〈未定〉お酒を飲める様になって知ったことは、お酒ってそんなに美味しくないということだ。大人がすごく美味しそうに飲む姿からは想像できないような苦い味。お父さんもよく晩酌をしていたけど、毎日飲むほどに美味しいとは到底思えない。甘いジュースのようなお酒はまだ飲めるので、それを頼むことにした。
「鈴ちゃん、飲んでる?」
頬をほんのりと赤く染めた同級生の女の子が顔を覗き込んできた。もう酔っているのか距離が普段よりも近い気がする。アルコールが入ると人は少しだけ変わってしまうようで、周りでも楽しげな話し声や笑い声が響いていた。
「あ!ベルって呼んだ方がいいかなぁ?!」
彼女は割としっかり酔っていたようだ。声のボリュームが少しだけおかしい。周りの人たちも似たように大声で話をしているため特別目立つことはなかったが、思わず笑顔がひきつってしまった。
「あはは…、鈴の方が、嬉しいかもなぁ〜…」
私の下手くそな笑顔を気にすることもなく、酔った彼女は「え〜、そう?」と首を傾げてる。そして彼女の言葉に周りで違う会話をしていた人たちも「え、ベルがどうしたの?!」と楽しそうに会話に加わってきて、ここぞとばかりにいろんな質問をされた。普段の大学では全く話したことがない人まで、まるで長年の友人かのような質問や言葉を投げかけてくる。アルコール特有の距離の縮まり方だとは思うのだが、『月の裏側みたい』と長年の友人に言われたことがある私のような人間には少し光が強すぎた。仕舞いには「二次会はカラオケにしようよ」「ベル歌ってよ」「一曲だけでいいから」と全員から頭を下げてお願いをされるという惨事になってしまった。こうなってしまうような気がしたから、大学の飲み会には参加したくなかったのだ。だけど、ゼミの親交を深めるためという理由だったこと、もう何度も誘いを断っていたため少しだけ罪悪感があったこと、色々な理由があって自分で来ることを選んだのだから文句は言えない。とりあえず「最近喉の調子が悪くて」という、お酒を飲んでおいて苦しすぎる言い訳でその場は乗り切った。最近は曲作りの期間のため〈U〉でも歌えていなかったので嘘だと気付く人はいない。多分。
「じゃあまた今度!今度は絶対聞かせてよ」
空いていた隣に座ってきた同級生の男の子が、そう言ってにっこりと笑いかけてきた。短髪ではつらつとした印象がある人で、イケメンだとゼミの子たちが騒いでいた記憶がある。優しい雰囲気を纏った人だが「今度」という言葉に有無を言わせないような響きがある気がして、ひきつった笑顔のまま頷くのが精一杯だった。
そこでようやく注文したお酒が運ばれてきたため、私はそれを受け取ってちびちびと飲んだ。みんなもそれを機に別の話題へとうつったようだ。隣に座ってきた男の子は会話の中心のようで同じテーブルに人が集まってきた。こっそり途中で帰ろうと思っていたのにこれでは抜け出すのは難しいかもしれない。男の子は自分から話をしない私を気にしてくれたようでちょくちょく話題を振ってくれて、その気遣いが有り難く、そして全く有り難くなかった。
対策として、何かを飲んでいる時と食べている時は会話に参加しなくてもいいという自分独自のルールを作り、周りの会話を聞き頷いて相槌を打ちつつも自分から発言をすることはなかった。口をつけている割に飲み物も配膳された料理もほとんど減らない。周りは酔っている人がほとんどで、みんな楽しく会話をしていた。少しだけこの雰囲気についていけない自分がいて、やはり来るべきではなかったのかもしれないとこっそりため息をつく。こういうところが『月の裏側みたい』と言われる所以なのだと自分でも思う。騒がしくお酒を飲むよりも、家で音楽を聴きながら紅茶を飲みたかった。そんな後悔に心がじわりと締め付けられてきた時、スマホが小さく震えた。
(あ、恵くん)
恵くんからのメッセージだった。『もし迷惑じゃなかったら、今日も鈴さんの家に行っていい?』という簡潔な一文。この騒がしい場に似合わない、彼の静かな雰囲気を文章から感じ取れた気がして私は思わず笑った。いいよというスタンプを一つ送って、待ち合わせのための時間と場所を指定する。飲み会はまだまだこれからという雰囲気だったが、最優先の用事ができちゃったから仕方ないよね、という心強い口実を手に入れた私は隣に座っていた男の子にコソッと話しかけた。
「あの、ちょっと用事があるから帰るね。お金預けても大丈夫かな」
男の子は笑顔でもちろんと返事をくれた。1人分の参加料がきっちり決まっててある意味よかったと胸を撫で下ろす。お願いしますと言ってお金を手渡ししようとしたら、男の子にお金を持った手をまるごとギュッと握られた。あまりの不意打ちに驚いて悲鳴をあげそうになるも、お店や周囲の迷惑になるかもという考えが頭をよぎって寸前で声を出すのをぐっとこらえた。見れば男の子は頬を赤く染めてニコニコと笑っている。ただ酔っ払っているだけなのだろうか。
「あ、あの…手を…」
「鈴ちゃん、帰っちゃうの?用事?」
「う、うん!そう、大事な用事があって」
「そっかあ。もっと話聞きたかったな」
口調も酔っている人間特有のもので、少しだけ羅列が回っていない。ニコニコと笑う表情は崩れることはなく、手を握る力も変わることはなかった。少しだけ手を引いてみるが力負けしてびくともしない。離してくれる気配がない上に、テーブルの下で手を握られているため他の人に気付かれることもない。一体なんなんだろう、離してほしいなと思いつつ、酔っている人の対処が分からなかった。
「あの、離してください」
少しだけ口調を強くしてみる。きちんと相手の目を見ることも忘れない。私の口調が変わったのに気付いてくれたようで、男の子はハッとしたように慌てて手を離してくれた。
「あ、あー、ごめんね。どうしてももうちょっと話したくて」
申し訳なさそうにポリポリと頬をかいて謝ってくる。悪気はなかったと分かっているので笑顔で大丈夫だと頷いた。今度こそちゃんとお金を渡して、盛り上がってる空間から退出する準備をする。忘れ物がないかを確認し終え、じゃあまた、と男の子に声をかけた。
「鈴ちゃん。次はゆっくり話しようね」
男の子は笑って手を振ってくれた。でもやっぱり少しだけ『次は』という言葉に妙な圧を感じた気がして、私は引き攣った笑顔で手を振るのが精一杯だった。
お店を出ると、澄んだ秋の空気が出迎えてくれた。お酒で温まっている身体には丁度よく、もうすぐ冬だなぁと思いながら店から駅までの道を歩いた。電車に乗って自宅の最寄駅へと向かう。駅のホームで恵くんと待ち合わせをしてたので、改札を抜けて辺りを見回した。