二つの意思麻天狼がDRBを制したのは寂雷と彼女が出会ってから二ヶ月が経った頃だった。ある夜、独歩が残業を終えて家に帰ると一二三のそれとは違う、低い声に迎えられた。
「おかえりなさい」
聞き馴染みのある声の主を確かめるべく顔を上げると寂雷がリビングから玄関に向かっていた。
「先生?え?家間違えた?それとも幻覚?いやいくら幻覚と言えど俺のような者が先生の幻覚を見るなど……」
困惑してブツブツと呟く独歩に寂雷は困った表情を浮かべる。
「独歩君、ここは君と一二三君の家で私は本物だよ。君達に用事があってお邪魔しているんだ。ほら靴を脱いで着替えておいで」
「は、はい!すぐに!」
バタバタと靴を脱ぐ独歩に慌てなくて良いよと声をかけてリビングに戻った寂雷は一二三に微笑んだ。
「独歩君、私がいることに驚いてたよ」
「あはは〜早く帰ってこいとしか連絡してなかったですからね。あ、お皿並べてもらってもいいっすか?」
「もちろんだよ」
一二三が手際よく料理を盛り付け、寂雷は食卓の準備をする。食卓が賑やかになり出した頃部屋着に着替えた独歩がリビングに顔を出した。
「お待たせしました。って一二三、お前先生に何させてんだ。先生も座ってて良いですよ。食卓の準備なら俺がやります」
「ふふ。楽しいから私にさせてくれないかな?それに独歩君こそまだ疲れてるだろう?座ってて良いよ」
「一二三君、ごちそうさま。美味しかったよ」
「どういたしまして、せんせー!コーヒーでも淹れますね」
一二三は独歩と共に食卓をテキパキと片付け、お湯を沸かし始めた。しばらくして香ばしい香りが部屋に広がり、一二三がコーヒーを寂雷と独歩の前に静かに置いた。
「ありがとう」
「へへっ」
一二三はにこにこと自分の分であるコーヒーを置いて席に着くと寂雷に話しかけた。
「んで、せんせーの話って何すかぁ?」
「こら一二三、ちゃんとしろ!先生、今日はどうされたんですか?」
一二三を窘めた独歩が改めて寂雷に要件を問うと実はね…と寂雷が口を開いた。
「一二三君、独歩君、我々麻天狼の優勝を記念して凱旋ライブをすることになりました」
「えっ!」
「マジっすか?せんせー!」
寂雷は驚きを見せた二人の様子を満足そうに眺めながら話を続ける。
「まずナゴヤ、次はオオサカ、最後にシンジュクの三箇所でライブをするよ」
「なんか旅行に行くみたいで楽しみだね、独歩ちん!」
「あぁ……」
嬉しそうな一二三とは対照的に独歩は顔を曇らせている。
「独歩君、君には嬉しい知らせではなかったかな?」
心配そうに寂雷が話しかけると独歩は慌てて否定をした。
「とんでもない、です。ライブ自体は嬉しいんですけど仕事との両立を考えると今から頭が痛くなってしまって」
「なるほど。でも泊まりはオオサカだけだろうだから頑張ろう。私と一二三君がサポートするよ」
「そうだよ〜!大体今からそんな心配すんなって!大丈夫大丈夫!」
背中をバシバシと笑いながら叩く一二三にやめろと抗議しながら独歩は寂雷にありがとうございますと礼を述べた。
ある夜、彼女は急いでいた。予約した店にも待ち合わせ相手に連絡は入れたものの遅れていることには変わりない。待ち合わせの駅で電車を降りると待たせている申し訳なさからか自然と早足で改札へ向かう。改札を出てきょろきょろと辺りを見回すと周囲より頭一つ出た藤色の頭を見つけた。ぱたぱたと駆け寄ると待ち合わせ相手も彼女に気づいた様で軽く手を挙げた。
「神宮寺さん、すみません。お待たせしてしもて」
「大丈夫だよ。君こそ仕事は大丈夫だったかい?」
「なんとか。神宮寺さんを待たせてるって思て必死で終わらせました」
にこにことそう言う彼女に寂雷もつられて微笑んだ。
「ほな行きましょか。お店、あっちです」
彼女が指を指して歩き出すとそれに寂雷が続く。二人並んで歩きながら世間話をしているとしばらくして目的の店に到着した。
「いらっしゃいませ〜」
店に入ると店員の元気な声が二人に向けられる。彼女が申し訳なさそうに予約していることを告げるとさっき電話くれた方ですねと店員が確認を取った。
「こちらにどうぞ」
店員に案内されたテーブルに着くと二人は向かい合わせに座る。真ん中には鉄板がありそれを避けて店員はメニューと水を置いた。
「お決まりになりましたらお呼びください」
寂雷は一礼して去る店員を見届けてメニューを開き彼女に声をかけた。
「色々なメニューがあるね。君のおすすめはあるかな?」
「私のですか?スタンダードに豚玉かイカ玉……あ、すじこんも好きやわ」
「すじこん?」
不思議そうな顔で首を傾げる寂雷に彼女がメニューを指差す。
「これです。牛すじとこんにゃくが入ってるやつです。食感が楽しいですよ」
「ふむ、面白そうだね。私はそれにしようかな」
「ほな私はイカ玉にします。分けて食べましょ」
店員を呼んで注文を済ませた彼女に寂雷はありがとうと微笑んだ。
「そういや、今日はお仕事ですか?」
「いや、今日は仕事じゃないんだ。君はディビジョンラップバトルって知っているかい?」
「なんとなくは。中央区で大会が開かれたんですよね」
「そうだよ。その大会で優勝したチームが凱旋ライブをするんだけど、ライブ会場の一つがオオサカなんだ」
その言葉を聞いた彼女はハッとした顔をして寂雷を見つめた。
「もしかしてライブを見にきはったんですか?めっちゃ好きなんですね」
微笑むというよりも口元が緩んでにやけた彼女がそう言うと店員が注文の品を持ってきた。
「お待たせしました。すじこんとイカ玉です。では焼いていきますね」
店員が手際良く具材を混ぜて鉄板に生地を広げていく様子を寂雷は興味深そうに見つめている。ジュウジュウと言う音と生地が焼ける香りが二人の間を賑やかに彩った。
「またひっくり返しにきます」
軽い会釈をして立ち去る店員を見送ると寂雷は彼女を見つめてゆっくりと話を切り出した。
「さっきの続きなんだけれど、ライブを見に来ないかい?」
「一緒に行くってことですか?いつ?」
「明日の夜なんだけど、一緒に行くわけじゃなくて……」
「ひっくり返しますね。もう一度仕上げに来ますのでお待ちください」
寂雷の話に割り込んだ店員がテキパキとお好み焼きをひっくり返し蓋をして立ち去った。
「明日なら大丈夫ですよ。ほな待ち合わせどうします?」
「あぁ、できれば会場に直接来てくれると助かるかな」
「現地集合ってことやね!あ、いるものとか必要な知識とかあります?」
趣味であるオタク活動の経験からか準備事項を確認する彼女に寂雷は落ち着いてと告げる。
「特にいるものや必要な知識はないよ。ただ、私のチームを紹介したいから楽屋に来て欲しいんだ」
「え?楽屋?」
キョトンとする彼女とそれを楽しそうに見ている寂雷の間に再び店員が割り込む。
「出来上がりました。青のりと鰹節はお好みでかけてください。ではごゆっくりどうぞ」
「出来上がったようですね。ではいただきましょうか」
寂雷がそう言うと彼女は大きなコテを手にした。
「ほな切りますね。で、話の続きなんですけど」
「ライブ前はバタバタしているだろうから終わってから楽屋にきてくれるかな?もちろんスタッフには話を通しておくよ」
「いやそうやなくて、楽屋ってことは神宮寺さんがライブ出るんですか?そういうお仕事ってことですか?」
彼女はさくさくとお好み焼きをコテで切り分けながら寂雷に疑問を投げる。
「ライブに出るよ。実はね、優勝したのは私のチームなんだ」
「え?えぇ?嘘やん。そんなすごい人やったんですね」
驚きながらもお好み焼きを切り終えた彼女にありがとうと言うと寂雷は話を続けた。
「それで、きてくれるかい?」
真っ直ぐ彼女を見つめて返答を待つ寂雷に彼女はもちろんと返した。
「疲れたけど楽しかった〜!あれ?独歩ちんどこ行くの?」
ライブを終えたばかりの三人が楽屋でパイプ椅子に腰を落ち着けて休んでいると独歩が楽屋を出て行こうと立ち上がった。
「トイレだよ。すぐ帰ってくる」
「俺っちも行くから待って」
「一二三、ジャケット」
暑いからと楽屋に入ってすぐに脱いだそれを独歩は指差した。
「へーきへーき。このライブハウス、女性スタッフいないって言ってたし。一応タオルで顔を隠してるから大丈夫っしょ」
「お前な…まぁいい。先生、すぐに戻ります」
いってらっしゃいと優しく言って楽屋のドアがパタンと閉まったことを確認して、寂雷はペットボトルの水に口をつけた。
「ふぅ…」
バトルの時とは違った疲労と高揚だがこれも悪くないなと一息ついていると、ドアをノックする音が響いた。
「入ってきて良いよ」
一二三と独歩が帰ってきたと思いそう声をかける。しかしゆっくりと開くドアの先にいたのは一二三でも独歩でもなく、昨日招待した彼女だった。
「失礼します」
「やぁ、君だったか。すまない、チームメイトだと思ってしまってね」
立ち上がって彼女に近づき、入っておいでと促すと彼女は静かにドアを閉めて寂雷に軽く頭を下げた。
「今日はお招きいただきありがとうございます。ライブとても楽しかったです」
「どういたしまして。楽しんでもらえたなら良かった」
「ラップしてる神宮寺さん、すごく迫力があって凄みが増してて、なんだか昨日会った神宮寺さんとは別人みたいで」
興奮しているのであろうやや早口で感想を伝えようとする彼女に寂雷は頷く。ふとドアが開く気配がして彼女が少し離れると勢いよくドアが開いた。
「せんせー!ただいまっ……おおおおんなぁ!?」
ドアを開けた一二三は彼女の姿を見るや否や叫び声をあげる。
「おい、一二三!大丈夫か?」
独歩が一二三の背後から声をかけると一二三は勢いよく独歩の後ろに隠れまるで小さな子供のように震えていた。
「え?何?」
突然のことに驚く彼女に寂雷が説明をする。
「彼は女性が苦手なんだよ」
「そ、それやったら私帰ります」
彼女が軽く会釈をして帰ろうとするもドアには独歩と一二三がいるのである。
「ダメ、来ないで!どっぽぉ〜!」
「すみませんすみません。すぐ落ち着かせますので。できれば少し距離を取っていただけると助かります」
独歩の言葉を聞いた彼女は寂雷に耳打ちをするとそのまま部屋の隅へぴったりと体をつけ寂雷に合図を送った。その合図を受けた寂雷は独歩の後ろにいる一二三にゆっくりと話しかける。
「一二三君、驚かせてしまってすまない。彼女は私の連れなんだ。彼女はあの場所から動かないと言っているから、私に免じて今のうちに落ち着いてくれないかい?」
「せんせぇの?ほんとに動かない?」
「私が保証しよう。ジャケットを取ってくるから少し待ってて」
宥められて落ち着いた一二三を確認すると寂雷はジャケットを回収して独歩越しに一二三に渡した。
「先生、ありがとうございます」
「独歩君も驚かせて悪かったね。うっかり伝え忘れてしまって」
独歩と寂雷が話している間にジャケットを着終わった一二三は背筋をピンと伸ばして独歩の後ろから出てきた。
「先生、先程は失礼しました。独歩君、いつもありがとう。そうだ子猫ちゃんにも」
一二三はそう言うと部屋の隅で固まったようにジッとしている彼女に近づく。先程まで自分を見て怯えていた人間が今度は自分に近づいてくる様子に彼女は驚く間もなくただ一二三を見つめるしかできなかった。
「子猫ちゃん、先程はとんだ失礼を。君の優しさ本当に嬉しかったよ。もし許してくれるなら今夜僕にくれないかい?忘れられない夜にしてあげる」
「え?え?」
「一二三君、彼女が困っているよ。少し離れようか。君も、もう動いても大丈夫だよ」
「はい、先生。ごめんね、子猫ちゃん」
寂雷に注意を受けた一二三は彼女からそっと離れて独歩の隣に並んだ。彼女もつられて寂雷の隣へと並ぶ。
「すまない。一二三君はこういう体質でね。紹介が遅れてしまったけどこちらが伊奘冉一二三君でこちらが観音坂独歩君だよ。私のチームメイトなんだ」
寂雷からの紹介を受けて彼女、一二三、独歩の三人はお互いに挨拶を交わした。
「先生が以前助けたと仰っていた女性ですね。先程は一二三が失礼しました」
「子猫ちゃん、今夜の僕たちはどうだったかな?」
「そうだ、感想が途中だったね。続きを聞かせてくれないかい?」
「え?あぁ、神宮寺さんは先程伝えた通りで、優しいイメージなのにステージでは迫力があってでも冒頭の挨拶とかトークの時はやっぱり優しくてめっちゃ素敵でした。一二三さんは盛り上げ担当って感じやったけど立ち振る舞いはキチッとしてるしトークの時もフォローをしてはって周りをすごく見てはるんやって感じでした。独歩さんは全体曲の時は攻撃的なのにソロ曲はこう、胸がキュウっとなるような感じで歌い上げてて、歪んだ美しさみたいな印象を受けました。三人とも個性が強そうで纏まりそうにないのに三人で歌う時はその個性が死なないままむしろプラスに働いてより歌の力が強くなって、このライブハウスを支配下においたような強さを感じて。ラップのパフォーマンス、初めて見たんですけどめちゃめちゃ楽しかったです」
少しずつ早口になって感想を捲し立てる彼女を寂雷はにこやかに、一二三は相槌を打ちながら、独歩は戸惑いながらそれぞれ聞いていた。三人のその姿を見て彼女はハッとして頭を下げる。
「すみません、長々と喋ってしもて。けど、よく知らない私でもめっちゃ楽しかったんです」
「いや、こんな風に第三者から感想を聞くなんてあまりないからね、聞き入ってしまったよ」
「子猫ちゃんが僕のことをちゃんと見ていてくれて嬉しいよ」
「褒められることが少ないのでとても嬉しいです」
三者三様にそう言われた彼女は少し照れたようではにかんで誤魔化した。
「そうだ、今回のラストはシンジュクでライブをするんだ。良ければ来ないかい?」
寂雷が日にちを伝えると困ったような表情で彼女は返す。
「すみません、その日は予定が入ってて。先日お世話になった一郎君に会うんです」
突然出てきた一郎の名前に寂雷は一瞬眉を顰める。そんな寂雷に気づかないまま一二三が冗談っぽく口を開いた。
「一郎君ってイケブクロの一郎君かい?子猫ちゃんとデートだなんて彼も隅に置けないね」
「ちゃいますよ。趣味に付き合ってくれはるんです。そもそも年もめっちゃ離れてるしデートやなんて言うたら一郎君が可哀想やないですか」
「そうかな?年齢なんてアクセサリーみたいなものだよ。どんな年齢だってその人の歴史が詰まっていて僕は素敵だと思うな」
一二三の言葉を受けて照れる彼女に寂雷が口を挟む。
「前から約束していたのなら仕方ないね。残念だけどまたの機会を楽しみにしているよ」
寂雷の言葉に彼女は笑顔ではいと答えた。
『もしもし?一郎君?寂雷です』
「寂雷さん。こんばんは。どうしたんですか?」
『今度シンジュクで摩天楼が優勝記念ライブをするんだけど、その時にある人を連れてきてほしいんだ』
「依頼っすか?すんません、その日は別件が入ってます。でも人を連れて行くだけなら二郎か三郎に行かせますんで」
『いや、一郎君が良いんだ。その日一郎君と一緒にいる彼女を連れてきてほしいんだよ』
「じゃ、寂雷さん。何で会うの知って……」
『彼女から直接聞いてね。趣味に付き合ってくれる良い友達ができたと言っていたよ。それで、私の依頼は受けてくれるのかな?』
「わかりました。元々夕方には解散する予定なんで連れて行きます」
『ありがとう。報酬は先に振り込んでおくね』
「いや良いっすよ。連れて行くだけですし」
『ダメだよ。この依頼に関してはちゃんと責任を持ってほしいんだ。一郎君、君は信用に足る男だから伝えておくけど私は彼女のことを好いているんだ』
「あの、どうしてそんなことを俺に話してくれるんですか?」
『もし一郎君が彼女に興味を持っているのなら伝えておかないとフェアじゃないかなと思ってね。私にとって君は大切な友人なんだ。もちろんバトルは別だけどね』