墨絵 ミヤシタパークを降り、山手線の高架下を潜る。晴れた日でもこの高架下はまるで光を拒絶するように暗く、淀んでいる。道路の脇に白い花と菓子がひっそりと据えられていた。白い靴が退屈なテンポでアスファルトを踏み、神宮通りに向けてトンネルを抜けると再び陽光が眩しく視界を埋め尽くす。
赤い絵の具を垂らしたみたいだった。
乾いたその色が、今も風景の端を染めているように錯覚する。
スマホを取り出して”ポケコヨ”の画面を開く。マップを開いて辺りを確認すると、道の向こうにカーバンクルが一匹表示された。レアリティは高くないがどうせ暇だしいないよりはマシだ。そのまま交差点を渡ろうとして、高く鋭い警告音に咎められた。視線を上げると歩行者用信号はとっくに赤に変わってしまっている。追い立てられるように急いで歩道に駆け戻り、スミマセン、と心の中で謝った。信号待ちの人並みがうんざりしたようにこちらを睨んでいる。
歩きスマホは良くない、とさんざ注意されていた。うっかり人にぶつかる度に呆れたように頭を振り、直んないねえリンちゃん、と半ば諦めたようにぼやく。それでも根気強く警告は続いた。人にぶつかるのも良くないけど、いつか事故りそうで心配だわ、と。
スマホを見て何をしているのかというと、ポケコヨを開いているかフレンドにメッセージを送っているか、或いはWikiのリンクを辿っていることが多い。そちらを読み入っているものだから、確かに周囲の様子とか友人の話とかにはあまり注意を向けていなかった。ぶつかりそうになるのに気がつくのは相手が半径50cm以内に入ってからだし、友人の話している内容が頭に入ってくるのは「なぁ聞いてる?リンドウ」と不服そうに頬を突かれた後だった。
カーバンクルをライブラリに収め、再びスクランブル交差点の方向に足を向ける。灰色の施設群の輪郭が視界の端を過ぎていく。上の空で道を辿りながら、全てをやり直す力でもあればいいのにな、なんて思った。
やり直したとして何か変わるだろうか?現象としては何一つ変わらないのかもしれない。液晶画面を見つめながら目的もなく歩き回るだけ。それでも今、目線を上げて見回す渋谷は錆びついたように精彩を失っていた。褪せたグレイの街の上に、網膜に焼き付いた赤黒い静脈血の色がこびりついている。
そう、何も変わらないのだ。隣で話しかけられていてもずっとスマホの画面を見ていたし、適当に相槌を打っているだけだったし。それなのに、その明るい声音が聞こえなくなった今では全てがこんなに彩りを失っている。
もしも願いが叶い、再び共に歩けたとしたら、スマホをしまってたわいない雑談を心から楽しんだだろうか。 — そうはしないと思う。やはり話を聞き流して、たまに人にぶつかっては「スマホ中毒ー」と揶揄われるだけ。たったそれだけのことが失われた途端、自分の世界の色彩は丸ごと道連れにされてしまった。
スクランブル交差点に辿り着く。すぐに色を変えた信号に従い、駅側に向けて道を渡る。
ずっと左手に握りしめていた小さな赤い花束をハチ公像後ろの植え込みに据えた。
そのまま台座に寄りかかり、交差点の信号が「止まれ」、「進め」、そしてまた「止まれ」に変わるのを見ていた。色が変わるたびに車が、人が、川の流れのように交差点を埋め尽くす。
ここに来るたびに、また落ちてきたらどうしよう、などと変なことを考えてしまう。
あの後、俺が見ることができたのは白い機体の下から流れ出した赤い血液の墨絵だけだった。救助車と救急車がたどり着くや否や、立ち尽くしていた俺は作業着の男たちに引き剥がされてしまった。病院も教えてもらえず、再会できたのはずっとずっと後になってからだった。尤も、それを「再会」と呼べるかどうかは定義による。
結局、あの出来事は”「横転した」トラックの下敷きになった”ということにされていた。それを翌日のネットニュースで見た時、あぁ世界なんて適当なものだなぁと思考の隅で思った。心楽しそうに街を見回し、時折は不注意の俺を引き止めてくれさえした友人は交通事故に遭ってこの世から消えた。ずっと歩きスマホに熱中していた俺の方は取り残された。
振動が手に伝わる。ポケコヨの通知とは違う断続的な震えはメッセージアプリのものだろう。
『リンリン 最近忙しいですか?』
既読がついてしまっているが、返信は返せないままにメッセージ画面を閉じた。あのことが起きてからは上手く言葉を見つけられず、既読無視をしてしまうことが多かった。
— ごめん、ちょっと落ち込んでて
それだけの一言がまだどうしても書けないのだ。きっと気遣ってその理由を聞いてくるだろうメッセージに返せる気がしないから。
— 友達が事故で死んだ。