宣戦布告誰かを好きなら、この時期はどうしたって意識してしまう。好きな人にチョコレートを送る風習は広告が事の発端らしいけれど、普段なら伝えられない気持ちをチョコレートが助けてくれると考えればありがたいのかもしれない。ここ、空厳寺でも檀家のお嬢さんがチョコレートを持ってきては空却に渡して去っいく。この時間、空却は箒片手に本堂の周りを掃除していることをお嬢さん方も把握しているようで、掃除をする一時間余りで代わる代わるチョコレートが手渡された。いつもありがとうと渡したり、顔を真っ赤にして押し付けるように渡したりと渡し方は様々だが、どうやら空却は意外とモテているようだ。
「おい、盗み見とは感心しねぇな」
母家の縁側からこっそりとその様子を覗いている私に空却が話しかけてきた。
「バレてたか。チョコレート貰えて良かったね」
「拙僧はモテるからな。茶、用意してくれ」
そう言う空却の手には小さな紙袋がいくつか下げられている。掃除を終わらせてズカズカと母家に戻ってきた空却は紙袋を縁側に置くと箒を片付けてまた戻ってきた。
「ちょっと休憩するわ」
縁側に腰を下ろした空却に湯呑みを渡すと私は紙袋の方を指差した。
「それ、ちゃんとお返ししないかんで。特に気合いが入っているやつは」
「なんだ、妬いてんのか?」
「なんで私が妬くんよ。むしろ彼女でもできて大人しくなってくれた方が灼空さんも肩の荷が降りて良いでしょうに」
「また親父の話かよ」
灼空さんの名前を聞いた空却は眉を顰めて不機嫌そうだ。ふと砂利を踏む音がしてそちらに目をやると本堂から帰ってきた灼空さんの姿が目に飛び込んできた。
「お待たせしてすまない。おや、空却の相手をしてくれていたのかい?」
「灼空さん!そんな、全然待ってません。あ、お茶用意しますね」
灼空さんの湯呑みにお茶を注いで渡すと、灼空さんはひと口飲んでにこりと微笑んでくれた。
「君が淹れるお茶は美味しいね。良いお嫁さんになれるよ。なぁ、空却もそう思うだろ」
「茶が美味いくらいで嫁にいければ苦労しねぇだろ」
「こら!空却!」
喧嘩が始まりそうになる二人をまぁまぁと宥めて灼空さんに話題を振る。
「それより灼空さん、お渡ししたいものがあるんですけど」
そう言って紙袋を渡した。小さくはない紙袋の中身はチョコレートだ。
「毎年ありがとう。空却と一緒に頂くよ。ほら、空却も」
「あー、あんがとよ」
灼空さんは毎年受け取るそれを、空却との二人分だと思っている。私はそれを否定はせずに毎年用意している。
「これからもお世話になります。じゃあ、私はこれで失礼します」
「気をつけて帰るんだよ。空却、そこまで送ってあげなさい」
灼空さんに言われてついてくる空却と一緒に帰路に着くと世間話代わりに先程のチョコレートの話をした。
「今年はね、あんまり濃厚じゃないのにしたんよ。クッキーでチョコ挟んであるやつ」
「親父が好きそうなやつだな。毎年拙僧の分までわりぃな」
「灼空さん宛だともらってくれないかもしれないからね」
私のバレンタインは、最初は空却に渡していた。誰かにチョコレートをあげたくて、じゃあ仲が良い年下の幼馴染にあげるという深い意味のないものだった。それがなんとなく習慣になって今に至る。最初の頃と違うのは高校二年生の頃から、灼空さんに渡すようになったことだ。私はその頃、自分の将来について悩んでおり、灼空さんはそれを聞いて色々アドバイスをくれた。灼空さんからすれば僧侶として、息子の幼馴染に対して、当たり前の行為なのだろうが、小娘だった私が惚れるには十分だった。
「やってみなわからんだろうが。無下にはせんと思うぞ」
「けど私ももう就職するし、そしたら灼空さんより好きな人できるかもしれんやん」
渇いた笑いで誤魔化すようにそう言うと胸が苦しくなった。
「お前の就職先、うちの寺にすれば良いんじゃねーか?」
「え?なんで?」
「お前が拙僧に嫁げば、親父の側にいられるだろ」
私の幼馴染は突拍子もないことを良く言うけれど、これは中々の発言である。
「いや、何言ってるかわかってる?」
「親父はお前のこと気に入ってる。理由はわかってんだろ?」
「うん。灼空さん、完全に私が空却のこと好きだと思っとるよね。というか付き合ってると思っとる」
「ってことはだ。お前が嫁に来れば親父が喜ぶ。お前は親父の側にいられる」
人差し指、中指と順番に指を立てて説明する空却に思わず口を挟んだ。
「それだと空却にメリットないでしょ」
「あ?拙僧は好きな女と一緒になれるから良いだろ」
ニヤリと返す空却に私の頭が真っ白になる。灼空さんを好きになって、今日までずっと空却に相談してきた。空却は私の話を黙って聞いて空却なりにアドバイスをくれていた。私の気持ちは空却に筒抜けのはずなのだ。
「お前を他の男に取られるくらいなら親父をダシにしてでも拙僧のところにいてもらった方がマシだ。一緒に暮らしたら気持ちが変わるかもしれんしな」
「空却のこと嫌いになっちゃうかもしれんやん」
「二十年近く一緒にいて、知らないとこなんてねーだろ。もしあったとしてもそれは新しい一面を知れて良かったと思う」
「私は今まさに、空却の知らない一面を知ったところなんだけど」
「良かったじゃねーか」
空却が私のことを好きだなんて知って良かったのだろうか。
「まぁ今すぐ決めろとは言わんて。そうだな、心が決まったら来年の今日、チョコレートを拙僧に渡せ。親父と一緒じゃない、本命のやつだ」
わかったな?と投げかける空却に私はただ頷いた。結局家の近くまで送ってもらい、空却はじゃあなと帰っていった。私の方は上がりっぱなしになっている心拍数を落ち着ける為に深呼吸を繰り返した。