ズズズ羹を静かに啜る音が聞こえる。
飲み込んで喉を上下させた満寵はそっと口を開いて長いため息を吐いた。器から未だ上る湯気越しにしか彼の顔が見えないが、随分やつれている、と徐晃は思った。身なりがきちんとしていないのは日常茶飯事だがいつも以上にぼさぼさの頭が目立つ。墨や泥らしきもので汚れていた衣服は着替えさせたけれども顔に覇気がないせいか草臥れて見えるのだ。目の下の隈も酷い。美味そうに食事をしているが隠し切れない疲労が表に出ている。
「気が付くと空腹だという感覚もなくなっているんだ」
部屋に閉じこもり考え事や作業に集中すると寝食やその他諸々疎かになってしまうという。徐晃にはその感覚が理解し難いものだったし、賛同し難かった。どれだけ素晴らしい策を練り罠を作り上げたとしても己の身が疲労で満ちて力を発揮できなくなってしまっては元も子もないだろうに。
何事も程々が良い、と口にすれば元気のなかった瞳に僅かながら輝きが戻って、こちらの言葉を否定してくる。
「徐晃殿だって、強敵が現れたら全力で立ち向かうだろう?それと同じだよ」
「……違う、かと」
「同じだよ、発揮する場が異なるだけで君は戦場で敵相手に、私は罠や仕掛けを相手に……ああでも、見据える先は一緒か、結局敵に対する仕掛けだし……いやそうでなくとも……うーん」
顎に手を置いて考え始めた満寵は、自分の思考がまとまらないようで唸りながら食事をする手を止めてしまった。熟考に入ると周りが見えなくなりそれまでやっていたことを放り投げる癖は直らない。
嘆息が漏れた。
「あれ……徐晃殿、なんだか考えが纏まらないんだけど……頭の中でぐるぐるしているんだ」
「栄養が足りていないのでござろう。満寵殿、まずは食事をきちんと摂られよ」
「ん、ああ、そうだった。そうだね」
冷めては勿体ない、と再び羹に向き合った。それに続けて徐晃も口に運ぶ。
腹が減っていたのは己も同じで、食事が再開されると二人の間に会話は無くなった。
黙々と進む食事。器同士が当たる音、そっと汁を啜る音。料理屋は賑やかで客もそれなりに入っているが二人がいる卓は静かだった。
「温まるね」
ぽつりと言葉を零した満寵は力なく笑っていた。声に出さずに同意すればそれで満足だったようで、また食事は粛々と進む。好ましい空気だが徐晃には少しばかり物足りなかった。
間もなく全て食し終わるというところで顔をそっと上げ、向かいで食べる満寵に注目する。基本的に愛想が良くて明るい人物だから二人で過ごすときは彼の方がよく喋るのだ。己があまり話上手ではないこと、彼の口が達者だということもあって必然的にそうなっていた。
しかし今日のような、満寵が疲れ果てているときは静寂が訪れる。疲労困憊の身に無理を言うつもりはないし沈黙が気まずい間柄でもない。
「せっかく訪ねてきてくれたのだから、徐晃殿に私の成果を見て欲しいんだ」
「成果、でござるか」
「うん。練りに練った図案があってね、あぁまずはそっちに目を通してもらってから是非実物を」
「満寵殿」
落ち着いたかと思いきやすぐにまた興奮したように話し出す。読めない動きをする彼は好ましいが徐晃の声色はすっかり呆れていた。
「食事はきちんと摂られよ」
「うん、あ、じゃあ食べ終わったら」
「食べ終えたら、休まなければならぬ」
「うん……うん、そうだね」
口をすぼめて汁をすすった満寵は不貞腐れた顔をしていたがそれ以上言葉を紡ぎはしなかった。
満寵の話を欲する一方で心身を気遣いたい気持ちもある。平常を貫き続けるのはなかなか難しい。己の未熟さが彼を通して見えたようだ。
柔らかな肉を美味そうに頬張る満寵の向かいで、徐晃は器の中身を飲み干した。