メインディッシュは俳優さん以外テイクアウト不可能です×!10(類side)
「神代さん、次はあれに乗りましょう!」
「ふふ、いいね、そうしようか」
「わっ、動いてしまったっ!早く行きましょうっ!」
キラキラした瞳でこちらを何度も振り返る天馬くんが、パイレーツを指差す。大きな船がゆっくりと左右に動く様は、航海する大船だ。彼に犬の尻尾と耳がついていたら、これ以上ない程ぶんぶんと振られているのだろうね。そんな事を思いながら小走りになる彼を追いかける。走りながらも船を見上げては子どものような顔をしている天馬くんに、きゅ、と唇を引き結んだ。
(はしゃぐ天馬くんが、とても可愛らしい…!)
いつも敬語で落ち着いているから、時折忘れそうになるけれど、彼はまだ高校生だ。前に彼の家でショーの話をした時も思ったけど、存外元気な子なのだろう。あっちへこっちへキラキラした目を向ける天馬くんは、とても楽しそうだ。人の少ない遊園地のため、並ぶ時間も少なくて良かった。
「後ろと前、どっちに行きますか?!」
「天馬くんはどこがいいんだい?」
「前!一番前が良いです!」
「なら、そうしようか」
パァッ、と表情を輝かせる天馬くんがまっすぐ先頭の方へ駆け出していく。それについ笑ってしまいそうになる口元を手で覆って、追いかけた。ワクワクしているのが伝わってくる表情で、安全バーを掴む天馬くんが、僕の方へその顔を向けてくる。
「楽しみですねっ!神代さん!」
「天馬くんは、絶叫系なんかも好きなんだね」
「はい!いつもはこんなに乗れないので、すごい楽しいですっ!」
「いつも…?」
真ん中の方には子ども連れの親子も乗っている。天馬くんの様にはしゃぐ子どもの両側で、その両親が優しく笑いかけていた。天馬くんは、少しだけ空に視線を向けると、へら、と笑う。
「妹は身体が弱いので、いつも落ち着いた乗り物に一緒に乗っていたので」
「……そっか」
「神代さんは絶叫系大丈夫ですか?苦手なら、他のでも大丈夫ですからね?」
「僕もスリルのある乗り物は好きだよ」
始動のブザーが鳴り響いて、ガコン、と鈍い音が聞こえてくる。大きな船がゆっくりと動き出すと、天馬くんの瞳がまたきらきらしたものに変わる。安全バーをしっかり掴んで、大きく揺れる船の上で笑っていた。楽しそうにほかの乗客と一緒に声を上げる天馬くんをちら、と見てから、小さく息を吐く。
(…妹さん思いなんだね)
彼が時折子どもらしく見える理由が分かった気がする。時折しか、子どもになれないんだ。あのお弁当屋さんでもしっかり受け答え出来ていて、真面目な子だと思っていたけれど、昔からそうだったのだろうね。遠慮なく関われる人が、少なかったのかもしれない。自分の事は後回しにしてきたのだろう。それなら、今日は目一杯楽しんでもらわないといけないね。
だんだん大きくなる船の動きに、周りの声も大きくなっていく。ぐんっ、と体にかかる重力や、急に飛びそうな程軽くなる浮遊感が、忙しい程代わる代わる襲ってくるのにそれが楽しい。天馬くんの楽しそうな声が隣から聞こえて、僕も年甲斐も無く楽しくなってしまう。
ゆっくり揺れ幅が小さくなっていき、乗り物が完全に停止すると、乗客がわらわらと降りていった。天馬くんも満足そうに降りていくので、そのすぐ後ろを着いていく。
「次はどれに乗りましょうか?」
くるりと振り返った天馬くんに、つい笑ってしまう。飽きないなぁ。少し乱れた彼の髪を軽く手で撫でるように整える。きょとんとした彼が目を瞬くので、ふわりと笑って見せた。
「一度座って休んだ方が良いよ。そろそろショーも始まるから、それを見てから、またアトラクションに乗らないかい?」
「…ぇ、…あっ、はいっ!」
こっちだよ、と彼の手を引いて、ショーステージの方へ向かう。途中で飲み物を買って手渡すと、遠慮されてしまったけど言葉で言いくるめて受け取ってもらった。ステージの前もやっぱり人は少ない。正面の席に座ると、天馬くんは少しそわそわとし始めた。開演までは残り数分。
「ここは着ぐるみの人たちがショーをしてくれるんだ」
「そうなんですね」
「とても楽しいと思うよ。昔、よくここに来ては、何回も見ていたんだ」
「……神代さんは、ここに良く来ていたんですね」
じっとこちらを見上げる天馬くんに、頷いて見せた。寧々とよく来た、大切な場所だ。
開演のブザーと、疎らな拍手が辺りに響いて僕達もそちらへ目を向ける。ステージに出てくる着ぐるみの動物が、あっちへこっちへと動き回り始める。クリスマスのスペシャルショーということもあって、サンタクロースを探す話のようだ。探し方は動物の個性が生かされている。音楽や照明が明るい雰囲気を表現していて、子どもが楽しめる内容になっている。実際、ここにいるのは親子連れが数組の為、丁度いいだろう。ちら、と隣を見ると、天馬くんは身を乗り出す様にして魅入っているようだった。
(……良かった。とても楽しそうだ)
キラキラした目でステージの上を見つめる天馬くんに、安堵する。握り締めた拳に力が入っていて、瞬きすら惜しいと言わんばかりに目を大きく開いていた。開いてしまっている小さな唇が、「すごい」と小さく零した。
着ぐるみを着て動くのはとても大変だから、彼がそう思うのもわかる。それに、内容は子ども向けではあるけれど、しっかり準備もされていて作り込まれたショーだ。
ステージにサンタクロースが現れ、物語は終幕へ近付いていく。最後は見てくれた子どもたちにサンタクロースがお菓子を配って終わった。天馬くんもサンタクロースに笑顔で渡されて、クッキーを受け取っていた。少し恥ずかしそうにはしていたけれど、高校生の彼も子どもなのだから受け取っても問題ないだろう。
「どうだったかな?楽しめたかい?」
「はいっ!とても楽しかったです!」
「それは良かった」
少し暗くなってきた園内を歩きながら、次のアトラクションへ向かう。まだ興奮が冷めきってない様子の天馬くんが、楽しそうに感想を話してくれた。兎が高くジャンプして空から探すシーンや、犬が匂いで探していくところ、熊が木を持ち上げるシーンやペンギンが氷の上を滑って行くシーンなんかもそれぞれ本当に起こっている様に見えて楽しかった、とか。何故かお花畑のシーンは甘い匂いがした、とか。途中で削れた氷が吹いているかの様に冷たい風が吹いてびっくりした、とか。いくつもいくつも話が出てくるようで、彼の言葉が途切れない。それに相槌を打ちながら、園の奥へ向かう。この様子だと、もうアトラクションの事は頭になさそうだね。
「映画も好きですが、背景映像が無いのにあそこまで表現出来るのが凄くてっ!それに、あの大きな着ぐるみを着たまま動き回っているのも凄いですし、音楽の流れるタイミングとかがピッタリで一気に世界観に入り込めるのも楽しくて…」
「そんなに楽しんでもらえたなら、君を連れてきて良かったよ」
「オレの方こそ、連れてきていただきありがとうございますっ!」
奥の方にあった観覧車の乗り場の前で、漸く彼の気持ちが落ち着いたようだ。にこにこしたまま着いてくる天馬くんの手を引いて、誘導員の指示に従ってゴンドラに近寄る。少し浮いたゴンドラの入り口に彼の手を引いて乗せてから、後を追う様に僕も乗り上げた。外からドアが閉められて、鍵がかかる。向かい合う形で座ると、そこではたと天馬くんが周りをキョロキョロと見始めた。
「…あれ?」
「ふふ、話し足りないみたいだったから、ゆっくり出来そうなものを選んだのだけどね」
「あ、すみませんっ…、ついオレばかり喋り過ぎました…!」
「構わないよ。君の話は、聞いていて楽しいからね」
ゆっくりと上昇していくゴンドラの中で、天馬くんが言葉を飲み込んだ。シン、と静かになると、彼はそっと視線を外へ向けた。ほんのりと頬が赤くなっている横顔が可愛らしくて、つい見つめてしまう。さっきまでとは別人のように黙ってしまった。出来れば、もっと笑って話をしてほしいのにな。それでも、今日一番輝いていただろう笑顔が見れたので、良しとしよう。
「これが下に着いたら、帰ろうか」
「………はい…」
「それと、これ、貰ってくれるかい?」
小さな箱を差し出すと、天馬くんが首を傾げた。せっかくのクリスマスデートだからね。用意していたプレゼントの箱を数秒見つめて、バッ、と赤くなった顔が上げられる。
「え、…え…?!」
「クリスマスプレゼント」
「お、オレにっ…?!も、貰えませんっ…!!」
両手を顔の前で振って遠慮する天馬くんに、僕は態と眉を下げて視線を下へ向けた。彼が遠慮する事なんて予想通りだからね。指を目尻に当てて、泣き真似をすれば、彼がピッ、と背筋を伸ばす。
「天馬くんのために用意したんだ。貰ってもらえないと、このプレゼントは日の目を見ることも無く引き出しに仕舞われてしまうんだね」
「そんな勿体ないですよっ!」
「でも、君の為のプレゼントを他の人になんて渡せないし…」
「も、貰いますっ!有難く頂きますからっ!!」
慌てたように両手を出す天馬くん。やっぱり、彼は相当なお人好しのようだ。「そうかい?」なんて態とらしく問いかけると、こくこくと頷いてくれる。この扱い易い感じがとても可愛いなぁ、と小さく口元に弧を描いて、プレゼントの箱を手渡した。
「良かった。君のために選んだからね。良ければ身に付けてくれると嬉しいな」
「……身に、つける?」
受け取った箱をまじまじと見つめる天馬くんが、「開けてもいいですか?」と聞いてきた。頷くと、リボンを解いて箱が開けられていく。かぱ、と蓋が開いて、中からきらきらと光るブローチが出てくる。
「…薔薇の、ブローチ……?」
「そう。鞄に着けてくれてもいいよ」
「ありがとう、ございます……」
赤薔薇をモチーフにしたブローチ。葉の部分に小さなアメジストの宝石が付けられているそれを、天馬くんが右から、左から、と見ている。ちょっと可愛い姿につい笑ってしまって、気付いた彼は慌てて箱を閉じた。
本当は指輪を渡したかったけれど、それはまだ先に取っておかないとね。
「その、オレも用意したんで、貰ってくれますか?」
「天馬くんも何かくれるのかい?」
「……た、ただのクッキーなんですが…」
「ありがとう。もしかして、手作りかい?」
「…はい」
天馬くんの視線が下がったのを見て、口元を手で覆う。まさか、お弁当だけでなくクリスマスプレゼントも用意してもらえているなんてね。市販ではなく手作りなの、も天馬くんらしい。受け取ったクッキーを膝に乗せて、「ありがとう」ともう一度言うと、彼がへにゃりと笑った。本当に、可愛い。
「お疲れ様でした〜」
「丁度着いたようだね」
係の人が扉を開けて笑顔を向けてくれる。天馬くんの手を引いて、ゴンドラをゆっくり降りた。空はすっかり暗くなってしまっていて、閉園時間も近い。彼の住んでいる所からほど近いとは言え、何かあってはいけないからね。家まで送るよ、と伝えて遊園地を出た。
「僕の家も近いから、帰り道だしね」
「……そう、なんですね」
「今度遊びに来るかい?」
「んぇっ…?!そ、それは、遠慮しますっ…!」
「おや、残念だね」
冗談交じりとは言え、断られてしまうと少し寂しいね。けれど、彼のことだから、僕の立場も考えての事かな。のんびりと帰り道を歩きながらそんな事を思っていると、彼が顔を上げた。
「オレ、やりたいこととかなかったんですけど、神代さんのおかげで見つけられたんですっ!」
「…やりたい事……?」
「オレ、役者になりたいんですっ!!」
「!」
天馬くんの言葉に、足が止まる。振り返ると、真剣な顔をした天馬くんと目が合う。ずっと望んできた言葉に、ゾクッと背が震えた。心拍が早まって、自然と口角が上がる。
「文化祭の時、とても楽しかった。神代さんが色々教えてくれたから、あれから映画や舞台の見方も変わってきて、オレも、またやりたいって思ったんですっ!」
「………」
「それで、叶うなら、今度は神代さんと一緒にステージの上に立ちたいんですっ!」
「…っ、………」
高揚感に強く胸元を掴む。ここまで、望んだ応えが返ってきてくれた。ずっと、そうなればいいと思っていた展開に動いている。初めて彼に出会った時から、彼がステージの上に立つのを想像してきた。文化祭で輝く彼を見て、僕の直感は当たっていたのだと確信したんだ。彼は、ステージの上で輝ける。それなら、僕が輝かせてみたいと、何度も思っていた。僕が彼を引き立てる演出を考えて、誰よりもステージの上で輝く彼を見ていたいって。
「って言っても、オレもまだ全然勉強してきたわけでは無いので、本当になれるか分からないんですが…」
「天馬くんなら、なれるよ。僕が保証する」
「っ…!」
「頼っておくれよ。君が望んでくれるなら、いくらだって手助けするから。なんだって教えるし、練習にだって付き合うから」
わたわたと手を振って困った顔をする天馬くんを見て、思わず体が動いた。胸の奥がいっぱいで、苦しいくらいだ。彼が僕の隣を望んでくれたのが嬉しい。彼が、愛おしくて、堪らなかった。
「…ぁ、…え……?」
ぎゅ、と僕より小さい体を抱き締めると、耳元で困惑したような声が聞こえてくる。ふわりと、お日様の様な匂いがして、そっと顔を彼の髪に寄せた。離したくない、と、思ってしまった。あの文化祭での衝撃を受けてから、久しく会えなかったのだから尚のことだ。練習の時は週に2、3回会っていたというのに。彼の抱き心地に気持ちが少しづつ落ち着いてきた頃、ふと彼が全く動かなくなったことに気付いた。少しだけ体を離して彼を見ると、真っ赤な顔で固まってしまっている。それはもう、蛇に睨まれたカエルのように微動だにせずに、だ。
「…ふふ、すまないね、あまりに嬉しくて、つい体が動いてしまったみたいだ」
「………ぁ、…ぃえ………」
「寒いから、早く帰らないと風邪をひいてしまうね」
固くなった彼の手を引いて、歩き出す。この後、天馬くんは何も言わなくなってしまった。終始赤い顔で目を回す彼はちょっと可愛らしくて、ついつい笑ってしまいそうになる。もしかしたら、少しは意識してくれているのだろうか、なんて。僕に都合のいい事まで考えてしまいそうになる。
おやすみなさい、と挨拶を交わして、この日のデートは、僕にとっては最高の形で幕を閉じた。
―――
(司side)
「…………………昨日の夜の記憶が無い…」
ベッドの上で正座をして三十分。一向に何も思い出せなかった。目の前には確かに、神代さんから貰ったブローチがあって、夢でなかったことは分かる。分かるのだが…、帰り道をどう帰ってきたか分からない。
「…神代さんに、抱き締められた……?」
ぼふっ、と顔に熱が集まる。何故だ??何があった?神代さんみたいになりたいと、夢を言ったからか?だからって、抱擁??もう訳が分からんっ!ふに、と頬を指で摘んで、昨日の夜を思い出す。抱き締められた辺りから、全く記憶が無い。あの後どうなったんだ?というか、あれは本当に起こったことか??夢だったのではないか?そう思うのに、抱き締められた時のしっかりした腕の感触とか、ちょっと花の匂いに近い甘い香りがした事とか、頬に触れた髪の擽ったさとかが鮮明に思い起こされて、胸が苦しくなる。ばふ、とシーツに顔を埋めると、ひんやりした。分かりやすいほど顔が熱くて、仕方がない。
「……また、からかわれた…」
きっとそうだ。子どもだと思われているのだろう。同性だから、意識すらされてないのだ。そうだ、そういうことだ。大人は余裕である。まして、婚約者がすでにいるのだから、当たり前だろう。うぐぅ、と唸って、ころりとベッドに寝転がった。きらきら光るブローチは薔薇の形をしている。赤い薔薇をモチーフにした、ブローチ。何故、これなのだろうか。赤い薔薇の花言葉は、情熱、ではなかっただろうか?それに、他にも…。いや、他意は無いのだろう。たまたま赤い薔薇をモチーフにしたものしかなかったのかもしれん。葉の部分に、神代さんの髪色に似た紫色の石がついているのだって、たまたまで…。
「……もし、これが、たまたまでなかったのなら、どういう意味なのだろうな…」
そんな事はあるはずない。神代さんには婚約者がいるじゃないか。あの指輪とお揃いのものを受け取る、婚約者が…。
「…そういえば、指輪、していたか……?」
ふと、気になってしまった。前は確認しようと注視していてすぐ分かったが、今回はどうだっただろうか。全く思い出せない。このブローチを受け取る時も、お弁当を手渡す時も、この前見た銀色の輪はあっただろうか。首を軽く傾げて、何度も思い出そうとするも、全然思い出せない。いや、オレが気付かなかっただけで、もしかしたらつけていたかもしれんからな。
そう結論付けて、オレはブローチを箱にしまいなおした。
―――
『明けましておめでとう、今年もよろしくね、天馬くん』
「………………………」
可愛いカモノハシの絵文字と一緒に送られてきたメッセージをじっと見つめる。神代さんとクリスマスに会ってからその後会わないまま、あっという間に年が明けてしまった。会ってはいないものの、神代さんは変わらず連絡をくれた。それが嬉しくて、どうしようも無いほど胸がいっぱいになる。
年末はどこも忙しい。えむの家のお弁当屋さんも、年末は仕事だった。オレもバイトのシフトが入っていたので、遅くまで手伝い年の瀬の挨拶をえむとした。今日は四日。冬休みも終わりが近づいており、もうすぐ三年生だ。自営業であるえむのお弁当屋さんは今日からお店を開ける。オレは午後からシフトが入っているので、もうそろそろ家を出なければならない。スマホの画面を消して、椅子を立ち上がった。
「あ、お兄ちゃん、もう行くの?」
「あぁ、行ってくる」
「行ってらっしゃい!」
ひらひら、と咲希が手を振ってくれる。それに手を振り返して、家を出た。一月の空気は冷たい。マフラーで口元まで覆って、歩き慣れた道をゆっくり進む。神代さんから貰ったブローチは、鞄につけることにした。あまり汚したりはしたくないが、付けないのも勿体ないからな。しかし、服に合わせるとなると難しいので、鞄につけることにしたのだ。きらきら光るブローチを見て、口元が緩む。
「あ、おはよー!司くんっ!」
「おはよう、えむ」
「明けましておめでとうございます!今年もよろしくね!」
「あぁ、明けましておめでとう!こちらこそ、よろしくな」
バイト先の前でえむに会い、新年の挨拶を交わした。いつものようににこにこしているえむは、店のドアを開ける。中へ入ると、お正月だからだろう、角煮や筑前煮、伊達巻なんかのメニューが増えていた。期間限定のメニューに、そわそわと体が揺れてしまう。
「素晴らしいな!もし残っていたら、買って帰りたいくらいだ!」
「お兄ちゃんが、ちゃんと司くんの分も用意してくれてたよ!」
「本当か!それは有難いな!」
期間限定メニューから顔を上げてえむの方を見ると、良い笑顔で返された。えむの兄である二人には本当にお世話になりっぱなしだな。少し申し訳ないが、用意してもらっているのなら有難く受け取ろう。今度なにかお礼を考えねば…。いそいそと控え室に向かっていき、支給されたエプロンを身にまとう。カウンターの方へ行けば、えむが箒を手に取った。
「それじゃぁ、お外のお掃除してくるね!」
「む、オレが行くぞ!えむは中の掃除を頼む」
「ありがとう、それじゃぁ、司くん、よろしくね!」
「あぁ、任せておけ!」
えむから箒を受け取って、外へ足を向ける。こういう時は前までならえむは遠慮して譲ろうとしなかったが、オレが頑なに言い合う様になってからは、さっさと諦めてくれるようになった。この寒い中、女子に外の掃除を任せる訳にはいかないからな。タバコの吸殻や、紙屑なんかが散らばる道を軽く箒で掃いて綺麗にしていく。砂もある程度掃いてからちりとりでそれをとって、掃除は終了だ。
「よし、箒を片付けねばな」
冷たい風で頬が冷えてきたようだ。鼻の頭も少しヒリヒリする。早く店内に戻ろう。箒とちりとりを持って店内にもどれば、えむがパッと、顔を上げる。「おかえり、司くん!」と笑顔で言ってくれるえむに礼を返して裏へ箒を片付けに行く。掃除ロッカーに片付けて軽く手を洗い、えむのいる店内のカウンターへもどる。掃除が終わったことを伝えると、えむがへらりと笑った。
「寒いのに、ありがとう、司くん」
「構わん。そろそろお客さんが増える時間帯だしな」
「うん。いーっぱい、お客さんが来てくれたら嬉しいね!」
「そうだな!」
年は明けたばかりだから、午前もいつもより少し客足も少ないとは聞いている。それはそうだ、仕事の始まっている人も少ないはずだからな。お弁当屋のお弁当を買いに来るのは、そう多くないだろう。まぁ、せっかくなら、期間限定のメニューを色々な人に食べてもらいたいとは思うがな。そういえば、神代さんは今日も仕事なのだろうか。おせち料理は食べたのか?新年の挨拶は来たが、そういった事は聞いてないな。
ちら、と時計を見ると二時に差し掛かったころである。お客さんは今は店内に居ない。もう少ししたら増える時間だが、年明けで少ない。ここの所店には来られていないが、前にお弁当が食べたいと言っていた。
「司くん、どうしたの?」
「な、なにがだ…?!」
「そわそわー、どきどきー、わわわーってお顔してるよ?」
「そ、そんな顔をしていたのか?!」
ぺたぺたと顔に触って見るが、自分ではよくわからん。だが、えむがそう言うのなら、そうなのだろう。うぐぅ、と一つ唸り声を上げて、言葉を飲み込む。えむは人をよく見ている。ここでなんでもないと言っても納得はしないだろう。それに、オレが神代さんの話を出来るのはえむだけだしな。ちら、ともう一度店内を見てから、はぁ、と息を一つ吐き出した。
「その、あの人がまたここの料理を食べたいと言っていたから、期間限定メニューのことを知ったら、来たいと言うのではないか、と…」
「司くんの特別のお客さんの事だね!」
「……そ、そうだ…」
「それなら、教えてあげよう!」
ふんふん!と顔をこちらに寄せて目をキラキラさせるえむに、言葉を飲み込む。やはりこうなった。唇を引き結んで、後退る。連絡先を知っているのだから、連絡してみればいい、そういうことだろう。スマホは今更衣室のロッカーの中だ。一応仕事中だから置いてきているが、そんな事をしていいのだろうか。だが、教えだからといって来てくれるかは、神代さん次第だ。
「しかし、仕事中に連絡するのは…」
「お店の宣伝になるし、ちょっとなら大丈夫!お客さんいないしね!」
「……そうは言うが…」
連絡を、こちらからするというのは勇気がいる。したいとは思うが…。もし向こうも仕事中だったら、邪魔にならないだろうか。メッセージくらいなら、大丈夫、か…?それに、来るか来ないかは神代さん次第なのだ。期間限定メニューがありますよ、ということだけ伝えるなら…。ほんの少し視線を落とすと、えむがグイッとオレの手を引いた。
「司くん、やっちゃおう!」
「え、えむっ…!」
「司くんのもやもやー、むむむー、しょぼぼーんなお顔、あたしも寂しいもんっ!」
「……め、メッセージ、だけ、…なら……」
更衣室のロッカーからスマホを取って、カウンターに戻る。しゃがみ込んでメッセージを打ち込むが、送信ボタンが中々押せない。ただ、おせち料理のメニューが、期間限定メニューとして並んでますよ、と伝えるだけなのだが…。震える指が何度も送信ボタンの上を行ったり来たりして、胸の鼓動がドキドキと早る。ちら、とえむを見ると、大きく頷かれた。
「っ…」
それを見て、グッと指に力を入れる。どうにでもなれ、と送信ボタンを押すと、メッセージはすぐに送られた。やってしまった。今更取り消しても、通知は残ってしまうので意味は無いだろう。止めていた息をはぁ、と吐き出して、バクバクと鳴る心臓をおさえた。怒られたり、面倒に思われたらどうすればいいだろうか。
「送れた?」
「あ、あぁ……」
「良かったね!」
「…そ、そうだな…、のわっ!?」
えむの笑顔に少しだか肩の力を抜いた瞬間、手元のスマホがぽこんっ、と変な音をたてた。慌てて視線を戻すと、メッセージ画面に、返信が届いている。『時間を見つけて、行くね』と返ってきた文字に、思わず息を飲む。ガバッ、と顔を上げると、驚いた顔でオレを見ているえむと目が合った。どうしたの?と問われて、あわあわと震える口を開く。
「じ、時間を見つけて、来てくれる、そうだ…」
「おおおお!やったね!司くんっ!!」
「あ、あぁ、…」
ぴょんぴょんと跳ねるえむは嬉しそうだ。お待ちしてます、と短く返して、スマホを閉じた。時間を見つけて、とはあるが、今日とは書いていない。明日かもしれないし、明後日の可能性もある。もしかしたら、時間が無くて来れない可能性もある。それなのに、期待で胸がさっきよりドキドキした。
(…もし来たら、何をおすすめしようか……)
野菜の少ないメニューを頭に浮かべながら、そんな事を考えていれば、お客さんが来店してきた。慌ててスマホをポケットに突っ込んで、えむと一緒にレジに立つ。
あっという間に忙しくなって、すぐに神代さんの事から仕事に脳が切り替わった。