フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
午後いちで出発した偵察機はもうすぐ帰って来るだろう。
それまで、まだ少し時間がある。
滑走路の脇の草叢に屈み込み、シロツメクサとタンポポをそれぞれ2・3本取って小さな花束を作った。掌の温度で萎れてしまわないよう、軽くだけ花の首元を摘んだまま、滑走路の反対側へ歩いてゆく。ちょうど対角線上に当たる辺りは小山のように少し盛り上がっており、頂上に当たる部分には記念碑めいた小木が艶のある緑の葉を広げていた。
通い慣れた坂を登り、フレットは木の前に屈み込む。白と黄のささやかな花束をそっとその前に置き、目を閉じる。
この地で命を落とす<キルドレ>は墓を持たない。
彼の二人 (あるいは一人) の旧友にしても同じで、同僚たちはあたかも最初から彼らなど居なかったような振る舞いをするか、せいぜいは気まずそうにその死から目を背けるばかりだった。小さな丘を墓に見立てたフレットの追悼を咎める者はいなかったが、同調する者もまた、居ないのだった。
キルドレに同情するな。
それが不文律。
遺伝子操作と体細胞複製技術の奇跡、或いは呪いの落とし子がキルドレだ。彼らは思春期で成長を止め、決して大人にならない。そして仮に、故意の殺戮或いは不慮の事故により肉体が死を迎えたとしても、彼らの生はそこで終わりにはならない。オリジナルの遺伝情報を含む体細胞のコピーにより、全く同じ性能を持つ代用品を代わりに作り出すことが可能である。老いることも死ぬこともない、永遠を生きる子供<キルドレ>達は、化け物とまでは言わないまでも、一種の軍備品として見做されることが多かった。
たまたま酒の場で話題に上った際、尊敬する年上の同僚に意見を伺ったことがあった。
「同情するなって言いますけど……なんかカワイソーじゃないっすか?」
「そう言うコたちなんだ、って割り切るしかないかな……ちょっと可哀想かもしれないけど、情を抱いていたらこっちの正気が保たないかも」
彼女は涼しげな表情を崩さないままフレットに微笑みかける。
「うーん……でも俺らと別に変わんないんじゃ?」
「変わるわ。ちゃんと見てるとね、あのコ達はやっぱりちっとも大きくならないし。それなのに目つきばっかりはどんどん冷めていくから、ちょっと怖くなっちゃう」
友人— 友人と捉えて良いなら—の醒めた薄い鳶色を思い出す。彼の瞳はいつも透明に、問いかけるように自分を見つめる。
常に薄らと現れている不機嫌以外にその瞳に表情が浮かぶことはなかった。あの朝、シンジュク社のエースパイロット — スワロウの出撃情報が出た時でさえ。旧友はつまらなさそうな表情を崩さないまま出撃命令を受け、その足で滑走路脇に並べられた散香 サンカに乗り込んで迎撃戦に馳せた。
戦闘が終了し、何機もの味方機が傷ついて帰ってきた。遠目に見た鋼の鳥の群れの中に彼の機体はないように見えた。すぐに配置につかされ、自壊寸前の小型機と格闘して夜を明かす羽目になったが、その間彼の姿が心の中にちらついて何度も大怪我をしかけた。
機体の応急処置に何とかひと段落をつけ、ふらふらと居室に戻りついて、机の上に損傷状況のレポートが置いてあった。貪るように手にとり、交戦地と敵機の情報を目で追った末尾にだけ彼の名前が小さく書かれていた。
それだけだった。
三週間後に同じ顔をした少年が配属された。
その日歓迎会の会場となった談話室の端で、主役のはずの新入りパイロットは一人オレンジ色の液体を啜っていた。こう言った賑やかな場があまり得意でないのか、これから同僚や先輩となるメンバーに時折話しかけられても、動きのない単調な笑顔で二言・三言を返すばかりだった。自分から誰かに話しかける様子もない。
フレットはじっとそれを眺めていた。眺めていると、不意に少年が彼の方へ向き直り、ツカツカと歩み寄って来た。
「……あの、さっきから俺の顔に何かついてるとかです?」
「あーイヤ、ごめん!ちょっと、俺の友達に似てて」
凝視していたからだろう、相手は少し不審そうに、伺うようにこちらを覗き込んでいた。謝って、ついでに自己紹介を済ます。
「俺、觸澤桃斎。整備工。みんなフレットって呼んでる」
ヨロシク、と差し出した右手を彼は遠慮がちに握った。
「フレット……さん?」
「フレサワ、のトーサイでフレット。あとタメでいいよ」
「フレット」
響きを確かめるように彼は舌の上でそっと発音した。ぽつんぽつんと喋る落ち着いた声は彼の前任者のものとよく似ていた。
「ちなみに俺ら同部屋なんだけど、ベッド上と下どっちがいい?」
「どっちが空いてる」
「俺は今下」
「じゃあ上でいい」
了解、フレットは言う。
「空きベッドってもしかして俺の前任?」
オレンジエードを一口啜ってから、少年はニヤリと笑った。
「あー……まぁ、そう」
「その感じだと転属じゃないんだろ。 “堕ちた” 」
図星を突かれた形になり、頭の後ろに手をやって目を逸らす。
確かに、空いたベッドには元々、あの日撃墜された旧友が収まっていた。彼が撃墜されてから三週間、自室に戻ってからフレットは退屈な時間を過ごした。本や新聞を読むでもなく、携帯ゲーム機も無線も放り出して、ラジオを流しながら天井の模様を数えて過ごした。夜の冷気を裂いてドライブ・インまでオートバイを飛ばしたところで、言葉を交わす相手がいないと退屈凌ぎにもならなかった。後部座席から掴まる手の温度がない夜は奇妙に寒く、欠けた印象を受けた。
「まーね。最後の出撃の時にスワロウに当たって、それきり。あ、分かる? スワロウ 」
シンジュク社のパイロット。同じ戦争企業として、シブヤ社と競合あるいはアライアンス先に当たる同業他社のエースを、シブヤ社の人間はそう呼んでいた。勿論、パイロットの本名なんか知らない。それでも、都市伝説のようにたびたび飛行士たちの口に上るのだ。時に恐怖、時に憧れをもって。
ボンネットに黒い小さな鳥のマーク。
閃くように旋回し、捉えたと思った瞬間には秋の葉のようにひらりと視界を外れるのだという。小鳥が描かれた機体の目撃情報が上がる日は損傷が多かった。機体も、その中のモノも。
いつしかその機体、及びそれを操る飛行士は燕 スワロウと呼ばれるようになった。
「当たり前。シンジュクのエースだろ?この辺、来るんだ」
「一応、前線基地だし……当たらないといいけど」
「会えた方がいい」
「……前のやつもそう言ってたけどさ。スワロウ、凄く強いんだって。危ないっしょ」
そこで彼は急にむっすりと不機嫌な表情になる。
「そいつが弱かっただけだろ」
そうして、曇って水滴が着いたガラス窓の方を見上げる。「遊ぶなら、強い奴の方が楽しい」
その向こうの空を見つめるような真っ直ぐな視線だった。濁りのない瞳だった。
その彼も燕 スワロウと交戦し、そして結局戻ってこなかった。
この基地で同じ顔の人間を二人、見送ったことになる。
整備工の業務は一つの配属地・機体を相手に長期間ノウハウを積み重ねる。故にこちらは一般人の仕事とされている。逆に損傷率が高く転属が多い飛行士職は実質的にはキルドレのものになっていた。もしロストが発生しても、長くて一ヶ月ほどで同じ性能の新しい飛行士を配属することができる。
故に戦闘職に着くのは専らキルドレの役割となっていた。
食糧やエネルギーに起因する問題が大方解決したこの時代においても戦争は完全には無くならない。その原因を闘争本能のためと説明する人もいれば、平和や命の重みを認識するための必要悪、と説明する人もいる。政治的なパフォーマンスの一種だ、という言葉も聞かれた。
死の一番近くで戯れるパイロット業務は彼ら自身にも有益、という見解が一般的だった。それを裏付けるかのように、大抵のキルドレは戦闘職を好意的に受け入れた。
—戦争で死ぬって、なんか普通の死って感じでいい。
TVで流れていた倫理の番組で、インタビューを受けていたキルドレはそう語っていた。声の割に幼い顔をしていた。
「……フレット」
後ろからの声に振り返る。先ほどまで黙祷を捧げていた相手と同じ顔をした少年が不機嫌そうに腕を組んでいる。よく見かける鈍いカーキ色のフライングジャケットではない、小柄な躰には少し大きすぎるパーカーを被った姿。既に着替えを済ませたらしい。
「おっすリンドウ。午後は飛ばないんだ?」
「ああ、最近は哨戒ばっか。誰も来ないし」
彼はそう言ってフレットの隣に並んで屈み込んだ。頭頂に跳ねた髪の筋がそよそよと風に揺すられている。
「フラフラ歩いてるから何してるかと思ったんだけど、墓?俺が来る前に堕ちたヤツ?」
「まぁ、そだね」
リンドウはまともにフレットの顔を覗き込んだ。
「俺の前にいたヤツさ、どんなだった?」
喉の奥で小さく唸りながら、気まずそうに目を逸らすフレットを馬鹿にするように、リンドウはククッと喉を鳴らす。
「仲良かったんだ?」
「いいでしょ別に」
「いいけど? 言われなかったか、キルドレだからどうとか」
「んー、俺はそういうの気にしない方」
立ち上がって大きく伸びをした。春の始まりの煙たい空気が肺を満たす。煙草より眠たく、ガソリンより退屈な匂い。
「まぁ、良かったよ。一緒に町行ったりしたし」
「近く遊ぶとこあったんだ」
「ま、ちょっとはね。てかリンドウ外出たことあったっけ」
「ない。部屋でゲームとかしてた」
「今夜良かったら行こうか?」
「どこに?」
「ボーリング場とかカラオケとかあるけど、まぁとりあえず外のドライブインかな」
「何食えんの?」
「ミートパイとかハンバーガーとか。その他諸々」
明言を避ける相手に、リンドウは訝しげな表情を向けた。
「……なんだよ」
「ま、行ったら分かるって。一応、こういうのって俺から案内した方がいいんだろうし。もし気に入らなかったら帰ってくればいいし」
「よく分かんないけど。どうせ暇だから行く」
「おっけー。てかリンドウ、バイク乗れる?」
リンドウが静かに首を振る。
「飛行機以外はダメ」
「んじゃ俺がバイク出すから、リンドウ後ろね。落ちるなよ」
「落ちないっての、空じゃないし」
リンドウは目を細めて言った。言ってからまっすぐに空を見上げた。哨戒機が3機、くるりと大きな円を描くように飛んでいる。ドロドロと健康そうなエンジン音が鳴っている。偵察を終え、着陸に入るところらしい。
「他の奴らもそうだけどさ、飛行士ってバイク乗れない奴が多いんだよね。リンドウは何で乗んないの?」
リンドウの前任者も運転技能を持たなかった。誘われればゲートの外に連れ立つことも多かったが、専ら四輪車の後部座席かフレットのバイクの後ろに乗せられて目的地までしがみついていた。理由を問われたリンドウがつまらなそうに答える。
「地面だし」
「空じゃないから?」
「そう。……ほら、俺たちは飛ぶのが仕事だし」
「仕事じゃないとしちゃいけない?」
「そんなことないけど……空じゃないと、退屈」
リンドウが空を仰ぐ。青に霞がかかって、春の空はゆったりと音もなく雲を流している。
その日の夕方に二人分の外出許可証を書いて提出した。同部屋ということもありあっさりと申請は受諾され、約束通り日暮れの後に南ゲート前の駐輪場で落ち合った。そのまま、フレットは自らの400ccを引き出してリンドウをその後ろに乗せる。街灯の少ない真っ直ぐな道。ドコドコと快調なエンジン音が響く。森を抜ける道は信号も少なく、交わす言葉もないままに走るバイクの後ろからリンドウは慣れない手つきでフレットの腰のあたりにしがみついていた。
目的の店は森を抜け市街地に差し掛かり、さらにその市街地も抜けた町外れにあった。到着する頃にはすっかり日が落ちてしまっており、高いポールに据付けられた看板とフロントの上にかかったネオンの光ががらんと広い駐車場を照らしていた。片隅に休憩中だろうトレーラーが一台留められている。
「こんばんは〜」
快活に声をかけながら重い扉を押し開けると、上にかかった鈴がカラカラと乾いた音を立てた。
店内は薄暗く、合成皮革張りのソファ席の表面が天井の照明を反射しててらてらと光っている。カウンタの奥に置いてあるジュークボックスからずんずんと腹に響くような低音が流れ続けている。カウンタの中で、羊のように大人しそうな目をした老人が黙って食器を拭いている。その老人と一言二言言葉を交わしたのち、フレットは相方を窓際のボックス席に案内した。
「リンちゃん何か食べたいものある? 俺が適当に決めていい?」
「任せる」
「オッケイ」
注文を取りにきた男性に、フレットは「コーヒー、コーラ、あとミートパイ二つ」と注文した。割合にてきぱきと注文を繰り返し、カウンターの奥に戻っていく彼を見送ってからフレットはテーブルに向き直った。にっこりと笑みを浮かべる彼にリンドウは問いかける。
「で、何かあんの?ここ」
「んー、もう少ししたら来るかな」
「誰が」
「女の子」
何でもないことのように彼は口にした。
「近くにお店があって、俺らの基地からは結構遊びに行くヤツも多いんだよね。一応、リンドウには俺から教えておいた方がいいかなって思って」
「そんなことかよ」
「あれ、そういうのあんまり興味ない感じ?」
はぁ、とリンドウは溜息をついた。
「興味ないってか経験もないしどうでもいい」
「あ、そう。別に俺も無理強いするつもりはないけどね」
お待たせいたしました、と二人の会話を遠慮がちに初老の声が割った。銀色のプレートに乗せた二人分の食事と飲料を、彼は行儀よく木製のテーブルの上に並べていく。最後に銀のシリンダに領収証を差し込んでしまうと、ごゆっくり、とだけ言って再びカウンタの奥へと消えていく。静かなロック・ナンバが流れる店内に、彼らの他には先客の二名の男しかいない。彼らは無言のまま、カウンタでビールジョッキを見つめていた。他に扉を開ける音は未だに無かった。窓の外も、時折通りをヘッドライトが照らしては通り過ぎるばかりで車が入ってくる気配はない。春だからだろうか、リンドウは思う。冬眠を終えた熊とお茶会でも開いているのかもしれない。
「ほい、リンドウの分」
ずい、と机の上で押し出されたコップはフレットの手元のものと同じ色をしていた。ただガラスの円筒の中でパチパチと白い泡が立ち上っては弾けている。リンドウが眉をしかめる。
「あれ、コーラ嫌いだった?」
「いや飲むけど」
「でしょ? コーヒー飲めないかなって思って」
「フレット、」
顔を上げたリンドウは不貞腐れた犬のような表情をしていた。
「そういうの、気分悪い」
「そういうの?」
「何で俺がコーヒー嫌いだと思ったんだよ」
フレットの口が開いた。開いたまま固まって、しばらく言葉なく止まったのちに小声で紡ぐ。
「……ごめん。前のヤツが、そうだったから」
「一緒にすんなよ」
そう吐き捨ててコーラを引き寄せ、リンドウはストローから黒い液体を少し啜る。不機嫌そうなその顔は今まで長い間眺めてきたものだった。同じ道を辿って旧友と遊びに出かけた、冬のある夜を思い出す。道路が凍ってしまっていたのでフレットのオートバイではなく同僚のワゴン車に詰め込まれてきた。凍って落ちそうなほどに白く透明な月が浮かんでいて、ドライブインの駐車場でそれを見上げる彼の頬も白く透き通ってしまいそうに見えた。寒い、大丈夫と聞けば「飛んでる時の方が寒い」と素っ気なく返されたが、手袋を忘れたらしい白い手を包んで擦ってやると反抗もせずに大人しく掌を任せてくれていた。月明かりに照らされた顔をそっと覗くと、温もりを楽しむように僅かに細められた目と視線が合って、柔らいだ気分を少し分け合った。
重い色調のテーブルの向こう。
記憶の中の旧友と同じ顔をしたリンドウが、ウンザリした溜息をテーブルに落としている。
「俺は前任のヤツとは違うし、それで墜ちるほどトロくもないつもりなんだけど」
「悪かったって、その……似てた、からさ」
「……そんなことだろうって思った」
リンドウの眼差しは薄暗い照明の中で静かに据わっている。
「同じ顔だとか言われた。歓迎会の時耳に入った。別に聞くつもりじゃなかったんだけど」
「あぁ、飲むとアイツらたまに声大きいからなー」
「で、そいつもおまえとここ来てコーラ飲んでたりしたんだ」
「ん……まぁ、他に行くとこもなかったからね」
それを聞いたリンドウはニヤリと笑みを浮かべた。
「でも俺はそいつじゃない」
そう言って、フレットの目の前にあったコーヒーのコップを掴んで勢いよく口に含んだ。静止する間もなく焦茶色の液体が喉の奥に滑り落ちていく。3口ほどを呑み下したリンドウは渋い顔をした。
「……苦かったんじゃない?」
「別に平気だけど?」
「そう」
仕方なく残されたコーラのコップを手に取り、少しだけ口に含む。パチパチと弾ける感触が舌の上で少し痛い。炭酸水の刺激はあまり好きではないので、この交換はお互いにとって不利益な結果しかもたらしていないことになる。だが、口直しに食べたミート・パイは相変わらず悪くない味だった。知性が足りないが、暖かくて重くて胡椒の味がした。終始一言も感想は言わなかったものの、十分な大きさがある一個分を平らげたのだからリンドウも嫌いというほどではないのだろう。
時間があったので来た道と異なるルートを走って帰った。森を切り開いて作られた基地を取り囲むように、道路は外縁をぐるりと一周する。下側のほぼ中央に設置された南ゲートが街に出る一番近い出口で、駐輪場もこの近くにあるため北端は大きな湖に接している。
「そこ、プライベートキャンプ。コテージとかある」
「使えんの?」
「使いたければね。夏とかは割と人気」
腰に回された手の力が少し強くなる。自分と比べても小さな手に感じられた。この手が桿を握り、レバーを引いて誰かを殺す。基地にいる自分達の命の代わりに、彼と同じように空へ乗り出した子供を、殺す。不思議な気分だった。不安げに自分にしがみついている小さな掌のする動作には思えなかった。
「そっちの方が楽しそう」
「……来たい? キャンプサイド」
「女の子呼ぶよりはそっちがいいかな」
「基地の人間がいれば女の子も呼べるよ」
「なら呼んでもいい」
素直に提案を受け取ったリンドウに、フレットは小さく笑って返した。
「……じゃ、夏になるまでは墜ちないでね。リンドウ」
「当たり前」
リンドウがボソリと返す。
「俺はそんなヘマしないし。…… 基地に敵も来させない。墜としてやる」
「頼もしーじゃん」
「信じてないだろ」
「信じてる信じてる! お願いしますよ、リンドウさん」
「はいはい」
ドコドコ、と健康そうな音を立てて二人乗りのオートバイが森を抜け、湖畔の道に出る。森から流れ込む川を橋が跨いでいた。ギアを踏み変え、アクセルを回す。エンジン音が車通りのない道によく響く。月の光が湖に反射していた。春の大気に少し霞んで、ぼんやりとした輪郭が黒い湖に浸されたように揺らいでいる。顔を傾けてそちらを眺めるリンドウに、よそ見しないほうがいいよ、と前から注意が向けられる。
白く照らされていた。軍用道路が、湖畔のキャンプサイトが、川にかかる高い橋が、それから二人の乗るオートバイが。細い月明かりの中を裂くように、エンジンを高鳴らして走っていた。