こちらで温めておきました 突然現れて、驚いた。前触れなくばあっと出現した顔と腕――よりもそれに首を触られた暦が出した地獄の産声のような絶叫に。まったく準備していなかった自分達どころか、驚かせる側のつもりだっただろう顔と腕の持ち主さえ圧倒するのだから暦はすごい。
「うるさいな……」
「オメーの、せい、だっ!!」
そのうえ器用だ。手足を四方に動かしながらものすごい速さで愛抱夢と会話している。
「後ろから来るな急に顔見せんな触んな俺で遊ぶな」
「遊んでなどいないし別に君でなくとも良かった。勘違いしないでくれる?」
「……倒す……今日こそ絶対メタメタにする……」
「お生憎様。今宵の僕の相手は君じゃない。そうだよね?ランガくん♡会いたかったよ」
「何で今手え振れんの?もうやだお前」
それにしても、あれから何度話してもビーフしてもどうしてこの二人はこうなるのだろう。
勿体ないと思う。暦のアイデアと愛抱夢のテクニックが合わさればワクワクするようなスケートが見られるかもしれないのに。というか見たい。どうにかして一緒に滑りたい。
何とかならないかと二人を見ていれば「無理」と同時に言葉が飛んできた。言っていないのに何故伝わる。
「ところでランガくん」
大股一歩で目の前に現れた愛抱夢は覗き込むようにこちらと視線を合わせると、
「君が居るのに他の人間へ触れる僕を見た感想は?」
特に何も、と返すよりはやく、その首を縦に振った。
「言わないで。聞かなくとも分かるから」
掲げられた手にはいつの間に見覚えのある手首が。どうりで近いし動けないと思った。
ぐっと引き寄せられた身体が一周二周、大きく回る。抵抗はしない。するなら方法を考えなくてはいけないし、この一方的な話が終われば自動的に体も解放されるだろうから。
「寂しい思いをさせたね、だがもう安心して良い」
「そう……」
「不安かい?なら確かめさせてあげる。君が望むなら、いや僕が望むままに今夜は一晩中じっ……くりと愛し合おうじゃないか」
一晩中というのはかなり魅力的なお誘いだ。もともと今日は約束していたけれど一戦のつもりだったし、愛抱夢も大体すぐ帰ってしまう。折角だから頼んでしまおうかな。久しぶりに彼と滑れるだけじゃなくて沢山なんて、なんだかすごく楽しい夜になりそう。
ふいに手肌からごく小さな痛みが伝わった。見れば、グローブと手の境をしきりになぞっていた指先が境に爪を立てている。そうして開いた隙間へするりと。
唐突な他人の温度にこちらが固まるなか回転を止めた愛抱夢が、は、と息を吐いた。
「良い……やはり僕に最も馴染むのは君なんだね」
波打つ手袋に食い込む手のひら。甲を擦られる感覚は慣れなくて変な気分になる。悪いことをしているような。
「改めて確信出来たという点ではアレを経た意味も多少あったようだ。思い出したくはないが」
俺だって思い出さねえし、と皆と共に近づいてきた暦がぼやいた。その手はさかんに首をこすっている。
「まだ感触残ってる……MIYA、火傷とかしてないか見てくれよ」
「してないけど、なんで火傷?」
「愛抱夢の手、めちゃめちゃ熱かったんだ」
「……え?」
思わず暦達の方へ向けた顔を即座に修正し「今は僕を見て僕のことだけ考える時間だろう」不満げな声は告げたが、見ていなくとも考えていたのは彼の事だった。つまり半分。ということで視線だけ戻す。
「暦。愛抱夢の手って熱いのか」
「ん?おお。すげー熱い」
「ふーん」
熱いらしい。けれど、そうだろうか。
軽く力を入れ振れば手はすんなりと愛抱夢の手から離れる。確認だから一応グローブを外してから反転させた手のひらをもう一度添わせた。
ぺたりと伝わってくる彼の温度は。
「俺は、冷たいと思うんだけど」
いつもながらひんやりしている。思い出してみても、これにはっきり熱さを感じたのなんてビーフ中くらい。それなのに暦は熱いと言うからさっきから不思議でたまらなかった。試しに他の皆にも触れてみたけれど自分の手肌がとても熱いわけでもないようで。
やっぱり愛抱夢のそれは皆には温かく自分にだけ冷たい、らしい。
「なんで?」
「なんでって……さあ……直接訊けば?」
それもそうだ。彼は丁度踊るのも話すのも止めている。尋ねれば簡単に答えてくれるだろう。そう予想していたのだけれども、
「愛抱夢。なんで?」
どうしてだろう。唇の端をわずかに震えさせる程度で、答えどころか反応さえ無い。
戸惑っていると、動かなくなってしまった愛抱夢へ背後からつかつか近づいた仲間が、振り切った腕で彼の背を叩いた。
「何でもなにもあるものか。単純にこいつが」
「予定変更!」
まるで言葉を遮るかのような、抜群のタイミングで息を吹き返した愛抱夢が叫ぶ。すっと姿勢を整えた彼は顔をこちらから皆の方へと。そして。
「君達。今から一人ずつ僕とビーフだ。僕が勝ったらこの数分間の記憶を失ってもらう」
「自白になっているぞ」
「愛抱夢そういうところあったんだね。もしかして意外と純情?」
「いいから速く一番手を決めるように。……ランガくん」
「あ、はい」
「すまない。少しだけ待たせていいかな」
はあ、と気の抜けた声が自覚と共に口からもれた。
早速集まり言葉を交わしだした仲間達は、急に決めるなと言いつつも皆どことなく楽しそうに見える。
気持ちは分かる、自分も同じだ。あまり機会のないそれを何度も思い出しては次が楽しみだなあとワクワクしていた。昨日だって、今日の昼間だって。そしてさっき。一度であれなら一晩中何時間もしたら。ビーフでもそうでなくとも遊んだりわざともたせたり少し無茶してみたり見せあうとか振り回すとか――そんなの絶対、楽しいと思ったのに。
すぐ始めるからと皆へ声を掛けた愛抱夢は、今にも身体をひるがえしてスタート地点に向かおうとしている。分かっていた。分かっていたけれど。
「……ランガくん?」
握った手は相変わらず冷たかった。
片手では足りないのかもしれない。両手で表と裏から挟む。まだ駄目そうだったので自分の残っていたグローブと、彼のそれも外した。素肌どうしの方がしっかり温度が伝わる気がする。なんとなく。
それでも冷たいままなので触れ方を変える。強くしたり弱くしたり、きゅっと握ってみたり。接触する面積を増やすのはどうだろう。愛抱夢の真似で、爪の先でくしくしと彼の指と指の間を広げる。そうして出来た隙間に指を入れ絡めた。なるべく沢山、彼のと自分のが触れあえるように。
何か声がしたけれど聞けそうになかった。
今自分はすごく真剣なのだ。真剣に、目の前の手を温めようとしている。
指の腹をさする。関節に沿って往復する。付け根の柔らかいところからすぐ下の出っ張りを撫でて、骨ばった甲を押さえつける。手のひらに薄く残る摩擦の痕を、消えて付いてを繰り返さなければこうはならない固く盛り上がった部分をひたすら刺激する。
自分が触れていない箇所がひとつもなくなっただろうときには、手はすっかり温もりの欠片のようなものをまとっていた。
満足だ。
「愛抱夢、ほら」
「……なにかな」
「ちょっとあったかいだろ」
ああ、か、うん、か。曖昧に愛抱夢は頷く。手の変化を無事彼も感じとれているようだ。そうであれば問題は無い。大事なのは彼の感じ方だから。
冷たく感じる人は後回しだったのか皆と自分が同じように感じなければいけなかったのか。理由はさっぱり分からないけれど、どちらにせよこれで解決だ。
「一晩中はあきらめる……けど、今日あなたと約束してたのは俺で、だから」
そういえば手同士にこだわる必要は無かったな。
温かそうな部分にくっつけるとかで良かったかも。例えばこんな風に、最初彼が自分以外にそうしたように、首とか。
「いちばん初めは、俺としてよ」
何も答えないまま彼はゆっくりと体の向きを変え、そして一番手が決まったからと名を呼ぶ声へ。
「悪いが状況が変わった。再度変更だ――全員今すぐ帰ってくれ」
皆の目が丸くなる。凍った空気のなかでただ一人、愛抱夢はとても楽しそうに踵を響かせた。