Take a Siesta♪「……っと、」
柔らかな声が溢れたと思うと友人の頭はガクンと落ち、一瞬後に驚いたように持ち上がった。人差し指でくしくしと目を擦っている姿はまるで毛繕いをする小さなハムスターにも似ていて、思わず苦笑が溢れる。
「今俺のこと呼んだ?リンちゃん」
「言ったかも……俺寝てた?」
リンドウがパシン、と自らの頬を叩く。
「寝てた寝てた」
俺の夢見てたんだ、とフレットは機嫌良さげに茶化した。2週目が始まってから4日間は話しかけることすら躊躇われる気まずい空気だっただけに、昨日「仲直り」ができてからは普段にも増して口数が多くなっている。平日昼間の”バーガーヒーロー”は若年で賑わう休日と異なり、年配の女性たちの2・3人組がぽつぽつとテーブルを埋めるだけだった。顔見知りであろう人々の人間関係について延々と、終わりない四方山話を続けている。眠たくなってしまうような心地よい喋り声が穏やかに辺りを満たす。
ビイトとナギをテーブルの向かいに挟み、ソファ席に並んだ二人は小声で話し合っていた。
「てかさっきからすっごい眠そーだけど、大丈夫?」
「だいじょうぶ……」
そう言いながらもリンドウの瞼は再びゆるゆると落ちかけていた。
つい先ほどまでは、スクランブルバトルでの連戦のためにセンター街とスペイン坂を駆け回っていた。前を行くリンドウはいかにも覚束ない足取りで歩き、時折は踏み外して倒れそうにすらなった。見かねたフレットが声をかけても「大丈夫」と答えるだけだったが、強敵のサソリノイズを目の前にしてすらぼんやりと足を止めている姿を見かね、少々強引に”バーガーヒーロー”での休憩を提案したのだった。未だ二の足を踏むリンドウを3人で引きずるようにして、スクランブル交差点前のバーガーショップへ戻ってきた。
案の定、オーダーを受け取って席に戻ったリンドウは、注文したコーラに口をつけることすらせず先ほどからこくこくと舟を漕いでいる。
揺れる額に氷の浮いたオレンジジュースの容器を付けてやる。
「リンドウ、熱中症とか?」
「ん……」
リンドウは払い除けるでもなく、ただ気持ちよさそうにじっとしていた。普段は不機嫌そうに引き結ばれている口は柔らかに緩み、肩で小さく息をしている。無防備に目を閉じているとその顔は幼く、あどけなく見える。
「熱中症というか……寝不足、ではないですか」
テーブルの向こうから、ナギの遠慮がちな声が柔らかく届く。
「え?だって俺たち同じ時間寝てるじゃん?」
「確かにそうですが……起きている時間はどうでしょうか」
「あ、そっか」
友人の持つ特殊能力 — 時間を巻き戻し、少し前に起こったことからやり直すことができる”リスタート” の能力を思い出す。その発動はフレットやナギ、ビイトには感知できない。今も隣でじっと目を瞑っている友人だが、実は自分たちよりずっと長い、長い時間の中を駆け回っていたということもあり得る。
「リンドウ、今日……リスタートした?」
「……してる」
「当たりかー……今、何回目?」
答えるように右手の指を折っていく。やがてその指が左手に移り、『7』を差したあたりで諦めたように手が止まってしまった。7回分の、今日。途方もない時間の感覚がフレットを圧倒する。7度も同じような日を辿り、少しだけ違う絶望を目にして、再びやり直そうと戻ってきたのが今のリンドウなのだろうか。
フレットはゴクリと息を飲んだ。
「そんなに『やり直し』しなきゃならないって、何があったわけ?」
「ちょっとな」
リンドウはそれきり黙り込み、くぁ、と尾を引く欠伸をした。はぐらかされている、という直感がフレットに何かを思い出させる。
— 彼にとって一番苦い記憶と、それは重なる。少し遠い過去。中学生の頃は別の友人とよく一緒に時間を過ごしていた。彼もまた、時折ぼんやりと虚空を眺めて意識を飛ばしていることがあった。どうしたの、と問われて初めてハッとしたように視線を返し、「なんでもないよ、ちょっと考え事」と曖昧に笑ってはぐらかしていた。悩み事があるならいつでも聞くよ。秘密だったら絶対喋んないから。そんな必死の思いを込めた言葉は届くことなく、二人の間にポトリと落ちるばかり。結局『考え事』の内容については分からずじまいになってしまった。
あの時と同じ。
踏み出したところで無駄だろ、と心の中の自分が言っていた。知ってもどうにもならない。自分が代わりにリスタートを使えるわけでもないし、そもそも話すに値すると思われているかも分からない。力になりたい気持ちは確かにあるはずなのに、関わらなくていい理由がいくらでも湧いてそれを打ち消した。
沈黙を打ち破ったのは、フレット自身の声ではなかった。
「なあリーダー。答えたくないなら答えなくてもいいけどよ、本当に何があったんだ?」
テーブルを挟んだビイトが身を乗り出す。あくまで穏やかで圧のない口調だったが、先輩からの質問にリンドウは少々気後れした様子を見せた。
「答えたくないわけじゃないんですが……あの、俺の我儘なんです」
目線をテーブルの中央あたりに落とす。
「モトイさん、が。ショウカと戦って、負けちゃうんです」
それで助けたくて、でも何かモトイさんの様子がおかしくて。疑ってるわけじゃないんですけど、何か俺に隠してるような……そんな感じがして。そこでリンドウはスッと視線を上げ、ビイトを真っ直ぐに見つめた。
「……知りたいんです。モトイさんが何を、考えてるのか」
「そうか……おめぇがそこまで熱くなるの、あんま見なかったな」
聞き終わったビイトがニカっと白い歯を見せる。
「俺はいいと思うぜ!我儘だなんて思うなよ、やりたいだけやりゃいいじゃねえか」
「そう、でしょうか」
リンドウの眠たげな目が安心したように緩められた。横目で見ながら、フレットはフゥ、と誰にも気づかれない小さなため息をつく。気まずくならない空気のまま真意が分かって、リンドウが前向きになれたことへの安堵が半分。そして、相変わらず友人の背中を押してやれない自分への失望が、残り半分。
友人を駆り立てるものなのが何か、フレットには全く分からない。少々意思が弱い部分がありながらも、芯の部分では真っ直ぐで暖かい心を持つリンドウが彼は好きだった。それだけに、胡散臭いあの男の何に親友が憧れているのか少しも理解できないでいる。あの張り付いたような笑顔には見覚えがあるのだ。勘が正しければ — 鏡を覗いて何度もチェックした自分の笑顔と同じ。何かを隠すための表情。浅い言葉を吐きながらそんな浅い笑顔を崩さないあの男には、僅かほども魅力を見出すことができなかった。
友人の真摯さを否定したくはない。だが、石ころを宝石と見間違えて後で失望するのではないかと思うと可哀想な気持ちになるのだ。その勘が正しいか思い違いかは分からないが、いずれにせよ自分ではきっと力になれないだろう。— 思考は回し車のように同じ場所を辿る。
考えても意味がないと諦め、リンドウへと向き直って声をかけた。
「あのさリンドウ、ちょっと昼寝しちゃえば?」
葛藤を覆い隠した軽々しい声が、バーガーショップの店内にカラリと響く。
「……は?」
「眠いんでしょ?」
目を擦る真似をしてやると、釣られたようにリンドウも指の背で右目を擦った。こちらは本当に眠気を払うような素振りで、気づいたリンドウはあ、と気まずそうに漏らした。
「眠いは眠いけど……そんな時間もないだろ」
「間に合わなかったらまたやり直せばいいじゃん」
「そんなん……」
リンドウは当惑したように眉根を寄せる。その肩に、宥めるようにそっと手を置いた。
「居眠り運転の方が危ないって。……だよね?」
ビイトとナギへと話を振り向ける。少々強引だったが、二人は異論なしと言うように肯いた。
「その様子じゃピュアハートにもノイズにも勝てねぇだろ。危なっかしいから休んじまった方がいいかもな」
「リンドウ殿が最善手を選べるのであれば、少々のタイムロスはカバーできるかと」
答えを聞くと、フレットは笑って纏めた。
「ほらさ、二人も言ってるし!20分したらちゃんと起こすから、寝ちゃえって」
「……悪い、マジでちょっと寝る」
「全然いーよ、おやすみ」
ありがとう、と返したリンドウがそのまま目を伏せ、ポツリと呟く。
「……変な夢、見ないといいな」
「普段、夢見悪いんだ?」
「変な夢ばっかり見るんだよ」
変な夢、という問いかけを受け、リンドウは訥々と話を続けた。
「空が暗くて渋谷が壊れてって、どこにも帰れなくなる夢……とか。それからその日に起こる悪いことの予知夢観たいなやつとか……気味が悪くて、夜もあんまり眠れた気がしない」
「それは……グッスリとは寝れなさそ」
想像以上に気落ちしそうな夢の内容に沈んだ様子で同意したのち、よっしゃ、と肩を回して気合込んで見せた。
「俺がオマジナイしといてあげる」
「何だそれ」
フレットはニヤリと笑みを浮かべ、自らの額をトントンと叩いた。
「リマインド」
「あぁ」
納得したようにリンドウは微笑んだ。
「じゃ、いいの頼むわ」
「おけ、任せな!」
おやすみ、と再び声をかけてやる。おやすみ、と返したリンドウに腕を回して引き寄せ、肩で暖かな重みを受け止めた。彼は特に抵抗することもなく頭を預け、そのまま言葉と動きを止めた。その温度を肩に感じながら、”幸せな時間”を頭の中に思い描く。
家族でドライブに行った帰り、後部座席でぼんやり夕方の街を眺めること。課題が全て片付いた土曜の夜。それから、リンドウと二人で渋谷を歩き回り、安価なアクセサリーを買っては似合う似合わないと茶化しあったこと。イメージを受け取ったのか、リンドウは微睡むような声を漏らした。肩を借りている相手にしか聞こえないような、小さな声。
『ふれ、っと』
僅かな時間に過ぎないが、友人は穏やかな様子で寝息を立てている。”リスタート”でなかったことにされてしまうかもしれない儚い現実。それでも、このささやかな時間を共にできたことが事実として残ればいいな、とフレットは小さく願った。