恋願う。3(司side)
「また流されてしまった……」
「……御愁傷様」
はぁ、と休憩スペースで溜息を吐けば、寧々がオレの隣で珈琲をあおる。
あの後、神代になんだかんだ言いくるめられ、次の約束まで取り付けられてしまった。上着を返して二度とあの姿で会わないつもりだったというのに。どうしたものか、と眉間に皺を寄せれば、寧々が じっ、とオレの顔を見てくる。
「そんなに嫌なら、“男だ”って言えばいいでしょ」
「…ぅ、……それは、そうなのだが…」
「次のデートで、しっかり別れてきなさいよね」
「で、でで、デートではないっ…!!」
呆れたように溜息を吐いた寧々に、思わず声が裏返ってしたう。
ただ遊園地に行こうと誘われただけだ。人が多い場所の方が案外バレないからと言われ、そこに決まった。ついでに、チケットも貰ったものがあるから、一緒に行ってくれると助かるとか何とか言われて仕方なく頷いたわけで…。
よく良く考えれば、神代はオレが女だと思って会っているのだから、向こうからすればデートになるのではないだろうか…? 実際にはオレは男で、以前に神代に告白してフラれているがまだ諦めきれていないから、多少の下心があって…。
(…待て、もしや、…本当にデートなのか…?!)
ぶわりと顔に熱が集まり、視線が泳ぐ。
前回は成り行きでお茶をしただけだが、今回は前もって約束をして会うということで…。一般的に男女が二人で出かけるというのは、世に言う“デート”と言うやつなのではなかろうか。つまり、オレは今度神代と遊園地でデートをするということになるのか? 何故そうなった?!
今更ながらに大それた約束だったと気付き、冷や汗が背を伝い落ちていく。なにせ、あの人気モデル神代類と遊園地でデートだ。分不相応ではないか。
「……い、今から、断るのは…」
「無理でしょ。一度受けたなら行ってきなさいよ」
「そ、そうは言うが、オレはっ…」
「最後の思い出と思って楽しめばいいじゃん。ついでに“男”だって打ち明けて盛大にフラれてくれば?」
「ぅぐ……」
さらりとそう返してくる寧々に、言葉を詰まらせる。
確かに、騙すのは心苦しいが、一度引き受けた約束を断るのも悪い気がしてくる。デートかどうかはともかく、神代と出掛ける機会なんて二度とないかもしれん。諦め悪く片想いを拗らせてきた自覚もある。交際する気は無いが、この際束の間の夢と思って一度くらいデートとやらをしても許されるのではなかろうか。
(お茶をした時は、神代の方からやたらとオレの手に触れてきたが、たった一度のデートで手を繋ぐ以上の事があるとも思えんしな)
女性経験の多い神代でも、そこまで手が早いということはないだろう。ましてや、このオレが相手なのだ。他に綺麗な女性が沢山いて、そういう人達を相手にしている神代がオレに対してそういう感情を持つとも思えん。
うん、大丈夫だ。人が多いからと理由をつけてデートの日は手を繋ぐのが鉄板だと、以前咲希に借りた漫画で学んだ。手を繋ぐ状況だけ頭の中で予習しておけば、当日慌てることも無いはずだ。
「そうと決まれば、隣に並ぶ神代に恥をかかせない服を選ばねばっ…!!」
「…本気になられても困るんだから、程々にしなさいよね」
「む…、オレを相手に本気になるはずがないだろう…?」
「………どうだか…」
何か言いたげな寧々は、それ以上何も言わずに珈琲を飲み切った。そのままガタッ、と席を立ち、カップの乗ったトレーを持ってそれを片付けに行ってしまう。始業時間が迫っていることに気付き、オレも慌てて立ち上がった。
いくら女の姿をしていても、所詮紛い物だ。所々で男らしさは出てしまうだろう女装姿のオレよりも、神代の目に止まりそうな女性は沢山いる。それなら、たった一度のデートを失恋の記念に楽しませてもらおう。
(…“男”と明かすのは難しくとも、一度デートをすれば、飽きて相手にされない可能性もあるからな)
そうであればいい。そしたら、やはりオレではダメだったのだと諦めもつく。
―――
(……もう、来ているのか…)
物陰に隠れて じっ、と少し先を盗み見る。
時刻は待ち合わせ十五分前の八時四十五分。待ち合わせ場所は駅の改札を出て五分ほど歩いた場所にある公園だ。駅では人が多いので、少し離れたこの公園を待ち合わせ場所に指定された。十五分前は早すぎたかと思っていたのだが、ベンチで本を読みながら座っている神代を見つけて、思わず隠れてしまったのだ。
幸い、すぐに隠れたためか、本に集中しているかで、まだ見つかっていない。
(…脚が長い……、それに、本を読んでいるだけなのに、かっこいい…)
さすが人気モデル。スタイルが良い。撮影で着ているのかと思うほど私服のセンスも良い。神代は何を着ても似合うと思っていたが、あのような服も着こなせてしまうのか。これは良いことを知った。
眼鏡と帽子で隠されていても、かっこいいと分かる。現に、通り過ぎていく女性方がちらちらと神代を見ているではないか。あれでは変装になっていない。かっこよ過ぎてどんな変装をしてもバレてしまいそうだが…。
(ま、待たせているのだから行かねばならんが…、もう少し見ていたい……!)
こんな風に本物の神代類を見る機会なんて滅多にない事だ。高校の時は時折見に行っていたが、卒業して接点も無くなれば、大勢のファン同様メディアの情報でしか神代を見ることが出来ない。
それが、同窓会でたまたま再会し、何故かデートをすることになってしまうなどと、誰が予想できるか。
数日前にお茶をした時は、神代との距離が近くて落ち着かなかったが、この距離なら気兼ねなく見ていられる。あと五分だけ。十分前には声をかけるから、あと五分だけ許して欲しい。
「…はぁ…、足を組んで本を読む姿がこんなにもかっこよく決まるのは神代くらいだろうな…、うぅ、…そういう所もすごく好きだ……」
ページを捲る仕草すら絵になる。撮影の時はこんな感じなのだろうか。ずっと見ていられる。いや、さすがに変態過ぎるか…。だが、高校生の時より背も伸びて大人の余裕というか、雰囲気がまた良い。こっそり写真なんて撮ったら怒られるだろうか。…撮りたい。頼んだら撮らせてくれないか…駄目だな、余計に諦められなくなりそうだ。
じっ、と物陰から眺めていれば、ぱたん、と神代が本を閉じてしまった。腕時計を確認して、ゆっくり立ち上がる。そんな姿すらキラキラして見えて、視線が逸らせなくなる。黙って見つめていれば、神代が歩き出した。すたすたと歩く神代の歩き方すら見本のように綺麗で、じっ、と見つめ続ける。
そうして気付けば、目の前で神代が足を止めた。
「なにをしているんだい? 天馬くん」
「んぇ……?」
「随分と熱烈に見つめてくれていたようだけど、出来れば僕の隣でその視線を向けてほしいかな?」
顔を上げれば、ふわりと神代がオレに向けて笑いかけてくる。瞬間、顔から火が出るのではと思うほど一気に暑くなり、慌てて立ち上がった。
まさかバレていたとは思わなかった。待ち合わせの時間前で距離もあったのに何故バレたのだろうか。いつから気付かれていたんだ?! まさか最初からということは無いよな?! もしそうならば、陰でこっそり盗み見る変態だと思われるではないか?!
この場から逃げてしまいたくなって、咄嗟に体を後ろへ向ければ腕が掴まれた。ぐっ、と強く引かれ、バランスを崩した体が後ろへ傾く。そのまま背中から受け止められ、少し上から神代が顔を覗きこんできた。
「逃がさないよ?」
「っ……」
「せっかくのデートなんだから、僕にも君の顔をよく見させてよ」
「…っ〜〜〜〜…?!?!」
とても近い距離にある神代の顔に、声にならない叫び声が口をつく。
陽の光のせいか髪も顔もキラキラと輝いて見えて眩しい。少し動くだけで鼻先が触れてしまいそうだ。顔が熱くて、無意識に眉間に力が入ってしまう。情けない顔をしていると分かってはいるが、どうしようも無い。吐息が唇を掠め、ゾクッ、と背が震えた。
ゆっくりと近付く距離に、慌てて両手で顔を覆った。
「…………か、勘弁してくれ…」
「おや、隠すなんてずるいなぁ」
「…帰してくれ…、もう無理だ……死んでしまう…」
「まだ始まってもいないのに、帰すわけないでしょ」
ほら行くよ。とオレの手を掴んだ神代が、歩き出す。ぴったりと神代がオレの隣にくっつき、肩に腕が回された。退路を塞がれたかのような状況に、低い唸り声のようなものがオレの口から吐き出される。助けてくれ。心臓はもう限界だ。
ふわりと香るコロンの甘い匂いにもドキドキして、ほんの少し眉を下げる。
(……もう、死んでもいい…)
容量を超えた幸福感に、じわぁ、と涙が滲んでしまう。
それを見た神代が戸惑ったようにオレから離れてしまい、ほんの少し寂しさを覚えた。
―――
(類side)
(泣かれるとは、思わなかった…)
まさか、この僕が近付いて泣き出す女性がいるとは思わなかった。酷い言葉を言ったつもりもない。ただ、少々強引に彼女を連れ出したけれど、泣かれるほどのことをした覚えは無い。逃げられると察したからこそ、引き止めるためにとった行動が、裏目に出てしまったようだ。
今は逃げるつもりがないようで、僕の少し後ろからついてきてくれている。これが厄介で、歩調をゆっくりにして隣に並ぼうとしても、彼女も歩調を遅くしてしまうのでこの一定の距離が中々縮まらない。“デート”なら、隣を歩くのが普通なはずだろう。それなのに、この微妙な距離感はなんなのか。
(せっかく、可愛らしい格好をしてくれているのに…)
前回のワンピース姿も良かったけれど、今日は袖や裾がふんわりとしたものにショートパンツと動きやすくも可愛らしい服装をしている。全体的に白と水色を基調としていて、落ち着いた雰囲気だ。天馬くんなら、薄い桃色の服も似合うと思うけれど、そういう服は着ないのだろうか。
バレない程度に彼女の格好を盗み見つつ、そんな事を考えていれば、不意に天馬くんが顔を上げた。
「あの、…神代、くん…」
「…なにかな?」
「………先程、その…デート、と……」
「おや、君を誘う時から僕はそのつもりなのだけどね」
盗み見ていた事は気付かれていないようだ。そわそわとし始めた天馬くんは、僕の返答に変な顔をする。なんというべきだろうか。眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をしている。その顔がなんだか面白くて、つい吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
先程まで顔を赤くして戸惑っていたというのに、この反応はどういう事だろうか。僕に興味が無いという事はなさそうだけど、好まれているとも言いきれない。その前までの反応は、どう見ても僕に好意のある顔をしていたと思うのだけど…。
(まぁ、帰る頃にはそんな顔出来ない程その気にさせるけど)
遊園地なら人も多くて気が抜けるだろう。加えて、二人きりになる乗り物も少なくない。物理的な距離さえ詰めてしまえば、後は言葉で落とし込めばいい。幸い、天馬くんは僕の顔に多少なりとも好感を持っているようだからね。女性に好まれる外見はなにかと便利だ。
(本当に、つまらない世界だ…)
相変わらず数歩後ろを歩く天馬くんは、肩から下げたバッグの肩紐を強く掴む。視線が逸らされ、困ったような声が、「神代、くんは……」と僕の名を呼んだ。
足を止めると、彼女はほんの少し首を横に倒して僕を見た。一瞬何かを言いかけて、その口が、不格好に弧を描く。
「いや、やはり、なんでもない」
そう言って、彼女は先程言いかけた言葉を無かったことにした。
気にはなったけれど、それ以上僕も追求はしなかった。
―――
「おぉおおおっ…! 凄いな! あれはどうなっているんだ?!」
「…あれは、足元に風を送る機械があって、そこから花びらを吹き上げることで、あんな風に魔法をかける演出にしていて…」
「そうなのか?! 神代はなんでも知っているのだな…!!」
目をキラキラとさせて乗り物から身を乗り出す天馬くんから、そっと視線を逸らす。頬を赤らめ、楽しそうにする彼女は今までと印象が全く違って見える。興奮しているせいか演技も忘れて、きっと彼女の素の話し方なのだろう、どこか男らしい口調で話しかけてくれている。先程までの緊張は何処へやら。目の前の光景にずっと目を奪われていて、僕への警戒心など忘れてしまったようだ。
それはそれで、少し癪に障るのだけど…。
「そんなに身を乗り出すと、落ちてしまうよ」
「ぅおっ……?!」
自動運転のボートの縁に両手をついて身を乗り出す天馬くんの体をそっと引き寄せれば、彼女が目を瞬かせる。そのまま背中から倒れ込む彼女を抱き留めれば、先程まではしゃいでいた天馬くんの表情が一変する。
顔を真っ赤にし、戸惑うように眉を下げ視線を逸らす天馬くんに、ほんの少し気分が良くなる気がした。
「ほら、もっとこっちに寄って」
「…ぃ、いや、…気をつけるから…」
「落ちたら危ないよ。僕が支えるから、遠慮しないでおくれよ」
「え、遠慮とかではなくっ…! さすがに距離が近いっ…!!」
彼女の腰に手を回して引き寄せれば、赤い顔をした天馬くんが僕の肩を強く押して逃げようとする。
水中でレーンにしっかりと固定されたボートとはいえ、多少揺れるのであまり暴れてほしくはないかな。予想以上に抵抗する天馬くんに折れて、仕方なく手を離す。彼女は僕との間に少しだけ距離をとって座り直し、赤くなった頬を両手で覆って俯いてしまった。
二人きりのボートの旅、という雰囲気重視のアトラクションなはずだけど、彼女が相手では上手くいかない。いや、途中までは良かったはずだ。あんなにも楽しそうにする天馬くんを見るのは初めてだから、それだけ楽しませることだできたということになる。そこまではいいけど、恋人らしい雰囲気に持っていくのがここまで難しいとは。
(こういうタイプの子って、今までどうしていたんだっけ…)
大抵告白してきた子と付き合ってきたから、積極的な子が多かった。遊び感覚で手を出した大人しめの子も、少し僕の方から甘い言葉をかければその気になって求めてくれていたように思う。今までの子達なら、このくらいで十分だったはずなのだけど…。
天馬くんが相手では、全然上手くいかない。あと少しのところで逃げられてしまう。反応を見るに、僕への好意は確かにあるはずなのだけど…。
「…ねぇ、天馬くん」
「…………な、なん、ですか…?」
「好きだよ」
「んぇ…?!」
ぶわりと顔を赤らめた天馬くんが、信じられないものを見るような目で僕を見る。
何度も口にしてきたから、自然と口から言葉が出る。女性が好きな言葉は、こういうものでしょ? これなら、天馬くんも僕を意識せざるを得なくなるはずだ。何回も彼女に言い続ければ、その“信じられない”と疑う目も出来なくなるでしょ。
天馬くんが僕へ“愛”を返すようになるなら、いくらだって“嘘”もつける。想いの籠らない言葉くらい、何度だって囁いてあげる。
僕の言葉を鵜呑みにして、早く落ちてくれればいい。
「天馬くんにも、僕を好きになって欲しいから、これからは沢山言うね」
「…ぃ、ぃゃ…、……そ、れは…」
「出来れば、帰りに君からも返してくれると、嬉しいな」
「っ………?!」
石のように固まってしまった天馬くんの顔は、湯気でも出そうなほど赤くなっている。はく、はく、と言葉も出ないらしい彼女は、金魚のように口を開閉させた。そんな彼女の方へ顔を寄せれば、勢いよく下がられる。
ガタンッ、とボートが揺れ、水が跳ねてほんの少し中へ入ってきた。座席が濡れたのを横目に、彼女の腕をそっと掴む。
「嫌かい…?」
「…ぁ、…ぅ………」
「もし嫌でないなら、…もう少し近付いても、いいかい?」
何も言えなくなった天馬くんの方へ、身を乗り出す。
逃げようとする彼女の腕は離さず、出来る限りゆっくりと近付いた。その分かりやすく『緊張しています』って顔では、誤魔化せないでしょ。僕に言い寄られて“嫌だと思えない”女性の表情。
今回のデートで十分勘違いすればいい。“僕に愛されている”と。
「ねぇ、天馬くん。ここからはデートらしく手を繋ごうか」
「っ、…い、嫌ですっ…!!」
「……は…?」
あまりに大きな声で拒絶され、思わず低い声が口をつく。ここまで分かりやすく好意を持たれているというのに、何故こんなにも上手くいかないのか。イラッとした腹立たしさを何とか飲み込み、愛想笑いを貼り付ける。ここでキレたら計画が全て無駄になる。なんとしても天馬くんに僕を『好きだ』と言わせると決めたのだから。
ゆっくりと息を吐き出し、咳払いを一つして気持ちを立て直す。彼女の方へにこりと笑顔を向ければ、天馬くんは びくっ、と肩に力を入れた。
「僕としては、少しでも君との距離を埋めたいのだけど、どうしても嫌かい?」
「そ、そこまでまだ親しくは無いだろう…?! そ、そそ、それに、そういうのはあまり、人目に触れるところでするものでは…!」
「君は何時代の人間なんだい?」
「……ぇ…?」
はぁあ、と大きな溜息が溢れ、手で額を覆う。
このご時世、男女が手を繋ぐなんてよくある事じゃないか。それどころか、こんな状況ならキスの一つをしたところで誰も文句は言わないし、誰だってするよ。今時手を繋ぐだけでここまで緊張されたら、先が思いやられる。
(というか、酔っ払って腕を組んできたのは天馬くんの方だと言うのに、今更じゃないか)
あの時の積極性は何処へ行ったのか。あれだけ熱烈に誘っておいて、素面では奥手の照れ屋です、なんて出来過ぎてる。キャラ作りか何かかな。奥手な方が可愛い子を印象付けられる、と打算があっての発言か。そういうのは正直面倒だから、ヤる事ヤってさっさと別れたいのに。
この茶番にのるべきか、フリだと捉えて強引に進む方がいいのか…。
「……か、神代、くん…?」
「…なんでもないよ。無理を言ってすまないね、」
「ぁ……ぃや、お…わ、私の方こそ、すまない…」
ほんの少し気まづい雰囲気にはなってしまったけれど、これでいい。
ここで彼女にさらに警戒されるような事になるよりはマシだろう。あまり時間をかけるつもりは無いけれど、元々は暇潰しなのだから、急ぎ過ぎて台無しにするわけにはいかない。
嫌なら、嫌だと言えない雰囲気を作ればいい。
(人目が気になるのなら、次のデート先は人目につかない所でも指定してみようかな)
彼女の方からしてくれた提案なのだから、断れないだろうしね。
いつの間にか一周していたようで、ボートが出口に到着し、係員を見た天馬くんはあからさまに安堵の表情を浮かべた、そんな彼女にほんの少し腹を立てつつも、“良い彼氏”の演技で、彼女とアトラクションを後にした。
―――
(司side)
「ほ、本当に大丈夫だっ…!」
「遠慮しないで」
「…っ、……ん…」
「こんなになるまで、何故黙っていたんだい?」
足首に触れる手の熱に、心臓が煩いほど鼓動する。助けて欲しい。恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
かかのに近付けられる神代の顔があまりに真剣で、そのかっこよさで胸が ぎゅ、と苦しくなる。顔がいい。溢れそうな“好き”を無理やり押し込んで、両手を胸元で握り締めた。
「動かないでね。今絆創膏を貼るから」
「すまない…、神代、くんは…用意がいいのだな」
「ふふ、こういうのは慣れているからね」
「そうなのか。モデルというのは大変なのだな」
慣れない靴で来てしまったので靴擦れをおこしたオレに、神代は素早く気付いて対応してくれた。
絆創膏まで持ち歩くという配慮の完璧なところすらかっこいい。モデルという職業は、確かに慣れない靴を履く機会が多そうだから、怪我もよくあるのだろう。相当苦労しているのだな。
足をまじまじと見られるのは少し気恥しいが、せっかく心配してくれているのだから、これ以上迷惑もかけられん。
(良かった…、暁山に言われて普段より丁寧に脚の手入れをしていたのが幸いしたな……)
普段から多少スキンケアはしていたが、女装してデートなら念には念をいれるように! と助言してくれた友人に感謝しかない。こんな事で男とバレるわけにはいかないからな。
そわそわと終わるのを待てば、特に何も指摘されずに神代がオレの脚から手を離した。
「これで大丈夫かな」
「あ、ありがとう…!」
「どういたしまして」
優しい笑顔でそう返す神代に、胸の奥がまた きゅぅ、と音を鳴らす。
この優しいところが、昔から好きだ。あの頃は陰で見ているだけだったが、まさか大人になってからこの笑顔を目の前で見られるとは思わなかった。まぁ、心臓に悪いので程々にして欲しいが…。
まだ男とバレてはなさそうだが、いつバレるのかと冷や冷やさせられる。バレる前にどうにか飽きられればいいのだが、そんな雰囲気すらないのは何故なのか。
(そればかりか、手を繋ぎたいと言われるとは思わなかった…)
すでに何回か繋いだ気もしなくは無いが、女性の手との違いに気付かれるわけにはいかない。近付くのも最低限にしたいというのに、何故神代はオレに触れたがるのか…。
例えオレが女であっても、心臓がもたないので遠慮したい。神代に近付かれて平静を保てる自信なんか全くないというのにっ…!
「天馬くん?」
「へぁ…?!」
「疲れたなら、少し休憩するかい?」
「…ぁ、いや……そ、うだな…」
足はもう大丈夫なのだが、精神的に疲れた。あまりに神代との時間が凄すぎて、さすがに疲れた。心臓を一度休ませてほしい。お手洗いだと言って少し席を外すか…。
そう思い至ったところで、ベンチの隣に神代が当たり前のように座ってくる。それに思わず体を固くさせれば、隣で神代が困ったように笑った。
「そんなに緊張しないでほしいな」
「…ぁっ…、す、すまん……!」
「僕の方こそ、君との時間が楽し過ぎて、連れ回してしまってすまなかったね」
「っ…!」
直視出来ぬほどキラキラした顔でそんな事を言われては、何も言えん。
服に合わせてなれない靴を履いたオレが悪いというのに、謝られては申し訳ない。オレもついはしゃいでしまったから、お互い様だろう。絆創膏まで貼ってもらってしまって、これ以上ない程の神対応と言うやつだ。
出来れば少々一人の時間が欲しいが、ここで席を立つのは失礼な気がする。
(…なにか、話題をふらねば……)
オレに気を遣って、神代は沢山話しかけてくれている。
楽しめるようにと、明るい話題を。今だって、オレに都合の良いような優しい言葉もかけてくれている。これが女性なら、泣いて喜ぶのだろう。神代にずっと片想いしてきたオレも、今こんな状況でなければ平静を装えていなかったかもしれん。今、装えているかは別として。
そんな神代の気遣いに甘えてばかりではいられん。オレも、何か話題をふって、神代が作ってくれたこの特別な時間を大切にしたい。が、何の話をふればいいのか、思いつかん。こういう時は、質問が良いのだろうか? 初対面でする質問とは…? 趣味? 特技? 仕事? 全て知っている。
それなら、なにか、気になっていたこと……。
「……聞いても、いいだろうか…?」
「なんだい?」
「…その…、同窓会の日、……何故、オ…わ、たしは…神代、くんの家に居たんだ…?」
そう口にして、“あ…”と思った。絶対に、今する話題では無い。
ちら、と神代を見ると、きょとんとした顔でオレを見ていた。今更かもしれない疑問。そして、聞きたくても中々聞けなかった疑問。あの夜の記憶が、途中から綺麗さっぱり消えている。それを知っているのは、神代だけなんだ。
かと言って、翌日あんな格好で、更には神代の部屋の神代のベッドで寝ていたのだ。これでは、確認しないわけにもいかない。
「飲んでいる時に突然隣に来た君が僕を好きだと言ってくれて、帰る際も僕の後を着いてきてくれたから、酔い覚ましも兼ねてお部屋に招いたんだよ」
「ぅ、…そう、だったのか…、迷惑をかけたな……」
「僕としては、あの夜の積極的な天馬くんも、かなり好みなのだけどね?」
「…んぇ……?!」
膝に揃えた手に、神代の手が触れる。ぶつかりそうな程近い距離に寄せられた神代の顔に、思わず裏返った声が出てしまった。じっ、とこちらへ向けられた柔らかく笑うその顔に、視線が泳ぐ。何故、神代といるとこんな状況にばかりなるのだろう。
心臓が耳から飛び出してしまいそうなほど煩くて、掌に汗が滲む。月のような瞳に映るオレは、満更でもなさそうな顔をしていた。こんな情けない顔を、神代に見せる訳にはいかないというのに。
「っ、…も、もう少し、離れてくれんか…」
「……“嫌だ”と、言ったら…?」
「…冗談はやめてくれっ……」
神代の手を軽い力で振り解いて、顔を逸らした。
ほんの少し体をずらす様にして離れれば、数秒黙った後、神代がにこりと笑ってオレから顔を離す。
「すまないね」と、そう謝った神代の声音は、落ち着いていたと思う。
顔が熱い。今日はずっと、この顔の熱が引かない。心臓も苦しいほど煩くて、ドキドキしたままだ。
落ち着くためにゆっくりと息を吸い、深く吐き出す。そんなオレの隣で、「けれど、」と小さな声が落とされた。
「冗談のつもりはないよ」
「…ぇ……?」
「あの日から、僕は君に振り向いてもらう為に必死なのだから」
まるで夢でも見ているかのように、オレに都合の良い言葉が躊躇いなく神代の口から発せられる。
これが夢であれば良い、と思ってしまうほど、オレがずっと欲しかった言葉。
その言葉を受け取る勇気が持てず、「そろそろ行こう」と、神代の話をはぐらかした。