比翼連理のモノクロカラス 少し燻んだガラスを隔てて見える通い慣れた街並み。ジオラマ模型のように小さく見える道のそこここで、スーツや制服の黒に身を包んだ人々が流れ、止まり、また流れていく。その上に広がる空は夕暮れから夜を迎える色に変わり始めている。
平日6時の渋谷スカイは閑散としており、仕事を早めに終えたのだろう男女二人づれが所々で疎らな影を作っていた。
彼らと自分と友人のいる空間を、4月の暖かな空気が包み込む。黄昏と街の光と、スピーカーから流れるスロージャズのピアノが包み込む。隣で黙って街を見下ろしている彼の顔は少し憂いを帯びて見えて、美人さんだよな、とか、何だか触ったら壊れそう、なんてヘンなことを思う。その彼がしんみりと口を開いた。
「こうやっておまえと街見てると…ちゃんと渋谷、あるなって実感する」
そだねー、と軽く相槌を打ってやる。
「なんか前もそんな話したよな。死神ゲーム終わった後だっけ?」
「うん。…こっから見るとこんなに小さいけど、3週間ずっとあの辺をウロウロしてたんだよな」
「だね〜、こうやって見てると結構狭いかも」
去年の夏。生死を賭けた死神ゲームで彼と運命を共にし、センター街や首都高の下やキャットストリート—つまりはこの渋谷の街を駆けずり回っていた。今になって上空から見下ろしてみれば、自分たちが必死で右往左往していた領域は広げた掌の親指と小指の間に収まってしまいそうなほどに、小さかった。狭かった。ちっぽけだった。
思い知らされる。あの時感じていた、閉じ込められたような、息が詰まるような圧迫感が決して錯覚ではなかった、と。
「ってか俺…ここ来るの初めてだわ」
「俺も。ってか高いし普段だったら来ない」
放課後のDKの暇潰しにしては懐に激痛すぎるお値段だった。親から貰ったのだという招待券で誘われる機会がなければずっと来れずじまいだったかもしれない。二人分の入場スタンプが押された紙片をひらひら揺すっているリンドウに、拝む真似をしながら、尋ねる。
「...コレさ、俺に誕プレってことで合ってる?」
「え?」
「リンドウからどっか行こって誘ってくれるの珍しいじゃん。しかもこんな高そうなとこに、さ」
リンドウはきょとんと二、三回瞬きをした。
こうして二人で出かけることはしょっちゅうだが、毎回声をかけるのは自分の方で、いつもこちらで勝手に行き先を決めては連れ回していた。彼はそれに従ってついてきて、一緒に服やアクセを見て昼飯を食べて、たまに足を伸ばして公園やら設置物やら看板の下で立ち止まっては"ポケコヨ"とやらの画面をポチポチ弄る。少し物足りなく感じることもあったが、それ以上を望むほど自惚れてはいないつもりだし、そうして付き合ってくれるだけで十分だと思うことにしていた。
変化のない休日が愛おしかった。昼下がりの白い光の下、彼と歩調を合わせて下らない話ができるだけで何だか満たされて、これで良いって感じがした。たまに道路に踏み出しかける彼を引っ張り戻し、歩きスマホは危ないだなんて声をかけながら、これでも助けたことにはなったのかな、なんてしょうもない充足感を胸に飼ったりもした。
でも最近はそんな他愛ない暇潰しも、辞退されることがチラホラあった。ついに来たか、来ちゃったか。縋って引き止めたくなる気持ちを奥歯で噛み潰す。
日曜ヒマ?と問いかけても「ちょっと用事が」と曖昧に躱される。遠慮されたことより理由を教えてくれないことの方が寂しかったけど、気にしないふりをして、「そっか」といつもの調子を繕った。死神ゲームが終わり、ショウカちゃんがRGに居場所を見つけて、だからきっと彼女の手を引くのに忙しいのだろう。
いつまでもお友達とばかり連んでいるわけにいかないだろうことも、いつか終わりが来ることも、最初から分かっていた。だから、寂しくはあったけれども自分なりに受け止めることはできた。諦めるのには慣れている。
虚しくフラれるたび、空振りのメッセージを見つめながら、2年になってからどうやって日曜の暇を潰そうかな、なんて考えていた。
そこに、彼からの「お誘い」。
日付が変わった瞬間に送られてきたメッセージの中で、リンドウの方からお誘いがあった。
>フレット、今日誕生日だよな?おめでと
続けて送られてくるチョコボのスタンプ。勝手に頬が持ち上がってにやけてしまうのを抑えられなかった。
>>ありがとー!てかメッセはや、一番乗りじゃん
愛されてるって感じするな〜、と続けて打ちこみながら、そうだったら良かったのになと空しく願った。胸の辺りが少し苦くなる。
リンドウのレスはいつも早い。
>はいはい
>今日の放課後ヒマ?優待券とかで渋谷スカイの入場チケットもらったんだけど、良かったら見に行かね?
一も二もなく同意した。素直に嬉しかった。展望スポットなら他に誘うべきヒトが居るんじゃないか、と思わなくもなかったけれど、そこでクールに辞退できるほど俺は大人じゃなかった。それに、平日とはいえ自分から時間を差し出してくれるなんて、それ自体がプレゼントみたいなものだ。
たとえリンドウにそのつもりがなくて単なる気まぐれだったとしても。
自分の誕生日はいつも絶妙にタイミングが悪く、クラス替えの直後になるから仲良くなった友人たちからもプレゼントは貰えないことが多かった。それに中3からはそもそも深い付き合いを持たないようにしていたので、誕生日だからとわざわざ祝ってくれるような友人もいなかった。
「ありがとな。リンドウがこーいうの誘うって意外だったけど…スゲー綺麗だし、思い出に残りそう」
半分以上は自分に向けた言葉だった。彼と見たこの景色を刻み込もう、彼から貰った贈り物としてずっと覚えていよう。しかしそんな独りよがりの言葉を聞くなり、リンドウは意外そうな顔をして「いや、」と遮った。
「これは俺が一緒に見たかった、ってだけで。割と俺の我儘なんだけど」
「…へっ?」
気まずそうに、立てた人差し指で頬のあたりをカリカリ掻いている。
「プレゼントはこれ」
そう言って、小さな白い紙袋を手渡してきた。開けていい、と一応同意を得てからテープを剥がして逆さにすると、中から出て来たのは小さな銀色の塊—鳥の形のピアスだった。
直線だけのシンプルなデザインが僅かに墨色を含む銀の質感を一層際立たせている。実はちょっと前にショップに行った時に密かに目をつけていたけれど、小遣い的に高嶺の花で、きっと買えずじまいになるだろうと半ば諦めていたモノだった。
「あれ俺言ったっけ?コレ欲しかったって」
「言われてないけど」
「じゃ...リンドウが選んでくれたんだ?」
「…いつもモノクロウのピアス付けてたから好きかと思って。それに似合いそうだし」
リンドウが。
普段は行き先も昼食の店も俺任せで、自分の希望すらハッキリとは口にしなかったリンドウが。ふわりと、夜空に浮かんでしまいそうな胸の暖かさを感じながら、ぼそぼそと照れ臭そうに続けられる言葉を聞いていた。
「俺からお祝いしたかったから…もしかしたらもう持ってるかもとか、誰かと被るかもとか色々悩んだけど。でも...俺の気持ちだし、自分で選びたかった」
「…ちょっと高かったんじゃない?」
「バイトした。週末とか誘ってくれてたの、断ってごめん」
全然いーよ、そんなの。またこれから一緒に週末付き合ってくれるなら、この手を離さないでいてくれるなら、全然。...という本音の冒頭の「全然」だけを口にして誤魔化した。
その場で右耳にだけピアスを差し込む。くれなずむ街が映り込んだガラスの中に、右耳にだけ銀を光らせた自分の姿が薄く浮かび上がっていた。彼の見立ては正しい。我ながら悪くない。いや、凄くイイ。
リンドウは一瞬だけこちらを向いて、すぐにマスクを鼻先まで引き上げて。窓の外に目線を戻してしまってから、小さく呟いた。
「…やっぱ、似合ってると思う」
「ありがと、リンドウ。…あのさ、誕生日ついでに俺からもう一個我儘言っていい?」
「内容によるけど」
「バイトか金貯めるかして同じの買って贈るからさ、リンドウも付けてよ」
「それ...俺が贈った意味なくね?」
「俺の我儘だからいーの。またお揃いにしよ」
去年、一緒に白いシューズを買ったみたいに。
ピアスの穴を開けてあげたみたいに。証になるものを、もう一つだけ。
被るから嫌だ、とか、恥ずかしい、とか、すげなく却下されるのも覚悟した上での"我儘"だったが、彼は腕組みをしてしばらく考え込んだのちに、ふっと息を吐いて諦めたように笑った。
「…じゃ、待っててやるよ」
そう言って外を見やる彼の視線の先で、烏の黒い影が二つ、翼を並べて明治神宮の森の辺りへと飛んで行った。