【ふみ天】「オム・ファタルの三面性」 ちょうど、天彦のショーが始まるところだった。暗く静まり返った店内に、妖艶な音楽が響きだす。ふみやは店内に足を踏み入れると、ステージ周りに用意された客席に適当に座った。店内を一瞥する。老若男女、サラリーマンから夜の蝶まで、あらゆる人々が、押し黙り、ステージの一点を見つめている。足元のライトに照らされて、見慣れた長身のシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。
そんなに楽しみにするものなのだろうか、と思いながら、ふみやはスマホの画面を開いた。依央利とテラ、三人でのグループチャットにメッセージが送られてきている。
『奴隷:天彦さんのショー行きましたか?』
『テラくん:ちゃんと行ってあげるんだよ~』
お前らは初めから行くつもりなんて無かったくせに、と内心で悪態をつきながら、なんと返信しようか考える。
今日は天彦が久しぶりにポールダンスを披露するとあり、彼は一週間ほど前からことあるごとにショーの話を持ち出して、方々に身に来てほしいと言っていたのだ。ふみやも誘われたときいつもの調子で誤魔化そうとしたのだが、それが今回ばかりは上手くいかなかった。慧や大瀬が来ないことは想像に容易かったが、理解も予定があると断り、かくかくしかじかの紆余曲折――テラと依央利に押し付けられたともいう――を経て、観に来ることになったのだ。バックレようとも思ったが、天彦に理由を付けて誤魔化すのもなんだか心苦しく、結局こうしてステージを見ているのだ。三人に立て続けに断られていた時の顔を見たせいかもしれないが。
返信の言葉を考えていると、曲の音量が上がり、同時にステージの中央がライトアップされた。反射的に顔を上げると、天彦がショートパンツだけという露出度の高い衣装を纏い、ポールを背に立っていた。ワインレッドの髪をオールバックに上げ、厚底のショートブーツを履いている。白いライトに照らされて、ひと際白く見える素肌にエナメル質の黒い衣装が良く映えている。
ふみやが見惚れていると、音楽に合わせて天彦が緩慢な動きでポールを掴み、両腕を絡めて踊り出した。天彦のこの姿を形容するには、セクシーという言葉が最もふさわしいだろう。ふみやはポールダンスに造詣が深いわけではないが、重力を忘れたようにしなやかで軽やかな動きに目を奪われる。
曲が転調し、ステージを照らすライトが紫色に明滅する。穏やかだったダンスは一気に激しさを増し、息つく暇さえ与えられない。膝裏でポールを挟んだかと思うと背を反らし、今度は片手で挟みながら開脚して旋回する。その絶え間ない躍動に釘付けになる。美しい、という言葉はこの一時のために在るのだとさえ思う反面、そんな陳腐な言葉で形容して良いのかとも思う。きっと、今客席にいる全員が、同じことを考えているだろう。呼吸の仕方を忘れ、思考を奪われ、ただ、彼の崇愛するセクシーの片鱗を享受する。
厚底のプーツが軽やかに床を踏みしめた。天彦がポールから降り立つと同時に音楽が終わった。客席に向かい、天彦が頭を下げる。顔を上げた時、碧い瞳と目が合った気がした。
ライトが消えると、わっと会場から拍手喝采が起きる。確かにそれくらい、熱狂的なステージだった。
別のパフォーマーがショーの準備を始めている間に、ふみやは席を立った。今日の目的は天彦のパフォーマンスを見ることだ。スマホを手で弄びながら出口に向かう。
「何回見てもアマのショーは別格だよなァ」
「ただエロいだけじゃねえのがいいんだ」
そこかしこから、天彦を賞賛する声が聞こえてくる。そう、天彦の本職はダンサーだ。共同生活をしていると、つい忘れそうになる。ここにいる天彦の熱狂的なファンたちに、朝から良い匂いだと言われ、添い寝を申し込まれたと言ったら、どんな顔をするだろう。
ふみやは店から出ると、壁に凭れながらスマホを開いた。グループチャットを見つめながら、ショーの熱気を思い出す。天彦が現れた瞬間の、世界ががらりと創り変えられたような、あの恍惚の瞬間。
「ふみやさん?」
聞きなれた声に名前を呼ばれて顔を上げる。店の裏口から、いつもの私服に着替えた天彦が声を掛けてきた。
「観に来てくださったんですね」
目が合うと、天彦はぱっと表情を綻ばせた。子どものように屈託の無い笑顔は、さっきまで舞台に立っていた男と同一人物とは思えない。彼が普段世界セクシー大使を自称し、変態的行動を取っていることも、ひとたびステージに立てば素晴らしいショーを披露するダンサーになることも、両方知っているのは、ふみやだけではないだろうか。
「いかがでした? これでふみやさんもエクスタシーワールドの」
「天彦」
名前を呼ぶと、天彦が碧い瞳をきょとんと丸くして言葉を切った。
ふみやが手招きすると、不思議そうな顔をしながら身を屈めてくる。ふみやは天彦の襟元をぞんざいに掴み、彼の口に吸い付いた。満足して口を離すと、天彦の頬が少し紅潮して見える。この表情を知っているのも、ふみやだけなのだろう。
「お前の良さを再確認した」
「……僕の良さ、ですか」
まだ首を傾げている天彦にそれ以上は言わず、ふみやはスマホに目を落とした。グループチャットに『ヤバかったよ』とだけメッセージを送り、ブルゾンに仕舞う。
「待ってたんだ。一緒に帰ろう」
ふみやが声を掛けると、天彦が明るい声で返事をした。ポケットに突っ込んだままの腕に、天彦の腕が絡められる。これは特権か、と口角を緩めながら、ふみやは天彦と共に月明かりに照らされた帰路を歩き出した。
END