……ミスったなあ」
カーテン製の簡易控室から教室内を覗く親友が悲壮感たっぷりに呟いた。見てないと解っていてもうんうんと何度も頷き心からの同意を示す。
二人揃って抜け出したHRの議題が文化祭の出し物決めだったと知っていれば一応顔は出していただろうし誰が着るかのジャンケン大会にも参加できていたはずだ。不戦敗とかありなのか。
おい暦、ご指名だぞ。控室に届く声にはああとしゃがみこむ身体はもう生きてるだけでやっとという感じ。仕方ない、彼はこちらの数倍働いている。
「大人気だね」
「ちげーよ。お前あてのは女子がガードしてて、俺にはそんなもんないだけ」
立ち上がった暦がぱんぱんと埃を払って「……し」最後に頬を叩いた。
「じゃあ行ってくるわ」
サッと両手でスカートを持つ仕草が午前中に比べて明らかにこなれている。凝り性だから最終日にはすごい事になってるんだろうな、ちょっと楽しみ。
話し相手も居なければやることもない。もう寝とこうかなとバッグ兼枕の形を整えだした時カーテンが開いた。
「馳河くん。あの、ご指名……」
「俺に?」
珍しい。
「うん。ほとんど強制的に着せちゃったからなるべくお仕事減らしてあげたかったんだけど、どうしても馳河くんじゃなきゃ駄目そうで……お願いします」
やけにぐったりしたクラスメイトの必死さにとりあえず首を振る。
「よかった……! じゃあ奥のテーブルよろしく……」
「なんかしんどそうだ、休憩してけば」
「大丈夫……あの人以外のお客さんなんて全然大したことないから……」
あの人?
裾を踏まないようにちまちま小股でカーテンに寄りこっそり見た向こう側。
「あー……」
確かにあれは慣れてないと驚くし疲れる。悪い人ではないんだけど、そんなこと一言二言でわかれと言うのは無理だ。一応クリップボードだけ持ってのそのそと、それなりに混んでいる教室内で唯一客もクラスメイトも居ないそこへ向かう。
「ご指名ありがとうございます」
「……ランガくん!」
パッと男が立ち上がった。学校指定の椅子に座らせていることを申し訳ないと感じるほど彼の姿は夜中会う時と変わらない。
「待っていたよ。普段でも充分素敵だけどその格好もよく似合っている。白はいいね、君の色だ。後ろは? はい回って。……リボンがあるじゃないか! ほどいても?」
「ごめん困る。……入れたんだね」
「ああ」
片手でこちらをくるりくるりと回しつつ、どこからか愛抱夢が招待券を取り出した。
「君がくれたコレのおかげだ。お招きありがとう」
「そう」
服とかそれでも平気だったんだと言いたかったんだけど通じなかったか。まあいいや。
「ご注文は」
「もちろん……」
「ランガってのは無しだぞ」
言葉を遮った暦は愛抱夢からの目線も気にせず、彼の胸元にメニューを叩きつけて机に置いてあるタイマーをドンと押すと
「指名は一回五分まで基本一回飲み食い一メニューごとに追加一回! それではご主人様お楽しみくださいませ!」
それだけ一気に言ってまた他のテーブルへ走っていった。
「……です。よろしく」
「ふうん」
ならとりあえず五分、と手を引かれ二人並んで座る。
「何にする?」
何でもというほどではないがメニューは皆でそれなりに揃えた。高校生向けだから大人には味が物足りないだろうし、自分には全然量が足りないけど。
「そうだな……」
考えている、ように見せかけて置かれた手が飲み物のページから少しも動かない。もしかして。じっと見れば「気づかれてしまったか」彼が肩を落とした。
「実は昼食をとったばかりで」
「……何で来たの?」
「ん……悪くない目だ。もっと見て」
からかいで誤魔化される前に思い切り顔を近づける。わずかに見えた目とその周囲は何だか、暗いような。
「この時間しか空いてなくてね」
「忙しいなら……」
「折角君に誘ってもらったのに? それはイヤだ」
長身の彼には低くて落ち着かないのかしょっちゅう足を組み替えるたび椅子がきいきい鳴く。その都度肩がぴくりと反応するのが向かいからだとよく解った。周囲の視線がちくちく刺さる。一応教室内は撮影禁止だけどさっきシャッター音がした。多分こっち向きだった。
何か、もう、全部。
「ごめん」
考えが甘かったというか何も考えてなかったというか。
両手を合わせて頭を下げる。深いため息が聞こえて思わず目もぎゅっと閉じたとき。
「困ったな。喜んでもらいたくて来たんだけど」
「――――」
生徒全員に配られた家族分の招待券。一枚余ってしまったから愛抱夢に渡した。何となく、のつもりだった。けれど
「いいの? ……ありがとう」
受け取った彼の足が踊り出すのを堪えるみたいにすごく震えていることに気づいた瞬間カーテンの内側に隠れていた思いがメインホールへ走り出して、自分はすとんと納得したのだ。
「……ねえランガくん。顔をあげて。できるなら笑って、僕は」
愛抱夢の手がすぐそばにある。
「君の笑顔が見たいんだ」
避けられない。同じだったから。
指先が触れかけて――爆音が響いた。思わず手から離れて音の方向を見る。
「えっ」
タイマーの音ってこんなに大きかったっけ。
「はい五分終了。ついでにうちは触るの禁止」
「……図ったな」
「別にお前以外にもやってますー、厄介そうな客には全員。ほら何か注文しろ」
「……」
メニューを前に眉を寄せる男へ、とんと胸を叩いて見せた。
「愛抱夢、注文して。俺が全部食べるから」
「おいこら」
「来てって頼んだの俺なんだ。お願いします」
「……わかった。ただし一品、それ食ったら終わりな。オーダー! 一番高いの一丁!」
厨房から元気な叫び声が返ってきた。喫茶店のノリではないけど暦はやりやすそうだ。最終日更に楽しみになってきた。どんなラーメン屋になっているだろう。
「つまり追加五分か」
「それでも譲歩してんだよ。用意中はタイマー止めとくし……あとさあ、お前いいの?」
「……何が」
「あんまお前が無茶すると他のお客が勘違いすんぞってこと。ランガはそういうの無しになってるけど、ほら」
暦が何か見せて愛抱夢がカチンと固まった。
「……削除は」
「もうさせた。お前も程々にしといてくれ、怒られるの俺なんだよ……お、できたかな」
戻った暦の両手、特注したお皿にはどーんと積まれた。
「はいお待ち、超でか盛りチャーハン」
「……喫茶店では?」
「なんかそういうものなんだって。面白いよね」
レンゲを受け取って腕まくり。
「あのさ、食べてるときの俺ってけっこう笑ってるらしいよ」
ああ忘れてた。お客さんはこう呼ぶんだった。
「見逃さないで。ご主人様」
タイマーが鳴る。くすりと声がして、やっぱり呼んでよかったと噛み締めた。見たかったんだ、その顔。