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    20211118 鈍感少年対不屈男with大人になりきれない料理人 停滞はしないけどそんなすぐ成長も出来ない

    ##明るい
    ##全年齢

    夢見る子供は止まらない 開いたドアから入ってきたのはいつもよりかは抑えめだが充分派手な男だった。
     二、三秒遅れた挨拶に男は軽く息を吐くのみで返す。無作法だが、それを言うなら呼び出しておいて実際来た事に驚いたこちらの方が余程礼を欠いているだろう。構わない。
    「親しき仲にも礼儀ありって?」
     軽口は視線だけで一蹴された。誰が親しいんだなんて反応したなら深追いしてやろう、そんな企みは見透かされたようだ。
     一応出したグラスにも触れず男はただ一言告げる。
    「彼は?」
    「ランガならもう少ししてから来る。到着まではおおよそ二〇分ってところだな」
    「遅刻か。それなら僕も一度……」
    「いいや、お前はここだ。少し喋ろうぜ。愛抱夢」
     察しの良い男――愛抱夢が纏わせていた空気を瞬時に刺々しいものへ。
    「騙したのか」
    「まさか。ランガはちゃんと来る」
     多少集合時間は変えたが必要に駆られての行動だ、自分とその他連中、そして愛抱夢に。
    「話を大人しく聞くだけだ。そうすりゃ俺は満足してランガが店に着き次第出て行く。二人きりだぞ」
    「はあ……?」
    「何なら別日に貸し切りにしてやろう。お前ら用のコースを作っても良い。ランガの喜ぶような店を探すのは苦労するだろ」
     我ながら怪しいと思う。だが並べた条件は中々破格じゃないだろうか。証拠に反応ひとつ返さないように見えて案外愛抱夢もぐらりときているようだ。明らかに怪しい厚待遇と何が飛び出るか分からないブラックボックス。姿勢を整え数度深呼吸したのち、リスクを好む男が選んだのは当然。
    「……話せ」
     そこまで警戒しなくとも良い。これはサービスだ。いや、罪滅ぼしと呼ぶべきだろうか。
     
     切っ掛けは子供三名保護者一名が店に来た日、保護者へ持ち掛けた相談だった。各テーブルに飾るとしたらどんな花が見映えよく相性も良いか。S外での顔を求められたシャドウは多少気まずそうだったがこちらは店にまで来られているのだ。多少は許されるだろう。
     ああでもないこうでもないと話す二人の傍にランガが座っていたのは偶然だった。今思うと実に不幸な偶然。そうでなければ決して俺は、パスタを延々啜っているアイツに声など掛けなかった。
    「おいランガ。お前も考えてみるか?」
    「え、何で俺」
    「目は肥えてんだろ。何せ貰い慣れてる」
    「つっても赤い薔薇だけだがな」
     顔を合わせて笑う俺達を、いかにも不思議そうにランガは見上げた。
    「……二人はもらってないの?」
     当たり前すぎて言葉も出なかった。
     貰うわけが無いと言えばそれはもうきょとんとフォークを置く、ああ説明を聞く態勢に入ったのだと分かったし、説明したくないと心底思った。まあ退けなかったのでしたが。
     愛抱夢が花束を一度も俺達へ贈っていないと何とか理解したランガだがそれをひどく奇妙に感じたらしい。どうして、何でと幾度も訊いてくるものだから、誤魔化しの下手なシャドウがついぽろりと溢してしまった。
    「そりゃあ、アイツにとってお前が特別だから……」
     かなり率直に言いやがったなと思ったが居ないところで公然の秘密をバラされた旧友への謝罪は必要なかった。結局のところ意味がなかったので。
     そう。意味がなかった。
    「……?」
     直接的な言葉をかけられたうえで、ランガはその一切を理解できなかったのだ。
     
    「……愛抱夢。大丈夫か」
    「何が。僕には何の問題も無い」
     そう言う声音は明らかに覇気を失っている。
    「それなら続きに行っても良いな?」
    「……まだあると?」
    「おお。たっぷり」
     グラスの中身を酒に代えてやりたくなる顔色で「やれ」と愛抱夢は頷いた。一思いにか?などと訊くのは流石に性格が悪いだろう。
     
     ランガのどこまでも無な表情にこれは面倒な事になったと後悔したがここまで開いてしまったパンドラの箱を見て見ぬふりと言うのも寝覚めが悪い。ひとまず自分に出来る最大限ランガに、そして愛抱夢に誠実な語り口で説明したつもりだ。俺の口から出た言葉のせいで二人の関係に大きな変化が生じないよう、だがしばらく孤独街道まっしぐらだった旧友が多少は報われるように。
     努力の甲斐あり着実にランガの理解は深まっていた。
    「……つまり愛抱夢は愛してるから薔薇を贈って……愛抱夢の言う愛って本当に愛のことで……?」
    「そう!そうだ!」
     あと一息。その確信があった。
    「薔薇はあいつの愛そのもの。最近あいつが薔薇を贈っているのはお前だけ。と言うことは?」
    「ことは……」
     いける。ここまで共に必死で走った戦友と密かに健闘を称えあった。
     愛抱夢とランガの微妙な関係に気づいてからしばらく。変化の無さそうな関係は気になりつつも何かするつもりは毛頭無かった。俺達はとうに成人を超えた大人なのだから他人が恋愛に口出しなんて馬鹿らしいし愛抱夢が抱いているだろう感情は口が裂けてもまっとうとは言えない。黙って見守り、もし手を出すようなら止める。それくらいのつもりだった。だが現実はあまりに惨く。小石ひとつ投げるくらい、波紋ひとつ起こすくらいは――裏を返せばそれくらいは出来るだろうと。侮ったまま、
    「……そういえば、愛抱夢が言ってた」
     ランガがふいに表情を変えたのに俺は勝利への光を見た。勘違いしてしまった。
    「おっ、何だよ?」
    「愛してるって」
    「良いねえ。誰を?」
    「スケートが好きな皆を」
     
     話終えた途端身体から力が抜けるのを感じた。何度も思い出した俺にさえ膝をつかせるこのエピソード、素人が食らえば一たまりも無い。
    「おい、生きてるか」
    「当たり前だろう」
     身に覚えがあるかと訊けば「ある」と返ってきた。声の震えは聞かなかったことにしてやろう。
    「言った。言ったがその後きっちり付け足した筈だ。"特に君は"と」
    「あー……聞いてなかったんだろうな」
     言葉を失ったのは推測があながち外れていないと愛抱夢も思ったからに違いない。
    「ともかく。あいつの中ではその方がよっぽどしっくりきたらしい。俺らの努力はその時点でパーだ、パー」
     非常にタイミングとチョイスの悪い回想と閃きにすっかり囚われたランガは、よく考えたら薔薇以外にも方法は沢山あるしたまたま俺には薔薇だっただけじゃない?そんな言葉を皮切りに次々事実を曲解し出した。
     愛しているのは、特別なのはランガただ一人ではない。きっと愛抱夢にとっては皆が特別であり皆を愛しているのだと。
    「Sに来るプレーヤー全員を僕が特別扱いしているところなんて彼は見たことないだろう、何故そうなる」
    「"愛抱夢なら出来る"だとさ」
    「……」
     彼は自分を何だと思っているのか、か下手な物真似はやめろ、か。苦々しい顔にどちらの意味が込められているかは流石に分からない。両方かもしれない、それに加えて僅かな喜び――ランガが自分を無条件に評価しているという。全くこの男いつからここまで単純になったのだ。
    「理解したか?じゃあここまでが前提で」
    「まだあるのか……」
    「むしろここからが本題。いや、愛抱夢」
    「ああ」
    「すまん」
     この数分の間に何回珍しい表情を見たことか。数を数えておけば良かった。
     ランガ達と別れて数日はそれなりに引きずった。悪いことをしたと思ったのだ。実際俺に落ち度があるかと言えばそうでなく、ただ旧友の悲しい恋愛事情を一方的に知ってしまった罪悪感に苛まれただけだが、ともかく一肌脱いでやらねばと決意した。
     悩みに悩んだ末の結論は、やはりあの鈍感さでは直に見せるのが一番速いだろう、だった。仲間と、そして癪だがあの眼鏡にも協力を頼んだ作戦は明確。ランガが見ている時を狙って愛抱夢と話す。ほらこんなにも対応に差があるんだぞと示してやれば自ずと理解する筈だと。
    「ああ、やたらと馴れ馴れしいと思えばそういう事か」
    「結構長いことやったからな。絶対に分からせてやろうと思って」
    「僕より余程意地になっていないか?……ふうん、なるほどね」
     愛抱夢が急に落ち着きを見せ始めた。これで話が終わったと思っているようだ。まさか。顛末を聞いていないだろう。あまりにも、あまりにもな作戦結果を。
    「てっきり君達が僕と話したくてたまらないのだと」
    「わはは。心にもないことを言うもんじゃねえよ。思ってないだろうそんな事。お前も、俺も」
    「変に回りくどい言い方を……、まさか」
     気づいたらしい。
     一人だけ居るのだ、そんな有り得ない思い違いをする少年が。皆を愛しているのだと叫ぶ男へ群がる愛の対象内だろう"皆"。その光景をランガならどう見るか、目の前の敏い男が分からない筈もない。
    「どうだ愛抱夢、気付いたところで俺はお前さんにもう一度謝罪するべきか?」
    「そんな物要らないから一刻も早く訂正しろ」
    「いやそれがなあ。したにはしたんだが」
     糠に釘、暖簾に腕押し。柳もかくやと思う受け流しっぷりをランガは見せつけた。こちらが必死であればあるほど生温くなる視線で、一切の言葉を届かせること無く「わかる。今はまだ……ってことだよね」と頓珍漢な答えしか返さないのだ、厄介なんて物ではない。
    「……と、いうわけで俺は手詰まり、他の奴らも限界」
    「全員余計な気を回した結果の自業自得に思えるが」
    「そう言うな。だからまあ何だ、愛抱夢」
     形としてでも頭を下げる。こんな事でこの男の機嫌が取れるとは思っていない。ただお前の為にと思いながら結果として首を絞めてしまった己の贖罪だ。
    「頼む。ランガの誤解を解いてくれ」
     沈黙は長かったが返ってきたのは例え何時間待とうと満足できる回答だった。
    「……仕方ないな」
    「マジか。もう少し粘るかと思ってた」
    「無駄だろう。時間もない」
     確かに時刻は愛抱夢が来てから大分経過している。あと数分もすればいつランガが来ようとおかしくないだろう。
    「ただしあまり期待はするなよ」
    「分かってるって。そんじゃ作戦会議でも」
    「こんにちはー」
     殺気の込もった視線が痛い。聞かれたらまずいので口には出せないがこれは俺も予想外だ。断じて仕込んでない、流石に旧友へそこまで酷い真似は出来ない。
    「おーランガ、早いな?」
    「そう?」
    「あ、いや。帰らなくていい。適当に座れ、そっちじゃない、こっち、ほら」
    「わかった」
     山のように盛った食事で何とかランガを愛抱夢の隣に誘導して、ひとまず俺の任務は完了。後は店から出るだけだ。
    「買い出しに行ってくる。留守番を頼むぞ、ランガと……愛抱夢」
     肩を叩けば力が入っている筋肉特有の強い跳ね返り。
    「しばらくしたら戻って来っから」
    「……」
     これから地獄に向かうかのような目をした男は、ランガに聞こえないだろう声量でボソリと呟いた。覚えておけよ。おお怖。
     
     店を出て十数歩。店内からは死角になるがこちらはよく見えるよう工夫した"待機場"に向かうと既にスタンバイ済みの影があった。
    「そこで若干はみ出てんのはシャドウか?」
    「ジョー、お前が来たってことは……始まったんだな」
    「ああ」
     二人きりにするとは言っても監視が無いとは言っていない。若干卑怯なやり口だが愛抱夢相手ならこれくらいの警戒心は持ち続けるべきだ。例えあの男が現在落ち込み切っていたとしても。
     それにしても、一応誘ったのはシャドウ一人だった筈なのだが、
    「なに」
    「何だよ」
    「言ってみろ」
     まさか全員揃い踏みとは。店だって閉じている一番暇な時間帯とはいえ一人くらい忙しい奴は居ないのだろうか。青春とか恋愛とか。
    「おい。遠くて見えんぞ」
    「近くで見たら絶対にアイツは気づくだろうが。昔もそうだったろ」
    「ああ……そうだったな……」
     文句には思い出話をふるに限る。しんみりと記憶のなかに入っていく姿には多少思うところもあるが、今はそれよりも愛抱夢達だ。どうやらまだ会話すら始まっていないらしい。
    「待って、ランガが食べ終えた。何か話し出しそう……!」
     聞こえないそれをおそらく予想してそれぞれ個性ある表情を浮かべた三人と一人に気づかれないよう、こっそりイヤホンを耳に当てた。ギリギリ圏内だったようだ。置いてきたスマホと無事接続し続けているらしいイヤホンからは、ザリザリと掠れた音に紛れ二人の声が聞こえてくる。
    (久しぶりだね)
    (うん)
     一度言葉を交わしただけで会話は終わった。嘘だろ。言い掛けた口を塞いでも、嘘ではないと証明するように沈黙は続いたままだ。
    「また動かなくなった……何なんだあいつら」
    「ランガが受け身だから話しにくいんじゃねえの」
    「それは無い」
     思わず強く否定してしまったがそれだけは無いだろう。あの愛抱夢が、相手が何も喋らなければ会話ひとつ続かないような男である筈ない。
    「ほら!また何か話すぞ!」
    「ジョーいきなりうるさい」
     ノイズの向こうへ耳を澄ます。
    (僕は君を愛しているわけだが)
    「……ジョー?何で急にこけたんだ?」
    「い、いいや何でも……」
     洒落にならない。こんな杜撰な話題の振り方を愛抱夢が。
     見た目から別人になってしまった旧友。そうだとしても内側にはあの頃の俺達が憧れた後ろ姿が確かに生きているのだと思っていた。だが違うのか?アイツの存在はその話術ごと消えてしまったのか?
    「チェリーだけじゃなくてジョーまで遠くを見始めた……何なの……?」
     俺達がヤベー半端ねえと後を追いかけたお前はもう居ないのか。愛抱夢――。
    (……だから)
    (うん……わかった……)
    「……!」
     途切れ途切れに聞こえたやり取りに全てを理解した。成る程、そういうやり方か。
     愛抱夢は話が下手になったわけではない。合わせたのだ。文を短く区切り、意味を明確にし、言葉を飾らない。ランガが最も聞き取りやすく噛み砕きやすい話し方へ切り替えている。
     相手の、今ならランガの反応を逐一確認しながら場合によっては何度も同じ言葉を繰り返す会話は文字に起こせばひどく不細工だろうしあの男の美意識にそぐう物では決して無いだろう。だが愛抱夢は敢えてそれを選んでいるようだ。ランガから一歩歩み寄らせるためその何倍も歩み寄っている。
    (愛抱夢は皆のことを愛している。けど皆への愛と、愛抱夢が一人にだけ贈りたい愛は違う)
    (そう。続けて)
    (その、愛抱夢が愛を贈りたい一人っていうのが……おれ……?)
     疑問系なのは信じきれていないから、だがそれで充分だ。僅かにでも隙が生じたなら愛抱夢は見逃す男ではない。
    (ああ。僕は君に特別な愛を贈りたい。たった一人だけにしか抱けない愛を、捧げたいと思っている)
    (好き、なの?)
    (好きだ)
     鈍感な子供用にチューニングされた旧友の告白は、まあ気恥ずかしい程真っ直ぐで分かりやすく、本人の言葉を借りるとするならそれこそ特別な愛に溢れていた。
    「あっ!」
    「うわ……」
     音声に集中し過ぎたらしい。やにわに騒ぎだした子供達につられて見れば大分二人の距離が近づいている。
    「おいジョー。もうそろそろ行った方が良くないか」
    「そうか?まだ放っといても良いんじゃねえの?」
     会話を聞いている事はこの四人にも店内の二人にも秘密なだけに咄嗟に能天気なポーズを取ってしまったが、正直それなりに不安ではあった。
    (そうか、好きなのか)
    (ああ、とても好きだ)
     二人の会話は一見暢気だ。しかしそこにある綱渡り並の繊細なバランスを俺と、おそらく向こう側の愛抱夢だけが感じ取っている。
    (僕は、僕の愛を君に受け取って貰いたい)
    (……どうやって?)
    (関係を結ぶ)
     来た。
    (関係?)
    (僕と君が特別な愛を贈り合える関係)
     ランガは気づいていないようだが告白には返事があり、今の彼らがしている会話はその返事に該当する。もし愛抱夢が己に都合いいよう誘導すればランガは「付き合う」「恋人になる」を意味する言葉を口にしかねない。抜け目ないあの男のことだ、録音録画更には契約のひとつでも交わす準備さえ整え済みかもしれない。一度交わしたそれをランガが反古に出来るかは未知数だ。やはり止めるべきか。
    「まあ、ここは少し俺が様子を――」
    (なれるの?)
     しまった。思っていたよりランガの把握が速い――。
    (いいや。なれない)
    「――――」
     思わず固まってしまったから周囲の視線が集まっている。何か言われてもいるようだが、どうにも聞こえづらい。俺のせいだった。イヤホンから聞こえる音を捉えるのに必死だから。
    (僕は君を愛している。愛を受け取ってほしいと思っている。だが、まだ関係は結ばない)
    (どうして?)
    (フェアでは無いからだ。君にそうさせる事は簡単だが、簡単ではいけない……すまない。分かりにくいか)
    (ちょっとわからないけど、そのまま。聞かせて)
    (……君を待ちたい。その未熟なハートがたったひとつの愛を知るまで。僕は君が咲く瞬間を、選択を見届けたい。それが見られたならば、君が誰を選ぼうときっと、僕は受け入れられるから)
    「……心配すんなお前ら。多分大丈夫だ」
     ずるずると座り込みながら心配げな顔ぶれにそう告げるしか出来なかった。
     本当に、随分変わったと思う。
     いつだって何処か寂しい瞳をしていた男はいつしか仮面で顔を隠し、寂しそうだと俺達が思うことさえ許さなくなった。涼やかな顔をしてその実ぎらつく欲望を隠さない男だった。誰かを愛せば返ってくる愛こそ尊ぶ男だった。そうしてある日、己の喜びの為ならば他者を貪れる男になったと知った。
     今イヤホンから聞こえた祈りのような言葉など、あの頃の愛抱夢が口にすることなど無かった。今に至るまでもそうだ。愛抱夢は祈らなかった。愛抱夢は奪える側だった。
    「なあ、薫」
    「何だ」
    「俺ら、大人になったんだな」
     笑い転げて走るだけで楽しそうだったあの男は消えてしまったのだろう。
     だが、一人望みだけを見据え孤独の海に自ら沈む旧友の姿も、もう何処にも在りはしない。
    「ようやく気付いたのか。遅いんだよ」
     憎まれ口にお返しも良いが、今はそれより相談事がある。変わってしまったアイツともそこそこ気安くやっていく方法。どうだろうか。時間を掛ければ、俺達で考えればどうにかなる気がする。
     あの頃の万能感は無いけれど、その分多くの物を確かに手にした今の俺とお前と、アイツなら――。
    (愛抱夢はそれでいいのか)
    (勿論――嫌だ)
    「……ん?」
    (なので努力しよう。愛を知った君から選ばれる瞬間を絶対に逃さないための努力を――)
     イヤホンの調子がおかしい。やたらとノイズが増え、愛抱夢達の声も変に大きく聞こえる。壊れたかと焦ったその瞬間。
    「――――!!」
    「なっ!?おい、どうした!」
     耳が、鼓膜が破れたかと思った。
    (気付かれていないと思っていただろう。甘いな)
    「……ッ、ッ……!」
    (貸し切りについてはまた今度)
    (愛抱夢?)
    (今は君が先だね、ランガくん)
     衝撃でうまく声が出せない。何だなんだとこちらばかり気にしている仲間達へ伝えなければいけないのに。
     俺を見ている場合じゃない。後ろを。店先を――。
    「……ぁだむが、逃げる……!」
    「は?……あ!?」
     店から出た男が遠く消えて行く。その肩に俵の如く担がれているのは。
    「ランガーッ!?」
    「と、とにかく追いかけんぞ!こら愛抱夢ー!」
     一人また一人とりあえずと言った感じで追いかける仲間達も、一切振り向かず去っていく愛抱夢もボードを用意する暇などなかったので当然ダッシュだ。
    「うおお車ー!!?」
    「アレに乗せたら終わりだ!何とか止めろ!」
    「俺達も行くぞデカブツ!……おい笑っている場合か!」
     笑いもする。何だこれは。許されて良いのか。もうなったんだろ、それがこんな。
     ああ、だがもし許されるなら、うん。俺もそっちが良い。楽しい方が好みだ。昔からずっと同じで、だから探す事を止められなかった。だってあの時間が一番楽しかったんだ。
     引きずられながら何とか走り出す。足は軽く。追う背中はいつかのように楽しそうで。まだまだ全然、俺達は。
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