尊敬していた人が予想以上に以外だった件 とある昼下がりのこと。
特にするべく事もなく、夕方頃まで城下を見回ろうかと一氏は支度を整え、いざ城門を抜けようとしたその時であった。
「待って、一氏くん!」
呼ばれた声に反応はするものの、一氏はその場を振り向くこと無く相手の動向に身を委ねた。
忍たるもの背後を易々と取られるとはと思うのだが、自分の腰に手を回し抱きついてくるその人が、自分にとって敬愛すべき人物とあれば話は別だ。
「どうしました?軍師」
自分に抱きついている軍師こと、半兵衛の方を振り向きながら一氏は声をかけた。
「君に手伝って欲しい事があるんだ…だめかな?」
互いの背の関係から、少し上目遣いになって見つめてくるその瞳はまるで子鹿の様にも見えてしまい、これを見ても断ろうものならとんだ冷血漢だなと、そう思いつつ一氏も主君である秀吉の様に、つい半兵衛を甘やかしてしまう事を自覚し、一つしかない返事を返した。
「手前で良ければなんなりと、軍師」
半兵衛に手を握られ連れられた場所は、半兵衛の部屋の前であった。
「明日、官兵衛が部屋に来るから、ちょっと掃除を手伝って欲しいんだ」
ここで言う官兵衛とは、最近羽柴秀吉の家臣となった黒田官兵衛の事である。
半兵衛にとって正しく【後輩】とも言える存在だが、如何せん主君である秀吉への言葉遣いや【先輩】である半兵衛への対応等、先に家臣となった一氏からすれば何かと目に付き鼻に付いてしまう。
とにもかくにも【新入りの癖に生意気だ】とあまり良くない印象を持っている人物である。
おまけに自分にも態度がまるでなってないとなれば、尚更の事。
とはいえ、秀吉、半兵衛共にこれからの事を期待してか、つい官兵衛を甘やかしてしまう事があるものだから、一氏としては
(自分は絆されてなるものか)
と、意固地な態度に出てしまう事を否定する事は出来ず、結果として時に官兵衛と口論に発展することも少なくなかったし、その度に秀吉や半兵衛が間に入って二人を宥めるのは、最早羽柴家中では日常的であった。
そんな彼を招く為に部屋を綺麗にしたいと言う半兵衛の願いには、ほんの少しだけ思う所はあるが、なればこそ彼の願いを完璧なまでに叶えてあげて、官兵衛を招いても彼が恥をかかぬように支えるべきだと一氏は思った。
「この部屋なんだけど…驚かないでね?」
半兵衛の言葉に僅かながら一氏は疑問符が浮いたが、さほど気にする事でもないだろうと、一氏は障子に手をかけた。
「手早く済ませてしまいましょう。軍師」
サッと開けられたその障子の向こう側に広がっていたのは───
「………………………」
一氏は思わず絶句してしまった。
なんと言えば良いのか、一言で表すなら【酷い】の一言に尽きる。
足の踏み場が無いのはもちろんの事、貴重な紙がほうぼうに積まれ、散らばり、隅に酒瓶が置かれているのが見える。
文机はこれまた仕事が出来てるのか怪しい位、ありとあらゆる物で溢れていた。
「やっぱり…驚いちゃった?」
あはは、と半兵衛が苦笑を浮かべながら聞いてきたことに、一氏も「いえ…」と短く返事を返すが、あながち間違ってもないのでそれ以上は答えなかった。
(人は見かけによらないとはこの事か…)
と、一氏はいかに穏和な雰囲気を醸し出し、時には女性かとも見間違えられる彼であっても、意外なまでに雑な部分が垣間見える、しっかりとした【男】なのであると自覚する。
さて、そのまま惚けている訳にはいかない。
何としてもこの現状を打破しないと明日、後輩たる官兵衛からの彼への印象をこのままでは落としてしまいかねない。
一氏は考えた、一体どこからやるべきか…と。
少し考えを巡らせて、ある事を思い付いた一氏は「少しお待ちを」と、その場を後にし、ふたつの箱を手に持ち戻ってきた。
「これでとりあえずは中の物を仕分けいたしましょうか」
箱にはそれぞれ【いるもの】【いらないもの】と書かれていた。
「なるほど…さすがだね一氏くん!これなら上手く片付きそうだよ」
と、半兵衛は一氏の機転の良さに感心する。
こうして、片付けは始まったが如何せん物が多く、最初はかなり苦戦してしまったがある程度の仕分けが進むと、少し部屋に空白が出来てきた。
一氏はふと半兵衛の方を見る。
自分が思ってた以上に、テキパキと仕分けしている半兵衛を見て、やれば出来るが、やる暇が無かったのだろうと思った。
荷物やごみが仕分けられいっぱいになった各箱は、とりあえず半兵衛の部屋から持ち出して、いらないものは処分し、いるものは一旦、一氏の部屋へ運び込んで保管した。
しばらくはそれの繰り返しであったがそんな中、彼はふと気付いた。
(これは…)
段々と自分の部屋に持ち込んでいる荷物が、予想以上に増えてきている。
本人がいるものとして仕分けている以上は、あまりその中身を詮索するのはどうかと思ったが、あとから部屋に戻すにも…と思えば、一氏はそれを精査せずにはいられなかった。
彼なりに再度、いるものの箱の荷物を仕分けしていたらその原因が徐々に姿を表してきた。
「軍師、少し良いですか?」
自分の部屋から半兵衛の部屋に戻ってきた一氏は、半兵衛に声をかけた。
半兵衛の部屋は仕分けの効果で少し見栄えが良くなってきていた。
「何かな?一氏くん」
振り返った半兵衛は一氏が箱を持っている事に気づき「どうしたの、それ」と、聞くこととなる。
一氏は箱をおろして半兵衛に見せた。
「玩具が多すぎです」
一氏が持ってきた箱の中にはけん玉や独楽、やじろべえ等といった、玩具がてんこ盛りで入っていた。
大きさ違いや色違いはともかく、中にはそっくり同じものまで入っているのである。
「あー、それはね…」
と、半兵衛は申し訳なさそうな顔をしてこう答えた。
「つい、買っちゃうんだよね」
「つい、ですか」
「うん、外を歩いてる時に考え事してたらたまに頭の中を切り替えようと思う時があってさ、その時はこうした玩具で遊ぶのが一番効果があるんだよね」
と、やじろべえを手に取り半兵衛は語った。
「だからといって玩具を持ち出したりとかはしないからつい毎回買ってしまって、もしかしたらたまってるかも、とは思ってたんだけど…」
半兵衛は少し苦笑しながら手に取っていたやじろべえを眺める。
「どうやら思ってた以上に集めてたみたいだね、僕」
と、微笑みながら一氏の方へ振り向いた。
(この方はまるで無垢そのものだな…)
一氏は半兵衛の意外な一面を新たに発見出来た事を少し誇らしく思った。
普段は毅然とした態度の半兵衛にも、こうした無邪気な一面や、私生活が大雑把な一面があった。
これは掃除を手伝っている自分だけが知れた、ある意味恩恵なのかもしれないと、そう一氏は感じた。
「うーんこれ、結構たくさんあるし…どうしよっか?一氏くん」
半兵衛は一氏に集めた玩具に対する意見を求める。
一氏は少し考えた後、ある事を思い付いてこう返した。
「城下の子供たちにこれらを配るのがよろしいかと」
「うん、それがいいね。なら、掃除が終わったら配りに行こうか」
と、一氏の意見を聞いて、半兵衛は後に喜んでくれるだろう子供たちの事を思い笑顔になった。
早速、玩具類は他の二つの箱とは別に分けられ更なる仕分け作業が続いた。
大きな物があらかた片付いた所で、いよいよ畳に散らばった書物やらを仕分けに二人は取り掛かる。
そんな中───
(…………………………あ)
一氏はふと感じた【気配】につい反応し、とある一点を見つめていた。
(しまった……)
気配の正体に気付いた彼はその瞬間、後悔してしまう。
床に無造作に散らばった紙の束の下、姿は見えていないのに、一氏はそこに【やつがいる】と気づいてしまったのだ。
正しく【虫の知らせ】とはこういう事なのか。
普段から気づかれることなく潜んでいる奴らを、人間は直前まで普通に過ごしていたのに、何故か気配を察知して【そこにいる】と気付いてしまう。
そして気付いた後はもう、それがほぼ確実に確定しているのだからタチが悪い。
こういう反応が度々起きるのはもちろん、彼も例外ではなかった。
人間としての直感と忍としての感性が相成って、一氏は一度認識してしまった【それ】に目が離せない。
半兵衛は仕分け作業に夢中で、こちらには気付いてない。
そう、そこにやつがいると判断したのは自分だけなのだ。
見えていないけど、本能は告げるのだ。
やつがここにいるよ。と。
(どうするべきか…)
一氏は【やつ】への対抗策を思案する。
そうだ、始末するだけなら極めて簡単なのだ。
そこら辺に散らばっている紙ごと、やつを包んでしまえば、後はそれを丸めるだけでいいのだ。
問題はその紙が捨てる物なのか否かなのである。
床に散らばっている紙が重要なものであるとしたら、それらでやつを包む訳にはいかず、常に気を配りつつ別の物でやつを捕えなければならない。
もちろん別の物となればその分、やつを捕らえる難易度は上がるといっていいだろう。
しばらく思案した後、彼は決意した。
どのみちこの散らばった紙は、そしてやつは誰かが片付けねばならないものだ。
散らばったその紙が如何に重要かそれとも否かではなく、この部屋にやつがいる事こそがあってはならない事実なのだ。
その為には例え、素手でやつを捕らえる事になろうとも、ここには捨てる物も腐るほどあるのだから、今更気にする事もあるまい。
いや、気になどしてはならないのだ。
意を決して、一氏は半兵衛に聞いた。
「軍師、あの辺りにある散らばった紙は如何なもので?」
一氏の質問に振り返った半兵衛は紙の束を確認してこう答えた。
「いや、その辺りのやつは書き損じ…」
半兵衛の言葉の内容を理解した瞬間、最後までそれを聞く事無く、一氏は素早い動きで周囲の紙ごとやつをまとめにかかる。
自分の言葉を最後まで聞かずして動いた一氏のあまりの俊敏さに、何事かと思わず半兵衛も目を見開いてしまった。
「ど、どうしたのいきなり?」
一氏は手もとの紙をくしゃりと小さくまとめながら、半兵衛の方へ振り返った。
「なんでもありませんよ。軍師」
一氏は自分で丸めた紙を少し眺め、軽くため息をついた。
まとめていた時に感じたやつの手応えが、思っていた以上に手に伝わってしまったからである。
(軍師が見なくて良かった…)
もし、姿を現した際の半兵衛の反応を思うと、早めに処理出来て良かったと安堵した一氏は、さっさと丸めた紙を捨てると次への作業に取り掛かる。
あと少しで片付けも終わる事だろう。
仕分けていた最後の荷物を半兵衛の部屋に置き直して、長かった半兵衛の部屋の片付けがようやく終わりを迎えた。
「ふぅ、やっと終わったね」
「そうですね、日が暮れなくて良かったです」
二人は見違える様に綺麗になった部屋を見渡し、これなら明日を迎えても大丈夫だと、そう確信したのだった。
「さてと、今日はありがとうね一氏くん。さっそくだけど一氏くんには何か御礼しないとね」
と、言いながら半兵衛は一氏の手を引っ張り、外へ連れ出そうとする。
「い、いえ。お構いなく軍師。手前はただ掃除を手伝っただけですので」
「だめだよ一氏くん。君のおかげでこんなにも早く片付いたのだから、この御礼はきっちりと受け取って貰うからね」
一氏は慌てて断ろうとするも、自分の腕を引っ張る半兵衛の力は思った以上に強く、また半兵衛の強い要望もあって、これ以上強く断る事は出来なかった。
そのまま城下の茶屋まで一氏は引っ張られ、茶と団子を馳走してもらう事になった。
「これからはさ、もう少しこまめに部屋を片付ける事にするよ」
茶屋で団子を頬張りながら半兵衛が今日を振り返り、これからの決意を述べる。
「でもさ…」
半兵衛がぽつりと言葉を呟くので思わず「何か?」と一氏は問うた。
「もしまた困った事になったら…その時はまた君を頼っても良いかな?一氏くん」
と、団子を差し出しながらお願いする半兵衛を見て、一氏は改めてひとつしかない答えを返すのだった。
「手前で良ければなんなりと、軍師」
後日────
「一氏くん!!」
あの掃除の日から二週間程経った頃、一氏はまた半兵衛に呼び止められる事となる。
そして、半兵衛に連れられやって来たのは半兵衛の部屋の前。
「僕と一緒に、部屋を片付けるのを手伝って!」
半兵衛が両手を合わせ、お願いと頼むので前回と同じく一氏は了承して部屋の障子を開けた。
「なっ……!」
そこには前回よりも、もしかしたら酷い有様ではないかと疑うくらいに部屋の中が物で溢れかえっていた。
それを前にした一氏は思わず本音を漏らすのであった。
「何でこうなるんだよ」