開戦バレンタインにチョコレートをもらうなんざ、寺の息子に産まれた自分にとっては朝飯前だ。檀家のばーちゃん達から近所のちびっ子まで義理本命問わず贈られる。普段のお布施ならありがたく頂戴するだけなのだが、この分はお返しをきちんとするのがうちの寺の決まりだ。親父もそうしてきた。
「空却、お前と私にってもらったんだが」
あれは中学に入ったときだったか、毎年習慣のようにもらっていた年上の幼馴染からのチョコレートが、その年はなかった。正確に言うと俺宛のチョコレートが俺と親父宛になり何故か親父経由でもらうようになったのだ。
「あの子もお年頃だからな、お前に面と向かって渡すの恥ずかしいんじゃないか?」
笑ってそう言う親父の言葉に少し期待してお返しを渡しに行くと、玄関で応対すれば済む話なのに上がってと部屋に通されてますます期待した。
「灼空さん、食べてくれた?」
頬を赤らめる幼馴染を見て気づかない訳がない。俺がお返しを渡すより先に思っていた現実とは違う現実を突きつけられた。
「親父のこと好きなんか」
俺の質問に恥ずかしそうに頷く幼馴染を見て、膨らんだ期待がパン!と弾けた。
「内緒にしてね。空却だから教えるんだよ」
その特別扱いは幼馴染だからなのか好きな男の息子だからなのかわからなかったがどちらにしろ気持ちの良い特別扱いではなかった。
「あ、恋人になりたいとかじゃないから安心して。ただ側にいられたら良いの」
静かにそう話す幼馴染に対してそうかと返して俺の初恋は静かに終わった。
毎年贈られるチョコレートに深い意味なんてなく、それどころか自分は本命に渡す為の隠れ蓑になってから数年、俺は遂に想いを打ち明けた。
「まぁ今すぐ決めろとは言わんて。そうだな、心が決まったら来年の今日、チョコレートを拙僧に渡せ。親父と一緒じゃない、本命のやつだ」
そう伝えて一ヶ月、幼馴染は寺に姿を見せる頻度が減った。俺自身寺や十四の修行もあり忙しくしていたとは思うが、こんなに会わなかったのは俺が寺を抜け出したとき以来だろうか。しかし今日はホワイトデーだ。堂々と幼馴染の家に乗り込んだ俺は、おばさんにもうすぐ帰ってくるから待っててと部屋に通された。部屋に入ってすることもないのでベッドに寝転ぶといつの間にか寝てしまっていた。
冷たく鋭い空気を感じて目を開く。ゆっくりと起き上がり周りを見渡すと、ちょうど幼馴染がドアを開けて入ってきた。
「ちょっと、勝手にベッド使わないでよ」
「昔はよく一緒に寝てただろ。それよりそっちのお前、どうしてこの姉ちゃんについてきちまったんだ?」
幼馴染の隣にぴったりとくっついている小学校低学年くらいの少年に声をかけると二人は驚いた様子をみせた。少年はどうやら迷子のようだ。
「空却?あんた何と喋ってるの?何?」
「お前、迷子にくっつかれてんぞ。害はないやつだから安心しろ」
俺がそう言うと先程まで青ざめていた顔が元に戻った。
「そういや昔はよく霊と喋ってたわね。今も見えるんだ」
「まぁな。拙僧は迷子を帰してくるわ」
そう言って幼馴染の肩を叩いて帰ろうとしたところでふと過去のことを思い出す。小さい頃から幼馴染は体質なのかよく憑かれては俺が祓っていた。俺が寺を抜け出してしばらく会わなかった時はタチの悪いやつに憑かれていて怪我をさせられていたな。
「おい、週に一回、できなくても月に一回は寺に顔出せ」
「なんで?」
「お前、霊に好かれる体質しとんだわ。だからうちの寺に来て清めろ」
「お祈りとかすれば良いの?」
「とりあえず来るだけで良い。うちの寺の気配を纏っていれば大丈夫だろ。それとお返しは机の上に置いたからな」
机の上にある紙袋を指差してじゃあなと部屋を出た。迷子を元の場所に帰し話を聞いて成仏させる。僧侶の端くれとして当然の行為だ。
「さて、こっちはどうするかねぇ」
さっきの幼馴染には霊が二種類憑いていた。一つ目は迷子の少年、二つ目は人の形をしていない黒くもやもやしたもの。前者は害がない霊で後者は生き霊、つまり恨みや呪いだ。
実は迷子も本当は迷子ではなく、生き霊から幼馴染を守ろうとしてくれたらしい。迷子は交通事故で亡くなったのだが、現場である道路に供えられた供物が散らかったところをたまたま幼馴染が片付けた為、勝手に懐いていたようだ。
本当に霊に憑かれやすいやつだなと改めて感心して生き霊に手を伸ばした。
「人を呪わば穴二つってな」
俺は幼馴染を呪った人物は誰なのか探ることにした。生き霊は相手を呪った気持ちの塊だから言語能力などはないが、触れることで呪いの内容や、生き霊が生まれた瞬間を知ることができる。生まれた瞬間はその生みの親が必ず近くにいるので相手の顔がわかるって寸法だ。知らない顔が出てくると厄介だが今回は知っている顔だった。
てっきり幼馴染の知り合いが生き霊を生んだのだと思い相手に叩き返すつもりだったのだが、相手は俺の知り合いというか檀家の少女だった。確か八歳だと言っていた、年端もいかぬ子が何故こんなことをしたのか。今度見かけたらそれとなく聞くかと考えながら、生き霊を静かに祓った。
空厳寺は近所の子供がたまに遊びに来る。この日も何人か集まって騒いでいるようで、子供達は俺を見つけるとかけよってきた。
「空却、今日はもうおつとめ終わった?」
「一緒に遊ぼうよ〜」
「まだこれからやることがあるから、あっちで遊んでな」
適当にあしらおうとしたその中に幼馴染を呪った少女の姿が見えて思わず声をかける。
「お前、ちょっと聞きたいことがある。良いか?」
少女はこくりと頷いて周りの友達に後でねと伝える。
「聞きたいことってなぁに?」
「うちによく顔出してる姉ちゃんのこと、知ってるか?子供会とか手伝いに来てくれる姉ちゃんなんだが」
ストレートにそう聞くと少女は少し顔を曇らせる。
「お前、あの姉ちゃんのこと好きじゃないんか?」
目線に合わせてしゃがんでやると、少女はぽつりと呟いた。
「嫌いよ」
「そうか。それは心の底から恨むくらいか」
俺の言葉に少女の瞳が震えて潤む。
「他人を酷く恨むことはあると思う。でも強く思えば思う程、それは自分に跳ね返ってくるからな。もし姉ちゃんのことをまた嫌だと思ったら他の楽しいことを思いだせ。お前の大切な時間を恨むことなんかに使うな」
ぴしゃりとそう言うと少女はぽろぽろと涙を溢しだした。
「だって、だって」
しまった、言いすぎたかと内心焦りながら少女の頭を宥めるように撫でる。
「だって、お姉ちゃん、空却くんのこと、独り占めするんだもん。私だって空却くんのこと好きなのに」
「……ありがとな。お前の気持ちは嬉しい。けどその気持ちには応えられない」
突然の告白に諭すように優しく伝えると少女は涙を抑えて俺を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「あのお姉ちゃんがいるから?」
「そうだけど少し違う。拙僧はあの姉ちゃんに惚れてる。片想い中なんだわ」
「片想い?空却くんの?」
「あぁ、そうだ」
俺の言葉を聞いて少女は顔を明るくしたかと思うと涙を拭いて深呼吸をした。
「空却くん、ちょっと耳貸して」
そう言われ素直に耳を差し出す。何を言われるのだろうかと待っていると頬に柔らかいものが触れる感触があった。すぐ顔を向けると少女はにこりと笑って口を開く。
「えへへ、空却くんが片想いってことは諦めなくて良いってことだよね」
少女に気圧されたものの泣き止んだことに安心して俺は笑みを返した。