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    20211029 デレキ 捏造爆盛り原型皆無パロディ 行為の匂わせ でもファンタジーなら無問題やったね
    童話好きだからもだけどデレキ 本編のある意味好IFがちらほらあるとこが大好き 見つけられたことで自分を見失わずに済んだレキ一回離れられてるカオルとコジロウ主人を止められた犬 一回壊れたから生まれるものもあると思うからどっちが良いかは何ともだけど本編以上にモラルが低下すると世界が平和になるの面白い

    ##明るい
    ##全年齢

    ハッピーエンドはずっと先 昔々のお話です。あるところに名前のない王子様とお姫様。ただきれいなお城で繰り広げられるはたのしいばかりの物語。ラストは当然お約束、二人はいつまでも幸せにsし%あ鸞-^pわ>sえlに??
     昔々――いえ。これは今から始まるお話。王子様にはあの子を据えて、それで終わりの物語。寂しいお城で王様があなたのことを待っている。逃げないで。目を逸らさないで。無かったことになんてしないで。 
     どうか恐れないで。お決まりの酷い結末を共に受け入れてくださいな。
     
     
     これも社会勉強と雪の国から送り出され早数か月。
     新しく出会えた大切な相手と滑る日々は楽しく、美味しい食事にフォークも止まらない。最高の環境だ。これで暇でさえなければ。武闘会もめっきり減ったことで本当に仕事が無くなってしまった。食べてばかり、世話されてばかりの環境は楽だが居心地が悪い。
    「城下町のお店で店員募集してるらしくて。応募してみようかな」
    「困ります」
     眉を下げる侍従長は直立不動。何度向かいの空席に座らないかと誘っても微動だにしない。
    「あの家の住人にでも相談してみては?」
    「レキ、じゃなくてシンデレキは忙しそうだし」
     なんでもガラスのスケートボードを狙う人達に日夜勝負を挑まれているらしい。良いなと言ったらめちゃくちゃな顔をされた。
    「あと一番スネークが話しやすい」
     単純に常に傍に居るのと、意味のない話を聞かせても申し訳ない気持ちがさっぱり沸いてこない。少なくとも彼が自分に仕掛けるサプライズ分――周遊途中で謎の遠回り、昼休憩だと見たこともないレストランに連れて行かれる、ウェイターの真似をしつつ近くで見張り続けそしておそらく来るあの男へ丁重に自分を引き渡す――これと同量程度の迷惑くらいかけても許されるのでは。 
     それにしてもこのレストラン、出てくる物皆美味だが原材料は大丈夫だろうか。自分のもアレだったら嫌だなと他テーブルの皿にちょこんと乗った白いふわふわを見た。ただの綿にしか見えないそれをしずしずと上品に食べていたぬいぐるみ達が「――――」びくりと震え「――――!」何かに導かれるように一斉に立ち上がる。 
     カランカランと落下するカトラリーが拍手のように響くなか、自分が来て以降一度も開かなかった扉が音を立てた。 
     テーブルを侍従長の指先が叩く。確かにフォークを握ったまま出迎えるのは失礼かもしれない。置こうとして――しかしフォークはぐにゃりと捻じれ己を抱きしめるようにくるくると。そうして彼は銀でありながら一輪の薔薇となった。
    「どう?」
     声は真正面から。 
     驚き目線を向ければ、空席だったそこで男が一人ナイフを回している。 
     豪奢な衣装。顔の半分を覆う仮面。絶えず三日月のように吊り上がった唇。そう言えるほど頻繁に会っているわけでもないが、いつだろうと変わらない姿。 
     この国に来た頃は、元王様と食事をする機会にこうも恵まれると思っていなかった。まあこの人とあの国にもう繋がりは無いが。追われたわけだから。
    「……?」
     指に痛みが走る。思わず落とした薔薇はテーブルに当たり何食わぬ顔でフォークに戻ったが、ぷっくりと指の腹に浮かんだ赤い粒はそのまま消えない。どうしようかと見つめていれば、皮手袋に包まれた指先が傷のある指すぐ近くで奇妙な動きを取った。それだけで何もかも、血も傷も全てが姿を消す。
    「今のってフォークの先が刺さったってこと?」
     君は何も分かっちゃいないと魔法使いは笑う。
    「それはフォークだがさっきまでは真実薔薇だった。王子。君を刺したのは冷たい金属なんかじゃない。僕の熱い愛を込めた薔薇の棘だ」
    「あなたの話は難しい」
    「知らないからそう思う」
     ぬいぐるみ達が次々帰っていく。お代も綿なのかと考えている余裕は無い。皿の上に残っていた分を急いでしかし存分に味合わなければ。
    「だが良いだろう。構わない。僕は君と魔法談義をしに来たわけでも君を弟子にしようと考えているわけでもないのだから」
     よし完食。体力も十分。いつでも来い。
    「僕の目的は――これだけだ!」
     指が鳴る。世界が入れ替わる。次々物が消えては増え、まるで仕掛け絵本だ。何が来るか分からないワクワク――は無いがそれ以上のものが待っていることを知る体はそわそわと軽く揺れていた。 
     空中に浮かぶボードを抱きしめるように掴む。不安定な場なのでこうするしかない、と思えば向こうは指先一つで足元に呼びだしていた。うらやましい。いいな、あれ。 
     何もかも変わった世界の入り口に彼と共に立つ。
    「あのさ、さっきの話の続きだけど」
     指さす先には見慣れた城。
    「本当のフォークが本当の薔薇になる――なら、あれも本物?」
    「教えてあげてもいいが少し面白みに欠ける。どうかな、今から一緒に確かめる――というのは」
    「いいよ」
    「そうこなくちゃ」
     元皇帝陛下、国を追われた大悪党、おそろしい魔法使い。そしてたまらない程スケートのうまい男――アダムが差し伸べた手を躊躇なく掴んだ。
    「雪の君。どうか僕と一曲」
    「受けます。よろしく、元王様」
     
    「…………」
     一曲とは、一回という意味では無かったのか。
    「分かっていたがつい、ね?」
     平衡感覚が死んでいる。入れた傍から力を失っていくようで身を起こすこともままならない自分に比べ、視界の端で回る影ときたら。魔法使いは桁違いの体力がなければなれないのだろうか。
    「……アダム」
     倍とは行かずとも、おそらくそれなりに年が離れているだろう男を呼び捨てにするのは本人から望まれたからだ。 
     肩書などもう己には無いからといつかの男は言った。
     ――それに、君となら対等になれる気がする。 
     誘拐した相手に何をと思う反面否定する気にはならず、それからずっとそのままでいる。 
     話しだそうとする口を「待って」で制したアダムは大股で寄ってくると、仰向けに倒れたこちらの背と地面の間に腕を差し込んだ。抱き起す力加減は、例えば積み重ねたアイスをベンチまで運ぶとか細い路地で眠る猫の横を抜けるみたく、繊細に調節されている。城の人たちにだってここまで気を遣われることはない。
     起こされた上半身。真っ直ぐに交わる視線にアダムが満足そうに息を吐いた。 
     傷つけたくないらしい。たぶん、仲良くなりたいらしい。
     ここまで丁重に扱われてなおそれが憶測の範疇を越えないのは彼の行いと繋がらないように思えるからだ。期間もタイミングもバラバラな誘拐達はどれ一つ突発的な、もしくは侍従長の独断からの行動では無く、この男の命令で自分は幾度も自由を奪われかけている。友人達と引き離す。他人を危険にさらす。そういう行為を平気でしたかと思えば、こんな風に優しく触れてきたりする。 
     彼の核がいまいち分からない。 
     魔法使いとは皆こんな不条理な生き物なのだろうか。判断ができない、雪の国には居なかった。この国に来るまでの自分にとって異能の彼らは寝物語のなかの存在で、嘘か本当か分からない子供向けの作り話だった。心を読む。姿を自在に変える。人間を困らせる。けれどそれは、彼らがそんなやり方しか人との関わる方法を知らないからなのだと、言ったのは父だったか母だったか。それとも。 
     気の抜けた手で上着の内を探れば紙の感触。折り目は付いていないようだ。一安心して、取り出した封筒を傍らの胸元にぽんと置いた。
    「どうぞ」
     片手で器用に開けたアダムは、入れておいた招待状をしげしげと眺め自分が書いた文をなぞる。
    「来ない?」
     久しぶりに武闘会を開くことになった。というのもシンデレキに頼まれたのだ、挑みたいと言ってくる人が多すぎるのでもう全員まとめて戦わせた方が早いからと。つまるところただの場所貸しだが。
    「大勢来るって。きっと賑やかな武闘会になる」
     喜びそうな言葉を選んだつもりだったがアダムは不快そうに顔をしかめる。
    「大勢?賑やか?」
    「いや?」
    「嫌だね。有象無象が何人居たってつまらないのに変わりはない」
    「そうかな、意外と」
    「いいや。僕と対等に滑れるのは一人だけ。君だけだ」
     言葉と共に握り込まれた招待状はくしゃりとも音をたてず、開かれた手の内に一片の切れ端すら残さずに消えた。

      
    「だから言ったろ。誘っても断られるって」
     ガラスのボードを片手に下げ、友人は大げさに息を吐く。
    「なんでレキは分かってたんだ?」
    「分かるだろ。俺じゃなくても。フツー」
     分かってないのなんてお前くらいだよ、と肩を叩こうとした手が直前で止まった。その手首には一回り大きな手指ががっちりと。
    「いでで、何すんだよマジックジョー!」
    「そこまで言うならマッスルも付けろ。感謝しろよシンデレキ、お前のピンチをまた救ってやったんだ」
     ちょいちょいとジョーが振る親指の先にはこれから一緒に滑る予定のプレーヤー達。彼女らがどうかしたのだろうか。分からないが、横のレキはすっかり青ざめている。 
     ぼそぼそと告げられた感謝に手首を離し、ジョーはこちらへ。触れないギリギリまで近づくと周囲に聞こえないだろう小さな声で問いかけた。
    「ところで王子、悪逆皇帝が来ないっつうのは確かだろうな?」
    「え、うん」
    「そうか。だが一応用心しとけよ」
     辺りを見回す目にどこか緊張感をまとわし筋肉の魔法使いは囁く。
    「会場内に感じる魔力がどうもあいつの波長に近い。弱っちいし一人で出しているにしちゃあ範囲も広すぎるから、気のせいかもしれんが……」
    「居るのか」
    「まあ待て、まだ何とも……なんだ王子、その顔」
     顔とは。思わず頬を押さえたが特におかしな感じはしない。
    「おかしくなってないのがおかしいんだよ。アイツ相手に」
     魔法使いは「いいか王子、アイツは――」と何か続けかけたが、最後まで言い終わることなく口を閉じた。というよりも閉じさせられていた。後頭部へしたたかに叩きつけられた扇子によって。
    「この無駄筋肉魔法使い、王子にまでお前ら特有の回りくどい言い回しを使うんじゃない」
    「お前ら?俺とアイツを一括りにするな」
    「そうだな。魔力量も才もアレは桁違いだ。一緒にするべきではなかった」
    「筋肉量と一日の筋トレ時間と料理の腕は俺の方が上だ」
    「そんなもので対抗できると思っているからお前の魔法はポンコツのままなんだよ!」
    「んだとお!?大体俺の魔力量が低いのはお前が――あ、こら待ちやがれ、おい!……王子、とにかく気をつけろよ!」
     慌ただしく二人が去って行く方向に続々客が集まっている。時計台が指し示す時間によれば、スタートまであと少しだ。
    「シンデレキ!王子!」
    「始まるよ!」
     無差別格闘戦に向け一歩踏み出した背中に、軽い衝撃。
    「やべ、ついやっちまった。……まあいいや」
     もう一度強く叩かれ数歩よろければ「シャキッとしろよ」と明るい声がついてきた。
    「主役がそんなやる気なくてどうすんだ?」
    「もう俺じゃない。レキと戦いたくて皆来てるんだから、主役はレキだ」
    「いーや、お前だよ」
     無理やり立たされた先頭。自然と集まる視線から早く解放されたい。
     家族の元に向かうレキがこちらも見ずに叫んだ。
    「捕まるんじゃねえぞ。俺らの王子サマ!」
     言われなくてもそうするつもりだ。捕まったら楽しい時間が終わってしまう。 
     けれど――一度だってこの時間に捕まったことはなかったけれど。その結果はどうだろう。彼女に会うまで楽しいと言い切れる時間が一度だってあっただろうか。誰も居ない孤独な道。そんな物望んでいるわけでは無かったのに。 
     考えを断ち切るように鐘の音が耳に届いた。これが余韻ごと消え、再び打たれたときスタートだ。
     背後では誰もが身を屈めその瞬間を今か今かと待っている。それはもうぴったりと、ほぼ全員が全く同じ態勢をとって。何か不思議な気もするが――考えるには時間が足りない。 
     鐘が鳴った。 
     跳び出す。まず距離を取るため速度を上げ。
    「――――」
     驚いた。この時点で振り切れない参加者が数人居る。 
     こんなこと初めてだ。変わったのは自分、それとも皆――いや。 
     何だって構わない。
     嬉しい。
    「……っは……!」
     吸う息が体内をほんの少し熱くする。どれくらい高められるだろうか。 
     分からない。 
     じゃあ、行けるところまで。
     
     ――クレイジーロック城。数多のプレーヤー達が栄光を、時には一人の男を巡り争う夢の戦場は今、かつてなく荒々しい空気に支配されています。
     衣装を乱し襲い来る敵から必死で逃げる少女――名はシンデレキ。雪の国の王子と互いを見つけあった彼女はその際魔法使いから授けられたガラスのボードを乗りこなしているものの、どうしたのでしょう。いつもの元気がありません。
    「なんかおかしい……何かは言えねえけど、絶対!」
    「妹に同意なんてね、でも確かに変!」
     近くで悔しそうに頷くのは姉のMIYA。小さな体躯に見合わない才能の持ち主でその実力はシンデレキを遥かに凌ぎます。 
     他にも、もう一人の姉であるチェリーや彼女らの継母シャドウ。戦闘意欲に溢れたジャンキー揃いのシンデレキ一家が何故か末の娘と同じ位置で手間取っている、その理由とは。
    「また来るわよう!」
    「マジ!?」
     スタート時から、彼女達は他のプレーヤー一群に徹底的にマークされていました。その一群というのが不思議な事に焼こうが轢こうが一切レースから降りようとせず、ふらふらとボードに乗っては襲い掛かってくるのです。これには凶悪な継母すら応戦するのを止めひたすら避けるのみ。普段通り滑れるわけもなく苦しそうな彼女達ですが、かといってプレーヤー達を引き離すことも出来ません。
    「何なんだよこいつらの動きは……!?」
     大胆な動きを細い手足で、時にはそれを壊しかねない無茶も表情一つ変えずに行うプレーヤー達はたいへん不気味。一歩ずつ着実に追い込まれていくシンデレキ一家。そこへ、
    「……ああクソ、分かった!いやそうでなけりゃその方がずっと良いが、しかし!」
     逞しい肉体でプレーヤー達を鎮圧していた筋肉の魔法使い・ジョーが突如叫びます。
    「お前らはこの子達をなるべく俺の方へ誘導しろ!なんとか出来るのは俺だけだ!」
    「どういう事だ!?」
    「説明は後でする、とりあえず今はこっちが先だ。早く!」
     早速おびき寄せた一人のプレーヤーにジョーは拳を軽く、それだけで先程まで踊るように滑っていた少女があっさりと、眠るように崩れ落ちました。
    「――確定か」
     ジョーの拳がまとう僅かな魔力。それに拒絶反応を示すという事はつまり少女の身体に人間以外――おそらく他魔法使いの魔力が通っていたということです。不思議ですね。 
     沿道に昏倒した体を横たわらせたジョーは、その指先に細く透明な何かが絡みついていることに気づき奥歯を噛み締めました。
    「繰り糸……何を考えてやがる――アダム!」
     さあ。なんでしょう?
     

     楽しい。楽しい。楽しいしか分からない。まるでレキと初めて滑った日のようだ。追いついてくれる人が居る、一緒に滑ってくれる人が居るのは、なんて幸せなことだろう。
    「……この先の、少し細いところ。知ってる?」
     幸せすぎて、欲が出てしまう。
    「レキはね、そういうのは無理だって言うんだ。危ないところばっか狙わなくていいだろって」
     分かっている。
     こんな事をしなくとも彼女と滑るのは十分楽しい。だから無理強いはしなかった。自分も危険に身を晒したいわけではない。仕方ないのだ。
    「――思っていただろう」
     けれどアダムは言った。
    「え?」
    「昨夜、あの瞬間。君は確かに思っていた」
     言い当てられたショックでぼうっとしていた自分に、更に彼は。
    「跳んでしまえばよかったのに」
    「だめだよ。危ないから」
    「危険だが君ならそれくらい簡単だ」
    「でも」
    「……実は僕も以前同じ想いを抱いた。既に確認は済ませてある」
    「!」
     思い出すと少し恥ずかしい反応。身を乗り出し、じいっと顔を見つめ。けれどそれくらい興味をそそられていた。
    「ど、どうだった?」
    「何も危なくなかった。それどころか最高だった。ぜひ君にも知ってほしい」
     最高なのか。それは――。
    「……ねえランガくん。良いんだよ。誰かに合わせて我慢しなくて僕等はいいんだ。望んだように、思うがまま、自由に……」
     言葉は心の深くへ。根本をぐらぐらと揺らし、そしてなにかが崩壊する音が、耳の奥でした。
    「――いいの?」
     アダムは。
    「今度やってみればって……だから、良かったら一緒に」
     プレーヤー達は手足こそ出すが口は閉じ反応も返さない。以前はもっと叫び声とかしていた気がするが、彼女達も自分のスケートさえ変えてしまうような存在と出会ったのだろうか。もしかしてレキだったり。 
     ここを跳んだら聞いてみようと、そう思った。
    「――――――」
     本能的な恐怖に全身が泡立つ。
     ここは空だ。自分は今、空の中に居る。 
     多分人間はこんな場所に居たら駄目だと思う。一歩間違えば死ぬから。そりゃレキも止める。 
     そう分かっているのに、
    「……っ」
     落下に合わせて空気が肌を擦れるのが気持ち良い。支えがないから自由だ。勝手に頭の中がすっきりしていく。
     ボードが地面に着きそう。どうすればいいかなんて考えられなくて、けれど身体は動き出していた。纏わりつく重力は空の大気が払ってしまった。体が軽くて息がしやすい。それなのに世界は簡単に置いていける。
     暑くもなく苦しくもない。止められない荒い息が、むしろ。
    「きもち、い……って、あれ……?」
     影は一人分。自分の分だけ。
    「どうして、さっきまで」
     飛び降りたあの場所を仰ぎ見て、今度こそ本当に息が詰まる。 
     少女達は皆落ちる一歩手前の地点で棒のように立っていた。
    「……あ」
     目が。何も考えていないみたいな真っ暗な瞳がずっとこちらに向いている。ひどく嫌な気分だ。だってそれは違うものを見る目だ。 
     選ばなければよかった。あの子たちも一緒では無かった。レキは――居ない。皆も。どこに行ったのだろう。
     また一人に。
    「……っ、だれか……」
     そうだ、彼ならここまで来られる筈。
    「……アダム……!」
     視界を一瞬埋め尽くした茨の壁。恐ろしい光景に感じたのは安堵だった。 
     捻じ曲がりながら人の形をとった生垣は瞬きの間に蔓を、棘を無くし独りぼっちを二人へと変える。
    「君から呼んでくれるなんて嬉しいよ。迎えに行く手間が省け……おや」
     自分達の居場所を一瞬で把握したらしい男は、ぶわりと喜びにその身を包んだ。
    「おやおやおや!やはり跳んでいたんだねランガくん!」
     踊る。気まぐれに動いた手が土や地面に触れるとたちまちに緑が、蕾が。殺風景だった景色が色付いていく。この男が来た途端世界はすっかりうるさくなって――ああ、でも。賑やかな方が好きだ。
    「急に視界から消えたからもしやと思ったが。どうだい、良かったろう?」
    「うん……でも、もうしない」
     もっと喜べと誘う声には悪いがとてもそんな気にはなれない。
     随分遠く、豆粒のようになってしまった影がまだこちらを見ている。先に行く自分を許せないように。
    「これは一人になる、だから」
    「一人?僕が来たのに?」
     確かに今はアダムが居る、奇跡に近い偶然で。二度目は無いだろう。
    「何度だって君が呼べば来るよ。それともあれらの方がいい?多少能力を向上させたところで相手にならない、しまいには恐怖で勝手に足を止める木偶共と踊りたいのかい、ええ王子?」
    「……?いや……」
     勘違いだ。どっちが良いなんてない。どちらもとても楽しい、それだけだ。
    「……そう。君を理解しない彼らと僕を同列にするの」
     通ってきた道、岩肌はすっかりその体を緑に覆われている。 
     アダムが毒々しい溜息を吐くと蕾達が一斉に身を広げた。視界は見る間に赤く染まり瞬きより早く、黒く。枯れ、萎び、散らされた花弁が風に乗る。赤黒い一片を視線が追ったそのとき、
    「つかまえた」
     一瞬だった。花びら一枚分。たったそれだけの隙を見せただけでアダムの手は自分を捕らえていた。 
     これ程までに、簡単に。 
     事実が実感となってじわじわと心にしみこんでくる。
    「こんな真似を彼女らができる?他の娘は?君のお気に入りのあの子は?できやしないだろう。僕だけなんだよ」
     そうかな。できるかどうかなんて分からない。誰もしてくれなかったから。この人以外。 
     誰かと滑る、熱くてドキドキして楽しくなる、それが当たり前で。けれどアダムと滑るとそれだけで終われなくなってしまう。知らない何かが心の中で産声をあげる。頭が割れるような痛みが腹を満たす。あべこべな感情で冷えきった手足のなか、彼に触れられているところだけぐるぐるとぞわぞわでメチャクチャだ。
    「僕だけが君を捕らえられる。君と滑る資格を持っている。唯一で対等な存在――」
     そうなのだろうか。そうなのかもしれない。よく分からない。この国は考え事をするには暑すぎて、なにか思うには心の内側が焼けるようで。
    「だって君は僕なんだから」
    「は?」 
     なんだそれ。 
     あまりに理解できない言動が脳を冷やす。指先が震えだすが今自分は板の上、コースの上を走っている。身体の一部を掴まれている以上アダムから距離をとることはできない。ましてや止まれもしない。ちかちかと点滅する意識を食い止めるように両足に力を込めた。
    「……あ、あなたは俺じゃない」
    「分かってくれないのか」
     自分なりの必死の否定を流したアダムは身体を離し、替わって頬を。近づく顔と顔。仮面の奥がのぞける距離は多分初めてだ。コンポートのような血のような熱っぽい赤色。見て、と小さく声が聞こえたけれど、そう言われる必要なんてちっとも無かった。目が離せない。 
     まるであの道を見てああ跳べるなと思った時のようだ。 
     もうしないと宣言した理由はひとつだけではない。孤独になるのは怖くて、けれど一瞬たとえ孤独になるとしても欲しいと、そんな考えが頭をよぎったことの方がずっと怖かった。あの気持ちよさ。何もかも捨てたくなるような未曽有の快楽。今、彼の瞳からあれに似たものを感じている。
    「ランガくん。楽しいことをしたくはない?」
    「したい」
     導かれるように、迷うことなく口が動く。
    「ドキドキするようなことは?恐ろしいこと、危険なこと。けれどとても気持ちの良いことは?」
    「したい」
    「いいね。なら、始めよう」
     ランガくん。自分をそう呼ぶのは一人、あの日突然現れて物語を壊してしまった、目の前の男だけだ。
    「僕の名前を呼んで」
    「……アダム?」
    「――――よせランガッ!答えるんじゃあない!」
     頭を揺らすような叫びに崩れたバランス。くらりと傾いた身体はアダムの腕の中へ、収められるように抱きこまれる。何故か身体が重だるくてボードから落ちないのがやっとだ。
    「一歩遅いな魔法使い。君らしい」
     先程声が聞こえた方向へ何とか振り向けば、かすむ視界に主張する筋骨隆々の大男。
    「既に魔法は発動した。人間に与する日和見魔法使いの出る幕では無いよ。大人しく舞台袖に引っ込んでいれば?」
    「お前こそ暢気に隠居していろよ古い怪物。お前みたいな奴がのさばっていると俺の商売がやりにくくなる。営業妨害だぞ」
    「奇遇だね。僕も君みたいな可哀そうな人間を見境なく助ける奴のせいで他の魔法使いまで便利屋扱いされる現状に胸を痛めている」
    「助けて何が悪い」
     強く胸を叩く音は、そのままジョーの意志の強さを表しているようだ。
    「辛く苦しい生を送る奴は今後一生そのままなんて話があるか。それを覆すために魔法なんて馬鹿げたもんがあって俺らみたいな馬鹿げた存在が居る。俺はそう思っている」
     真っ直ぐな言葉を受け取った『そう思わない』もう一人の魔法使いは笑うのを止め、は、と息を吐いた。せせら笑いにも似た一声はしかしそれ以上に、堪えきれない痛みをなお我慢しようとするそれを思わせる。
    「苦しんだら幸せになれるのか。君たちの世界は実に、気持ち悪い」
     顔を見ておけばよかった。脱力した身体をなんとか動かそうと試みたそのとき、力を増した背中の腕により頭を胸板へ押し付けられる。息さえままならないなか、全身を大きな何かに叩きつけられたような衝撃が走った。身は倒れようとしアダムの腕がそれを阻む。数秒間だったと思う。長い数秒だった。 
     優しく、地面に座り込むように落とされ、ようやく無理やりに自分ごとアダムがボードを止めたのだと気付いた。自分達を追い抜いたジョーが遠くで止まり走ってくるのが見える。その速度はスケート中並みに速く、けれど到底間に合わない。自分たちの前に現れた扉をアダムが抜ける方がずっと早い。
    「覚えておいて。これが一度目だ」
     言葉と共に扉は閉まり、消えた。 
     
     
     アダムが扉の向こうに消えて丁度半日。さんさんと射し込む日差しに窓辺の小鳥はピヨピヨと。良い昼だが城内の人間はあまり楽しめていないようで皆目を擦りしょっちゅう欠伸している。
     あれから、ジョーの肩を借り長い坂を上った。大量に積み重なった眠る招待客とボロボロのシンデレキ一家を城内総出で助けていたら終わりの鐘が鳴り、自分は誰にも捕まらなかったことになった。それはそうだろう。あの時のことだって城の外には『二人はいつまでも幸せに暮らしました』までしか伝わっていない、追い出した皇帝が戻ってきたなんて広まれば国は大混乱だ。
     
     幸い招待客の少女達から怪我人は出なかった。ただ全員筋肉痛を訴えているのと記憶があやふやらしい。昨夜のことどころかここ数日、エントリーを決めた辺りから何も思い出せない子も居るのだとか。それなのに皆怒るどころか楽しげに帰っていったそうだ。シンデレキ一家の回復力といいこの国の人は元気に育つのだろうか。 
     そして自分はといえば、
    「おかわりください」
     なんだか分からないがすごくお腹が減っていた。
    「おう食っとけ食っとけ。回復にはこれが一番だ」
     あまりにも自然に城の厨房へ入ったジョーが運んでくる肉・魚・炭水化物。
    「わあ……!」
    「回復メニューにしちゃガッツリし過ぎじゃね?」
    「普通の回復とは違うからな。全力で立ちまわっていたオマエらと違って王子の身体は大して疲労してはいない、だが」
     パイに差し込まれるナイフ。香草とバターの香りがふわり広がり開いた断面の美しさに胃が沸き立つ。
    「おそらく内側がまずい。奴が消える寸前、あの時の王子にはどう見ても催眠(ヒュプノ)がかかっていた」
    「催眠?」
    「呪いの部類だが魔法使いも扱う技術だ。言葉を使って相手の心を開きその隙間を自分の魔力で埋める。あとはもう好き放題、操り放題。もちろん魔法もかけ放題」
    「昨日の小娘共も?」
    「そういう事だろう。娘さん方から文句が出なかったのも納得がいく。アレやられると気分がなあ……」
    「最悪?」
    「逆。良くなっちまう。多少痛い目見ても許せるくらい……だから王子。今お前があの陰険皇帝に何も感じてなかったとしてもそれは催眠のせいだぞ」
     大きめに取り分けたパイと忠告を自分に渡し、ジョーは不機嫌を露わにぐちぐちと。
    「魔法っつうのはノリと合意!駄目と言わせないようにしてから『いいかな』なんつうのは後々訴えられてもおかしくねえ御法度なんだよ、一人で何個タブーやぶりゃ気が済むんだあの野郎……!」
    「あんたそれ魔法の話?」
    「よく分かんねえ魔法使い論はいいから、ランガの話してくれよ」
     話を戻せと明るくカトラリーを打つレキだが、手元のパイは極小に切り分けられていた。もしかすると彼女が一番事態に真剣かもしれない。
    「こいつ何されたんだ?痛いこととか……まさか死んだりしねえよな」
    「それは」
     言葉を切りジョーは腕を組む。
    「ない……とは言い切れん。全て王子次第だ」
    「俺次第?」
    「ああ。……まず王子がかけられた魔法についてだが正確には魔法より契約に近い」
    「アイツそんなんばっかだな。魔法らしい魔法なんて、仮面くらいじゃん」
    「そう言うな。こればかりは本人の素養と師匠の教え方だ」
    「魔法使いには師匠が居るのか」
    「一部だがな。あれだけやれるなら大魔法使いの一人や二人師事しているだろうよ。魔法使い同士のライン――もしくは血族によって次代の魔法使いは作られる。おそらくアイツもそのクチだ」
     血族――意識出来ていなかったが、魔法使いにも家族は存在する。自分と父母のような繋がりがあの男にもあるのだろう。
    「話を戻すぞ。発動に必要な手順は二つ。相手を助けた功績と、相手から助けを求められること。王子、アイツとメシとか行ったか」
    「行った」
    「ならそれが功績だ」
    「そんなんでいいのかよ?」
    「食事を振舞うのもまあざっくりとは人助けだ。目安の命一つ分までは回数で稼いだんだろう。あとは求めだがこれは考えるまでも無い」
    「え?」
    「招待状、出したんだろ。それで成立する」
    「……あ、うん」
     違う。招待状なら握りつぶされた。 
     自分が彼を呼んだとすればあの瞬間、一人は嫌だとその名を呼んだとき。
    「ランガ王子が求めたからアダムは応えられた。酷なことを言うようだが、あれを招いたのはお前だ」
     ジョーの言葉は、おそらく彼が思っているよりずっと正しい。
    「……で、ここからが本題。魔法の『中身』だ。王子。昨夜アダムが言っていた事を覚えているか」
    「うん。俺とアダムが――じゃ、なくて」
     最も強く覚えていた言葉は、しかしこの場には関係ないのだろう。今求められているのはその後のやり取り。 
     ――楽しいことがしたいか。ドキドキするようなことがしたいか。それなら始めよう。
    「……名前を呼んで。それと、これが一度目だ……だったかな」
    「それだ。予想では、ランガ王子は今後もう二度同じように名を問われる。そして最悪の場合、三回目が終了した瞬間アダムの所有物になる」
    「――は?」
    「はあぁー!?」
     腰が抜けかけた自分と対照的にガチャンと椅子から立ち上がったレキはジョーへ、矢を射るように次々質問未満の言葉をぶつけていく。 
     乱暴すぎる、無茶苦茶だ、魔法なら何しても良いわけじゃない。
     レキの言葉全てをジョーは否定しなかった。
    「その通りだが分かるだろ、そんなあっさり生き物の所有権を手に出来る存在なぞまず人間と共生出来ん。こういう準備と効果が釣り合わない魔法には大抵バカでかい欠陥があるもんだ」
     魔法使いの語りによるとアダムが仕掛けたそれは本来子供向けの遊びであり、凶悪に改造していようと古来の言い伝えに則った部分だけは変えられない、つまりその簡単すぎる解き方も変わっていないのだとか。
    「三回。その間にただ名を当てれば良い。当たった時点で魔法は無効になる」
    「なんだ簡単じゃん。お前はアダムだ!って言ってやりゃあいいんだろ?」
    「いや……レキ、違うよ。だって俺は」
     確かに自分の口はアダムと彼の名を呼んだ。しかしジョーの見立てでは魔法は発動し続けている。 
     これは一体どうなっているのかと視線で問えば、魔法使いは眉をきつく寄せた。己の考えが嘘であればと、そう思っているかのように。
    「当てさせる名前は質問者側が選べる。おそらくアダムが選んだのは――真名だ」
     真名。レキ達から聞いたことがある。この国特有の風習で、彼ら国民は二つ呼び名を持つのだ。生まれた時付けられる真名とそれを隠すための名前。悪いものに見つからないように、知られないよう守る――そうだが実際形骸化しているらしい。隣の人なんか名前がシンデレキで真名がレキだ。決まりとして続いているだけで現代では意味も無いに等しいのだろう。 
     しかしジョーの発言に、にわかに大人達は顔色を変える。
    「それなら……まずいな」
    「ああ。状況は最悪だ」
    「何で?ただの真名だろう?」
    「ただの真名だがそう言い切るには相手が悪過ぎる――――いいか王子。よく聞け」
     彼等の狼狽、その理由をすぐに自分も理解することとなった。
    「魔法使いは真名を隠す。なかでもアイツは特別だ」
     悪い予感がする。
    「アダムの真名を知る者と、俺は一人だって会った事が無い」
     
     
     慰めも助言も流石に出ず食事は終わり、各々友人たちは生活へと戻っていった。自分はといえば、ひとまず情報収集からはじめようと城の下部に居る。インクと紙の香りが鼻をつくここは城とそこに居た人々の記録を残すための場所、その筈だが。
    「無い」
     真名どころか、アダムに関する情報が一つも見当たらい。
    「全て焼却処分済みです。諦めてください」
    「諦めたら俺アダムの所有物……?なんですけど」
    「何か問題でも?」
     大問題だ。所有物とは具体的にどんな存在か、レキと家族とスケートと食事と引き離されるなら悪いが受け入れられない。
    「大丈夫、懇願すればある程度の自由意思は残ります。あらゆる命令に逆らえなくなり根底にアダムへの忠誠心と愛が植えつけられるだけです、さあ帰りましょう」
    「大丈夫じゃないしだけでもない」
     無理やり気味に連れて来られたのが不満なのか侍従長はぐいぐい背中を押してくる。押し返しもう少しと頼みながらふと気づいた。そうか、この人が居る。
    「ならスネークに訊く。アダムってどんな人?何をしたの?」
     問いかけに暗い無表情は更に沈んだが「命令です」と重ねれば仕方なそうに口が開かれた。
    「二つ名の通り。国民に対し悪逆と非道の限りを尽くしました」
    「あくぎゃく」
    「とてつもない悪ということです。王子の思うとても悪い行いを想像してください」
     食い逃げ。万引き。買占め。
    「即位時のアダムはその百倍悪でした」
     それは本当に悪い。店が潰れる。
    「千倍になりかねなかったところを私と衛兵達で止めました……が、冗談でなく一夜で国が滅びかけた」
     他国の醜聞なんて当然初めて聞いた。知らずに接していたが、この自分が見終えた紙束を整えてくれている男は実のところ国の英雄的存在なわけだ。
    「いいえ。ほぼ騙し討ちに近い反逆など決して誇れる行いではありません。特に私は――本来私だけはあの方の傍に居なければいけなかったのに」
     見終わった紙束を纏めながらスネークが横顔を僅かに歪ませる。
    「主人の罪は私の罪。いえそれ以上に、我々は罪を犯した」
    「我々……?」
     繰り返したこちらを流し、紙束を棚へ。振り返った顔にもう歪みは無い。
    「何でもありません。過去はともかくアダムは所有物には優しく寛大です。なので安心して、残り二回間違えてください」
     今の話を聞いてそう思える人がどれだけ居るだろうか。少なくとも自分はより一層あの男の真名を知らなければいけないと思った。 
     けれどいくら決意を固めようが、手掛かりが今のところ零であることは揺らがない。
    「シンデレキがレキなら、アダムだからム?」
    「真名に法則的な物はありません。それにあの大雑把そうな少女と違いアダムは名前も真剣に考えていました」
    「考える……アダムは自分で名前を考えた?親は?」
    「名乗りだしたのは成長しこの国を手に入れられてから、決めたのも当然アダム自身です。彼の生まれ故郷では名は一つだったので」
     ということは、アダムもこの国に『居た』のではなく『来た』側か。少しだけ親近感が沸く。
    「私もアダムが姿を消してからですね、名乗りだしたのは。それ以前はあの方にお前にはもう犬という名があるのだからと止められていて……」
    「ずっと一緒に居るの?幼馴染?」
    「いえ。私とアダムは犬と主人でありそれ以外にはなり得ません。ただ幼い頃から共に居るだけです」
     それをいわゆる幼馴染と言うのでは。
    「スネークくらい仲良かったら真名も知ってたりしない?」
    「仲が良いはお止めください、アダムの耳に入ればどうなることか。確かに真名は知っていますが」
    「……知ってる?」
    「知っています。この国に来るまでは呼んでいました、ですが……」
    「待って」
     部屋の荷物の少ないところに移動する。ここなら多分大丈夫だろう。軽く動いたり――スクワットしても。
    「マッスル、マッスル、マッスル……」
    「王子、何を」
    「――マッスルー!呼んだか王子」
     本の山から筋肉が現れた。 
     食事後に教わっておいた『緊急呼び出し法』だ。万が一アダムが来た時用にという話だったけど間違いなく今も緊急なので仕方ない。 
     事態を説明するとジョーは驚くほど素早く動きアダムの元兼現家臣を捕まえてしまったが、
    「言っておくが魔法使い、私に何をしようがあの方の真名は分からないままだぞ」
     慌てる様子も無くスネークは自らの喉を叩いた。すると浮き出る赤い線。首全体をぐるりと回る細さは、人の身体が自然に作り出せる色と形ではない。
    「げ」
    「何の痕?」
    「傷痕ではなくアダムの魔法です。喉の一部を封じ言葉を奪う。解かれない限り私は一生彼の真名を言えません。これもまたひとつの枷ですね……」
     何故かうっとり語るスネークにジョーは近づきその首に手を掛ける。
    「何だ?これは私だけの物。あの方の同胞と言えど譲る気はない。諦めろ」
    「要らねえよ。一応解けるか試す、王子は……」
    「あっち行ってくる」
     先程ジョーが本を崩したことで生まれた更に奥へ続く道。二人を置いてそちらへ進むこと数分、広い空間に出た。本以外も雑多に置かれていることからどうやら倉庫的に使われていたらしい。部屋自体は余裕があるが、あまり長く留まりたくない埃臭さだ。 
     一番奥に小窓が見える。アレを開ければ少しは風が通るかもしれない。
     歩き出し、
    「いだっ!」
     数歩で何か固い物につまずいた。 
     爪先の痛みと舞い上がる埃にせき込みつつ固いうえ重く大きいそれに触れる。包む布を払えば中からは、額縁に囲まれたキャンバスが出てきた。肖像画だ。描かれているのは誰だろう。豪華な衣装をまとい玉座らしき椅子に座る姿からして王様のようだが、誰かは判別できそうにない。 
     絵の中の王はその顔全てを仮面で覆い隠している。 
     上手く表せないが、不安になる絵だと思った。そこに居るのに居ない気がする。からっぽの王様がからっぽの玉座に座っているような。 
     布があったとはいえきれいなキャンバスへ、なんとなく触れようとした手が、黒い手に阻まれる。
    「やあ」
     声は昨夜と同じだ。
    「会いたかっただろう。僕もだよ」
    「……アダム」
    「驚かせたかな。昨日の今日というのも面白いかと思ったんだが。丁度あの魔法使いの注意も逸れているしね」
     アダムの口振りからしてジョーはまだスネークと一緒らしい。つまり声を出したところで。
    「誰も来ないよ」
     絵画が蹴られ、呆気なく床を滑った。
    「二度目といこうか。さあ王子。僕の名を」
    「……真名ならまだ分かってない」
    「そうか。じゃあ君の負けだ」
     これで二度。あっという間に追い込まれてしまったわけだ。
     今この場でもう一度聞かれればそれで簡単に終わる。
    「そんなことするものか。勿体ない。三度目はずっと間を開けるつもりだ。何だったら約束したっていい」
    「……なんで?勝てるのに」
    「僕の勝ちは確定している。少しでも長く君のその表情を味わっておきたいんだ……もう見られないから」
     頬近くに伸ばされた手をついかわす。怒るどころかアダムは楽しげに指を揺らした。
    「君が僕の物になったら、もうそんな顔させない。ずっと幸せなままでいさせてあげる。だから今はそうやって怯えていて。僕の君」
     彼の言葉で初めて気づいた。そうか。今自分は、怯えているのか。
     
    「……おっ、王子。悪いがこりゃ無理だ。一生解かない前提で作られてやがる」
    「当然だ。アダムに抜かりはない」
    「いちいち言い方がなあ。そっちはどうだ、目ぼしい資料でも見つかったか」
    「ううん」
     見つからなかったし、そもそも探すどころではなかった。
    「ジョー。スネーク」
     あと一回になった。告げると二人の顔は対極に変化した。
     
     一通り状況を説明し終わるころには、レキの周囲に無い雨雲が見えるようになっていた。
    「こんな感じ。どうしようか」
     俺に聞くなよと返す声も細い。無理もない、たった一日でここまで状況が悪化するとは自分も思っていなかった。
    「俺がアダムのものになっても一緒に滑ってくれる?」
    「やめろよ、そういうの。泣くぞ」
     こんな悲しい愚痴も時間を割き聞いてくれる優しい彼女を泣かせたくはないし、いきなり自分が他人の物になるのもしっくりこない。どうにかしたいところだが状況はかなり厳しかった。城の下部はあの後急に封鎖されてしまったしスネークからは聞き出せそうにない。
    「そうだ!いっそ城の一番奥にこもって」
    「レキ」
    「……うん、悪い」
     つい言ってしまったのだろうが、彼女も知っている通りアダムは何処からでも出てくる。大体自分を攫うのもクレイジーロック城周りの坂とか中とかだし。隠れてやり過ごすのは不可能だ。
    「とりあえずはまた情報収集……でもあと一回なんだよな。ぐう……時間が足りねえ……」
    「時間は多分平気、むしろけっこうあると思う」
     さてこれを一番無駄なく使うにはどうするべきか。 
     何処かに居ればいいのに。アダムについて詳しく知っていてかつ自分が話を聞きに行けるような――。
    「……居る」
     一人居る。条件に完全合致した人。人というか、魔法使い。
    「決めた。レキ、俺行ってくる」
    「どこへ?」
    「もちろん――」
     
    「――お邪魔します!」
     馬車に揺られて辿り着いたのはどこにあるのか定かでない古びた城。気合いを入れて扉を開けば相変わらず広いホールが自分達二人を出迎えた。ゆわんゆわんと響く挨拶をバックに、城の主人は姿を現す。
    「君の方から来るとはね。用件は?まさかおねだりかい?」
    「泊まりに来た」
     アダムの目線が何故か後方のスネークへ。目で数回やり取りしたのち再びこちらを向いた。
    「君ねえ……分かってないの?」
    「分かってる」
     だからこそ反対も押しのけスネークへせがみにせがんでこの城まで連れてきてもらったのだ。
    「分かっているなら聞いてしまおうか。これで君は、僕の……」
     近づく顔、合わさる目を――逸らさずに受ける。
    「……へえ?」
     おそらく彼が気付いた通りだ。ふりではなく本当に自分はそれほど怯えていない。たとえ目の前に居ようとアダムはまだ三度目の質問を行わない、その確信が朧気ながらに存在するから。
    「『三度目は間を開ける』、そう言ったの、覚えてる?」
    「確かに言ったがどうだろう。嘘か、もしくは反故にするかも」
    「ううん。あなたはしない」
     何度も共に滑った。だから知っている。反故にしないか嘘を吐かないかは正直微妙なところだが。この男は、男自身の『楽しい』には真摯だ。
     約束すると言ったあのときアダムはとても楽しそうだった。それを裏切るのは彼の美学に反しているしアダム自身を軽んじることとなる、だから約束は守られる――というのは相談相手の大人が出した結論だが自分も大体そう思う。
    「俺のこと見るんだよね。近い方が楽しめると思う。それとも……今ここで、つまらなくする?」
    「交渉のつもりかい。誰の入れ知恵か知らないが」
    「わりと俺」
     アダムが口の端を僅かに上げた。その程度には響いている、楽しみつつある。これなら――。
    「威勢が良いのは嫌いじゃない。だからこそ惜しい」
     片腕を引き上げられたせいで上体が反れる。腰に絡む腕は力強く、引き剥がせない体に意識せず足が数歩床を踏んだ。
    「こうは考えなかったの。己を裏切る、醜態を晒す。それらを許容した僕が君に三度目を訊く」
    「……考えなかった。だってそんなの、つまらない」
     つまらない。ゆっくり繰り返したアダムは鼻が触れ合う程にまで近づき「それが?」首を傾ぐ。他人曰く退屈と思い通りにならないことを嫌う、この男が。
    「折角来てくれたんだ。今この場で終わらせてもいいかもね。君を僕のものにして、あの場所に閉じ込めて。そうしてずっと……」
    「…………」
    「……嘘、嘘。しないよ、そんなこと。つまらないもの」
     ひとつも信じられない言葉に、それでも呼吸がやっと戻ってきた。
     間違いなく今のは本心だった。まさかアダムが己を曲げてまで自分を手に入れようとするとは。まったく予想出来なかった、一体何故。
    「泊まるのは構わない。君の気が済むまで、いや僕が飽きるまでかな?とにかく何日でもどうぞ」
     腕の力は大分緩んでいるが、先程より抜け出せないように感じる。
    「ただし対価は貰うよ」
    「えっ」
     対価とは。今までいくら攫われ何日この城で過ごそうとそんな物欲しがられた事は無い。
    「それはね。でも今度は君、押しかけの身なわけだから。相応の物を捧げてもらわなくちゃ城の主として滞在は認められないな。で、どうする?」
     どうしよう、荷物は自分の物だけで貢物として捧げられそうなものも無いしそもそもアダムの好みが不明だ。攫われるどころかこうして根こそぎ権利を奪われかけている理由さえさっぱり分からないのにそんな物が分かる筈もなく、唸るこちらに陽気に戻ったアダムが声を掛けてくる。
    「何でも良いんだよ?例えば身体とか」
    「あ、じゃあそれで」
     
     
     高所であることを除けばシャンデリアの掃除は意外と難しくない。ひたすら優しく丁寧にふき取るだけで細かな飾りに付着した埃は取れ、そっと戻せば白に近い早朝の日にきらきらと輝く。初日に比べて速くなった作業速度にこっそりほくほくしていると廊下の奥から見知った人影が歩いてきた。
    「おはようアダム。朝ご飯食べる?言ってこようか、ぁ」
     話すために下を向いたのが悪かったらしい。バランスを崩しはしごから落ちかけた身体が「――――」しかしアダムが何か唱えた途端一転してぴたりと止まる。落下を無事回避した身体は、そのうえ接着したかのように足が天井と離れない。これは便利。
    「そのまま逆さでいなよ。作業が終わったら解いてあげるから」
    「ありがとう」
     お礼を溜息ひとつで受け取ったアダムは数メートルの距離でも分かる程呆れた顔をしている。
    「それにしても君も飽きないな」
     彼の城に押しかけ一週間と少し。自分は対価として肉体を捧げに捧げていた。 
     今はシャンデリア、これが終わったら長いこと使われていないという奥部屋の暖炉掃除、他にも沢山の仕事を待たせている。 
     アダムの魔法で補強しているがあくまでこの城のベースは本物の古城なのでどうしても魔法の行き届かない部分もあるのだとか。それを全部なんとかするのが自分の仕事。従僕見習いと呼んで欲しい。
    「朝から晩までせせこましく走り回って、子栗鼠のようだ。ここに来た目的も忘れてしまったのでは?」
     確かに一つ片づければ三つ増える仕事に翻弄され、そのうえアダムからの要請で一日スケートしていることもある。現状自分の為に使える時間などほぼない。 
     けれど一方で忙しさは負の感情を和らげ冷静にさせてくれる。加えて最近味わっていた無力感も。あちらの城で悶々としているよりかこの方がずっと良い。
    「忘れてない。でも楽しいよ」
     以前攫われたときも手伝えば良かったと思えば、アダムが「よくない」と唇を曲げた。
    「君にこんな事をさせたくて呼んだわけじゃない。僕はただ、傍に居てくれれば」
    「スケートじゃなくて?」
     疑問を投げてすぐ、両足がぽんと天井から離れた。真っ逆さまに落ちた身体を掬いアダムは足を進める。朝食に付き合えと、そういうことだろう。 
     
    「いや違うだろ」
     寝室にするようにと与えられた部屋はまるで玩具箱だ。家具は全体的にカラフルで小さくベッドは若干横になる度緊張する危なっかしさ。ただし窓は大きく程よい広さがある、つまり筋トレ出来る。 
     魔法使いは全く進展のない報告より今日あった、たいしたことでない話に強く関心を持ったようだ。しきりに訊いては肩を落としている。
    「王子。鈍すぎるってのは罪だぞ」
    「なにが」
    「……伝えたい……が野暮だしなあ……大体そこが通じ合ったら何故俺はこんな真似をという……」
     頭を抱えているジョーは、独自の情報網を使いアダムについて調べては毎日々報告してくれていた。初回こそ心を込めたスクワット三十回で呼び出したがそれ以降は主に壁をよじ登り窓から、城の住人達にバレないよう魔法を使えないとはいえ流石の筋肉だ。専らアダムについての情報は無いが、残してきた皆の話を聞けるだけで十分ありがたい。
    「しかし本物の魔法使い様はつくづくいかれているねえ。お前さんなら魔法なんぞ使わんでもボード見せれば簡単に傍に置けそうだが」
     勝手な言い分は、自分でもそう思うので否定しにくい。
    「わざわざ意思まで奪いたがり選んだ手段も博打と来た。いやはや俺ごときには理解出来ん」
    「博打?」
    「アダムが王子に掛けた魔法だよ。万が一だろうと俺には大博打に思える。なあ王子、俺達の――魔法使いの魔力量はどう決まると思う?」
     言葉の途中から突如声が潜められる。自分たち以外誰も聞こえないだろう場で、それでもジョーは確かに誰かを警戒しているように見えた。
    「もしくは魔法を使う方法。あるいは呪文の作り方、細かい解呪法でもいい」
    「分からない。絵本には載ってなかった」
    「そこだ。『分からない』ということ。それが力の源になる。神秘に対し自然と人が抱くおそれは時として願いになり希望となる、俺達はそれを大気から抽出し再構成……おっと」
     首をかしげるこちらに「分かりにくかったか」とジョーは肩の力を抜く。
    「つまり、魔法使いは秘密があればあるほど強いわけだ。だから自分の根幹に近い秘密は、大概の奴は必死で隠し通す。往来で叫ばれでもしたらごっそり魔力を奪われるからな」
    「根幹に近い秘密……それって」
    「ああ。真名だ」
     なるほど。アダムのそれが秘匿されている理由がようやく分かってきた。
    「とはいえ魔法使い同士ならあまり隠さない。その重要さを知っているからな。人間は別。あいつらはすぐ呼んでくる」
    「でもジョーは呼ばせてるよね、ほら、レキのお姉さん」
    「あれこそ向こうが勝手に呼んでいるだけだ!昔からずっとああなんだ、アイツのせいでどれだけ俺が魔力を失ったか。ポンコツポンコツって、半分くらいはお前のせいだっつうの……!」
    「嫌なのか?それなら止めてもらえばいいのに」
    「『魔力が減るので止めてください』って?そんなこと言おうものなら益々呼ぶに決まっている。それに……まあ、なんだ。久々に他人の口から自分の真名を聞いたとき思ったんだよ。ああ俺は、俺の一部を無かったことにしていたのかもしれない、とそんなふうにな」
     声の調子を戻し、ジョーは顔を引き締める。
    「呼ばれない名は誰にも残らない。そしてやがて自分の中からも消える。記憶も馬鹿も、その名で得たものも全てを道連れにして」
    「こわいね」
    「だろ。だから戒めだ。アイツに呼ばれても文句は言わん。そう決めた」
    「……呼ばれると嬉しい?」
    「はあ?どう聞いたらそうなる。お前いくら王子と言えど今の発言は――」
     握られた両手が頭の横にセットされたところで静止した。数度叩かれた部屋の扉は来訪者を知らせる。王子、と呼ぶ声はスネークだろう。ノックなんて珍しい。
    「いかん。俺は行く。じゃあな王子、また明日来るから窓の鍵は開けておいてくれ」
    「わかった。ありがとうジョー」
     窓枠に手を掛け今にも壁へ移ろうとする魔法使い。その背を引き、尋ねた。
    「ごめん、一つだけ。あとどれくらいだと思う?」
    「……言いたかないが、大して長くは無いだろうな」
     姿が見えなくなったのを確認し施錠、急いで扉へ向かう。 
     ここまでアダムからは尋ねるどころか、その素振りすら見せられていない。けれどあの男の気まぐれがどこまでもつか。ジョーの言う通り、残された時間はわずかなのだろう。何とか手掛かりを掴まなくては。住まわせてもらっている身で申し訳ないが手伝いは減らさせてもらうべきだろうか。
    「スネーク、どうかした?悪いけど今は」
    「いえ今です。今しかありません」
    「へ?」
    「失礼します」
     入ってきたスネークが手にした鍵で備え付けの、この部屋で唯一普通サイズのクローゼットを開いた。すると中から出てくる毒々しい色の液体を詰めた瓶や尖った黒い石、他にも使い道も分からない道具の数々を並べ「準備が済むまでお待ちください」と夕食の準備時と変わらない顔でスネークは言う。 
     取り出された、劣化した真四角い布切れが絨毯の上へ敷かれ、更にそこへ液体が垂らされる。染みが不安だ。
    「これは大丈夫です、特別製なので」
     アダムとジョー、あとスネークも。この国の人は心を読んでくる気がする。
    「魔法使いは人の心が読める。そう人々が期待するせいです」
    「……魔法使い?」
    「お気付きかと」
     全然だった。
    「とは言え二人と比べれば私のそれは児戯、子供時代の残り滓ですが、まあこの程度は。ランガ王子」
    「はい」
    「今からあなたには――過去に行って頂きます」
       
     長めで難しい説明を自分がどこまで把握出来たか、自信は無いがだいたい分かったことにしよう。
     過去に行く、というのは言葉のあやで実際自分がするのは追走――過去の記憶をただ再構築し辿らせるだけだ、そうスネークは言ったが充分とんでもないと思う。だってその辿る記憶にアダムが、正確にはアダムになる以前の彼が居たなら。知ることが出来るかもしれない。あの男の真名を。
    「出来るの?」
    「出来ます。素養は整えました。この城に触れこの部屋で寝泊まりした、城の魔力に適応しつつある今の王子であれば充分可能です」
     この機会を待っていたのだとスネークは事も無げに言い、描かれた線は仄かに花の香りをたたせる。
    「それなら、でもスネーク、アダムはいいの」
    「良いわけはありません。ええ、気づかれれば間違いなくこれは裏切りと見なされるでしょう。しかし」
     文字らしき何か。自分には――ただの人間には読めないそれをスネークは一心不乱に書き連ねていた。
    「私は――分からなくなっている。あの方の犬として望むことを望むまま。けれどそうすれば、一部だろうとあの方が失われる未来への手助けになる。アダムの欲するあなたとアダム自身どちらもあの方から奪いたくないゆえに、差し出がましい真似をしようと思います」
     誘導されるまま、沢山の文字らしき何かで作り上げられた円の中心に座る。するとスネークが円の外へ下がり、
    「これで最後です」
     手に持っていた瓶を――――逆さに。
     液体に頭のみならず全身が染められていく。より匂いがきつくなったことで分かった、これ薔薇か。
    「申し訳ありません。必要なので」
     人を真っ赤にしてこの動じなさ、確かに彼は魔法を使う側だ。
    「そも見目で分かりませんか。姿の変わらないかつての国王の従者。本人も変わらず。どう解釈されていたのか」
    「解釈……したこともなかった。そういう人も居るんだなって」
    「……王子、あなたは……いえ。逆なのかもしれない。あなたのような人間だからこそ我々は希望を抱くのかも」
     知らない呪文が唱えられた途端、円がその周囲ごと光り出した。同時に身体が浮き上がるような奇妙な感覚に襲われる。連れて行かれる、と何故か理解出来た。
    「あなたが行くのは遥かな過去。おそらくこの部屋がまだ本来の役目を果たしていた頃から順に、上手く運べばあの方が変貌するまで辿れる筈です」
    「本来の役目?」
     いってらっしゃいませと伏せられた頭が見えなくなり、例えば幕を、固い表紙を、閉じた目をそうするようにそれは『開いた』。
     
     
     立っている。
     同じ部屋だ。けれど見るからに家具が新しい。
    「――さま、――さま!待ってください!」
    「待つもんか!タダシこそもっと急げ!でなきゃ今日も負けてしまうぞ!」
    「急いでいます、が、――さまが、速すぎるんです!」
     近づいてくる子供の声とドタバタと賑やかな足音。隠れる場所も見つからずオロオロしている間に、
    「……ほうら、僕の勝ち!」
     扉が大きな音を立て開いた。
     勢いよく入ってきた小さな男の子は楽しくて仕方がないみたいにあはは、ははと笑い転げている。部屋に不審者が居た時の反応にしてはのんびりし過ぎだ。どうやら自分の姿は見えていないらしい。
    「はあ。はあ。追いつきました……」
    「こういう場合は追いついたとは言わない。僕が止まってあげたんだから」
    「あ、それもそうですね。ありがとうございます、――さま」
    「……お礼も変。タダシは何にも分かってない」
     もう一人、遅れて入ってきた子供相手に唇を尖らせていた彼がふいに半身を回す。
    「……!」
     驚きに見開かれた瞳と、しっかり目線が合ってしまったような。
     子供はもう一人の手を取ると真っ直ぐこちらへと、
    「ごめんなさい俺悪い人じゃなくて……って、……!?」
     そして――そのまま通り抜けた。体の中を。 
     自分の先にあった窓に手をかけ傍らに見ろと子供は叫び、もう一人の子供はやわらかく溜息をこぼす。
     窓の向こうでは太陽が沈む際に燃え盛り城下を照らしている。オレンジ色の光を夢中で浴びる二人は目を輝かせ、どちらも今潜り抜けた物なんてこれっぽっちだって気にしてはいなかった。
     信じていなかったわけではない。けれど本当に、自分はこの場に居ないのだ。
     この世界はスネークの、あのタダシと呼ばれている子供の記憶。 
     なら、彼は。
    「きれいだな」
    「……はい」
    「そうか。ふふ。ふふふ」
     彼が――アダムが急にふらついた。そのまま酔っているかのような足取りで部屋を歩き回り、終いに彼はベッドへ背中から飛び込む。
    「――さま!?」
    「なんでもない」
     分かる。本当に何でもなくて、多分飛び込みたくなったから飛び込んだだけだ。気持ちの行き場に困ってしまったのだろう。大きすぎるそれの表し方をまだ知らない、子供だから。
    「なあタダシ。幸せって何だと思う?」
    「幸せ……――さまが健康で毎日楽しく過ごされる事でしょうか」
    「それは僕の幸せでお前のじゃないだろ?お前のは?」
     言葉に詰まってしまったもう一人を置きざりに、アダムは語る。
    「幸せはきっと誰かとおんなじものを見たとき一緒の気持ちになれることだ」
     起き上がると彼はもう一度きれいだなと、きっと頷かれるのを待っていた。 
     けれど『わたし』はただうなるだけで結果として彼の言葉を無視した。気づかず、知らなかった。だって――さまと私は違う世界の住人だから、そんなこと言ってもらえる筈がなかった。
    「あ……来る。タダシはそこで隠れてるといい。絶対見つからないようにしてやるから」
     小さなクローゼットに詰め込まれた『わたし』ができたことなんて息も殺すんだぞと笑う――さまを、ならあなたもと誘うくらい。
    「駄目だ。僕は残らなくちゃいけない」
    「でも」
    「ありがとう」
     足音が近づいてくる。扉が閉じていく。
    「ほんとうに、ほんとうに嬉しかったよ」
     それからのことを『私』はもう思い出せない。だがその後も度々――さまは似たようなことを言い、そしてさりげない同意を求めていたのだけれど、『私』は、『私達』は良かったですねとただ微笑むばかりで。本当に気づいていなかったのだ。本当に。必死で目を逸らし、逸らしていることさえ意識しないように。『私達』は――。
    「――――!?」
    「王子!」
    「は――っ、は、は……スネーク、今、俺」
     俺が私で、と自分でも意味が分からない言葉を、けれどスネークはあっさりと受け入れる。
    「意識の混濁です。私、いえ私達の記憶から入り込んだものと思われます」
    「私達?」
    「……一先ずここまでにしておきましょう。続きを行うかは、王子が決めてください」
    「続き……でもスネーク、アダムの真名は記憶でも隠れてた。続ける意味はあるの?」
    「そうですね。所有物として事前知識を学べたと思えば良いのでは」
     良くない。
     
     スネークが去ってしばらく、こっそりと部屋を出た。記憶を追ううちに随分時間が経っていたらしく廊下は暗い。一歩ずつ進むたび壁の燭台が点くのもやはり魔法なのだろうか。
     身を清めるよう着替えや布を渡されたところで生憎元子供部屋に入浴できる環境など無く、赤いまま部屋を出ざるを得なかった。今まではアダムの使っている場を借りていたが今日はそうも行かない。
     使用人用のそれは程よい小ささで、赤を流し湯に身を沈め深く息を吐けば体にじっとり残る余韻が少しマシになった気がした。 
     他人の記憶を覗き見る。本人の許可があるとはいえあまり良い気分では終われない行為だった。明日もアレをするのだと考えただけで多少気分が沈む。
    「それは冗談として。続ける意味はあります」
     湯気と共に、数時間前のスネークの言葉が浮かび上がる。
    「私は望みませんが、仮にランガ王子が解放される場合その手段は二つ、真名を当てるかあの方に解いていただくか。しかし前者は望み薄、なので真摯に訴えるしかありませんが……どうですか王子。アダムが自然と魔法を解きたくなるような話法に自信は」
    「ありません」
     間違いなく不可能だ。押しかけ時の交渉とは話が違う、だって彼が魔法を解く利点を自分は一切あげられない。
    「そうでしょう。だから記憶は見るべきです。あの方を理解すればおのずと言葉の使い方も分かる。きっと役に立ちます」
    「見たらアダムが分かる?」
    「ええ、必ず。何年共にあろうと我々にはあの方の内側を捉えることは困難そのもの。けれどあなたなら」
     スネークの瞳は真っ直ぐ過ぎて見られるだけで気が滅入るようだった。映る自分はいかにも困ったなと、そんな顔をしていた筈だ。
    「王子こそあの方を理解し得る唯一の人間であると信じています。あの方がそう信じたように」
     どうしてすぐに否定しなかったのかただただ悔やまれる。 
     スネークは、アダムが言えば夢でも本当になってしまう人なのだろう。罪悪感を抱く必要はないと分かっていても難しい。裏切っているようだ。 
     水を切り、身体を拭く。汚れは無事全て落とせた。あとは服だけ洗ってしまえば。
    「ねえ」
    「……なんで居るんだ」
    「君こそどうしてこんな所に?……それは?」
     すかさず指摘が入った服を体から取った布で包む。
    「知らない」
    「ふうん」
     無理があろうと隠し通すつもりだった。けれど薔薇の香りがするとわざとらしくアダムが言う、それだけでわずかに心臓は速度を上げる。こんなことも、そもそも隠そうとしていることすら把握されているのかもしれない。何故なら彼は。
    「良いね。怯え、けれどそれを気づかれまいと必死で抑えている」
     腹に温度。彼の手が全体を撫でていた。そのまま様々な部位に触れていくそれの意味も目的も分からないが背後は壁だ。とりあえず放置。
    「もっと怯えてくれないのか、残念」
    「何で怯えるの?」
    「怯えるものだよ。自分を害する相手には」
     害。触られているだけで痛みすら無いものを。言えば「君は何も分かっていない」とアダムが近づき。唇の端に何かが触れた。彼の唇だった。
    「どう。少しは自分が何をされていたか……」
     驚いている筈なのにどうでも良くなってしまった。にまにまと出方を伺う顔が、あの扉を開いた少年によく似ている。そう思った瞬間何だかおかしいような、悲しいような。変な気分になってしまって。
    「……何。その目は」
    「別に」
    「ああ。そう」
     乾いた笑い声を数度響かせ、アダムは呟いた。気に食わない。吐き捨てられたそれが床に届くのを見る前に世界が入れ替わる。自分が泊っている子供部屋に造りだけ似た豪奢なそこは、アダムの部屋だ。
    「アダム。何を?」
    「教えてあげようと思って」
    「わかった。服だけ着てくる」
     そんな物は要らないと腰を抱き、相変わらず大きいベッドの前。彼は当たり前のように、それでいて酷く面白げに言う。
    「捧げてくれるのだろう?」
     
     
     部屋に来たスネークは開口一番、止めますか、と。
     無言で首を横に振った。もし自分がなにかこう、どうしようもなく疲れた顔をしていたとしても彼のせいではない。彼のご主人様のせいではあるが。 
     昨日の事を思い出すだけで身体からどっと汗が出る。あれは何だ。何をされた。分からないが、ともかく絶対にあの男の名を当て元の生活に戻らなくてはならないと、それだけは強く思う。
    「俺、無理だと思う」
     あんな人のどこを理解出来るのか全く分からない。こちらのぼやきが聞こえないようにスネークはひたすら例の円を描く。完成を待ちながら、朝食昼食を経てもなお不快感の残る喉を撫でた。うまく飲み込めなかったあれがまだ引っ掛かっているような気がしてやまない。
    「今日はあの水かけないんだ」
    「必要が無いので。代わりにこれを」
     部屋の隅に置いていたボードを抱かされる。
    「時間も無いので飛ばしましょう。これから始まるのはアダムが王になり、そうでなくなる迄の記憶です。それを持っていれば彼らもあなただと気づき協力的になる筈」
    「彼らって」
    「昨日と同様に記憶が混濁する可能性があります、心を強く持って。それではいってらっしゃいませ」
     この人よく質問無視するよな。 
     
     
     目を開くような気軽さで降りたのは知らない部屋だったが、窓から見える景色には見覚えがあった。ここはアダムの城ではない。もっと身に馴染んだ場所、クレイジーロック城だ。 
     城の外から引っ切り無しに声がする。 
     王様。おめでとう。幸せに。王様。 
     口々に叫ぶ彼らのなかにはシンデレキ家族の姿は無い。ならそれより前の記憶なのだろう。 
     彼ら国民を窓越しに見下ろす影がふたつ。スネークとアダムは、自分と同じかそれ以上に成長していた。
    「おめでとうございます。アダム、いえ――」
    「なあ。幸せの話を覚えているか」
    「はい。あの時から気持ちは変わりません。あなたの幸福こそ、私の幸福です」
    「そうだろう。お前はそうだろうなあ、そういう奴だ」
    「――様?」
     ギュルリと刃が回るような音がしてスネークが膝をついた。手が離れた首には赤い線が浮いている。
    「だが僕は、どうにもそんな風に、お前のようには思えない」
     身を翻しアダムは微笑む。国民全てから目を背け。
    「教えてやろうかタダシ。幸せとは、僕の見たいように誰もが見る事だ」
     場面は変わる。 
     毎夜開かれる武闘会は徐々に過激さを増し、現在と比べ物にならない程の乱闘騒ぎが巻き起こっていた。血と騒乱のなかでアダムは踊る。彼は一人だった。ほんの少し前まで共に走っていた人間はどこかへ居なくなってしまった。皆そうだ。皆彼を置いていく。 
     アダムは踊り続けている。誰かが彼の手を取る瞬間を待ちながら、しかし踊れば踊る程誰も追いついて来られなくなると知りながら、自身の望みを叶えるのを止められない。 
     冷え切った心。それを温める幸せが何か、彼は知っていた。
     再び場面は変わり――終わりがやって来る。 
     責める雨。壊す稲妻。明かりの消えた城内を照らすはぞろぞろと並ぶ人間達が持つ松明と時折壁や床を走る魔力を纏った線だけだ。 
     いびつな線が多く行き交う方へ人間達がひた走る、その先頭に『私』は居た。誰より早く行かなければならない。そして彼を。
    「――そこ迄だ。悪逆皇帝アダム、あなたを捕縛する!」
    「……何故?」
     誰も城へ入ってはならないと自分さえ閉め出されてから大分経つというのに彼は少しも変わっていなかった。見た目も、おそらく内面も。
    「理由をお望みか。ならば言おう、あなたは国民への非道を尽くし――」
     並べ立てるそれはあくまで人間達への見せ掛けだ。これから何が起きるか、アダムが何を起こそうとしているか分かれば彼らは間違いなく狂乱し暴走するだろう。それを止める力は自分にはない。
    「アダム。どうか考え直していただけませんか。あなたのそれは、誰も」
    「いいや」
     それはアダムの大望だった。王としてありながら暴虐の限りを尽くしそうして手に入れた魔力を注いだ、彼だけの。
    「……皇帝はご乱心召された!即刻取り押さえろ!」
     強く言い付ければ人間の衛兵たちが、わあわあと下手糞に叫び向かっていく。だが――。
    「……!」
     予め何かしら仕込まれていたようだ。何も出来ず次々床へ伏せる彼らの向こうで、未だ余裕を崩さない主人が嗤う。
    「知恵さえ無いそれらはもとより、お前が僕に歯向かえるとは思わなかった。もう少し厳しく躾けてやるべきだったか?」
    「いいえ」
     忠誠心を失った訳ではない。むしろ、だからこそ、国民が気付きだす前に動き彼らを先導したのだ。
    「人間には察知できない脱出経路を確保してあります。行きましょう。私には貴方が彼らから恨まれ、罪人として裁かれるなど耐えられない」
    「何を裁く。僕は彼らを愛し、より深く愛してやろうとしているだけだというのに」
    「やり方が間違っています。こんな事をしても貴方の望みは」
    「叶う。皆が幸せになる。僕が思えばその通り、見え聞こえ感じ愛するんだ。そうなればきっと」
    「叶いません。感覚を同一にさせたとて彼らはあなたを理解出来ないでしょう」
    「どうして」
     本当に、不思議そうに言う。
     泣き叫んでどうにかなるならそうしていた。 
     これに『私』が突き付けなくてはならないのか。同じものを見て、聞き、共に生きてきた『私』が。
    「私が、今、貴方を理解出来ないからです」
     アダムが表情を――――動かさず、『私』――いや、彼も動かなくなった。そうして、ふっと。
    「え?」
     魔法も松明も稲光も消える。一人残された世界は暗く床や壁もないようで――待て。
    「これ本当に無いんじゃ、ぁ、う、うわ――――」
     あ、ああ、と伸びる自分の叫び声を置き去りにひたすら落下し続ける。脳を駆け巡る走馬灯――にしては一切覚えのない記憶。
     手の甲に置かれた小さな芽。 
     つぼみをつけてごらんなさい。 
     指でなぞりつぼみをつければ誰かが喜び、別の誰かが告げた。 
     咲かせてごらんなさい。
     再びなぞり花びらを開かせる。二人が喜び、残る一人が告げた。
     枯らしてごらんなさい。
    「できません」
     やり方は教えたでしょうと叱られても出来ないものは出来ないので首を振る。業を煮やした三人は見本を見せるからと今開かせたそれに向き合ったが、枯らすどころか花びらひとつ散らせないようだ。
     悲しかった。ただ咲かせるよりずっと素敵なやり方だと思ったそれが受け入れられなかったこと。彼らが自分の生み出したものを間違いであると否定し異常を正そうと躍起になっていること。そしてそう断じながら力を以て否定出来ない彼らはどうしたって向こう側なのだと――違う生き物との越えられない差を感じて。
    「……づっ、いった……くない?」
     勢いよく身体が叩きつけられたわりには何てこと無かった。床に偶然やわらかいものが集まっていたらしい。
     ここはどこだと身を起こし見た床に背筋が泡立つ。絨毯の独特な模様は記憶に新しい。ここは間違いなく現実自分が居るあの城。そしてこの部屋は。 
     外は吹雪いているというのに室内の暖房は使われておらず、部屋の端は明らかに凍っていた。記憶と理解していても身が凍える。
     椅子に座るアダムはある一点のみを見つめ続けていた。テーブルに置かれた水晶の塊。そこに代わる代わる映し出される人々を彼はまじまじと見ては目を伏せる。それだけだった。何日何か月何年、ただただ彼はつるりとした世界の向こう側に探していた。 
     彼がそうしているうちも世界は変化し続ける。いつしか彼は取り残されていたがそれに苦しむことも無かった。身にどれ程魔力がたまろうと使う事も無い。叶わないのだから。
     吹雪は城をつつみ少しずつ彼を眠りへと誘う。ときに彼を生んだ人間として、ときに偉大な魔法使いになれと育てた人間達として、姿を変え彼を連れて行こうとした。
     微睡みに袖を引かれながら、けれどアダムは目を閉じない。諦められない。 
     けれど精神に限界は近づき、瞼が重く彼と世界を分かとうとしたとき
     ――─なにか。 
     なにか小さな音が、聞こえたような気がした。 
     福音に似たそれは一瞬で消えたが何故か耳から離れない。祝福されるような国があったかと魔力をめぐらす。するとひとつだけ見つかった。遥か、遥か遠い雪の国で王子が生まれたそうだ。 
     ただの気まぐれだった。もしくは眠る前にホットミルクを飲むように、最後に相応しい温もりを感じたかったのかもしれない。 
     水晶越しの子供は、まあ普通だった。美しく育ちそうではあるがしかし赤ん坊時点での話だ。魔力も人間の平均かそれより多少は上で魔法使いの素質はありそうに無い。 
     だから分からない。例えば乳母から聞いていた己と何か似ていたのか、赤ん坊らしからぬ瞳の深さに魅せられたか、はたまた暴走した力が未来の切れ端でも観測させたか。 
     過程を何一つ理解できないままに、ただ結果のみがそこにあった。
     心が言う。 
     あれは、僕かもしれない。 
    『――王子!』
    「――!スネーク!って、ボード!?何で!?」
    『説明は後でします』 
     してくれなさそうに思うが、それはそれとして喋るボードの登場は助かった。記憶の再生は続いているが意識は鮮明に一人分に戻っている。 
    『状況は把握済みです。引きずりだすのでその場で――』
    「待って。もう少し見たい。出来る?」
    『……可能ですが、負担が』
    「大丈夫」
     これは自分が見るべき記憶だ。名前より何より、最初からずっと知りたかった答えがここにある。 
     記憶のアダムは雪の国を、自分ばかりを見るようになっていた。 
     自分の動作や言葉ひとつひとつを注意深く観察し共通点を見つけ出すさまには執念しか感じない。もう少し賢そうに振るまってあげれば良かった。 
     救いがあるとすれば、自分がスケートを始めたことだろう。彼が予想した通り自分が動けばアダムは楽しそうにくすくすと笑った。その頃には彼の感情に呼応するよう城も随分賑やかになっていた、たとえ自分が居なくなったとしてもこの穏やかな生活を彼は続けられる、そんなふうに感じられるほど。 
     きっとこの頃は、自分でなくともアダムは良かったのだと思う。ただ終わりかけた瞬間男が伸ばした手の先に自分が居ただけ。小さな合致で満足しつつ時間を消費していくつもりだったのだろう。そして自分が死んだら次へと。ただの暇つぶし、これから出会う何百人の中の一人。 
     しかし。
    「――――」
     城の何もかもが騒ぎ出し、空が晴れ渡った。 
     水晶の向こう。この日を覚えている。誰も付いて来てくれないことに気づいてしまった日。 
     今まで見た中で一番アダムは楽しそうだった。足が振り下ろされる度絨毯は色も形も変わり、城は何度も壊れ入れ替わるうちに自身の形をも忘れていく。竜巻のように回転する家具達が擦りあいファンファーレを鳴らすなか中心で踊る男が叫ぶ。
    「ほら!孤独だ、ひとりぼっちだ!誰にも理解されない――共に居られない!」
     字面とは裏腹に悪意の一つも感じられない言葉は、ただ喜びで満ちていた。 
     ただの偶然だ。偶然何億もの可能性を越えて自分が『おなじ』になったことで前提は全て覆り、彼は得た。
    「会いたかった。愛しい君(ぼく)」
     希望を。 
     
     優しく温かい手に起こされたかのように、目覚めはこのうえなく心地良かった。
    「王子?ご自分で脱出を?」
    「よく分からない、それよりスネーク」
     辿った記憶をその変化ごと告げる。
    「途中からは間違いなくアダムの記憶ですね。しかし王子、あなたはクレイジーロック城のみならず、この城にも大層気に入られたらしい」
    「城が……気に入る?」
    「ええ。物には意思も記憶も宿ります。魔力を通せば表面化するのは当たり前のこと」
     キイキイと窓が鳴った。まるで同意を示すかのように。
    「記憶を見せるに当たっても協力を仰ぎました。こういう事はやはり張本人が一番覚えているものなので。細かい調度品まで気持ちよく手を貸してくれて、あなたには家具たらしの才能があるようだ」
     家具たらしなんて初めて言われた。 
     彼らとは。我々とは。この城そのものだったのか。魔法を使う者たちの違いを目の当たりにし言葉を失うこちらを放置しスネークは腕を組む。
    「しかしそれだけでは、何故アダムの記憶に潜れたかの説明がつかない」
    「たまたまとか」
    「有り得ません。使用者以外の記憶を追体験するためには何かしら触媒が要ります。この城なら庭の薔薇、クレイジーロック城は王子のボードのように。アダムなら肌の一片、髪の一本」
     衣服内を探る。当然そういったものは出て来ない。
    「王子に掛けた魔法の影響……にしては強すぎるような、そこ迄深くとなると魔力その物。身体の一部や体液なんかが妥当だと……」
    「体液」
    「心当たりが?」
    「微妙なんだけど……持っていればいい感じ?」
    「はい」
    「……たとえば、飲み込んで体の中。とかは」
    「条件としては認められるでしょう。それが、何か…………」
     理解したらしく顔を背けられた。あまりにも気まずい時間が流れに流れ、ようやく顔をあげたスネークは真っ青なまま何とかといった感じで言葉を吐き出す。
    「まあご無事で何よりです。それでは今すぐお逃げください」
     逃げる、何から。訊く前に「ご覧ください」と指差された扉は――ミシミシと、今にも壊れそうだ。
    「おそらく王子を記憶から帰したのはアダム本人です。つまり」
    「気づかれた」
    「既に城内の殆どが黒い海に呑まれました。万が一の備えが効いてこの部屋はまだですが」
     外から押され、はちきれそうな扉は隙間からごぼごぼと何か黒いものを漏れさせている。
    「時間の問題でしょうね」
     具体的な残り時間を知りたいような、とても知りたくないような。
    「あれの性質が分からない以上今は触れさせる訳にいきません。即アダムに連絡が行き確保、三回目の質問程度なら突き出しますが」
    「何で!?スネーク、協力してくれていたのは……!?」
    「それはアダムの為なので……」
    「じゃあもう少し、アダムの為に」
    「嘘はどうかと」
    「アダムに会いたい。話がしたい」
    「彼の物になってからどうぞ」
    「それじゃ駄目だ」
     三回目を経て所有物になるのは嫌なことに変わりはない。けれど今その理由が変化しつつある。
    「俺が俺であるうちに、もう一度俺はあの人と会わなくちゃいけない」
    「……どうなさるつもりですか」
    「うん、ええと」
     強い音を立てて窓が開き、筋肉が転がり込んできた。自ら壁にぶつかり止まってなお傷ひとつない肉体。この逞しさはあの、町の頼れる魔法使い以外に在りえない。
    「おいおい、こりゃあどうなってんだ?他の部屋は真っ暗だぞ」
    「マッスルマジック・ジョー!良いところに。あのさ、俺を投げられる?」
    「任せろ。どこまで?」
    「一番高く」
     己を高め始めた魔法使いから今度はスネークへ先程思いついたばかりの作戦を。
    「出来ない?」
    「可能ですが成功しようと失敗しようと私は殺されますね」
    「そのときは俺も死ぬから」
    「何の解決にもならないので止めてください」
     窓では足りないからと割られた部屋の壁。外はすっかり暗くなり加えてそれ以上の闇がうごめく危険地帯と化していた。物の準備を済ませたこちらの胴体を確保し、ジョーは言う。
    「全力でやるぞ」
    「思い切りやって」
     それくらいでないと、きっと届かない。 
     ぴんと伸ばした全身が強く振られ、そして
    「…………ッッマッスル…………、投げぇッ!!」
     槍のように、飛びあがり身体はぐんぐん上昇する。久しぶりの空中とはいえその高さは桁違いで、城を遥かに仰ぐ最高地点から下降すればかかる圧もそれなりに。このまま落下すれば間違いなく死ぬだろう。 
     顔を叩く風に翻弄されながら必死で口を開く。
    「……アダムに会いたい」
     一瞬城の外壁が揺らいだように見えた。落ち着いてボードを構える。いつでも乗れるように。
    「会いたい。なるべく速く。彼に捕まらず。真っ直ぐに、最短距離で行きたい」
     自分でも我がままだと思う。けれど妥協する余裕なんてない。 
     強風に負けるように閉じたまぶたの裏でここに来てからの日々を思いだした。結構色々頑張ったんじゃないだろうか。城のなか殆ど全て自分なりになるべく大事にし続けた。だから彼らもその分お返ししてくれたのだと思う。 
     それなら、ずっと住み続けている主への気持ちはどれほどか。
    「会いに行くよ。あなた達の大事な人に。だから――」
     城がガタガタと揺れたかと思うと
    「――応えて!」
     崩落するかのごとく屋根に大穴が開き、そこから巨大な急斜面が跳び出した。暗くてよく見えないが、下に行くにつれ徐々に細くなっていく道の先。ゴールがある。
    「やった、っ…………!」
     速度をそのままに黒い海の中へ。ごぼり、と泡が立ったが呼吸は出来た。 
     暗闇だったのは束の間、照明達が次々光を灯す。窓が一斉に開いて風で背を押し、手足へまとわりつこうとする水を浮遊するカーテンが押さえこんだ。海に向かい落ちて行く銀食器を取り除くベッドシーツ。同じタイミングで跳躍するワゴン。みんなが叫んでいる。期待している。そうさせたのは自分で、だからこそ彼らの声援を受け取る度心に小さな棘が刺さる。 
     自分はすごい奴でも良い人間でもない。アダムの気持ちを今も分からないし、このままずっと分からないままかもしれない。 
     けれどまだ、知りたいと思う限りは止まらない。 
     自分がしたいと思ったことを果たしに行く。望んだように、思うがまま、自由に――そうしていいと自分に言ってくれた男が居た。どんな意図を、どんな嘘を含んでいたとしても、あの肯定が嬉しかったから。 
     彼の元へ、行こうと思う。
    「居た……アダム!」
     海の中心に男は居た。表情は掴めないが、目が合った瞬間問答を始めるつもりだろう。 
     距離が縮まっていく中合図代わりにボードを強く踵で叩き『それ』を取り出す。もう一押し速度が欲しい。上体を下げがむしゃらに進み。
     アダムの胸に飛び込む瞬間――蓋に手を掛けた。
    「ごめん!」
     瓶から零れた赤は海に混じることなく彼と自分に振りかかる。同時にボードの裏からもう慣れた呪文が聞こえ――おそらく最後だろう幕が『開いた』。
     
     
     本日二度目のアダムの部屋に、緊張感から解放された身体がどしゃりと崩れ落ちる。吐く息も心底深い。なんとか成功だ。いけると思ったからやったがそれはそれとしてかなり危なかった。 
     部屋の中は昨日とほぼ変わらず、アダムの服装も稀に見る物に近い。わりと新しい記憶のようだ。
     水晶を覗き込むその眼差しも――上手く言えないが――前回の生まれたての自分を観察していた頃と比べ変化しているように見える。
    「それはまあ、君が予想を超えて美しく成長してくれたからね。見る目も変わるさ」
    「そう……って」
     目の前にはアダム。しかし横にもアダム、しかもこっちは話しかけてくる仕様だ。
    「どうして居るかって?君が触媒だろうアレを豪勢に振り掛けてくれたおかげだよ。無事観客として認識されたようで僕の記憶だというのに干渉さえできない。まったくとんだ力業だ、惚れ惚れする」
     べっとりと赤く染まった姿にさっと目を逸らせば、呆れたようにアダムが声を落とす。
    「そうびくつかなくていい。今は訊かないから」
    「何で?」
    「ここは過去と現在が奇妙に入り組んでいる。魔法を完成させ君を僕の物にした――その事実がどの時間で確定されるか不明瞭である以上手出ししない方が賢明だ」
    「そうか」
    「君、分かっていないだろう。それなのにこうなる事は薄々予想していた。違うかい」
     なんで気づかれるかな。
    「気づくさ。ずっと見ていたんだ」
     つかつかと、もう一人の彼自身へ近づいたアダムはこちらへ手招きを。
    「何をしているの。おいでよ。折角だ、豪華解説付きでお送りしよう」
     
    「君が孤独を自覚してからというもの僕は本当に嬉しくてね。こうして毎日のように繋げては君がうなだれたりしきりに後ろを振り返ったりわざと遅く走ってみたことで自己嫌悪するのを眺めていた」
     全然こっちは嬉しくない。
    「そういうのが好き?」
    「いいや、むしろ大嫌い。二度とああはなりたくない」
     そうきっぱり言うアダムも記憶のアダムも大嫌いなそれを見ているわりに楽しそうだ。指摘すると「君がするなら別」と返ってきた。意地悪だ。
    「違うよ。君が僕と同じ道を辿りつつあるのを目で見られたから。そうしてそのまま君(ぼく)は僕(ぼく)になるのだ、ああ待ち遠しい――この時の僕はそう思っていた」
     この時の僕はね、とアダムが繰り返す。今は違うとでも言うように。
    「……アダム。俺は」
    「まあ黙って見ていて。これからだから」
     意図の掴みにくい返しに被さるよう頭のなかへ言葉が流れ込んでくる。記憶のアダムの意識だ。
     ――雪の国からランガ王子が出ると聞いた時。そして行き先があの愛すべき我が国だと知った時、心が震えた。僕が作った国にあの子が来る。
    「……作ったの?」
    「作ったよ。僕らのような生き物が集まるかと期待して。実際は何故か非常に血気盛んなお嬢さんばかりだったが」
     連日の武闘会もアダムは見ていた。自分が一人になるたび、記憶のアダムはまた嬉しそうに。 
     けれど時折考え込むようになる。
    「クレイジーロック城という懐かしい地での君の姿はかつての僕と重なり過ぎた。結末さえ同じなのでは――そう疑うほどにはね」
     アダムの結末。記憶の中で見た孤独な姿、もしくは完全な断絶を彼は自分に重ねたのだろうか。 
     記憶のアダムが水晶を撫でる。映るのは城内や城下町の見慣れた人々ばかりだ。そして。
    「あ、レキだ」
     自分の声に答えるように記憶のアダムは手を止めた。するとこの先を知るだろう隣のアダムが憎らしそうに。
    「……魔が差したんだ」
     記憶のアダムはレキの暮らしぶりを隅々まで確認すると頷き、何やら準備を始め出す。 
     ――王子が僕になりつつある。それは喜びだ。 
     ――だが、何故だろう。彼が僕である以上その結末は定められているというのに、王子が一人孤独に苦しむとして、僕はそれを受け入れられそうにない。 
     ――ずっと見ていた君。もし君をあの辛苦から助けられるなら。僕は迷わない。力はある。君をただの君としてみてくれるだろう善良そうな人間も見つけた。だから今度こそ連れて行こう。
     ――君(ぼく)が幸福になれる未来まで。
     用途の分からない大量の道具で己を囲み、記憶のアダムは短く息を吸う。 
     
    「むかしむかし、あるところに――――」
       
     始まった物語、そのはじまりからおわりまで、自分はよく知っていた。
    「言っておくが君の為じゃあ無い。僕はただ見たくなった、可能性を」
     レキ――シンデレキはある日突然現れた魔法使いに願いを叶えてもらう。
    「同一視する君をハッピーエンドへ送る。そうすればいつか失った他者の温もりが手に入るのではないかと――有り得たかもしれない幸福な未来を、君を通して得ようとした」
     武闘会に行った彼女は王子と出会い、共に滑り、けれど魔法が解けるから去って行く。残していったボードを手に王子は彼女を探しだし、二人は再び出会うのだ。
    「……とんだ道化だよ。孤独なんて君と出会った日に癒えていた。願いはとっくに変わっていた。そんなことすら、切欠が無ければ気づけなかったのだから」
     記憶のアダムは自分自身で作った台本を語りながらその表情を困惑と焦燥に染めている。そして二人が――自分が誰かと共に行きかけたそのとき。彼は駆け出し、叫んでいた。子供のように。
     ――これじゃない。見たかったのは、欲しかったのはこんなものじゃない。 
     自らが丁寧にあつらえたハッピーエンドへ、記憶のアダムは躊躇いなく手を伸ばす。
     ――連れて行くな。終わってしまうな。どうか、どうか物語よ。
     ――彼を奪わないで。
    「僕が本当に見たかったのは君(ぼく)が幸福になる未来じゃない。君が、僕と幸福になる未来だったんだ」
     こうしてしっちゃかめっちゃかになった物語に、しかし彼は踊り、たからかに笑っていた。
    「可能性の子。君を愛していた。生まれた時から変わりなき愛を注いできた。けれど」
     自分を振り回す記憶のアダムとそっくり同じ顔でアダムが言う。
    「僕の運命。あの瞬間から、絶えず君を愛している」
     笑みに一瞬心臓が揺れ、そして世界も揺れた。比喩では無く本当に記憶が揺れている。これは記憶から抜け出すときのあれだ、まさかスネークが起こそうとしているのか。
    「ああ。ようやく来たか」
    「アダム、これは!?」
    「拒否反応だよ。僕の記憶に僕が入っているなんて正常でないからね。解説もして掻き乱してやったしさぞ身体は目覚めたがっている筈だ。これでもうすぐ僕等は現実に戻れる」
     頬を遊ぶように指先が叩く。笑みは変わらず、けれどその雰囲気は全くの別物だ。
    「そしたら終わりにしよう。僕の愛を理解してくれた今の君なら受け入れてくれるよね」
     三度目――分からない。愛する人間を何故所有しようとする。
    「ランガくん。あの日君への感情を悟ると同時に僕は学んだ。僕のような悪い魔法使いがハッピーエンドを夢見るとああなる。というわけでそちら方面は諦める、ひとまず君の肉体と精神だけで我慢しよう」
    「諦めないで……可能性はあるから……!」
    「無い。君は僕を選ばない」
    「そんなのやってみなきゃ分からない!」
     アダムが記憶に蹴りを入れ始めた。どういう意思の表れか分からないが揺れが強まっていく。まずい。
    「俺と幸せになるんだろ」
    「幸福にしてあげるよ?君と居れば僕が幸福だから」
     それはまさか。頭をよぎるアダムの記憶。彼が生み出そうとしていた魔法、彼と他人を一つにする力。
    「もうアレは完成しているんだ。けれど彼らはもう要らない。君だけでいい」
     幸せにとはそういう意味だったのか。予想よりずっと性質が悪い。
    「意思も感覚も。全部を同調させひとつになろう。そうすれば永遠に、一緒に居られるかもしれない。そうしよう」
    「……悪いけどなおさら駄目だ」
     知りたいことは大体知れた。だからここからは話す時間だ。 
     誰かと一緒に居たい気持ちは分かる。孤独は耐え難い。けれどその方法は受け入れられない。
    「俺はアダムになれない。なりたくない」
     拒絶は男を変えた。その姿さえ。風圧が髪を、そこに付いた液体を飛ばす。 
     声にならない声の合間に聞こえる叫び。何故。どうして。嫌いだからか。人間では無いからか。理解出来ないからか。
    「ちがう!」
     膨れ上がる威圧感に身を怯ませながら、壊れかけの空間を踏みしめた。
    「……っ、俺は、あなたと違うものに美味しいって言って互いのスケートで競いたい。気持ちが合わなくて喧嘩したり――合った時は喜んだり、したい」
     受容と拒絶を繰り返し偶然一瞬交差する。この国に来て初めて知ったそれに、自分がどれだけ救われたか。きっとアダムの願いの本質も、彼にとっての救いもそれだと思う。だって少し前まで自分達は同じだったのだ。 
     けれど自分が変わったから――この男の気まぐれが運命を変えたから――今こうして話が出来る。
    「理解したい。そのためには、全部同じじゃダメなんだ」
     全く同じ意識を持つ人間は理解者になるだろうか。ならないと思う。それはただの『自分』だ。他の誰かじゃない。いくら居たところで一人は一人のままだ。 
     永遠にふたりぼっちの一人きりなんて冗談じゃない。絶対に認めない。 
     自分は自分のまま、この人を知りたいのだ。いつかの孤独を分かち合えるただ一人。それに出会えたのは自分も同じだから。
    「アダム」
     手らしきものが見えた。一歩下がられる前に、掴む。
    「あなたを一人にしたくないよ」
     瞬間世界が割れた。
     
     
     暗い。しかし戻ったにしてはなにかおかしい。暗い海は膝の下程度まで引いているのに家具も壁も見当たらない。その海だって何というか濁ってねっとり、泥のようだ。 
     そして最もおかしいのがアダムだ。全く三回目を問うてくる気配がない。啖呵を切った手前少し気まずいが我慢して。
    「あの……ここはどこか訊いても良い?」
    「……記憶より深い場所。すなわち精神、その最深部だ」
     誰の精神かは訊くまでも無い。しかし。 
     言葉と感情に迷っていると、アダムが自嘲気味に笑った。
    「ひどいところだろう。深い憎悪以外何もない」
    「何もない?」
     それなら海に隠れた下、ここへ来てから絶えず足にぶつかり続けるこれは何だろうか。両手を添わせずるりと引き抜く。出てきたそれは膝下の海にどう入っていたか分からない大きさと形で自分達の間に構える。傍から見れば不思議な光景だろう、真っ暗な中に人と魔法使い、そして子供用のクローゼット。
    「……ここは僕の精神であり、幾つかの空間とつながっている。たとえば僕しか知らない城の地下であるとか」
     しかめた顔は戸惑っているような、拗ねているような。
    「愛され過ぎだ。何なんだ君は。僕の城だぞ?」
     それはあなたの方だろうと思いつつ膝をついた。寄り添えなかったのは罪だと何年も苦しんで自分みたいな頼りない存在にこうして望みを託す、そのひたむきな感情こそ愛だ。多分。 
     クローゼットに手を掛ける。
    「開けるよ」
     制止は入らず、鍵も開いていた。
    「……これは……」
     あの、走馬灯のような記憶で見たあれでは。 
     クローゼットの中にちんまりと置かれた艶やかで欠けの無いみずみずしい一輪にはしかし、一つだけ奇妙な点がある。赤い花びらは内を向き、けれど蕾でもなく。完璧に開く一瞬手前のような状態で固定されている。永久に咲いたままではなかったのか。
    「彼らが思考錯誤するうちに、独りでにそうなったらしい。その瞬間を僕は見ていないから結論は出せないが、魔法が変な方向に作用したのだろう。彼らもその後の僕でさえどうしようもなかった」
     背後の説明を聞きつつ何かを包んでいるようだなあとなんとなく思った。とりあえず触れる。ふるりと花びらが揺れ。
    「開いたけど」
     振り返ればアダムはもうこちらを見てさえいなかった。なので自分も彼から顔を背け薔薇だけを見る。 
     開いた中心にはぽつりと小さな石が置かれていた。真っ赤でつやつや、飴のようだ。薔薇よりもっときれいなそれを手に取りアダムへ見せようか悩めば、止めるよう鋭い声に拒否された。
    「どこかへやってくれ。僕は見ない」
    「……どうして?」
     少し丸まった背中。だらりと下がった腕。なにひとつ興味を持っていないと言わんばかりの姿勢。
    「それは過ちだ」
    「でも大切だったんだろ、だから隠して」
    「言うな」
     けれど曲げられた指先はかすかに震えている。
    「僕はもう望まない」
    「要らないの」
    「要らない」
    「分かった」
     要らないのか。なら――。
    「何を――――待て、止めろ!」
     もらってもいいだろう。 
     飲み込んだそれは、知らない果実の味がした。 
     一応礼儀として頭を下げ「ごちそうさまでした」言い終わる前に心臓がどくりと脈打ち全身の血が著しく流れ出す。
     耐える事も出来ず倒れた身体、白と黒の点滅を繰り返す中柔らかく解れる世界。照明が落ちるように視界が狭まり、じきに何も見えなくなるのだろうと薄っすら分かった。
     泥に倒れたにしてはたいして身体が沈んでいない。しかも何だか明るくなった。変なの――なんて不思議に思う事ではなく、いつの間にか自分達は現実に戻っていたようだ。海はすっかり引いていた。この人がそうさせたのかもしれない。わずかに残る水から守るように自分を抱きかかえる腕は震えている。彼も疲れたのだろうか。自分もだ。腹の中でじくじくと何かが焼けている。息を吸うだけでそこそこしんどい。
    「アダム。大丈夫」
     けれど、これだけは言っておかなくては。
    「おいしかったよ。要らなくなかった。あなたの、大切な」
     限界はもうすぐそこだ。地面はどっちだ。今落ちようとしているのは。
    「……ランガくん。君は鈍くて、子供で、僕の気持ちなんかちっとも分かってくれやしなくて、それなのに…………」
     君は、君はと繰り返すその声はちょっとひどくて、けれどとても――だったから、
    「……きみも、ばかだなあ…………」
     そう呟いたときの顔を見られなかったのは、少し残念だった。
     
     
     今日だけで何度この身体が浮上するような感覚に襲われるのだろう。けれど今度の目覚めはどうやら本当らしく、もぞもぞ身体を動かせばシーツとブランケットが付いてくる。ふわふわの感触は素肌に心地良い。
    「…………ん?」
     ブランケットをめくる。とても素肌だった。
    「んん?」
    「やあおはよう。愛しいきみ」
    「あ、おはよう……」
     振り返った先もまた――とても素肌だ。
    「…………」
     深呼吸。そして落ち着いて記憶をさかのぼる。案外すんなり辿り着いた『昨夜』。あの石を飲み込んだことで自分は一時気を失い、次目覚めたとき身体には異変が起こっていた。その異変というのが――ああ思い出した。思い出したがもう忘れたい。
    「どうしたのそんなに見つめて……まさかまだ影響が?」
    「もう無い」
     それは残念とそうでもなさそうに微笑むアダム。この男を、昨夜目覚めた自分は、一切仕組みは分からないが、何故かひどく――求めたというか。
    「魔力酔いによる催淫というところかな。まあ一時的なものだから安心して良いよ」
    「心を読まないで」
    「どうして?ああ恥ずかしい?」
     せめてもの抵抗としてシーツとブランケットを被る。恥ずかしい。そうかもしれない。耳にあの、自分のものと思えない声が付いていて、どんな気持ちになればいいか分からない。 
     昨夜の記憶は全体的に朧気――というより自分のものでないような違和感があり使い物にならないが、
    「出ておいで。お腹が空いただろう、何か食べよう」
     シーツの端を引っ張ってくる手の主は終始楽しんでいたような気がする。機嫌が良いのもそれの影響だろう。 
     しかし気は抜けない。三度目はまだ訊かれていない筈だがこちらにもう打てる手は無いのだ。敗北がほぼ確定した今どう弄ばれるか考えると気が重い。あと普通に全身だるい。お腹も確かにものすごく減っている。
     ぐいんと身体が浮き、ばさばさシーツ達が剥がれ落ちた。寝具から自分を引き剥がした男は笑う。昼のぼんやりした陽気に相応しい力の抜けた笑みだった。
     
    「ここは?」
    「ついて来て」
     質問を流されることにすっかり慣れてしまった。よくない。 
     移動した先はどこかの家のようだ。少し先にはクレイジーロック城ともアダムのとも似ていない城が見える。反対には海。どうやら知らない国に連れて来られたらしい。 
     久しぶりの直射日光で温められる頭へ変装だと帽子を被せてくるのは、同じく見目を多少変えたアダムだ。
    「デートしよう。それとも昨日無体を働いたお詫びの方が良いかな」
    「デートで」
     夕方に差し掛かる城下町はにぎわっていた。
     すれ違う人々も並ぶ店の主達も実に奇妙だ。自分達特に隣の男へ話しかけてくる。この国で知られていないだろう自分ならともかくあのアダムへ、それはもう気安く、当たり前のように。奇妙なのはアダムの方もで、肩など叩かれてもにこやかに対応するものだからこちらとしては気になって仕方ない。何があなたにあったと問い詰めかけたものの、
    「じゃあこれとこれとこれでお願いします」
     一回アイスを食べるということで落ち着いた。アイスより優先すべき事はそんなにない。
     海に沈む日を見下ろせる長椅子で二人座って黙々食べる。三個ついでにアイノスケの友人ならと追加された一個はアダムの持つそれとお揃いだ。美味しいけど他三つの方が好み。そういうものである。
    「ごちそうさまでした」
     そしてどのアイスよりあの赤いつやつやの方が美味しかった。その後の処理的に困るのでまた食べたくならないよう、なにかあれ以上に美味しいものを探そう。今日を終えて自分に意思が残っていたらの話だけど。
    「ところで、アイノスケって誰の名前?」
    「もちろん僕」
    「三つ目も持ってるんだ」
    「はは、そんなに要らないよ。名前が一つに真名ひとつ、それで充分さ」
    「そう…………えっ?」
     今ものすごく引っ掛かる言葉を聞いたような。
    「……ええと、あなたの名前はアダムで、けどアイノスケとも呼ばれていて、そして名前と真名はひとつずつ……」
     これが何を意味するのか正直分かっている。けれどあまりに突然すぎて脳が大混乱しているせいでうまく届かない。えっとあっとと慌てるこちらに「解説してあげよう」とアダムは指を立てた。
    「だがその前にひとつ問題。魔法使いは秘密がある程強く逆に秘密を知られれば魔力が減る。これは事実。しかし事実だとして何故そうなると思う?」
    「それは確か『分からない』から、だったような」
    「違う。答えはね――そう思い込むからだ」
    「……はい?」
     アイスで良い感じに冷えた頭ですら彼の言葉がうまく飲み込めない。
    「あの庶民派魔法使いの説明は肝心なところが足りていない。魔法の大半は思い込みだよ。人間達が魔法使いは心を読めると思い込んだから僕達は心が読める。ならば魔法使い達自身も、自分は魔法を使えるのだ――そんな思い込みに偶然魔法側が応えているだけだとしても不思議じゃないと思わない?」
    「もしかして『分からない』から強い、じゃなくて……『分からないから強い』?」
    「よく出来ました。そもそも秘密なら僕達は一番隠したいそれを暴かれている。魔法使いという異能の烙印をね」
     思い返せば魔法関係の仕事をしているジョーもある程度の人間に知られているアダムも、魔法使いであること自体は隠そうとしていなかった。
    「バレても問題ない秘密がある時点で破綻しているんだよ。これは制約を付与して魔力を高める体の良い言い訳だ、もっとも例外もあるが」
    「ややこしい」
    「確かにね。だからこそ対策も実は容易かったり」
     段々アダムの言いたい事が分かってきた気がする。要は、魔法使いとは思い込みで魔力が増えたり減ったりする存在なわけだ。だとすると、思い込み方によっては魔法関連のあれこれを操作可能なのでは。
    「……アイノスケってさあ……アダムの真名?」
    「ああ」
    「じゃあ何で、あんなに知られているのに平気なの……?」
    「知られたと僕が思わなければ『ならない』から」
    「うわあ……」
     指先から頭の天辺までへなへなと力が抜けていく。
    「正確にはどちらも名前でどちらも真名。呼ばれた瞬間に呼ばれていない方を真名と思い込む感じだね。アダムと呼ばれるうちはアイノスケが真名、反対ならその逆」
     何だそれ。反則も良い所だ。かけられた時点で終わりじゃないか、こんな魔法。 
     ここ二週ほどの苦労と人に言えない経験、そしてこれからの非常に不安な人生に打ちひしがれていると「ねえ、ランガくん」やけに真剣な声音でアダムが話しかけてきた。
    「例外の話をしてもいいかな」
     頷く前に背筋を伸ばした。そうしなければいけないような気がするから。
    「ごく稀に、暴かれた秘密に対して大きすぎる魔力を失う者が居る。だがそれは奪われている訳じゃない。自分から手放しているんだ。無意識にね」
    「なんで」
    「願うから」
    「何に」
    「己に。憧れに、近づけるように」
     明かされるは秘密。彼らにとっての公然の、とてもおかしくて少しも変ではない特別。
    「魔法使い(ぼくら)は人間(きみたち)の夢を見ている」
     ――辿り着いたと、そう思った。
    「……あなたも?」
    「さて」
     アダムの片頬を染めるオレンジはここに来た時よりずっとやわらかく落ち着き、彼の面持ちをどこか優しく見せていた。
     ようやく気付く。 
     今この場には夜が来ようとしているのだ。終わりを知らせに。あるいは幕を引きに。
    「どうだろう。けれどもしそうなら一緒に死ねるね。君を同化して寿命を延ばしてあげようと考えていたがそちらでも楽しそうだ」
     視線はこちらへ真っ直ぐに、その瞳は絶えず揺れている。
     これは太陽を見る目だ。眩しさに耐えきれず、それでも惹かれ、いつか焼かれてしまう。決して届かない輝きを愛する眼差しだ。
    「君相手では思い込むのも難しいだろうな。むしろ問うた時点で負けたと思い込むかも。はは、ここまで賭けになるとは思っていなかった」
    「俺は、どうすれば。……どうしてほしい」
    「好きな方を選んで。君の選択なら僕は受け入れる」
     赤い目が――燃え尽きる寸前炎がそうするように――ひときわ強く、美しく揺らいだ。
    「始めようか。ランガくん、僕の――」 
     
     遠くを歩いていた人が数人振り返っている。目立ってしまっただろうか。 
     どうしても言葉を止めたかったとはいえ、成功したとはいえ、完全に手段を誤った。あまりにも唐突なそれにアダムも驚いている。ぽかんと、まるでたった今目覚めたかのような顔をして。
    「アダム」
    「……ひどいな君。最後くらい格好つけさせてくれてもいいのに」
    「最後にしたいのか」
    「……」
    「したいなら、いい。でも嫌なら嫌って言って。俺に全部。ちゃんと教えて」
     どちらかも決めずにはぐらかして自分任せ、それでは終わるものも終われない。
    「賭けと言うなら、これは俺と――あなたが始めた賭けだ」
     だからどうか選択から逃げないで、自分の想いから目を逸らさないで、二人の間に芽生えかけた何かを無かったことになんてしないで。 
     聞こえているだろう。アダム。 
     結末を決めつけるにはまだ早い。
    「一緒に考えよう。それでもしただのあなたになりたくなったら、そのとき俺に訊けばいい」
    「間違える気は無いと」
    「まあ」
     今のところはそうだ。この先変わるかもしれないが。 
     隣に座り直すこちらへ、アダムはもう一度ひどいなと言う。声音が安らいで聞こえるのはそれこそ自分の思い込みでは無い筈だ。 
     ならって息を吐く。
    「大体魔法無しで二人って大変だよ。まずあなたの城に帰れないだろ」
    「帰る?君も、一緒に?」
     当然だ。城をあんな目に合わせて放って帰る訳には行かない。お礼も兼ねてしばらく従僕見習いは続けさせてもらおう。
    「済んだら帰るけど、また誘われたら来るし。ボード見せて。すぐ行く」
    「……そう。なら今は訊かないでおく。代わりに花束の一つも持って君に愛でも囁こうかな」
    「花束あるの」
    「あるよ」
     あるのか。 
     またどこに隠していたのか、花束は過去最大と言って良い大きさだ。膝に乗せれば風で香りがあがる。これも沢山、主に頭に引っ被ったがその甲斐あって物扱いは回避した。大切にしよう。
    「そういえばあれ、きれいだったね。クローゼットの中で咲いてたの」
    「間違いの失敗作が?あれこそ僕が君達に受け入れられない理由、僕の異常性だ」
     即座に否定したアダムはまたすぐ口を閉じ、頬杖をつく。
    「……君にとってはそうかもしれないが」
    「うん。俺にとってはそう。だからそんな物じゃない?」
     この人は意外と他人の言葉を気にしてしまうらしい。別にそんな、重く考えなくて良いと思うけど。誰かにとってのきれいが他の人にとってのきたないになるなんてよくある話だ。
    「たまたまあの人たちは好きじゃなくて、けどあなたは好きだった。それで俺も好き。間違いもおかしいもない。それだけだよ。……あ」
     花束の中、他の薔薇に隠れるようそっと咲いていた一輪が花びらの先を黒ずませた。そしてはらはらと。
    「ふん――子供の魔法で永遠なんて手に入るものか。簡単に解けるものだったんだ。本当は」
     むすっとした顔に見守られて、夕日の残滓に吸い込まれるように幼い薔薇は空へ身を散らす。解き方を聞いて納得した。それなら確かに簡単で、けれど彼一人ではどうにもならない。 
     作ったのか持っていたのか。枯れ落ち消えた薔薇が生んだ空白に新しいそれをアダムは挿す。きれいだ。心のまま口に出せば「ああ」と被せられる声。思わず合わせた目は丸く、そして徐々に細くなっていく。
    「そうか。これが君の願いなんだな」
    「気分はどう?」
    「……君は?」
    「俺も言うから、あなたも言って」
     二人の答えは違うかもしれない。理解できないかも。それでも互いの声を聞く事にきっと意味はある。
    「話をしよう。アダム」
    「……うん。話そうか。ランガくん」
     せーので出した答えは偶然。それとも奇跡。もしくは愛のよう。どれだろう。考えるには時間も材料も足りないし、今は突然の抱擁とその温かさ以外を感じる余裕がない。結論を出すにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
     アダムが言う。
     幸せな終わりみたいだね。
     うっすら染まった頬はきっと同じ。けれど気持ちは同じでは無いから、伝えたくて口を開いた。 
     ううん。これから二人で幸せになるんだよ。
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