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    tks55kk

    @tks55kk

    うちよそ作品(現在はMHR:SB)は縦書き
    文字書き行為の備忘録的なメモは横書き

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    tks55kk

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    ★よそ+よそ+うち(CPなし)

    りん(@odashi_0820)さん宅のリンカさん・あねにゃ(@aneniwa)さん宅のミドリさん・うち(@tks55kk)のイブキの三人が一緒に狩りに出て、互いの価値観の違いゆえにさながら冷戦のようになってしまう、ハラハラドキドキなお話です
    誰も間違ってないけど誰も100%は正しくない 果たして和解できるのか!?

    【暗雲衝けば蒼天に虹】****

     今回は、なかなか骨が折れそうだ。
     団子を片手に先程受注したクエストの依頼書を眺めながら、リンカは覚悟混じりの深呼吸をした。

     チッチェから『緊急度が高いのに受注できる者がなかなか見つからない』と泣きつかれて二つ返事で引き受けたのは、リオレウスとリオレイアの討伐クエスト。依頼主は王国の辺境に位置する小さな村の青年で、『村が繰り返し襲撃を受けているから助けてほしい』という、至ってシンプルながらも極めて切迫した内容だった。
     ターゲットがどちらも通常種より遥かに高い戦闘力を持つ希少種――銀火竜と金火竜であり、しかも常に行動を共にしている番であることが、適任者がいない理由だ。チッチェ曰く、既に何度か送り込んだハンター達は悉く返り討ちにあったのだそうで、依頼書の隅にはご丁寧に『複数人での受注を希望』との注釈が付いている。

     リンカはパーティでの狩猟があまり得意ではなかった。技量の問題ではなく、気持ちの問題だ。決して他者を不要と考えているわけではないが、『己の腕一本で戦い抜いてこそ一人前だ』というリンカの信条は、時として、仲間の存在や視線を必要以上に強く意識することに繋がりやすい。有り体に言えば、集中が削がれてしまうのである。
     だからこれまでも、ターゲットが未知のモンスターであろうが強大な古龍種であろうが、リンカは可能な限り一人で戦い抜いてきた。その自負を以てすれば、このクエストにも一人で挑みたいのが正直なところである。

     しかし今回は『素材を取ってきてほしい』という類いの依頼ではなく、人里での防衛戦に近い仕事だ。大型モンスターの楽園たる狩り場と違い、そこには間違いなく人間がいる。おそらく泊まりになるだろうから、村の中へ案内されて当事者達に話を聞くことになる可能性もあるし、もしもこの村がリンカの故郷と同じく『自分達も戦う』という姿勢であれば、村人達と協力する必要もあるかもしれない。ならば、依頼者の希望には添う方が良かろう。致し方ない。

     となればつまり、誰かに同行を頼まなければならない。誰に声をかけようか。
     逡巡と腹ごしらえを終えたリンカが顔を上げてくるりと周囲を見渡すと、ちょうど都合良く、見知った顔が二つ見つかった。

    「っだぁーっ腹立つ もう一回」
    「へっへーん。いいけど、何回やってもわたしの勝ちだと思うよぉ?」
    「一回や二回勝ったくらいで調子に乗るんじゃないわよ、ほら早く」

     顔を真っ赤にして、どこぞから持ち出してきたらしい大樽にドスッと肘を立てる、艶やかな黒髪の美女。その正面でドヤり散らかしている、派手な身なりの短髪の女。先程からやたら騒々しかったので何事かと思えば、どうやら腕相撲で勝負しているようだ。

    「……ふふっ。よほど暇なんだな、二人とも」

     リンカはくすりと笑い、とびきり刺激的なクエストで彼女達の暇を潰してやるべく、席を立った。
     このメンバーで臨めるのなら、苦手なパーティ戦も『致し方ない』ではなく『楽しみだ』と思える。リンカにとっては願ってもない幸運だった。

    ****

    「ところでさー。今回のターゲット、なんでわざわざこの村を襲うんだろ? 用事なさそうなのに」

     最寄りの船着き場から目的地へ、道なき山道を徒歩で向かう道中。

     人の背丈ほどもある雑草をざくざくと掻き分けて進みながら、「ここにもそこにも巣を作れる」「きっとこの辺りは獲物が多い」と地図を指し示し、希少種夫妻の行動について推察を重ねているのは、イブキ。少々小柄な身体に似合わぬ巨大な大剣を背負った彼女もまた、その観察眼と確かな狩猟の技術で、単独での大きな業績を挙げている腕利きのハンターである。

    「この辺で中型モンスターでも狩ってる方がよっぽどお腹溜まるよね。人間そんなに食べる所ないもん」
    「滅多な事を言うもんじゃないよイブキ……私達が呼ばれたのは、人間が食べられないためなんだから……まあ、言わんとする事は分かるけど」

     イブキの不吉な台詞を諌めつつも彼女の手元を覗き込み、リンカも改めて首を傾げた。事前のブリーフィングで、イブキと同じ違和感を覚えていたからだ。

     クエスト情報と共にギルドから与えられた地図は、大半が森林地帯、人間の生活域は南の端にぽつんと頼りなく存在するのみ。深い深い森の奥に位置するその小さな村こそが、今向かっている目的地である。

    「確かに、不思議だとは私も思うんだ。イブキの言う通り、人とモンスターが住み分けるのに十分な余地はあるように見えるからね。この村は地理的に何か、モンスターを呼び寄せやすい理由でもあるんだろうか……どう思う? ミドリ」
    「そういう要素は特に見当たらないわ。少なくとも、その地図を含む事前情報の中には」

     もう一人の頼もしい仲間――ミドリは、知識と状況判断能力が命のライトボウガン使いらしい、非常に頭の切れるハンターだ。地図はもう頭に叩き込んであるようで、会話には混じりながらもさっさと歩けと促してくる。
     この依頼に対する彼女の目線も、やはりリンカ達と同じ方向を向いていた。

    「その一帯には、昼は北西、夜は北東の風が吹くそうよ。いずれにせよその村は、大型モンスターの生息域と考えられる森林地帯から見れば、常に風下。人間が村で何をしていようと彼らの気には留まらないはずだし、水や食糧も北部の森林地帯の方が豊富でしょうね」

     リンカに誘われたその足でクエストの準備を整えて直行してきたので、下調べの時間などなかったはずなのに、ミドリの口からは目的地周辺の詳細な情報がすらすらと出てくる。彼女は悪癖にも近い交遊関係のお陰で異様に顔が広いようなので、この地域についても、過去に誰からか聞いたことがあるのかもしれない。まあ、情報が正しければ今は問題ないし、ミドリが当てずっぽうで物を言う人間でないことは承知している。つまりそれを知った経緯を追及する必要はないから、何故そんなに詳しいのか、とは聞かないのだけれど。

    「常識的に考えれば、銀火竜達がわざわざあの村まで下りてくる必要はない……か」

     リンカが独り言ちると、ミドリはリンカを見やってさもありなんとばかりに大きく頷き、少々辛気臭い溜息を溢した。

    「そういうこと。……なーんか嫌な予感がするのよねぇ、この依頼」

     意味深に顔を曇らせているが、明確な根拠は出てこないらしい。『女の勘』とでもいうやつだろうか。
     すると今度はそれを聞いたイブキが、眉を露骨にひん曲げて「げっ」とガスガエルのような声を上げた。

    「やだー。ミドリさんのそれ、すごいよく当たる方のやつじゃない?」
    「おそらく。どうも頭の隅がこう、ムズムズしてしょうがないのよ。これは外したことないパターンだわ、残念だけど」

     それがもし本当なら何とも気の重くなる話だ。しかし、ミドリの表情と言葉に謎の確信が満ち溢れているところを見ると、信じざるを得ないように思われる。
     リンカは二人ほど直感が冴えているわけでもないし、こと狩猟に関してはスピリチュアルな験担ぎにもさして興味はないが、着手する前から不穏な空気になるのは御免被りたい。クエストの平穏無事な達成を望むリンカは、なんとか吉兆の欠片でも見つからないかとミドリの言葉を脳内で何度も反芻し、一筋の希望の光を見出だした。

    「……『当たる方』があるってことは、『当たらない方』もあるの?」
    「男選びの時のやつ! ね、ミドリさん!」
    「……」
    「イブキ。ミドリの顔が怖い。ねぇ、イブキ」

     見つけたはずの光は失われ、リンカは天を仰いだ。イブキは無邪気にケタケタ笑っているが、ミドリの顔は能面である。
     そうこうしているうちに、鬱蒼と草木が生い茂っていたリンカ達の足下は、だんだんと「人に踏み固められた道」に変わりつつあった。目的の村は近い。あとはもう、ミドリの勘が例外的に外れることを、神にでも仏にでも手当たり次第祈ってみるしかなさそうだ。

    ****

     リンカ達の目から見たその村は、迫り来る金銀火竜の脅威に対して、あまりに脆弱だった。
     飛竜避けの煙も焚いていない。十中八九モンスターは空から攻めてくるのであろうに、大砲はおろか、簡素なバリスタすらも備えている様子がない。

    「すごーい。村と森の間に境目がないよ。どこからどこまでが村なのか分かんないや」

     イブキが感心したように呟き、リンカとミドリも頷いた。
     なにせ、民家とおぼしき建物はちらほら目につくが、それらは立ち並ぶ木々の隙間を縫うように点々と建てられている。集落なのに、家々の間には道らしい道もない。それどころか、塀や門といった周囲との境界を示す人工物すら、どこにも見当たらないのである。モンスターの襲来を迎え撃つ強固な防壁に囲まれて育った三人にとっては、新鮮を通り越して不可解ですらあった。

    「自然と対立するよりも、調和して生きることを選んでいる……といった雰囲気だな。まるで森の一部だ」
    「ええ。それが今はどういうわけか、森の主達の怒りを買って、追い出されそうになってるんだけどね」

     彼らはきっと長らくこうやって、この土地に上手く溶け込みながらひっそりと暮らしてきたのだろう。なのにミドリの言う通り、今は何故かその均衡が崩れている。
     理由が、ますます気になった。

    「おーい! たのもーっ!」
    「お馬鹿、それじゃ道場破りじゃないの」
    「……火竜討伐の依頼を承ったハンターです。村の方、どなたかおられませんか」

     確実に村の領域だろうと推察した地点で一応立ち止まり、(イブキのはなかったことにして)リンカがそう声をかけると、すぐに付近の木造家屋の扉が開き、数人の村人が顔を出した。家族ではないように見える。あそこは村の集会所か何かなのだろうか。

     皆、どこか疲れた顔をして、品定めでもするかのような目でじっとこちらを見つめている。少し不気味に感じたが、リンカ達はひとまず大人しく彼らの出方を待った。しばらく待っていると、更に周辺の建物からも人の気配。小屋とも家ともつかぬあばら家の数々、その窓や扉の隙間から、重苦しくねっとりとした視線がリンカ達に注がれた。

     イブキは目をパチクリさせて、心底不思議そうに首を傾げている。ミドリは眉間に皺を寄せ、爪先で落ち着きなく地面を小さくトントンと蹴って、明らかに苛ついている。二人が突拍子もない言動に走らないかどうかにも気を揉みつつ、リンカは辛抱強く待った。いつモンスターに襲われるとも分からぬ恐怖に晒され続け、唯一の希望として呼び寄せたハンター達もことごとく斃され、きっと疲弊しきっているのだろう。そう思えば、この少々不躾な視線も致し方ない。――そう、考えたのだが。

    「……女? 男は一人もおらんのか」
    「若すぎるだろう。もうこんな駆け出しみたいな者しか寄越してもらえなくなったんだな、この村は」
    「どうせ死んじまうんだ。最期に、チアンに良い飯でも食わせてもらいな」

     ようやく一人が口火を切ったかと思えば、村人達は口々にリンカ達を言いたい放題に罵り、諦めたようにまた室内へ引っ込んでしまった。
     ピシャンッと戸を閉じる音がいくつかの家から聞こえて、それっきり。うんともすんとも、誰も何も言わない。

    「……」
    「……」
    「……」

     呆然と立ち尽くす三人娘。そよそよと草木を揺らす風の音。森と一体化した集落は再び、濃霧のような静寂に沈んだ。

    「……はぁ? 何よあの態度。帰っていい?」
    「いや待って落ち着いて、待って」

     当然、ミドリの機嫌は更に悪化した。もうご機嫌斜めの域を軽々と振り切っている。止めなければ今すぐにでも踵を返して、来た道を引き返し始めそうだ。
     先読みで彼女の肩を慌てて掴みながら、リンカが助けを求めるつもりでイブキを振り返ると、こちらはこちらでトンチキ面をしてきょとんとしている。

    「チアンって、人の名前? 茶屋の人?」
    「……このクエストの依頼主だよ。依頼書に書いてあっただろ」
    「見てないや! あー、お腹空いたねぇ。良いご飯って何だろうねぇ」
    「……はぁ……何だろうな……ははっ……」

     まだ何もしていないのに、リンカはもう大分疲れていた。駄目だ、自分がしっかりしなければ。気を確かに持て。
     そう自分を奮い立たせていたら、ようやく助け船が現れた。

    「――ハンター様方! お待ちしておりました」

     森のような村(あるいは逆かもしれない)の奥から息を切らして走ってきた大柄な青年は、リンカ達の前で立ち止まるなり、身体を直角に折る勢いで深々と頭を下げた。
     よかった、まともな人だ。そう認識した瞬間、リンカの疲弊した心が安堵の慈雨で潤っていく。

    「あなたが依頼主のチアンさん……かな?」
    「左様です。若い衆の代表として、私の名で依頼させていただいた次第でして」
    「お会いできてよかった。初めまして、私がクエストを受注したリンカ。後ろの二人は」

     真っ当に礼儀正しい青年に頭を上げるよう促し、握手をしようと手を差し出した。が、

    「はいはーい、わたしイブキ! ハンター! よろしくねー!」

     まず、猛烈な勢いでイブキに割り込まれ。

    「悪いけど、『お待ちしてた』風には見えなかったわねえ。私達じゃご不満らしいじゃない。少なくとも、ここらのお宅の方々は」

     完全に臍を曲げたミドリから「気安く握手などするな」とでも言わんばかりに、手を引っ込めさせられた。

    「 申し訳ありません やはり村の者がご無礼を…… ああもう、せっかく助けに来てくださったのに、何とお詫びすればよいか……」

     チアンはせっかく上げた頭を再び下げるどころか、地面に額を擦り付けて謝り倒し始めてしまった。声色は今にも泣き出しそうで、大きな図体もすっかり萎縮してしまっている。何も上手くいかない。彼個人には何の非もないが、泣きたいのはこっちだ。

    「い、いや、大丈夫だから落ち着いて。すまないね、気を遣わせてしまって……そちらにも何か事情があるようだし、それも含めて、話を聞かせてくれるかな」
    「こちらこそお気遣いいただいて恐縮です、ありがとうございます……立ち話も何ですから、まずはお宿にご案内いたしましょう。詳しいお話はそちらで」
    「フン。さぞやしっかりもてなしてくれるんでしょうね」
    「まーまーミドリさん、そんなツンケンしないの。美容とか頑張ってるのが無駄になっちゃうよぉ、老けて」
    「あァん」

     どこからどう見ても前途多難である。宿として案内された古い屋敷に着くまでの道中、リンカは個性が尖りすぎた仲間と半泣きのチアンの間で、延々と神経をすり減らし続ける羽目になったのだった。

    ****

    「――四、五年ほど前からだったでしょうか。まずは銀火竜が、不定期に村を襲ってくるようになりました。それを追い払っていたら、そのうち金火竜までついて来るようになってしまって、最近は必ず二頭同時に……毎回同じ番であるのは間違いありません。襲撃の頻度も攻撃性も、回を重ねるごとに高くなってきています」

     部屋に通されて簡単に荷解きを済ませたリンカ達は、チアンを囲んで彼の説明を聞いていた。相変わらず臍を曲げたままのミドリの顔には露骨に「早く出ていけ」と書いてあるが、最低限の情報はいただかなければ仕事にならない。ミドリが不機嫌そうに眉を顰めたり小さく舌打ちをしたりする度に、リンカには視線でミドリを宥めるという仕事が発生する。

    「抵抗、しないの?」

     出された粗末な茶をふうふうと冷ましながら、イブキがちょこんと首を傾げて問いかけた。ミドリの暗黒オーラもリンカの気苦労もどこ吹く風、のんびりしたものである。
     しかし、イブキの疑問は当然だと、リンカは思う。きっとミドリもそうだろうという確信もあった。何故なら、イブキもミドリも、そしてリンカも、モンスターの群れに襲われやすい土地の出身だからだ。確かな腕前に加え、「住民が一丸となって故郷を守った」という共通の経験を持つ貴重なハンター達。今回のクエストの依頼内容は、彼女達にとっても他人事ではないはずなのだ。リンカがこの二人を誘ったのは、単に遊んでいて暇そうだったからではなく、それも大きな理由の一つだった。

    「たびたび村長に提案してはいるのです。せめて防壁だけでも設置してほしいとか、身を守るための武器が欲しいとか……ですが、全く聞き入れてもらえなくて」

     イブキに問われたチアンは、そう答えながら大きな肩を落とし、途方に暮れたように、窓の外へ目を遣った。しなびて色褪せた木枠の向こう側、彼の疲れた視線の先にあるものは、鬱蒼と茂る木々の翳りや、その上に悠然と広がる空だけではないような気がする。

    「ご覧の通り、我々の村は周囲をモンスター達の住む森に囲まれ、他の集落からも遠く離れています。生活のほぼ全てが自給自足で、外貨を得る手段もほとんどありません。有り体に言えば、とても貧しい」

     湯呑みに口をつけたまま、イブキが遠慮の欠片もなくウンウンと頷いたので、リンカはチアンの死角でイブキの尻を小さくペシッとやった。すかさず小さく吹き出したミドリにもペシッ。チアンが一瞬こちらを不思議そうに振り返ったけれど、仔細はバレなかったようだった。

    「私達は村の財政にまでは関わらせてもらえないので、詳しくは分かりませんが……防衛設備を外部に発注しても、すぐに壊されてしまったら、貴重な現金をドブに捨てるようなものです。上はそれを懸念しているのだろうと……かと言って、私達には大型モンスターに対処できる設備を自力で作るノウハウもありませんし」

     それはそうだろうな、と今度は自分が深々と頷いてしまいそうになり、はたと我に返ってギリギリで踏み留まった。

     リンカの故郷は元来製鉄業が盛んだったため、鉄はいくらでも自前で作れたし、大変腕の良い鍛冶屋・加工屋が大勢いた。貿易も活発で、集落の規模の割には経済的にも豊かだったように思う。その上、モンスターの生態に精通した元ハンターが里長と長老を務めており、知識の蓄積も万全。リンカはあくまでもハンターであるから、防衛設備の製造について詳しくはないが、少なくとも、作って設置して、壊されて直して……という過程に不便があるようには、全く見えなかった。
     しかし、この村はそうではない。資材もない。金もない。知識も、戦える人間もごく僅か。ついでに言えば残念なことに、村人同士の団結力も皆無と見受けられる。「戦う村」となるには、あまりに何もかもが足りなすぎるのである。

    「ですから、状況を理解している若い衆の一部が身銭を出し合って、ギルドに火竜達の討伐依頼をかけることにしたのです。まとまった大金はありませんが、少しずつならなんとか用意できますから」

     チアンはいかにも「貧しくてお恥ずかしい」といった雰囲気で苦笑したが、彼のかりそめの笑顔の下には、切迫感や悲壮感がありありと透けて見えた。隠しているつもりもあるのやらないのやら、そんな物を見せられては形式的な愛想笑いを返す気にもなれない。なんだか、弱者からなけなしの金を搾り取りに来たような心持ちになって、リンカは思わず、視線をふわりと虚空へ泳がせた。
     しかしすかさず自分に言い聞かせる。これは仕事だ。引き受けた依頼を片付ければ、報酬を受け取るのは当然のこと。自分達にとっても、そしてチアン達にとっても、社会は常に正しく回っていなければならない。そう、だからこれでいい……

    「実は……見張りの者から先程、火竜達に不審な動きがあったと連絡が来ました」

     ほんの一瞬、リンカが思考を巡らせて現実へ戻ってきたところで、そのタイミングを見計らったかのように、チアンの手からくしゃくしゃになったメモ紙のような物が差し出された。
     フクズクか何かが大急ぎで届けたのであろうその紙切れは、「飛んだ」というたった一言の殴り書きがなされ、且つ――端が、僅かに焦げていた。
     それが、意味する事は?

    「次の襲撃まであまり時間がないということか。……どのくらいを見込んでる?」

     考えた瞬間、脳が即座に全ての無駄を削ぎ落として、リンカの口調をプロの狩人仕様にシフトさせた。
     リンカを中心に、場の空気がピリリと引き締まる。

    「はっきりとは分かりませんが……経験上、早ければ明日には……」
    「明日? わぁ、じゃ急いで準備しなきゃだ。のんびりしてらんないね」

     口ではそう言いながらもまだどこかのんびりしているイブキが肩を竦める。こちらはエンジンがかかりきっていないようだが、彼女はマイペースなスロースターターだ。現場に着き、希少な火竜達が猛り荒ぶる姿を目の当たりにすれば、自然とギアが上がっていくだろう。
     平時にはまるで子供のようだけれど、彼女も一流のハンター。状況は正しく理解しているようだし、現にもう己の得物に片手をかけて調整に取りかかろうとしている。任せておいて問題なさそうだ。

    「大した報酬も出せず、準備の時間をゆっくり取っていただくことも、村総出で協力することもできず……すみません…… けれどこの通り、どうかお願いします……助けて、ください……!」

     畳に額を着けて懇願するチアンの声は微かに震えている。ひっくひっくと不規則に揺れる大きな背中。よく目を凝らして見れば、彼が着ている古びたシャツは所々が擦り切れていて、内側が透けるほど薄くなってしまった部分からは、うっすらと沢山の傷跡が見えた。彼自身も故郷を守るため、ハンターでもないのに必死で火竜と戦ってきたのだろう。

     リンカが密かに胸を痛め、イブキが我関せずといった顔で大剣の刃に砥石を滑らせ始める傍ら。もう一人のハンターは、欠伸とも溜息ともつかない息をわざとらしく一つ吐いて、縮こまるチアンに冷ややかな視線を投げ付けていた。

    「……はぁー。そういう辛気臭いノリ、あんまり好きじゃないのよね私。こっちまで気が滅入っちゃうわ。で? 話は終わり?」

     ミドリが投げやりに問うと、チアンは少し赤らんだ顔を上げ……たが、ミドリの不機嫌そうな目線に気付くなり、またしても畳にキスをする勢いで頭を下げた。

    「え、ええ、大体は……あの、あ、もっ申し訳ありま」
    「はいはい、だったら解散しましょ。あとは、こっちはこっちで好きにやるから。いいわね」

     半ば脅すような口調と目力、有無を言わさぬ低い声。いつの間にか安全装置が外されていたライトボウガンが、彼女の手中でカチャリと威嚇の音を立てる。端から見ていても恐ろしい。
     ミドリの勢いに気圧され、エスピナスに睨まれたガスガエルのように縮み上がったチアンは、もはやそれ以上言葉を紡ぐことすらできず、ペコペコと頭を下げながら尻尾を巻いて退散してしまった。何も悪い事はしていないのに、依頼主なのに、どうして彼が逃げ出さなければならないのか。気の毒すぎる。後で彼に謝りに行くという仕事がまたリンカに増えた。自分以外は誰もやらないので致し方ない。

     しかし、チアンへの態度の悪さは、彼女なりの意地やプライドあってのものだというのも理解はできる。そこにさえ目を瞑れば、ミドリに関わる問題は概ね解決したようなので、内心ホッとしたくらいだ。

    「さて……やっぱり妙ね」

     そう切り出したミドリの緋色の瞳もまた、すっかり狩人の目になっていた。
     このクエストを他人事だとは思えないはず――そんなリンカの予想はやはり、正しかったようだ。

    ****

    「『年寄り連中が何故動かないのか』かな。ミドリの気に懸かっているのは」 
    「え、お金ないからでしょ? チアンさん言ってたじゃん」

     リンカの問いかけに、ミドリより先にイブキが口を挟む。確かにそれは、イブキの言う通りではあるのだが……

    「いくら貧しいからって、指を咥えて自分達が焼き滅ぼされるのを待ってるなんて事ある? どう考えてもおかしいわよ」

     そう。それ。頭に小さなハテナを浮かべているイブキを横目でちらりと見つつ、リンカは心底、ミドリにも声をかけてよかったと、その判断をした過去の自分と脳内で控えめなハイタッチをした。
     聡明かつ慎重な彼女は、小さな違和感を決して無視しない。人の言葉の裏を読むことにも長けている。射角の微調整中だろうか、愛銃の照準器を念入りに覗き込むミドリの瞳は、まるでこの村が抱える謎までもを撃ち抜こうとするかのように鋭く、煌々と燃えている。

    「足掻く素振りすらないというのは異常だよね。少なくとも、私の故郷では考えられないことだ」

     故郷の民が武器を取って奮い立つ姿を思い出しながら発したリンカの言葉に、ミドリはもちろん、今度はイブキも頷いた。チアンの言葉を額面通りにしか受け取っていなかったイブキも、自分の里と比較して考えれば、さすがにこの村の異常さには気付いたようだ。
     ようやく全員の目線が揃った。が、やはり情報が足りない。

    「他に考えられる理由、何かあるかな……たとえば……火竜が古い信仰の対象になっていて、火竜に対する世代間の認識に乖離がある……とか、どうだろう」

     足りないのならば推測するしかない。リンカはしばし頭を捻り、過去に似たようなクエストで訪れた村の土着信仰をふと思い出したので、それを少しアレンジして挙げてみた。それらしい痕跡を見たわけでも何でもないので、これが正解だとは思わないけれど、三人寄れば文殊の知恵と言うから――

    「そんな風には見えないけどねぇ。さっき廊下ですれ違ったおじいちゃん達、『あの竜どもが何とか~』って言ってたよ。神様だと思ってるなら、そんな言い方しないと思う」
    「気付かなかったな、そんな会話が……で、イブキ、『何とか』の部分は? 聞いてないの?」
    「うん、聞いてなかった。ちょうど窓の外に知らない鳥が飛んでたからさ、そっち見てた」
    「……鳥かぁ……」

     終わってしまった。しかも、何の進展もなく。自分の意見が唯一無二の正解だとは本当に思っていなかったけれど、掠るくらいはあるのではないかという儚い期待は正直ちょっとしていた。なのにその期待は、蒲公英の綿毛よろしく元気に吹き飛ばされて粉々である。

    「……狩りに出る前に、ちょっと探りを入れる必要がありそうね」

     リンカとイブキのやり取りを聞き流しながら、武器の手入れを手早く終えたミドリが、にやりと不敵な笑みを浮かべて呟いた。したらば当然、リンカが「そうだな」の「そ」を言いかけた瞬間に、

    「おっ! スパイごっこ? 面白そう、わたしもやるー!」

     こうなる。
     夏の太陽のようにキラキラと輝くイブキの目。たちまちスンッと虚無の顔になるミドリ。リンカはこれから水中戦に臨むくらいの勢いで大きく大きく息を吸い、己の役割を果たすべき時に備えた。

    「あんたはダメ」
    「 なんでよ」
    「イブキ。そっちはミドリに任せて狩猟の作戦を立てるのを手伝ってくれ。私は集団戦の経験も少ないし、リオス種の希少種と戦ったこともないんだ。イブキが持ってる知見を少しでも共有させてもらいたい。それにイブキと私は近接武器だから戦う距離も近いだろ? 私達がきちんと連携できていないとミドリもやりにくいと思うし、どう動けばいいか、私に教えてほしい。だから、ね、頼むよ」

     吸った息をありったけの言葉に換えて、全て吐き切った。これだけの長文をこんな早口で一気に捲し立てたのは生まれて初めてかもしれない。舌と唇が乾いてペタペタする。次を繰り出すには少しインターバルが必要だ。頼む、退いてくれ――

    「……むぅー。まぁ、リンカさんがそこまで言うなら」

     祈るような気持ちで第二撃のために吸っていた息は、安堵の溜め息となってリンカの肺からゆっくりと排出された。まんざらでもないといった顔で謎にドヤるイブキの死角から、ミドリが親指を立ててリンカを労ってくれている。控えめに同じサインを返したリンカの顔にはきっと、里の危機を救った時と同じ表情が浮かんでいることだろう。

    ****

     とにかく時間がない。役割分担が決まれば、すぐさま行動開始だ。

     ミドリは立ち回りに関する最低限の情報共有だけを済ませ、単独で村内の調査に臨むべく、颯爽と部屋を出ていった。
     人間相手に「スパイごっこ」をやるのに、何故かライトボウガンもしっかり担いでいったが、リンカは見なかったことにした。ミドリは狩猟用の武器を闇雲に人へ向けるようなハンターではないはずだし、時間はないし、彼女の代わりは自分にもイブキにも務まらないので。
     リンカとイブキは狩猟の作戦会議。先程は肺活量・語彙力・人としての配慮等の都合で「動き方を教えてほしい」と言ったが、実際のところは「イブキがどう動くつもりなのか教えてほしい。私がそれに合わせるから」である。それでいい。イブキを誘った時点で、そうする覚悟は決めていた。

     金火竜単体クエストの経験があるイブキ、通常種の狩猟数が三人の中で一番多いリンカの知識に、単体狩猟ならば金銀火竜のどちらとも戦闘経験があるというミドリが残していってくれた情報を擦り合わせて、位置取りやコンビネーション攻撃の想定を幾重にも積み重ねていく。互いの脳内イメージに互いの存在をこれでもかと刷り込み合い、共に集中力を極限まで研ぎ澄ます作業。時おり緊張で胃がキリリと痛むのに、今はそれがどこか心地好い。イブキの纏う空気が徐々に引き締まっていくのを肌で感じながら、自分と同じレベルでそれができる仲間の存在を一番頼もしく思うのは、戦闘の最中よりこの時間かもしれないな、などと思う。

     トン、トン、トン。

     不意に響く、遠慮がちなノックの音。

    「お取り込み中に申し訳ありません。お食事をお持ちしたのですが……」

     続いた細い女性の声が、既に想像上の狩り場でそれぞれの剣を振るっていた二人の心を、現実へと引き戻した。

    「食事? あれ、もうそんな時間?」
    「みたいだな。ありがとう、どうぞ入って」
    「はい。失礼します」

     扉を開いて現れた女性は、背格好からして、おそらくリンカ達とさほど変わらぬ年頃であろうと見受けられた。しかし、疲れ切った表情、痩せこけた手首に浮いた筋、艶を失った肌からは、若者に本来あるべき瑞々しさや覇気がまるで感じられない。彼女もまた、この村を繰り返し襲う悲劇と自分達の無力さに、すっかり心を擦り減らしてしまっているようだった。
     女性が三人分の料理を乗せた大きな盆を引っ張り込むと、温かいスープの湯気がふわりと部屋に広がった。ガーグァ肉の出汁にたっぷりの野菜。ハンターに出す食事としては明らかに少ないけれど、貧しいなりにも精一杯もてなそうとする気持ちは十分伝わってくる、そんな香りだ。色々な意味で張り詰めていた心が柔らかな熱で解れて、肩から少し力が抜けるのを感じた。
     が、

    「あら、お二人ですか? 三名様だとお伺いしていたのですけれど、もうお一方は……」
    「あっミドリさんはねぇ、スパむぐっっ」

     リンカには、気を抜いてよい時間など一時も与えられていないのだった。

    「三人で合ってるよ。もう一人はちょっと花を摘みに出てるんだ。すぐに戻ると思う。あぁーところで、今までにこのクエストを受けたハンター達から、何か聞いていないかな? 小さな事でもいいんだ。ハンター目線の情報も、あればあるだけ助かるのだけど……」

     ジタバタ足掻くイブキを抑え込みながら、またしても慣れない早口で捲し立てる。自分はこんなにも流暢に喋れたのかと、リンカは新しい自分に出会ったような心持ちになった。
     とは言え、喋っている中身については九割方が本音だ。チアンにもう少し話が聞ければよかったのだが、彼はミドリが追い出してしまったし、仮にゆっくり話せたとしても、素人とハンターではやはり得られる情報量に雲泥の差がある。強敵であるのは間違いないので、確度の高い事前情報は多いに越したことはない。それは本当にそういうつもりだった。
     しかし、リンカの問いに対する女性の反応は――静かにリンカ達から目を背けて俯き、しばしの沈黙の後、小さく首を横に振る、というものだった。見るからに、芳しくない。

    「すみません……そういうことでしたら、残念ながら何も……ほとんどは、亡くなられましたから」

     言葉にしてもらっても、やはり芳しくなかった。ごくりと自分の喉が鳴る音が、やたらと耳の内側に響く。拘束しているイブキの身体がひくっと反応して大人しくなり、半ば力任せに塞いでいる口からは『ふわぁ』という溜息とも何ともつかない声が漏れ出た。

    「どうにか生きてお戻りになられた方々も、大抵は酷いお怪我をされていて、お話をするどころではなくて……だからでしょうね。ここを二度助けに来てくださった方は、お一人もいらっしゃいません」

     火竜の劫炎でこんがり焼かれて肉塊と化した自分や仲間の姿を想像する間すら与えられず、加速度的に増していく悲壮感と絶望感。これから自分達はその激戦の場に身を投じるのだから、プレッシャーをかけないでほしい。そう願うのは我儘だろうか? いや、そのくらいは願っても許されると思うが、言ったところで何にもならない。何を聞かされようと、この村が置かれている危機的な状況も、自分達がするべき事も変わらないのだ。ならば耳を傾けよう。
     リンカの頭の切り替えは極めて早かった。リンカとて、英雄と呼ばれているのは伊達ではないのである。

     そんなリンカの心情を知ってか知らずか。女性は自嘲気味に微笑み、先程のチアンと同じく窓を通して、ここではないどこか遠くへ虚ろな目を向けた。

    「実は……今回の依頼でついに、私達若い衆の蓄えが尽きまして。もう当分は、ギルドに依頼を出すこともできそうにないのです」

     確信犯だ。絶対にこちらの心情は全て理解の上で、「一発で決めてこい」と圧力をかけてきている。根拠はないが間違いない。

    (おっ……重っ……ねえリンカさん、重い……)

     とうとうイブキがリンカの手を振り解き、女性の視線が自分達から逸れているのをいいことに、分かりやすく頬を引き攣らせてそう耳打ちしてきた。内容ではなくこの雰囲気に対して弱音を吐くのはなんともイブキらしいけれども、この太陽が服を着て走り回っているような女ですらそう感じるのだから、自分が陰鬱な気持ちになるのは何も間違っていないのだと思う。

    (イブキ、堪えて。顔に出てる。いつもみたいにほら、笑顔で)
    (いやさすがに笑う所ではないでしょこれは)

     自分の感性は間違ってはいないが、正直言ってそこそこ動揺してしまった。イブキにツッこまれているようでは色々な意味で先が思いやられる。
     とりあえずこの、湿った羽毛布団のような空気の重量感を何とかしたい。イブキに喋らせるわけにはいかない。ミドリはいない。ああ、いっそ誰か助けてはくれないか――

     途方に暮れたリンカが、無意識に染みだらけの天井を仰ぎ見た瞬間。その祈りはどうやら、天井と屋根を突き抜けて、一直線に天へと届いたようだった。
     突然部屋の扉がスパァンッ と音を立てて開け放たれ、子供がドタバタとなだれ込んできたのである。

    「わあっ! やっぱり! 女のハンターさんだぁ!」
    「」

     暗澹たる未来図に向けられていた女性の物憂げな視線は、乱入してきた二人の子供にたちまち釘付けになり、室内に立ち込めていた重苦しい空気が一瞬にして、スープの香り共々さっぱりと換気された。

    「こら! 入ってきちゃダメだってあれほど……」
    「あはは、大丈夫だよ。どうぞ、小さなお客さん達」

     リンカ達にすればまさに救いの手、神からの遣いの子らである。女性が諌めようとするのを全力で遮り、リンカは子供達を心からの笑顔で改めて招き入れた。

    「やったーっ」
    「おじゃまします」

     いかにもお転婆そうな女の子と、控えめな態度で彼女の後ろから顔を覗かせる男の子。興奮した様子の彼らは、赤切れで荒れた頬をりんご飴のように真っ赤に染めて、リンカとイブキの顔を交互に見比べ、それからリンカ達の背後で出撃の時を待つ巨大な二本の得物へ、一目散に駆け寄った。

    「でっかい剣ー これお姉さん達が使うの どっちが」
    「ん? 細くて長い方がリンカさんので、こっちの大剣がわたしだよ」
    「一人で一つずつ使うの すごーい ねぇねぇ、このおっきい剣、ちょっと触ってもいい?」
    「あはは。いいけどこれすっごい重たいから、うっかり倒したらぺちゃんこになっちゃうぞ~。じゃあ、わたし支えててあげるから、この辺をこう……」

     意外にも面倒見の良いお姉さんへと突然変貌したイブキに内心少し驚きつつ、上手くやってくれているので彼らの対応はイブキに任せて、リンカはゆっくりと一つ深呼吸をした。落ち着きを取り戻し、改めて「小さなお客さん達」を見つめる。
     二人とも、リンカの里でりんご飴売りをしている少女と同じか、それよりもう少し幼いか。いずれも無邪気でいとけなく、貧しさも、村の大人が囚われているしがらみも物ともしないような、瑞々しい活力と好奇心に満ち溢れている。リンカの目には、彼らがこの陰惨な村を照らす眩い光のように映った。

    「……君達は、ハンターが嫌いじゃないの?」

     気付けばほろりと、そんな言葉が口から零れ出た。正体不明の敵意(と自由すぎる身内)に触れて、少し疲れていたのかもしれない。
     子供達は驚きを隠しもせず、澄んだ目をまん丸にして、首をぶんぶんと勢いよく横に振った。

    「嫌いなんてあるわけないよ! おっかないモンスターと戦うなんて、カッコいいもの!」
    「うん、カッコいい。ハンターさん好きだよ、ぼく」
    「あなた達、そんな軽率に……! 大変で危険な、命懸けのお仕事なのよ」

     女性は無邪気にはしゃぐ子供達を鎮めるべく口を出そうとしたが、リンカはまたしてもそれをそっと手ぶりで阻んだ。
     今の自分には、この子達の言葉が、存在が、必要な気がしたから。

    「モンスターが村を襲ってこなくなったら、何かしたい事とか、ある?」
    「村の外に行ってみたい。ぼく出たことないんだ、危ないからダメって、みんなが言うから」
    「わたしもー! 村だけじゃなくて、森の外も見にいきたいな! お姉さん達は、森じゃない所から来たんでしょ? 海見たことある? 砂漠は?」
    「どれもあるよ。海も、砂原も、それから……雪原も、火山も見たかな」
    「いいなぁー! ねぇ、絶対モンスターに勝って戻ってきてね? そしたらわたし、お姉さんみたいにあちこち出かけたいの! 応援いっぱいするから、絶対やっつけてね」

     何も知らない至純の双眸が、リンカを真っ直ぐに見据えて憚ることもなく言う。「絶対に勝て」と。けれど、リンカの心の奥底に潜む臆病をも透かし見るようなその目線が、不思議と心地好い。さっきとは大違いだ。

    「……ありがとう。ご期待に添えるように頑張らなきゃな。どれくらいやれるかは分からないけど」
    「だぁいじょうぶ! リンカさんねぇ、すっごい優しそうに見えるでしょ? でもいざ戦うってなったらめちゃめちゃ強いんだから。最強だよ最強」
    「さいきょう」
    「ちょっとイブキ、あんまりハードルを上げないでくれよ。自分だってとんでもないくせに」
    「わぁ…… 凄い人が来てくれたんだねぇ……」

     こちらが口を開く度、あどけない憧憬と羨望が全身に浴びせかけられる。リンカは自分の胸が満ち足りていく感覚を覚えた。けれど、自分がリスペクトされているから、ではない。
     彼らは生きている。彼らには未来がある。幼い命が可能性の光に煌めいている。なんて愛おしい存在なのだろうか。

    「……ねえ、君達。名前を聞いてもいいかな」

     不意にリンカが尋ねると、憧れのハンターに興味を持たれたのが嬉しかったのか、子供達は誇らしげに胸を張って名乗ってくれた。

    「私? シワン! この子はパオって言うの!」
    「あっぼく自分で言いたかったのに。パオだよぼく、パオ」
    「シワン、パオ。うん、ちゃんと覚えたよ。あなたは?」

     リンカは、後方で子供達に粗相がないかを見張っていた女性にも、振り返って声をかけた。今は子供達の時間だと察して一歩退いていたらしい彼女は、こちらの関心が突然自分にも向いたので驚いたようだったが、それでも改まって姿勢を正し、丁寧にも頭を下げながら答えた。

    「……シェンシと申します。あの……何故?」

     顔を上げると同時に、不思議そうな顔をして首をちょこんと傾げる。草臥れてはいるし、搦手の圧と癖は強かったが、こうして見ればやはり、リンカ達とそう変わらない年頃の、どこにでもいる普通の女性。生きている、人間だ。

    「顔と名前が揃うと親しみが増すから。あなた達一人一人に名前が、生活や人生があることをきちんと実感して臨む方が、気合が入るからね」

     名乗りへの礼と共に、リンカはすっきりとした表情で、生気が戻った女性の目を見てそう言い切り、力強く微笑んだ。シェンシと名乗った女性は、切れ長の美しい目元を僅かに和らげて、少しポカンとした様子で呟く。

    「……そんな事を仰られたハンター様は、あなたが初めてです」
    「だろうねー。わたしもそんなの考えたことないや。すっごい真面目だけど、やっぱちょっと変わってるよねぇリンカさんって」
    「そう? イブキほどじゃないと思うけどな」

     しれっと会話に参加してきたイブキに、これまたしれっと言い返して(本音である)、再び笑う。

    「ふふっ。……ありがとうございます。あなた様のような方が来てくださって、心強いです」

     釣られるように相貌を崩したシェンシの笑顔はとても柔らかく温かで、その口調からはもう、リンカ達を試したり追い詰めたりといったニュアンスは、すっかり消え失せていた。

     自分達が来たことを本当に喜んでくれている村人もいる。期待されている、頼りにされている。守るべき物の輪郭が明確になった。そうすれば、心身にはみるみる気力が満ちてくる。彼らの笑顔を守りたい。彼らの穏やかな暮らしを取り戻したい。リンカはクエスト達成への決意を新たにした。
     隣では、この命懸けの大仕事を前にして、イブキが普段通りの鷹揚な笑顔を子供達に振り撒いている。ミドリも「上手くやる」と背中で語って出ていった。頼もしい仲間が二人もいるのだから、きっとやれる。私達なら、何だってやり遂げられる。

     この時のリンカは――確かにそう思っていた。

    ◆◆◆◆

     ミドリが単独行動を始めて一晩が経った、翌朝。

    「はぁ〜……とっても残念なお知らせよ。当たってたわ、私の勘」

     まだ村の者達の多くが寝静まっている明け方にリンカ達の元へ戻ったミドリは、撮影してきた「証拠写真」を仲間の眼前へぶち撒け、げんなりと溜息をついた。

     例えるならば、藪をほじくり返したら蛇と虫と過去の面倒な男が三人くらい、まとめて飛び出てきた時のような。いや、そんな経験はもちろんないのだけれど、とにかくそのくらい面倒な事を知ってしまった。腹の底で胃液と嫌気がぐるぐると撹拌され続けているのは、たかが一晩程度の徹夜が理由ではない。きっとこれから、リンカも、もしかしたらイブキも、同じ感覚を味わうことになるだろう。

     ミドリが床にばら撒いた写真の中身は――

     大量の巨大な卵。
     それらが保管されている、村の中央に設えられた地下倉庫。闇夜に紛れてそこへ卵を運び込む男達の姿。
     村の正式な会計とは別口で管理されているらしい、やたらと厳重に隠された帳簿。
     納品書の控え。まともな商売ではそうそうお目にかかれないような金額が記された領収書。
     村からの提供品は「火竜の卵」。取引先は、裏社会の名だたる闇ブローカー達。

     ここまで見せれば、説明せずとも伝わる。
     写真を一枚一枚丁寧に確認しながらみるみる色を失っていったリンカが、絞り出すように呟いた。

    「な……なんて事を……」
    「そういうことよ。関わってるのは上層部のごく少数で、村の若いヤツらは本当に何にも知らないみたいだったけど」
    「だからチアンからはその話は出なかったんだね。なるほど……」
    「ねぇ、ずるい。わたし分かんない、ねぇ、何?」

     説明しなければ伝わらないのが一人残っていた。口を尖らせていがぐり頭にハテナを浮かべているイブキの前に、分かりやすいよう写真を順序立てて並べながら補足してやる。

    「村ぐるみでリオスの卵を密猟・密売してて、それが村の大きな収入源になってる、って話をしてるの。この写真は村のヤツらが巣から盗んできた卵、こっちの書類はそれを売り捌いてることを意味する物的証拠。分かる? 要は、ここのヤツらが悪い事をしてるワケ」
    「……ははぁーん。オーケー、なんとなく分かった」

     イブキは一瞬ポカンとしたが、ようやく納得してふむふむと頷いた。狩猟の最中は頼りになる特攻隊長だが、こういった事柄になるとなんとも手間のかかる連れである。まあ、理解したようなので良しとしよう。

    「今回も既に卵は盗んできた後だったわ。現物もこの目で見てきた。あの保管方法じゃあ、おそらくもう孵化はしないわね」
    「ずっと前からこれやってたんだよね。だからリオレウス達が怒るんだ。産む度に卵盗まれるから、取り返しにきてるだけってことか」
    「やけに私達が村人から敵視されるのもそれが理由か。金銀火竜を討伐してしまったら収入源がなくなる、と……でも、ミドリ。それは『防衛に消極的な理由』にはならなくないか」
    「もちろんそっちも調べてきたわよ。見て」

     今度はこの近隣の地図を広げ、村を取り囲むようにぐるりと円を描き込む。ミドリが引いた線は地図の森林地帯にまで大きく重なり、地図の三分の一ほどの面積が円の中に収まってしまった。

    「この村の領地、私達が思ってたより遥かに広いみたいなの。今私達がいるここも、村の外れに見えてたけどまだまだ全然内側。ったく、チアンの説明不足には呆れたわよ」
    「ミドリさんが冷たくして追っ払ったんじゃん」
    「お黙り。口に麻痺弾突っ込まれたくなかったらいちいち茶々入れないで」
    「こっわ」

     ミドリが得てきた情報を次々と地図へ描き加えていくと、徐々に、森に埋もれているような印象だったこの村の輪郭や構造が見えてきた。
     その中のとある一帯、ちょうどミドリ達がこの村を訪れた時に通ってきた辺りの道を指先でなぞりながら、更にミドリは続ける。

    「来る時にここを通ったの覚えてる? 正確には、ここが森と村の境界なんですって。つまり……チアン達が張ってる防衛ラインは、私達が今いるこの辺りじゃなくて、この辺」
    「防衛ライン……? まさか、彼らはもうそこに?」

     僅かにリンカの声が上擦ったのを聞き逃さず、ミドリは「ほら、やっぱりそう来た」と、ごくごく密かに、気を引き締めた。

    「ですって。まあ、とても『迎え撃ってる』とは言えないでしょうけど。必死で威嚇したり他所へ誘導したりするのが精一杯よ、武器もロクに持ってない素人集団なんだから。あの口振りだと、それももう厳しいのかもしれないわね。……とりあえず話戻すわよ。で、そういう前線に一切出ないで、村の奥に引きこもってるだけの年寄り達が住んでるのは、ここ」

     竜達の領域と人の領域の境界から遥かに離れた安全圏、先程描き足した円のど真ん中をミドリが指し示した瞬間、リンカがギュッと眉を顰め、拳を握り締めるのが視界の端に映る。しかし、ミドリは敢えて無視して話を続けた。
     一瞬でも隙を与えたら、彼女は今すぐにでも「チアン達に加勢しよう」なり「彼らを避難させて戦闘を早く引き受けなければ」なり考えて、太刀を引っ掴んで飛び出していってしまうかもしれない。真っ直ぐで、強き者としての責任を過剰なほどに背負い込み、他者の為に己を犠牲にすることを決して厭わない。彼女はそういう女なのだ。
     普段なら、そんな彼女の「正しき英雄たる姿」には純然な尊敬と、時には少しの羨望さえも覚える。だからこそ仲間として絶対的な信頼を置けるのだけれど、今に限って言えば、リンカのそんな性格が、ミドリの胸中では徐々に「懸念事項」となりつつある。

    「まあつまり、年寄り達は自分達が置かれてる状況をまるで分かってないのね。村の外側に住まわされてるチアンみたいな若い連中と、彼らが呼んだハンター達が、村の中心からずうっと離れた所で、村の中心への侵攻を未然に防いできたから。自分達は安全圏に引きこもって、目の前の小銭稼ぎに夢中になってるってわけ」

     ミドリが肩を竦めてそこまで語り切ると、リンカは失望と落胆が入り混じった重苦しい溜息をつき、腕を組んで項垂れた。が、やがてふと思い出したように顔を上げたかと思いきや、おずおずとミドリの顔を見上げてきた。その視線の内訳は、称賛一割、訝しみが七割、恐れ一割、正体不明の感情一割、といったところだろうか。
     表情の複雑骨折を起こしながら、彼女が言うことには。

    「それにしてもこれ、この村の暗部が凝縮されたような話だよね。一部の村人にしか知らされていない事を、よく一晩でここまで……その……ど、どんな手を使ったんだ、ミドリ……?」

     最後の方には少し、ほんの一つまみほどではあるが、なんだか非常に初心な、恐れ混じりの好奇心が滲み出ていたような気がする。リンカもそんな事を考えることがあるのかと少し可笑しくなって、思わずプッと吹き出してしまった。

    「ちょっとぉ、人聞きの悪い言い方しないでくれる? 身体を売ったりは断じてしてないわよ。ただ『お話聞かせて』『イイ物見せて』って、聞いてくれそうな御仁を何人か捕まえてお願いして、あとはちょっと覗き見してきただけ。まぁお願いの仕方はね、色々あるけど」
    「……う、うん……? いや、無茶をしたんじゃないならいいんだけど……ミドリは時々、自分を大事にしないことがあるように見えるから……ちょっと心配に」
    「アハハ! こんな事で安売りするつもりなんかサラッサラないわよ。まあ、私を誘惑できるくらいのイイ男がいたら、話はちょっと変わってたかもしれないけど~」
    「」
    「嘘よ、嘘。リンカあなた、よくその純朴さを保ったままで生きてこられたわね。ダメよう、私みたいなのに転がされてちゃ。世の中にはもーっと悪い人がいくらでもいるんだから」

     顔を真っ赤にしたリンカとそれをからかうミドリの傍らでは、イブキが自分のハンターノートを忙しなくめくりながら、何やらぶつぶつ言っている。彼女がやけに静かな時は、余計な事に気が散っているか、もしくはその真逆。狩猟に関する何事かを、凄まじい勢いで考えている時だ。

    「チアンさんが言ってた、ここ数年の襲撃のタイミング……通常リオス種の産卵サイクルと大体重なってる。希少種も原種と同じなのかな、繁殖期とか」

     顔も上げずに突然そう呟いた。どうやら今回は後者だったらしい。イブキがチアンの話をちゃんと聞いていたことには驚きを禁じ得ないが、生物の生態行動に関わる部分だから、そこだけ聞いていたのかもしれない。

    「おそらくそうだろうね。確認が取れたらギルドに報告しよう。リオス希少種の生態に関する新たな知見だ。大発見だよ。……こんな形で明らかになったんじゃなければ、もっと素直に喜べるのにな」

     希少種と言われるだけあり、目撃例が極めて少ない金火竜と銀火竜の生態には、まだまだ不明な点が多い。その中でも繁殖行動は特に、生物の活動全ての基点となる重要なファクターだ。本来なら誠実な観察の積み重ねによって明かされるべきものが、密猟と密売の記録から判明するというのは、なんとも心地の悪い状況である。リンカが複雑そうな顔でそう言うのも当然のことだった。

     この村で行われている事は、紛れもない犯罪であり、自然への冒涜だ。
     生態系や秩序を守るために、ギルドが細かく狩猟規制や個体数の管理をしている意味も、まるで理解していない。そのギルドの理念を背負って命懸けで戦うハンターという職業にも、全く敬意がない。もちろん、自分達にも。

    「馬鹿らしい。チアンには悪いけど、自業自得だわ」

     ミドリは、完全にやる気を失っていた。
     そんな事には気付きもせず、イブキは明後日の方に向かって腕を組み、首を傾げてぬんぬん唸っている。

    「でもさぁ、仮に採取の許可取ってちゃんとやったところで、結局ここが襲われることに変わりはないよね。リオレウス達からしたら、ギルドに許可取ってるかどうかなんて関係ないし」

     イブキの言葉は間違ってはいない。が、今や、そんなものはどうでもいい事。

    「知らないわよ。あいつらが考えるべきことでしょ、真っ当に生活していく方法なんて。大半の人間はね、言われなくてもそうやって生きてるのよ。領分をわきまえて、ルールを守って、色んな現実と折り合いをつけながら、精一杯正しく暮らしてるの。でも、この村はそうじゃない」

     言葉を重ねれば重ねるほど苛立ちは増し、心には不快な重みを持った塵が降り積もっていく。
     頭の端では、親しい仲間との衝突を嫌がる幼い自分が、その塵を両手で掬っては捨て、掬っては捨てを繰り返している。しかし、それでは駄目なのだと、理性がその手を掴んで止める。

     堆積した塵屑が上限いっぱいに達した。
     さあ、腹を括れ。ミドリは一つ、大きく息を吸って――

    「――このクエスト、私は降りる」

     その一言と共に、吐き切った。

    「……え?」
    「ちょっ、えぇー」

     リンカは口を半開きにしたまま絶句し、イブキは芸人ばりの大声で叫んで目を剥いた。
     知らん顔を決め込むミドリ。一足早く我に返ったイブキが、困惑を隠しもせずに捲し立てる。

    「そりゃこんな理由でモンスターを殺すのはわたしもスッキリしないけど、放って帰るのはまずいんじゃないの? ミドリさんが抜けたら結構キツいよこれ」
    「私もイブキと同感だ。もちろん、ミドリの言い分も理解はするよ。でも……それとこれとは別だろう」
    「……」

     イブキに続いたリンカの口調が、にわかに険しさを増した。この態度も喋っている内容も想定内ではあるけれど、面倒なことこの上ない。
     それなりに長く深い付き合いをしてきたからこそ、ミドリはよくよく知っているのだ。この生真面目な堅物を説得するのが、どれだけ骨の折れる作業であるかを。

    「彼らの予想通りなら、今日明日にもこの村をモンスターが襲うんだ。私達がやらなければ、人が大勢死ぬ。若者も、子供も、密猟の秘密を知っている者もみんな」
    「関係ないわ」

     わざと投げやりに吐き捨てて、様子を窺う。リンカは膝の上で握った拳に見て分かるほど力を込めて俯いている。頭の中ではきっと、必死に言葉を選んでいるのだろう。
     さあ、次はどう来る? ミドリは苛立ちと緊張に暴れる心臓の鼓動を涼しい顔で抑え込みながら、待った。

    「……私達ハンターの仕事は、モンスターを狩ることだ。人を裁くことじゃない」

     ようやくリンカが絞り出したのは、いかにも「正しい英雄」の理屈。至極真っ当だ。眩しいくらいに誠実かつ公正な、正論の手本である。
     だが、あまりに真っ当すぎる。ミドリは敢えて、リンカの主張を一笑に付した。

    「お生憎様。私は、あんな守銭奴達のために張ってやる命は持ち合わせてないの」
    「……」

     ビキリと頬を引き攣らせ、とうとうリンカは完全に沈黙してしまった。

    「え、えぇ……ちょっと、二人とも……」

     イブキはと言えばらしくもなく、リンカとこちらの顔を交互に見比べながら分かりやすくオロオロしている。普段は怖いものなしの無敵ムーブをかましている彼女だが、それは彼女に「他人の顔色を窺う」という発想と能力がごっそり欠けているから。それをせざるを得なくなった今みたいな時には、まるきりポンコツなのである。
     リンカは石のように動かない。イブキは使い物にならない。燃えるようなリンカの視線だけが、ミドリの横顔をじりじりと焼く。狩り場でモンスターと相対した瞬間にも負けず劣らずの、一触即発の空気が室内に満ちていく。

     バサッ。コツコツコツコツ。

     先程から徐々にこちらへ接近していた羽ばたきの音がすぐそばで止み、続いて、固い嘴がミドリ達のいる部屋の窓を叩いた。連絡用の鳥だ。
     この村ではフクズクではなく、オウムを使っているらしい。――などということに構う余裕すら忘れ、助け船が来たとばかりに、イブキがすかさず窓を開け放って、入ってきたオウムに飛び付いた。が、

    「うげっ」

     世の中、そんなに甘くはないもので。
     オウムの足に括りつけられていた手紙をいそいそと開いた途端、イブキは呻きとも悲鳴ともつかぬ声を上げてそれをほっぽり出し、睨み合う二人に向かってがなり立てた。

    「ねぇ、来ちゃったっぽいけど どうすんの!」

     確認せずとも、イブキの言葉を聞けば手紙の内容は明白。ターゲットが村の境界に到達してしまったという知らせだ。

     リンカはイブキの呼び掛けにも答えず、口を噤んでこちらを厳しい目で睨み付けている。リンカの理屈に沿うならばそれこそ、即座に出撃せねばならない事態だというのに。相当頭に血が上っていると見える。
     彼女は穏やかそうに見えて、一度こうと決めれば梃子でも動かない、筋金入りの頑固者。それが人並み外れたお人好しと混ざっているから、余計にややこしいのだ。

     もっと詰めるしかないのか。気乗りはしないが致し方あるまい。ミドリは改めて腹を決め、こちらも理屈で反撃を試みた。

    「奴らは一度痛い目に遭うべきなのよ、被害が出ない限り石頭は変わらないんだから。甘い顔してたらキリがない。リンカ、あなただって経験あるでしょ?」
    「……」

     ハンターに舞い込んでくる依頼には、多種多様な人の思惑と利害が絡んでいるものである。今回のように、ハンターに犯罪の片棒を担がせる目的のクエストも、残念ながら時々ギルドの監視をすり抜けてハンターの元へ届くことがある。被害の可能性やモンスターの危険度を意図的に過小評価し、それによって報酬金を安く抑えようとするなど、不届きな依頼主も多い。
     ミドリはそんな現場を嫌と言うほど見てきた。もちろん、その結果として人々が辿った悲惨な末路も。

     黙りこくったところを見ると、リンカにもやはり、心当たりはないでもないらしい。しかしそれでも折れない。平時も口数はそう多くない彼女なので、元から口達者なミドリを口論で言い負かすのは難しいようだ。胸中で責任感と正義と意地をぐつぐつ煮詰めて、ただひたすら目線だけで、否定一色の意思を突きつけてくる。

     こちらとて、憎からず思っている友に無言で睨み付けられて、良い気分でいられるはずもなく。
     あまりの意固地さに、腹が立ってきた。

    「この場であのバカ共を許すってなァ、私達ハンターだけでなく、ギルドに関わる全ての人員への冒涜でもあるのよ? ちょっと考えりゃ分かんでしょうが」

     思わず語調がきつくなってしまった。しかし、口から出てしまったものは、相手の耳に入ってしまったものは、どうしようもない。頑なな態度を崩さないリンカが悪いのだ。正解は火を見るより明らかなのに、何にそんなに拘っているのだか。
     ――いや、何に拘っているのかは分かる。要はみんな助けたいのだろう。彼女は「良い子」だから。でも、誰も彼もが彼女のような「良い子」ではないのがこの社会。悲しいかな、綺麗事だけでは回らない。

     じっとりと睨み合うこと、一分ほど。
     ついにリンカが口を開いた。と同時に、彼女が背負った太刀の鍔が、主の昂る感情に呼応するかのごとく、チャキッと小さく、鋭く鳴った。

    「……許すか許さないかの判断はギルドに任せればいい。私は、受けた依頼を遂行するだけだ。じゃあな」

     言うや否や。
     リンカは風のようにミドリの傍らをすり抜け、猛然と部屋を飛び出していってしまった。

    「はぁーっ」

     イブキがくりくりの目をひん剥き、リンカの背中に向かって絶叫した。すぐさまこちらへぎゅるんと首を回し、これまたかぶりつくような勢いで詰め寄ってくる。

    「ちょっミドリさん、ホントにやんないの」
    「やらない。あんた、人の話聞いてた?」
    「聞いてたけど! 何が良いとか悪いとか、わたしに分かるわけないでしょ ……んもーっ、とりあえずわたし行くからね」
    「聞いててその結論なら止めないわよ。どうぞ、いってらっしゃい」

     目を逸らし、ヒラヒラと素っ気なく手を振ったミドリにイブキは一瞬眉を顰めたが、それ以上は何も言わず。
     狩猟用のポーチと大剣を乱暴に引っ掴み、彼女もリンカの後を追って、バタバタと駆け出していった。

    「……」

     ミドリだけがぽつんと取り残されたがらんどうの部屋。自分を振り返ることなく部屋から消えた、二人の後ろ姿。

     人として正しくはないのかもしれないけれど、ハンターとしては、自分の主張は決して間違っていないはずだ。それが二人に伝わらなかったのが無性に悔しい。もっと理性的に言葉を尽くせば伝わったのか? それとも、いっそ殴り合ってでも止めるべきだったか。

     自分がパーティから抜けることによる二人の負担も、気にならないと言えば嘘になる。いや、むしろ心配で仕方がない。なにせ、持ち前の冷静さを欠いた自己犠牲型ヒーローと、協調性の概念を搭載していない野生児のペアである。そんな組み合わせで本当に、あの金火竜と銀火竜を同時に相手取ることなどできるのだろうか。無事に、帰ってきてくれるだろうか?

     それでも。どんなに不安でも。
     これはミドリにとって、ハンターとしての矜持に関わる事。どうしても譲れないのだ。

    「……チッ」

     無意識に漏らした舌打ちは、一体誰に向けたものなのか。
     ミドリ自身にも、今は分からなかった。

    〓〓〓〓

     イブキは通常種の番を一人で相手取った経験を持ち、金火竜も、単体となら戦ったことがある。しかし、いずれも何とか捕獲はできたものの、オトモ達は二匹とも焼き肉になりかけ、自身は毒に冒されて、三途の川のほとりをチラ見する羽目になった。
     それが今回は希少種二頭、銀火竜は完全な初見である。当然、彼らの攻撃はイブキの経験や想像を軽々と上回るほどに苛烈を極め、今やイブキとリンカの眼前は、焦熱地獄の様相を呈していた。

     その業火の中にあって、銀火竜と金火竜の一糸乱れぬ連携は、美しさを感じるほどに調和が取れている。互いが操る蒼炎で燦然と煌めく金銀の鱗に目を奪われ、二頭の間にこれだけの絆を培った年月の長さに思いを馳せれば、イブキの心は躍って止まない。
     滅多にお目にかかれるものではないのだから、今すぐどこかへ身を隠して、心行くまで彼らの生態を見届けたいのが本音だ。しかし、多くの人の暮らしと命を背負い、共に戦う仲間がいる今は、手を止めることは許されない。

     対峙するハンター二人組はと言えば、火竜達とはまるで逆。

    「リンカさん上」
    「私じゃない、そっちだ」
    「へえっ っ、うわっあちちち」

     銀火竜が中空から放った蒼炎の火球をギリギリで躱す。短い前髪がちりりと焼ける音と匂い、額を掠める猛烈な熱。
     リンカの声がなければ間違いなく直撃していた。接敵直後から、ずっとこんな調子だ。

     不甲斐なさに歯噛みする間もなく、今度は地上から金火竜がイブキへ向けて突進してくる。すかさずリンカが金火竜とのすれ違い様に桜花鉄蟲気刃斬を叩き込み、イブキの目の前で大きく怯ませた。先程の打ち合わせ通りの、完璧なタイミングと正確さである。
     しかし、イブキが悩んだ一瞬の隙を突いて金火竜はひらりと身を翻し、予定していた大剣での追撃を逃れてしまった。

     次いで迫ってきた銀火竜の尾を目掛けて繰り出した、イブキの薙ぎ払い。それが振り抜かれるタイミングに合わせて、リンカが銀火竜の懐へ飛び込んできた。これも事前に入念な確認をしていたコンビネーション攻撃だ。
     が、迷いに満ちたイブキの剣閃は明らかに平時より鈍く、呼吸がズレて、危うくリンカの足まで巻き込みそうになった。

     する事為す事が悉く噛み合わない。立ち回りはてんでちぐはぐ。
     イブキが一挙手一投足の度に迷うせいで、上手く連携が取れないのである。

    「―― おいイブキ、集中しろ 死ぬぞ」

     イブキがあるまじき軌道で闇雲に振り回した大剣の刃を間一髪で避けたリンカから、怒気混じりの檄が飛ぶ。
     危うく足を叩き斬られそうになったのにも拘らず、あくまでこちらの身を慮っての言葉がけを続けてくれるリンカには、つくづく頭が上がらない。それと同時に悔しくもあった。まるで、自分の幼稚さを突き付けられているようで。

     頭では分かってはいるのだ。怒れる金銀火竜の番を相手に漫然と戦っていては、命が幾つあっても足りない。ここまでは辛うじて躱し続けられているけれど、彼らの攻撃を一度でも真っ向から受ければひとたまりもないことは、既に身を以て十分知っている。

     しかし、長く苦楽を共にしてきた相棒たる大剣がずっしりと重く感じられ、どうにも思うように振るえないのである。
     上下左右から降り注ぐ猛攻を捌くので精一杯、防戦一方の展開に、イブキの焦りと苛立ちは募る。イブキが平静を失えば失うほど動きは悪くなり、リンカとの連携は崩れ、せっかく綿密に立てた狩猟計画も、今やあって無いようなもの。もはや互いの存在が障害になるほど、二人は完全な悪循環に陥っていた。

     不意に金火竜がバサリと羽ばたき、悠然と舞い上がった。しかし彼女の鋭い目は、縺れ合い団子になって地面を転がったイブキ達とは、違う方向を見ている。

    「ん? ――はぁ」

     強烈な違和感を覚えて、即座に金火竜の視線の先を辿る。そこに一本の大木を認めたイブキは、更にその木陰に小さな人影を見つけて、思わず素っ頓狂な叫び声を上げた。

    「パオ」

     一瞬遅れてリンカも驚愕に顔を歪めた。
     臨戦態勢の金火竜が睨め付けていたのは、木陰に半分だけ隠れ、腰を抜かして泣いていたパオだったのである。彼が何故ここにいるのかは謎を通り越して理解不能だが、とにかく大ピンチであることだけは間違いない。

    「ああぁーなんでよもおぉー ――っうわっ」

     助けに行こうと立ち上がった拍子に、思わずヤケクソで絶叫してしまった。大失態である。イブキの声に反応し、フリーになっていた銀火竜が、番のフォローをしようと空中から襲いかかってきた。

     ガツン ガツン ガツッ

     容赦なく降り注ぐ凶爪の連続攻撃。咄嗟に大剣の刀身でガードしたイブキの身体が一撃ごとに大きく仰け反り、足はみるみる地面にめり込んでいく。

    「ひいっ…… お姉ちゃん、ひくっ、が、頑張って……がんばれぇ……っ」
    「がっ……頑張っては……いるんだけど……っ」

     己の身の危険も顧みず、パオはガタガタと震えながら、蚊の鳴くような声援を絞り出している。
     大剣で視界が塞がって姿は見えないけれど、声が飛んでくる方角で、パオがいる位置は正確に把握できている。だが、それだけだ。

     ガンッ、ガンッ、ガンッ ガガッ

    (やっちゃった……動けない……!)

     銀火竜の爪による攻撃が執拗なまでにイブキの大剣を叩き続ける。衝撃に耐えることに全力を注がなければ、今にも吹き飛ばされてしまいそうだ。なんとか軸を逸らしてこの膠着状態から脱したいが、攻撃の密度が高すぎてそれも難しい。
     またしても、判断ミス。希少種ではあるがベースは空の王者と呼ばれるリオレウスなのだから、彼が滞空状態からの連続攻撃を得意としていることなど、少し考えれば容易に予測できたはず。だったらガードせず避けるべきだったのだ。
     気付いた時にはもう手遅れ。己への憤りを攻撃に転嫁することすら許されず、イブキはただただ歯を食い縛って、銀火竜の猛攻に耐え続けるしかなかった。

     パートナーが邪魔者を足止めしていることを横目でしっかりと確認し、金火竜が再度、パオの方へぐるりと向き直った。
     ついに目が合ったのだろう、パオが呼吸を引き攣らせる悲痛な音がイブキの耳を掠め、低いホバリングを続けていた金火竜が、滞空したまま下半身を――無数の毒棘に飾られた美しい尾を、グッと力強く後方へ引く。

     それと全く同時。
     蒼い疾風が、一片の躊躇もなく、パオと金火竜の間へ滑り込んだ。

    〓〓〓〓

    「――リンカさん」

     イブキは叫んだ。
     喉が張り裂けて声が割れた。口から心臓が飛び出したかと思った。それから、眼前へ迫る熱も音も衝撃も、すうっと何処か遠くへ行ってしまったような気がした。
     リンカの速さに驚いたからでも、銀火竜の攻撃に押されて半ば膝をつきかけているからでもない。一塊になったリンカとパオがゴロゴロと転がった地面に、夥しい血飛沫が撒き散らされたのを見たからだ。

     何もできないイブキの視界を横切る形で、金火竜の尾に弾き飛ばされた二人の身体は石ころのように数メートルほど吹っ飛び、木に叩き付けられてようやく止まった。
     まずはリンカの胸にしっかりと抱きかかえられたパオが、もぞもぞと手足を動かすのが見えた。こちらに背を向けてリンカに抱かれているので表情は窺い知れないが、どうやら無事なようだ。
     パオを庇って背中から木に激突したリンカは、顔を歪めて激しく咳き込みながらも、血にまみれた自分の腕から抜け出そうとするパオを強く抱き締めて離さない。それどころか、倒れ伏したままで身を捩ってパオの身体に覆い被さり、なおも盾になろうとしている。

     無理だ。金火竜にもう一度攻撃されれば二人とも終わる。自分は動けない。
     金火竜が再び黄金の翼を翻した。銀火竜の巨大な爪が大剣の腹を抉る度、イブキの手はビリビリと痺れ、震える。動けない。

     突然、視界が真っ白になって、全身に絶え間なく響き続けていた衝撃がふいと消えた。中空で悠然と羽ばたいていた火竜達が奇声を発し、バランスを崩してドサリとその場に倒れ込む。
     限界が近かった手から力が抜け、イブキはついに大剣を取り落とした。訳が分からない。終わったのか? 何が? 何もかも? 自分の頭を支配する感情の名を知らないイブキは、ただただ困惑した。なんだ? なんだこれは――

    「……―― 早く ――……」

     どこからか、誰かが叫んだのが聞こえた。聞き慣れた女の声だ。閃光に眩んだ目を細めながら、その声の方向を振り返る。
     ほんの少し前に見たのにもう懐かしいような気がする豊かな黒髪が一条、光の向こうでひらりと撓った。

    「あんたもよイブキ、ボサッとしない!」

     リンカ達を助け起こした黒い影――ミドリの手に追加の閃光玉が握られているのを認めてようやく状況を理解したイブキは、彼女に導かれるまま、大剣を拾い上げて近くの大岩の陰へ飛び込む。そのイブキの耳元をミドリが投げた閃光玉が風を切って掠め、ふらつきながら身を起こしかけていた火竜達の眼前で再び炸裂した。

    「っぐ……! どうして……ここ、に……」

     パオもろとも少々乱暴に岩陰の地面へ転がされたリンカは、パオに怪我がないことを確認してそっと彼を押し退け、怒りと困惑をない交ぜにした瞳でミドリを睨み付けた。が、ミドリは不機嫌そうな表情を顔面に張り付けたままリンカの刺々しい視線を躱し、じわりと広がり始めた血溜まりを躊躇なく踏み躙って、静かに腰を落とす。

    「黙って。止血するわよ。解毒もね」
    「……」

     リンカの肩と胴装備の一部は無惨に叩き割られ、その隙間からどす黒い血がどくどくと流れ落ちている。一歩離れて呆然と立ち尽くすイブキの目から見ても、彼女が金火竜の猛毒に冒されていることは明白。出血量も尋常ではない。確かに早急な手当てが必要な状態だ。それは本人も自覚しているらしく、リンカは苦虫を噛み潰したような顔をしつつもぐっと押し黙った。

     血にまみれたリンカの肩周辺の装備を手早く、しかし慎重に一つ一つ取り外しながら、今度はパオを振り返るミドリ。

    「あなた、パオね?」
    「」

     ミドリの声音はリンカを制した時よりもほんの僅かに柔らかくなっていたが、ミドリとは初対面であるパオにそんな事が分かるはずもなく。突然現れた怖い顔の女に突然名前を呼ばれたパオは、怯えて大仰に飛び上がった。

    「なんで知ってるの、ぼく、あの、お姉さん、誰?」
    「あなたと仲が良いっていう女の子に『パオを探して』って頼まれてきたの。心配して泣いてたわよ、可哀想に」
    「……シワン?」
    「さあ? 知らないけどそうなんじゃないの。その子も含め、他の子はもうみんな村の南の洞窟に避難してるわ。その……シワンって子? 一緒に行くって言って聞かないから、止めるの大変だったのよ。早く戻って安心させてやんなさいな。……『応援』は、もうあなたが二人分やったでしょ」

     目に一杯の涙を溜めて小さく頷くパオの姿が、イブキの胸をぎゅうと強く押し潰した。
     期待と尊敬にきらきらと輝いていたシワンの声が、脳裏に甦る。彼女はきっと、ミドリにも同じ事を伝えたのだろう。――『応援いっぱいするから、絶対やっつけてね』。パオもシワンも、救世主たるハンター達が二頭の火竜を打ち倒すと信じて疑わず、自分が発した言葉通りに「応援」をしようとしてくれていたのだ。また胸が苦しくなって、イブキは思わず息を詰めた。

     一方、ミドリの話を飲み込んだ様子だったパオは、はたと何かを思い出したようにくるんと目を丸くして、何故か首を傾げた。

    「南の、どうくつ……? あそこには子供は入っちゃダメって、村長が」
    「普段はそうらしいわね。大人しか見ちゃいけない『とーっても大事な物』が隠してあるってのは私も聞いたわ。でも大丈夫、私が入れるようにしてやったから。ちゃんと誰も文句言えないようにしてきたわよ」

     その洞窟とやらに何故普段は入ってはいけなかったのか、どうして入れるようになったのか。察しの悪いイブキにも、さすがになんとなく察しはついた。が、なんとなくである。自信はないので、何気なくまだ地に膝を突いたまま傷の手当てを受けているリンカの顔色を窺ってみたら、ミドリの横顔を見つめながら「お前一体何をしたんだ」と思っていることと、応急処置の漢方薬が効き始めているらしいことだけは分かった。
     万事オーケー。真っ青だったリンカの顔がもう僅かに血色を取り戻しかけているのを見たら安心して、洞窟の謎についてはどうでも良くなった。

     てっきりミドリはあのまま帰ったのだと思っていたけれど、そうではなかったのだ。彼女は彼女なりにするべき事を考え、たった一人であの村人達を相手に何か(詳細は不明)をして、おそらくは、彼らを安全な場所に避難させてきた。更にこうして、行方不明だったパオを探しにまで来ている。

     芽生えかけたミドリへの敬意を、情けなさと不甲斐なさの塊がたちまち押し潰した。それに比べて、自分は何をしたか。

    「今は細かい事は考えなくていい。とにかく、アイツらが復活しないうちにここから離れて。いいわね? ――はい、あっち! 走る! 全力」
    「……!」

     ミドリの根気強く諭すような声音が唐突に鋭い命令調へと変わった瞬間。パオはその声に弾かれたように立ち上がってイブキ達に背を向け、一度だけ申し訳なさそうに振り返ってから、ミドリが指した方角へ全速力で駆け出した。
     ハンター達はすかさず火竜の動向へ目線を移す。閃光の眩惑と墜落のダメージからは回復しつつあるようだが、まだイブキ達が隠れている位置やパオの離脱には気付いていない。仕留めかけた獲物を見失った混乱と怒りに身を任せ、身体に触れた周囲の草木や岩石を手当たり次第に破壊して回っている。
     再度パオが走っていった方に向き直ったら、もう随分遠くに離れていた。森育ちだからか、思いのほか速い。あれなら無事にシワン達の所まで戻れるだろう。

     無論それは、ここでイブキ達が火竜の侵攻を食い止められれば、というのが大前提であるが。

    「助けてくれたことには、感謝するが……降りるんじゃなかったのか、ミドリ」
    「クエストからは降りるわよ。一人で無茶する無鉄砲がいるのを知ってるから、さっきの坊やを探すついでに様子を見に来ただけ。――正解だったわね?」
    「……っ」

     脳内で一人反省会を繰り広げるイブキの眼前には、粛々とリンカが肩に負った傷の止血を続けながらも、一触即発の冷戦状態の二人。小さな命が懸かった前提は、今にも崩壊寸前である。

    「……」

     どうしてあんなに動けないのか。答えはもう分かりきっている。彼らを、倒したくないからだ。彼らは正当な怒りをもって卵を取り返そうとしているだけ。それを何故討伐しなければならないのかという思いが、己の技を曇らせている自覚はある。
     でも、迷っていたせいで、リンカが負傷してしまった。

    『ミドリの言う事も間違ってはいないよ。でも、関係者が火竜にやられてしまったら、この村が犯している罪の全貌が有耶無耶になってしまう。それじゃダメなんだ。悪党も無関係な人も、全員生きてここを乗り切らなきゃいけないんだ』

     二人でこの修羅場へ駆ける道すがら、リンカはそう言っていた。真っ直ぐに目的地へ走る彼女の横顔はとても苦しげで、淡々とイブキへ語りかける声には「分かってくれ」という懇願にも近い色が混じっていた。

    『……うん』

     ミドリとリンカの言葉が、今日初めて見た二人の厳しい表情が、脳内でガチャガチャとぶつかり合って、イブキは混乱していた。でも、危険だと分かり切っている狩りにリンカを一人で行かせるわけにはいかないし、なんだか辛そうだし、事情はどうあれ銀火竜は見たい。だからとりあえず曖昧に頷いて、リンカについてきた。自分には「正解」がないのに。
     それがいけなかったのだ。

     リンカには確たる意志があり、このクエストの目的――銀火竜と金火竜の討伐を見据えた、完璧な動きをしている。この場にいる以上、与えられた仕事を誠実に遂行しようとしただけの彼女に非は一切ない。ならば、あの傷は自分のせいだ。中途半端な気持ちのまま狩り場に立った、自分のせい。
     リンカが作ってくれた隙に全力で追撃を下せば、一度振ると決めた大剣を全力でそのまま振り抜いていれば、状況はこんなに悪くはならなかった。いつもの自分ならできるのに、今はどうしてもできない。

    (だってこんなの勝手じゃん。卵を盗って怒らせて、暴れるから殺す、って)
    (あんなに作戦立てたのにダメにしちゃった。もっと上手くやれるはずだったのに)
    (上手くやるって、何を? 殺すの? 二頭とも?)
    (このままやってたらリンカさん死んじゃうな。わたしも死ぬかな)

     イブキの頭と心は、未だかつてないほど千々に乱れていた。散らかり放題に散らかった思考回路の隙間では、リンカが弾き飛ばされた瞬間の映像が何度も何度も流れ続けている。何が正しくて何が間違っているのか、そんな事を考えるのは苦手なのだ。せめてゆっくり考える時間が欲しいのに、今の状況はそれも許してくれない。

     ミドリによるリンカの手当ては着々と進んでいるが、先程のやり取り以降、二人はずっと無言のまま。空気が重苦しい。とにかく今の雰囲気は嫌だ。

    (……何これ。分かんないよ。どうしたらいいの? 分かんない、もうやだ)

     全てが気に入らない。耐え難い。モヤモヤする。イライラする。

    「……――くぅ、……っ」

     リンカの呻き声で我に返ったイブキが顔を上げると、彼女はミドリに包帯で肩をきつく締め上げられ、酷く顔を歪めていた。負傷は深刻らしい。

     何も答えが出ていないのに、戦力がまた一人減った。危機は迫る一方。誰でもない、自分のせいで。でもここに隠れているだけではいずれ火竜達に見つかって、三人まとめてお陀仏コースまっしぐらだ。
     八方塞がりの状況で急速に募ったイブキの苛立ちは限界を迎え、頭が「どうにかするしかない」だけでたちまち埋め尽くされていく。同時に、イブキ本人も知らぬ所で、心の扉がゆっくりと閉じてしまった。

    〓〓〓〓

    「もう戦えないよね、リンカさんも」

     確認のつもりで何気なくそう口走ると、リンカは強い反抗心にも近い意志を孕む目で、こちらをギリッと睨みつけてきた。

    「っ……私の頑丈さを、侮らないでくれ。まだ、やれる」
    「……」

     あ、やらかした。リンカの反論を受けてイブキの脳裏に真っ先に浮かんだのは、その一言だった。
     地雷を踏んだ、とは、こういう時に使う言葉なのだろう。リンカは眉間に皺を寄せ、今までに見たこともない険しい表情を浮かべている。声色も、普段は柔和で落ち着いた彼女の物だとは思えないほど刺々しかった。
     しかし、ただ単純に怒っているのとも違うような気がする。もっとややこしい何かだ。これは、どこかで見たことがあるような――

    「無駄死にするだけだよ、その怪我じゃ」
    「」

     リンカと、傍らで黙って二人のやり取りを見つめていたミドリの顔色が、明らかに豹変した。間違いなく、良くない方向に。

     自分が何を踏んだのか理解せぬまま、イブキが記憶の中から瞬時に探り当てた『今のリンカに一番近い顔』は、己の命を軽く見積もったことでガレアス提督を激昂させた、フィオレーネのもの。それが頭を過った瞬間にはもう、既に口から言葉が飛び出していた。何故なら、ガレアス提督が先に声を荒げて彼女を叱責したから結果的に何も言わなかっただけで、あの時も似たような事を思ったから。
     しかし、イブキにはあまりに言葉が足りなかった。

    「やる」
    「や、無理だって」
    「大丈夫だ」
    「……」

     会話を重ねれば重ねるほど、リンカの態度が頑なになっていくのが分かる。静かではあるけれど、これも『手のつけようがない』と言ってよいのだろうか。
     どう見ても大丈夫ではない、色んな意味で。イブキは柄にもなく、途方に暮れそうになった。

     リンカが意固地になっていることくらいは、人の心の機微に疎いイブキにも理解できる。そう、意固地。あの時のフィオレーネと同じ。何に拘っているのかは分からないが、とにかくリンカは現実に蓋をしてしまって、できる事とできない事の区別がつかなくなっているのだ。事実がどうあれ、イブキはそう思った。
     ならば、強引にでも止めるしかない。ガレアス提督はここには居ないから、ならば、自分が。やむを得ずそう判断したイブキは、深々と溜息をついて彼女の傍らにしゃがみ込み――

    「……はぁー。ちょっと、ごめんね?」
    「ぅぐっ」

     固く包帯が巻かれたリンカの肩を、拳で一突きした。

    「……うっ、ぐ、ぁ……ッ……!」

     途端にリンカが身体を折り、苦しげに呻いた。もちろん加減はしたし、外傷を負っている所は外したのに。
     やはり重傷だ。いくら直撃ではなかったとは言え、あの金火竜の巨大な尾に引っ叩かれたのだから、骨の一本や二本くらいは持っていかれてしまったのかもしれない。

    「ほらぁ、やっぱり痛いんじゃん。わたしに小突かれただけでそれじゃあ……」
    「イブキ」

     低く、しかし鋭い切れ味を持った声。イブキが皆まで言葉を吐き切らぬうちに、ミドリがイブキの肩を掴んでやや強引にリンカから引き剥がした。

    「やりすぎよ」

     急に後ろからグイと肩を引かれて、中腰でよろめくイブキ。何事かと見上げた先で視線を交えたミドリの瞳は、いつもにも増して赫々と燃え滾っている。
     彼女は、怒っているのだ。イブキに向かって。

    「……」

     納得いかなかった。こうでもしなければ、リンカは諦めてくれないではないか。なのに、無茶を言っているリンカではなく、どうして自分が、そんな目で見られなければならないのか?

    「だってそうじゃない。頑張るのと、死にに行くのは違うでしょ」

     精一杯感情を抑えて、それでも隠し切れない苛立ちを滲ませながら、イブキはミドリに反論した。
     当然だ。自分は怪我人のサポートをしながら戦えるほど器用ではないし、ミドリはこのクエストからは降りるのだから、こんな怪我で怒れる竜達の前にのこのこと出ていけば、次の攻撃でリンカは間違いなく死んでしまう。そんな事は誰も望まないはずだ。
     何も間違っていない。何も。

    「正しけりゃいいってもんじゃないでしょうが。リンカの顔、見てみなさいよ」
    「!」

     吐き捨てるようにミドリから言われて、何がなんだか分からないけれど、何故か喉がぐっと詰まるような感じがした。
     経験したことのない息苦しさを覚えながら、イブキが振り返ると――そこには、今まで一度も見たことのない顔をしたリンカがいた。

    「……リンカさん」
    「……」

     名前を呼んでも答えない。イブキから目を逸らし、ただただ黙って、自らが作った血溜まりの跡を憎々しげに見つめている。眉間には深い深い溝を刻み、下瞼を震わせ、髪に隠れた横顔からでも、頬の内で歯をギリギリと食い縛っているのが透けて見えた。

    「……怒ってるの、リンカさんも」

     尋ねてみたら、声が掠れた。喉奥がカラカラに乾いているような、ねばっこい何かがまとわりついているような。
     リンカは険しい表情を浮かべたままでちらりとイブキを横目に見たが、すぐにまた視線を逸らし、ぼそりと呟いた。

    「イブキは正しいんだろ。だったら、これは私の問題だから……イブキには、関係ない」
    「……」

     『関係ない』。リンカから放たれたその一言が、イブキの鳩尾をぐさりと貫いた。
     今まで、イブキが何をしても苦笑いしながら受け止めてきてくれた、リンカからの明確な拒絶。衝撃で、頭が一瞬ホワイトアウトしそうになった。

     自分の判断は間違っていなかった。その考えは今も変わらない。けれどおそらく、リンカにとって何かとても大事なものを、自分はその判断を通して傷付けたのだ。しかも、相当激しく。
     だが、ようやくそれを理解したとて、今更できる事は思い付かない。周囲の人々に甘やかされ、大抵の事柄を「あいつだから仕方がない」と許され続けて生きてきたイブキには、こんな時に使える手札の持ち合わせがあまりに少ないのである。

    「……」

     ミドリも明後日の方を向いて押し黙っている。こうなった原因はクエストを放棄した自分にもあるので何も言えない、といったところだろうか。
     もしもそうだったとして、イブキは彼女を責める気にはなれなかった。彼女抜きでもクエストに立ち向かおうと決めたのは他でもない自分とリンカで、その関係をぶち壊したのは、ミドリではなく自分なのだから。

     八方塞がりだ。しかしこうしている間にも、哀れな火竜達はみるみる調子を取り戻していく。そのうち仲間割れした無力なハンター達を発見して殲滅し、その後は村へと迫るだろう。
     一緒に遊んだあの可愛らしい子供達が、焼け焦げて死ぬのは嫌だ。でも、まだ見ぬ我が子を繰り返し奪われた怒りに突き動かされているだけの被害者である火竜達を殺すのも嫌だ。もちろん自分も死にたくないし、リンカやミドリが死ぬのも、喧嘩したままなのも嫌だ。

     答えが見つからない。火竜達がここを見つけるまでの時間もない。
     ――ダメだ。ないものは、ない。

    「……もういい。とりあえず、追っ払ってくる」

     イブキは思考を完全に放棄し、リンカとミドリにくるりと背を向けて、半ば自棄気味に岩陰から飛び出した。

    「!」
    「!」

    ****

    「なるほど……その手があったか……」

     呆気に取られたリンカが思わずそう呟くと、ミドリもそれにつられたように、呆けた溜息をついた。
     クエストの依頼内容が「討伐」だったので、頭に血が昇っていたリンカとミドリは、「撃退」で済ませることを思い付かなかったのだ。

     ミドリの主張通り、本来ならば、違法行為の片棒を担ぐクエストを達成する義務はない。
     火竜達を追い払ってこの場を凌ぎさえすれば、超特急でギルドにフクズクを飛ばしてそちらに判断を委ね、リンカ達は「村人を裁く立場」から外れることができる。
     イブキを始めとする三人全員が、本心では望んでいないモンスターの殺害に、手を染める必要もない。
     「依頼を無視した撃退」は、意見を違えた三人娘が妥協できる、唯一の解であるように思えた。

    「一本取られたわね。さすがは常識外れの自由人、ってとこかしら。とは言え……イブキ一人では無理よね?」

     すっかり毒気を抜かれた様子のミドリが、ふいとこちらへ視線を向けながら問うてくる。その橙の瞳からは、怒りの炎は綺麗さっぱり消え失せていた。
     ならばこちらも言いたい事は色々とあるが、まずはミドリの問いに答えねばなるまい。さてどうだろうかと先程までの戦闘を思い返し、リンカはすぐに小さく肩を竦めて正直に答えた。

    「……二人がかりでもあれだけ手こずった相手だ。無事では済まないだろうな」
    「でしょうね。丸焦げになられちゃ寝覚めが悪いわ。あの子、化けて出てもやかましそうだし。……ねぇ、リンカ?」
    「……ん」

     目の前の仕事に集中するターンだと頭を切り替えかけたところで飛んできた、ミドリからの少し様子を窺うような声。予想外の出来事に、リンカの心臓がほんの少しだけ緊張で強張る。
     しかし、ミドリの気まずそうな苦笑いを見るに、どうやらその必要はないようだ。

    「一旦、休戦ってことにしましょ。撃退ならまぁ、私も協力するわよ。不本意なことに変わりはないけど……で、これ」
    「?」

     相変わらず素直でないことだと苦笑を返す間もなく、ミドリがポーチから引っ張り出した持ち物を次から次にホイホイと手渡される。各種粉塵・罠・閃光弾にこやし弾・弾丸の調合素材まで。みるみるうちにリンカの両手はアイテムで溢れ、抱えきれなかったツラヌキの実が三つ四つ、コロコロと二人の足元を転げた。

    「ミドリ、あの、これは……?」
    「預かっといて。二体同時な上にイブキの子守りもしなきゃいけないし、少しでも身軽な方がいいから」

     荷物持ちでもしていろということだろうか。
     落とした素材を慌てて拾い集めながらリンカが困惑を隠しもせずに見上げれば、ミドリは自分もひょいと屈んでその視線を躱す。そして、一つだけ拾い損ねていた木の実をリンカのポーチへ放り込みがてら無遠慮にポーチの中を覗き込み、小さく頷いて微笑んだ……ように見えた。

    「ん、これだけあれば足りるわね。私のも勝手に使ってくれていいわよ、リンカの判断で」
    「!」

     見えたような気がした微笑みはあっという間につれない仏頂面に変わり、次の瞬間にはぷいとそっぽを向いてしまった。だが、リンカはこれが彼女の照れ隠しであることを、ちゃんと知っている。
     彼女はリンカが万全の状態でないことも、イブキにそれを指摘されて傷付いたリンカの意地や誇りも全て飲み込んだ上で、「共に戦え」「お前はまだやれる」と、そう言ってくれているのだ。

    「分かった。……恩に着る」
    「何の話? 私は荷物を預けただけよ」

     丁重に頭を下げるリンカを追い払いでもするかのようにヒラヒラと手を振り、自分だけさっさと歩き出そうとするミドリ。こちらからは見えないその口から、今度はにわかに信じ難い言葉が聞こえた。

    「……悪かったわね、カッカしちゃって」

     リンカは耳を疑った。謝罪。あのミドリから、謝罪が。
     顔を背けている上に口の中でモゴモゴボソボソ言っていて、常人ならばほとんど聞き取れなかっただろうが、ミドリにとっては気の毒なことに、リンカは耳まで鍛え上げた熟練のハンターである。もちろん、聴力には絶対の自信があった。
     正しく聞こえていたのなら、こちらもすぐに返さなければいけない。なにせ、明日はどんな天変地異が起こるとも知れないので。

    「こっちこそ意地を張りすぎた。すまな……」
    「あん?」

     皆まで言わぬうちに、ミドリの大変不機嫌そうな顔がくるんとこちらを向いた。羽飾りが揺れる耳許が、心なしか赤らんでいるように見える。これ以上は可哀想な気がして、そしてそれが無性に可笑しくなって、リンカは笑いながら路線変更をすることに決めた。

    「ふふっ、『辛気臭いのは嫌い』だったね、そういえば。ここからはお互い、謝るのはナシにしようか」
    「あー良いわねそれ、採用。……じゃ、こっちはスッキリしたことだし。さっさと片付けちゃいましょ」
    「そうだな。イブキが丸焦げにならないうちに」

     荷物は重いが心は軽い。たとえ明日大嵐に見舞われようとも、また乗り越えればいいだけだ。――ミドリと二人でではなく、三人で。
     パンパンに膨らんだポーチと決意を抱え、リンカもミドリに続いて、再び戦場への一歩を踏み出した。

    ****

     二人が身を隠していた岩陰から飛び出すと、すぐに孤軍奮闘するイブキの姿が目に入った。
     さっき戦闘していた位置より少し離れている。自分で宣言した通り、イブキは本気で、怒れる火竜達をここから撤退させるべく立ち回っているようだ。
     しかし、周囲の地面にはそこかしこに毒棘がばら撒かれ、その隙間を縫ってちょこまかと逃げ惑うばかりのイブキを、蒼の劫火と凶爪が執拗に追う光景は、まるで鬼が罪人を追い回す地獄絵図。防戦一方とすら呼べぬ状況に、ミドリがやれやれとわざとらしい溜息を吐く。

    「あーらら。案の定ね」
    「ミドリ、レイアの方を少し止められる? 三秒あればいい」
    「はいはい、任せて」

     即答したミドリの口角に浮かぶ皮肉めいた苦笑は、意地っ張りなイブキへ向けた物か、それともミドリ自身への物か。少しだけ素直になったばかりの今なら答えてくれるかもしれないが、尋ねている暇はなさそうだ。
     ミドリが遠方から減気弾を金火竜へ撃ち込んで動きを鈍らせた隙に、リンカがイブキを燃え広がった炎の中から引っ張り出し、ミドリにパス。思っていたよりも身体に力が漲っていて、イブキの軽い身体はいとも容易く宙を舞った。

    「うわあっ ……えっ、へぇっ なんで……」
    「勝手にぼっち決め込んでんじゃないわよ。あんた、そういうキャラじゃないでしょうが」

     ちょっと投げすぎたかもしれないと思ったが、ミドリはすっ飛んできたイブキを力強く抱き止めて、上手く地面に転がしてくれた。何がなんだか分からぬまま空を飛んだイブキは、ミドリに鼻で笑われながら目を白黒させて、決裂した仲間達の再登場に分かりやすく驚いている。
     その隙にリンカは手近に居たクグツチグモを捕らえ、すかさず銀火竜を金火竜の上に引っ張り落とす。二つの巨体がごちゃごちゃに縺れて倒れ込んだ先には、既に設置を済ませておいたシビレ罠。二体まとめて引っ掛けて、動きを止めた。
     すぐにミドリに支えられたイブキに駆け寄り、こちらには回復薬を投げ渡す。おそらくはほぼ無意識にそれをキャッチしつつ、またしても目をかっ開いて驚くイブキ。つくづく忙しい女である。

    「リンカさん! 怪我は」
    「言っただろ、こう見えても私は頑丈なんだ。全力でというわけにはいかないけど、サポートくらいはまだまだやれる」

     器用に片手で落とし穴を組み立てるリンカの手元を見て、イブキはハッとしたように口を噤んだ。
     自身が他人のサポートを苦手としているイブキにはどうやら、他人にサポートをしてもらうという頭も全くなかったようだ。それに、これだけの怪我をしてまだ動けるのはリンカの特殊能力と言っても過言ではないので、こんな事が可能だなんて、想像できなかったのも仕方ない。
     ちらっとイブキの顔を見てみたら、露骨にしょぼくれている様子が見えた。素直が服を着て歩いているような人間なので、仲間の底力を侮っていたことを反省でもしているのだろう。バツの悪そうな顔が子供みたいでおかしくて、またしても思わず笑いが漏れた。

    「そんな顔しなくていいよ。私がイブキの立場だったら、きっと同じ事を言ってた」
    「……そう?」
    「ああ。ありがとう、心配してくれて。――でも、せっかく一緒に来たんだ。一緒にやって、一緒に帰ろう」

     火竜達の猛攻の跡に取り残されていたイブキの大剣をなんとか回収してきたミドリが、目線は立ち上がろうとする火竜達へ向けたまま、持ち主の傍らへそれをドスンと突き立てながら言う。

    「こいつらは追っ払う。村の上役達はギルドナイトにしょっぴかせる、逃走を図るようならここでシメる。これなら全員、文句ないわね?」
    「私は異論ない。イブキは?」
    「……」

     ミドリとリンカからの問いにまだ少しだけ戸惑いの色を見せ、リンカの目をじっと見つめたまま、暫し沈黙するイブキ。
     しかしやがて、彼女の大きな栗色の瞳から、迷いが消えた。

    「……ありがと。ごめんね、二人とも」

     そう呟いた次の瞬間、イブキは弾かれたように立ち上がり、空に向かって聳えた大剣の柄を力強く握り締めた。すっきりと曇りの晴れた彼女の目は今、ミドリと、そしてリンカとも、同じ方向を向いている。
     やっとだ。やっと、全員が見据えるゴールが揃った。そうなればリンカの胸にはたちまち猛き炎が灯り、それが全身の血液を沸き立たせて、傷の痛みを一時忘れさせさえする。
     なにせ、今ここに並ぶ者達は、互いが確かに実力を認め合った頼もしい仲間であり、友なのだから。

    「謝るのはお互い様。が……それはこの場を切り抜けてからだ。――いくぞ!」

     雄叫びにも近いリンカの合図で、三人の狩人は地を蹴って翔んだ。
     彼女達の心にはもちろんのこと、三者三様に蹴散らした土の一片にすら、躊躇や迷いは、もう一つもない。
     

    ◇◇◇◇

     朝から始めた狩猟活動が翌日の明け方近くまでかかったのは、リンカにとっても、他の二人にとっても久方ぶりのことだった。狩ってはいないが。怒り狂った大型モンスターを、生命活動を維持できる状態を保ったままで遥か彼方まで撃退するというのは、捕獲や討伐よりも数倍難しいのである。
     それをなんとかやり遂げて疲れ果てた三人の英雄は、「面倒な用が済んだらとっとと帰ろう」と固く誓い合い、手ぶらで村へと引き返した。まだ夜は明け切っておらず森は暗いが、日の出の時間もそう遠くはない。それに、子を奪われた怒りと執着に囚われたリオス希少種夫妻を追い返す危険と労力に比べれば、暁闇の森を行く行軍など、気軽な散歩のようなものだ。

     村に戻って、子供達と互いの無事をひとしきり喜び合ったリンカ達は、依頼通りの仕事をしなかった――つまり金銀火竜を「敢えて」討伐しなかったこととその理由をチアンをはじめとする村の若者達へ詳らかに説明し、理由はどうあれ討伐はしなかったのだからと、報酬の受け取りを丁重に固辞した。
     面倒な用というのはもちろんこの事である。当然、村人達は密猟の事実を知っていた者・知らなかった者、そしてそれを受け入れる者と受け入れられない者とで意見を違え、互いを罵倒し殴り合い、村を救った英雄を称える場になるはずだった集会は盛大に大荒れした。こうなることは分かっていたけれど、この乱闘騒ぎについてハンター達にできるのはもう、超特急フクズクをギルドへ飛ばして事の次第を伝えることだけだ。
     喧騒に紛れてその最後の仕事を済ませたリンカ達は、早々に宿へ引きこもって帰り支度を始めていた。事情もよく分からぬまま罵り合う大人達の板挟みになっている子供達には気の毒だが、これ以上ハンターの裁量を超える厄介事に巻き込まれては堪らない。

     が、何事もそう思い通りにはいかないもので。

    「余計な事を喋りおって……この小娘どもが!」

     傷の手当てをやり直し、荷物をまとめ終え、さてこっそり出発しようかと三人が腰を上げかけたところで、一人の老人が部屋へ怒鳴り込んできた。
     チアン達より遥かに良い身形をしているが、あの騒ぎの中で誰かに相当こっぴどくやられたらしく、仕立ての良い着物や綺麗に整えられていたのであろう髪は無惨に乱れて、さながら落武者の様相である。

    「……」
    「……」
    「……あなたが、この村の長ですか」

     醜く顔を歪めたボロボロの老人を唖然と見つめるミドリとイブキを抑え、念のために確認する。予想通り、老人は「そうだ!」と息巻いたが、リンカは表情一つ変えずにしれっと尋ねた。

    「私達は、クエストの依頼主に必要な連絡と説明をしただけですが。それが何か」

     ただでさえ真っ赤だった村長の顔へ更に血が集まる。今にも耳から蒸気を噴き出しそうだ。彼はリンカの胸倉に掴みかかり、唾を飛ばしてがなり立てた。

    「とぼけるな この村に住んでいる以上、あいつらも……チアン達も、密猟の恩恵は受けとるんだ! 貧しい村を維持していくのがどれだけ難しい事か、お前らに分かるのか 分からんだろう、えぇ」
    「はぁ~……」

     ぐいっ。
     溜めに溜めた長い溜息を吐き切り、ミドリが村長を片手で引き剥がしてそのまま突き放した。足を縺れさせてひっくり返った無様な老人を見下ろし、氷のように冷たく、一言。

    「知ったこっちゃないわよそんなの」
    「あぁ」

     怒りに任せて今度はミドリに突っかかろうとする村長。しかしリンカがひょいと横から腕を差し挟めば、それに引っかかって彼はまたしても畳に尻餅をついた。

    「あなた達のご苦労はお察しする。だが……どんなに大変でも、正しく在ることを投げ出していい理由などありはしない。あなたは今のその姿を、村の子供達に胸を張って見せられるのか?」
    「くっ……!」

     リンカの正論に返す言葉を失い、歯軋りをして後退りする村長。また飛びかかってくるかと少し身構えたが、その刹那、またしても別の村民がドタバタと部屋へ転がり込んできた。やけに切迫した雰囲気からして、どうやら「村長側」の人間であるようだ。

    「そっ村長 まずいです、こいつらさっき鳥飛ばしてやがった! ギルドが来ますよ 卵の件がバレちまう」
    「何だと、ギル、ギルド ……くそぉ、覚えておれよ貴様ら……」

     村長はギルドと聞くなり赤鬼のようだった顔を真っ青にし、途端にあたふたと腰を上げようとし始めた。その姿と捨て台詞に、何故かイブキの目が悪戯っぽくキラキラと輝く。

    「おっ! これわたし本で読んだことあるよ! 『悪役が逃げ出す時の常套句』ってやつでしょ? わぁー、ホントに言うんだー!」
    「あんたも物語なんか読むのね、意外だったわ……で? 賢い物知りイブキちゃん。このパターンの場合は、どうするんだったかしら?」
    「……シメる」
    「はい正解、よくできました」
    「んなっ」

     既に鉄蟲糸を構えて準備万端のミドリが特上の意地悪な笑顔を浮かべ、「本で見たやつ」の再現にワクワクが止まらないらしいイブキがそれに続く。
     顔を引き攣らせてじりじりと後退しようとする老人達の背中に、ドンと突き当たる壁。それは部屋の扉ではなく、哀れみと不敵さを滲ませて彼らを見下ろし立ちふさがる、リンカの身体だった。

    「すまないね、私達が三人で話し合って決めたことなんだ。……では、ちょっと失礼するよ」

     そこから先は文字通り、一瞬の出来事だった。
     翔蟲の達人達が放った翡翠の糸は、不届者達に目視すらも許さず彼らを捕縛。それを部屋の梁からぶら下げて、今度こそ完璧に全て完了である。天井から降り注ぐ老人達の呪詛を背中に受けながら、リンカ達は荒れる村を後にした。

     部屋の外に手紙が置いてあった。表書きに踊る幼い文字。シワンとパオからの物だろう。中身は船に乗ってから落ち着いて読むことにした。拠点に戻ったら、彼らが明るく正しい道を生きてくれることを祈りながら返事を書こう。可愛い文通相手が増えた。少なくともリンカにとっては、今回の狩猟の報酬はそれで十分だった。

    ◇◇◇◇

    「イブキあんた、リンカにやった事がこたつさんにバレたら、間違いなくブッ飛ばされるわねぇ」
    「……ひぇ」

     薄暗い樹海の隙間をうっすらと朝靄が漂う。薄明薄暮性の生物達はそろそろ起き出す頃か、それともまだ塒の中で寝起きの伸びでもしているか。
     そんな事はお構いなし、三人の先頭に立って元気良く草木をかき分けどんどん進むイブキの背中に、最後尾を歩くミドリが笑いながら声をかける。その言葉の意味を理解した瞬間、イブキは飛び上がって歩みを止め、大慌てでリンカの所へ駆け寄ってきた。皮肉屋ミドリ流の「ペース早いわよ、ちょっとは怪我してるリンカに合わせなさい」。裏の意図は本人にはまるで伝わっていないが、効果だけは抜群である。

    「えっあの、ねぇリンカさん、こたつさんそんな怒る? わたし斬られる?」
    「あはは。どうだろうね。事情が事情だし、さすがにいきなり手を出すなんてことはないと思うけど」

     リンカが笑ってそう答えると、イブキは露骨に安堵して胸を撫で下ろした。
     無論、恋人が話もよく聞かずに自分の友人を斬り捨て御免するような人間でないのは、間違いない事実なのだけれど。今の今まで慌てふためいていたのにもうおめでたく安心しているのを見たら、もう少しだけからかってやろうと、悪戯心が湧いた。

    「……でもまあ、結構痛かったからなぁ、イブキのあれ。私がそれを伝えたら、ちょっとどうなるか……」
    「ごっ、ごめんって! あれはホント謝るからぁ! 内緒にして~」
    「うーん、どうしようかな。……ああ、ところで。今回の件の報告書、誰が書く?」
    「ハイ! ワタクシガヤラセテイタダキマス!」

     イブキがピシッと手を垂直に上げて真顔で叫び、ミドリが心底面白そうにケラケラと笑う。それに釣られて、思わずリンカも吹き出した。
     ついさっきまでの重苦しい空気が嘘のようだ。

     三人娘の明るい空騒ぎが響き渡る、薄曇りの空。
     雲の切れ目からは、彼女達の姦しさに叩き起こされた早起きの美しい虹が、ちらりと覗いていた。


    【おしまい!】
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    👏👏👏💞❤❤❤❤❤❤💞💞❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤
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    Replies from the creator

    tks55kk

    DONE★よそ+よそ+うち(CPなし)

    りん(@odashi_0820)さん宅のリンカさん・あねにゃ(@aneniwa)さん宅のミドリさん・うち(@tks55kk)のイブキの三人が一緒に狩りに出て、互いの価値観の違いゆえにさながら冷戦のようになってしまう、ハラハラドキドキなお話です
    誰も間違ってないけど誰も100%は正しくない 果たして和解できるのか!?
    【暗雲衝けば蒼天に虹】****

     今回は、なかなか骨が折れそうだ。
     団子を片手に先程受注したクエストの依頼書を眺めながら、リンカは覚悟混じりの深呼吸をした。

     チッチェから『緊急度が高いのに受注できる者がなかなか見つからない』と泣きつかれて二つ返事で引き受けたのは、リオレウスとリオレイアの討伐クエスト。依頼主は王国の辺境に位置する小さな村の青年で、『村が繰り返し襲撃を受けているから助けてほしい』という、至ってシンプルながらも極めて切迫した内容だった。
     ターゲットがどちらも通常種より遥かに高い戦闘力を持つ希少種――銀火竜と金火竜であり、しかも常に行動を共にしている番であることが、適任者がいない理由だ。チッチェ曰く、既に何度か送り込んだハンター達は悉く返り討ちにあったのだそうで、依頼書の隅にはご丁寧に『複数人での受注を希望』との注釈が付いている。
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