8.2 宴は好きじゃない。
酒も好きじゃないし、踊り子にも興味はない。忠義を示す手段として参加しているだけで、国王の『楽しみ』をバッキンガムは理解できなかった。
王弟である彼もそうだろう。ダンスの輪に加わるわけでもなければ、酒樽を空にするわけでもない。兄にならって女をそばに置くこともなく、いつも壁の隅でつまらなそうな顔をしている。
彼はバッキンガムと同じだった。
だから、きっと、今日も、夜の帳よりも暗い色の服をまとい、人目につかぬ物陰で、ただ静かに時が過ぎるのを待つのだろう。
そう思っていた。
思っていたのに、領地から王宮へと赴いたバッキンガムが目にしたのは、長い獣の耳の飾りを頭に付けた彼の人の姿だった。
「なん……な……、そ……」
なんなんだ、それは。
問い質したいのに言葉にならない。
目を丸くして口を開閉するバッキンガムが何を言いたいのか察したリチャードは、お前も苦労を思い知れとばかりに溜め息をこぼした。
「国王陛下は臣下を慮って趣向を凝らしてくださっている。今日の宴は獣のように自由に、奔放に……だそうだ」
「それをあんたは受け入れたのか……?」
「受け入れるもなにも、王の言葉は絶対だろう」
心外だと言いたげな冷たい視線を向けられ、バッキンガムは無様に呆けていた口をきつく結んだ。
辺りを見渡せば、みな頭上に何かしら獣の耳をつけている。
犬、狐、うさぎ……はっきりと見分けがつくのはこれくらいだが、丸いものや、やや細長のものなど、種類は様々だった。
リチャードが身につけているものは、黒く長い。内側がやや薄い色をしていることから、恐らく、うさぎの耳なのだろうと推測できた。
強く勇ましい人が、狩られる側の獣の装いとは。妙な不快感が腹の奥でそわそわと渦をなす。
リチャードが己で選んだのか、王に指定されたのか。尋ねるために眺めていた耳から視線を下げると、冷涼な黒い瞳とかち合った。
心臓をきゅっと掴まれたような感覚に息を詰める。
道中の疲れのせいか、いつになく気の置き場が定まらない。
さらに視線を落としてさ迷わせていると、リチャードの手に耳の飾りが握られていることに気がついた。
「おい、それ……まさか俺にも付けろと言うんじゃないだろうな……」
「これのことか? そのまさか、だ。バッキンガムが到着したら渡すように、と、陛下から直々に仰せつかっている」
そう言って差し出したのは、リチャードがつけているものと同じだった。頭にはめる木枠に、絶妙な間隔を開けて、細長く模した黒い動物の毛がくくり付けられている。
これを頭に被れというのか。公爵である自分に。
「断る」
「なぜ」
「なぜって……」
こんなものはただの辱めだ。馬鹿馬鹿しくて従う気になれない。
理由はいくらでも浮かんでくるが、睨みつけたリチャードの頭上にあるものがチラチラと視界に入るたび漫ろになり、膨れた怒りがおかしな形に萎んでいく。
心臓を掻きむしりたい衝動に駆られ、左胸を押さえる。
リチャードはうさぎの耳の飾りを差し出したまま、バッキンガムの言葉を待っている。
「なぜって……なんか…………、なんかやだ……」
「はぁ?」
己の感情が理解出来ず、幼い子供の駄々のような返事をすると、リチャードはらしくない品性にかける声を発した。
「……ガキ。付き合ってられん。それは従者にでも付けてもらえ」
呆れたため息をついたリチャードは、飾りをバッキンガムに押し付けると、背中を向けて人の群れへと進んで行った。
「おい、リチャ……ド……!」
呼び止めようと視線で追いかけると、リチャードの揺れるマントから覗く謎の物体が目に飛び込んできた。
耳と同じ色、似た素材で出来ている。ふわふわとした、丸い形の毛玉が、リチャードの腰の下、尻のあわいよりも上のあたりにくっ付いていた。
うさぎの尾だ!
隠す気はないのか、リチャードは堂々とした足取りで人の間をぬい、やがてバッキンガムの視界から完全に消えた。
押さえていた左胸がうるさい。
たかが作りものの尾だというのに、目にした瞬間、頭が真っ白になった。抱いていた不満など、もうどこにも無い。バッキンガムの胸の内を占めるのは、最早うさぎの尾だけだった。
隠れていたものを覗き見た背徳感が襲ってくる。
リチャードの小さい尻に、なんの違和感もなく飾られていた。
ふわふわと、揺れる、柔らかそうな、小ぶりの……。
リチャードが消えた方向を見つめながら、無意識に彼の後ろ姿……を反芻してしまい、バッキンガムの身体はカッと熱くなった。